FC2ブログ

城友さんとさすらう信濃城郭漂流記 午後の部

城友・日向さんとさすらう信濃城郭漂流記も午後の部へと入ります。
上原城桑原城はほとんどの山城ファンの方々ならセットの見学が定番ですが
ここ諏訪湖周辺には他にも魅力的な山城が多く点在しています。

岡谷市を代表する花岡城小坂城・・・、下諏訪町といったら山吹城桜城・・。
諏訪市が誇る有賀城武居城・・、茅野市には個人的に大好きな鬼場城朝倉山城
コンパクトにまとまった多彩な遺構に出会うことができる名城ばかりです。

諏訪 上原城 (長野県茅野市上原・金比羅山) <県指定史跡>

今回はやはり日向さんが上原城をチョイスしてくれました。

oosimaennsei-sinano (8)
林道で背後の大堀切近くまで車で行けちゃうのは楽ちんですね

oosimaennsei-sinano (23)
思わず歓声をあげずにいられない大堀切でした。((((;゚Д゚)))))))

oosimaennsei-sinano (24)
眼下に広がる茅野・諏訪の街並みにここでも歓声が止まりません。

oosimaennsei-sinano (9)
見事な腰のスロー・ツイストでパノラマ写真に挑戦中、日向さんです。
(その動きができるなら、もうぎっくり腰は大丈夫そうですな)

この夏、腰に「魔女の一撃(しかも会心の)」を食らった日向さん。
こうして共に山城へも来れるようになってホントに良かったです。

oosimaennsei-sinano (25)
二の郭に鎮座する物見岩は上原城の象徴的シンボルです。

上原城には「板垣平」と呼ばれる広い館址と見られる台平地が形成されています。
甲斐~信濃各郡間における街道の集まる最重要拠点でありました。
信玄、勝頼もこの上原城を何度となく拠点として利用しているのもそのためです。

山城の教科書のような遺構が楽しめます。
一度「ゆっくり縄張り図を描いてみたい」、そんな惚れ込める山城の一つであります。


さぁ、我々の初期目標も達成できました。
とりあえず腹が減ったので、「信州といったら蕎麦。」
富士見町まで降って、道の駅・蔦木宿で八ヶ岳丸抜きそばをいただきました。
(蔦木は「つたき」と読みます。もう山梨県とは目と鼻の先です)

mitiekikai.jpg 上品な色白細麺ですが、腰があって美味しかったです!ごちで~す。

さぁ、腹も膨れて、次はどの城にいきましょうか、日向殿・・。
・・日向殿?

・・まずいです、日向さんの目が遠くを見つめる、野望モードになっている・・。
いや(汗)、あの・・次、ジムニーでどこまで・・
「‥次は海ノ口城まで行きましょうか」(サラッと)

(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)!!、・・さ、佐久ぅぅ!?

い、いけない・・、目を合わせるのは危険すぎる!
日向必殺「野望モード」は距離感をチャラにした別名「無謀モード」でもあるのです。
しかし、諫言もできず、そのまま熱意?に持っていかれるのでありました・・。


佐久 龍岡城五稜郭 (長野県佐久市田口) <国指定史跡>

・・一体、自分はどこに連れていかれるのでしょう・・?
しかし、ここは乗りかかった同舟、どうせなら初めての佐久入りを共に愉しもう!
切り替えだけは得意です、むしろワクワクしてきました。

・・ところが海ノ口城というのは車での登坂ルートはなく、結構な登山だとか。
陽も短くなってきていることから、ここで予定変更。
ちょっと足を延ばして、龍岡城五稜郭へと向かうことになりました。

oosimaennsei-sinano (14)
五稜郭から少し離れた所にある大手門桝形虎口。

予備知識がなかったので偶然出会えたこの遺構に感動!
やはりこれぞ冒険の醍醐味です。

oosimaennsei-sinano (12)
oosimaennsei-sinano (13)

龍岡城五稜郭は、函館五稜郭とともに日本に二つしかない星型稜堡をもつ洋式城郭です。
龍岡城は戸時代末期に田野口藩主・松平乗謨が元治元年(1864)に田野口藩新陣屋として着工。
慶應3年(1867)に竣工しました。(時代的にもはや「築城」、と言わないのですね・・)

oosimaennsei-sinano (28)

oosimaennsei-sinano (32)

フランスのボーヴァン将軍が考案したといわれる稜堡式築城法によるものです。
突角部に砲座を設け各稜堡から十字砲火をもって攻防することを目的としています。

oosimaennsei-sinano (29)
明治5年(1872)城は取り壊されますが、堀と土塁、建物の一部「お台所」が残されています。

oosimaennsei-sinano (30)
oosimaennsei-sinano (31)
この距離では独特の外観を把握するのは無理ですが、角部はよく見学できます。

近くの山の展望台からはよくその形がわかるようです。
時間の都合、パスコースにしましたが、次回機会があったら迷わず行きたいな~。
「日本に二つ」という貴重な幕末城郭、周囲を2人で散策するのでありました。


さて、そろそろ日も傾いて参りました。
楽しい時間はあっという間に終わってしまいます。

「日向殿、今日はホントに楽し・・」
「帰りはついでに小諸城に寄ってみましょう!」
・・骨までしゃぶろうとする気ですな・・。

しかし、小諸城に到着したのは懐古園閉館の午後5時・・。チ~~ン。・・でした。
「そ、それでは、日向殿、和田峠を抜けそろそろ・・」
「真田本城なら車で行けますから、どうですか?」

(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)(*゚ロ゚)!!、・・う、上田ぁぁ!?
「ご一緒します!」(T_T)


上田 真田本城 (長野県上田市真田町長字小別堂) <市指定史跡>

ということで、夕暮れの真田本城に到着です。
それにしても日向さん自身の電池パックは長持ち充電です。
朝5時から運転しっぱなし、ここにきてもまだまだ元気。

oosimaennsei-sinano (15)
主郭のすぐ近くまで車で登ることができる有り難い城です。

真田氏の拠点があった城で、規模や構造が真田氏の本城に相応しいとの理由で真田本城と呼ばれます。

oosimaennsei-sinano (16)
主郭背後に高土塁がめぐり見事です。

oosimaennsei-sinano (17)
石垣も若干、確認されます。

遠くに見える上田の街並みにも電灯が灯りはじめました。
全く先の見えない信濃城郭見学、プレゼンby日向さんのツアーでしたが、目にしたことのない信州の様々な風土を肌で感じることができて、とても楽しかったです。
なにより疲れたはずの日向さんが最後までぴんぴんしており、「野望モード」全開だったのには脱帽しました。
長距離の長時間、運転していただき本当に日向さんには感謝です。

「お城が好きだから行く」漂流記はまだまだこれからも続きそうです。

スポンサーサイト

城友さんとさすらう信濃城郭漂流記 午前の部

夏休み最後の思い出を・・ということで信州まで城めぐりへと出かけました。
今回は城友・日向さんが愛鉄馬、JB32ジムニーに乗せて頂きの、のんびりドライブ!
・・になる予定でした。

image2.jpg
城友・日向殿の愛鉄馬の助手席に搭乗させていただきました。(桑原城・ダート駐車場にて)
写真提供:日向さん

当初の予定は下伊那郡大鹿村にて「天空の池」を見学後、高遠城を経て諏訪へ。
諏訪氏の城砦を一通り見学後、時間が余ったら最寄りの城まで足を延ばす、というプラン。
無理のない正道といえば正道のお利口さんコースだと思われました。

しかし、ここのところの大雨災害のため、「天空の池」までの林道が崩壊・・。
初っ端から計画をくじかれ、直前での予定変更を余儀なくされました。
・・この件が運命の歯車を狂わせ、先のみえないドリフターズと化していくのでした・・。

さて、・・絵日記感覚でいこうと思います。

都合上、1つの城につき3~5枚までの写真枚数とストイックにさせていただきます。
途中飛ばし見、大歓迎の記事です。
なんなら、御覧にならなくても結構です。(おいっ!)


伊那 高遠城 (長野県伊那市高遠町東高遠) 《日本100名城》

最初に到着したのは伊那の高遠城です。

oosimaennsei-sinano (18)

oosimaennsei-sinano (20)

oosimaennsei-sinano (3)

諏訪惣領職を狙って一族間での抗争があり、武田信玄の介入・侵攻を受けました。
秋山虎繁・軍団長化の基となりし城で、武田(諏訪)勝頼を当主に押し上げた城です。
そして、仁科盛信以下三千の兵が織田信忠からの降伏勧告にも応ぜず徹底抗戦した城です。
その壮絶な戦い振り、散り様は、後世まで讃えられ、そして哀悼されていきます。

この記事ではとても思いが伝えられません、後日改めてまた戻ってきたいと思います。
次の時期は・・やはり高遠桜満開前後でしょうか?
でも・・日の出前からスタンばらないといけないとか・・。どしよかな・・。
五郎山にもきちんとご挨拶伺いしたいですしね。

高遠の見事な桜、一度この目で見てみたいものです。


諏訪 高島城 (長野県諏訪市高島) <市指定史跡>

高遠から諏訪まで杖突峠を降りてきました。

oosimaennsei-sinano (22)
お決まりのスナップ構図ですが、いいですね~高島城!

oosimaennsei-sinano (4)

oosimaennsei-sinano (5)

oosimaennsei-sinano (7)

oosimaennsei-sinano (6)

天守内はバリバリの鉄筋コンクリート製ですが、資料館内の展示内容はなかなか。
かつては諏訪湖に面した浮き城だったことを想像してみると面白いです。
実は今回が3回目の高島城。今回は櫓にて日向さんとすっきりとした抹茶を服しました。

城内にての一服、なかなかおつでございましたなぁ。


諏訪 桑原城 (長野県諏訪市四賀桑原) <県指定史跡>

武田信玄に諏訪を攻められた諏訪頼重は上原城を焼き払ってここ桑原城へと退きます。
しかし降伏し甲斐へ連行され・・。嗚呼・・。

oosimaennsei-sinano (10)

oosimaennsei-sinano (27)

oosimaennsei-sinano (26)

二の郭は中央部に堀状の凹みが見られ、見ようによっては二重堀切に見えました。
ここからは諏訪湖が美しく見渡せたことでしょう。

image1.jpg
勝ち誇ったような後ろ姿が我ながらハズい・・。写真提供:日向さん

securedownload_20170829230228dc7.jpg
・・一体・・この人たちは何をしているんでしょう。

各々、とても理解しがたい生態の持ち主なのだ、と改めて確信。
それができるのもこの素晴らしい遺構を貸し切り状態で見学できる贅沢さからでしょう。
諏訪氏城砦群、次なる上原城からは、次回の午後の部へと続きます。

たまにはこんな薄っぺらな記事でもいいもんです。(楽です・・)
その分、日向殿との城への思いは分厚いのですから!(なんのこっちゃ)

久しぶりの長男と金華山・岐阜城へ

お盆休みに自宅へ帰ってきてくれた我が家の長男。
「京都も暑いけど、こっちはもっと暑い」とほざきながらもゆっくりとできたようです。
寮生活にも慣れ元気に楽しくやれているようで安心しました。

自分もそうでしたが、大学生の夏休みは長~くてちょっぴり羨ましい・・。
自分の時を思い出すと・・、
自動車免許をとるべく昼は自動車学校、夜はバイトに明け暮れていました。

そしてこの頃からでしょうか?
有名城郭以外にも「城」というものが、実は至る所にある、ということを知ったのは。
「車を買ったら、いろいろな城址へ行ってみよう!」、・・当然そうなりますわな。

・・さて、一週間ほど滞在してくれた長男も再び京都へ帰ることになりました。
JR岐阜駅まで送ることになったのですが、かなり時間があります。
「岐阜城まで行ってみよっか」ということで付き合ってもらいました。

gifuwryuta (2)久しぶりの岐阜城見学に心ときめきます。

岐阜城は以前にも何回か来ておりますが、8年ぶりくらいでしょうか。
家族みんなでロープウェイで登ったのですが、長男はあまりよく覚えていないようです。
・・というか一緒に行った城が多すぎて、記憶がパンクしたようです(笑)。

gifuwryuta (16)
快適なロープウェイで頂上まで行きます。

前日までの大雨・雷雨が通り過ぎ、本日は絶好の天気に恵まれたよう。

gifuwryuta (19)
信長公居館跡の発掘調査も進んでいる様子が俯瞰できます。

gifuwryuta (13)
大手門から天守方面へ登っていきます。

gifuwryuta (37)
岩盤をくり抜いた堀切に驚嘆!

gifuwryuta (3)
天守閣へと向かっていきます。

gifuwryuta (39)
天守閣からは360℃のパノラマが素晴しい!

gifuwryuta2 (5)
長男がつぶやきます。「この城、落とせないよな~、フツー」。

そんなごく初歩的な感想さえ、我が子ながら微笑ましく感じます。
それにしても改めて見ると後姿が大きくなったものだなぁ・・と。
この夏背丈がとうとう超えられてしましました!

少し悔しいですが、子供に追い越されていくことは心地良き気分でもあります。

こうして家族と岐阜の町並みや山々を手に取るように見ることは滅多にありません。
二人してしばらく眺めを楽しんで下山しました。

gifuwryuta (20)
乗る時は気づきませんでしたが、乗り場手前に精巧な模型もありました。

長男を岐阜駅まで送ります。
普段はそれほど思わないのに、やはり離れ離れになる時はちょっぴり寂しくなるもの。
なかなか子離れができないダメ親父でございます。

gifuwryuta (23) gifuwryuta (24)
岐阜駅北口にある黄金の信長公像。

あまりしんみりすると信長公に怒鳴られそうです。
また元気で笑顔で会えることを願って「またな」です。
いつも付き合ってくれて「ありがとう」。

少しだけ頼もしくなった後ろ姿を見送りました。

武蔵 丸墓山三成陣所と石田堤 

武蔵 丸墓山石田三成陣所と石田堤 (埼玉県行田市埼玉一帯)

弟とゆる~く行く、映画「のぼうの城」史跡めぐりシリーズ④

丸墓山石田三成陣所

忍城をあとにして向かったのは石田三成が忍城攻めの際、本陣とた丸墓山古墳です。
丸墓山古墳は、直径105m、高さ18.9mの円墳で、円墳としては日本最大です。
一面平野の地の中ではこちらの古墳群が周囲より小高い丘となり点在しています。

鉢形・忍 (53)
国内最大の円墳であったとは、知りませなんだ・・。

鉢形・忍 (121)夏草に覆われた丸墓山古墳こと、石田三成公の本陣です。

さきたま古墳公園には無料駐車場があり、公園として整備されています。
歩いて各古墳をのんびり巡り歩いても楽しいかと思われます。

鉢形・忍 (120)

現在多くの古墳が立ち入り禁止になっている中、ここ丸墓山古墳は登ることができます。
(古墳群のうち、丸墓山古墳と前方後円墳の稲荷山古墳も登れます。)

鉢形・忍 (119)

ここで三成は利根川と荒川を利用した水攻めを行うことを決定します。
忍城を取り囲む総延長約28キロメートルに及ぶ石田堤を約1週間で完成させました。
両河川の水を引き入れた忍城の周辺は一面が湖水となったようです。

securedownload.jpg三成はこの場で昼夜を通しての突貫工事の指揮をとりました。
どれどれ(○・_ゝ・○)ノ、三成の目にはどんな風に城は見えてたのかな?

鉢形・忍 (55)おおっ!(;゜0゜) 見えます!見えます!o(≧ω≦)o

望遠で撮った写真ですが、場所さえロックオンすれば肉眼でも充分確認できます。

三成としては初めての総大将としての城攻めだったようで。
本人の高揚した鼓動が伝わってくるようです。

・・しかし、三成らの判断だけで、膨大な費用のかかる水攻めを決行できるのでしょうか?
三成は水攻めの策をあらかじめ秀吉に打診して、秀吉の指示のもとに決行したようですね。



石田堤

さて、大規模な水攻め計画が決行されました。
秀吉からすれば、水攻めは己の富と力を関東はもちろん、日本中に見せつける絶好の機会です。
秀吉は何が何でも城攻めの演出をしたかったのでは?・・と思います。

次に向かったのは石田堤歴史公園とその周辺です。
石田堤がよく残っている場所があるとのことで見学していくことになりました。

鉢形・忍 (62) 石田堤石碑。
鉢形・忍 (69) 説明版もあり。

鉢形・忍 (72) 鉢形・忍 (71)
通り沿いに堤の址が残っているポイントを見学していきます。

鉢形・忍 (73) 堤に沿った細長~い形の公園に到着しました。

鉢形・忍 (75)ほぼ、現代の河川堤防と言っても過言ではない規模の堤です。

鉢形・忍 (74)
堤の断面が把握できるようになっていました。

鉢形・忍 (76)
堤の上部が延々と続いています。(目視の範囲で)

これだけの規模のものをよく造ったな・・というのが率直な感想でした。

この水攻めは結局、失敗に終わっていまいました。
当然、これほどの労と財を使いながら忍城を落とせなかった三成は将としての器が問われます。
三成は手際の悪い戦下手な武将であったのでしょうか?

その結論は見直す必要があると思うのです。

忍城は水害の際でも水を被らないことから、別名「浮き城」と呼ばれていました。
その名がついいたこの城は、元々水没させること自体、困難な城だったのでしょう。

それに三成の陣中には大谷吉継をはじめ、真田昌幸親子ら知恵者も多く参戦していたハズ・・。
三成が忍城を水攻めにする以前にも、実は上杉謙信がここ丸墓山より忍城を攻めた際も失敗しています。

三成にとってはすでに勝負の見えた戦い。
秀吉からの命令を条件下ギリギリのところで応えようとしたのではないでしょうか?
その上で初めての総大将を彼なりに進んで勤め上げたのだと感じます。

秀吉も三成も結局、「これがやりたかった。」のでしょう。

三成の目には「浮き城」、忍城はどのように映っていたのでしょう。
今回、関東屈指の名城として語り継がれていく忍城をめぐる双方の場に立ってみました。
傍らの弟クンもちょっとお疲れ、付き合ってくれてホントにありがとうです。

弟クンと丸墓山古墳から眺めた忍城がとても記憶に残った楽しい旅になりました。

武蔵 忍城 🏯豊臣方の水攻めに耐え抜いた堅城

武蔵 忍城 (埼玉県行田市本丸) <県指定史跡> 

弟とゆる~く行く、映画「のぼうの城」史跡めぐりシリーズ③

鉢形・忍 (117)いよいよ目的地である忍城にやってまいりました。

弟クンもそうですが埼玉県に足を踏み入れたことは今旅行が人生初めてです。(多分)

「山が見えない・・」、一面の平野部に少々戸惑いながらのドライブになりました。
まるで山国から都会へ出てきた芋兄弟のよう。(周りをキョロキョロ)
方向がわからず、どこをどう進んでいるのか全くのナビ任せの到着です。

鉢形・忍 (47)
先ずは石碑を押さえるのが定石。(ただのクセ)

忍城には本丸址や二ノ丸址、櫓址や門址にそれぞれ石碑が立っています。
じっくり歩いて当時の面影を探してみるのもよいでしょうね。
今回は時間の都合上、全ては見学できそもうもありませんが・・。

鉢形・忍 (44)
御三階櫓の横にあるあずま橋と東門を通っていきます。

鉢形・忍 (114)
復元された土塁と土塀越に鐘楼をみます。

享保2年 (1717)桑名藩主・松平忠雅によって鋳造された鐘です。
文政6年(1823)に松平氏が桑名から忍へ移封されるのにともなって、忍城へ移されました。
現在の鐘楼に提げられた鐘は、平成4年(1992)に再造されたものです。

鉢形・忍 (112)
鐘の大きさは高さ 151cm、外径 79.5cmと結構大きなサイズです。

鉢形・忍 (36)
土塁に狭間をきった瓦葺きの土塀も雰囲気よく。

映画 『のぼうの城』 の舞台となり近年は特に脚光を浴びた城です。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐で忍城は石田三成率いる2万3千余の大軍に水攻めされます。
城主・成田氏は城代・家老衆一丸となって農民町人併せたわずかの兵力で抗戦します。

城代家老・成田長親は普段は愚鈍な人物でしたが、領民からは非常に慕われ「のぼう様」と呼ばれていました。

もう、あまりにも有名な件なので皆さんもご存じのはず・・。

幾たびにもかけられた城への攻撃にも城方の防戦めざましく寄せ手をことごとく撃退しました。
小田原城で籠城していた城主・成田氏長からの指示により天正18年7月11日に開城。
21あったとされる小田原城の支城のうち、小田原落城後も持ちこたえた支城は忍城だけでした。

鉢形・忍 (106)忍城跡に復元された御三階櫓、堀に映える姿は美しかったです。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

対馬にプチ出国してきました。
7月7・8日と対馬国境マラソンに出場しました。
かつてないほどの災害になろうことを予測しなかったわけではありません。
災害に遭われた方々や関係者様方の気持ちを想えば不愉快な内容になってしまうことばかりかもしれません。
未だ復旧の道筋が見えない中でも、どうか希望を捨てず一日を積み重ねて行っていただきたい、と思い久太郎も復旧ボランティアに参加する意を決心いたしました。
何ができるかわかりませんが、少しでもお力になりたい、と思います。
最新登城記事
カレンダー
07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数