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三河 波入江城 🏯かつては海に面した丘城だったとか

三河 波入江城 (愛知県豊橋市老津町波入江)

お盆休みにちょいちょい奥方実家の付近の城を徘徊しておりまして・・。
そういえばあんな城址やこんな城址もあったな、という回想録です。
(暑い中を走り回ったので所々で記憶が飛んでいるかも・・)

前回の高縄城からすぐ近くの波入江城を訪問しました。
波入江城はその名の通りかつては三河湾に面していた入江に面した城であったようです。
戸田氏の支城のひとつであったようですが、具体的な城主や機能した年代などは不明です。

namiiei (6)祥雲寺一帯がかつての主郭部。

そう言われると周囲は湿地帯となっていてかつての入江を想像できそうです。
たくましい想像力を働かせれば参道が土橋、その周囲は波が打ち寄せる堀・・。
・・って、いくらなんでも妄想の世界ですかね。

namiiei (5)

namiiei (3)
温暖な気候である渥美半島ならではの風景です。

namiiei (1)波入江城、毛筆手書の城址板を発見いたしましたv(o゚∀゚o)v

恐らく住職様のお計らいでしょうが、山門の扉の裏側にあります。
普通に見学していたら見落とすこと間違いありません・・。
しかも消えかかっていくのも時間の問題かと。

他にも手書きによる有難いお説教がいろいろと掲げられてございました。
namiiei (4)
文字を解読しながら、なんとか解釈したいのですが一部無理でした・・。

立地状況からみると三河湾を押さえ、田原城、高縄城への繋ぎの城とも解釈できます。
高縄城からは1500m、距離的には出城であったとの見方もできましょう。



Ⓢは祥雲寺参拝者用駐車場です。
Ⓖは祥雲寺山門と本堂。山門の扉裏に毛筆手書きの城址板?あり・・です。


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三河 高縄城(大津城) 🏯戸田氏との関連深い城

三河 高縄城(大津城) (愛知県豊橋市老津町西高縄)

「不要不急の外出を控える夏」、・・・。
かつてそんな夏はなかったように記憶しております。
もちろん、久太郎にとっては城巡りを控える夏はございません。

皆様におかれましては残暑の候、心からお見舞い申し上げます。

三河の畔田城に続いて訪れた城、高縄城を訪問しました。

takanawa (1)高縄城は渥美の雄・戸田宗光の田原城を築いて移るまでの居城でした。
その後戸田忠次が徳川家康の旗下として緒戦で活躍、大津城と付近に2,300石を与えられました。

当初、三河一向一揆では一揆衆としてこれに応じた忠次でありましたが・・。
戸田氏は元々徳川氏とは縁戚関係があったため、内通を疑う者もありました。
この風潮に対し、忠次は徳川方に転じ、徳川家康に謁して一揆鎮圧の軍勢に加わわりました。

その後は家康の下で主だった戦いにて戦功を重ねていきます。
「徳川二十将」の一人として挙げられていますが何故か十六神将からは外れていますね。
(徳川二十八神将にもその名は見えず・・??・・)

そして徳川家の関東移封にともない、伊豆下田城、5,000石の封地を賜ります。
文禄・慶長の役の折には、忠次は老齢の身ながら家康に「朝鮮出陣あらば推して従軍せん」と懇願。
これを聞いた豊臣秀吉は、忠次をして「壮者の亀鑑」と称賛したといいいます。

takanawa (3)
現在、高縄城は大部分が学校や畑地に変わり、堀と土塁の一部が残っています。

夏休みに訪れたため学校はお休み、不法侵入はできませんので裏側から見学しました。
土塁の一部は確認できましたが、堀の一部はブッシュでよくわかりませんでした・・。
よって城址碑のみの写真です。

吉田城と田原の城のほぼ中間点に当たる重要な城であったと思われます。



三河 畔田城 🏯畔田氏の太平洋に面した断崖上の城

三河 畔田城 (愛知県豊橋市城下町)

お盆帰省、奥方の実家でのんびりしてりゃいいものを・・。
体が欲する城めぐり、抑えきれないこの衝動は制御不可能です。
今回は三河最南端部での遺構が残る城、畔田城(くろだじょう)を見学しました。

ところで自分、小学生時代の夏休みといえば・・。
早朝にラジオ体操、午前中はプール、お昼からは昆虫採集、
ちょいと昼寝をしたら、夕方からは自由研究、プラモ作成!・・でしたでしょうか(^_^;)。

皆さんの夏休みはいかがでしたでしょうか?
(小学生からの生活スタイルにあまり変化がない自分です・・)

mikakuroda (8)
かつては城址入り口にこのような標柱が建てられていましたが・・。

久しぶりに行ってみたら無くなってました・・。
あれだけ「防腐剤を塗っておいてね」、と思っていたのに・・。(思っていただけです)
国道42号線の城下交差点の信号を南に入るとスグの場所です。
(文末に地図をお付けします)

mikakuroda (6)手作り感ある木橋?をニンマリしながら渡ってみます(* ´ = ` *)。

城跡として地元の方々による整備がなされていました。
木橋の強度はやや不安な面もありますが(笑)、なかなかの出来栄えだと思います。
逆にここが見所、となりましょうか。

また国道42号沿いの「城下老人憩の家」にも是非寄ってみるとよいです。
公民館風の玄関口では畔田城の写真や縄張り図、年表等が無料で見学できます。
出入り自由なので気楽に予習復習ができますよ。
(個人所有?かもしれないので写真のアップは控えさせていただきます)

mikakuroda (3)
本丸部分は円形状の平坦地となっています。

本丸からは木々に阻まれて見えませんが・・。
直下には広大な太平洋遠州灘が広がる、崖の上のポニョ、・・じゃない、シロなんです。
「ポニョ、城、好きー」

・・ごめんなさい。

mikakuroda (5)
一刻も早い防腐剤対策を・・。すでに根の部分が・・(笑)。

東観音寺(豊橋市小松原町)の古記録によれば・・。
この寺の寛正二年(1461)の棟札には畔田遠江守とその弟・畔田修理亮の名が記されています。
畔田氏という豪族が周辺一帯を保持していたようです。

他にも畔田氏に関連する城址が市内周辺に三ヵ所ほど伝えられています。
草間城(豊橋市向草間町)、雉子山城(豊橋市畑ヶ田町)、中瀬古館(豊橋市野依町)です。
畔田氏は後に、今川氏、或いは田原城の戸田氏の支配下に属したと思われます。

mikakuroda (10)折角のカッコいい城址碑、ぼ、防腐剤を~!(;д;)

ところで・・とても信じ難い話なのですが・・。
昔は村の集落が城の南側、つまり太平洋側にあった、と伝わります。
しかし、津波による被害、その後の波による浸食などで、平地部は消滅の危機へ。

村人たちは次第に高台へ移り住み、今では城址本丸が最も海に近くなったのだそうです。
「城下」の地名はここからきているそうで、現在は一面の砂浜となり、面影はありません・・。
ホントに信じられないのですが・。

奥方のご両親らも口を揃えて言います。
「浜が年々だんだん狭くなり、海が近づいてきている」・・と。
異常気象による海面上昇に南海トラフ巨大地震の予感・・。

畔田城はその危機を伝え続けている貴重な城址なのかもしれません。

本丸からは周囲の雑木林に阻まれて太平洋が見えませんが、海岸に下りることができます。
ちょっと趣向をこらして夕日なんぞを見に行ってみました。
かつての城下町はこの砂浜の下、だなんて・・。

mikakuroda (2)
美しい夕陽です。夕陽ははいつまでも変わらないといいです・・。

何かを伝えているような夕陽に思えて仕方がない、夕映えの畔田城にて。



Ⓢ付近に駐車場と城址碑あり
Ⓖが畔田城主郭部


三河 石橋城 🏯屋敷の様子がよく残る館城址

三河 石橋城 (愛知県新城市作手清岳寺屋敷・慈昌院)

石橋城は道の駅「つくで手作り村」のすぐ対面にあります。
亀山城からも歩いても、すぐ近くの所ですので一緒に回れるスポットです。
道の駅を拠点に周辺の城めぐりもいいですね。

isibasi (1)
石橋城址の慈昌院山門。

isibasi (6)

isibasi (3)境内の奥には案内板が設置されています。

isibasi (4)
北側から西側にかけて土塁がめぐっていて見学できます。

isibasi (2)

isibasi (5)
西方土塁の腰部には石祠が供養されていました。

石橋城は「石橋館」,「弾正屋敷」、とも呼ばれ、中世方形館城の様子をよく残しています。
じっくり見学しても、ササっと見学してもそんなに時間はかかりません。
古宮城や亀山城、川尻城などとコースに入れて見学すると良いと思います。



三河 川尻城 🏯三河奥平氏始まりの城

三河 川尻城 (愛知県新城市作手高里・城山)

前回は奥平氏が居城とし、一族盛衰の決断を下した亀山城について触れました。
武田氏築城の古宮城とセットでの亀山城訪城もおススメいたしました。
・・もし今少し時間に猶予があるのなら、今回の川尻城まで欲張ってはいかがでしょうか。

kawajirimk (1)比高40m程の小山に築かれている川尻城。

作手中学校の西側から見た姿です。
それほど高い山ではないので登城も手軽です。
古宮城、亀山城、と続けて登っても体力的にはまだ余裕のよっちゃんですね。
(・・多分(^_^;))

kawajirimk (2)
軽自動車なら一気に頂上本丸まで行けちゃいます。

公園の南側に駐車場があるのですが、車で一気に林道を駆け上がればそこはもう本丸主郭部。
あっという間ですが、やはり見学には軽自動車がおススメ。
ここは普通自動車ではちょっと厳しいかな・・。

kawajirimk (3)

川尻城は応永年間(1394~1428)に奥平貞俊によって築かれたと伝わります。
上野国甘楽郡奥平郷が発祥という奥平氏が三河国作手に移り築いたのがこの川尻城です。
貞俊はその後、亀山城を新たに築いて、川尻城はその支城となりました。

kawajirimk (5)模擬冠木門が良いです。

現在、川尻城は「創造の森城山公園」として整備されております。

kawajirimk (6)
柵も部分的にこしらえてあり、中世山城の雰囲気も。

kawajirimk (4)
本丸の石段は後世のものでしょうか。

kawajirimk (9)
本丸の高台部には忠魂碑が立ちます。

kawajirimk (8)
主郭部の東に残っている土塁線。

kawajirimk (7)
東へ続く尾根には堀切もあります。

kawajirimk (10)
城郭建築風の厠もきれいで整備されていました。

川尻城では奥平氏初期の城郭なりがよく見学できます。
亀山城と比べると遺構は全く単純なのですが、その素朴さに
まだ軍事的緊張が薄かったころの平和な奥三河を感じました。

kawajirimk (11)作手村オリジナルの統一城址碑シリーズです。ヽ(´∀`)ノ

kawajirimk (12)
亀山城同様、川尻城からもはっきりと古宮城の姿が・・。
(往時の奥平氏はこの古宮の城山にも目を付けていたハズです)

kawajirimk 2(14)
自然を愛する方なら城山裏手からのダート林道も超おススメです。
(川尻城の尾根続きからの登り口に到着しますよ)

kawajirimk (13)
里山の中を気持ちよく走る(歩きもいいです!)のも楽しみですよ。


プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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