FC2ブログ

遠江 鯉山砦 🏯千頭峯城・南方面の支城

遠江 鯉山砦 (静岡県浜松市北区三ヶ日町三ヶ日・鯉山)

前回、千頭峯城の記事で少しだけ触れた鯉山砦にも登ってみました。
「砦」といっても登ってみると、意外としっかりとした遺構が残っている例はよくあります。
そんな期待感が自分の城めぐりの原動力なのかもしれません。

さて、千頭峯城は東三河に繋がる本坂峠と宇利峠を押さえる要衝、中継地として絶好です。
しかし、唯一の欠点を挙げるとするならば、浜名湖沿いにありながら、その湖面を直視できない、
という点が惜しまれる城郭だと思います。

その視界を立ち塞ぐのが、千頭峯城の南に位置する鯉山。
当然、浜名湖方面からの情報はこの鯉山を介して受け取ることになります。
ここに砦が築かれた理由はやはりあるんですね。

それでは見ていきたいと思います。

koiyama (10)
東名高速道路付近から見上げる鯉山砦。

千頭峯城からの距離は直線でおよそ900メートル。
何か事が起きて、千頭峯城まで駆け走っても5分で行ける距離です。
・・あ、これトレラン経験者は語る、って感じです。

koiyama (1)
非常にわかりにくい所に案内板があります。

千頭峯城からなら「オレンジロード」という道から入るといいと思います。
名前はお洒落ですが、実はみかん畑管理の農免道路、といったところでしょうか。
にしても、なかなかいい道ですよ。

koiyama (2)
このプレートが目印ですが、本当に目立たない!

近くの待避所に車を停めていきました。
車道脇、山腹のこの案内プレートを探すのが第一関門です。
思いつきで気分のまま、目ぼしい斜面から登ってみる、というのもアリかと思います。

まさに「気まぐれオレンジロード」といったことろでしょうか・・。
(これが言いたかっただけ)

koiyama (8)
ブッシュを掻き分け進むと、幅はあっても浅い堀切が現われます。

付近には切通りと思われる峠道を掘り切った遺構もあります。
よってこれが城の遺構なのかどうかは疑わしいかもしれません。
図面には現況遺構、として記録だけしておきました。(文末に図面あります)

koiyama (7)
鯉山砦の主郭部に到着します。

尾根伝いに西へ向かうと一段高くなった本曲輪が現れます。
単郭の本曲輪ですが、周囲を帯曲輪がとりまいています。
切岸はあまりかけられていません。

koiyama (3)本曲輪の南面には部分的に土塁が確認できます。

虎口を兼ねていたものか、中央部分が途切れている土塁です。
かつては本曲輪全周を巡っていたのか不明ですが、他の箇所には見当たりません。
北側には一応片堀切らしき遺構も存在しますが、遮断性はほぼありません。

koiyama (5)
帯曲輪にも外周に沿って数ヶ所の土塁痕跡があります。

koiyama (4)
この窪み、果たして烽火台の址なのでしょうか??

本曲輪の西側斜面には円形状に掘り込まれた窪みが見受けられます。
直径2~3mの凹みからして連絡用の烽火台なのではないか、と想像してしまいます。
こうして見ると砦は連絡・中継用の見張り台を目的としたのか、と思われます。

koiyama (9)砦近くからは猪鼻湖と浜名湖の様子が眺望できます。

千頭峯城からは見ることができない様子をここからなら伝達できましょう。
本城山・尾奈城も確認できるので千頭峯城との懸け橋的存在です。
また東三河方面からの連絡も受けられる位置にある、といえます。

koiyamaz.jpg鯉山砦の現況図です。

この様に防御的には特に目立った遺構を持たない鯉山砦です。
しかし狼煙台・伝えの城、と限ってみれば立地的にも理解できます。
千頭峯城の南方面の「目」となった、と考えられるでしょう。

鯉山砦、ひょっとしたら、南北朝期からの遺構が部分的に残った姿、なのかもしれません。


Ⓢは千頭峯城、Ⓖは鯉山砦の主郭部を示します。
鯉山砦は南の林道に案内板がありますが、登山道は未整備です。
スポンサーサイト

遠江 千頭峯城 🏯本坂峠と宇利峠を押さえる国境の要衝

遠江 千頭峯城 (静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶・センドウ山)<県指定史跡>

この春から次男が名古屋の大学に入学することになりました。
奥方の実家・静岡へご報告と休暇を兼ねての帰省です。
遠くからいつも孫たちの事を気にかけてくださる義父と義母には感謝ですね。

さて、今回は空いた時間(正確には空けた時間)をいただいて浜名湖沿いを北上。
千頭峯(せんとうがみね)城を久し振りに訪問してみました。(20年振りです)
この城は登りやすく、実に色々な遺構が残っていて見学しやすいのでおススメです。

senntou (31)やや雨模様時の千頭峯城、比較的なだらかな城山です。

makayaji1.jpg
麓の摩訶耶寺から登るのが解りやすいでしょう。

東側の道路の千頭峯トンネルの南側の入口付近からも城専用の駐車場があります。
摩訶耶寺では素晴しい庭園も見学可能ですし(拝観有料)、城の大手にも相当します。
雰囲気を味わえるので自分はこちらから登りました。

senntou (29)
野地城の城門が山門に移築された、と伝わる高麗門をくぐります。

senntou (2) senntou (3)
寺の東脇の道から一応案内があり、ミカン畑へと進んでいきます。

senntou (25)
まっすぐ北へ登り上がれば主郭までつながっている登山道。

この道は本曲輪(主郭部)への最短ルートです。
しかし、途中に現われる幾つかの腰郭をぶった切って造られた後世のルートでしょう。
大手道は途中から西側を回り込むように延びていたものと思われます。

senntou (4)
その大手を直下に押さえていたと思われる南曲輪の土塁。

senntou (5)
背後と直下には大規模な竪堀が用意されていました。

senntou (6)
そのまま急斜面を登り切れば本曲輪に到着します。

南曲輪から西曲輪へは連絡ルートがありますので、こちらが本来の大手かもしれません。
そしてここから二の曲輪、本曲輪、と至ったのでしょう。
西曲輪も周囲を土塁で囲まれており、虎口が備わっています。

senntou (14)
西曲輪と二の曲輪間は深い堀切で画されています。

発掘調査では、遺物が西曲輪から二の曲輪一帯で多く出土したようです。
城内での生活空間がこの西側にあったと考えられています。
削平もしっかりかけられ、広い空間が集中していることからも窺えます。

senntou (15)二の曲輪から見上げる本曲輪の切岸。

二の曲輪は本曲輪を西から北、東へとぐるっと半周囲んでいます。
本曲輪との高低差も大きく、中央部の窪地によって2つの空間に分かれています。
本曲輪周囲にかけられたシャープな切岸を見学できるビュースポットでもあります。

senntou (17)
二の曲輪東から本曲輪へのルートが延びます。

上の写真を撮影した立ち位置にはかつて低い土塁跡が認められたようです。
現在はほぼ判別不可能なほどに自然消滅しています。
いよいよ正面の木段を登れば本曲輪。

senntou (22)土壇のある本曲輪に到着しました。

3月末日に訪れたにも関わらず既に散り始めている中央の山桜。
静岡県の春の訪れは結構早いんですね・・。
眺望は望めませんが、曲輪内はとても整備されていて長椅子も用意されてました。

senntou (8)

senntou (9)案内板には城歴案内と周辺城砦とのの関わりが示されています。

senntou (10)一帯は城郭網が形成されていたようです。

千頭峯城は中千頭峯砦、長岩砦、鯉山砦などの出丸・支城とで構成されています。
現在残る遺構は戦国時代の今川氏か、徳川氏による改修を受けている、という見方が妥当です。
南北朝時代の千頭峯城は東の中千頭峯砦に比定する考えもあります。
(中千頭峯砦も見学しましたが、現在みかん畑となって全壊状態でした)

senntou (11)高師兼によって攻められたという記録もあります。

千頭峯城は井伊道政が後醍醐天皇の皇子・宗良親王と供に籠もった三岳城・西方の支城でした。
井伊氏一族の奥山朝藤を守将として浜名神戸荘官県氏、大江氏などが籠もった城とされます。
戦国期の記録がよく残っていないのが残念ですが、徳川氏との関りが注目されます。

senntou (21)
東尾根には東曲輪が続きます。

かつては曲輪内を2条の堀切が存在したようです。
内側の堀切は開墾によって全壊、しかし痕跡はなんとなく感じられます。
以前の縄張り図にはそれが示されていて貴重です。

その事実を知らずに現地を訪ねると、「どこにそんな堀切があるんだ(怒)!」
と何度も縄張り図を見比べてしまうことになります。
そういった断り書きを加えた「縄張り現況図」といのも必要な昨今かな、と思いましたね。

senntou (18)
東曲輪の北側には井戸曲輪があります。

senntou (19)
直径で3メートルほどの素掘り井戸、斜面なのによく掘ったものです。

千頭峯城の記録は南北朝時代のものですが現在の遺構は明らかな戦国期遺構。
一部消失した堀切や土塁はあるものの、全体的にはよく残っている遺構群だと思います。
要の部分には土塁や堀切、竪堀を備え、削り込んだ箇所も見られました。

今回はじっくりと作図をしながらの見学でしたので「現況図」として参考になれば幸いです
senntougaminez.jpg

千頭峯城は遠江と三河の国境近くに位置しています。
東三河方面から往来できる本坂峠と宇利峠を同時に監視できる要衝といえましょう。
そして同時に浜松や二俣にかけての中継地点としても重要視されていました。

それぞれの峠方面に向かって西曲輪と南曲輪が受け持つが如く展開しているような・・、
そんな感じを受ける縄張りです。
おそらく南に位置する本城山・尾奈城とも関りが深い城郭なのではないでしょうか。

senntou (26)
中腹の開けた場所から鯉山砦が確認できます。

千頭峯城の支城網の中では遺構がよく残っています。(支城を全てを見てないですが・・)
鯉山砦にも根性で行ってきましたので後日記事にしたいと思っております。
出丸、支城、という表現がピッタリな感じの砦でした。

・・それにしても、

奥方の実家に帰っておりながら相変わらずやってることはなんら変わりません。
これだけは決してブレることがないようなので、今後ともよろしくお願いいたします・・。
・・って今更何言ってんだか・・(冷汗)


Ⓢは摩訶耶寺の駐車場をお借りしました。
Ⓖは千頭峯城の本曲輪。

遠江 尾奈城 🏯猪鼻湖と浜名湖を同時監視できた城

遠江 尾奈城 (尾奈砦・本城山城) (静岡県浜松市北区三ヶ日町下尾奈・本城山)

年末になると奥方のご実家に帰省して2日程滞在いたしております。
その間のお楽しみはお餅つきのお手伝いと近所の城めぐりでして・・。
しっかりとお手伝いをしたら、しっかりと城に浸りに行くのが恒例でして・・。

親戚の方々:「今日はどこまで行くんだい?」
自分:「今日は〇〇の××城まで行ってこようと思ってるんです」
親戚の方々:「へぇ~、○○なんかに城址なんてあるの??」

親戚の方々一同:「帰ったらどんなんだったか聞かせてよ」

・・てな感じで夜の宴会はその報告がネタになります。
皆さん酒の肴に?一所懸命聞いてくれるのでこちらも熱が入ってしまいます。
そこにはやはり郷土愛という特別な想いを感じるのです。

今回訪問した城は静岡県の旧三ケ日町と湖西市境に位置する尾奈城です。

onat (9)浜名湖と猪鼻湖が繋がる瀬戸の本城山山上に構えられました。

山上から見て南が浜名湖面、北が猪鼻湖面という風光明媚な場所です。
標高はさほどでもない山ですが登山口が藪に覆われてわからないのが難点です。
一昔前には山上に展望台もあり、遊歩道もあったのですが・・。勿体ないことです。

onat (3)
いきなり本丸に到着写真ですみません。

頂上の本丸は広い楕円形を呈しており、よくならされています。
ほぼ単郭の主郭部ですが、南から南東にかけて帯郭が点在しています。
木々が茂っていなければ周囲の湖が一面に展開しているのでしょう。(ちと残念)

onat (4)尾奈砦・本城山城遺跡の説明版。

・・すでに説明版自体が遺跡と化しているようです。
古代文字を判読するようなレベルですので、以前訪問した際の要約メモの出番です。
(その時はなんとか読めてました)

この尾奈砦は、摩訶耶の千頭峯城の南方重要な拠点でした。
敵監視のために築かれたもので、規模は狭小ながら、本城山(標高135.4km)の山頂に東西70m南北40mの削平塁段とその西方に幅5mの二重の堀が並列しています。
浜名湖を距て南方の眺望は極めて良く、千頭峯城南朝方の東海方面監視の役の城として、また湖西方面より湖北に侵入しようとする敵を抑制する拠点として極めて重要な砦であった。
明治初期に砦の石垣は解体されたようです。
(大体こんな内容のことが書かれてました)

onat (5)本丸東側に居並ぶ石積。

東側の登り口に向けて後付けしたような列石。
解体された、と記されていますが、敢えてこの場所にあるのは怪しい・・。
当時のものかどうかは疑う必要があると考えられます。

onat (6)とは言っても土留め役割は果たしている訳で判断は難しい・・

onat (1)西の尾根筋にみられる堀切からの竪堀。

onat (2)
並列二重竪堀間の様子です。

onatg (1)
写真ではお伝えでないほどの幅広の土橋です。

広い土橋の両脇には巨大な竪堀が落とされています。
特に北側に向かって落ちる竪堀は二条あり、並列畝竪堀となっています。
堀の途中に継ぎ目を入れたような「段竪堀」を呈する非常に珍しい遺構です。

onahonnjyou.jpg

また本丸の南東には堀底からつながる折れのかかった虎口が確認できます。
西側に続く広い平地は地山で普請した様子が全くありませんので、駐屯地とも想像できます。
じっくり観察すると小規模ながらテクニカルポイントがあり、充分見応えがあります。

南北朝期の遺構から下って戦国期にも部分的に改修された可能性も感じます。
浜名湖周辺の城郭は今川・徳川両氏による城郭再構築もあったようですから。
「本城山」、と言われるように一支城から主城としての役割を担った時期もあったのでしょう。

onat (8)
遠江八景・瀬戸夜雨(せとのやう)もすぐ麓にあります。

猪鼻湖と浜名湖がつながる瀬戸の名勝です。
突き出た岩の上に祀られた社まで歩いて行けます。
ご訪問の際はご一緒に散策できますよ。



登山口が非常にわかりずらいのが難点です。
自分は遺構確認のため瀬戸トンネルの真上に階段で登り、尾根沿いに直登しました。(Ⓢ地点)
途中に広い散策道に出ましたが南北どちらに行っても途中で藪と化し、消えかかっています。
なんとか山頂部(Ⓖ地点)に辿り着こうという気合も時には必要かと。
公におススメできる駐車場はありません。

遠江 中ノ郷城(松田城) 🏯

遠江 中ノ郷城(松田城) (静岡県湖西市新居町中之郷・城ノ前)

今年のお盆も奥方実家にてのんびりと過ごしてまいりました。
先祖参りに毎年家族でお墓参りに行くのですが、何のご縁か、そこはかつての城址。
お参りしながらどこかソワソワしてしまう自分がいます。

お寺の墓地でカメラを片手に右往左往する所業はもはや迷惑防止条例違反。
しかもお盆の迎え火を焚きながら・・。
一体、自分の心はどこにあるのでしょう??

mituya (4)かつては城址であったと云われる中ノ郷城跡の丘。

現在は浜名湖自動車学校の教習場と清源院の一部となっていて遺構はありません。
かつてはもう少し標高が高い丘になっており、周囲三方を浜名湖に囲まれた湖城であったようです。
中之郷城は「松田城」とも呼ばれ、永正年間(1504-1521)に織田方の松田修理が城主として居城していたそうです。

mituya (3)
城主・松田氏の館があったと伝わる清源院一帯。

mituya (2)
山門脇には、松田修理ゆかりの「駒止めの桜の碑」が建てられています。

mituya (5)城ノ前遺跡の案内版=城跡説明版、と解釈してもよろしいかと。

案内板では、「言い伝えによると」・・と前置きをしつつも、
最後の行に「中世の城があったといわれている」という頼もしい一言。
発掘調査によって検出された「城の堀」とは畝状竪堀であった、との見解もあります。

松田城は永正三年(1506)、今川方の部将中山民部入道生心によって攻め落とされたといわれます。
永正十三年(1516)の「本興寺文書」には中山民部の名が見られることから、この頃には彼が城主であったのでしょう。
永正年間といえば、この時期は駿河・今川氏親の勢いが遠江や西三河地域に延びた頃です。

駿河・今川氏の三河進攻時期に何らかの影響をうけた城であるといえましょう。

mituya (1)
イチジクの木陰ではクワカミキリくんがじ~っと休んでました。



Ⓢは清源院の参拝者駐車場
Ⓖには城ノ前遺跡説明板

遠江 堀川城 🏯家康、鬼の撫で斬り攻め、の城

遠江 堀川城 (静岡県浜松市北区細江町気賀) <市指定史跡>

horikawa (7)
これといった遺構はありませんが、説明版と石碑は充実してます。

堀川城は浜名湖を背に都田川の水を引き、満潮時には徒歩での入城ができないようになっていました。
対岸の宇津山城とは船での往来ができた、という記録もあります。
今川方に属していた土豪たちはこの地形を利用し堀川城を築いて徳川に備えます。

horikawa (6)

horikawa (1)

これも大河ドラマ効果でしょうね。案内板が以前よりパワーアップした内容になってます。
この堀川城の戦いでのポイントは徳川家康による苛烈な城攻めが敢行された、ということ。

土豪たちが村人を結集し、連合してこの城に立て籠ったのです。
堀川城の城兵は約二千人とはいえ大半が百姓主体の男女入り混じった村人らでした。
これに対し徳川勢は「撫で斬り」による掃討戦を繰り広げます。

horikawa (5) 城内の塚とみられます。

調略や戦略を駆使して戦いをすすめるイメージの家康ですが、
この戦いでは、見境いなき殲滅戦を実行したようです。
説明版にもこのことは「家康の残虐な戦い」とされ汚点になっているようです。

しかし・・。家康にしてみれば・・。
進めてきた遠江平定が水泡に帰すようなことにもなりかねず、かつ、
三河への退路を絶たれるわけですから必死になるわけですね。

ここでは、家康に心のフォースの乱れを感じます。

horikawa (3)往時の城の姿は想像するに、干潟上に浮かんでいた浮城だったのかも。



テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
05 | 2019/06 | 07
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数