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美濃 勝山城 🏯日本ラインを見渡せる濃尾攻防の要城

美濃 勝山城 (猿啄城) (岐阜県加茂郡坂祝町勝山・城山) <町指定史跡>

突然ですが、皆さんは懸賞応募とかされますでしょうか??
スーパーの協賛チラシ、食品のキャンペーン、TV番組の終わりの抽選プレゼント、等々・・。
こまめに見渡せば応募ネタというものは身近にゴロゴロ転がっているものです。

ただ、日々の生活に追われ、応募がめんどくさいですよね・・。(ハガキもないよ・・)
奥方は懸賞応募が好きで内容問わず暇があれば応募に明け暮れる懸賞女子です。
もちろん応募しないと当たらないのですが、これ・・割と小さく当たるもんでして・・。

今回、「日仏ラグビーチャリティマッチ2019〜FOR ALL 復興〜」のペアチケットが当選!
実は生でラグビーの試合を観るのは二人とも初めて。「観に行こうね~o(^▽^)o」
この一瞬、自分の口元が、違う意味でニヤッとしたのを奥方は見逃しませんでした。

奥方:「・・今回どこの城がセット?」
自分:「・・言いずらいです・・。」

gimera.jpg
2月2日に岐阜メモリアルにて開催され、観戦しに行ってまいりました。

saruhazama (1)ということで試合観戦前に登ったのが坂祝町の勝山城(猿啄城)です。
(振っといて岐阜城じゃないんか~い)

saruhazama (2)

山登り、という観点では格好の山ですので登山する方々でいつも賑わっています。
駐車場は山麓に20台くらいは停められますが、それでも土日は満車のときがあります。
少し下ったところに第2駐車場もありますから大丈夫です。

saruhazama (3)
登り口には城主となった川尻肥前守秀隆公を祀った石碑も。
(こちらでの川尻公の活躍は後ほど)

saruhazama (19)
登山道は緩急ありますが、全体的に整備され、いい運動になります。

saruhazama (18)
20分ほどで八合目辺りの大手曲輪に到着します。

この上段に広い曲輪があるのですが、中腹にあるせいで見過ごされる遺構です。
麓から登ってくる侵入者に対しての監視所も兼ねていたようです。
登山道に対して平行しており横矢掛けができる曲輪です。

saruhazama (5)頂上に設けられた展望台に到着です。

saruhazama (7)
展望台からの日本ライン(木曽川)や可児・美濃加茂市の一望風景。

saruhazama (6)
鵜沼城と犬山城は直視できません。間に陰平山があるからです。

天文年間(1532~1555)には多治見修理が猿啄城城主でした。
永禄8年(1565)織田信長の臣・丹羽長秀らによって攻められ、多治見修理亮は城を脱します。
信長は城を勝山城と改称し、一番戦功のあった川尻秀隆を城主としました。
(城主ということになっていますが、ニュアンス的にはおそらく城代でしょう)

saruhazama (4)猿啄城の石碑と木柱碑。・・展望台に比して控えめです。

城名は表題に挙げた「勝山城」よりも「猿啄城」の呼称の方が有名かもしれません。
自分が敢えて「勝山城」と呼んでいるのは、織田信長がそう改名したからです。
この後、この城を信長より預かり受けた城代・川尻秀隆もそう呼んだはずです。

信長が生涯で改名した城はおそらくこの二城だけ
猿啄城⇒勝山城」と「稲葉山城⇒岐阜城」だけではないでしょうか。
(※自分の知る限りですので他に例がございましたらご教示をお願いいたします)

伊木山城と共に東美濃への本格的橋頭保としてこの地を奪取した意味は大きかったのです。
事実、この城を押さえたことで直後の堂洞合戦は信長優勢のもとで展開していきます。
「勝山城」、信長の積年の喜びや意気込みが実に伝わってきます。

saruhazama (8)
本丸に相当する曲輪はいかにも狭小です。

山頂部は岩肌があらわれ、ほぼ自然地形を造成してあります。
北側から西北面にかけて小さな腰曲輪もみられますが、なにせ狭いです。
・・しかし曲輪の側面部をよくよく見てみると・・。

saruhazama (11)この様に立派な石垣も随所に確認できます。

saruhazama (9)
西方面の石垣。

saruhazama (20)
北方面の石垣。

saruhazama (13)
東方面にも高さこそなかれ、長い石垣も確認できます。

石垣の上にはかつて、より広さを確保するための腰曲輪があったのでしょう。
今日では埋もれ、または崩れて、さほどの広さは保たれてはいません。
しかし、こうした苦労の址を感じる貴重な石垣遺構であるといえましょう。

saruhazama (10)
尾根を堀切で遮断しますが土橋で連絡を確保しています。

saruhazama (14)
背後の山から望む城山山頂です。

城の背後にある「大ぼて山」へ丹羽長秀が攻め登り、水の手を断ちます。
下からは川尻秀隆が勇敢に攻め上がり、上と下から攻め寄せられた城は落城しました。
信長の用兵も見事ですし、それを着実に実行し、戦果を挙げた丹羽・川尻両将の手柄です。

川尻秀隆は信長の信頼がよほど厚かった人物と推定できましょう。
そして、この後、対武田東濃作戦では、重要な神箆城を任され、岩村城主に大抜擢されていきます。
嫡男・信忠の補佐役に抜擢されたのも、その老練な経験が認められた証、といえます。

黒母衣衆筆頭の座はダテではないのです。

また秀隆はここ勝山城でも民政には心血を注いだようです。
登り口の石碑や城山中腹の途中にある白河神社でも「川尻様」として祀られています。
秀隆の愛されぶりが感じられましょう。

saruhazama (15) こうして見ると復興天守にも相当する迫力。・・これでいいんんです。

猿啄城こと勝山城の展望台からの眺望は本当に素晴らしくロマンに満ちています。
(木曽川沿いの河川道は「ロマンチック街道」と呼ばれていますよ)
一見、見るに値する遺構は少なそうですが、石垣遺構を探し当ててたら、気分最高ですよ!

saruhami.jpg翌日にもう一度登って改めて作図してみました。

saruhazama (17)
・・さてこの後、こちらは懸賞で当たったラグビー観戦に行ってまいりました。

細かいルールも何人制競技なのかさえもわからないままの現地入り。
ドラマ・『スクールウォーズ』世代なので、ある程度の予備知識がありましたが・・。
しかし、いざ試合が始まるとものすごい迫力、体と体がぶつかり合う音が聞こえてきます。
(頭の中は麻倉未稀さんの『ヒーロー - Holding Out For a Hero- 』が・・)

どのポジションのメンバーが欠けても勝利にたどり着くことはできないでしょう。
勝利の喜びを、負ける悔しさを、より強く感じることができるスポーツだと思いました。
共に分かち合う・・これもラグビーの素晴らしさの一つだと思いました。

One for all, All for one、・・胸に響く忘れたくない言葉です。

いつも恩恵に預かりっぱなしで、キツイ山城にも付き合ってくれる奥方には感謝です。
自分のためだけではなく常に家族のために無心で家事をしながらの仕事、そして懸賞応募(笑)。
その気持ちや前向きな姿勢が家族の心をいつも明るくしてくれます。


Ⓢは登山者用駐車場です。
Ⓖは展望台のある主郭。ゆっくり登っても30分ほどで到着です。
眼下に広がる眺望は本当に素晴らしいです。

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美濃 天王山城 🏯霊山・天王山山上の絶景城郭

美濃 天王山城 (岐阜県美濃市大矢田・天王山)

年末から遠征が重なり、薄い内容ながらも律義に記事にしてしまいました。
どの城も印象深く、また一緒に同行していただいた城友さんとの楽しい思い出・・。
成人を迎えた長男の晴れ姿・・、流し目して先には進めなかったからです。

その間、地元周辺の山城にも足を運んでみました。
広大な城でなくとも、感じる心さえあればどんな小さな城でも感動があります。
今回は久しぶりに地元・美濃からの愛すべき山城レポートを発信したいと思っております。

その名も名称がカッコいい「天王山城」です。

tennou (1)大矢田神社背後の天王山頂上一帯が城址です。

秋になると大矢田神社の紅葉はその美しさでとても賑わいます。
自分も家族を連れて、もみじ鑑賞と名物の田楽を食べに来たこともありました。
また室町時代から伝わるという大矢田神社のひんここ祭りも有名です。

tennou (2)
大矢田神社の楼門を見学していきます。

tennou (3)
神社の中にも仏教式の素晴しい門が残っています。

tennou (4)
山を登る前に長~い階段にて本殿まで歩みます。

創建は養老2年(716)、天王山禅定寺として泰澄大師がこの地に開基しました。
祠はその一部となり、牛頭天王として習合されます。
天王山の名も、大矢田神社の祭神、牛頭天王に由来しています。

tennou (5)
大矢田だけに、弓矢です。・・か?(無知です)

tennou (6)
拝殿の前を抜け、本殿の東側脇から山頂に向かいます。

tennou (8)
楓の滝に到着。

「楓の滝」あり、「どんびき岩」なる奇岩あり、大モミジあり、と飽きることないトレッキング。
欲を言えば、本当は紅葉全盛の時に来れたら絵的に良かったのですが・・。
縄張り図作成をするには人の気が少ない真冬の時期の方が落ち着きますので・・。

tennou (12)
山頂手前の尾根に到着。

ここで天王山方面と誕生山方面へと分岐します。
先ずは天王山頂上に向かいます。
・・ここでネタばらししちゃいますが、実は主郭部は山頂にはありません。

tennou (20)
山頂部手前の土橋っぽい横には・・。

tennou (17)片堀切ですがざっくりとえぐれています。

tennou (18)天王山頂上です。

山頂部は平地は残るものの、岩盤があちこちで露出しています。
明瞭な切岸も認められず、堀切を除けばあまり手を加えられた様子がありません。
しかしながら、ここ頂上からの眺望は本当に見事でした。

tennou (9)どこまでも重なり合う美濃の山並みです。

冬の澄んだ空気に折り重なる山々は何ともいいものです。
この地が『美濃』の表記されるようになった理由がおのずととわかる気がします。
城址に来ているのに、散策そっちのけで景色を楽しんでしまいます(笑)。

tennou (16)美しい野です、美濃・・ですねぇ∠( ^ o ^ ┐)┐。

tennou (19)
遠くに木曽の御嶽山もよく見えました。

・・そろそろ主郭部の遺構へ行ってみましょうか。
先程の尾根分岐点から誕生山方面へと向かいます。
頂上からみて東側の尾根に展開しています。

tennou (14)
櫓台のような土壇があります。

tennou (15)主郭部の曲輪の様子。一部石垣も見られます。

石垣は或いは石積み、と表現したほうが適切かもしれません。
いわゆる土留め用程度のもので、個々の石の大きさも小さいチャート状のものです。
東西に細長い曲輪ですが東側端部には土塁も見られ、その先には大堀切へと連なります。

tennou (13)深さ5m程の大堀切が遮断します。見た目薬研堀ですね。

天王山城は頂上部を含み、3つの山頂部を利用して構築されています。
主郭部が、一番眺望が優れ要害性のあるはずの頂上(鞍部に堀があるのみ)ではなく、
東尾根先端部に主郭部が置かれたワケとはなんでしょう??・・。

いろいろな理由が考えられます。

①、頂上一帯が岩盤地面で作事普請しずらかった・・。
②、山頂部は神宿る霊山の聖域として最小限の普請に留めた・・。
③、大桑城から見た東の出城として東方面の連絡重視をした・・。
④、飛騨方面・或いは郡上郡方面からの攻撃に備えた・・。

・・などでしょうか?
今回は作製した図面を掲載したいと思います。

tennousai.jpg3つのピークからなる天王山城です。

天王山城の城主としては後藤正元・正長(正元の次男)の名があがっています。
正長は天文11年(1542)大桑城にて土岐頼芸斎藤道三が戦った際、土岐方に属したようです。
大桑城とは位置関係的にも本城・支城関係にあったのかもしれません。

山頂からの景色が素晴らしいので眺望写真ばかりになってしまいました。
登山途中にも何人かのハイキングの方ともすれ違いましたし、やはり人気スポットのようです。
頂上でお話しさせていただいた方の中には、なんと毎日!登られているという方も。・・尊敬。

城址見学だけでなく縦走ハイキングも楽しめそうな天王山城でした。


Ⓢは大矢田神社の登山者用駐車場をお借りしました。
Ⓖは山頂東尾根にある天王山城の主郭部。登山時間は登り50分ぐらいみます。
結構ハードですが、モミジや滝を鑑賞しながらゆっくり登れば亦楽しからずや。
頂上からの絶景が疲れを吹き飛ばします。

美濃 片知城 🏯渓谷間を立ち塞ぐ身元不明の山城

美濃 片知城 (岐阜県美濃市片知谷戸・城山)

暖冬といわれるこの冬もさすがに冷え込んでまいりました。
受験生を持つ親としても健康には充分気をつけたい今日この頃です。
さて、自分の体調管理の秘訣は「よく走り、よく食べ、よく眠ること」、です。

そして、「よく城に行くこと」、これです!

結局これが言いたいんじゃないの?と突っ込まれそうですが・・。
自分の好きなことに没頭できる時間というのは大切にしたいものです。
でも何事も程々に、という言葉もございまして、腹八分目がよろしいかと。

「腹八分目」、これも体調管理の秘訣かもしれませんね。

そんな折、出かけたのは美濃国のど真ん中、美濃市にある片知城です。
地図でみると丁度美濃地方の中心地にあるようですよ。(岐阜城は意外と西濃寄りなのです)
かなり高い山の上にある遺構なので先ずは登ることから始まります。

Mkataji (2)聳え立つ城山を板取川対岸から仰ぎ見ます。

標高約400m、比高340mの山城としては比較的高所の城山。
片知川と板取川の合流する地点に城は築かれました。
小野城、鉈尾山城、天王山城、等‥、美濃市の山城はどれも標高が高いのです。

Mkataji0.jpg
城山は国道沿いの「自由の女神」が目印!

写真では丁度、女神の掲げた松明(トーチ)の先っちょになるように撮影しました。
そう、右手に掲げているのは松明なんです。
ちなみに左手に持っているのは「アメリカ合衆国独立宣言」です。‥豆知識!

個人的にはこの地、かつて子供たちが所属していたミニバスケチームの合宿でよく来ました。
この先を右に入った片知渓谷で毎年のように川遊びを楽しみました。
懐かしさが込み上げ、しばし思い出にふけりながらの城めぐりです。

・・と、その前に、愛車と林道遊び・・。
Mkataji (1)
板取川沿いの岩盤切通し道。

この辺りは高い山々と深い谷が織りなす岩盤地形となっています。
岩から染み出た川の水は透明度が高く、非常にきれいなんです。
付近には見事な鹿垣もみられ、昔からの、石との関わり合いが感じられます。

Mkataji (3) 付近には落石防止処置があちこちに。

Mkataji (4)
林業仕事に使われるレール沿いに登って行きます。

途中までですがこのレールに沿って登って行けます。(あくまで途中まで・・)
先程の美濃市の山城たちの中ではここ片知城だけが登山道整備されていません。
したがって尾根道直登が一番の安全かつ最短コースになります。

ヤブ漕ぎですが・・。

Mkataji (5)
麓からゆっくり登って40分ほどで尾根の堀切が現れます。(汗ダックダク!)

中央に土橋がつき、両端は竪堀となっています。
主郭部とはやや離れた所に備えてあります。
主郭部へはさらに標高40mほど登ります。

Mkataji (8)本丸は楕円形の形で20m×30m程。

南側は端部が崩れてはいるものの、頂部はよく削平されています。

Mkataji (9)
城址碑かと思いきや、基本測量柱と掘り返されたような謎の石碑。

Mkataji (10)
本丸東から北、西の面にかけては鋭い切岸がかかっています。

本丸の下は周囲を腰曲輪と犬走りで囲ってあり、1周できるようになっています。
北へ延びる尾根には70m程もある直線の平場が見られ、その先を堀切で画しています。
また、西側尾根には3段の明瞭な曲輪が確認できます。

Mkataji (16)山頂からの眺望。

木々の枝に阻まれて隙間からチラチラとみえる麓の様子です。
写真の左側に見える高い山が鉈尾山城で、右側の木と被っている低山が小倉山城です。
眺望は阻まれますがやや西へ同じくらいの距離の所に天王山城も見えるハズ・・。
(しかし、思えば高い所に来たもんだ・・)

Mkataji (15)
主郭部周囲には一部石垣か??

自然石の重なりか、石積か、微妙なジャッジです・・。
上の写真は自然石の重なりに若干、人力による手を加えた形跡を感じました。
必要最低限の労力で、「石垣」に見立てたような・・。

Mkataji (14)何となく崩れた石垣のようにも見えてしまいますが・・。

矢穴とかが確認できませんし、乱雑なので、おそらく自然石なのでしょう。
しかし、普請中に出土した石を積み重ねたようにも見えなくもありませんでした。
それは石が折り重なった場所が集中しているからです。

こういった例はお隣の鉈尾山城にも見られました。(出来栄えは鉈尾山城に軍配)

片知城は築城年代や城主の伝承など不明な点が多い山城です。
しかし、鉈尾山城とよく似た縄張り遺構がみられることから、
何かしらの関係性はあったことは推測できそうです。

鉈尾山城のみならず、天王山城、小野城、加治田城・・。
遺構パーツごとに少しづつ似た遺構が見られるのも見学すると感じます。
大桑城(山県郡美山町・高富町)から東に展開する山城ネットワークにも注目したいところです。



Ⓢには渓流釣りシーズン用の駐車スペースがありお借りしました。
Ⓖが主郭部。Ⓢから尾根沿いにゆっくり休憩付きで50分ぐらいでしょうか。


美濃 上村城(前田砦) 🏯重機なしでここまでの土木事業とは・・。

美濃 上村城(前田砦)(岐阜県恵那市上矢作町本郷・城山)

・・たまにふと考えることがあります。
【城】と【砦】の違いってなんか基準はあるんだろうか??・・と。
あと【塞】、とか【塁】、とか言い出したら・・。

「わからないことはググれ!」、という次男の口癖。(はいはい)
時代は変わりました。まずひも解くものが辞書ではなくなったのです。
しかしウェブだろうと広辞林だろうと、「調べる」という率先的な行動は持ち続けたいものです。

・・さて、辞典とかには「本城の外の要所に築く小規模な城。規模の小さな出城」とあります。
当然、この程度の説明では城郭ファンを頷かせること、できようはずもありません。
何故ならこの表現では当てはまらない事例が多すぎるからです。

今回訪れた上村城「前田砦(ぜんだとりで)」と呼ばれるほうが親しまれているようです。
しかし、現地に立つと「砦」という呼称が全く不似合いであることを感じます。
先程の説明での「砦」どころか「大城郭」と呼ぶに相応しいからです。見ていきたいと思います。

zenda (9)かなり離れないと山の全容がつかめないのも大城郭の証です。

前田砦は上村川と飯田洞川が合流する地点の東山上尾根にあり、東へ伸びています。
縄張り図を作図をした限りでは主郭部だけで東西200メートル、南北150メートルの山城です。

zenda (10)
城山の尾根先端部からの登山道があります。

城山の西麓に公民館があるので、車はそこに停めさせていただきました。
共同精米機が設置されてあるので邪魔にならないように駐車します。
この山道は大船寺への参道としても利用されていますね。

zenda (11)
これから登ろう!、という時にこう言い切られては・・。

zenda (12)
ということで今回は熊除け鈴をこれでもか!、とダブルで装着。
(うるさいのですが安全にはかえられません)

zenda (14)
登っていくと道が2つに分かれます。

右は城内に向かう近道で、左は城山稲荷への近道。
どちらを進んでも脇から主郭部へは辿り着きます。
城山の奥には城山稲荷が祭られています。

zenda (13)
気を付けなければならないことが多いのが山城探索だが、頭上まではちょっとね・・。

zenda (3)最奥(東)の大堀切から度肝を抜かれていきます。

傾斜もあり、堀底も見事な薬研ぶりです。
一部登山道で分断されていますが両側面部には大きな竪堀につながっていきます。
この様子では当時の堀底、容易に歩けなかったことでしょう。

zenda (4)
堀底を辿ると気付くのですが主郭部を囲うようにコの字型(弓型)になっています。

zenda (2)
この堀切から登った曲輪には大土塁(櫓台?)まで備えられています。

zenda (16)土塁上に置かれた石塔。何を語っているのか。
(え、何?城址碑?のワケないです・・)

zenda (15)あまりにも美しいので逆方向からも見とれます。二度おいしい。

zenda (17)
最高所の曲輪の北側側面には石積も見られます。土留め用ですね。

zenda (1)
東より2条目の堀切。どれもメイン級の堀切で意識高すぎ・・。

zenda (6)
適度な林業伐採が入り、遺構同士の見通しもよいです。

zenda (5)
東より3条目の堀切。堀底は窪地となっており、むしろ曲輪を兼ねているよう。

zenda (7)城中最大規模の東より4条目の大堀切。

箱堀、というより堀底に居住空間ができるほどの余裕の広さがあります。
いずれも両側面は竪堀へと続く、という一貫性も見られます。
東美濃ではここでしかお目にかかれない超ド級の土木普請量、間違いありません。

ホントに重機とか、使ってませんよね?(思わず疑いたくなるほど)

zenda (18)
この高切岸も頂部手前は登攀困難でした。

さて、この前田砦ですが。
『恵那郡史』では元亀3年(1572)上村合戦で遠山景行の家臣、門野(かどの)兄弟が千騎で籠もり、武田氏の武将・秋山虎繁軍を待ち受け対峙したそうです。

文面から察するに門野氏はこの地をあくまで陣地として利用したようです。
山上一帯に砦を構え、伊那から侵入する武田軍を待ち受けたのでしょう。
「前田砦」、とう呼称はこの時の陣城を指すものと思われます。

また『丹羽氏聞書』では原弾正を城主としています。
原氏はおそらく武田氏から派遣された人物かと思われます。
伊那と岩村を結ぶ重要地点として前田砦を「上村城」と称した大城郭へと改修したのでしょう。

あくまでも個人的な感想ですが・・
曲輪配置や堀切の規模、舌状台地を利用した縄張り、どっかで見たことがあります・・。
そう、信濃の飯田・駒ヶ根地区の城郭と類似してるな・・という感じです(飯田城・赤須城等)。

縄張りには秋山虎繁麾下の春近衆が関与しているのかもしれません(あくまで楽しい想像)。

zenda (8)
城山から望む飯田洞方面、岩村城への糧道。

上村城から岩村城までは同時に武田氏による糧道も整備されたそうです。
水晶山を通過して岩村城の搦手に直通する、最短かつ安全な道でした。
こういった城と軍事道路をセットで普請するのも武田氏の得意とするところですね。

主郭部の北に位置する城山稲荷も行ってみました。
zenninari (2) zenninari (1)

おそらくここ一帯も当時は城郭の一部であったことでしょう。
広い平場が大きな横堀で守られています。この横堀遺構がこれまた巨大です。
飯田洞川と主郭部と巨大横堀によって北・西・南を守られた隠れ曲輪のように感じます。

武田氏と東濃遠山氏、そしてその後の織田氏との戦いの後先を語る前田砦こと上村城。
山の形を変えてしまう程の土木普請量、岩村城では感じ得ない別の意思を感じます。
この地に立てば武田氏の東濃計略裏方としての意気込みが伝わってくるようです。


Ⓢはお借りした公民館の駐車場です。
Ⓖは主郭部の頂部。


美濃 漆原城 🏯武田氏特有の築城術に魅せられて

美濃 漆原城 (岐阜県恵那市上矢作町漆原越沢・城山)

「よし、今度の休みは山城に行こう!」、固い決意と期待。
仕事を段取りよくこなし、クレーム処理もスマートに解決。準備万端なり。
すると気合を入れすぎたのか、当日は無情の雨・・。なんてよくあることです。

しかしここのところの天気はとても安定しています。
雨が降っても明け方には快晴へと向かいます。
絶好の行楽日和、家族を尻目に今日はどこ(何城)へ行きましょうか?

ということで最近のお気に入りエリア、恵那市の南部まで足を延ばします。
恵那市には五平餅の美味しいお店がたくさんあるのも魅力でして・・。
今回は旧上矢作町の漆原城山城を訪ねてみました。

urusihara (1)漆原大橋から眺める漆原城山城。

城山は上村川に向かって突き出た山です。
山の真下に城山トンネルが通り、国道257線が岩村と稲武を結んでいます。
城山の麓にはコテージが並び、キャンプや研修などに利用されています。

siroyamatonnneru.jpg

城山へはトンネル脇からの道が東と西の両口からあります。
今回は車を近くの三作集会場に停めさせていただき、西口から登城しました。
案内板等はありませんが、なだらかな登山道を10分程で頂上まで行けます。

urusihara (14)
まずは頂上まで。土壇の上に城山稲荷があります。

登城途中には集落の墓地が何段か見られます。
しかし不便なためでしょうか、訪城するごとに墓じまいされているようです。
残された平地は曲輪ではないので注意が必要です。

urusihara (13)
全体的に残存状況がよく見学しやすいです。写真は本丸の様子。

ここを起点に周囲を探索すると遺構同士の連動が確認できます。
こちらには何回も来ていますが、手入れされた山林は見通しが良く、ありがたいです。
伐採された木々が堀底に捨ててある、なんてこともありません。

urusihara (15)本丸より土橋で馬出し曲輪と連絡しています。

本丸に至るルート上に馬出し曲輪を設けて要としたような印象を受けます。
この馬出し曲輪周囲には虎口、腰曲輪、堀切、竪堀・竪土塁を設けています。
無駄がなく各遺構がうまく連動している様子が見所です。

urusihara (3)
馬出し曲輪の南側竪堀は畝状竪堀になっています。

urusihara (5)
主郭と馬出し曲輪を画する竪堀は引き込まれるような鋭さが。

urusihara (9)
南側を取り巻く長い腰曲輪と主郭部の切岸。

urusihara (10)本丸から北西方面に延びる尾根には深い二重堀切で遮断します。

主郭側で5m、土塁側で3mほどの遮断意識ありありの堀切。
端部は竪堀となっていきます。
堀切が間隔を置かず連続で配置されている姿は見応えがあります。

urusihara (11)

urusihara (12)
南側の腰曲輪で主郭部をカバーしています。

漆原城は上村合戦時には苗木城の遠山友忠が城番を務めた、とされています。(詳細は不明)
(上村合戦は遠山氏・東濃衆連合軍vs武田秋山氏・春近衆連合軍との間で繰り広げられました)
しかし、現在見る姿は明らかに武田氏による縄張り特徴がみられます。

岩村城を落とした武田氏は三河方面との連絡路を確保するためにこの城山を重要視したのでしょう。
遺構は上村川側ではなく、三作からの峠越え方面に展開しています。
増水等に影響されない峠越えルートを補給路として、監視も兼ねたようです。

漆原城は東濃地方における岩村と三河方面をつなげる武田氏系城郭として注目されます。
城址碑も説明案内版もありませんが、史跡指定をうけることもないままに眠っています。
願わくは、この状態で末永く遺構を楽しめることを望みたいものです。


Ⓢは駐車場に三作集会場をお借りしました。
Ⓖが主郭部、城山トンネルの上を通り、峠頂部の鞍部を西の山手へと登っていきます。


プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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