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美濃 横井城 🏯完成手前で放棄されましたか?

美濃 横井城 (岐阜県郡上市和良町横野・城山(南古城跡山))

一日署長(いちにちしょちょう)という警察署のPRイベントがあります。
起用されるのはその時の旬な有名芸能人(女優・女性アイドル)やスポーツ選手です。
当然、警察官としての司法警察権一切を与えられるものではありませんが。

アイドルさんなんかは一層可愛らしさが増したりなんかします。
「逮捕しちゃうぞ♪」。・・とかですね。

しかし山城調査で誰にも遭わず一人黙々と城の隅々を見ているとふと思う事は。
「・・あぁ、今日の俺、ここの一日城主じゃねえか・・」。
皆さんもこんな経験おありなんじゃないでしょうか?(自分しょっちゅうです)

この城のことならなんでも訊いてくださりませ!
「籠城しちゃうぞ♪」。・・なんか違う。

さて(^_^;)、今回も郡上和良の城郭を取り上げていきたいと思います。
謎に包まれた城郭の多い和良地区ですが、ここでもやはり首を傾げてしまうかも。
和良の大三角城(野尻城・境城・太鼓部屋砦)に相対している横井城に登りました。

wyokoi (26)横井城のある山は「城山」と呼ばれています。
(或いは南古城跡山(みなみこじょうしやま)とも)

鹿倉川と和良川の合流点南の山上に構築されています。
現在の和良地区中心部を見渡すことのできる格好の場所といえます。
相対する城として一番近いのは野尻城で1000メートル程しかありません。

上の写真も野尻城の城下から撮影しています。

wyokoi n(1) wyokoi n(2)
今回は城山の東尾根より登頂することに。祠が目印で迷うことはなさそうです。

和良川公園オートキャンプ場さんの駐車場をお借りしました。
とても開放感があるキャンプ場です、夏でしたら和良川で水遊びをしたり楽しそうです。
和良川に架かる橋(神渕洞橋)を渡ったらすぐを山の尾根道を辿ります。

wyokoi (3)
間伐手入れが行き届いた非常に登りやすい広い尾根道です。

東尾根を登っていく途中、山の中腹に若干人工的な平地が確認出ます。
防御的な遺構はないのですがこれを遺構だと捉える方も見えるようです。
自分は山頂主郭部との距離感や連動面を考慮して参考、とまでにしました。

wyokoi (4)登りつめると、先ずは東曲輪群が現れます。

上の写真でおわかりになるように切岸はあっても、曲輪内の普請は結構粗雑。
所々で自然地形を残しつつ、辛うじて平地を設けている箇所が多々見られます。
ただ、腰曲輪としての遺構は曖昧なりに確認できます。

続いて主郭部分へと足を運んでみます。

wyokoi (12)主郭部と東曲輪間の接合部になります。

この箇所は堀切を設けて遮断するのにもってこいの場所。
・・ですが堀り切らず浅い横堀を南方面にのみ延ばし、ほぼ自然地形です。
北側には「これから堀り切ろうかな?」ぐらいの意思が切岸から感じられます。

wyokoi (11)南方面に掘られた横堀の様子。

横堀は途中で途切れて完全に掘り切られていない様子です。
途中から武者走り状の腰曲輪に接合していきます。
普請意欲を感じつつも中途半端な感を受けますね。

wyokoi (10)
主郭南側に沿って延びる武者走り状の曲輪。

wyokoi (14)
主郭内部は西へ向かう程整地されていきます。

wyokoi (6)
主郭内部からは竪堀状の作事が下段に落とされた形跡が。

2、3本の竪堀状遺構が見られますが幅が狭く下の曲輪との連絡路かもしれません。
目立った虎口遺構が確認できないので或いはここが連絡道だったとも想像します。
これも築城途中の遺構なのでしょうか?

wyokoi (5)
主郭部北の下段腰曲輪と連絡します。

wyokoi (7)こちらははっきりと残る南の下段腰曲輪。(先ほどの武者走りの延長部です)

集落に面している北の腰曲輪よりも南の腰曲輪の方がしっかりと残っています。
さらにこの南腰曲輪は尾根の南まで伸びています。
主郭部と尾根南方面との主要連絡道も兼ねていた意図を感じます。

wyokoi (8)南尾根を大きく遮断する堀切。

wyokoi (9)
南尾根の尻つぼみになった位置を掘り切っています。

wyokoi (13)
主郭側から見るとそのシャープさがよくわかります。

wyokoi (16)
標高が100メートルほど高い「お向い」の境城からは見下ろされているように感じます。

wyokoi (17)
こちらは山頂~麓への北西尾根ルートの状況です。

尾根道に大きな溝が麓に向かって伸びています。
おそらく伐採した材木を引きずり下ろすために掘られたものでしょう。
それが大量の降水時によってさらにえぐられた箇所もあると考えられます。

場所によっては城の主郭部よりも普請量が認められ驚くことがあります。
塹壕のようにも見えますし、竪土塁や竪堀のようにも見えます。
これも城に関係した遺構だと捉える方もみえるのですが、自分は同意いたしかねます。

意見が分かれるところもありますが要は「遺構と連動しているか」という点ですね。
横井城の場合は溝が主郭部から離れた所から発生しているので別物といえるでしょう。
主郭部作事を後回しにして登城ルートの普請量に人員をさくなど滑稽な話です。

wyokoi (18)北西尾根の入口奥には横井城の標柱が立てられています。
(手書き文字とても上手ですね←そこにも感動)

尾根から外れた奥地に入ったところにポツンと立っています。
何故こんな人目に付かない所に立てたのか不思議です・・。
白色標柱でなかったらまず気が付きません。それでもあるのはうれしいですが(^-^)。

「横井城付馬場」というのは主郭部から南に延びた主峰付近の平地を指します。
自然地形なのですが山中にも関わらず広大な平地が確認できます。
馬場等の施設が設営されたかもしれませんが、城郭遺構は特に認められません。

wyokoizu.jpg

横井城は南口の堀切を除けば全体的に曖昧な作事として済まされています。
はっきりとした虎口やポイントとして重視された点も特に見られません。
しかし城自体の面積としては広く完成を前に中断されたような形跡を受けます。

横井城についての記述は他の和良地区の城郭同様、不明です。
この地区が北より三木氏、南より斎藤氏の侵入を受けたというのが手掛かり。
そして各々勢力が城を築き、ある期間の睨み合いがあったということは想像できます。
(或いはある期間中に奪われていたかもしれません)

天正2年(1574)頃、加治田城主・斎藤新五郎長龍が郡上郡に侵入したようです。
その際に野尻城・境城に籠る和良遠藤氏と対峙した陣城が横井城だと伝わり考えられています。
また『郡上郡史』には斎藤佐玄太の城址、とする伝えも記述されています。

いずれにせよ時の和良の在地勢力と斎藤氏との抗争の中で横井城は築かれたのでしょう。
主郭南側の敵側の目に止まらないような隠れ武者走りはそれを暗示しているようです。
この横井城、最終形態はどんな縄張りになったのかな~なんて考えちゃいますね。

頭の中で普請の続きを思い浮かべながら城址をあとにした和良の横井城でした。


今回はⓈの和良川公園オートキャンプ場を起点としました。
キャンプ場内からかぶち橋を渡って東尾根を辿り登って行くのがわかりわすいです。
㋹の山頂部一帯が城址です。
どうもこのマップでは城主としてオオサンショウウオが君臨しているようですね・・。
Ⓖあたりに城址木柱碑が立ってます。自分のような城址碑ファンはお見逃しなく。北西尾根を下っていくとワカルと思います。
帰る時は大回りですが国道まで出てキャンプ場まで戻って一周です。
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美濃 法師丸砦 🏯小さくてもしっかり「砦」してます

美濃 法師丸砦 (岐阜県郡上市和良町法師丸)

車の運転中における「ながら運転」を厳罰化した改正道交法が施行されました。
運転中のスマホ使用やカーナビ注視など違反点数、罰則、反則金は約3倍に!(゚△゚;ノ)ノ
事故を起こすと一発免停になる可能性ありです。

・・正直申します。自分も心当たりはあるのです。
皆さんもくれぐれも法令遵守の意識をもちましょう。
・・と、ここまで厳罰化しないといけなくなった、という今の世の中なのです。

自分:「もう絶対携帯ながら運転はあかんね」
奥方:「・・その前にね、城のそばを通る時の城見ながら運転、あれもなんとかしたら・・」
自分:「ムムム・・(思い当たり過ぎて)お返しする言葉もございません・・」

城の近くでは運転しながら相当キョロキョロ、ソワソワしてるんでしょうね・・。
自覚症状はありますので言わせていただこう。
改善努力します!(これだけは自信ないな・・)

さてそんな奥方とのやりとりを脳裏に焼き付けつつ向かう山城紀行。
今回も引き続き郡上市和良地区の城砦を訪ねます。
訪れたのは法師丸砦(ほしまるとりで)です。

hosimaru (12)法師丸集落に突き出た尾根に構えられた砦です。

それほどシンボリックでない山容ですので位置がわかりませんでした。
麓でトラクターを操作していた方にお尋ねしたところご親切に教えていただきました。
わからないときは地元の方にお聴きするのが一番ですね。

hosimaru (11)
井谷洞川沿いの林道脇から谷沿いに登ってみました。

hosimaru (8)なんと途中の森の中に城址碑を発見できて狂喜乱舞ですo(≧ω≦)o。

hosimaru (6)
程なく登ると「ザッツ・堀切」に遭遇、再びの狂喜乱舞。

hosimaru (3)自然谷に沿った単純だが鋭い堀切が一条。

堀切は主郭から見て内側にハノ字型展開しています。(下に図面掲載しました)
際立った遺構はこの堀切のみですが実に原風景を残しており味があります。
西側へ竪堀となって自然谷と融合していく様が心くすぐられました。

hosimaru (5)
単郭ながらよく整地されており砦としての役割を感じさせます。

砦にはその広さからおそらく数名の見張り城番が務めていたものと思われます。
イチョウ葉の形をした小さな単郭砦です。
東側には登城口を押さえる小郭並びに虎口の形跡が見て取れます。

hosimaru (7)
小さいながら周囲は絶壁に囲まれた要害の地です。

法師丸砦の築城者や在地領主など詳しい伝えは不明です。
唯、関ケ原合戦に合わせた「八幡城合戦」にて遠藤慶隆が野尻城・法師丸砦で野営した、
という記録があります。

砦はその時急造されたものではなく、それ以前からあったようです。
尾根伝いに続く道の存在や削平された郭内の作事具合がそれを物語っています。
砦名の由来はひょっとしたら元来「法師丸」と呼ばれていたのかもしれませんね。

次回記事に予定している「横井城」とも関係をもった砦なのかもしれません。

hosimaruz.jpg
小さくてもしっかりとした「ザッツ・砦」、法師丸砦でした。


㋹が法師丸砦の主郭遺構です。東側麓のⓈあたりの斜面に城址碑が立っています。
城址碑のある谷から登ると登りやすいです。

美濃 太鼓部屋砦 🏯境城、野尻城との大三角形を成す砦

美濃 太鼓部屋砦 (岐阜県郡上市和良宮代堂場)

世の中には神秘に満ちた三角形がたくさんあります。

例えば・・。

冬の星空の大三角形(夏もありますね)(※1)。
男女関係の三角関係(・・?)(※2)。
バミューダトライアングル・・(・・??)(※3)。

※1 冬の大三角・・北半球における冬季に南東の夜空で確認ができます。
   おおいぬ座α星シリウス
   こいぬ座α星プロキオン
   オリオン座α星ベテルギウス
   の3つの1等星で構成される三角形のアステリズムであります。

※2 これに関しては久太郎の前半生で哀しいほど一切無縁なのでパス・・。

※3 バミューダトライアングルは魔の三角地帯海域を指します。
   フロリダ半島先端と大西洋にあるプエルトリコ海域、バミューダ諸島を結んだ三角海域。
   昔から船や飛行機、もしくはその乗務員のみが消えてしまうという伝説があります。

全く無意味な例ばかりですみません。
そしてここ郡上の和良地域にも和良の大三角城郭があります。
前回からご紹介している野尻城境城、そして今回の太鼓部屋砦の三城です。

taikobeya (4)境城からの北西支峰尾根に築かれた太鼓部屋砦の山容。

一般的に城郭名はその地域の地名に由来することが多いものです。
しかしこの砦に伝わる城砦名はとてもユニークですね。
「太鼓部屋」とは太鼓や鐘などで集落や本城支城へ急を知らせたのでしょうか?

いずれにせよ、監視や物見、或いは伝達的な役割を担った砦だと言えそうです。

taikobeya (11)
境城から降ってきた尾根部も城郭の一部となっています。

taikobeya (8)城域を画するように立ち塞がる尾根土塁。

土塁の下には堀切があってもよさそうですが現状では確認できません。
尾根側面が若干鞍部になっていることから以前は浅い堀切があったのやもしれません。
境城との連絡を重視したため敢えて堀り切らなかったとも解釈できます。

taikobeya (12)
土塁の上からみた本曲輪の様子。細長いですがよく整地されています。

taikobeya (13)土塁外側には石積みの痕跡も見られます。

taikobeya (15)
本曲輪周囲は急傾斜となり小さいながら要害性が強く感じられます。

特に北側と西側は法面の途中から削り落としたような痕が見られます。
この点、砦が単なる狼煙連絡台だけでなく外敵侵入に対する備えもあったといえます。
尾根で繋がっている境城との関連性が深い砦だといえましょう。

taikobeya (19)本曲輪南側に残る腰曲輪と切岸。

taikobeya (20)

本曲輪の南側に虎口と思われる遺構があります。
またスロープ状になった出入り口も別に確認できます。
境城からと麓からの連絡機能も兼ねていたように感じる空間でした。

taiko.jpg果たして「太鼓の達人」がいたのでしょうか?(笑)

taikobeya (21)

太鼓部屋砦が南東の境城を本城とするならお互いの距離は直線で約650メートル。
また境城から南西の野尻城までの直線距離もほぼ同じ約700メートル。
太鼓部屋砦と野尻城は南北で相対し、その距離は約1000メートル。

境城、野尻城、太鼓部屋砦でほぼ均等な二等辺三角形を形作っています。

三城砦が同一期に機能していたかどうかは不明です。
しかしながらこの「三角の構え」は防備面において非常に有効な選地だといえましょう。
後年、鹿倉川と和良川を扼する野尻城のみに手が加えられたのかもしれませんね。


レ点は太鼓部屋砦を示します。
Ⓢは野尻城、Ⓖは境城を示し、その位置関係を示します。
ほぼ均等な二等辺三角形となっている様がわかると思います。

※太鼓部屋砦への登城について
砦の西側麓から登ることもできそうですが個人様の獣除けフェンスがあります。
よって自分は位置関係を把握するためも境城(野尻城)の尾根から出入りをしました。
ご訪問を予定される方はその点には注意していただきたいと思います。

美濃 境城 🏯和良の大三角、頂点の城

美濃 境城 (岐阜県郡上市和良沢・上野山)

前回の野尻城散策に続いて尾根伝いに境城(さかえじょう)にも登ってみます。
野尻城の比高が70メートルに対して境城の比高はなんと300メートル!
野尻城を実に4つ分を登る、という事になります(尻込み)。

sakaej (26)野尻城背後にそびえる境城との位置関係を遠望。ひぇ~、たっけぇ~(;゜0゜)

しかも登山道は尾根沿いとはいえ非常に険峻で厳しいルート。
野尻城には散策案内が示されていますが、さすがに境城にはそれがありません。
登山者は自己責任で地形を確認しルートを辿る慎重さが求められます。

sakaej (14)
野尻城・境城見学の際は獣除けフェンスの扉を通過します。(ここまでは同じ)

sakaej (15)
野尻城出丸の北東尾根からルートを辿ります。(境城への案内はここだけ)

境城城址碑も何故か野尻城出丸尻の(無関係な)場所に立てられています。
「この先の山の上が境城ですよ」という先出し配慮でしょう・・。
何もえらい目して登らなくても「行った事にさせよう」とする優しさなのでしょうか。

しかしそんな配慮は我々には無用というもの。
むしろそういった手付かずの山城探訪にこそ本懐があります。
ここを起点に意を決して登ってみます。

sakaej (16)城址碑が立てられている、という点では大変感謝したい気分です。

登山道入口に立っている境城城址碑ですが、整備された道ではありません。
荒れた尾根道を木々を薙ぎ払い、或いは倒木をまたぎ、潜ったり・・、結構大変です。
途中途中で休憩を入れながら頂上を目指します。

やっとのおもいで頂部に着きますが、しばらくは自然地形の平地が続きます。
この平地、手を加えれば格好な曲輪になりそうなものです。
・・はて?何故この平地を城郭内に取り込まないのか?疑問が湧きます。

しかし、しばらく歩くといきなり大きな堀切が現れます。

sakaej (21)前触れなく現れる境城の西堀切。

堀切は途中から竪堀となっていきます。
谷を利用するでもなく、山の斜面ごと断ち切るといった感じのやや強引な堀切。
山頂部の西方面を南北に大きく遮断しています。

sakaej (1)
横からみるとこんな感じ。ここを堀り切った理由を知りたし・・。

sakaej (22)
境城の本丸。

堀切を越えるとよく広く削平された曲輪となります。
ここが境城の中枢部になるのですが、最初はわかりませんでした。
山の最高所であっても尾根筋との高さレベルが同じだからです。

sakaej (17)
本丸の西側微高地には今は朽ちてしまった「鎧掛けの松」の跡があります。

sakaej (18)こちらは本丸東側の堀切。

即ち境城の本丸は東西の大きな堀切に仕切られた間部分を主郭としています。
山頂ピーク部が広いため適度な場所に堀切を入れ、主郭部としたようです。
東堀切も西堀切とほぼ同規模で同じ性格、鏡写ししたような堀切配置が印象的。

sakaej (20)
本丸の南側にのみ腰曲輪が展開しています。

sakaijz.jpg大きな堀切に挟まれた主郭部と堀切外側の未整形曲輪で成り立ちます。

境城は麓の和良地域を広範囲にわたって見渡すことができる絶好の場所。
そのため周辺地域を治める在地土豪の城と見てよい、とは思います。
しかしその役割は麓の野尻城だけでは役不足だったのでしょうか?

高すぎる標高に突出した堀切遺構、またその規模に伴わない内部遺構・・。
そして南方面にのみ展開する腰曲輪と曲輪にも相当する面積の未整形空間。
これらをみると麓の野尻城の詰め城というよりは別目的の城郭とも考えられます。

長期間使われたのであれば未整形空間も何らかの普請が充てられるはず。
その点、陣城の類における臨時駐屯空間とする見方もありえないでしょうか。
未整形空間もなんらかの形で利用されていたのではと思えてなりません。

境城の築城年代や機能した期間等は詳しくはわかりません。
和良遠藤氏が野尻城と共に築城したものなのかも不明です。
でも両城を直接結びつけることはその完成度からも断言できないところですね。

次回はもう一つの支峰、太鼓部屋砦に下ってみます。


レ点は山頂一帯の境城を示します。
Ⓢは野尻城で、Ⓖは太鼓部屋砦の位置を示します。

三つの城郭を一度に効率的に見学するのであれば
野尻城→境城→太鼓部屋砦の順番に尾根を伝うといいと思います。
但し冬でもかなりの汗をかきますので着替えと多めの水分・補給食を用意したいところ。

美濃 野尻城 🏯曲輪を囲う周線土塁が美しい

美濃 野尻城 (岐阜県郡上市和良野尻・小山)

新春を迎えまして、新しい一年が始りました。。
皆様におかれましては充実した年になることを心からお祈り申し上げます。
自分も相変わらずのマイペースを大切にした行動的な年にしたいと思っております。

昨年末は仕事納めの日に営業用のトラックが突然の故障・・(-_-;)。
年明けにならないと修理にも出せない、という不運での年越しとなりました。
そんなアクシデントも「開き直り」で乗り切ってやる!、と強がってみたりもしますが・・。

「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」

・・と・・そんな決意の欠片も持ち合わせてない軟弱者・・。
ちゃっかり両手合わせてみても願っている内容は違い過ぎる。
鹿之介さんには遠く及ばないな・・。

さて、昨年末は郡上市の旧明宝村エリアの城郭を訪ね歩きました。
今回からはその足運びで郡上市の旧和良村を訪ねるという流れです。
まず最初は和良の代表郭、野尻城に行ってきました。

nojiri (1)
野尻城の麓、「九頭の宮」戸隠神社を目指します。

nojiri (2)
周辺はパワースポットとして見所に溢れています。

天の岩戸の欠片と伝わる「重ね岩」、「一本杉」や「夫婦杉」・・。
時間に余裕があったら寄ってみたいスポットばかりです。
説明版の中には「野尻城址」と「境城址」の表示もちゃんとありますよ。

nojiri (3)
戸隠神社の西から散策できます。

nojiri (4)
獣除けフェンスをセルフで開閉、少し歩くと案内標示があります。

nojiri (5)
まずは出丸に到着します。

出丸は不整形のようにも感じますが50メートルに及ぶ平地があります。
曲輪尻はやや堀切状になっており、ここも城郭の出城として機能したのでしょう。
ここから西へ辿り、野尻城の主郭部へ進みます。

またここから北の尾根を辿ると、境城へと登るルートになります。
(境城と太鼓部屋砦については次回以降改めて記事にしたいと思っております)
この地域には同じ山塊内に3つの城郭址が確認されているのも特徴です。

ここ野尻城、境(山)城、太鼓部屋砦の三城砦との関係性も興味深い所です。

nojiri (6)見上げると出丸方面に向かって伸びる竪堀がくっきりと現れます。

nojiri (7)
主郭内に到着。説明版と城址碑が立ちます。

野尻城は室町期の和良遠藤氏、遠藤清左衛門胤善の創始と伝わります。
後、美濃守護代斎藤妙椿の郡上侵攻、飛騨より三木氏の郡上侵攻を受けます。
関ケ原の戦い前には遠藤慶隆の八幡城奪回戦の陣宿としても利用されたようです。

nojiri (8)ヘディングアップの縄張り図は初心者には解りやすいかも。

nojiri (9)城址碑を見ながらの横堀、こりゃたまりません。心躍る瞬間。

nojiri (10)本曲輪と西郭との間は明確な堀切で仕切られています。

西曲輪は説明版では「二の曲輪と三の曲輪」として扱われています。
しかし厳密には3つの空間で成り立っている一連の曲輪と言えます。
外周が累線土塁で囲われている様子が観察できる郡上郡では珍しい遺構です。

nojiri (11)
かなり埋まってますが天水池(或いは井戸跡?)の跡と思われる穴。

nojiri (12)
西曲輪先端部の土塁。

nojiri (13)
西曲輪外周を累線土塁が囲みます。

nojiri (14)上部から見下ろした西曲輪の内部。

黄色矢印には不明瞭ながら虎口があった形跡が見られます。
この方面からの大手ルートがあったものと推測できます。
これ程の塁線土塁は郡上郡では他に見当たらない注目の遺構と言えます。

nojiri (15)西曲輪から見た本曲輪間との堀切はなかなかの圧巻です。

nojiri (16)
堀切を渡って本丸へ。

本丸も一部を除き外周を土塁で囲う形になっています。
削平もしっかりとされ周囲の切岸も一段とよくかけられています。
最高所だけあって三方の遺構の繋がりが確認できます。

nojiri (17)
先程通ってきた本丸南側の堀底もくっきり確認できます。

nojiri (18)
本丸周囲の切岸の様子。手前にはわかりずらいですが竪堀が。

野尻城はさほど広くないコンパクトな縄張りですが土塁普請量が多いのが特徴です。
特に西曲輪は戦闘守備に対する備えが強く感じられます。
どの時期に誰の手によって今の姿になったのでしょうか・・。

nojiriz.jpg

恐らく戦国末期から関ケ原前後の改修時期と思われます。
飛騨から侵攻を受けた際に三木氏はしばらくここ和良の地に駐屯していたようですし。
また尾根の北東山上につながる境城、北にある太鼓部屋砦との関係性も大ありでしょう。

野尻城のみを見学しただけでは自分なりの答えはとてもだせません。
・・ということは、必然的に3つの城址を見学する、ということになります。
こんなラリー訪問、ワクワクしてきますね~。


Ⓢの戸隠神社の駐車場をお借りしました。もちろん登城前には参拝させていただきました。
神社の西口に散策路入口の標柱が立っているのでそこから辿ります。
獣除けフェンスはセルフ開閉します。
Ⓖは野尻城の主郭部です。

注意事項!
野尻城の麓周囲一帯はぐるっと一周に獣除けフェンスが取り巻いています。
出入りができるのはここの散策路だけなのであらぬ方向に下山すると大変な目に遭います。
必ずこの散策ルートで行き帰りしてください(←酷い目にあった自分の精一杯の主張です(-_-;))

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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