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近江 金ヶ森城 🏯金森長近ゆかりの地に寄りました

近江 金ヶ森城 (滋賀県守山市金森町・城ノ下)

いよいよゴールデン・ウィーク(以下G.W)に突入しました。
(この記事を書いてる頃にはもうとっくに終わっていましょうが、雰囲気だけでも)
G.Wの幕開けは三男の滋賀県遠征試合から始まりました。

kanamori (1)
滋賀県守山市の市民体育館、立派なアリーナでした。

すぐ近くの城址を検索したら「金ヶ森城」がヒット!
さぁ、試合観戦と応援の合間を縫って、奥方と長男を連れての城めぐりタイムです。
・・といっても現地に到着したら車から降りるのは自分だけ。

なんて盛り上がらない連中なんでしょう。・・(#`_´)

kanamori (5)土地勘がなくグルグル車を転がしてようやく発見できました。

金ヶ森城は、金森町地区の中心部にある善立寺一帯に築かれていました。
城の遺構は何も残っていないようですが、用水路に堀の面影は残っているようです。
善立寺南側の小公園内に石碑が建てられていました。

kanamori (4)金森長近が青年期を過ごした寺内町です。

後に飛騨高山城主となる金森長近は美濃の多治見から父と共に移住しました。
18歳ぐらいまでこの地で育ち、父の姓大畑から改名し、金森を名乗るようになります。
(多治見市では知名度が全くなく、出生を示す逸話も残っていません、情けない・・)

kanamori (3)

kanamori (2)どちらの石碑にも金ヶ森城の由来が書かれていました。

kanamori (6)

本願寺法主・蓮如はここ金森にて3カ年の間、教化を続けました。
この地は後,町全体を土塁・堀を巡らし金森城として石山本願寺を攻める織田信長の軍を牽制します。
元亀二年(1571年)に金森の戦いが起こっています。 <現地碑より>

金森御坊の跡には善立寺がありますが、非公開のため入れませんでした。
善立寺に事前にお願いすれば見せて頂くことも出来るそうです。

kanamori (7)すぐ東にある蓮如上人杖堀池跡。

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地下水位低下でもう枯れてしまっているのを復活してあります。

kanamori (9)

蓮如上人が棒で地面を突いたら泉が湧いたという伝説のある池。
蓮如上人の魔法使いのような逸話は人心を掴んだ故に生まれのでしょう。
北国街道沿いにはこのような蓮如上人の話がいたるところにありますね。

それにしても、車内でスマホ三昧の我が家族・・。
・・家族の心さえ掴めない自分ではありますが、精進したいと思うのであります。
まぁ、付き合ってくれるだけでも良しとせねば・・。



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近江 佐久良城 🏯厚い土塁で囲まれた主郭に感動

近江 佐久良城 (滋賀県蒲生郡日野町佐久良・下の城山)

日野中野城から比較的近いのがここ佐久良城です。
欲張りをしてもう一城見学していく事になりました。

oumisakura02 (2)八幡神社下の駐車場にある大きな説明版が目印です。

佐久良城の概要、歴史の大方はこの案内板に書かれています。一読してから登るといいです。
佐久良の雄、小倉氏代々の居城の一つです。
鳥瞰図のイラストが適当のわりにわかりやすいです。

oumisakura (14) oumisakura (15)
「ようこそ、佐久良城へ」 近江の山城は登城者への気遣いがあって恐れ入ります。(写真:上)
よくみると石垣があちこちに僅かながら残っています。(写真:下)

oumisakura (4) oumisakura (5)
堀切と大土橋を渡って大手門へと入っていきます。望楼の址の土壇は櫓があったものと想像できます。

oumisakura (6)厚みのある土塁の上を歩いてみます。

尾根道だと思い込んで歩いていた広い道は、なんと土塁の上だったのです!
しかも主郭をぐるっと一周囲んでいるようです。
高さも4メートルほどのかなり大規模な土塁に驚きました。

oumisakura (8) oumisakura (7)
主郭の周囲には高い切岸、竪堀群、土塁などがよく残っていました。

ちょっと濁っていましたが、お馬洗いの池には満々と湧き水が溜まっていました。
城の貯水池として利用されたことでしょう。

oumisakura (9) oumisakura (10)

oumisakura (11) oumisakura (13)
城山古墳と呼ばれる場所には火薬庫に使われたとの伝説もある穴倉がありました。(写真:上)

城山のある場所はさほど比高のない「丘城」といった感じです。
平素は城主が居館として住んでいたのかもしれませんね。

oumisakura02 (1)立派な石碑でした。「石碑はその城を語る」といいますからね・・(/∀\*)。

近江 日野中野城 🏯蒲生氏三代の城、氏郷の出生地

近江 日野中野城 (滋賀県蒲生郡日野町西大路)

水口町を離れ、帰路になる途中、ちょっと寄っていくことになった日野中野城。
蒲生氏郷公の出生地・居城として有名です。
日野川ダムを目指していくとわかりやすいです。

nakanohino (1)ダム湖手前にある中野城址石碑。・・いいですねぇ(o´∀`o)

nakanohino (4) 蒲生氏郷公産湯の井戸址。

中野城址石碑の斜め対面あたりにあるのが氏郷公産湯の井戸です。
・・というか本丸址の井戸が比定されたものと思われます(夢を壊してすみません)。
氏郷の祖父・蒲生定秀が日野の地に本格的に築城したのが始まりです。

永禄11年(1568年)、六角義賢織田信長による観音寺城の戦いで氏郷の父・蒲生賢秀はこの日野城を堅守、賢秀は主君、六角氏の敗北を聞いてもなお1千の兵で城に籠もり、抵抗する様子を見せます。
しかし、賢秀の妹を妻としていた織田家の部将・神戸具盛が単身日野城に乗り込んで説得した結果、賢秀は降伏し、嫡男・鶴千代(後の蒲生氏郷)を人質として差し出して信長の家臣となります。

信長は賢秀・鶴千代父子を気に入り、鶴千代に娘を嫁がせて娘婿に迎えているほどです。

nakanohino (29) nakanohino (5)
日野川ダム湖によって大半の遺構は失われたようですが、残った遺構を見に行きます。

nakanohino (6) 入口にある案内板で確認。

nakanohino02 (2) いい雰囲気の石垣と橋が現れます。

同行の城友さん、この場所を一見するなり、なにかピーンときたようです。
なんでもこの場所、あの有名な映画、『-明治剣客浪漫譚- るろうに剣心 』のロケ地に使われたそうで。
自分にはむしろその記憶力のほうに驚嘆です。

nakanohino (27) よく見ると、ん?蚊に注意?

こんな時期に蚊なんているはすが・・、・・いました。もう11月も終わろうという時期なのに。
そして城友さん、見事に蚊に刺されまさかの負傷。信じられませんが自分の周りにもいるではありませんか!
「血吸い抜刀斎」、なかなかしぶとい連中です。「不殺」(ころさず)を誓い城内をうろついていました。

nakanohino (9) なかなかの雰囲気がでてます。コンクリートの橋はちょっと残念ですが(´・_・`)。

nakanohino (8) nakanohino (11)
土橋の紅葉がきれいでした(写真:左) と 日野城の城史の説明版(写真:右)

nakanohino02 (1)
江戸時代には市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで続きました。

nakanohino (14)
城とは直接関わり無いのでしょうが、趣ある土塀倉庫に見入ってしまいました。

nakanohino (22) nakanohino (15)
土橋から見て、片や空堀、片や水堀の面白い掘割です。

nakanohino (17) nakanohino (19)
nakanohino (20)
涼橋神社(写真:上)と稲荷神社(写真:下)の間のコンクリート橋を渡って見学できます。

nakanohino (10)手頃なサイズの石で組み上げられた石垣でも迫力があります。

これらの石垣は神社建設の際に組まれたもの、との見方もあります。
・・が、主郭部には当時からある程度の石垣があったものと思われます。
ここは個人的に夢をこわさないで見ていきたいな、と思いました。

hinoennkei.jpg 中野日野城をダムから眺めます。

本能寺の変の際、安土城二の丸を守備していた蒲生賢秀は、織田信長横死の報がもたらされると嫡男・氏郷を日野城から呼んで安土城から信長の妻子達をいちはやく日野城に避難させます。
明智光秀からは味方に付けば近江半国を遣わすとの破格の条件を提示されますが、賢秀は「信長殿の恩を忘れることはできない」と敢然と拒絶したらしいです。

安土城の留守居役を預かるあたりからも信長の信頼度がうかがわれますね。
さすが信長三十六功臣に挙げられることにも納得です。
賢秀の気骨が氏郷に受け継がれていったのですね。

近江 水口岡山城 🏯甲賀郡随一の巨大城郭を見学

近江 水口岡山城 (滋賀県甲賀市水口町京町・古城山) <国指定史跡>

水口城をあとにして次に向かったのが「水口古城」とも呼ばれる水口岡山城です。
お城ファンでしたらこの二城、おそらくセットで訪問するのが定石なのでしょう。
我々も古城山に誘われるように向かうのであります。

Mokayama (1) Mokayama (2)
登城小径の脇に城址碑と案内板がありました。

どうやら独立山のため、いろいろな登城ルートがあるようです。
どこから登るのかによって見学できる遺構が変わってきます。
今回は古城山西麓、水口小学校向かいの駐車場を利用させていただきました。

Mokayama (5) Mokayama (4)
三の丸からは東方面の眺望が得られます。

天気が良ければはるか鈴鹿山脈までが見渡せるようです。
東海道がこの古城山の南足下を通っている様子がわかります。

Mokayama (6) さらに進んで二ノ丸へ。

各曲輪の大きい事に驚かされます。
曲輪間を仕切る空堀や堀切も大きいです。

Mokayama (8)土塁を交互に設けた食い違い虎口の遺構です。石垣も見られます。

テクニカルな遺構に感激です。
散りばめられた落ち葉と相成ってなんともきれいでした。

Mokayama (10) 石垣もいいです。

Mokayama (11) Mokayama (13)
頂上にはねぎらいの看板が(お気遣いありがとうございます)。天守推定地は2つあるようです。

水口岡山城は、天正13年(1585)羽柴秀吉の家臣中村一氏(なかむらかずうじ)によって大岡山に築かれました。
一氏の後は、共に近江出身で豊臣政権下で五奉行として活躍した増田長盛、長束正家らが城主となります。

豊臣五奉行、三中老(存在は疑問視もあり)がここまで関わった城、やはり重要な城だったからこそでしょう。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにて長束正家は西軍に属し、南宮山麓に布陣するも戦闘には参加できず敗走。
水口岡山城まで逃れ籠城しましたが追ってきた池田長吉(池田恒興の三男)、亀井茲矩らに攻められて開城。
長束正家は切腹、城は廃城となりました。

Mokayama (15) Mokayama (16)
高田徹氏作図の全山調査の縄張り図(写真:左)があります。 それと・・学習モードの城友・日向守氏。

余談ですが・・日向守氏の城めぐり振りには本当に頭が下がる思いです。
お昼ご飯もそこそこ、ロシアパンたった一個でしのぎ、マニュアル車運転での遠征もなんのその。
・・ハンパない城野郎がいたものです。

Mokayama (17) 阿加宮神社が祀られ、天守気取りで微笑ましいです。

Mokayama (22) Mokayama (21)
水口城を探せ!(遊びで)では意外とわかりずらくて、見つけがいがありますよ。

Mokayama (23) Mokayama (27)
城の北側には所々に石垣の址が見られて興奮しました。

Mokayama (24)城中最大の石垣遺構です。荒々しさの中にも安定感が感じられます(゚o゚)。

始まりました、石垣の撮影会です。
この壮大な石垣を目の前に、ゲージアップを抑えきれません。
おそらく家族に見せられない姿、言動をしています(汗)。

Mokayama (28) Mokayama (29)
西の丸には板塀と櫓を模した施設があります。まぁ、イメージは想像できます。その名も「天翔の櫓」!

まだ基礎部分も板や丸太が新しく、新設されたばかりのものと思われます。
そういえば、石垣部分も見学しやすいようにちゃんと草が刈られていたようです。
どうやら、手入れされた直後の城址に招かれたようで、ラッキーでしたね。

さすが、国の指定史跡になっただけのことはあります。
手入れをされてみえる会員様たちの思いが伝わってきます。
是非、水口岡山城の知名度を上げていただきたい、と願います。

水口岡山城は思っていたよりも規模が巨大で、戦略的にも一大要害を置くのにふさわしい城でした。
南近江の山城でも最大級であることと思われます。
今度来れるときはお弁当でも持って行けたらいいですね。・・まぁロシアパンでもいいのですが・・。

近江 水口城 🏯徳川将軍家の宿館

近江 水口城 (滋賀県甲賀市水口町本丸) <県指定史跡>

今回は故あって滋賀県の草津市まで出張です。
城友・日向守さんと書類を携えてのちょっとした用事でした。
スムーズに(さっさと)ミッションをこなし、城めぐりモードへ切り替えです。

minakuti (9)水口城の資料館へ架かる木橋と城門。

最初に向かったのが水口城です。
水堀に囲まれた落ち着く感じの城です。紅葉がとてもきれいでした。
のんびり外周を散策してみます。

minakuti (1) minakuti (2)

minakuti02.jpg 乾櫓の石垣はやや不自然な積まれ方に苦笑い。

minakuti (4) お堀の水は湧き水だそうです。

別名「碧水城(へきすいじょう)」と呼ばれるだけのことはあります。
江戸幕府三代将軍・徳川家光は寛永11年(1634)上洛に先立ち、ここ水口に新たに宿館を築きます。
作事奉行には小堀遠州守政一があてられました。

minakuti (5)模擬櫓ですが、シンボルとして親しまれています。

minakuti (6) minakuti (10)
自然が溶け込んだ風景がみられます。

天和2年(1682年)加藤明友が石見国より二万石で水口城主となり水口藩を立藩しました。
明友は賤ケ岳七本槍・加藤嘉明の孫になります。

minakuti (7) 二条城をまんま縮小したような縄張りです。

minakuti (12) minakuti (11)
資料館の復元模型は秀作です。当時の御殿の様子がよくわかります。

資料館内では、受付のおかあさんが熱心に解説してくださって、とてもわかりやすかったです。
なんでも将軍家、この城を宿所として使用したのはたった一回だけだった、とか。

minakuti (13)そういえば、しゃちほこがありませんよねぇ~。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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