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美濃 勝山城 🏯日本ラインを見渡せる濃尾攻防の要城

美濃 勝山城 (猿啄城) (岐阜県加茂郡坂祝町勝山・城山) <町指定史跡>

突然ですが、皆さんは懸賞応募とかされますでしょうか??
スーパーの協賛チラシ、食品のキャンペーン、TV番組の終わりの抽選プレゼント、等々・・。
こまめに見渡せば応募ネタというものは身近にゴロゴロ転がっているものです。

ただ、日々の生活に追われ、応募がめんどくさいですよね・・。(ハガキもないよ・・)
奥方は懸賞応募が好きで内容問わず暇があれば応募に明け暮れる懸賞女子です。
もちろん応募しないと当たらないのですが、これ・・割と小さく当たるもんでして・・。

今回、「日仏ラグビーチャリティマッチ2019〜FOR ALL 復興〜」のペアチケットが当選!
実は生でラグビーの試合を観るのは二人とも初めて。「観に行こうね~o(^▽^)o」
この一瞬、自分の口元が、違う意味でニヤッとしたのを奥方は見逃しませんでした。

奥方:「・・今回どこの城がセット?」
自分:「・・言いずらいです・・。」

gimera.jpg
2月2日に岐阜メモリアルにて開催され、観戦しに行ってまいりました。

saruhazama (1)ということで試合観戦前に登ったのが坂祝町の勝山城(猿啄城)です。
(振っといて岐阜城じゃないんか~い)

saruhazama (2)

山登り、という観点では格好の山ですので登山する方々でいつも賑わっています。
駐車場は山麓に20台くらいは停められますが、それでも土日は満車のときがあります。
少し下ったところに第2駐車場もありますから大丈夫です。

saruhazama (3)
登り口には城主となった川尻肥前守秀隆公を祀った石碑も。
(こちらでの川尻公の活躍は後ほど)

saruhazama (19)
登山道は緩急ありますが、全体的に整備され、いい運動になります。

saruhazama (18)
20分ほどで八合目辺りの大手曲輪に到着します。

この上段に広い曲輪があるのですが、中腹にあるせいで見過ごされる遺構です。
麓から登ってくる侵入者に対しての監視所も兼ねていたようです。
登山道に対して平行しており横矢掛けができる曲輪です。

saruhazama (5)頂上に設けられた展望台に到着です。

saruhazama (7)
展望台からの日本ライン(木曽川)や可児・美濃加茂市の一望風景。

saruhazama (6)
鵜沼城と犬山城は直視できません。間に陰平山があるからです。

天文年間(1532~1555)には多治見修理が猿啄城城主でした。
永禄8年(1565)織田信長の臣・丹羽長秀らによって攻められ、多治見修理亮は城を脱します。
信長は城を勝山城と改称し、一番戦功のあった川尻秀隆を城主としました。
(城主ということになっていますが、ニュアンス的にはおそらく城代でしょう)

saruhazama (4)猿啄城の石碑と木柱碑。・・展望台に比して控えめです。

城名は表題に挙げた「勝山城」よりも「猿啄城」の呼称の方が有名かもしれません。
自分が敢えて「勝山城」と呼んでいるのは、織田信長がそう改名したからです。
この後、この城を信長より預かり受けた城代・川尻秀隆もそう呼んだはずです。

信長が生涯で改名した城はおそらくこの二城だけ
猿啄城⇒勝山城」と「稲葉山城⇒岐阜城」だけではないでしょうか。
(※自分の知る限りですので他に例がございましたらご教示をお願いいたします)

伊木山城と共に東美濃への本格的橋頭保としてこの地を奪取した意味は大きかったのです。
事実、この城を押さえたことで直後の堂洞合戦は信長優勢のもとで展開していきます。
「勝山城」、信長の積年の喜びや意気込みが実に伝わってきます。

saruhazama (8)
本丸に相当する曲輪はいかにも狭小です。

山頂部は岩肌があらわれ、ほぼ自然地形を造成してあります。
北側から西北面にかけて小さな腰曲輪もみられますが、なにせ狭いです。
・・しかし曲輪の側面部をよくよく見てみると・・。

saruhazama (11)この様に立派な石垣も随所に確認できます。

saruhazama (9)
西方面の石垣。

saruhazama (20)
北方面の石垣。

saruhazama (13)
東方面にも高さこそなかれ、長い石垣も確認できます。

石垣の上にはかつて、より広さを確保するための腰曲輪があったのでしょう。
今日では埋もれ、または崩れて、さほどの広さは保たれてはいません。
しかし、こうした苦労の址を感じる貴重な石垣遺構であるといえましょう。

saruhazama (10)
尾根を堀切で遮断しますが土橋で連絡を確保しています。

saruhazama (14)
背後の山から望む城山山頂です。

城の背後にある「大ぼて山」へ丹羽長秀が攻め登り、水の手を断ちます。
下からは川尻秀隆が勇敢に攻め上がり、上と下から攻め寄せられた城は落城しました。
信長の用兵も見事ですし、それを着実に実行し、戦果を挙げた丹羽・川尻両将の手柄です。

川尻秀隆は信長の信頼がよほど厚かった人物と推定できましょう。
そして、この後、対武田東濃作戦では、重要な神箆城を任され、岩村城主に大抜擢されていきます。
嫡男・信忠の補佐役に抜擢されたのも、その老練な経験が認められた証、といえます。

黒母衣衆筆頭の座はダテではないのです。

また秀隆はここ勝山城でも民政には心血を注いだようです。
登り口の石碑や城山中腹の途中にある白河神社でも「川尻様」として祀られています。
秀隆の愛されぶりが感じられましょう。

saruhazama (15) こうして見ると復興天守にも相当する迫力。・・これでいいんんです。

猿啄城こと勝山城の展望台からの眺望は本当に素晴らしくロマンに満ちています。
(木曽川沿いの河川道は「ロマンチック街道」と呼ばれていますよ)
一見、見るに値する遺構は少なそうですが、石垣遺構を探し当ててたら、気分最高ですよ!

saruhami.jpg翌日にもう一度登って改めて作図してみました。

saruhazama (17)
・・さてこの後、こちらは懸賞で当たったラグビー観戦に行ってまいりました。

細かいルールも何人制競技なのかさえもわからないままの現地入り。
ドラマ・『スクールウォーズ』世代なので、ある程度の予備知識がありましたが・・。
しかし、いざ試合が始まるとものすごい迫力、体と体がぶつかり合う音が聞こえてきます。
(頭の中は麻倉未稀さんの『ヒーロー - Holding Out For a Hero- 』が・・)

どのポジションのメンバーが欠けても勝利にたどり着くことはできないでしょう。
勝利の喜びを、負ける悔しさを、より強く感じることができるスポーツだと思いました。
共に分かち合う・・これもラグビーの素晴らしさの一つだと思いました。

One for all, All for one、・・胸に響く忘れたくない言葉です。

いつも恩恵に預かりっぱなしで、キツイ山城にも付き合ってくれる奥方には感謝です。
自分のためだけではなく常に家族のために無心で家事をしながらの仕事、そして懸賞応募(笑)。
その気持ちや前向きな姿勢が家族の心をいつも明るくしてくれます。


Ⓢは登山者用駐車場です。
Ⓖは展望台のある主郭。ゆっくり登っても30分ほどで到着です。
眼下に広がる眺望は本当に素晴らしいです。

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静岡マラソンに向けて<2月練習編>

静岡マラソン2019に向けての準備

静岡マラソンまでいよいよあと2週間となりました。・・ちょっと緊張してきました。
とは申せ、特にこれといった特別な練習は相変わらずしてきてません(;^_^A。
前回で記した通りの週単位練習がベースの毎日です。

月の総走行距離は。。
12月で270km、1月は290km、と自分としてはよく走り込んだ方になります。
もちろん、走行距離がそのまま結果につながる、とは限りません。

これから大会の日までは調整期間に入ることになります。
大切なのは目に見えない溜まった疲労を上手に抜きながら走力を維持することです。
未熟者ですのでまだまだ試行錯誤の中ですが、これまでの経験と相談していく形です。

大会を目の前にして練習量を落としていくのも「力をためる」練習の内という処です。
RPGゲームのドラゴンクエストで例えると・・、
戦闘中に「ためる」コマンドを使用すると、テンションが上がり、攻撃や呪文や特技などが、
通常よりもはるかに大きな力を発揮できるようになる、という・・。
・・何か違うかなぁ・・。 でも、・・ま、そんな感じですかね(;^ω^)。

2月の調整メニューはこんな感じです

〇2週間前〇
月曜日  ジョギング20分:3km  7分00秒/km のゆったりジョグ
火曜日  ジョギング40分:7km 6分00秒/km のジョギング
水曜日  ビルドアップ走:5km  5分00秒⇒4分30秒へ上げていきます
木曜日  ジョギング40分:7km  6分00秒/km のジョギング
金曜日  ジョギング40分:7km  6分00秒/km のジョギング
土曜日  ジョギング50分:9km 6分00秒/km⇒5分00秒へ の中負荷ジョギング
日曜日  ビルドアップ走:10km  5分15秒⇒4分15秒へ約2kmごとに上げてきます

〇1周間前〇
月曜日  ジョギング20分:3km  7分00秒/km のゆったりジョグ
火曜日  ジョギング40分:7km 6分00秒/km のジョギング
水曜日  ビルドアップ走:5km  5分00秒⇒4分30秒へ上げていきます
木曜日  ジョギング40分:7km  6分00秒/km のジョギング
金曜日  ジョギング30分:5km  6分00秒/km のジョギング
土曜日  前日:ジョギング30分:5km 6分00秒/km のジョギング+のんびり平城歩き
日曜日  当日:静岡マラソンレース


自分としてはいつもの練習量と比べるとかなり余裕のあるプログラムです。
今回はかなり細かく組んでみましたので、遵守できるのか不安・・。
(前日予定ののんびり平城歩きは実践自信あり!)
ここまで割と頑張ってきたほうなので、あとは怪我だけしないように過ごしたいです。

ここからは逸る気持ちを練習にぶつけてはいけません。
ここにきて「頑張る」ことはせず、その気持ち、大会当日まで心静かにとっておきます。
「会心の一撃」、出せるかどうかは調整次第、ってとこです。

前回のタイムが3時間48分24秒でしたので今回の目標は・・、
「そうですね、3時間30分切り!!」・・っと言いたいところですが、まだまだ難しいでしょう。
とりあえず10分縮めて3時間38分が目標です。

あ~、言ってしまった・・ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

遠江 尾奈城 🏯猪鼻湖と浜名湖を同時監視できた城

遠江 尾奈城 (尾奈砦・本城山城) (静岡県浜松市北区三ヶ日町下尾奈・本城山)

年末になると奥方のご実家に帰省して2日程滞在いたしております。
その間のお楽しみはお餅つきのお手伝いと近所の城めぐりでして・・。
しっかりとお手伝いをしたら、しっかりと城に浸りに行くのが恒例でして・・。

親戚の方々:「今日はどこまで行くんだい?」
自分:「今日は〇〇の××城まで行ってこようと思ってるんです」
親戚の方々:「へぇ~、○○なんかに城址なんてあるの??」

親戚の方々一同:「帰ったらどんなんだったか聞かせてよ」

・・てな感じで夜の宴会はその報告がネタになります。
皆さん酒の肴に?一所懸命聞いてくれるのでこちらも熱が入ってしまいます。
そこにはやはり郷土愛という特別な想いを感じるのです。

今回訪問した城は静岡県の旧三ケ日町と湖西市境に位置する尾奈城です。

onat (9)浜名湖と猪鼻湖が繋がる瀬戸の本城山山上に構えられました。

山上から見て南が浜名湖面、北が猪鼻湖面という風光明媚な場所です。
標高はさほどでもない山ですが登山口が藪に覆われてわからないのが難点です。
一昔前には山上に展望台もあり、遊歩道もあったのですが・・。勿体ないことです。

onat (3)
いきなり本丸に到着写真ですみません。

頂上の本丸は広い楕円形を呈しており、よくならされています。
ほぼ単郭の主郭部ですが、南から南東にかけて帯郭が点在しています。
木々が茂っていなければ周囲の湖が一面に展開しているのでしょう。(ちと残念)

onat (4)尾奈砦・本城山城遺跡の説明版。

・・すでに説明版自体が遺跡と化しているようです。
古代文字を判読するようなレベルですので、以前訪問した際の要約メモの出番です。
(その時はなんとか読めてました)

この尾奈砦は、摩訶耶の千頭峯城の南方重要な拠点でした。
敵監視のために築かれたもので、規模は狭小ながら、本城山(標高135.4km)の山頂に東西70m南北40mの削平塁段とその西方に幅5mの二重の堀が並列しています。
浜名湖を距て南方の眺望は極めて良く、千頭峯城南朝方の東海方面監視の役の城として、また湖西方面より湖北に侵入しようとする敵を抑制する拠点として極めて重要な砦であった。
明治初期に砦の石垣は解体されたようです。
(大体こんな内容のことが書かれてました)

onat (5)本丸東側に居並ぶ石積。

東側の登り口に向けて後付けしたような列石。
解体された、と記されていますが、敢えてこの場所にあるのは怪しい・・。
当時のものかどうかは疑う必要があると考えられます。

onat (6)とは言っても土留め役割は果たしている訳で判断は難しい・・

onat (1)西の尾根筋にみられる堀切からの竪堀。

onat (2)
並列二重竪堀間の様子です。

onatg (1)
写真ではお伝えでないほどの幅広の土橋です。

広い土橋の両脇には巨大な竪堀が落とされています。
特に北側に向かって落ちる竪堀は二条あり、並列畝竪堀となっています。
堀の途中に継ぎ目を入れたような「段竪堀」を呈する非常に珍しい遺構です。

onahonnjyou.jpg

また本丸の南東には堀底からつながる折れのかかった虎口が確認できます。
西側に続く広い平地は地山で普請した様子が全くありませんので、駐屯地とも想像できます。
じっくり観察すると小規模ながらテクニカルポイントがあり、充分見応えがあります。

南北朝期の遺構から下って戦国期にも部分的に改修された可能性も感じます。
浜名湖周辺の城郭は今川・徳川両氏による城郭再構築もあったようですから。
「本城山」、と言われるように一支城から主城としての役割を担った時期もあったのでしょう。

onat (8)
遠江八景・瀬戸夜雨(せとのやう)もすぐ麓にあります。

猪鼻湖と浜名湖がつながる瀬戸の名勝です。
突き出た岩の上に祀られた社まで歩いて行けます。
ご訪問の際はご一緒に散策できますよ。



登山口が非常にわかりずらいのが難点です。
自分は遺構確認のため瀬戸トンネルの真上に階段で登り、尾根沿いに直登しました。(Ⓢ地点)
途中に広い散策道に出ましたが南北どちらに行っても途中で藪と化し、消えかかっています。
なんとか山頂部(Ⓖ地点)に辿り着こうという気合も時には必要かと。
公におススメできる駐車場はありません。

美濃 天王山城 🏯霊山・天王山山上の絶景城郭

美濃 天王山城 (岐阜県美濃市大矢田・天王山)

年末から遠征が重なり、薄い内容ながらも律義に記事にしてしまいました。
どの城も印象深く、また一緒に同行していただいた城友さんとの楽しい思い出・・。
成人を迎えた長男の晴れ姿・・、流し目して先には進めなかったからです。

その間、地元周辺の山城にも足を運んでみました。
広大な城でなくとも、感じる心さえあればどんな小さな城でも感動があります。
今回は久しぶりに地元・美濃からの愛すべき山城レポートを発信したいと思っております。

その名も名称がカッコいい「天王山城」です。

tennou (1)大矢田神社背後の天王山頂上一帯が城址です。

秋になると大矢田神社の紅葉はその美しさでとても賑わいます。
自分も家族を連れて、もみじ鑑賞と名物の田楽を食べに来たこともありました。
また室町時代から伝わるという大矢田神社のひんここ祭りも有名です。

tennou (2)
大矢田神社の楼門を見学していきます。

tennou (3)
神社の中にも仏教式の素晴しい門が残っています。

tennou (4)
山を登る前に長~い階段にて本殿まで歩みます。

創建は養老2年(716)、天王山禅定寺として泰澄大師がこの地に開基しました。
祠はその一部となり、牛頭天王として習合されます。
天王山の名も、大矢田神社の祭神、牛頭天王に由来しています。

tennou (5)
大矢田だけに、弓矢です。・・か?(無知です)

tennou (6)
拝殿の前を抜け、本殿の東側脇から山頂に向かいます。

tennou (8)
楓の滝に到着。

「楓の滝」あり、「どんびき岩」なる奇岩あり、大モミジあり、と飽きることないトレッキング。
欲を言えば、本当は紅葉全盛の時に来れたら絵的に良かったのですが・・。
縄張り図作成をするには人の気が少ない真冬の時期の方が落ち着きますので・・。

tennou (12)
山頂手前の尾根に到着。

ここで天王山方面と誕生山方面へと分岐します。
先ずは天王山頂上に向かいます。
・・ここでネタばらししちゃいますが、実は主郭部は山頂にはありません。

tennou (20)
山頂部手前の土橋っぽい横には・・。

tennou (17)片堀切ですがざっくりとえぐれています。

tennou (18)天王山頂上です。

山頂部は平地は残るものの、岩盤があちこちで露出しています。
明瞭な切岸も認められず、堀切を除けばあまり手を加えられた様子がありません。
しかしながら、ここ頂上からの眺望は本当に見事でした。

tennou (9)どこまでも重なり合う美濃の山並みです。

冬の澄んだ空気に折り重なる山々は何ともいいものです。
この地が『美濃』の表記されるようになった理由がおのずととわかる気がします。
城址に来ているのに、散策そっちのけで景色を楽しんでしまいます(笑)。

tennou (16)美しい野です、美濃・・ですねぇ∠( ^ o ^ ┐)┐。

tennou (19)
遠くに木曽の御嶽山もよく見えました。

・・そろそろ主郭部の遺構へ行ってみましょうか。
先程の尾根分岐点から誕生山方面へと向かいます。
頂上からみて東側の尾根に展開しています。

tennou (14)
櫓台のような土壇があります。

tennou (15)主郭部の曲輪の様子。一部石垣も見られます。

石垣は或いは石積み、と表現したほうが適切かもしれません。
いわゆる土留め用程度のもので、個々の石の大きさも小さいチャート状のものです。
東西に細長い曲輪ですが東側端部には土塁も見られ、その先には大堀切へと連なります。

tennou (13)深さ5m程の大堀切が遮断します。見た目薬研堀ですね。

天王山城は頂上部を含み、3つの山頂部を利用して構築されています。
主郭部が、一番眺望が優れ要害性のあるはずの頂上(鞍部に堀があるのみ)ではなく、
東尾根先端部に主郭部が置かれたワケとはなんでしょう??・・。

いろいろな理由が考えられます。

①、頂上一帯が岩盤地面で作事普請しずらかった・・。
②、山頂部は神宿る霊山の聖域として最小限の普請に留めた・・。
③、大桑城から見た東の出城として東方面の連絡重視をした・・。
④、飛騨方面・或いは郡上郡方面からの攻撃に備えた・・。

・・などでしょうか?
今回は作製した図面を掲載したいと思います。

tennousai.jpg3つのピークからなる天王山城です。

天王山城の城主としては後藤正元・正長(正元の次男)の名があがっています。
正長は天文11年(1542)大桑城にて土岐頼芸斎藤道三が戦った際、土岐方に属したようです。
大桑城とは位置関係的にも本城・支城関係にあったのかもしれません。

山頂からの景色が素晴らしいので眺望写真ばかりになってしまいました。
登山途中にも何人かのハイキングの方ともすれ違いましたし、やはり人気スポットのようです。
頂上でお話しさせていただいた方の中には、なんと毎日!登られているという方も。・・尊敬。

城址見学だけでなく縦走ハイキングも楽しめそうな天王山城でした。


Ⓢは大矢田神社の登山者用駐車場をお借りしました。
Ⓖは山頂東尾根にある天王山城の主郭部。登山時間は登り50分ぐらいみます。
結構ハードですが、モミジや滝を鑑賞しながらゆっくり登れば亦楽しからずや。
頂上からの絶景が疲れを吹き飛ばします。

丹波 周山城 🏯光秀公築城の周山城をトレラン

丹波 周山城 (京都府京都市右京区京北周山町・城山)

丹波八木城、園部城、丹波亀山城を見学した後、京都中心部に戻ります。
それぞれの城跡でそれぞれの感動に出遭い、妙に楽しい帰路ですが。
・・でももう一つぐらい山城を回る時間があることに気付いてしまいました。

そこでまず一番に頭をよぎったのが今回の周山城。
しかし京都市、といっても山深い京北の地です。・・遠いですし、迷いました。
・・でもそういえば今日は走ってないし、走れそうもないから、いっそここで・・。

そう、腹は決まりました。周山城、トレラン訪問に決定です!

賢臣の恐察:「・・殿、進む方角が違うようですが・・」
愚殿の声:「・・目的は丹波・周山城にあり!」
賢臣の諫言:「・・し、しかし、京にて若殿との約束刻限に間に合いませぬぞ!」
愚殿の声:「・・そ、そこは俊敏な足で時短見学ということで・・」
賢臣の悲痛:「は?・・、果たして能うのですか??」
愚殿の開き直り:「能う、能わす!」
賢臣の落胆:「・・でた、いつもの見境いなき突発性症候群よ・・」
(少なくとも「賛同いたしかねる」という反抗的キャラはいない・・)

「煩悩寺の変」勃発。

ということで、頭の中は大河先取り気分に・・。

syuuzann (1)弓削川左岸奥部に築かれた周山城遠景。

天正7年(1579)明智光秀は宇津氏の宇津城を攻略します。
宇津氏によって横領されていた禁裏御料所を復した功績は朝廷への覚えもよかったようです。
その後、周辺の土豪衆を押さえる為、また京と若狭を結ぶ街道の押さえとして周山城を築きます。

周山城主には、光秀の従父弟・明智光忠が八上城より来城したようです。
光忠は、信頼のおける貴重な一門衆だったことがうかがわれます。

光秀は、丹波支配のための居城として丹波・亀山城を築き着々と基盤を固めました。
福知山城に明智秀満を、黒井城に斎藤利三を、八上城に並河飛騨守明智掃部?)。
そしてこの周山城に明智光忠を配したのです。

syuuzann (2)国道162号線沿いのJA京北前のバス停に案内板があります。

syuuzann (21)
京都トレイルコースとしても整備されています。

今回の訪問は半分はトレラン練習ということで(ホントか・・)
車は少し距離がありましたが京北町役場隣のウッディ京北さまの駐車場をお借りしました。
辺りには目ぼしい駐車場も見当たらないのでここがベターかと思われます。

syuuzann (3)
登山道入口にも案内板があってわかりやすい。

syuuzann (20)
行く手を遮る倒木がたくさんあるのですが・・。

丸太や倒木がごろごろ横たわっていました。
走りながらとっさの判断でジャンプパスしたり、潜ってみたり、またいだり・・。
なんだかスーパーマリオになった気分で楽しめます。

syuuzann (4)
間伐もされているので、コースとしては進みやすいです。

syuuzann (17)
東尾根の曲輪に到着、NHKテレビ受信設備があります。

syuuzann (5)足元には小さいながら『周山城』の石碑があって嬉しい(^o^)。

麓からここまで走りづめで心臓バクバク!
少し脈拍が落ちつくまで小休憩・・、ハァ、ハァ、ハー・・。
ふと後ろを振り返ると、こんな景色に癒されました。

syuuzann (18)丹波らしい山々が重なる物音少ない静かな景色でした。

息は整い、みるみる汗が引いていき、疲れもとんでいく瞬間です。
ここにはまた帰り道でも立ち止まるポイントになりました。
さ、頂上まであと少し(多分・・)。

syuuzann (6)
頂上手前、最期の急峻な山肌も果敢に走破!。

再び心臓バクバク、汗はダラダラ・・。
しかしこの心臓の鼓動は未だ目にしていない遺構への高まる期待感からかもしれません。
徐々に目に入ってくる石垣片にかえって力がみなぎってくるのであります。

syuuzann (16)
虎口を経て、主郭部の東郭には長~い土塁が延びていました。

syuuzann (8)整えられた頂部・広い郭内に到着です。

syuuzann (14)
本丸に備えられた簡単な縄張り図面も参考になりました。

syuuzann (15)方形に崩れた様子からして天守台かと思われる。

どうやら穴蔵を有する天守台だったようです。
また天守台北側には井戸跡も残っていました。
それにしても本丸一帯はかなり徹底的に破却された感じを受けました。

syuuzann (7)
周囲・角部の土塁は残存状況がいいです。

syuuzann (9)
西曲輪方面の虎口。

syuuzann (10)「生き残った」ともいえるキセキの高石垣。

・・おそらくこの程度の石垣が本丸周辺から累々と延びていたのでしょう。
よくぞ崩されず、また今日まで崩れずにきたものです。
魅せてくれますね・・。

syuuzann (11)
西曲輪の北側は延々と続く石垣が見所。妙な横移動になっちゃいます。

syuuzann (12)
たまりません・・、アップで撮らせてください。

syuuzann (13)
確認できる石階段一段一段からでも想像できることが沢山です。

北山杉に囲まれる中、静寂に包まれた空間に荒石垣は続きます。
そして崩れされた石垣、風化で荒れた部分等にも思いを馳せることができましょう。
ここに光秀築城と伝わる周山城の醍醐味を感じました。

また、周山城は非常に規模が壮大で、一度の探索ではとても全容はつかめません。
今回、自分はトレラン、トレイルランニングということでの登走です。
「上り下りと見学時間で1時間」、という無謀な都合もあり、見学できないところが沢山・・。

事実、南の尾根曲輪には行けませんでした。
また西の離れ出丸には周山城の土の城もあるとの事。
「見たかった」という後悔も正直ありました。

syuuzann (19)
下りは疾風のように駆け下る。

そろそろ帰らないと京都での長男との約束時間に間に合いません。
また来れたらいいな、という募る念をのこしながら周山城をあとにしました。
次の日、地元で成人式を迎える長男、その迎えついでに山城三昧の呆れ父。

どちらもホクホク顔で地元・岐阜へと向かうのでありました。


㋹は駐車場をお借りした道の駅ウッディ京北さん。
Ⓢは周山城登山口。
Ⓖは天守台などの主郭部。徒歩なら50分前後でしょうか。
・・そんな方はいないと思いますが走れば15分で到着します(笑)。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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