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丹波 黒井城 🏯山上に敷かれた異世界へ

丹波 黒井城 (兵庫県丹波市春日町黒井猪ノ口山・城山) <国指定史跡>
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その④ (最終回)

今更ながらですが、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、城への想いを出し惜しみしない兄弟です。
サンライズアニメの話に華を咲かせ、80年代の歌謡曲を語りながら・・。

第4弾は丹波・黒井城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
重ね重ねお断りいたしますがご承知おきを・・。

kuroij (29)黒井城が築かれた猪ノ口山は全山が要塞化されています。

kuroij (30)麓からみても石垣がありありと確認できます。

kuroij (1) kuroij (2)
黒井駅前にはお福、後の春日局の銅像がお迎えしてくれます。

黒井城を落城させた明智光秀は重臣の斎藤利三を黒井城を任せます。
利三の末娘として黒井城で誕生したのがです。
ご存知の通り、後年徳川家光の乳母となった春日局その人です。

kuroij (28)
興禅寺は黒井城の下館と推定されているように雰囲気バッチリですね。

kuroij (6)登山口の駐車場の石碑。黒井城だけに黒いのが渋いなぁ・・。

城跡への登り口は山麓にある黒井小学校と興禅寺を通り、ここから登るのが一般的。
駐車場にはトイレ、自販機、登山杖、案内看板など登る前にいろいろ身支度できます。
特に案内看板のイラストの赤井直正明智光秀は必見ですね!

kuroij (4)
kuroij (3)
イラストがかっこよすぎて説明が入ってこない・・。

黒井城主として有名な赤井直正についてちょっと・・。
自らを悪右衛門を称し、赤井氏の実質的な指導者として、氷上郡を中心に勢力を誇ります。
『甲陽軍鑑』には「名高キ武士」として徳川家康、長宗我部元親、松永久秀らと共に、その筆頭として名が挙がっています。

元々は織田信長に対しては上洛して丹波奥三郡を安堵されました。
しかし、但馬の山名氏との交戦状態となり、山名氏の諸城を悉く落とし本城に迫ります。
この事態に窮した山名祐豊織田信長に助力を求めます。

山名氏の要請で丹波に派遣された明智光秀。
急ぎ但馬から黒井城に戻って迎撃態勢を整えた赤井直正。
お互いに知力を尽くした戦いが展開されていきます。

kuroij (5)
それでは登って行きます。

kuroij (7)
途中、急坂コースゆるやかコースに分かれます。行きと帰りそれぞれで通ってもいいかと。

kuroij (10)
本丸までは登りに30分~40分をみておきます。頂上手前が一番キツイ・・。

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最初にお目にかかれる東曲輪の石垣に早くも心躍ります。

kuroij (16)
はやる気持ちを抑えつつ、主郭部に向かっていきます。

kuroij (17)本丸南西部に向かって立ち並ぶ石垣。

恐らく・・、石垣が好き、というお城ファンにとっては超どストライクではないでしょうか??
この威圧感、この荒廃感、現代においても未だ戦いに備えているかのような存在感!
黒井城の大きな魅力といってもよい、石垣から見ていきます。

kuroij (12)
大胆な野面積ですが、隅部は算木積の交互積が確認できます。

この石垣は天正年間に築かれた石垣と考えられています。
赤井氏時代ではなく、その後の斎藤氏、堀尾氏時代だということです。

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本丸の虎口も石垣で固められています。

kuroij (20)
主郭北東部には石垣は用いられず、赤井氏時代の面影が感じられます。

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主郭部が細長く切り立っっている様子がよくわかります。

kuroij (21)
本丸です。山頂とは思われないほどキチンと手入れされていました。

kuroij (13)
山頂からは360度のフル眺望が素晴らしいです!

kuroij (14)
氷上盆地を見渡せる絶好のロケーション。

既に八上城の波多野氏ら国衆を服属させて黒井城を包囲した光秀でしたが・・。
突如として波多野氏が違背を示し、光秀の陣を突き、明智勢は総崩れとなりました。
これを後世、「赤井の呼び込み戦法」と称しています。 

直正は反織田連合の勢力とも積極的に親交を深め、毛利への丹波救援も催促していました。
一旦は心ならずも織田方に降った丹波国衆とも密に連絡を取り合っていたようです。
直正を武勇の士と共に、外交・根回しの丹念さといった面を窺い知れことができます。

kuroij (15)かつて明智光秀が呼びこまれた地には美しい田園風景が広がります。

kuroij (19)
北西尾根先には千丈寺砦へと続く一大城郭。

kuroij (27)
本丸と二ノ丸の間には堀址も見られます。

kuroij (26)
一通り見学し終えたところで本丸での昼寝タイム。(写真提供:弟クン)

通り過ぎていく鳥の声に身をゆだねて・・。
ゆっくりと流れる雲を追っているうちに・・。
となりで寝てる弟のほうから軽いイビキが・・。(笑)

贅沢な五月の淡い時間が過ぎていきました。

kuroij (25)おっと、忘れそうでした、別名「保月城」の石碑です。(寝てる場合じゃない)
「口」の部分が五角形になっている独特の書体に「いいじゃない(・∀・)↗?」

kuroij (18)心のずっと奥の方に残るであろう石垣でした。

守護・細川氏、守護代・内藤氏の影響力を追い落とし、
実質、第二勢力である波多野氏を上回り、丹波最大の勢力を築いた赤井直正
丹波国衆の代表として「自ら先陣を切るべし」とする戦人の姿を感じました。

・・そんな丹波気風に忠実たらんとした行動力はまさに「名高キ武士」。

kuroij (24)
弟クン、一緒に来てくれて本当にありがとう!
(ちょっとぉ、カッコよすぎじゃなね? 兄者より)



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丹波 篠山城 🏯美しい高石垣と豪壮な大書院

丹波 篠山城 (兵庫県篠山市北新町・笹山) <国指定史跡> 【日本百名城】
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その④

その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、真夜中のデンジャラスドライブはお手の物。
昔話に華を咲かせ、懐かしい昭和のCMソングなんかで盛り上がっていきます。

第4弾は丹波・篠山城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な薄~い記事です。
再三ですが、お断りをお願いしたいところでございます。

sasayamaj (16)三の丸東部から仰ぎ見る本丸天守台、絶景の撮影スポット。(だと思います)

縄張奉行、藤堂高虎公らしい美しい高石垣です。
突貫工事による、わずか1年足らずで完成させたとは思えない完成度だと思います。
近江・穴太衆の指導と人々の努力の結晶によるものですね。

sasayamajyo.jpg篠山城の石碑と案内版です。毛筆風の字体に感動しました。

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大手馬出しより城内へと見学していきました。石垣の折れ重なり合いが見事です。

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大手馬出を城内から見るとこんな感じで堅固さが窺えます。

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屏風折れと犬走りの「高虎様式」は芸術的でもあります。

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桝形より石垣を楽しみながら進みます。

sasayamaj (14)
石垣は「野面積」ですが角部が算木積で切り込まれているのが特徴的です。

sasayamaj (3)平成12年に復元された大書院。

今回の訪城の目的は前回まだ完成していなかったこの大書院を見学することでした。
20数年ぶりの訪城に当時の様々な思い出も一緒に甦ってきました。(まだ社会人1年生でした・・)
とても立派な大書院です。・・二条城の二ノ丸御殿とも非常に似ているような気がしました。

sasayamaj (1)
内部は展示コーナーやシアター室などもあります。

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ずら~りと並んだかっちゅう、かっちゅういい!(・・コホン!、失礼!)

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最も格式の高い上段の間では、建築様式と狩野派絵師の屏風障壁画も見学できます。

sasayamaj (11)本丸天守台へと向かいます。

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天守閣は家康の命令か、当時の状勢からか、建造されませんでした。

sasayamaj (10)
遠くには八上城がよく見えました。

・・先程まであの山の頂上にいたのか・・、と弟クンと顔を見合わせます。
昨日からの夜間強行軍に加えての山城探索、二人ともいささかの疲れが見えます。
ここで城下町へ繰り出し、おいしい食事で休憩することになりました。

sasayamaj (15)
水堀も透明感があって綺麗でした。

sisinikudonn.jpg
城下町の食堂でありついた猪肉丼!、案外と肉が柔らかくて美味しかったです!

弟クンは牛とろ丼をこれまた美味しそうに食べるのです。
隣に座った親子ずれのキッズたち、箸も止めずに喰らう我々の姿にお口ぽか~ん。
この界隈では、お土産なんかもたくさん売られていて、散策するのも楽しいです。

どの町も一様に同じ景色になりつつある中、ここ丹波篠山は新旧の文化が大切にされていました。
(お土産には丹波篠山名物:黒豆フロランタンというお菓子がおすすめです!)

丹波 八上城 🏯「丹波富士」高城山の巨大城郭

丹波 八上城 (兵庫県篠山市八上内・高城山) <国指定史跡>
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その③

その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、強引な兄をもったばっかりに・・。
昔話に華を咲かせ、昔ドラマや特撮ヒーローモノの主題歌を唄いながらの深夜行軍。

密閉空間を幸いににかなり危ないヤツらでどうなることやら・・。
第3弾は丹波・八上城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
何度もお断りいたしますがご承知おきを・・。

t-yagami(18).jpg秀麗な山容は実にシンボリックで周囲からも目を引きます。

写真手前の山上には支城・法光寺城があります。
八上城の出城・別郭ともいえる砦で、他にも周囲には沢山の支城が構えられています。
そういった意味ではこれら支城も含めて「八上城城砦群」といってもよいでしょう。

t-yagami(2).jpg大体はここから登ることになるであろう、春日神社口の案内板です。

t-yagami(4).jpg丹波篠山五十三次シリーズの石碑は統一感があって良いです。
(籾井城も細工所城もこの手の石碑でした)

t-yagami(3).jpg主郭部周辺の縄張り図も図示されています。

ここで写メを撮って頂上付近で確認しながらの見学なんかがおススメです。
特に行きと帰りを別々のルートをとる、という方は迷わずに済むと思います。
一つの尾根と谷を間違えると大変な目に遭う巨大城郭ですから・・。

t-yagami(5).jpg
駐車場とトイレがあるのですが・・

お車での駐車場は上手く停めたとしても2台がギリギリ・・。
早い者勝ちです。先越されたら2時間くらい空かないですから・・。
自分達もほぼ同時にみえた方と調整して、後に出る方の車を塞ぐ形をとりました。
(これ結構プレッシャー(汗))

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先遣の弟クン、一般人?の彼のペースでゆっくり登ります。

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下の茶屋丸からの眺め、この景色でもまだまだ序の口?

t-yagami(8).jpg
長~い尾根沿いに整備された登山道に閉口しながらもファイトです!

t-yagami(9).jpg
右衛門丸に到着すると石垣が現れて、ちょっと元気が出ました。

t-yagami(10).jpg
三の丸、二ノ丸を経て本丸に到達間近。ここで振り返って景色を眺めます。

t-yagami(11).jpg丹波・篠山城がはっきりと確認できます。

・・といっても八上城が機能していた頃には篠山城はまだ存在しなかったのです。
何気ない時代の移り変わりを感じる風景です。
住宅生活圏と田畑耕作圏がはっきりと分かれている町づくりも面白く感じました。

t-yagami(14).jpg
本丸に到着しました。

t-yagami(15).jpg中央にずっしりと存在する波多野秀治公の碑。

天正3年(1575年)、織田信長の部将・明智光秀による丹波攻略の際、当初波多野氏は明智光秀に恭順の姿勢をとっていました。
しかし翌年、黒井城に攻め寄せた明智光秀に突如叛き、荻野氏と結んでこれを挟撃。光秀勢を丹波より追い落とします。
当然ですが 天正5年(1577年)再度明智光秀が丹波へ侵攻、八上城は厳重に包囲されました。

t-yagami (1) 漢文説明を解読中の自分。
・・理解しているかどうかはかなり疑わしい。(写真提供:弟クン)

籠城戦は約半年にも及びましたが、ついには秀治ら三兄弟が降伏、召し捕えられ落城しました。
三兄弟として波多野秀治・秀尚・秀香の名が伝わっています。

秀治らは丹波の入り組んだ山岳地帯を巧妙に利用して明智軍を翻弄します。
各支城とも堅固な構えを構築、織田軍の猛攻に1年半にも亘って耐え抜きました。
しかし長期の籠城戦で兵糧も尽き、光秀の調略で織田氏に寝返る諸豪族も出たようです。

t-yagami(17).jpg岡田丸に降りると本丸の石垣を見学できます。(((o(*゚▽゚*)o)))

t-yagami(16).jpg
古城感に溢れ、何かを語りかけてくるような石垣ですね。

t-yagami(12).jpg
中世山城の遺構もしっかりあります。

上の写真は自分が特に感じ入った、本丸東側の大堀切から~の、大竪堀です。
南北に長く大きく落とされていて、東口遮断の要となっています。

t-yagami(13).jpg
ちょっと神秘的な雰囲気の朝路池。

南東方向に降りて行くと二つの尾根に間の曲輪に「朝路池」があります。
落城の際に朝路姫が入水して自殺したと伝えられています。
・・と聞くと、ちょっと写真なんかも撮るの、控えたくなるのですが・・。

この山頂近くに湧き出て、枯れない、という点では取水遺構として見てもよさそうです。
・・しかし、人質として差し出した光秀の母が磔になったと伝わる松の跡・。
さすがに、ここではお写真が撮れません・・。(まぁ、本当はどうなのかわかりませんが・・)

尚、その後は明智光忠(明智光秀の叔父にあたる明智光久の子)が城代となりました。
彼は天正3年(1575年)の丹波過部城攻めで、織田信長より感状を下された功績もあるようです。
貴重な明智一門衆の・筆頭格の一人だったことは間違いないでしょう。

丹波を代表する大城郭、八上城は見所も多く、堅城ぶりが体感できます。
この城では攻め手の気持ちになって見学するよりも波多野氏ら籠城側の気持ちになってみるとまた味があります。
果たして光秀への突然の背信、何が彼らをそうさせたのでしょう?

萩野氏との結託、丹波国衆との折衝、丹波が誇る大要塞・・。
やはり「呼び込み戦法」は当初からの狙いだったのでしょうか?
この後に巡ることになる「黒井城」との関係が鍵を握っているような気がしました。


八上城の春日神社登城口を示しておきます。(駐車場はほぼ一台しか停められません・・)

丹波 細工所城 🏯「丹波の荒木鬼」・氏綱の居城は「荒鬼城」

丹波 細工所城(荒木城) (兵庫県篠山市細工所)
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その②

その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、愛車ジムニーでの深夜からの強行行軍。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」モード発令。

momii (1) momii (6)

朝一番での籾井城見学に続いて訪れた第二弾は細工所城です。
別名「荒木城」とも呼ばれる荒木鬼・荒木氏綱の居城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
あらかじめご承知おきを・・。

araki (10)美しい田畑より細工所城を麓から見ます。

araki (1)近年、「荒木城」の名で整備されました。(看板作成は平成27年になっていました)

氏綱は波多野氏に仕えた豪勇の武将として讃えられています。
明智光秀による攻撃を数度も撃退し、降伏した際にも家臣として仕えるように請われたようです。
自らは病身を理由に拒絶し、代わりに嫡男・氏清を出仕させています。

araki (11)埋まりつつある城址石碑、倒れるより全然ましですね。

araki (3)
民家の裏山から尾根沿いに登るコースが整備されています。

araki (19)
少し登ると小ピークに「細工所砦」なる支城に到着します。

araki (12)
土塁を構えた小郭の後には堀切があり、登山道から観察できます。

araki (4)

araki (5)
時折急峻な登り道もありますが、励まし看板で頑張れそうです!

おそらく、ゆとりを持った時間設定になっているようです。
健脚な方ならもっと早く頂上まで辿り着けそうです。
ゆっくり森林浴を楽しみながら登るのが理想ですが・・。

araki (6)
やはり頂上が近づくにつれ、そうも言っていられないのが山城の性です・・。

araki (7)
城中最大の難関切岸はロープを辿って登ります。

結構キビしい最後の難関、になりますが、アスレチックにきたつもりで楽しいです。
このロープ、むしろ帰り道に威力を発揮、重宝すると思います。
ここからはしばらく何段かの小郭が現れ、確実に主郭部に導いてくれます。

araki (13)山頂手前から虎口等が現れ、削り込まれた法面が現れます。

araki (17)

araki (15)
木々が適度に伐採され、良く整備された本丸に到着しました。

araki (9)本丸からの眺めが実に気持ちいい(*´∀`人 ♪)

山間部のなかにも一面に広がる田畑は実に美しい景観です。
画面中央の奥にには「丹波富士」こと高城山の八上城がはっきり見えます。
頑張って登ってきたので、ご褒美を味わうように汗が引くまで休憩します。

araki (16)
本丸の他、主要な腰郭なども見学しやすく整備されています。

araki (8)特に本丸周囲はよく削り落とされています。

下手に降りたら再び登っていくのに苦労することになりそう・・。
写真は北に続く下段郭から見上げた本丸の切岸の様子です。
ここの他、東側尾根には大きな堀切なども見られました。

八上城の波多野氏と連係しつつ在地領主としての機能も備えた細工所城。
籾井城もすぐ近くなのでこちらとも連絡が容易、丹波のの入口を固める要衝だったようです。
豪勇、荒木氏綱「荒木鬼」に相応しい山城だと感じました。


細工所城(荒木城)の登り口を示しておきます。



丹波 籾井城 🏯「丹波の青鬼」伝説に包まれた要衝

丹波 籾井城 (兵庫県篠山市福住北山)
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その①

その名の通り、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、昨年の越前地方城めぐり以来でしょうか。
昔話に華を咲かせ、昔アニメや戦隊モノのテーマソングを唄いながらの深夜行軍。

ヤバいテンションでどうなることやら・・。
第一弾は丹波・籾井城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
あらかじめご承知おきを・・。

momii (19)田植え準備、心が落ち着く福住の歴史を感じる景観です。

「丹波の青鬼」と称され丹波では赤鬼赤井直正と並んで武勇に優れた籾井教業
今日でもその名は勇猛な武将として伝承されていますが・・、
どうも教業の名に関してはその実在が疑われつつも語り継がれているようです。

・・また私事ですが・・
某SLGでは丹波波多野氏でプレイを始めると教業に赤井直正・荒木氏綱を加え「鬼備え」を編成。
強面切り込み隊長としてバリバリ野戦で活躍させたお馴染み武将でもあります。

・・話しを戻します(ここはサクッと)。

実際は天正年間の明智光秀の侵攻に対した時の城主は籾井綱利であったようです。
天正4年11月(1576)、激戦に次ぐ激戦の末、明智光秀軍の侵攻を押し返します。
しかし翌年、再度(天正5年10月)押し寄せた光秀軍によって落城し、城主・綱利は自刃しました。

momii (4)

momii (5)支峰を持つ城郭です。

momii (3)橋のたもと、城山麓の城址石碑。(小さいので地面からあおって撮影(^∇^))

禅昌寺の墓地・駐車場に向かう道の左側に登山口があります。
草木に覆われ、見落としやすい感じです。

momii (16) momii (17) 見落としがちな登山道案内。

momii (14) momii (15) 途中、忠魂碑の前には大砲が・・。

momii (13)
なだらかな遊歩道が整備されていて登りやすいです。

momii (8)

momii (7)
主郭につながる各尾根にはキチンと堀切が設けられているのです。

momii (12)
本丸の切岸を手前の曲輪から観察します。

momii (2)
本丸に到着。「籾城公園」の石碑が中央土壇にあります。・・「井」の字はどした?

momii (11)
北に続く曲輪群は見通しがよくて見学しやすいです。

momii (10)籾井城、最大の見所であろう、北尾根を分断する大堀切。

この堀切の見所は人一人が通るのに限った土橋。
そしてその土橋の片側を竪堀として削り落としている所です。
他にあるようで、あまりお目にかかれない珍しい「技あり」遺構といえます。

momii (9)土橋、ちょっとアップしてみました。( ^o^)

籾井教業は籾井氏・旧臣の子孫が書き残したという記載から生まれた創作人物なのかもしれません。
しかし、京都から丹波へ入口にあたるこの要衝、籾井氏と光秀軍が持てる力と知恵をぶつけ合った故からの壮絶な物語が「青鬼・籾井教業」を生んだのかもしれません。

momii (21)
遠くから見ると、森のように見える一本の大杉、「安田の大杉」。

籾井城の西の麓に立つこの大杉は推定樹齢700~800年だそうです。
人同士の争いも営みも、ずっと見続け、見守ってきた生き証人といえます。
その物語を知っているのなら聞かしてていただきたいものです・・。

兵庫県から近い、とはいえない他県の久太郎ですが、この城を訪れるのは今回で3回目。
自分でも何故だかはわかりませんが、惹きつけられる雰囲気があります。
それはどこか懐かしく、心和む里全体の変わらない姿からくるものなのでしょう。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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