越前 朝倉山城 🏯朝倉一門・文武の将、景連の居城
越前 朝倉山城 (福井県福井市深坂町・朝倉山)
朝倉山城は、その名前の通り、かつての朝倉一門、朝倉景連 の居城でした。
景連は一乗谷奉行衆の1人として、また同名衆として朝倉宗家を支えた人物です。
通称「玄蕃助」と呼ばれています。
雨上がりの朝倉山の山容、お椀を伏せたような形です。

日吉神社脇から登山道があります。駐車場も数台停められるようです。

本来なら愛車で登って行きたいところですがチェーンがかかり・・、徒歩です・・。とほほ。
ハイキングコースには地元の小学生によるお手製案内標識が要所要所にあります。
余りにもかわいらしく、元気を貰えたので紹介しながら行きたいと思います。
朝倉山の標高は173mとさほど高くはありません。
どうも朝倉一門衆は高い山城を避ける傾向にあるようです。(文化人系ですから?)

この看板があったおかげであるモノを踏まずに済みました。
道は折れながら登っていきます。

危うく踏みつけそうになったヒッキー君です。
久しぶりにご対面したので心の準備ができていない・・。けど・・。
なんだか雨を喜んでいるような、なんとも至福のポーズをしていました。
一見、グロテスクですが、よくよく観察すると、かわいい奴です。

この言葉に結構、励まされました。
この早朝、マラソン大会を走ったせいか、こういった励ましが何より嬉しい!
アスリートの心をくすぐるポイントを押さえていますね。
そしてこちら!↓

「ゴールは目の前」の言葉に思わずペースが上がってしまう・・。

励まされ、どうやら主郭部に到着したようです。
訪問した時期でしょう、かなりの草が伸び放題の、しかも濡れ放題・・。
ここまで来た以上、この中にダイブしなくてはいけません。
とりあえず展望台らしきところまで泳いでいきます・・。とほほ。
丸太で組まれた手作り風展望台です。
冒険心をくすぐられる構築物に童心の頃のときめきが蘇ります。
登りたい衝動に駆られるも、まずは図面付きの案内説明版を読みます。
子供に帰るのはその後でゆっくりと・・。
朝倉山の山頂に主郭を置き、周囲に郭を配した山城です。
朝倉氏が滅びた後にも一向一揆軍も立て籠もったようです。
朝倉義景は永禄4年(1561)に、この城の近くの三里浜において盛大な犬追物を開催したようです。
その盛大さは鎌倉時代の源頼朝による由良が浜の犬追物も及ばないものと賞賛されたようです。
その際、奉行職に任じられた朝倉景連は500余人の家来と共に、主君の義景を上回る豪勢な出で立ちで現れ、周囲を驚かせました。
景連は伝統行事に傾倒する主君・義景の気持ちを組める文化人でもあったようです。
また景連は弘治元年(1555年)朝倉宗滴を総大将とした加賀一向一揆攻めに従軍、加賀・津葉城を落とします。外交面でも貢献したと伝わり、執務奉行としても有能であった面がみられます。
・・さて、ではワクワクの展望台に登ってみることにします。

雨に濡れた丸太は滑りやすいので注意が必要。

どことなくツリーハウスのような遊び心がいいですね。
展望台からの眺望です。あ~悪天候で海面がよくみえません・・。とほほ。
雨上がりのため視界が悪いのですが、それでも抜群の眺めでした。
晴天には美しい日本海と三国方面から福井市方面まで眺め渡せたのでしょう。
これは晴れた日にもう一度来たい城ですね。

戦時中、山頂付近には防空監視哨も設けられました。
防空壕跡らしき穴もあるとの事でしたが、生い茂った濡れ草で確認できませんでした。・・とほほ。

本丸部には2ヶ所に虎口が確認できますが、防空監視哨の痕跡かも・・。

本丸と二郭との間には一部に横堀が巡っているようです。

二の郭にはテレビの送信施設が設けられているので一部壊変されているようです。

本丸と腰郭の間には若干ですが石積?石垣?がみられました。(草を掻き分け発見!)
当時のものどうかはともかく、土留め用の石積と思われます。
こういったアスレチック的な物見展望台は設置場所さえ考慮していただければウェルカムです。
ただ、メンテナンスが大変なんですよね・・。耐久性があるのはせいぜい10数年でしょうから。
しかし鉄筋コンクリート製よりは味があっていいと思うのです。
とほほ三昧の山城紀行でしたが、それを上回る魅力がある山城、朝倉山城でした。
今度は(下草が刈られ)晴れた日にいつか再来したいと思いました。
朝倉山城は、その名前の通り、かつての朝倉一門、朝倉景連 の居城でした。
景連は一乗谷奉行衆の1人として、また同名衆として朝倉宗家を支えた人物です。
通称「玄蕃助」と呼ばれています。


日吉神社脇から登山道があります。駐車場も数台停められるようです。


本来なら愛車で登って行きたいところですがチェーンがかかり・・、徒歩です・・。とほほ。
ハイキングコースには地元の小学生によるお手製案内標識が要所要所にあります。
余りにもかわいらしく、元気を貰えたので紹介しながら行きたいと思います。
朝倉山の標高は173mとさほど高くはありません。
どうも朝倉一門衆は高い山城を避ける傾向にあるようです。(文化人系ですから?)

この看板があったおかげであるモノを踏まずに済みました。


危うく踏みつけそうになったヒッキー君です。
久しぶりにご対面したので心の準備ができていない・・。けど・・。
なんだか雨を喜んでいるような、なんとも至福のポーズをしていました。
一見、グロテスクですが、よくよく観察すると、かわいい奴です。

この言葉に結構、励まされました。
この早朝、マラソン大会を走ったせいか、こういった励ましが何より嬉しい!
アスリートの心をくすぐるポイントを押さえていますね。
そしてこちら!↓

「ゴールは目の前」の言葉に思わずペースが上がってしまう・・。

励まされ、どうやら主郭部に到着したようです。
訪問した時期でしょう、かなりの草が伸び放題の、しかも濡れ放題・・。
ここまで来た以上、この中にダイブしなくてはいけません。
とりあえず展望台らしきところまで泳いでいきます・・。とほほ。

冒険心をくすぐられる構築物に童心の頃のときめきが蘇ります。
登りたい衝動に駆られるも、まずは図面付きの案内説明版を読みます。
子供に帰るのはその後でゆっくりと・・。

朝倉氏が滅びた後にも一向一揆軍も立て籠もったようです。
朝倉義景は永禄4年(1561)に、この城の近くの三里浜において盛大な犬追物を開催したようです。
その盛大さは鎌倉時代の源頼朝による由良が浜の犬追物も及ばないものと賞賛されたようです。
その際、奉行職に任じられた朝倉景連は500余人の家来と共に、主君の義景を上回る豪勢な出で立ちで現れ、周囲を驚かせました。
景連は伝統行事に傾倒する主君・義景の気持ちを組める文化人でもあったようです。
また景連は弘治元年(1555年)朝倉宗滴を総大将とした加賀一向一揆攻めに従軍、加賀・津葉城を落とします。外交面でも貢献したと伝わり、執務奉行としても有能であった面がみられます。
・・さて、ではワクワクの展望台に登ってみることにします。

雨に濡れた丸太は滑りやすいので注意が必要。

どことなくツリーハウスのような遊び心がいいですね。

雨上がりのため視界が悪いのですが、それでも抜群の眺めでした。
晴天には美しい日本海と三国方面から福井市方面まで眺め渡せたのでしょう。
これは晴れた日にもう一度来たい城ですね。

戦時中、山頂付近には防空監視哨も設けられました。
防空壕跡らしき穴もあるとの事でしたが、生い茂った濡れ草で確認できませんでした。・・とほほ。


本丸部には2ヶ所に虎口が確認できますが、防空監視哨の痕跡かも・・。

本丸と二郭との間には一部に横堀が巡っているようです。

二の郭にはテレビの送信施設が設けられているので一部壊変されているようです。

本丸と腰郭の間には若干ですが石積?石垣?がみられました。(草を掻き分け発見!)


こういったアスレチック的な物見展望台は設置場所さえ考慮していただければウェルカムです。
ただ、メンテナンスが大変なんですよね・・。耐久性があるのはせいぜい10数年でしょうから。
しかし鉄筋コンクリート製よりは味があっていいと思うのです。
とほほ三昧の山城紀行でしたが、それを上回る魅力がある山城、朝倉山城でした。
今度は(下草が刈られ)晴れた日にいつか再来したいと思いました。
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