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小牧・犬山周辺の両軍による構築砦を散策

小牧長久手合戦古戦場めぐり 
《その② 両軍の砦構築地帯めぐり編》
🎐久太郎 夏の自由研究🍉

前回の記事では森長可が家康軍に惨敗した羽黒八幡林古戦場を訪ねました。
この合戦場面の光景を時系列で追っていく、という今回のミッション。
自ら課した宿題とはいえ、本当にこの夏の内に終わるのでしょうか?

・・とても不安です(-_-;)。しかし掲げた以上やりきるしかないですね。

羽柴秀吉の楽田到着

天正12年3月27日~29日
秀吉は3月21日におよそ3万の兵を率いて大坂城を出発します。
3月25日に岐阜に進み、3月27日日に犬山に着陣、4月には楽田城に入ります。
すでに池田・森軍の敗報は秀吉の耳に届いていました。

gakuden33.jpg
秀吉到着まで堀久太郎秀政が預かってた楽田城。

両軍による城砦の構築・修復

家康が小牧山城に入り、秀吉の楽田到着までの間、両軍による砦の修築が活発化します。
既に廃城になった城館や、小高い丘や古墳などが自然その対象に選ばれました。
双方共に手が出せなくなり挑発や小競り合いを除けば、戦況は膠着状態となりました。

この回では両軍によって急きょ構築された砦をまとめて紹介してみます。
城砦の配置は細かく見れば北尾張一帯、非常に広範囲にわたるものです。
そのため先ずは犬山城~小牧山城周辺の城砦に絞って以下にあげてみます。

🏳主な羽柴軍城砦🏳(いずれもリンクできます)

楽田城
岩崎山砦  
久保山砦  
小松寺山砦 
田中砦   
二重堀砦  
小口砦

羽柴方の砦構築にあたって注目したいのはその守将の顔ぶれです。

稲葉一鉄父子、蜂屋頼隆、金森長近、堀秀政、長谷川秀一、日根野弘就兄弟ら。
みな名だたる美濃衆の有力者ばかり。ここに恒興と長可が加わるとどうなるか?
森長可によって制された東美濃衆も一堂に与同することになります。(せざる負えない)

一早く秀吉方に旗幟を示した美濃衆の背景には恒興・長可の強力な影響力がありました。
そしてかつての西美濃三人衆の筆頭・稲葉一鉄の参戦、これも多大な影響があります。
秀吉が大阪から美濃経由ですんなりと尾張に移動できた背景がここにあるといえます。
   
🏴主な織田・徳川軍城砦🏴(こちらもリンクできます)

小牧山城
蟹清水砦
北外山砦
宇田津砦
田楽砦

北伊勢の状況下動きがとれない織田信雄に代わって迅速に対応した家康軍。
各砦の守将には家康の旗本衆や信雄付の在地領主らとあたりました。
こちらも出来得る限りの最大限の突貫作業で対抗します。

両軍は小牧付近にて対陣状態になりました。
お互いが相手の出方をうかがう形となり、いずれも至近距離での睨み合いです。
史上稀に見る一触即発の緊張状態となりました。

今まさに両軍合わせて10万もの軍が横並びに居向かい合っています。

その打開策として秀吉軍はついに行動を起こします。
次回は長久手方面に向かう両軍の足取りを追っていきたいと思います。
・・この「夏の自由研究」、結構大変な作業になってきました・・(汗)。

でも、なんか楽しい!
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羽黒の戦い八幡林古戦場めぐり

小牧長久手合戦古戦場めぐり 
《その① 羽黒の戦い八幡林古戦場めぐり編》
🎐久太郎 夏の自由研究🍉

やっと・・、やっと、暑い夏がやってきたようです。

この夏、久太郎は暑さついでに熱い戦いが行われた古戦場をめぐりたいと思います。
これはいままで断片式に紹介した城や砦がいかに使われたかを見直す場でもあります。
もちろん未訪城の城館も織り交ぜながら合戦の経過を通してめぐっていくものです。

歴史を動かした大きな流れの中にはその結果に至るまでの小さな渦が幾つもあるもの。
関連史跡址や城館跡をできるだけ歩いてみて、どんな発見があるのかも楽しみです。
先ずは小牧・長久手の戦いの局地戦を順次めぐっていきたいと思うのであります。

池田恒興の犬山城急襲

天正12年3月13日
織田氏譜代の家臣、大垣城主・池田恒興は当初、織田軍に与力すると見られていました。
しかし恒興は熟慮の上、羽柴秀吉方に旗幟を示し犬山城を急襲し、占拠します。
徳川家康はこれに対抗するため、すぐさま翌々日の15日には小牧山城に駆けつけます。

iyuyama33.jpg
前・城主でもあった恒興は木曽川を渡って犬山城をあっけなく占拠。

komaki33 (4)
家康・信雄も小牧山にて対陣体制を整えます。

羽黒の戦い

天正12年3月16日
羽柴方に与力し、羽黒(犬山市)に着陣した兼山城主・森長可
岳父・恒興の前面に突出した形で陣を設営、臨戦態勢で臨みます。
しかし、この動きは徳川軍に知られ、同日夜半、松平家忠酒井忠次らが羽黒へ向け出陣。

天正12年3月17日
翌3月17日早朝、酒井勢は取り囲んだ森勢に奇襲による一斉攻撃を仕掛けます。
序盤は酒井勢の先鋒、奥平信昌勢に対抗し、押し返していた森勢。
しかし松平家忠の鉄砲隊による側面攻撃、さらに酒井勢に左背後に回られ敗走しました。

haguroks (2)
羽黒八幡宮の北に古戦場を示す案内板があります。

小牧長久手の前哨戦がこの羽黒八幡付近一帯で展開しました。
それ故、羽黒合戦は「八幡林の戦い」とも呼ばれます。
・・なんだか4回目の川中島の合戦、「八幡原の戦い」と呼び名が似ていますね。

haguroks (1)一枚板にいろいろな情報が盛り込まれています。

haguroks (3)
林の中で繰り広げられた戦闘。なんだか雰囲気がでています。

明け方の日の出間もない頃、不意を突かれた森勢は大混乱に陥りました。
戦闘態勢を整える時間はなく、逃げ場を失っていく森勢。
長可は重臣・野呂助左衛門宗長野呂助三郎親子の奮戦の間に辛うじて戦場を離脱できました。

主君・長可を守り奮戦した野呂親子を祀った野呂塚が近くにあります。

haguroks (4)野呂父子の墓と、大正17年にご子孫が建てた顕彰碑が残ります。

森長可の家来の野呂助左衛門は、主君を守り奮戦しましたが、壮絶な死を遂げました。
助左衛門の長子の助三郎は初陣でしたが、父を助けようとして大軍の中討死してしまいました。
父を慕って討死した助三郎の話を聞いて、兼山城の人々は皆涙したと言います。

haguroks (5)
退却途中であった助三郎は、父・宗長の形見の小刀を渡され、父が討たれたことを知らされます。
汗てぬぐいを取り出し母へ、自分の髻を切り妻へ、渡すようと頼むと敵勢の中へ馬首を返します。
助三郎そのときまだ19歳、獅子奮迅の働きの末に力尽きました。

haguroks (6) haguroks (7)
現在でも地元の方々によって手厚く管理されていました。
(折れた石柱もきちんと修復されています)

電光石火、犬山城を落として北尾張へのクサビを打ち込んだ勝入・恒興
功績に血の気が逸ったのでしょうか、勝勢に身を任せた鬼武蔵・長可
小牧長久手の戦いはこの羽柴方2将によって火蓋が切られました。

徳川軍の酒井忠次らによる攻撃は「ろくろまわしの戦法」と言われます。
ええっ!!何それ?(喜)初耳です。現地でどんな戦法か想像するのも楽しかったです。
自分の解釈はこうです・・、えっと・・、ろくろでしょ・・。

前線同士が抑え込みあっている所(土台)へ横と後ろから手(横槍)を加えていく・・。
陣形は徐々に崩れ、やがて完全崩壊、軍は単なる烏合の塊へと帰す・・。
どうでしょう、恥ずかしいですが、これが自分なりの解釈です。・・違うかな(笑)。

羽黒八幡宮一体の林はとても手入れされ見通しが効く林になっています。
木々の間からお侍さんたちが鬨の声をあげ、駆け巡っていくような想像もできます。
そして、手厚く葬られた、忠臣・野呂親子の塚に手を合わせてあとにしました。


Ⓢには合戦の経緯を示した案内板が立ちます。
案内板の南には羽黒八幡宮の鎮守の森が広がります。
Ⓖが野呂塚の位置です。踏切・線路を渡る時は気を付けましょう。

今を受け止め、今を楽しむ。

11月28日の土曜日。それは突然すぎる出来事でした。

自宅にて「明日はフルマラソン」、と準備を万全に整えていたその時でした。

母が亡くなりました。享年70歳でした。

母の死を受容することはできても、受け止め方がすぐにはわからないのです。

自分がお城に夢中になっている姿を、ランニングを日課としている姿を
半ば呆れ顔で、半ば羨望の眼差しでずっと見守ってくれていた母でした。

いつの事でしたか、家族で苗木城へ行った時のことです。
苗木城の古城感に触れて、「あなたが城に夢中になる理由がわかるわー!(笑)」
と心から嬉しそうでしたね。私も嬉しかったです。

今は、お安らかに・・。

しばらくは記事の更新も控えよう、とも考えました。
しかし、自分はまだまだ生きていきたいし、生きなければいけません。
生きていく以上、その時その時を大切に、そして、楽しむ。

「今」を楽しむことで生きていることを実感していきたい、と思うのです。

自分のために開設した本ブログではございましたが、
ほんの少しの方々にでも目にとめていただいていることに大変感謝しております。
そして、更なる意欲と情熱、元気をいただいております。

喪失感も大切なココロの一部と受け入れ、味わい、付き合いながらの人生です。

ご心配をいただいた方々はじめ、読んでいただいた皆様に厚く御礼申し上げあげたいと存じます。
母に産んでいただいたことに感謝し、今後とも妙に熱い記事を更新していきたい、と思います。
よろしくお願い申し上げます。

久太郎より

武蔵 江戸城 🏯徳川幕府による天下普請の名城を短縮見学

武蔵 江戸城 (東京都千代田区千代田) 《特別指定史跡》 【日本100名城】

思わぬラッキーなこともあることです。
奥方にプロテニスの観戦招待チケットが舞い込んできたのです。
東京・有明コロシアムのペアチケット、・・ま、眩しすぎます!

・・で、「誰と行くのかなぁぁあ?」
・・え?「僕でいいの?、よろしいんでございますか!?」
・・やった!、やりました!城に行け・・、いや、プロテニス観戦ができるなんて!♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

・・とまぁ、腹の底は完全に見透かれつつも、お互いが魅力的な話には間違いありません。
久々にデートに出かけるような妙なウキウキ気分です。
「姫!、運転はそれがしにお任せあれ!!」( ̄^ ̄)ゞ

午前中が江戸城見学、正午から試合観戦、というスペシャル・ツアー決定です。

深夜0:00出発し、5:00前に江戸城北の丸駐車場に到着です。
・・といっても8:30の開場ですんで、ゲート前に並んで仮眠をとります。
ちなみに、江戸城は9:00からの開門です。

見所がたくさんあってとても半日では回り切れそうもありません。
よって、見所を絞っての超特急見物になりそうです。

天気もいいです。ちょっと寒いですが、さぁ、散策です。

edo (1) 平川門平川橋を通過。

平川濠の水堀は朝日を浴びてとても澄んできれいでした。
大手門を一旦通過し、名城スタンプ設置場所の一つ、和田倉噴水公園を目指します。

edo (4)桔梗濠から見る、巽櫓(中央の櫓)と、桔梗門(左奥の門)

公園の館内レストラン前にて無事に江戸城の100名城スタンプを押せました。
時間があればモーニングでもしたいところですが、今回はあまり余裕もないので、先へ急ぎます。
・・というか目の前にある巽櫓見たさに足が勝手に・・。

edo (6) edo (7)
大手濠では朝っぱらから何か言い合っているご様子です(城も鳥もでかい!)。

edo (5) edo (10)
大手高麗門大手門から入城します。巨大な桝形門で、おったまげます。

edo (11) 旧大手門渡櫓の鯱がお迎えです。

edo (18) 美しい紅葉を見ながら中之門に到着です。

この中之門の石垣は江戸城の中でも最大級となる巨石で築かれているそうで。
巨大な石垣は目地も美しく、丁寧に加工された見事な「切込接ぎ・布積み」の技法です。
もうキッチキチで、隙間なく積まれています。

edo (19) edo (20)
百人番所(写真:左) と 大番所(写真:右)をぐるっと見ていきます。

ビルとの景観がなんとも不思議な対照感をだしています。

edojyou.jpg実質の天守、富士見櫓を見上げます。

富士見櫓は明暦の大火(1659年)で天守が焼失した後に、天守の代わりとして使用された三重櫓です。
現存する櫓の中では最も大きい櫓です。(写真はお借りしたものを掲載しました。)
今回は富士見多聞と共に公開されていてとてもラッキーでした!

なお、皇居にはもう一つの伏見櫓があるのですが・・。
伏見櫓を間近で写真を撮るにはですね・・、
正月や天皇誕生日など一般参賀で皇居の中に入れる日を選んで訪問しないといけません。

edo (21) edo (22)
松の廊下址(写真:左) と 石室(写真:右)なんかもありましたね。

お馴染みの松の廊下です。「ここでか・・」という感じです。
石室は江戸城の抜け穴とか、金蔵という説もあるそうです。
実際は非常時に調度品や文書類など、貴重品を納めた御宝蔵の跡と考えられています。

edo (23)巨大な天守台と石垣技巧に圧倒されます。(;゜0゜)

江戸城の天守台は高さ11mで、東西約41m、南北約45mの大きさを誇り、御影石が使用されています。
この天守台は明暦の大火(1657年)によって寛永天守が焼失後、加賀藩主・前田綱紀によって築かれました。
3度の天守が再建され、石垣の一部には焼けた跡も見られました。

edo (27) edo (26)

edo (29)どれだけ美しく巨大な天守閣が聳えていたのでしょう?

edo (30) edo02.jpg
帰りは北詰橋門(きたはねばしもん)から退城します。

北詰橋門は江戸時代は平川堀に跳ね橋がかけられていた門です。
堀からの石垣もかなりの高いです。(写真:左) 乾濠の堀幅もとても広く曲線が見事です。(写真:右)

・・とここまで回って時間的にもそろそろです。
とてもじゃないですが、半日かけてもまだまだ回り切れない江戸城です。
これでも短い時間で効率よく見学できたのかもしれません。

とにかく圧倒的に広大すぎて、常識はずれのスケールの連続でした。
一緒に歩いてくれた奥方の「う~ん・・城、という感じがしない・・」という一言には妙に同感。
江戸城内には、もう「戦国の匂い」はあまり感じられません。

太田道灌の築城から江戸幕府の府城として明治まで機能。
また皇居として今日まで、そしてこれからも日本の象徴として受け継がれていくのでしょう。
城が平和の象徴として役割を果たしていく・・、その姿の断片でもこの目で見られたことは感慨深いものがありました。

今回、奥方には実に5キロ近くを歩き付き合ってもらいました。感謝!
お互いいい運動になったところで、次の真の目的である、有明コロシアムに向かうのでありました。

「・・次、一般参賀、狙ってるんでしょ?」(ギクッ・・!( ̄д ̄;))

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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