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伊勢 北畠氏館跡庭園 🏯三大武将庭園の一つ

伊勢 北畠氏館 (三重県一志郡美杉村下多気)
<北畠氏城館址・第2部  北畠氏居館跡庭園編> 《国指定名勝》 

霧山城を「霧山」と称した理由を、なんとなくわかったような気になり下山します。
自分はこの城が今年の城めぐりで一番印象に残りました。(まだ早い?)
山深いため「ちょっと行ってみようか」という場所ではございません。

・・それ故、山頂からの景色と遺構は忘れないように瞼の裏に焼き付けました。
日向さんのお誘い合っての心躍る、山城めぐりにただただ感謝です。
「雨には雨の良さがある」、何度も響いてくる、魔法の言葉です。

kiriyamataki (17)
パノラマフォトに夢中の日向さん、そこで落ちないようにね・・。

さて、下山はしたもののもう一つのお楽しみは居館跡の庭園鑑賞です。
日の入が短い上に雨上がりなので、暗くなる前に見学せねば・・。
しかし焦りは禁物です。お互いの感想を交わし合いながら、ゆっくりと・・。

kiriyamataki (35)
3時半過ぎでも、もう暗いのですね・・

kiriyamataki (31)
社務所にて300円を協力金として納めて見学します。

kiriyamataki (32)武家らしい素朴さに誇張のない自然派な魅力があります。

小高い築山を中心に巨石を用いた枯山水。
入りくんだ池の水も、霧山城ある西方面から谷水を引いていました。
当時からの変わらぬ姿を力強く伝えていますね。

kiriyamataki (33)
紅葉にはちと早かったようですが充分に愉しめました。

kiriyamataki (34)南朝奉護に尽力した北畠顕家公の銅像。

・・すみません、太平記を読んでいないので、薄っぺらな事しか存じません。
調べてみたらなんでも若くして父・親房に劣らない才覚の武将で戦いの人生だったようです。
これを機に南北朝の動乱を読み、また勉強したい、と思う次第デス・・。(逃げたな・・)

帰り道も山深く、あちらこちらで野生の鹿に遭遇。
普段は体験できない、冒険をしてきたような城めぐりでした。
なんでもまた年納めの城めぐりbyプロジェクト・オブ・日向ツアーが企画されているとか。

・・どうなるのか楽しみと不安が渦巻いております。
ということで、1部と2部、目を通して頂いて、ありがとうございました!
(2部の内容、薄っ!)

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伊勢 霧山城 🏯立ち昇る雨霧に包まれた霧の山城

伊勢 霧山城 (三重県一志郡美杉村下多気) 《国指定史跡》
 北畠氏城館址・第1部  霧山城編 >

伊勢方面から国道368号線を通って美杉村を目指していきました。
しかし、「ここ本当に国道かね?」と心細くなるほど、狭~く、暗~い峠道もあります。
後続車はもとより、前方からのすれ違い車さえもありません・・。

同じ伊勢でもここ多気の地はかなり奥まった地域であることを実感します。
北畠氏による実に240年にも及んだ城歴、山々に囲まれた奥深い地形・・。
これがその答えの一つであったことを後ほど理解します。

kiriyamataki (1)北畠神社に車を停められます。

kiriyamataki (2)
こちらの神社を拠点に霧山城と北畠氏館址庭園を見学していきます。

kiriyamataki (3)
赤い橋を渡って左が霧山城コース、右が北畠神社と館址庭園コースです。

kiriyamataki (4)
先ずは井戸の脇から霧山城へと向かいました。

kiriyamatak (5) kiriyamatak(6).jpg
どっからどう見てもハンタースタイル、城友・日向さんです・・。
(ハンターのみなさん!=そこのあなた方!)

kiriyamataki (7)
霧山城と北畠氏館との中間に位置する詰城からの眺め。

かつて城下には3500戸ほどの軒が建ち並んでいたそうです。
これは越前朝倉氏の一乗谷に匹敵する規模と言えましょう。
現代の景色からでは想像もつきません。

kiriyamataki (8)
霧山城へと続く尾根道は険しいですがとても見通しが良いです。

kiriyamataki (9)
「美杉村」、とはその名の通り。「タカスギ」のCMを思い出します。(古!)

kiriyamataki (30)
麓から20分ほどの登山でいよいよ主郭部に到着です。

・・山全体が霧に包まれた妖(あやかし)の雰囲気がなんとも臨場感あります。

kiriyamataki (11)
まずは鐘突堂の出丸を見学。

本来なら麓を眼下に見渡せるようですが・・アハハ、無理ですね(汗)
でもこの霧の雰囲気、まるでさっきから誰かに見られているような・・。
そう、風魔の霧風※に・・、なんてマニアネタなんでしょう。

※風魔の霧風とは・・車田正美さん原作の漫画「風魔の小次郎」に登場するキャラ。
          霧を自由に扱う風魔一族のひとり。
          必殺技は霧に身を隠し相手を翻弄する「風魔霧幻陣」。
          夜叉八将軍の雷電と闇鬼の二人を倒すという活躍を見せる。
          ・・どうでもいい・・。

kiriyamataki (12)
霧の中に映える紅葉、これが朽ちていく色だなんて・・信じられないほど美しい。

こここら深い霧のため主郭と逆方向の尾根道を辿ってしまいました。
2人して危うく霧の中で路頭に迷う所でした。・・冷や汗モンです。
・・「これが風魔霧幻陣の威力か」・・、(違います、って。)

kiriyamataki (14)
本来の主郭部へのルートを発見!、これこれ!

kiriyamataki (18)
主郭部の本丸が見えてきました。(なんだか妙に安心しました)

そこで自分たちを歓迎してくれたのが、このロケーションでした。

kiriyamataki (15)まるで大河ドラマのオープニング、もう狂気乱舞になってしまいました。
♪─O(≧∇≦)O─♪


自然が織りなす姿に胸をうたれます。これはきっとご褒美でしょうか。
日向さんと大興奮、「険しい道を迷いながらも登ってきてよかった!」
まさに一期一会の屏風図のよう。・・あれ?・・なんか涙が・・。

kiriyamataki (21)
そして高ぶる気持ちで遺構を見ていきました。これは堀切です。(まだ興奮してます)

先ずは本丸の一段下にある矢倉郭を見ていきます。
南北朝期からの特にテクニカルな技巧が見られる山城ではありません。
しかし、堀切、土塁、切岸、基本的な遺構が実によく残存しています。

kiriyamataki (19)大きな堀切から竪堀へと続くダイナミックな遺構。

kiriyamataki (22)矢倉郭全体を見渡します。L字型の土塁がはっきり確認できますね。

kiriyamataki (23)こちらは本丸の土塁上に立つ城址碑。石の形がいいですね~。(∩^Д^∩)

kiriyamataki (24)
続いて本丸へと上がります。

周囲を高い土塁で囲まれていたようです。
現代ではかなり土が流れ落ちていますが、当時は相当の高さがあったのでしょう。

kiriyamataki (26)厚みのある土塁から下は急斜面。真っ逆さまです。

kiriyamataki (29)
この切岸では到底登ることは不可能です。

今更ながら、城普請の最も基本的な防御施設、「切岸」の重要性を思い知らされます。

kiriyamataki (25)なんと贅沢。本丸にも趣ある城址碑があるではないですか。\(^o^)/

ここ霧山城は伊勢の城でも奈良の大和国との地縁が深い城郭です。
南朝の拠点、吉野と伊勢神宮への中間地点にあたります。
非常事態にはどちらにでも駆けつけることができた好位置にありました。

そして外部からの侵入に対しては経路のどこからでも相当の峠越えとなります。
これは現代に至っても変わりない天然の要害だったことを示しています。
麓の城下町を含めて、ここ多気の地は今も眠りについているようでした。

続けて第2部の北畠氏城館址・館址編へと続きます。
(ついてこれます?)

伊勢 三瀬館 🏯北畠具教公の隠棲地にして最期の館

伊勢 三瀬館 (三重県多気郡大台町上三瀬大戸地) <県指定史跡>

下三瀬城(三瀬砦)から北西へ800mほどの近くに三瀬館があります。
熊野街道沿いの山麓谷地形に階段状に構えられました。
顕著な防御施設などは見当たらない、まさに隠居地、といった感の館であったのでしょう。

miseyakata (1)
知名度は低いかもしれませんが、伊勢茶も有名なんです。

収穫した地域から大台茶、としても呼ばれています。
そんな茶畑の中に北畠神社の駐車場をお借りして、散策できます。

miseyakata (3)
三瀬館には歩いて数分で到着できます。

少し早いのか遅いのか?、紅葉がちょっときれいでした。
雨男がいうのもなんですが、晴れてたらもっときれいなんでしょう・・。
あ、・・いや、ここでは禁句でした(笑)。

miseyakata (4)角部は石垣で固められていて館城の雰囲気あります。

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館上段への石段が庭石のようで風情が感じられました。

miseyakata (5)三瀬館の石碑は雨と落ち葉でちょっと物悲しい・・。

三瀬館は元亀2年(1571年)北畠具教によって築かれました。
永禄12年(1569年)北畠具教は大河内城で織田信長と戦いますが、勝機なし、と感じたのでしょうか、
信長の次男、織田信雄を養子に迎えて家督を譲ることで和睦となりました。

出家した具教は天覚、と名乗り、後、不知斎、と号しました。

和睦して一旦は三瀬館に隠居した具教であったようです。
しかし、信長により一手一手と圧力を受け、勢力をそがれていきます。・・そして、
天正4年(1576年)11月織田信長は北畠氏の家臣らに具教を三瀬館にて殺害します。

miseyakata (6)
階段状に平坦地が続いています。

「ここに具教公がいたのかぁ・・」
想いにふけながらどんどん登って行くと・・

miseyakata (7)
砂防ダムに阻まれて、ちょっと現実の世界に引き戻されます。

「あ~、なんか興ざめしちゃうよな・・」と思いました・・。
・・が、よくよく考えてみれば砂防ダムを造るほどの急斜面が背後にあった、ということでしょう。
それはそれで立派な自然な防御施設に利用された、とも捉えられます。

miseyakata (8)
どこに館の中心部があり、具教公がおわしたのかは明らかではありません。

具教さん、どこにいたんだろうね?
城友・日向さんと「ここの段かな?」「いや、もちょっと下じゃない?」
・・などといろいろ妄想発言しながらの散策になりました(*^ ∇^*)。

剣豪でもあった具教公、どんな最期なのだったのでしょう。
塚原卜伝に剣術を学び、奥義である一の太刀を伝授されたほどです。
最期は織田の刺客相手に19人を斬り殺し、100人に手傷を負わせたとか・・。

なんとなく、足利義輝公の最期と場面が被るイメージです・・。
足利義輝二条城もよろしければご参考に・・)

miseyakata (2)
三瀬館址に咲いていた寒椿がとても愛らしかったです。


miseyakata (10)
続きまして、茶臼山見張台へと向かいました。



茶臼山砦

三瀬館には東西に砦となる茶臼山砦と八幡山砦があり、南には北畠具教の胴塚があります。
館址からすぐ近く、ということでコースが整備されている茶臼山砦に登ってみました。
・・なんだか雨も小降りになってまいりましたよ!

miseyakata (18)中央の小高い山が茶臼山砦です。

miseyakata (11)
雨の日はこういった整備されたコース道が有り難いです。
(雨の山城はやはりブーツが似合いますし、機能的です)

miseyakata (12)なかなかどうして、すごい堀切があります。(;゜0゜)

miseyakata (16)歴とした城郭遺構の茶臼山の案内板。

茶臼山は公園となっているが堀切を挟んで南北二郭の削平地が残っています。
八幡山は今回はパス、登っていませんが、平地があるのみ、だそうです。
それにしても、見張り台、とタカをくくっていたのでいい意味で期待を裏切られました。

miseyakata (14)
秋葉神社を祀る本丸の削平地。

miseyakata (17)
山頂からは先程の下三瀬城(三瀬砦)も見下ろせます。

miseyakata1.jpg本丸からは三瀬の集落が一望できます。

ベンチに座ってコーヒーでもいかがなものでしょう。
・・晴れてたらね・・。(だから、その言葉は禁句だってばさ!)
この後は、伊勢国司・北畠氏の本拠、霧山城へと向かいました。

伊勢 下三瀬城 🏯見事な土塁に囲まれた方形主郭

伊勢 下三瀬城(三瀬砦)(三重県多気郡大台町下三瀬川之上)<県指定史跡>

五ヶ所城をあとにして次に向かったのは大台町の三瀬砦三瀬館です。
先月末の台風の影響でしょうか、所々での通行止めに悩まされました。
ルート変更をすると、とてつもなく大回りになってしまうのであります・・。

simomise (2)よく整備された土塁が残る三瀬砦に到着。

土塁の手前に数台停められる空き地がありますので、こちらに駐車できます。
三瀬砦は下三瀬城、三瀬左京館とも呼ばれています。
この地の豪族で北畠氏に仕えていた三瀬左京の居城とされています。

simomise (1)

この城の城主と伝えられる三瀬左京は永禄十二年(1569)伊勢に侵攻した織田信長と北畠氏が戦った大河内城合戦でも奮戦し、北畠具教が織田軍と和睦した際、当地西方の上三瀬・三瀬館に隠棲した時も三瀬館守護の支柱となったと伝えられています。

simomise (9)
高さ4メートル程の良好な土塁が見学できます。

simomise (3)三重県指定史跡にふさわしい石碑。

simomise (10)
理由があって鳥居を通れない身なので、土塁からカットインしていきます。

simomise (4)
平地の単郭方形館のように感じてしまうのですが・・、
先に進むにつれ三方を川に囲まれた要害の地の台上に位置していることがわかります。

simomise (8)
内部をくまなく歩く日向さん。

simomise (5)
井戸の址も見られました。・・ちょっとおぞましい感じで近寄れない・・。

simomise (7)
S字状の曲線を描く土塁も面白い画ですね。

土塁の厚みも2メートル程の歩ける厚みです。
良く手入れがされているので城館全体を把握しながら見学ができました。

simomise (6)歩みが止まるほどの美しい土塁でした。

城主の、一般的に築城者と伝わる三瀬左京ですが・・
一方で三瀬館に旧主・北畠具教を襲った刺客一人、長野左京進の城館との説もあります。
長野左京と三瀬左京は同一人物、との説もあり、この辺り、歴史の表と裏を感じます。

大台町には下三瀬羯鼓踊りという伝統行事があります。
元和元年(1615年)大阪夏の陣に出陣し討死した三瀬左京の供養に由来すると言われています。
彼は出陣にあたって、万一討死の際は屋敷を地区のものとして、供養して欲しい旨を残します。
現存の慶雲寺は三瀬左京の屋敷跡と伝えられています。

三瀬左京、果たして忠臣だったのか、逆臣だったのかはさておき。
常に故郷と民の将来を思い考えて、彼なりの正しい行動を選択した人物だったのでしょう。
忠逆、背中合わせの戦国時代を生きた、ということでしょう。

そして次は、北畠具教公、隠棲と最期の地、三瀬館を訪ねます。

伊勢 五ヶ所城 🏯目を見張る二重横堀に感動

伊勢 五ヶ所城 (三重県度会郡南伊勢町五ヶ所裏・城山) <県指定史跡>

あいにくの雨の中、伊勢に城見学に行ってまいりました。
どうやら、晴れを祈り過ぎて、「雨乞い」ととられたようです・・。
前日の天気予報ですでにテンションが⤵⤵下がる中、お構いなしの人物これあり。

延期を打診するも、断固たる決意の城友・日向さんからの出陣要請です。
「雨」には「雨」の良さがある、妙に説得力のある意見に軍議はまとまりました。
自分は良き相方に恵まれているようです。

そんな意欲的格言に応えるべく久太郎(今回当番)が計画した城は3つの城館。
まず最初は奥伊勢を代表する名城、五ヶ所城です。
雨ということで手短でしたがとても素晴らしい遺構に出会えました。

iseaisu (16)城山橋から望む五ヶ所城の城山。

車での橋の通行、ちょっと要注意です。
ゆっくりと進入していただければ普通車以下なら大丈夫でしょう。
愛洲の館・展示資料館の無料駐車場をお借りしました。(後ほど寄ります)

iseaisu (8)
「鍛錬の段」といわれる急階段を登って登城します。

いきなり、きっつい階段ですが、鍛える、と思って登りました。
相当な急勾配に無理くりつけた階段ですので、自分のペースで登ります。
珍しく日向さんがハイペースで登っていっちゃいました。
aisukun.jpg aisukun2.jpg
城址へは「あいすクン」が案内してくれます。

・・試合にでも勝ったのでしょうか?すごい飛び跳ね方です。
喜び方がハンパない少年剣士、「あいすクン」。
どことなく、我々の気持ちをぐっと掴む、何かを持っていますね。

iseaisu (15)
ふたたび、「あいすクン」です。仕事してます。

遺構が現れました。
おや、主郭を取り巻く腰郭かな?
日向さんと近づいてみると・・。

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主郭周囲を取り巻き巡る土塁と横堀でした。

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手入れが行き届き、土塁も横堀も見学しやすいです。

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本丸に到着しました。

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剣祖・愛洲移香斎生誕の地の碑が立っています。

剣豪の祖というべき愛洲移香斎久忠は、この地で出生したとのこと。
移香斎は、九州鵜戸の岩屋に立て籠もって剣の奥義を悟り、愛洲影流を創設します。
愛洲影流は、上泉伊勢守信綱により新陰流となり、さまざまな剣道の流派へと受け継がれます。
(後ほどもう少し詳しく・・)

iseaisu (3)

五ヶ所城は康永年間(1342年~1345年)に愛洲氏によって築かれたと云われます。
別名を愛洲城、と呼ばれ、南北朝時代は南朝方として北畠氏に属し北朝方と戦いました。
天正4年(1576年)田丸城主で北畠氏の養子となった織田信雄によって攻められ愛洲氏は滅亡します。

iseaisu (2)素晴らしい・・、隷書体で彫り込まれた文字に生命感を感じます。
(自分だけか・・)

iseaisu (11)主郭からみた二重横堀とそれぞれを画す大土塁です。

iseaisu (14)
土塁は厚みがあり、天端を歩行移動できたことがわかります。

iseaisu (12)
とても良く作り込まれた横堀が巡っています。

iseaisu (13)
土塁から本丸を見ます。場所によっては本丸と高さが同じかそれ以上あるように思えます。

一通り見学を終えたら、雨を避けるように愛洲の館に駆け込みました。
こちらの資料館、是非セットで見学したいものです。
剣祖・愛洲移香斎に関する剣道の歴史に関する展示や五ヶ所城の模型が見所です。

iseaisu (7)
愛洲移香斎ゆかりの刀をはじめ、開眼伝説、等々、ゆっくり見学できます。

資料館の館内の方がとても親切に説明してくださいました。(客が他にいなくて?)
剣術流派の系統紹介もとても勉強になりました。
新陰流となり上泉伊勢守信綱から、さまざまな剣道の流派へと受け継がれていきます。

柳生石舟斎 によって剣術の新陰流へと発達、
丸目長恵によって新陰流から創始されたタイ捨流(タイしゃりゅう)、
東郷重位によって薩摩藩を中心に伝わった古流剣術示現流(じげんりゅう)、
宝蔵院胤栄による十文字槍を使用した宝蔵院流槍術への影響、等々・・。
皆さんご存知の人物・流派ばかりではないでしょうか?

まさに剣術・兵法・武道の祖、といえるでしょう。
先程までイジッていたあの、「あいすクン」もきっと立派は剣士なのでしょう。
雨の日はゆっくりと資料館を見学するのもいいものです。

iseaisu (6)当時の城館の様子がとても精巧に作られ、いいですね~。(^ω^)

この模型は相方・日向さんもかなりお気に入りなご様子でした。
やはり、現地に行った後で確認の意味で見ると一層楽しめますね。
晴れた日は五ヶ所湾も近くに見えるようでしたが、今回はあいにくのお天気で×でした。

しかしまさに愛す(愛洲)べき歴史に触れる城館散策ができました。
・・こんなダジャレも雨に流していただいて、次の城へと向かうのでありました。

「雨には雨の良さがある」、・・本当ですね。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

対馬にプチ出国してきました。
7月7・8日と対馬国境マラソンに出場しました。
かつてないほどの災害になろうことを予測しなかったわけではありません。
災害に遭われた方々や関係者様方の気持ちを想えば不愉快な内容になってしまうことばかりかもしれません。
未だ復旧の道筋が見えない中でも、どうか希望を捨てず一日を積み重ねて行っていただきたい、と思い久太郎も復旧ボランティアに参加する意を決心いたしました。
何ができるかわかりませんが、少しでもお力になりたい、と思います。
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