越前 朝倉山城 🏯朝倉一門・文武の将、景連の居城

越前 朝倉山城 (福井県福井市深坂町・朝倉山)

朝倉山城は、その名前の通り、かつての朝倉一門、朝倉景連 の居城でした。
景連は一乗谷奉行衆の1人として、また同名衆として朝倉宗家を支えた人物です。
通称「玄蕃助」と呼ばれています。

e-asakura (21)雨上がりの朝倉山の山容、お椀を伏せたような形です。

e-asakura (20)
日吉神社脇から登山道があります。駐車場も数台停められるようです。

e-asakura (19) e-asakura (18)
本来なら愛車で登って行きたいところですがチェーンがかかり・・、徒歩です・・。とほほ。

ハイキングコースには地元の小学生によるお手製案内標識が要所要所にあります。
余りにもかわいらしく、元気を貰えたので紹介しながら行きたいと思います。
朝倉山の標高は173mとさほど高くはありません。

どうも朝倉一門衆は高い山城を避ける傾向にあるようです。(文化人系ですから?)

e-asakura (16)
この看板があったおかげであるモノを踏まずに済みました。

e-asakura (17) 道は折れながら登っていきます。

e-asakura (22)
危うく踏みつけそうになったヒッキー君です。

久しぶりにご対面したので心の準備ができていない・・。けど・・。
なんだか雨を喜んでいるような、なんとも至福のポーズをしていました。
一見、グロテスクですが、よくよく観察すると、かわいい奴です。

e-asakura (23)
この言葉に結構、励まされました。

この早朝、マラソン大会を走ったせいか、こういった励ましが何より嬉しい!
アスリートの心をくすぐるポイントを押さえていますね。
そしてこちら!↓

e-asakura (24)
「ゴールは目の前」の言葉に思わずペースが上がってしまう・・。

e-asakura (25)
励まされ、どうやら主郭部に到着したようです。

訪問した時期でしょう、かなりの草が伸び放題の、しかも濡れ放題・・。
ここまで来た以上、この中にダイブしなくてはいけません。
とりあえず展望台らしきところまで泳いでいきます・・。とほほ。

e-asakura (1)丸太で組まれた手作り風展望台です。

冒険心をくすぐられる構築物に童心の頃のときめきが蘇ります。
登りたい衝動に駆られるも、まずは図面付きの案内説明版を読みます。
子供に帰るのはその後でゆっくりと・・。

e-asakura (2)朝倉山の山頂に主郭を置き、周囲に郭を配した山城です。

朝倉氏が滅びた後にも一向一揆軍も立て籠もったようです。

朝倉義景は永禄4年(1561)に、この城の近くの三里浜において盛大な犬追物を開催したようです。
その盛大さは鎌倉時代の源頼朝による由良が浜の犬追物も及ばないものと賞賛されたようです。

その際、奉行職に任じられた朝倉景連は500余人の家来と共に、主君の義景を上回る豪勢な出で立ちで現れ、周囲を驚かせました。
景連は伝統行事に傾倒する主君・義景の気持ちを組める文化人でもあったようです。

また景連は弘治元年(1555年)朝倉宗滴を総大将とした加賀一向一揆攻めに従軍、加賀・津葉城を落とします。外交面でも貢献したと伝わり、執務奉行としても有能であった面がみられます。

・・さて、ではワクワクの展望台に登ってみることにします。

e-asakura (3)
雨に濡れた丸太は滑りやすいので注意が必要。

e-asakura (4)
どことなくツリーハウスのような遊び心がいいですね。

e-asakura (5)展望台からの眺望です。あ~悪天候で海面がよくみえません・・。とほほ。

雨上がりのため視界が悪いのですが、それでも抜群の眺めでした。
晴天には美しい日本海と三国方面から福井市方面まで眺め渡せたのでしょう。
これは晴れた日にもう一度来たい城ですね。

e-asakura (13)
戦時中、山頂付近には防空監視哨も設けられました。

防空壕跡らしき穴もあるとの事でしたが、生い茂った濡れ草で確認できませんでした。・・とほほ。

e-asakura (8) e-asakura (7)
本丸部には2ヶ所に虎口が確認できますが、防空監視哨の痕跡かも・・。

e-asakura (10)
本丸と二郭との間には一部に横堀が巡っているようです。

e-asakura (9)
二の郭にはテレビの送信施設が設けられているので一部壊変されているようです。

e-asakura (15)
本丸と腰郭の間には若干ですが石積?石垣?がみられました。(草を掻き分け発見!)

e-asakura (14)当時のものどうかはともかく、土留め用の石積と思われます。

e-asakura (12) 

こういったアスレチック的な物見展望台は設置場所さえ考慮していただければウェルカムです。
ただ、メンテナンスが大変なんですよね・・。耐久性があるのはせいぜい10数年でしょうから。
しかし鉄筋コンクリート製よりは味があっていいと思うのです。

とほほ三昧の山城紀行でしたが、それを上回る魅力がある山城、朝倉山城でした。
今度は(下草が刈られ)晴れた日にいつか再来したいと思いました。




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越前 安居城 🏯姉川の合戦、朝倉方総大将・景健の居城

越前 安居城 (福井県福井市金屋町)

元亀元年(1570)、織田・徳川連合軍と朝倉・浅井連合軍が激突した「姉川の戦い」
浅井長政が浅井軍の総大将であることは周知の通りですが、朝倉軍の総大将となると・・。
意外と知られていませんが、朝倉景健が、その人です。

姉川を挟んで対峙した両軍間において、開戦の火蓋をきったのは、朝倉景健軍。
そして総崩れの敗走を開始したのも景健率いる朝倉軍であったと伝わります。
まさに姉川の戦いの行方を担った最重要人物、といっても過言ではありません。

今回はその朝倉一族での重要人物、景健が居城、安居城を訪ねました。

e-agojyou (1)雨が滴る中、安居城に到着、県道からの姿を確認します。

e-agojyou (2) 与須奈神社の北から迂回して駐車場へ。

こちらの与須奈神社も安居城の出丸跡と推定され、見張り台としても良好な位置にあります。
神社と主郭部の間にも堀切の址が見られたそうですが、整地に伴い消滅したとのことです。

e-agojyou (3)
以前あった廃業ホテルが整地され駐車場になっていました。(堀も整地された、ということ・・)

e-agojyou (4) 池に沿って登城コースが整備されています。

e-agojyou (5) e-agojyou (6)
池ではカモさんたちによるシンクロの練習風景が見られました(かわいかったので)

e-agojyou (7) 雨の日の電気柵は特に注意!。

e-agojyou (8) 山の手に向かって登って行きます。

e-agojyou (17)
山の斜面が結構な急斜面になっているのがわかります。

e-agojyou (9)歩いて5分足らずで主郭部に到着。わりと楽勝です。

雨も一旦降り止みました、なんてラッキーなんでしょう!
ちなみに自分、晴男でも雨男でない、曇男と呼ばれる珍しい中間タイプの人間です。
そんなことはどうでもいいのです。

e-agojyou (10)

安居城は福井平野を一望できる日野川と一乗谷流れる足羽川の合流地点に位置しています。
城址からの見晴らしは抜群、古くから要害の地として、また交通の要衝として重要視されました。
南北朝期に越前守護・斯波高経の家臣・細川氏が城を築いたのが創築とされます。

安居城は建武の中興における戦いより機能していた、ということになります。

e-agojyou (11)「想像図」とはいえ、その出来栄えの素晴らしさは必見の価値あり。

張り出した尾根一帯を削平したいわゆる関所・陣屋タイプの城であったようです。
背後の高い山には遺構が見られない、とのことで「山腹部居館」という表現も当てはまります。
南北朝期からあまり改修をうけずに戦国期まで引き継がれたような縄張りですね。

e-agojyou (12) 主郭部はよく削平され城全体がテラスのよう。

e-agojyou (16)雨もしたたるよき石碑・・とでもいいましょうか。

自治会様方の努力によって案内看板、想像図などが立てられており、訪問しがいがあります。
石碑も夏草に埋もれることなく管理されているようで手入れがされています。
麓の金屋町や下市町の横手から簡単に登ることができるのもうれしいですね。

e-agojyou (13)
虎口を内側からみます。

e-agojyou (15)
北東部には土塁がよく残っていました。

e-agojyou (14)
敢えて尾根を掘り切らず、山側斜面際いっぱいまでスペースを確保しています。

姉川合戦図屏風(福井県立歴史博物館:所蔵)に描かれた総大将・朝倉景健の姿は・・。
自軍の劣勢を感じ、自ら戦おうと馬にまたがるところを従者に引き留められる様子が描かれます。
果たして彼は主君・義景の代理指揮官として役不足だったのでしょうか?
(義景自身の采配能力も疑問ですが・・)

・・そうとも言えないようです。

同年9月20日の下坂本の合戦では織田家臣の森可成森長可の父)と信長の弟・織田信治ら750余人を討ち取るという戦果を挙げています。

そして天正元年(1573年)8月13日の刀根坂の戦いでは奮戦して、切腹を覚悟する主君・朝倉義景を励まし越前へ逃がすことに成功しています。

朝倉家が滅ぶと信長に降伏し、姓を安居と改め、所領を安堵されます。
しかし翌年、越前で一向一揆が起きると一揆方に降伏。
天正3年(1575年)、織田軍の越前再侵攻の際は、織田軍へと再び叛意。
一揆の指揮官・下間頼照・下間頼俊らの首を持参して信長に許しを乞うも認められず、自害させられました。

哀れな最期ですが、一族の中で信頼して朝倉軍を託せるのは彼をおいて誰もいなかったのでしょう。
腰の重い主君・義景や腹に一物を持った景鏡らに代わって奮戦している姿が見られます。
自分の目には景健が朝倉宗家のため懸命に応え、努力している忠義の士と映りました。

再び降り出した真夏の雨がちょっぴりもの悲しさをかもしだすのでした。


安居城の主郭部を指しておきます。

越前 三留城 🏯三留朝倉氏の居城

越前 三留城 (福井県福井市三留町) <市指定史跡>

三留城は、室町時代に朝倉景冬によって築かれたと伝えられています。
景冬は、朝倉氏初代孝景の六男景儀の子で三富氏を称し、その後景冬・景総・景久と続きます。
東の五井山山頂部に詰城があり、平時は正寿寺にとなっている地に居館が築かれていました。

mitome (8)三留城の本丸部と居館部を南から眺めます。

写真の左にある丘には気比神社があり、やはり城郭の一部だったようです。
雨も降りだし、時間的にも制約があったので山城への登城は断念いたしました。
今回は居館部のみの見学といたします。

mitome (1)
正寿寺の前に説明版が用意されていました。

mitome (3)
三留城主、朝倉景久は一乗谷の朝倉氏滅亡の直前に織田氏に従ったのですが、
翌年の一向一揆の攻撃では前波吉継に攻められて景久は戦死します。
景久の遺児・千代雅丸が住職として先祖の菩提を弔ったというのが居館址に位置する正寿寺です。

mitome (5)
正寿寺の山門です。

お寺は全体的に小高い丘となり居館部として最適な条件に思えました。
正寿寺の裏奥には朝倉景冬公の五輪塔があります。
ただ・・、どれだかわからず(塔が複数あり)写真は割愛いたします。

天候が良く、もう少し時間があったらじっくりと詰めの本丸まで見学したかったです。(残念)



越前 川島城 🏯朝倉宗滴の養子、景紀の居城

越前 川島城 (福井県鯖江市川島町)

川島城は南北朝時代、南朝方であった河島蔵人惟頼の居城とされます。
その後、永禄七年(1534年)から元亀二年(1571年)までは朝倉景紀が居城しました。
景紀は(かげとし)とか(かげのり)と読みます。

景紀は越前国主・朝倉孝景の弟で、朝倉宗滴の養子となりました。
養父に劣らず武勇に長け、京都出陣、加賀出陣と従軍し活躍しました。
通称「孫九郎」です。

享禄4年(1531年)頃に敦賀郡司職に就き、積極的に軍事行動を行います。
永禄4年(1561年)5月、若狭武田氏の要請で朝倉軍総大将として出陣し逸見氏の叛乱を鎮圧。
また、若狭国三方郡の粟屋勝久ともたびたび交戦しています。

また景紀は、一乗谷で行われた連歌会の興行担当を務めたり、曲水宴の歌会参加など、
義父・宗滴と同じく和歌・連歌などにも深く通じた文武両道の人物であったようです。
朝倉一族は元々教養あるお家柄ですからね。(さすがです)

そんな朝倉氏一門の居城とあって「訪ねてみよう」、というのが軽いきっかけです。

e-kawasima (1)
川島町の専立寺の東の脇道を山中に登っていきます。

駐車場は専立寺さんの駐車場をお借りいたしました。
城址への道はお寺の向かって左の脇道がわかりやすいです。
ゆるやかな細道を林に向かって歩いていきます。

e-kawasima (2) 歩いてゆくと獣除けのゲートが現れました。

かんぬきを通行の度に元通りに施閂する、というマナー条件で先に進みます。
進むとすぐにまた動物除けの電気柵が巡っていますので、これも大股で越えて行きます。
・・このあたり、なんとなく城の防御ラインに入ったような錯覚を受けるのです。

e-kawasima (6)
・・?、左側に何か立ってる。・・墓石かな?

e-kawasima (3)墓石に非ず、川島城城址石碑でありました!w(゚o゚)w

辺りは普通の地山そのもので、城を構えるような地形には見えません。
若干の段が見られますが、この付近が本当に城址なのでしょうか?
辺りは草が生い茂り、これといった遺構も確認できませんでした。(残念)

e-kawasima (5) 石碑裏面。

e-kawasima (4)
なんとなく確認できた唯一の遺構の土塁と堀?(それも自信ナシ・・)

地形的には山城というより、山麓居館の体裁です。
城の範囲も特定できず、これといって認識できる遺構が見つけられません。
おそらく背後の尾根山頂部に詰めの施設があったものかもしれませんが・・。

時間的な制約もあり、背後の山には踏み込みませんでした。
・・でもこれで充分、撤退します。

実は景紀は同族の朝倉景鏡とは険悪の仲だったようです。
嫡男・景垙が大将の座を巡り景鏡と争った際、敗れて陣中で自害する、という異常事件が発生。
以後、両者は激しく対立し、席次を巡って争いを起こす始末でした。

朝倉宗滴、そして景紀、景垙の煮えたぎる武士の血は、次男の景恒へと受け継がれます。
朝倉景恒に関しては 越前・金ヶ崎城、天筒山城で触れています。

朝倉氏一門、敦賀郡司系に頑固一徹家風を感じました。

(それにしても景鏡クン、だからあなたは不人気なんだよな・・・)



越前 小丸城 🏯府中三人衆、佐々成政の居城

越前 小丸城 (福井県越前市五分市町) <県指定史跡>

府中三人衆の一人、佐々成政公の越前での赴任地を訪ねます。
自分は成政が男気に溢れた人物だと勝手にイメージしています。・・今でも。

信長軍団の黒母衣衆(筆頭格)として、戦い続けてきた姿。
信長の死後、秀吉に降った前田利家に対して戦いを挑む姿。
それでも諦めず家康との連携を図って真冬のアルプス越えを果たした姿。

敬愛して止まない佐々成政公はここ越前でどのような統治をしたのでしょうか?
越前での評判はどうだったんでしょうか?・・、小丸城の今は?・・。
・・そんな想いに応えてくれたのがこちら↓・・。

komarujyou (1)
いきなり、奥の手を出してきたようです。

小丸城が交通安全に一役買ってくれている姿に感動して笑い涙が・・。
このダジャレセンスに福井県人の高いレベルを感じます。(マジで)

komarujyou (9)
小丸城は平野部の小高い丘として本丸一帯が残っています。

komarujyou (4)最も大きく存在感のある石碑がこちら!そしてその他にもたくさんの碑が・・。

komarujyou (7) komarujyou (6)
komarujyou (5) komarujyou (3)

こんなに碑がいっぱいあって困るじょう!(小丸城)
・・↑こんなセンスでいかがでしょうか?(アウト!)
しかし、確かにありすぎじゃないでしょうか?しかも固めて設置してある・・。(勿体ない)

komarujyou (13)
本丸周囲は堀で囲まれていました。

天正3年(1575年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を置き、
越前府中に前田利家・佐々成政・不破光治を配置しました。(この説明3回目)
佐々成政は小丸城を築城、越中・富山へ移るまでの居城となりました。

komarujyou (11) 本丸の様子。

komarujyou (2)本丸主郭の虎口です。天板の巨石が印象的。穴門にもみえます。

komarujyou (8)
堀底は箱堀となり、幅が広いことが感じられます。

成政の在城年数は短かったため、どれだけの完成度に達したのかは不明です。
しかし、付近には「小丸」、「北小丸」をはじめ、「古城」、「御館」、「的場」、「鉄砲町」など
城郭関連の小字が残 っており、城郭が広範囲にわたって存在していたと推定されます。

成政公のことですから、占領国の城下町編成にも腐心したことでしょう。

交通ルールを守って次の城へと向かうのでありました。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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