FC2ブログ

美濃 小里古城 🏯城としての遺構、見当たらず・・。

美濃 小里古城 (岐阜県瑞浪市稲津町小里馬場)

小里城は古城、新城、城山城と別々の場所に3つの城址が存在することは、すでに述べてきました。
今回お訪ねしたのは最も古い、小里古城です。

oriko (11)のっぺりとした丘上にあったという小里古城を見ます。

oriko (1) 東側のお寺の下に駐車場をお借りします。

少し登った所に小里古城の進行方向を示す案内板があります。
小里新城で見られた同様の案内板ですね。
山頂までは緩やかな坂道をゆっくり登っていきます。

oriko (2) 墓地に出た、と思ったら小里古城を示す城址板に遭遇。

墓地ということで、写真が撮りずらいのですが、様子だけお伝えします。

 oriko (5)
墓地の奥に祠が祀られていますが、城に関係するものかどうかはわかりません。

oriko (8) oriko (9)
若干の段差が認められますが、城の郭ではなさそうです。

山頂付近も整形されたような形跡はありませんでしたし、堀などの跡もありません。
ほぼ全くの地山、といった感じでした。
山上に豪族の館か、物見台でもあったのでしょうか?

小里古城は源三位頼政の城である、という伝説がありますが・・にわかには、信じられませんね。
どうも美濃守護の土岐頼明と混同されたものではないか、と『瑞浪市史』にはあります。
いずれにせよ、城の遺構もありませんし、それほどの要害でも要衝でもありません。

oriko (10) 老人保健施設側からの登り口。

なんとなくこちらのほうが城の登り口っぽい(大手口)ような気がします。

小里氏との歴史が不明なことや、独立丘にしては無防備すぎる山。
ちょっとロマンにも限界がありそうです。
しかし、相当古い城址、ということで当時の地方城館とは、かくも簡素な普請だった、のかもしれませんね。

美濃 小里城・城山城(後編・山頂部) 🏯山頂の天守台と山麓の居館部が楽しめる城

美濃 小里城・城山城 (岐阜県瑞浪市稲津町小里・城山) <県指定史跡>

小里城山城の築城期は定かでないにせよ、天文3年(1534年)頃に小里光忠による築城とされます。
小里新城から城山城へ移ったということですが、なんらかの軍事緊張があってのことでしょうか。
以前からあった簡単な砦施設を本格的に城郭として増強したのかもしれませんね。

orisiroyama01 (9)意外な所に立派な石碑があります。ヒントは・・矢印&道路!(○`□´○)

天正2年(1574年)にはすでに落とした岩村城を足場に武田勝頼勢が東美濃南部に侵入。
武田軍は岩村城の南西に位置する明知城を包囲します。
織田信長自身が岐阜から救援に駆けつけ、神箆城(瑞浪市・別名鶴ヶ城)に着陣しますが、明知城は空しく落城してしまいます。

kouno01.jpg 信長が救援本陣とした神箆城遠景。

信長は対策として明知・岩村両城の押さえに小里城を普請し、城番には守将として、信頼できる池田恒興を入れ置きました。
恐らく小里氏には信長・恒興からの協力依頼があったものとされ、与力として城を預ける形をとったものと思われます。

なお翌年岩村城が落城するとこの工事は中止されました。

天正11年(1583年)、小里光明織田信孝に仕えますが、賤ヶ岳の戦い後、羽柴秀吉に敗れて信孝が自害した後は、森長可に逆らい小里城を離れ徳川家康に仕えたそうです。

その後、関ヶ原の戦いの功によって光明の孫・小里光親は慶長5年(1600年)に土岐、恵那郡の旧領を再び与えられ、小里城に帰還します。しかし光親の子・小里光重は嗣子がないまま元和9年(1623年)に亡くなったため、小里氏は断絶してしまいます。居城・小里城も廃城になったということです。

以上、ざっと小里城と小里一族波乱の歴史を追ってみました。



麓から頂上を目指して登ること30分、途中休憩や城同志さんとの談話しながらの気ままな登城です。
山頂部に近くなると周囲に大岩や足元に石が多くなってくるのがわかります。
故に足元に注意して下を見ながら登っていきます。

山頂から光が差し、周囲が明るくなってきます。そろそろです。
・・ふと、顔をあげてみます。
逆光の中にお出迎えしてくれるのがこの天守台です。

orisiroyama (17)伝・小里城天守台。「桝形」とも呼ばれています。このごつい石組みがなんとも・・( ^o^)

ゴツゴツとした法則性のない荒石垣といったイメージです。
もともと山頂にあった岩や石を利用して普請したようで、台場周辺には加工途中の石もみられます。
ちょっと一周してみたいと思います。

orisiroyama (24) orisiroyama (18)

元々あった巨石を隅石に利用しているようです(写真:左・案内看板の真後ろ)。
天守台へは弧状になったスロープ石段がついています(写真:右)。

orisiroyama (19)南東から見た天守台。・・さらにごついです。(*´~`*)

厚みの薄い石を算木積することで見た目と構造のバランスをとっているようです。
ほとんど自然石のままで積み上げられている感じですが、一応収まっているのがスゴイんです。

orisiroyama (20) 天守台を南西から見てみます。

天守台裏側にあたりますが、なんだかちょっと手抜き感のある、隙間だらけの石組みです。
石材の大きさも、もうバラバラ、「積まれている」だけです。
目の届きにくい部分を強引につじつま合わせをした、ともいいましょうか。

現代でもこの手のあからさまな手抜き?工事は存在しますね。
このように見る角度によって石垣の積まれ方が異なっている、ということがよくわかります。
そしてこの天守台が不等辺ながら六角形になっていることも同時に観察でわかります。

orisiroyama (36) ちょっと上から見た感じ。

orisiroyama (30) orisiroyama01 (1)
天守台への入口(写真:左) と 説明版(写真:右)

orisiroyama (34)城山神社が祀られ、内部が五角形になっている穴蔵式の内部。

説明版にも書かれていますが、この天守台、かつてはその多角形という類似点がゆえに
織田信長の安土城石垣の縮小試作普請であったとも言われていたそうです。
しかし全くの別物でないにせよ、構造プランは安土城のほうが断然規模も上です。

まぁ、後世に石垣の積み直しがあったという記録もあるので(いかにもらしい・・)
どこからどこまでなのか不明な点もあるようです。
真相はわかりませんが、安土城への試み、そんなロマンがあってもいいかな、と思います。

・・でも手抜きは信長さん大嫌いでしょうから、これだと怒られちゃうと思うんですが・・。

orisiroyama (25) orisiroyama (26)
天守台付近と主郭内部にはいたるところに普請途中のものとみられる石が点在していました。

未完成ながら曲輪や帯曲輪が東方面に展開しているのは、岩村城方面の武田軍に対する構えの名残りと考えられます。

orisiroyama (27) 芋虫のような岩も溶け込んでいます。

orisiroyama (22)本丸に用意されている休憩小屋で一休み。

orisiroyama (21)稲津集落をはじめ瑞浪市を見渡せます。

遠くに鶴ヶ城(瑞浪市・神箆城)や戸狩城(瑞浪市)も確認できます。
対武田防衛最前線におかれた小里城と鶴ヶ城の位置関係が把握でき、緊張感が伝わってきます。
ここを抜かれたらもう兼山城どころか、一気に尾張までなだれ込まれてしまうでしょう。

小里城は信長が自ら再普請の縄張りを差配した、という伝えもあるそうです。
信長としてはなんとしてでも「ここより先は絶対に通せない」という思いもあったのでしょう。
そんな「意気込み」というよりは「緊迫感・危機感」が先にある様子が曲輪や石垣の乱雑さに表れているような気がしてなりません。

すぐ足下まで武田軍が迫っていたという事実を思うと、この城に込められた重要性が伝わってきます。
ともあれ、自分にとっては思い入れのある城址です。
整備もよくされており、手軽に登れるので、くどいようですが折(小里)にふれ、また登ってみたいと思います。

美濃 小里城・御殿場(前編・居館部から山頂へ) 🏯山頂の天守台と山麓の居館部が楽しめる城

美濃 小里城・御殿場 (岐阜県瑞浪市稲津町小里・城山) <県指定史跡>

小里新城でも触れましたが「小里城」と言えば、一般的にはこちらの小里城山城のことを指します

私事ですが、まだうら若き二十歳の時、はじめて買ったマイカーとはじめての城めぐりがここ小里城でした。
山頂まで汗だくになって登り、突然現れた天守台石垣に超感動したものです。
ちょっと興奮しすぎて胸がドキドキ、バクバクしてたのが今でも忘れられません。

orisiroyama (37)当時から強烈なイメージとして焼き付いた小里城天守台の残像・・。

それ以来、折に(小里に?)触れて登っています。
近年は県指定史跡としての範囲も広がり知名度も上がりました。遠方のほうからも訪れる人も多いようです。
小里城は自分にとっても大好きな城址の一つであります。

orisiroyama (1)小里城山の全容。いかにも山城のありそうな雰囲気があります(;゜0゜)。

山頂背後がえぐれ、まるで斧の刃のような山容です(大袈裟ですが・・)。
ちょっと高い山ですが、登城意欲が掻き立てらます。
県道20号沿いに駐車場がありますので、そこから登城していきます。

orisiroyama01 (8) 対面に大駐車場完備!

orisiroyama (2) orisiroyama01 (3)
 小里城、小里城、小里城・・と、「これでもか」、というほどののぼりと案内看板。猛アピールです。

orisiroyama01 (7) orisiroyama01 (6)
登城途中にも石垣遺構が目に入ってきます。

orisiroyama (3) orisiroyama01 (4)
小里城説明版の前を通り、山麓居館の大手門が見えてきました。

orisiroyama (6)隅部には整形した石を使いつつ、中は落とし積や野面積で組まれています。

orisiroyama01 (5) なかなかの巨石を使用してあり迫力があります。

「ちょっと積み直しました」感のある、趣ある石垣です。左側と右側の違いも楽しめますよ。
居館部の石垣部分は数段みられ、規模も大きい事から陣屋構造を色濃く残している遺構といえます。
この大手門址は桝形虎口となり、内部の「御殿場」へと進みます。

orisiroyama (8) orisiroyama (40)
御殿場は端から端まであるくと結構な広い面積があります。
歩くたびにバッタが飛んでく・・。うわぁ!へびさんもいるぅ・・~>゜)~~~(写真はやめときます)

orisiroyama (39) orisiroyama (11)
御殿場址の石碑と案内板。礎石や石組み水路などの存在も発掘調査でわかったようです。

orisiroyama (10)熊沢喜三郎氏懇親の出来栄えの縄張り図。小里城の遺構を余すところなく描いてあります。

orisiroyama (12) すぐ脇には満々と水を湛えた井戸址?も発見。

ちょっと寄り道して、東砦の堀切も見学に行ってみました。

orisiroyama (41) orisiroyama (44)
東砦には城山城への尾根筋と御殿場への東からの侵入に対して備えられているようです。

近年、城郭研究家の熊沢氏によって発見されたそうです。
きっと山中をくまなく歩かれての発見だったと思われます。

orisiroyama (42)尾根を分断している様子がわかりますでしょうか?

そしていよいよ御殿場から南へ城山コースへを山頂に向かって登っていきます。
尾根沿いのルートはそんなに険しくはありません。
テンポよく進めばむしろとても整備されていい運動になります。

orisiroyama (13) 途中、見晴らしの良い所で休憩です。

orisiroyama (38) orisiroyama (14)
大手曲輪、二の曲輪と進むにつれ、削平地も大きく整地されていきます。石垣もちらほら見えます。

途中、何人かの見学者ともすれ違います。元気な小学生クンにも会いました。
ご年配のお父さんともしばし談笑。小里城についてのウンチク話に始まり城の話に華がさきます。
お互いの城好きの力量を試し合うかのような応酬にどんどん盛り上がっていきます。

しかし・・なんでしょう・・。
見ず知らずの方と、この一瞬にして打ち解けてしまう不思議さは・・。
こんなパターンは今まででもよくありました。つくづく城の力ってすごいと改めて思います。

時間は尽きませんが、お互いの安全無事と、いい城めぐりを言ってお別れします。

そしていよいよ頂上はすぐ頭の上にあります。 (後編・山頂部に続く)

美濃 小里新城 🏯小里氏発祥の城

美濃 小里新城 (岐阜県瑞浪市稲津町小里諏訪)

久しぶりに地元での城めぐりです。
「暑さ寒さも彼岸まで」、とはいうもののまだまだ暑い今日このごろ。
なんとなく瑞浪市に来てみました。

瑞浪市の稲津地区には、中世から近世にかけて領主・小里氏の居城とされる城址が3ヶ所あります。
小里古城、小里新城、小里城山城と時代ごとに3つの城址が伝えられる中、遺構が残るのはここ小里新城と小里城山城です。
「新城」と言っても古く、一般的に「小里城」といえば、小里城山城のことを指します。

そんな「新しい城」、というイメージの割に知名度のない小里新城。
尾里(小里)太郎国定の居城といわれ。、尾里国定は正中元年(1324年)の正中の変で、京で戦死したといいます。
南北朝期かそれ以前の鎌倉後期からの城ということになります。

・・ということで、城の歴史はとても古いことになりますが・・。いかがなものなのでしょう。
見学に行ってまいりました。

orisinnjyou (16)小里新城は興徳寺の南西の山上一帯にあったようです。

orisinnjyou (13)
県道20号線沿いに興徳寺への道標があり小里川をわたると興徳寺山門に到着。軽く寄ってみます。

orisinnjyou (14) 「臥薪嘗胆」という故事に気が引き締まる一方で・・。

orisinnjyou (15) このユルさ。

興徳寺前の道を登ると墓地があり、その脇から山に入る案内板があります。
以前は見当たらかったので、思わず感動!
ここからは小里城山城の山容がよく見えます。

orisinnjyou (1) orisinnjyou (2)
墓地から山への入口にも案内板がありますが、道は草ぼうぼう。まぁ、よくあることで。

orisinnjyou (4) orisinnjyou (6)
大規模な土塁遺構もあれば(写真:左)、堀切の址もみられます(写真:右)。

orisinnjyou (5) orisinnjyou (8)
横堀遺構も確認できます(写真:左)。塁線もはっきりしていますが切岸は全体的に低いようです(写真:右)。

orisinnjyou (11) 櫓台と思われる最高所の遺構。

遺構自体は鎌倉後期のものとは思えないほどの残存ぶり。
曲輪も曖昧な輪郭を残すものの一定の空間は形成しています。
しかし、よく観察すると土塁で囲う意図がよくわからない箇所があったり、主郭への導線が意味不明だったりします。
堀や横堀も存在すれど、連動している遺構がありません。

個々の遺構のパーツ自体は城郭規模のものとみて相当です。
・・なんですが、縄張り全体のバランス面からみると不自然な印象をうけます。

orisinnjyou (9)「○○城」ではなく、「鎌倉後期城砦跡」という城石碑も珍しいです。

結構なブッシュに覆われ、非常に観察しずらい城なんです。
当時からの城砦の姿をどこまでとどめているのか判別しにくいですね。
想像の域を出ませんが、植林整地や畑耕作、境界線、寺社の移築、といった後世の遺構も含まれているようです。

・・といっても城の存在自体を疑うものではありません。

近年、県指定史跡となった天守台のある小里城山ばかりが注目されがちですが、信長の命で池田恒興が小里城に派遣され、城番を務める間、この小里新城も同時期に小里氏の持城として並存していた可能性もあります。
ともあれ、鎌倉期の城、というより、時代が下るごとに改修されて戦国期まで至った、とするほうが自然ではないでしょうか。

この後小里城山城へ登り、小里古城と小里国定屋敷、とまわっていきます。(続)

美濃 山田砦 🏯未完の城か?城似せ遺構か?

美濃 山田砦(岐阜県瑞浪市山田下山田)

瑞浪市市内には実に多くの城郭が存在します。
その理由は主に3つほど挙げられます。

1. 美濃守護・土岐氏一族の城砦群が存在したこと。
2.応仁の乱ののちの文明年間に小笠原・木曽氏の南下に対する防備が敷かれたこと。
3. 戦国期の織田・武田勢力のせめぎ合いの場になったこと。

ですので、城郭遺構も新旧様々。
しかし山田砦は、上のいずれでもない、小牧・長久手の戦い時に森長可によって
築かれた砦であるとの伝承があります。

今回紹介の山田砦は文献にみられる「光明山田の砦」が
「この遺構ではないか」と比定されているもので
暫定候補地的な城、とでも言う、確証のない城です。

どんな遺構が待っているのでしょう・・。

yamadatoride (1)瑞浪市内の市街地近くにに位置する山田砦の山。

yamadatoride (2) yamadatoride (3)
城へは旭王寺の西参道から登り、寺の東裏山へ直登するのがわかりやすいですが・・。

yamadatoride (4)
曲輪と思われる先端部に石塔群があり、ここから東へ潜入していきます・・。ここも曲輪?

これよりひどい竹藪のブッシュなので、前進するのがとっても苦痛です・・。
頂上へ向かうには相当な覚悟を必要としますので、服装など十分な装備が必要です。
5月頭の初夏にも関わらずヤブ蚊も発生しており携帯蚊取りや虫よけも必須です!

特に切り払われた竹先が槍状にとがっていることに注意です。
竹林はしなった竹が勢いよく跳ね返ってくるこもありますからこれも要注意です。
頭と足元に注意しながらすすんでいくと山の中腹に突然、土塁と横堀が出現します。

yamadatoride (5)山の斜面に単独で造られた横堀。幅4メートル、長さは25メートル程もある。

yamadatoride (6)
頂上につくと主郭は2段構成となっており平地になっています。

主郭の東側は斜面がありますが他の主郭周囲は緩い傾斜になっており
それほど輪郭がはっきりしているわけではありません。
先程の土塁遺構との連続性もありません。

yamadatoride (7)尾根を断ち切る大堀切(箱堀形)。途中に折れ(クランク)がある。

この巨大な箱堀は内側に土塁の痕跡が認められ掻き上げられたことがよくわかります。
しかし主郭の大きさや成型さに比べて不釣り合いなほど大きく整っています。

結局、この不釣り合いな遺構の組み合わせと配置状況から
「城」ではあると思われるが、普請途中で中止となり、未完成だったのでは?と
言われています。

さらに尾根上を探ってみると浅い土塁と横堀が50メートルほど残っていたり
本丸を置くのに恰好のピークが未整形(普通の山)であったり
後世のものと思われる大きな切通し道があったり(一瞬、超巨大堀切かと思った)
不可解な遺構が多すぎます。

個人的には「城」に見える類似遺構の検討も必要だと思ったわけです・・。
・・そうですね、内容がマニアックな記事になってしまいました(汗)。

瑞浪市ってもっと有名な城址あるだろうに・・
小里城とか、鶴ヶ城とか・・今度はそっちに寄ってみます。
はい、ごめんなさいね(。´・(ェ)・)。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数