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城友さんとさすらう能登城郭漂流記その② 七尾城・後半編

能登 七尾城 (石川県七尾市古城町・城山) <国指定史跡>
<城友さんとゆる~く行く能登の城めぐり 七尾城編・後半>

前半は七尾城の二ノ丸と三ノ丸を中心に見学した様子です。
後半の本稿では、いよいよ本丸方面へと向かっていきます。
ここでお断りしておきますが、ほんの一部に過ぎない見学ルートです。

七尾城は多数の屋敷地等が合わさった壮大な大規模城郭です。
「詰め城」の類を逸脱して、「山上巨大城郭都市」、といった表現がお似合い。
時間と体力を考慮した計画で見学するといいと思います。

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遊佐屋敷まで戻ってドキドキの本丸方面へと向かいます。

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本丸の外桝形。

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・・たまらない。

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・・ノーコメントで。

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一段ずつ噛みしめるように登る日向さんです。

その後ろ姿、城好きを隠し立てできない歩みぶり。
何かを感じとりながら、味わいながらゆっくり辿っています。
「大人の階段」とは、我々にとってはこういった所かもしれません(謎?)。

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4段郭の様子が伝わるかな、と思いまして。・・楽しい位置です。

notonana (39)見下ろされているような七尾城の大石碑。ぎゃ、・・逆光だ・・。

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本丸の大土塁は大樹とのマッチングがお似合いです。

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本丸からは七尾市街と七尾湾が本当に美しかったです。

notonana (40)謙信公も愛でた、とされる絶景に往時を感じますね。

notonana (46)振り返れば、城山神社が鎮座する高台、天守台のようにも見えます。

そこは、花が咲き、蝶が舞う、光溢れる場所でした。 

また一つ日向さんとの記憶に残る場所がありました。

いつまでもここ七尾城の姿と景観が残されますように。

七尾城探索後、麓の七尾城史史料館で展示物などを見学、100名城スタンプを押しました。
セットで拝観した懐古館のおじちゃん、面白かったな。
城友さんとゆる~く行く能登の城めぐり、七尾城編、終わります。
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城友さんとさすらう能登城郭漂流記その①・七尾城・前半編

能登 七尾城 (石川県七尾市古城町・城山) <国指定史跡>
<城友さんとゆる~く行く能登の城めぐり 七尾城編・前半>

ゴールデンウィークも終わって日常が戻ってきた世の中です。
そんな中、城友さんの日向さんと能登方面の城めぐりをしてきました。
少し遅れのG.W、私たちはまだ終わっていません、・・さて、今回のテーマは・・。

能登七尾城と能登守獲得日帰り弾丸ドライブ』です。

毎回ごとに互いの車を出し合うのが通例です。
今回は日向さんのほうの愛車・ジムニーにて24時間耐久城めぐりにチャレンジ。
・・といっても眠たくなったら仮眠する、絶対に無理はしない、というのが約束です。
(当たり前なんですけどね)

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日向さんのクルーザーにて海岸から攻め立てます!

しかしながら、城の事になると無理はせずともついつい無茶をしてしまいがち・・。
ま、振り返ってみれば、それも時として楽しい思い出になるもの。
忙しい中、お互い予定を合わせ、天気も快晴、絶好の城日和(珍しく)に感謝です!

先ずは早朝の千里浜なぎさドライブウェイにて砂浜を爽快にドライブしました。
ここは日本で唯一、車で走ることのできる砂浜です。
千里浜の砂はきめ細かく、海水を含んで引き締まっているため車の走行が可能なんです。

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波打ち際のカモメたちや地平線を見ながらの開放感が楽し!。

さて、海岸からいきなりですが、七尾城に到着しました。
七尾城に続く林道は土砂復旧工事のためまさかの通行行止め・・。
麓から大きく迂回しての予定外ルートになりました。

notonana (53)本丸駐車場での鳥瞰イラストを転写させていただきます。
(以前からのイラスト図がリニューアル、リアル度が増してました)
案内板下のボックスにパンフレットが提供されていますし、きれいなトイレもあります。

戦国史上超有名クラスの山城ですので、もうあれこれ講釈は必要ないですね。
主郭部周辺をゆっくり歩き七尾城の凄さ、美しさ、素晴らしさを体感します。
見所はたくさんありますので、ついつい時を忘れてしまいそう・・。

notonana (130)調度丸からの段石垣はやっぱり実物は圧巻ですね。
・・こう、なんでしょうね、胸がキュンとするこのたまらない感覚は。

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能登守護・畠山氏が築いた全国でも屈指の名山城です。

山上から山麓までの自然地形を巧みに利用しています。
七尾の地名の由来となった七つの尾根筋に多数の曲輪を連ねる大要塞。
山麓には城下の町並みが形成され京風の能登畠山文化が華やぎました。

notonana (27)杉木立から漏れる光を浴び、蒼く浮かび上がっていました。
その迫力に押されて思わずのけぞる感じを受けます。(否、ただの下り坂に足を取られただけ)

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お楽しみの本丸は最後にして、二ノ丸方面へと向かいます。

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スナイパースタイルのワタクシ、久太郎です。(写真提供:日向さん)

サブ・ジェネレーターを搭載した大型ランドセルを装備しています。・・嘘です。
一眼レフカメラを持つと、デキ映えはともかく、「撮っている」感がでてしまいます。
スタンスを広げ、膝を軽く曲げてキープ、安定感を確保したら、あとは狙撃です(笑)。

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温井屋敷~二ノ丸へと見学していきます。

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温井屋敷の九尺石はまるで古墳石棺のような内桝形虎口で、デカい。

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二の丸・三ノ丸間の堀切。もはや山と山の間の谷といった感じです。

他にも本丸と長屋敷(「ながやしき」でなく「ちょうやしき」)間の堀切や、
長屋敷背後の大堀切等、とにかく幅が広く、そして深いです。
曲輪間には「木橋」でもあったのでしょうか?想像してしまいます。

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三ノ丸といっても侮ることできない広い規模の収納郭です。

ここから安寧寺郭、袴腰郭へと続きます。
時間の都合上、ここらでUターンします。
ちょっと長くなってしまいましたので、後半に続けたいと思います。

練習不足なのにフルマラソンって・・

黒部名水マラソン向けて

黒部名水マラソンまであと10日となりました。
・・というか、もう10日後に迫ってしまいました、という感じです。
令和になっての初フルマラソン、いいスタートを切りたかったのですが・・。

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練習不足もいいとこです。
仕事中の足の怪我(軽傷ですが)と仕事の多忙が重なりました。
それに加えて今年は町内会役員としての務めもあり、プチ用事が入ります。

しか~し、何を言っても所詮言い訳になります。
実際、大好きな城めぐりはちゃっかり行っているのですから・・。
・・あ・・、君はそれも走れなかった理由にしてしまうのか?(汗)。

という訳で今回は自己ベスト更新はおろか、ペース配分も何もあったものではありません。
なんとかゴールまで完走できれば良し、とせねばなりません。
「ファンランに徹する」、と言えば気持ちはラクになりますけど。

ええぃ、こうなったら、とことん楽しもう、と思います。
沿道からの声援、振舞われる充実のエイド、包まれる大自然、そして黒部の名水!
お腹たっぷんたぷんになってゴールしたいと思います。

その前に・・、怪我のないように、無理しないようにせねばいけませんからね。
それと・・、一緒に出走するラン友・Y吉さんの目障りにならないようにしないとね。
されど・・、このまま諦めません、10日間でできる調整はしっかりやりますよ!

令和元年5月26日午前9:00スタート号砲が待ち遠しいです!

近江 大溝城 🏯古城感ある天守台と周囲の雰囲気

近江 大溝城 (滋賀県高島市勝野) <市指定史跡>

朽木谷に向かう途中に高島市の大溝城に寄ってみました。
大溝城は現在、天守台遺構と内堀の一部が残っているだけです。
古城の雰囲気漂うノスタルジックな景観が何度来ても楽しませてくれます。

oomizozenntai.jpg水田となった内堀の中に浮かび上がる天守台の姿はまさに古城址。

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大溝城は高島総合病院の東側に本丸が築かれていました。

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南に二の丸、病院付近一帯に三の丸があったようです。ここから入っていきます。

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周囲は一部、内堀が残っていて野性的な雰囲気が残ります。

oomizoj (4)天守台手前に大溝城の石碑と案内板。

大溝城は天正6年(1578)織田信澄によって築かれました。
織田信澄織田信長の実弟・信勝の子です。津田信澄とも称し、信長の信任厚い甥でありました。
「一段の逸物也」と評され、織田遊撃軍のなかにあって優れた司令官でもあったようです。

謀反を企んだ弟・信勝の遺児であったにも拘わらず、その待遇は格別に厚かったようです。
一門衆の序列は第5位であり、破格の待遇であったことは間違いありません。
(信長の嫡子である信忠、信雄、信孝、弟の信包に次ぐ立場になります)

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織田信長浅井長政を滅ぼした後、高島郡に磯野員昌を入部させます。
信澄はこの員昌の養子となりましたが、天正6年(1578)、員昌は信長の勘気を被って突如の放逐。
員昌の所領は信澄が継ぎました。

天正10年(1582)、本能寺の変の際、信澄は四国征伐軍の副将として織田信孝に従い大坂にいました。
しかし、信澄の正妻が明智光秀の娘であったことから内通を疑われます。
そして、疑心暗鬼となった信孝・丹羽長秀に急襲され討たれてしまいました。

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苔むした石垣がたまりません。

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天守台へと続く石段も遺跡チックです。

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東側から見た天守台。

oomizoj (10)荒廃感の中にも圧倒させる迫力がある大溝城・天守台です。

角部には巨石が宛がわれていてその大きさに驚きます。
荒々しい算木積がとても迫力に満ちています。
近江でありながら、穴太積とはまた一味違っているような感を受けます。

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天守台に登ってみました。

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天守内部は二段になっています。

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なかなか無骨っぽくて目が離せません・・。

戦国の天守台、というのにふさわしいこの石積。
個人的には伊勢・神戸城の天守台に似ているな~と感じました。
伊勢・神戸城は同じ一族・織田(神戸)信孝の居城です。
ほぼ同地位の従弟・神戸信孝と同規模城郭の築城が許可されていた、とも考えられますかね?

実際の信澄は信長の厚遇に応えて忠義を尽くしており、有能な武将でした。
謀反に荷担した様子はなく、光秀に助力しようとした素振りも窺えません。
一方、『耶蘇会報』では信澄を「甚だしく勇敢だが惨酷」とも評していました。

信澄はおそらく信長気質に似た人物で、そこを信長自身もかっていたものと思われます。

さて、大溝城の周囲を飛び回っている間、家族のみんなはこちらで散策してました
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『万葉集』の歌の中にも「香取の海」として登場する乙女ヶ池です。

変則的な木橋がとても新鮮で面白く、雄大で美しい池でした。
天平宝字8年(794)に勃発した藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱の戦闘場所としても知られます。
大溝城にとっては外郭の堀として利用されたともいわれています。

ご家族で大溝城を訪れる際は、ここを散策コースとして組み込むといいと思います。
開放的な雰囲気の中で清々しい水辺の散歩が楽しめますヨ。
周囲の雰囲気も含めて、てくてく散歩できる長閑な大溝城でした。

近江 西山城 🏯朽木谷を監視する山上の詰め城

近江 西山城 (滋賀県高島市朽木荒川・西山)

令和元号になり、世間はいきなりのゴールデンウィーク10連休です。
自分は仕事上、さすがにそこまでの連休は頂けません。
しかしながら仕事一辺倒、というわけでもありませんでした。

家族と一泊二日で滋賀県へ旅行におでかけすることができました。
登山と温泉、テニスをしたり、朝一市場や観光ドライブを楽しみました。
この日のため、予定を合わせてくれた家族のみんなには本当に感謝です。

さて、宿での目覚め一発目は早朝山城ランニングから始まります。
午前5時、まだ寝ている家族を起こさないようにそぉ~と宿舎を出発。
日の出と共に、お父さんの贅沢タイムは始まります。

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デジカメだけを持っての山城朝トレランは心躍るものがあります。

今回は宿から近くの朽木城の詰め城、西山城を訪ねます。

ouminisiyama (20)中央のなだらかな山・西山の山頂奥に主郭部をもつ西山城です。

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南の麓から案内板に沿って登山道をひたすら登ります。

登り口には2,3台の駐車スペースが用意されていました。
適所に城への案内札もあるのですが、整備中断状態と思われる林道が酷かった・・。
行く手を遮る伐採されたまま横たわる倒木の連続・・、

これでは大半の人は途中で登城を諦めざるを得ないでしょう。
事情はわかりませんが、この様な道なら無い方がまだマシだと思います。
敢えて写真は掲載しませんが、何とかして欲しいものです。

ouminisiyama (6)主郭部下の案内説明版はイラスト図面が解りやすいです。

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先ずは桝形虎口を通過して本郭へと進みます。

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周囲を土塁に囲まれた広い本郭に到着です。

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高さはそれほどでもないですが、均等の高さで囲われて、見た目美しいです。

ouminisiyama (8)本郭の北部分は「烽火台」と伝わる遺構が現存しています。

一段高くなって周囲をコの字型の土塁で囲ってあります。
この土塁は意識的に高くしてあり、厚みもあります。
西山城の役目を表す注目すべき遺構といえるでしょう。

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烽火台の直下は急斜面となり北郭が見おろせます。

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北郭内部には石で組まれた「溜枡」と呼ばれる遺構がありますが、何でしょう?

虎口の一種でしょうか?すみません、勉強不足です。

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北郭から烽火台部分を外側から見上げてみます。・・なるほど、烽火台に見えます。

ouminisiyama (12)北郭の北斜面は深い堀切と竪堀として下に延びています。

ouminisiyama (13)堀切は2条を重ねてある二重堀切となっています。

急斜面を利用して作事されているので非常に遮断力の強い堀切です。
掴む木がない状態でしたらまず登れないほどの角度が出ています。
しかも両端は竪堀となっているので回り込むこともできない・・。

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こちらは南郭の尾根に備えた堀切。同様に斜面+竪堀のセットが効いています。

ouminisiyama (9)西山城の縄張り図。(現地の案内板より転載いたします)

朽木氏は岩神館から朽木陣屋(朽木城)へ根古屋を移し、その背後の西山山頂に詰城を築きました。
西山の山頂付近は比較的緩やかな地形となっており、主郭部の南側と北側にもピークがあります。
それぞれのピークにも削平された出丸の痕跡があります。

朽木谷につながる街道をすべて一括して監視できる好条件の位置にある、といえます。
緩やかな山頂付近の地形を堀切を利用して堅固な城郭に成し得ているのが特徴です。
規模の大きな烽火台は狼煙台としての役目も大きかった事を示しているようでした。

さて、城ランを終え、宿に帰っての朝風呂は最高の気持ち良さ!
家族と身支度を整えて、人一倍の朝食にありつきます。
「朝からなんでそんなに食べれるん?」と怪訝そうな視線も気にしません。

ouminisiyamat.jpg

この日は朽木方面から蛇谷ヶ峰(標高901M)へ家族と一緒に登りました。
頂上から見る琵琶湖の湖面と朽木谷の山々がとても素晴らしい美しさでした。
こうして家族で山登りできることはこの先もう何度もないでしょう・・。

ドンドン先へ先へといってしまう相変わらずの三男。
遅いメンバーを要所要所で待っててくれる次男。
常に奥方のペースに合わせて歩んでくれる長男。

(みんな成長したな・・)
しみじみといろいろな想いを噛み締めながらの山行きでした。
そして素晴らしい山上狼煙城郭の西山城でした。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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