FC2ブログ

三河 川尻城 🏯三河奥平氏始まりの城

三河 川尻城 (愛知県新城市作手高里・城山)

前回は奥平氏が居城とし、一族盛衰の決断を下した亀山城について触れました。
武田氏築城の古宮城とセットでの亀山城訪城もおススメいたしました。
・・もし今少し時間に猶予があるのなら、今回の川尻城まで欲張ってはいかがでしょうか。

kawajirimk (1)比高40m程の小山に築かれている川尻城。

作手中学校の西側から見た姿です。
それほど高い山ではないので登城も手軽です。
古宮城、亀山城、と続けて登っても体力的にはまだ余裕のよっちゃんですね。
(・・多分(^_^;))

kawajirimk (2)
軽自動車なら一気に頂上本丸まで行けちゃいます。

公園の南側に駐車場があるのですが、車で一気に林道を駆け上がればそこはもう本丸主郭部。
あっという間ですが、やはり見学には軽自動車がおススメ。
ここは普通自動車ではちょっと厳しいかな・・。

kawajirimk (3)

川尻城は応永年間(1394~1428)に奥平貞俊によって築かれたと伝わります。
上野国甘楽郡奥平郷が発祥という奥平氏が三河国作手に移り築いたのがこの川尻城です。
貞俊はその後、亀山城を新たに築いて、川尻城はその支城となりました。

kawajirimk (5)模擬冠木門が良いです。

現在、川尻城は「創造の森城山公園」として整備されております。

kawajirimk (6)
柵も部分的にこしらえてあり、中世山城の雰囲気も。

kawajirimk (4)
本丸の石段は後世のものでしょうか。

kawajirimk (9)
本丸の高台部には忠魂碑が立ちます。

kawajirimk (8)
主郭部の東に残っている土塁線。

kawajirimk (7)
東へ続く尾根には堀切もあります。

kawajirimk (10)
城郭建築風の厠もきれいで整備されていました。

川尻城では奥平氏初期の城郭なりがよく見学できます。
亀山城と比べると遺構は全く単純なのですが、その素朴さに
まだ軍事的緊張が薄かったころの平和な奥三河を感じました。

kawajirimk (11)作手村オリジナルの統一城址碑シリーズです。ヽ(´∀`)ノ

kawajirimk (12)
亀山城同様、川尻城からもはっきりと古宮城の姿が・・。
(往時の奥平氏はこの古宮の城山にも目を付けていたハズです)

kawajirimk 2(14)
自然を愛する方なら城山裏手からのダート林道も超おススメです。
(川尻城の尾根続きからの登り口に到着しますよ)

kawajirimk (13)
里山の中を気持ちよく走る(歩きもいいです!)のも楽しみですよ。


三河 亀山城 🏯奥平一族、運命の選択の地

三河 亀山城 (愛知県新城市作手清岳・城山) <市指定史跡>

前回の記事で古宮城を取り上げてみましたが・・。
古宮城までおいでになったのなら、こちらの亀山城に辿り着くのも必然となるでしょう。
逆に申せばこの両城、セットで見学することで効果アップ、印象アップ!です。

どちらを先に訪問するか・・それはあなた次第です!

亀山城は国道301号線沿いにある道の駅「つくで手作り村」の東側の丘上にあります。
道の駅から更に南東側に橋を渡り、ゆうゆう広場の駐車場まで行くことができればほぼ城内。
ここでは美味しい五平餅が食べられる隠れスポットもあります。

mkameyama (12)
この「亀」、「山」、「城」、「趾」、が目印。

mkameyama (1)
訪問した時は晴天から一転の豪雨明け。・・果たしてラッキーなのか?
(その考え方は自分次第・・。)

ちなみに自分は五平餅が大好物でありやんして・・。
ですから山間部の山城訪問では必ず食する、というのがマイ掟になっております。
飛騨、木曽、三河、信州、他どこへ行くときも超楽しみな日課となっております。

・・さて、そんなことはどうでもいいです。
亀山城の低丘陵は比高も30メートル程ですので手軽に登れちゃいます。
現在は公園としてよく整備されているので散策にはもってこい。

mkameyama (9)
東南方面、ゆうゆう広場方面からの登城口が便利です。

mkameyama (10)
ささっと描かれている割には見事な鳥瞰図です。これでいいのです!

主郭の山頂は東西に長い楕円形で周囲に土塁が巡っています。
虎口は東西に土塁に挟まれた平入り虎口がお待ちかね。
大まかな遺構の配置を把握したらいざ、登城していきます。

mkameyama (6)ペイントロードに導かれると、西虎口へとたどり着く。

こちら西の虎口は土橋で小郭の間を連絡します。
もっとも、このあたりの遺構は一部土塁を含めて消失しているようです。
見所はやはり防御意識の高い抱え込み土塁でしょう。

mkameyama (4)
本丸は周囲を土塁で囲まれて臨戦的な印象を受けます。

mkameyama (5)亀山城址の「図」(小笑)

mkameyama (13)
本丸からは武田氏築城の古宮城がちらっと見えますね。・・意識しちゃいますね。

mkameyama (3)
本丸の東虎口。

東の虎口を出ると二の郭につながり、北側に桝形状の虎口が開いています。
二ノ郭も比較的広いスペースがあり、本丸南の横堀部とも連絡しやすいようです。
こちら方面からの登城口も歩いてみるとほぼ全遺構を見学できます。

mkameyama (7)
主郭の南側には深い横堀が巡っており、その普請ぶりが見所でしょう。

mkameyama (8)
本丸側との高低差には唸るものがあります。

奥三河山間部にありながらその立ち位置は常に難しい地域です。
16世紀になると、今川氏、織田氏、松平氏、武田氏と配与先を転々とします。
特に武田氏の南下に対しては一族内でその臣従先を分かつなどの悲劇もありました。

忍耐と苦労の連続の末、奥平貞昌(信昌)は長篠城主に抜擢。
その忍耐力は長篠の戦いにおける籠城戦で見事に開花。
史上名高い歴史キーマンとして活躍します。

mkameyama (14)石垣台座には立派な石碑があり、拍手👏パチパチ・・。

奥平氏の運命を賭けた一つ一つの選択は結果的には報われたといってよいでしょう。
亀山の「亀」の如く守勢を保ちつつ、好機には遅々としてでも歩み出す。
そんな奥平氏と「亀」との縁は不思議に他にもあります・・。

信昌の四男、松平忠明が慶長15年(1610)に移封されたのは伊勢国の同じ読み亀山城
正室である徳川家康の長女「亀姫」とは仲睦まじく、大切にしました。
(信昌は生涯一人も側室を置かず・・、いや、置けず??)
亀姫との縁談がまとまったのは元亀4年のこと。‥等々。

なんとなく縁起がいい、奥平氏の礎となった亀山城でした。



三河 古宮城 🏯三河における甲州流城郭の代表塞

三河 古宮城 (愛知県新城市作手清岳・宮山)<市指定史跡>【続・日本100名城】

古宮城は長閑な田園地、比高50m程の独立丘陵に築かれています。
この城は武田氏の家臣・馬場美濃守信春によって築かれたと伝わり有名です。
甲州流築城術の粋を極めた大要塞の姿が素晴らしいのでおススメしたい城です。

furumiya (10)手軽に登れる古宮城のある宮山全景。

そんな古宮城、「続日本100名城」にも登録され、前途洋々なハズなのですが・・。
・・なにせ三河の山間部、交通アクセスが不便なためもあり、
綺羅星の如く名城揃いの愛知県内では後回しにされる一方です・・。

という事で・・美味しい五平餅を食べにも行ってみませんか?(;^ω^)

furumiya (1)白鳥神社前に案内看板がございます。

脇の小さな案内板には名城スタンプの設置場所も記してあります。
スタンプは城址内にはありませんので、お目当ての方はチェックを。
(作手歴史民俗資料館、もしくは近くのコンビニ、Yショップつくで店さんまで)

furumiya (2)
巨大なヒノキに囲まれて、頭クラクラ💫。

furumiya (3)高い土塁に囲まれた主郭南側の桝形虎口。

武田氏城郭によく見られる両袖内桝形虎口と呼ばれる遺構です。
虎口内でクランクが見られ、両脇から横矢を掛ける仕組みですね。
一視点で見られるこれ程の鮮やかな遺構、そうそう見られません!

furumiya (4)
曲輪のラインに沿って土塁がぐるっ、と巡るります。

furumiya (5)
森林自体が非常に手入れされているので真夏の見学でも問題ありません。

furumiya (7)
各曲輪には幾重にも横堀と土塁が重ねられています。

furumiya (6)
東と西の曲輪間を大規模な堀と竪堀で分かちます。

furumiya (9)
土橋から見た大堀切。

furumiya (8)絵に描いたような山城テクニックの目白押しに驚嘆!(*゚Q゚*)。

武田氏の領国境、いわゆる境目の城に多く使われた技法が見られます。
遠江の諏訪原城など、武田氏の家臣・馬場美濃守信春によって築かれたとされる古宮城。
三河に侵攻し、作手の亀山城主・奥平氏を降し、この地における拠点として築かれたのでしょう。

城跡周囲には山全体を総堀と思われるような堀も巡っています。
中世山城の完成型といっていいもので、近世城郭への過程も感じ得ます。
また見学のしやすさもあり、教科書的なわかりやすい山城でもあります。

城郭初心者の方でも充分に遺構を読み解きできる素晴らしい城です。
是非ともその姿に驚嘆して欲しいものです。

・・あ・・美味しい五平餠、写真撮るの忘れちまったです、申し訳なしデス・・(ノ_<)。



三河 吉田城(今橋城) 🏯見る角度によっては天守閣の風格、鉄櫓

三河 吉田城(今橋城) (愛知県豊橋市今橋町・豊橋公園)

国道1号線を浜松方面に向かう際、橋から見えてくるのが吉田城の鉄櫓です。
自分は奥方(遠州出身)のご実家に伺う際に何度となく見てきた心ときめく瞬間です。
その美しさに見とれて車線変更を忘れること、数回。

普段は指を加えながら通り過ぎる城ですが、今回は途中下車。
家族の了承をいただき大手を振っての訪問です。
そんな、ある意味「故郷の城」感のある吉田城をゆっくり歩いてみました。

toyohasi (16)対岸から見る鉄櫓は本当に美しいのです。

toyohasi (3)
豊橋公園から入っていきます。

城内にはハリストス教会の白亜の建築教会やモダンチックな豊橋公会堂など見所もあります。
ちなみに駐車場は公園の東側、豊橋野球場に無料駐車場があります。
少年野球等の試合がなければ、たくさん停められるハズです。

toyohasi (4)
三の丸の外堀から見学。

駐車場は歩きで少し遠いですが、そのおかげで間の遺構を確認できます。
外郭の三の丸の空堀が断面から見学できるのもいいですよ。
半分は土、半分は石垣の組み合わせが面白いです。

toyohasi (1)案内図板をチェックしてから行きましょうか。

toyohasi (12)
本丸入口にある案内板もありますが・・。

この案内板に見とれてしまうと、背後にチョコンと見える大事なモノを見落とします。
・・そう、その大事なモノとは

toyohasi (2)千貫櫓址にたたずむ「吉田城」の城址碑です。(*`へ´*)

この城址碑の場所は正直わかりずらいです。
城内をしっかりとくまなく散策すれば見つけ出せるはずです。
灯台下暗し、とはこのことでしょう。(?・・)

toyohasi (13)本丸の内堀から見上げる辰巳櫓台も圧巻モノです。

toyohasi (11)本丸中心部から見る内側の鉄櫓。

toyohasi (7)
見る角度によっては御三階櫓以上の迫力があります。

toyohasi (10) toyohasi (6) 一度降りてみます。
辰巳櫓の櫓台(写真:左)と入道櫓の櫓台(写真:右)

toyohasi (5)
復興櫓ではありますが堂々とした風格を感じますね。

toyohasi (14)
川手櫓址から見た本丸の堀の様子。

toyohasi (9)
袂を流れる豊川のデルタ景観にも当時の面影があります。

toyohasi (8)
近世の吉田城の復元モデルが資料館内にあります。(写真撮影と掲載の許可を頂いております)

統一感のある立ち並んだ櫓群と城門は天守なくとも素晴しい景観です。

吉田城は今橋城として永正2年(1505年)牧野成時(古白)によって築かれました。
船形山城二連木城との攻防戦にも巻き込まれ、争奪戦が繰り返されました。
永禄3年(1560年)今川義元が桶狭間の戦で没すると徳川家康が東三河に侵攻、今橋城を攻略します。

永禄7年(1564年)には酒井忠次は今橋城攻めで先鋒を務め、無血開城によって城を落とします。

家康は酒井忠次を城主とすると呼び名を「吉田城」と改めます。
東三河の旗頭、忠次が城主になることで三河東部の諸松平家・国人を統御する役割を与えられました。
そして吉田城は岡崎城~浜松城を繋ぐ最重要地点として機能します。

天正18年(1590年)徳川家康の関東移封にともない、酒井忠次も下総国臼井に転封となりました。
代わって池田輝政が十五万二千石で入封。
現在見られる吉田城の遺構は池田輝政の時代に近世城郭として改修・整備されたようです。

忠次の治世では安定した城下町の発展がみられ、武田氏の徳川領分断策も阻止します。
岡崎、浜松がそうであるようにこの吉田もある意味「家康の出世城」であることに変りありません。
この忠次の地味ながら着実な粘りの功績は大きいのです。

toyohasi (15)信長から「背に目を持つ如し」と賞賛された軍師とも云える銀将・忠次。
徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭、家康第一の功臣として称えられています。



三河 仁連木城 🏯戸田氏の盛衰を物語る城

三河 二連木城 (愛知県豊橋市仁連木町・大口公園)

「二連木城」は「仁連木城(にれんぎ)」とも記すそうですが・・。
ぱっと見すると、二連休、という土日休みが染みついた我が身です。
、ということでやはり「二連木」で表記していきます。(訳なきこだわりに大差は無い)

前回、船形山城の項にて多米氏の船形山城に対して戸田氏の築城の件に触れました。
そう聞くと、ここ二連木城も是非とも見学したい城址、ということになるでしょうか。
城址は大口公園となっているので散策気分で見学してきました。

nirenngi (2)1本丸周辺は大口公園となっています。

nirenngi (1)
こちらは建て替えられた石碑でしょうか?(船形山城では字が消えかかっていましたから・・)

知多・渥美の両半島を股にかけ、三河湾の制海権をほぼ確立させた戸田宗光
彼はさらなる版図の拡大を目論み、渥美から北進する決意を固めます。
明応2年(1493年)、渥美郡北端の二連木城を築城し、船形山城に対抗します。

宗光は船形山城をめぐる今川方との戦いで討ち死にしてしまします。
その後、戸田宗光の嫡男・憲光はその後今川氏に帰順し、牧野古白今橋城を攻め落とします。
憲光は二連木城戸田政光今橋城戸田宣成を入城させます。

nirenngi (3)
主郭部内は周囲を土塁で囲まれた曲輪がよく残っています。

nirenngi (4)
幅、高さもある分厚い土塁で、下には横堀がめぐっています。

nirenngi (5)愛知県公認、こちらがオフィシャルな石碑なんでしょう。

甲斐の武田氏が三河に南下した折にも今橋城の前衛砦として機能したようです。
平城とはいえ、台地上に築かれ、幾重もの土塁と堀に囲まれた要害であったのでしょう。
市街地となり、公園化された現在でもその雰囲気は伝わってくるものがあります。

全周に渡った土塁と堀、現在でも確認できる公園周囲の反り返った高切岸・・。
戦いに備えられた改修の址がみられ、一過性の城でなかったことは容易に推察できます。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数