今を受け止め、今を楽しむ。

11月28日の土曜日。それは突然すぎる出来事でした。

自宅にて「明日はフルマラソン」、と準備を万全に整えていたその時でした。

母が亡くなりました。享年70歳でした。

母の死を受容することはできても、受け止め方がすぐにはわからないのです。

自分がお城に夢中になっている姿を、ランニングを日課としている姿を
半ば呆れ顔で、半ば羨望の眼差しでずっと見守ってくれていた母でした。

いつの事でしたか、家族で苗木城へ行った時のことです。
苗木城の古城感に触れて、「あなたが城に夢中になる理由がわかるわー!(笑)」
と心から嬉しそうでしたね。私も嬉しかったです。

今は、お安らかに・・。

しばらくは記事の更新も控えよう、とも考えました。
しかし、自分はまだまだ生きていきたいし、生きなければいけません。
生きていく以上、その時その時を大切に、そして、楽しむ。

「今」を楽しむことで生きていることを実感していきたい、と思うのです。

自分のために開設した本ブログではございましたが、
ほんの少しの方々にでも目にとめていただいていることに大変感謝しております。
そして、更なる意欲と情熱、元気をいただいております。

喪失感も大切なココロの一部と受け入れ、味わい、付き合いながらの人生です。

ご心配をいただいた方々はじめ、読んでいただいた皆様に厚く御礼申し上げあげたいと存じます。
母に産んでいただいたことに感謝し、今後とも妙に熱い記事を更新していきたい、と思います。
よろしくお願い申し上げます。

久太郎より
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武蔵 丸墓山三成陣所と石田堤 

武蔵 丸墓山石田三成陣所と石田堤 (埼玉県行田市埼玉一帯)

弟とゆる~く行く、映画「のぼうの城」史跡めぐりシリーズ④

丸墓山石田三成陣所

忍城をあとにして向かったのは石田三成が忍城攻めの際、本陣とた丸墓山古墳です。
丸墓山古墳は、直径105m、高さ18.9mの円墳で、円墳としては日本最大です。
一面平野の地の中ではこちらの古墳群が周囲より小高い丘となり点在しています。

鉢形・忍 (53)
国内最大の円墳であったとは、知りませなんだ・・。

鉢形・忍 (121)夏草に覆われた丸墓山古墳こと、石田三成公の本陣です。

さきたま古墳公園には無料駐車場があり、公園として整備されています。
歩いて各古墳をのんびり巡り歩いても楽しいかと思われます。

鉢形・忍 (120)

現在多くの古墳が立ち入り禁止になっている中、ここ丸墓山古墳は登ることができます。
(古墳群のうち、丸墓山古墳と前方後円墳の稲荷山古墳も登れます。)

鉢形・忍 (119)

ここで三成は利根川と荒川を利用した水攻めを行うことを決定します。
忍城を取り囲む総延長約28キロメートルに及ぶ石田堤を約1週間で完成させました。
両河川の水を引き入れた忍城の周辺は一面が湖水となったようです。

securedownload.jpg三成はこの場で昼夜を通しての突貫工事の指揮をとりました。
どれどれ(○・_ゝ・○)ノ、三成の目にはどんな風に城は見えてたのかな?

鉢形・忍 (55)おおっ!(;゜0゜) 見えます!見えます!o(≧ω≦)o

望遠で撮った写真ですが、場所さえロックオンすれば肉眼でも充分確認できます。

三成としては初めての総大将としての城攻めだったようで。
本人の高揚した鼓動が伝わってくるようです。

・・しかし、三成らの判断だけで、膨大な費用のかかる水攻めを決行できるのでしょうか?
三成は水攻めの策をあらかじめ秀吉に打診して、秀吉の指示のもとに決行したようですね。



石田堤

さて、大規模な水攻め計画が決行されました。
秀吉からすれば、水攻めは己の富と力を関東はもちろん、日本中に見せつける絶好の機会です。
秀吉は何が何でも城攻めの演出をしたかったのでは?・・と思います。

次に向かったのは石田堤歴史公園とその周辺です。
石田堤がよく残っている場所があるとのことで見学していくことになりました。

鉢形・忍 (62) 石田堤石碑。
鉢形・忍 (69) 説明版もあり。

鉢形・忍 (72) 鉢形・忍 (71)
通り沿いに堤の址が残っているポイントを見学していきます。

鉢形・忍 (73) 堤に沿った細長~い形の公園に到着しました。

鉢形・忍 (75)ほぼ、現代の河川堤防と言っても過言ではない規模の堤です。

鉢形・忍 (74)
堤の断面が把握できるようになっていました。

鉢形・忍 (76)
堤の上部が延々と続いています。(目視の範囲で)

これだけの規模のものをよく造ったな・・というのが率直な感想でした。

この水攻めは結局、失敗に終わっていまいました。
当然、これほどの労と財を使いながら忍城を落とせなかった三成は将としての器が問われます。
三成は手際の悪い戦下手な武将であったのでしょうか?

その結論は見直す必要があると思うのです。

忍城は水害の際でも水を被らないことから、別名「浮き城」と呼ばれていました。
その名がついいたこの城は、元々水没させること自体、困難な城だったのでしょう。

それに三成の陣中には大谷吉継をはじめ、真田昌幸親子ら知恵者も多く参戦していたハズ・・。
三成が忍城を水攻めにする以前にも、実は上杉謙信がここ丸墓山より忍城を攻めた際も失敗しています。

三成にとってはすでに勝負の見えた戦い。
秀吉からの命令を条件下ギリギリのところで応えようとしたのではないでしょうか?
その上で初めての総大将を彼なりに進んで勤め上げたのだと感じます。

秀吉も三成も結局、「これがやりたかった。」のでしょう。

三成の目には「浮き城」、忍城はどのように映っていたのでしょう。
今回、関東屈指の名城として語り継がれていく忍城をめぐる双方の場に立ってみました。
傍らの弟クンもちょっとお疲れ、付き合ってくれてホントにありがとうです。

弟クンと丸墓山古墳から眺めた忍城がとても記憶に残った楽しい旅になりました。

武蔵 江戸城 🏯徳川幕府による天下普請の名城を短縮見学

武蔵 江戸城 (東京都千代田区千代田) 《特別指定史跡》 【日本100名城】

思わぬラッキーなこともあることです。
奥方にプロテニスの観戦招待チケットが舞い込んできたのです。
東京・有明コロシアムのペアチケット、・・ま、眩しすぎます!

・・で、「誰と行くのかなぁぁあ?」
・・え?「僕でいいの?、よろしいんでございますか!?」
・・やった!、やりました!城に行け・・、いや、プロテニス観戦ができるなんて!♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪

・・とまぁ、腹の底は完全に見透かれつつも、お互いが魅力的な話には間違いありません。
久々にデートに出かけるような妙なウキウキ気分です。
「姫!、運転はそれがしにお任せあれ!!」( ̄^ ̄)ゞ

午前中が江戸城見学、正午から試合観戦、というスペシャル・ツアー決定です。

深夜0:00出発し、5:00前に江戸城北の丸駐車場に到着です。
・・といっても8:30の開場ですんで、ゲート前に並んで仮眠をとります。
ちなみに、江戸城は9:00からの開門です。

見所がたくさんあってとても半日では回り切れそうもありません。
よって、見所を絞っての超特急見物になりそうです。

天気もいいです。ちょっと寒いですが、さぁ、散策です。

edo (1) 平川門平川橋を通過。

平川濠の水堀は朝日を浴びてとても澄んできれいでした。
大手門を一旦通過し、名城スタンプ設置場所の一つ、和田倉噴水公園を目指します。

edo (4)桔梗濠から見る、巽櫓(中央の櫓)と、桔梗門(左奥の門)

公園の館内レストラン前にて無事に江戸城の100名城スタンプを押せました。
時間があればモーニングでもしたいところですが、今回はあまり余裕もないので、先へ急ぎます。
・・というか目の前にある巽櫓見たさに足が勝手に・・。

edo (6) edo (7)
大手濠では朝っぱらから何か言い合っているご様子です(城も鳥もでかい!)。

edo (5) edo (10)
大手高麗門大手門から入城します。巨大な桝形門で、おったまげます。

edo (11) 旧大手門渡櫓の鯱がお迎えです。

edo (18) 美しい紅葉を見ながら中之門に到着です。

この中之門の石垣は江戸城の中でも最大級となる巨石で築かれているそうで。
巨大な石垣は目地も美しく、丁寧に加工された見事な「切込接ぎ・布積み」の技法です。
もうキッチキチで、隙間なく積まれています。

edo (19) edo (20)
百人番所(写真:左) と 大番所(写真:右)をぐるっと見ていきます。

ビルとの景観がなんとも不思議な対照感をだしています。

edojyou.jpg実質の天守、富士見櫓を見上げます。

富士見櫓は明暦の大火(1659年)で天守が焼失した後に、天守の代わりとして使用された三重櫓です。
現存する櫓の中では最も大きい櫓です。(写真はお借りしたものを掲載しました。)
今回は富士見多聞と共に公開されていてとてもラッキーでした!

なお、皇居にはもう一つの伏見櫓があるのですが・・。
伏見櫓を間近で写真を撮るにはですね・・、
正月や天皇誕生日など一般参賀で皇居の中に入れる日を選んで訪問しないといけません。

edo (21) edo (22)
松の廊下址(写真:左) と 石室(写真:右)なんかもありましたね。

お馴染みの松の廊下です。「ここでか・・」という感じです。
石室は江戸城の抜け穴とか、金蔵という説もあるそうです。
実際は非常時に調度品や文書類など、貴重品を納めた御宝蔵の跡と考えられています。

edo (23)巨大な天守台と石垣技巧に圧倒されます。(;゜0゜)

江戸城の天守台は高さ11mで、東西約41m、南北約45mの大きさを誇り、御影石が使用されています。
この天守台は明暦の大火(1657年)によって寛永天守が焼失後、加賀藩主・前田綱紀によって築かれました。
3度の天守が再建され、石垣の一部には焼けた跡も見られました。

edo (27) edo (26)

edo (29)どれだけ美しく巨大な天守閣が聳えていたのでしょう?

edo (30) edo02.jpg
帰りは北詰橋門(きたはねばしもん)から退城します。

北詰橋門は江戸時代は平川堀に跳ね橋がかけられていた門です。
堀からの石垣もかなりの高いです。(写真:左) 乾濠の堀幅もとても広く曲線が見事です。(写真:右)

・・とここまで回って時間的にもそろそろです。
とてもじゃないですが、半日かけてもまだまだ回り切れない江戸城です。
これでも短い時間で効率よく見学できたのかもしれません。

とにかく圧倒的に広大すぎて、常識はずれのスケールの連続でした。
一緒に歩いてくれた奥方の「う~ん・・城、という感じがしない・・」という一言には妙に同感。
江戸城内には、もう「戦国の匂い」はあまり感じられません。

太田道灌の築城から江戸幕府の府城として明治まで機能。
また皇居として今日まで、そしてこれからも日本の象徴として受け継がれていくのでしょう。
城が平和の象徴として役割を果たしていく・・、その姿の断片でもこの目で見られたことは感慨深いものがありました。

今回、奥方には実に5キロ近くを歩き付き合ってもらいました。感謝!
お互いいい運動になったところで、次の真の目的である、有明コロシアムに向かうのでありました。

「・・次、一般参賀、狙ってるんでしょ?」(ギクッ・・!( ̄д ̄;))

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
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