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美濃 大富館 🏯こちらも美濃土岐源氏発祥の地

美濃 大富館 (岐阜県土岐市泉大島町4丁目1番・伍所公園) <市指定史跡>

現在、コロナウイルスの影響でご旅行や城めぐりを控えられている方も多いと思います。
不要不急の外出を控えねばならない地区にお住いの方々も多く見えることと思います。
そんな時は今後の旅行やお城巡りの計画をじっくり練ってみるのは如何でしょうか?

終息がみえるその日まで皆で協力してできる範囲で備えたいものです。
いち早くコロナウイルスが落ち着き、平常な日々が戻ってくることを願っています。
城は必ず待っていてくれますから・・。

ということで今回は地元周辺、明智光秀絡みの土岐氏に関する館めぐりをしております。
一日市場館、浅野館、大富館、多治見館・・等々の諸館です。あと・・。
地元近くで催されている特別展 『光秀の源流 土岐明智氏と妻木氏』 展に行きました。

tootomi (1)
土岐市美濃陶磁歴史館で開催されています。

会場は土岐市美濃陶磁歴史館です。
土岐明智氏と妻木氏の菩提寺・崇禅寺に伝わる位牌、
発掘調査によって明らかになった土岐明智氏の居館推定出土品など、

光秀のルーツといえる土岐明智氏と妻木氏の歴史が集まっています。

開催期間は2月29日(土)~5月31日(日)までです。
・・こんな時期です。ゆっくりと見学できると思います。
特別展 『光秀の源流 土岐明智氏と妻木氏』 http://www.toki-bunka.or.jp/history

tootomi (4)個人的には土岐家文書の数々と妻木家頼所用具足が印象的でした。

家頼所用の紺糸威五枚胴具足は鉄砲の試し痕も残り生々しくもカッコイイのです!
またいわく付きの銘刀・「朝霧」のいわれに身の毛もよだちます・・。
お時間がある方は是非行ってご自分の目で見て頂きたいと思います。

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カッコよすぎて買ってしまった缶バッジがお気に入りです。

さて、少し脱線しましが、特別展拝観後に大富館へと行ってきました。

tootomi (2)伍所公園には「美濃国土岐源氏発祥の地」の碑が立ちます。

手前の石版には大富館の解説分が書かれています。
(文字が小さいですし、腰を屈めないと読めないのですが)
「美濃国土岐源氏発祥の地」の左横にちょろっと「大富館跡」と彫られています。

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室町初代守護土岐頼貞が拠点としたと伝わります。

現在遺構は何ら残っていません。
地籍図には伍所という地名が残り館址とみられる一画が確認できます。
館の中心部は今はうららかな公園と住宅地になっています。

tootomi (5)
土岐市美濃陶磁歴史館受付では「大富館跡」の史跡カードがいただけます。
(これ結構レア度高いです、多分・・)

tokibunnkazai.jpg全部コンプリートするとこうなります!!(台紙は各配布所で貰えます)
土岐氏の妻木城や高山城にいらしたら是非とも集めて楽しんでください!

鎮守府将軍源頼光の子頼国が天喜5年(1057)大富の里に住してよりこの地が284年の長い間土岐氏の拠点となった。頼国の五世孫光衡は、文治5年(1189)源頼朝より当国の守護職に任ぜられ、土岐郡家の地(瑞浪)に移りて、土岐氏を号した。光衡の子光行、その子光定の二代は、大富館の対岸浅野に館を構えて移り住んだ。ついで光定の子頼貞は当国の守護職となり、高田勅旨田(明世泉)の地頭を兼ねて、再び大富館に住んだ。正中の変の時、後醍醐天皇の密旨をおびた日野資朝卿がこの館で頼貞と共に、夜を通して討幕の密計をたてた所でもある。しかし頼貞の子頼遠は長森城(岐阜市)に移り、土岐氏の本拠はこれより岐阜地方へ移っていった。
(以上現地説明碑より)


㋹は美濃国土岐源氏発祥の地・大富館の石碑がある伍所公園です。
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美濃 浅野館 🏯今も昔も家族連れでにぎやか

美濃 浅野館 (岐阜県土岐市肥田浅野・笠神公園一帯) <市指定史跡>

前回の記事で土岐氏発祥の地として一日市場館址について触れてみました。
今回はその足でその後の土岐氏居館と思われる史跡にも足を運んでみます。
訪れたのは土岐氏の浅野館址。

この場所は自分にとっても思い出の場所でもあります・・。

以前はここに土岐市の市民プールがあったのです。
夏真っ盛りの頃は3人の倅と奥方を連れてよく泳ぎに来たものです。
小っちゃかったけどウォータースライダーとかもあってリーズナブルに愉しめました。

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現在の浅野館周辺部は憩いの公園となっています。

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以前は市民プールがあり近年、笠神公園となりました。

tasano (2)肥田三栗塚と発掘調査の説明版が立ちます。

浅野館の場所として地名と地籍図からこの場所であることを示しています。
発掘調査からは浅野館のはっきりとした痕跡はみられませんでした。
しかし屋敷を区画する溝や掘立柱建物址、土器や陶器が発見されました。

tasano1.jpg
一画には多度神社が祀られています。

tasano (1)多度神社の由緒書には浅野館の件にも触れられています。

鎌倉初期、土岐光衡は瑞浪の一日市場館を拠点とし「土岐氏」を称します。
その子光行と光時兄弟は承久の変の後、浅野館に移ったとされます。
そして浅野氏や肥田氏など多くの支流を生んでいきました。

今ここは家族連れや子供たちの笑い声が絶えない明るい公園になっています。
プールはなくなっちゃいましたが、みんなに親しまれる公園に生まれ変わりました。
かつてここに浅野館があったことを頭の片隅に入れておいていただけたらいいですね。

カメラだけもってふらふらしてると不審者と間違われますから気ぃつけなはれやぁ~。

Ⓢはは浅野館周辺部として笠神公園・多度神社を指します。
Ⓖは浅野館にまつわる三栗塚のある場所を指します。


美濃 妻木城 🏯圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(後編)

美濃 妻木城 (岐阜県土岐市妻木町上郷本城・城山) <県指定史跡>
<城友さんと巡る美濃山城訪問記・妻木城登城録・後編>

前回の記事の後半となります。
集中力も根気もない自分、極力前半・後半に分けない横着者なのですが・・。
妻木城はお伝えしたい見所がたくさんあって困ります(^_^;)。

三の曲輪(北曲輪)で妻木領内の展望を楽しんだあと、東周りで見学していきます。

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主郭部東を取り巻く武者走りを通ります。

非常に狭い道で下は断崖、最低限で最速の南北移動連絡路になっています。
幅は狭い所で50センチ程、これも立派な防御施設です。
我々も5人一列、つまずかないよう数珠繋ぎで歩いていきます。

「押すなよ、押すなよ・・」ダチョウ倶楽部さんのネタはここでは大変危険です。

samtto (43)主郭部東下、横堀部は古代神秘的な空間が広がっています。

関ケ原の戦いの時、西軍・岩村城方面からの攻撃に備えた普請部分です。
城を取り巻く東側から南側に横堀が作られたと考えられてます。
作事中に露出した巨石があちこちに残っている不思議な空間になっています。

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「節理」によって四角形のかたまりのように分かれた巨石。

マグマが地下で冷えて花崗岩になる時に全体が収縮して割れ目ができます。
これが「節理」と呼ばれる現象だそうです。
地表に現れた時に風化浸食によってこのようになります。

samtto (18)まるで人が積んだようにも見える自然の底知れぬパワーを感じます。

こうした自然の巨石群をうまく利用して導線を配しています。
土塁などを作らなくとも「巨石塁」として充分な防御施設となっています。
ここに立ち寄った見学者はその圧倒さに誰もが足を止めて見入ります。(多分・・)

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こちらは伝南曲輪と主郭部の間の堀切。

samtto (11)南方面から頂部の本曲輪に到着しました。

八幡神社、伝・旗立て岩・伝・物見杉、主郭部石垣などが残っています。
曲輪の端部は樹木が残され、中心部はとても見通しが効く曲輪です。
長野からいらしたていぴすさんも伝・物見杉の御前で感慨深げで嬉しい( ^ω^ )。

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伝・旗立て岩、これは石の割れ目に幟棒を挟みこんであげたのでしょうか??

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下の帯曲輪から見上げると、こんな巨石の伝・旗立て岩です。

samtto (12)主郭部本曲輪1・2を分ける石垣。

高さ約3メートルの石垣は妻木城の印象深い遺構部分です。
しかし石垣のほとんどは昭和40年代に積み直されたもの、との事。
元々、どのあたりまで残存していたのか大変興味深いところです。

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北口には桝形虎口の存在が発掘調査で明らかになりました。

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曲輪1・2間の東側には当時からあったとされるスロープ状の虎口が。

samtto (14)石垣をローアングルから。

発掘調査では曲輪1と2には建物の礎石が確認されています。
北側の桝形虎口にも門跡が確認されています。
山上の曲輪群にも櫓や城門などの建築物が作事されていたんですね。

さて、ここで主に戦国時代の妻木城城関連人物について軽くおさえておこうと思います。
押さえてきたい人物は3人で、だいぶ超特急ですが簡単にご紹介したいと思います。

妻木広忠
妻木広忠 (ひろただ)は妻木城城主にして明智光秀の家臣。
旗本妻木氏の系譜では、光秀の叔父とされている。
また、光秀の正室・煕子の父ともされるが典拠となる史料では不明です。

明智光秀の与力となり各地で転戦したようです。
本能寺の変の後、山崎の戦いで明智光秀が敗れ近江国坂本城が陥落。
西教寺で関係者一族の墓を作った後に、墓の前で自害したといいいます

妻木貞徳
妻木広忠の子で織田家中では信長の馬廻を務めていたそうです。
本能寺の変時、明智光秀とそれに味方した父・広忠が死亡すると隠居を表明。
若干18歳の長男頼忠に家督を譲りました。

しかし関ヶ原の戦いを前にして頼忠が徳川家康を支持した際は再び表舞台に登場。
子の頼忠と共に出馬して西軍の岩村方と戦い勝利に貢献しました。
故に諱よりも、隠居後に号した「伝入」の名で知られています。

妻木頼忠
父・貞徳の隠居後、妻木城主を継ぎますが、森長可による東濃平定戦に屈服。
人質として2人の弟らを金山城へ出仕させます。
小牧・長久手の戦いの際は森長可の与力として秀吉側につきます。

頼忠らは尾張と美濃の境目、内津峠に布陣し合戦の行方を見守ります。
この時、麓にある町や内津神社などが焼失したという記録があります。
長可戦死後は跡を付いだ森忠政に仕えますが後の忠政信濃川中島転封には同行しませんでした。

関ヶ原の戦の際には徳川家康側につき、頼忠はこの地域を守るよう命じられます。
父・貞徳と共に岩村城主の田丸直昌と戦い、遠山利景、小里光親ら東濃衆と協力します。
その戦功により頼忠は徳川家康から改めて土岐郡内7,500石を所領として与えられました。

しかし実は広忠と貞徳・頼忠との血縁関係は不明な点も多くはっきりとしていません。
これには光秀の謀反に関わった一族という負い目も関係しているとも思われます。
そして妻木城の城主としていられた陰には徳川家康による強い後押しもうかがわれます。

スキャン_20191124今回の記事で取り上げた見所を図面にてざっとおさらいいたします。

ここまで見学して次は麓の御殿・士屋敷を見学しに下山しました。

妻木城士屋敷(岐阜県土岐市妻木町上郷・御殿) <県指定史跡>

妻木城士屋敷は、妻木城の北側山麓にあった領主御殿や家臣屋敷の総称です。
江戸時代に入ってから妻木氏が断絶するまで山城の麓、ここが本政庁となりました。
北に向かって家臣屋敷地の区画も残っています。

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累々たる石垣が当時を物語っています。

samtto (37)山城と共にこちらも県の指定文化財に登録されています。

samtto (36)立派な説明文があると理解しやすいですね。

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一部で崩落した石垣箇所も見られます。

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石段と桝形虎口。

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石垣の高さは1~2メートルで区画されています。

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各区画は広々とした政庁敷地となっています。

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井戸の址。

samtto (30)こういう感じ、遺跡感に満ち溢れています。

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巨石も結構ふんだんに使われています。

山城部でパワーを使い切った感じでしてコメント少なめでスミマセン💦
ここではクールダウン的にゆっくりと散策するのがおススメです。
やはり平和な時代の遺構、生活感のある空間が広がっています。

山城部ばかりに気をとられ、以前からあまり気にしていなかったエリアでした。
時間的にも限られ、もっとしっかり見学すればよかったと後悔しています。
でも自宅から近いのでまた立ち寄ってじっくり散策したいな、とも思っております。

他、こんなところにも行ってきました。

妻木 崇禅寺

初代妻木城主・土岐頼重が菩提寺として開山しました。
釈迦如来立像、夢窓国師筆果山条幅、等の文化財を多数所蔵しています。
山門は妻木城士屋敷から移築されたものであると伝わっています。

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寺奥には妻木城歴代城主の墓。

妻木 八幡神社

元応元年(1319)土岐頼貞が氏神として創建しました。
土岐頼貞の九男の土岐頼重が妻木城を築くと、妻木城の守護神とされます。
以後、妻木氏の氏神として保護されてきました。

siyasiki (1)

tumahati (1) tumahati (2)

こちらでの流鏑馬神事は特に有名です。

毎年10月第2日曜日の例祭に行われる流鏑馬。
妻木城主・妻木家頼が武運を祈り馬を奉納したことが始まりです。
馬の乗り手は地元の小学校高学年の子供たち6名で行います。

siyasiki (2)
当日は陣笠羽織姿で3回、古代衣装で3回の計6回参道の坂道(約130m)を駆け抜けます。

馬の乗り手から扇子や鞭が参拝者へ縁起物として向けて投げられます。
乗り手に選ばれた(または志願した)子供はこの時期人気者なんだそうです(笑)。
子供たちは馬に乗れるよう夏休みから猛特訓をしてのぞむそうですよ。

samtto (28)最後は妻木城・士屋敷の石碑を紹介いたします。

この石碑の位置はやや人目につかない所にあります。
妻木城士屋敷から妻木川に降りていく道の途中にひっそり佇んでいます。
「御城印よりも石碑!」という石碑フェチの皆さんは見落とされないようチェックです。

また近々、「小牧長久手合戦古戦場めぐり・番外編」を予定しております。
小牧長久手の戦いにおける妻木氏の動向に特化した記事です。
ろくでもない記事にならないように久太郎、流鏑馬キッズに負けない意欲で頑張ります!
(このモチベーションが維持できるかどうか自分でもとても疑わしい・・)


レ点は妻木城・士屋敷跡の石碑の位置を示します。

Ⓢは妻木城・士屋敷跡を訪問する際の駐車場です。
もちろん体力と時間に余裕がある方はここから城山への登山道に挑戦してください。
また今後駐車場の整地工事が更に進む予定なので安心して駐車できそうです。

Ⓖは士屋敷一帯の主な遺構部分です。
ちょっと奥まった隠れた場所などを散策してみると眼を見張るような遺構も出現してきます。

美濃 妻木城 🏯圧巻の巨石群とメリハリある遺構を味わう(前編)

美濃 妻木城 (岐阜県土岐市妻木町上郷本城・城山)
<城友さんと巡る美濃山城訪問記・妻木城登城録・前編>

秋深まりゆく中、「第26回全国山城サミット可児大会」に2日間出掛けてきました。
そこで待っていたのは「一期一会」ともいえる城友さんとブロ友さんたちとの出逢いでした。
お互いブログコメントを通してのやりとりはありましても、顔を合わせるのは今回初めて・・。

改めてご紹介いたしたいと思います。

長野県より『らんまる攻城戦記~兵どもが夢の跡~』の管理人、城想い人 らんまるさん
らんまるさんと共に長野の山城を調査されてみえる、城追い人 ていぴすさん
以上、信濃先方(山猿)衆。

長崎県より身一つで来られたしんこうの趣味のブログ』の管理人、城駆け人 しんこうさん
そして自分をさらなる城ワールドの別次元へと導いていただく、城誘い人 日向さん
あと自分、城訪ね人(普通だな)の自分久太郎との5人が一堂に会しました。

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会場の可児市文化創造センター(写真左)と一段と目を引いた金山城復元模型(写真右)。

その中でもしんこうさんは仕事、家族、世間体?といった全てを捨てての一大決心だったようです。
「清水寺の舞台から飛び降りる」という言葉は大袈裟かもしれません。
しかし、我々からすると、「そこまでして」というその覚悟に感動し、救われるのでありました。

そしてらんまるさんご一行は来年の山城サミットの予定地・上田・坂城に向けての視察が主目的。
初日の終わりに壇上にて次回開催地としての開催宣言が声高らかにあげられました。
また会場の様子や講演会の内容についての勉強会というのが使命でした。

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2020年の開催地は長野県上田市周辺の山城が注目されることでしょう。
(壇上にて決起宣言の役員・スタッフのメンバーさん方の中にはらんまるさんのお姿も)

こんな素晴らしい夢にもみられないメンバーが揃ったのです。
地元の美濃の山城に行かない理由はありません。
日向さんと相談して金山城の発掘説明会の後、土岐市の妻木城へ行くことになりました。

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妻木城へ登る前に妻木公民館に寄ってみることをおススメします。

こちら公民館では「妻木城址の会さん」発行の散策マップがいただけます。
御城印を集めてみえる方がみえましたらそれもこちらで購入できます。
御城印は2種類ありますが自分は両方買っちゃいました💦。

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令和になって一大ブームになりそうな御城印、まずは地元の城から・・。

ダムカードならぬSABO(砂防)カードも貰えちゃいます。(写真下の一枚カード)
「ダムカード」の形式に準じており、表面は砂防施設の写真、裏面は砂防施設の情報が凝縮。
これはマニアック!。収集するかどうかはあなた次第!!

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今回は(今回も・・)妻木城の裏手の林道からの最接近ルートを利用します。
(県道19号を妻木川沿いに登っていき、うまごめ橋をすぐ右折します)

麓から登る道もいいのですがなにせ急斜面。
20分もあれば登れるのですが汗ダクダク、息ゼイゼイになります。
利用できるものは利用してその労力、城内を散策する方に使うのも手かと・・。

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一部ダート道になりますが普通乗用車でも問題なく走行できます。

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ほぼ城址まで行けてしまい、広い駐車場が用意されています。

城内に入るとどこから見ていいかわからない程の山城オーラを感じます。
そんな時は先程の散策マップを見ながら要所別に分けて回るといいでしょう。
主な見所は全て「妻木城址の会の皆さん」により見やすく整備されています。

私たちは先ず西側の遺構から見学しました。(マニア向けコースから・・)

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西尾根に延びている遺構群と伝太鼓櫓との間の堀切です。

堀を掘削する際に出土した大きな花崗岩が横たわっています。
岩を細かく砕いて除去しようとしたのでしょう、岩には十字にあてられたクサビの跡が。
結局断念したと思われますが、その困難さが伝わってきます。

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矢穴の跡がこんなにもくっきりと残っています。

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西尾根の曲輪はまとまった広さの曲輪が続いていきます。

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尾根筋を堀切と土橋で画しているのですが片堀切となっています。

敢えて強い遮断をせず、運搬物などの搬入を考慮したのでしょうか?
三河方面、柿野街道からの出入りがしやすいようにしてあります。
全体的に切岸も緩く、曲輪の格段が浅いのもそのあたりと関係しているようです。

samtto (50)太鼓櫓西の深い横堀。

太鼓櫓の西から南へかけて深い横堀と高土塁を設けています。
妻木城の主郭部がここより東側に展開していくことがわかります。
写真の左側が大土塁になりますが一つの出曲輪としても機能しています。

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その太鼓櫓、曲輪の堀切方面には土塁も構えています。

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土塁の上から覗き込むと、直下に先程のクサビ岩が・・、確かに邪魔くさいな(笑)。

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太鼓櫓と御蔵の間の堀切。同レベルの曲輪なんで往時は木橋で連絡できていたとも。

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木橋で連絡できてたとも伝わる2つの曲輪。

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太鼓櫓と御蔵の南には大土塁に守られた井戸跡があります。

南側からの攻撃から井戸をを守るように立ちはだかる大土塁。
水源を守る、という強い防御線はまた直進できないようにも工夫されています。
二つの曲輪と土塁に守られたこの井戸は幸せものですね。

今度はここから北に向かって行きます。

samtto (54)
伝・御釜屋の曲輪に降りていきます。

北向きの夏でもひんやりした谷曲輪です。
台所曲輪、といったところでしょうか?でも足場は石がゴロゴロしていて歩きずらい。
北側には竪堀状になっているようにも感じる箇所があります。

ここから本来なら麓から登ってきたつもりになって登山道を一旦下っていきます。
(この登山道が大手道かどうかは別として)

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巨石の間を縫うようにして登り詰めていくアスレチックな道です。

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城内に入る手前の道は意識的に細くされ、足元の山肌は削り落とされています。

samtto (57)待ち受ける曲輪では頭上からこのように・・。南無・・。

ここは尻つぼみになった大手曲輪ともいえそうな曲輪です。周囲は絶壁。
攻め手は狭いスペースに入った途端、頭上の曲輪から迎撃を受ける仕組みです。
麓から登りつめ、この曲輪に入ったら退くも進むも地獄でしょうね・・。

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北側からの攻撃に備えた三の丸曲輪。

samtto (16)ここからは足下の妻木集落から土岐郡一円を見渡すことができます。

双眼鏡を持参できれば恵那郡~土岐郡~可児郡までが見通せます。
天気が良ければ恵那山、御嶽山はもちろん、白山連峰もくっきりと目視できます。
美濃東濃地方自体が大きな一つの盆地であることがわかります。

さて、じっくりと探索しているとここらで景色を見ながら休憩したくなります。
一つの曲輪に5人がいるとは思えないほどの静寂に包まれます。
皆同じ方角の景色をみてそれぞれの想いにふける・・。

こういう時、城友同士っていうのは言葉なくとも伝わりあっているような・・。
そんな気がしてなりませんでした。
本記事もここいらで休憩、後半に続けたいと思います。


今回の記事でご案内した妻木城への林道ルートを示します。
Ⓢは城山林道入口と起点を示します。
Ⓖは城山裏の駐車場を示します。お時間があったらすぐ東脇にある本城池を散策するのもいいものです。自然に囲まれたなかでいろいろな生物との出逢いもありますよ。

美濃 高山城 🏯市街を一望に見渡しできるの花見スポット

美濃 高山城 (岐阜県土岐市土岐津町高山・城山) <市指定史跡>

東西南北、春のお花見城めぐり・第2弾の東は土岐市の高山城を訪ねます。
岐阜県には有名な飛騨の高山城がございますが、こちらは美濃の高山城。
昨今は、「高山城戦国合戦祭り」が盛況に開催されるなど、徐々に知名度も上がってまいりました。

minotakayama (29)高山城は城山の尾根先端部を利用しています。

以前、得意先のお客様と電話にて会話した際、こんなやりとりがございました。

客:「今、どこにいて、何時頃にこれそう?」
私:「そうですね、今、肥田(ひだ)にいるんで、あと1時間ほどかかりそうです。」
   (肥田は土岐市の高山地区のお隣の地区です)

客:「ええっ!?、飛騨(ひだ)にいるのにそんなに早く来れるの!?」
   (肥田を飛騨と勘違いいてみえます)
私:「もう、高山に入ってますんで、次の次くらいでしょうか」

客:「そんな急いで来なくていいよ!、なんなら明日でもいいからさ!」
   (完全に飛騨の高山市にいるという設定に・・)
私:「いや、大丈夫です、なんとか今日中に入れますから」
   
そして、約束通り1時間後、何事もない顔でフツーに現れた私・・。

お客さんは事態を飲み込めず口をあんぐり、こちらもそのリアクションに困惑するばかり・・。
心配していただいた上に大変驚かせてしまいました。
・・とまぁ、後で答え合わせをして、お互いの勘違いに納得。

ちょっとした笑い話でございました。

minotakayama (2)今回はこちらの高山城を訪問します。

頂上まで車道が通っていますので気軽に登城できます。

minotakayama (3)三の曲輪の駐車場の桜は満開でした。

minotakayama (7)模擬?雰囲気?城門です。

なぜだか、この門を潜らずに脇から出入りする方も多く、門の意味をなしていません。
なぜなら、左は土岐市街地の絶景が、右には立派な城址石碑があるからです。
どうやら、どちらかに釣られて引き寄せられてしまうようです。

minotakayama (6)その岩盤に彫り刻まれた「高山城址」。東濃地方最大の城址碑です(笑)。

高山城の築城時期は判然としませんが、戦国期には高山伊賀守平井宮内小輔光行らが城主であったと伝えられています。

天正2年(1574)、武田勝頼が東美濃に侵入した際、平井頼母光村は織田方として武田軍と交戦、城は落城した模様です。

本能寺の変後の森長可の東濃平定戦に際しては光村は自刃したとも、降伏したとも、謀殺された、ともいわれており、また長可の与力として、小牧・長久手の戦いにて奮戦した、とも謎の多い人物です。

いずれにせよ、平井氏は高山城を森長可に明け渡したようです。

minotakayama (28)桜道の中を本丸に向かって登っていきます。

minotakayama (27)広々とした本丸です。(貸し切りo(^▽^)o)

現在は地面下に水道貯水池があり、当時の構造はかなり改変されています。
主に3つの曲輪によって構成されていた、といわれ、それぞれに堀切で仕切られていたようです。
かつての縄張りの様子が案内板に図示されています。

minotakayama (9)模擬物見櫓です。雰囲気が出ています。

minotakayama (19) 2階へ登ってみましょう。

minotakayama (14)多治見方面は丸山山麓から土岐川沿いが素晴らしい眺望です。

minotakayama (11)当時の面影が見られる本丸北端部の様子です。

minotakayama (12)こちら北から東方面も視界良好です。

後の慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは、西軍として岩村城の田丸直昌の家臣、田丸主水が入城。
しかし東軍の妻木城主・妻木頼忠によって攻められ落城したといわれています。

minotakayama (15)「高、山、城、跡、」!。アピール度ハンパないです。

minotakayama (23)三の曲輪の切岸の様子ですが・・。

整備に伴い、改変されているので当時の構造を知ることは困難です。
私がまだ若いころに訪れた時とは、随分と様子が違います。
明かな造成箇所もありますので注意も必要です。

minotakayama (24)
堀切の位置と痕跡もわずかながら把握できる箇所もあります。

ともあれ、高山城は史跡保存会の方々を中心に町をあげての整備が進められ
何もなかった荒れ城址から今日の姿までに推し進めてこられました。
このことは城郭ファンとして、また地元の人間として、敬服するばかりです。

史跡の保存整備の手本となるだけでなく、地元の歴史的文化の復興にもなり
それはまた、史跡を次世代へ伝承し、活気ある町作りに貢献していくことでしょう。

穴弘法 

高山城からは穴弘法との往来が容易です。
15分程の時間があれば一緒に見学したいおススメスポットです。

minotakayama (21) 高山城の冠木門から遊歩道で往来できます。

minotakayama (25)砂岩層をくりぬいてたくさんの石仏が安置されています。

戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を弔うため、元禄元年に開創された「慈善院梵燈寺」の跡です。
織田・武田の勢力圏争い、森長可による併吞圧力、関ケ原の地方戦、等々・・。
この地方も相当な戦火に巻き込まれたものと思われます。

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特に、秋の紅葉ライトアップは幻想的で素晴らしいものがあります。
高山城戦国合戦まつりも地域ぐるみで年々盛り上がってきています。
秋の高山城はまた違った姿をみせてくれそうです。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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