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丹波 岩尾城 🏯黒井城に負けず劣らじの山上石垣②

丹波 岩尾城 (兵庫県丹波市山南町和田・蛇山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・後半その②】

壮大な石垣遺構を目の当たりにしてに立ち尽くし、やがて歩き出します。
一歩づつ歩くごとに違う景色になってしまうのが実に惜しまれます。
この西の丸から二の丸に向かっていく間の石垣は本当に見事です。

iwaoj2 (7)なかなかダイナミックな野面積。

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草の茂みがいい感じで古城感をかもしだしているのです。

iwaoj2 (22)二の丸にある岩尾色の説明文と縄張り図。

図面を見たら解るように、この岩尾城、主郭部中央の大土塁を境に構造が全く違います。
土塁の北側は中世以来の「土造りの城」の姿をとどめています。
対して土塁の南側は、明らかなる織豊期の「総石垣の城」の姿を見せています。

iwaoj2 (4)二の丸から見る天守台方面。

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高石垣ではないですが、二段に積み上げられた石垣は古風で健気な印象があります。

iwaoj2 (9)伝・天守台には小さいながらもシンボル的な建物があったのでしょう。

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西方面の眺望がよく見えました。

iwaoj2 (24)青いベンチとセットの岩尾城標柱。

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「古城」とを分かつ大土塁は櫓台にも相当する大きさです。

ここから北は石垣の城から一転、中世の頃の姿が見えてきます。
切岸、土塁、堀切(二重堀切)といった遺構が楽しめます。
そのメリハリを観察するのが、ここ岩尾城でのもうひとつの楽しみ方かもしれません。

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北に延びる曲輪には周囲に土塁が廻っています。

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北尾根に備えた土橋と堀切。

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西尾根に備えた大堀切は二重堀切となっています。


岩尾城は永正13年(1516)、和田斉頼によって築かれたと伝わります。
斉頼は天文13年(1548)病没し、跡目を師李が継ぎ城主となりました。
しかし、天正7年(1579)丹波へ侵攻した織田軍の明智光秀に攻められ落城しました。

天正14年(1586)近江国より佐野栄有が入封すると、岩尾城は総石垣の近世城郭へと改修されました。
しかし、明智勢に摂取された時点で石垣改修されたとする説も有力です。
黒井城や金山城、周山城等、同時期明智方の遺構プランがその説を後押ししているようです。

佐野栄有は近江・木戸出身の豊臣方の武将です。
その人物像は不明な点が多いのですが、秀吉らに発掘された近江派ルーキーだったようです。
しかし、栄有の在城は僅か10年、再び近江国木戸へと移り、後は前田玄以の属城となりました。

栄有さん・・、何があった??気合で新生岩尾城を築城したのに・・。

迫力ある古風な織豊系石垣と中世からの土の城、両方をじっくり楽しめる岩尾城。
しかし、これだけの城郭が毅然として残っていることに驚きました。
岩尾城が注目を浴びるのはまだまだこれからでありましょう。
(個人的にはあまり有名になって欲しくないが・・)

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前日に入浴した「丹波の湯」、薬草の風呂は癒しのひとときでした。

岩尾城の麓から近い所にあるので合わせて寄ると登城の疲れもとれますかと。


Ⓖは蛇山・岩尾城山頂部。麓の和田小学校から登城しました。
駐車場は和田小学校向かいの交流センター?さんにお借りしました。

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丹波 岩尾城 🏯黒井城に負けず劣らじの山上石垣①

丹波 岩尾城 (兵庫県丹波市山南町和田・蛇山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・後半その①】

黒井城トレランを終えた後、三尾城と国領城を訪れてこの日は閉店ガラガラ。
丹波の宿と温泉で体を休めました。疲れ果てた体に用意されたお湯とベッドは格別ですね。
それでも翌朝5時に起きてしまう自分が悲しい・・。

それもこれも丹波の山城が未だに自分を呼ぶからでしょうか。
もうこの合併症を治すことはしばらく無理そうです・・。
ということで、次の日は早朝から丹波・岩尾城に登ってみました。

iwaoj2 (28)牧山川に架かる和田大橋から望む岩尾城の蛇山。
(この時期だから蛇はもういないだろうね・・)

この山の稜線が蛇のようにくねくねしているのが山名の由来なんでしょうか??
それにしても黒井城といい三尾城といい、ここ岩尾城もかなりの比高ある山城なんですが・・。
昨日のレースを体験した後のせいでしょうか、「ああ、こんなもんか」という程度の認識。

標高ある山城を目の前にして、完全に免疫ができてしまいました。(麻痺ともいいます)

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今回は山麓の和田小学校から登城します。

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この日は平日。よって早出の学校職員さんに一言声をかけます。
(先生、月曜日のこんな朝っぱらからすみませんでした・・)

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岩尾城の案内版があるところからセルフゲートで入城していきます。
(上から行っても下から行っても同じ所にでます)

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本来の大手道は現在の親縁寺からの登城道だったようです。

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南先端部の南曲輪を通過します。ここは平地のみの出丸ですね。

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登山道は珍しく美しいシダ道でした。

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下知丸曲輪に到着。ここから下知(命令)の指示が飛ばされたのでしょうか?

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さて、いよいよ主郭部に近づいてきたようです。

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南尾根筋の最初の堀切、底を通って井戸方面へ。

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こんな高所に井戸の址が、しかも水が張られてあります。

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その井戸を守るかのように手前には巨大な竪堀も。

iwaoj2 (3)現れだした石垣に心臓がバクバク(;゜0゜)してくるのでした。

iwaoj2 (20)息を飲む西の丸の虎口からの様子です。

自分はここであまりの古城美学に立ち尽くすこと暫くでした。
驚きました・・。失礼ながらここまで素晴らしい遺構があったなんて・・。
これに呼ばれてここまで来たのだ、と納得した瞬間でした。

後半その②に続く・・ (紛らわしくてすみません)

丹波 国領城 🏯三尾城下の居館址

丹波 国領城 (兵庫県丹波市春日町国領)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・前半その②】

この日、なんとか無事に「黒井城トレラン大会<エクストリーム>」を制覇。
その足で三尾城に登りつめ、続いて訪れたのが国領城です。
城は三尾城の北西麓にあり、竹田川の南岸に築かれています。

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現在城址には流泉寺が移築され、寺内一体がその範囲となっています。

mituo02 (2)国領城の土塁と言われる遺構です。

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西側の土塁の外には僅かに堀も残っているように見えます。

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境内の南側から西側にかけてL字状に角部の土塁が残っていました。

国領城は赤井幸家によって築かれたといわれています。
赤井幸家は三尾城主で黒井城主・赤井直正の弟です。
三尾城を詰めの城として、平時はこちらの居館で政務をとっていたのでしょう。

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土塁の内部には赤井幸家の「孤舶釣月」の法名と「赤井刑部」の名が刻まれている墓石があります。

城は天正7年(1579の)明智光秀による丹波攻略によって落城したようです。
寺には国領城を示す石碑や案内板などは見当たりませんでした。(ちと残念)
丹波の赤鬼を支えた、弟・幸家を偲ぶことのできる貴重な城なんですけどね・・。

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国領城から眺める三尾城・・、結構遠いですな・・(;^_^A)

丹波 三尾城 🏯赤井直正の弟・赤井幸家の牙城

丹波 三尾城 (兵庫県丹波市春日町中山・三尾山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・前半その①】

この日、なんとか無事に黒井城トレラン大会エクストリームを制覇。
心地よい達成感と疲労困憊の中、少しだけ余韻に浸っていました。
・・でもそれはほんの束の間。

・・どこからか聞こえてくる・・、自分を呼ぶ丹波の山城からのお誘いです。
満身創痍になりながらも、やめときゃいいのに、登ってしまう悲しい性です。
これが本当の・・、赤井の呼び込み戦法なのでした!

ということで向かったのは赤井直正の弟・赤井幸家の築城と伝わる三尾城
幸家は兄である、丹波の赤鬼・赤井直正を支えた「影の赤鬼」。
黒井城とは盆地を挟んで相対する三尾城を拠点として明智勢と戦います。

mitio01 (2)三尾城は険峻な三尾山(標高586m)の山上に築かれています。

三尾城はその名の通り、3つの尾根の合体城郭です。
前三尾、中三尾、三尾山と3つのピークはどれも城郭として利用されたようです。
山肌には一部ですが垂直に近い崖肌も見える険峻極まる山城です。

過酷なレースを終えたばかりなのに、この体で挑むのは愚の骨頂。
歯止めがきかない自制心、わかっていてもやめられない。
丹波の山城の魅力、憑りつかれたら、こうなります。(お前だけだよ)

なるべく最短距離を登るべまずはく林道を探します。

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あった、あった、ありました~。ゲートを開け閉めするパターンの林道です。

mitio01 (15)
♪マッハロッドでブロロロロ~、ブロロロロ、ブロロロロォー!!byバロムワン。

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行ってきます♪ここで待っててね。(帰ってこれたらね・・)

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山頂まで1150m!?、・・ナンノ陽子じゃい(汗)!

mitio01 (13)
山頂までは沢道あり、整備登山道ありでゆっくり歩けば大丈夫です。

mitio01 (5)
今回は時間と体力の問題で前三尾はパス!、眺望は本丸から見ようと思います。

因みにネットで検索予習した際には前三尾展望台からの眺望は絶景だとか・・。
堀切に近いような峠道があるとか・・。
今回は堪えて少しでも体へのダメージを考慮、諦めます。

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本丸の手前には8段になる曲輪が連続で連なります。

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現われだした曲輪群。ブッシュでよくは観察できませんでした。

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主郭部に到着しました。麓の駐車場から40分くらいでの到着でした。

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何故か本丸部だけは見通しがよく整備されていました。

三尾城は三尾山山頂に本丸を置き本丸を取り巻くように腰曲輪が廻っています。
本丸より北方向に8段の段状郭が連なり、鞍部には広い郭が築かれています。
天険を頼ったのと、急造の城郭だったのか、大規模な堀切遺構は見られませんでした。

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本丸を取り巻く腰郭。

mituo02 (21)「三尾城址」石碑・・いいですね~ヾ(o´∀`o)ノ。

赤井幸家は兄の黒井城主・赤井直正が病死した為、黒井城の城代として但馬竹田城へ出陣。
そこへ明智方の妻木範賢が攻め寄せ、三尾城はついに落城します。
妻木範賢は美濃・妻木城出身の縁者と思われます。

mituo02 (28)霞んでましたが、頂上からは黒井城城砦群もはっきりと視界に入ります。

mitio01 (10)尾根続きの断崖からは美しい紅葉が。思わずパチリ!

自分にも共に育った弟クンがいます。
大切な家族で、いざというときはホントに頼りになる弟です。
さて、直正と幸家はどんな兄弟だったのでしょう?

骨肉相食む戦国時代、兄弟同士で争う例は日常でした。
そんな時世、幸家は兄・直正の考えに同調して、兄の死後も甥・直義を助け戦い抜きます。
そこにはお互いに信頼し合える、固い兄弟愛を感じます。

「名高キ武士」を支えた「影の赤鬼」、赤井幸家の信念を感じた三尾城でした。

mitio01 (8)山上にて傍らのアカタテハとコーヒータイム。

赤鬼ならぬアカタテハ・・、来れてよかったです(* ´ ▽ ` *)。

丹波 黒井城 🏯山上に敷かれた異世界へ

丹波 黒井城 (兵庫県丹波市春日町黒井猪ノ口山・城山) <国指定史跡>
束の間のG.W 丹波・鬼将たちの城を訪ねて・その④ (最終回)

今更ながらですが、「束の間のゴールデンウィーク」は丹波地方に駒を進めました。
同乗してくれたのは弟クン、城への想いを出し惜しみしない兄弟です。
サンライズアニメの話に華を咲かせ、80年代の歌謡曲を語りながら・・。

第4弾は丹波・黒井城です。
時間的な都合もあり、ほぼ「ダイジェスト備忘録」的な記事です。
重ね重ねお断りいたしますがご承知おきを・・。

kuroij (29)黒井城が築かれた猪ノ口山は全山が要塞化されています。

kuroij (30)麓からみても石垣がありありと確認できます。

kuroij (1) kuroij (2)
黒井駅前にはお福、後の春日局の銅像がお迎えしてくれます。

黒井城を落城させた明智光秀は重臣の斎藤利三を黒井城を任せます。
利三の末娘として黒井城で誕生したのがです。
ご存知の通り、後年徳川家光の乳母となった春日局その人です。

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興禅寺は黒井城の下館と推定されているように雰囲気バッチリですね。

kuroij (6)登山口の駐車場の石碑。黒井城だけに黒いのが渋いなぁ・・。

城跡への登り口は山麓にある黒井小学校と興禅寺を通り、ここから登るのが一般的。
駐車場にはトイレ、自販機、登山杖、案内看板など登る前にいろいろ身支度できます。
特に案内看板のイラストの赤井直正明智光秀は必見ですね!

kuroij (4)
kuroij (3)
イラストがかっこよすぎて説明が入ってこない・・。

黒井城主として有名な赤井直正についてちょっと・・。
自らを悪右衛門を称し、赤井氏の実質的な指導者として、氷上郡を中心に勢力を誇ります。
『甲陽軍鑑』には「名高キ武士」として徳川家康、長宗我部元親、松永久秀らと共に、その筆頭として名が挙がっています。

元々は織田信長に対しては上洛して丹波奥三郡を安堵されました。
しかし、但馬の山名氏との交戦状態となり、山名氏の諸城を悉く落とし本城に迫ります。
この事態に窮した山名祐豊織田信長に助力を求めます。

山名氏の要請で丹波に派遣された明智光秀。
急ぎ但馬から黒井城に戻って迎撃態勢を整えた赤井直正。
お互いに知力を尽くした戦いが展開されていきます。

kuroij (5)
それでは登って行きます。

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途中、急坂コースゆるやかコースに分かれます。行きと帰りそれぞれで通ってもいいかと。

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本丸までは登りに30分~40分をみておきます。頂上手前が一番キツイ・・。

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最初にお目にかかれる東曲輪の石垣に早くも心躍ります。

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はやる気持ちを抑えつつ、主郭部に向かっていきます。

kuroij (17)本丸南西部に向かって立ち並ぶ石垣。

恐らく・・、石垣が好き、というお城ファンにとっては超どストライクではないでしょうか??
この威圧感、この荒廃感、現代においても未だ戦いに備えているかのような存在感!
黒井城の大きな魅力といってもよい、石垣から見ていきます。

kuroij (12)
大胆な野面積ですが、隅部は算木積の交互積が確認できます。

この石垣は天正年間に築かれた石垣と考えられています。
赤井氏時代ではなく、その後の斎藤氏、堀尾氏時代だということです。

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本丸の虎口も石垣で固められています。

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主郭北東部には石垣は用いられず、赤井氏時代の面影が感じられます。

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主郭部が細長く切り立っっている様子がよくわかります。

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本丸です。山頂とは思われないほどキチンと手入れされていました。

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山頂からは360度のフル眺望が素晴らしいです!

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氷上盆地を見渡せる絶好のロケーション。

既に八上城の波多野氏ら国衆を服属させて黒井城を包囲した光秀でしたが・・。
突如として波多野氏が違背を示し、光秀の陣を突き、明智勢は総崩れとなりました。
これを後世、「赤井の呼び込み戦法」と称しています。 

直正は反織田連合の勢力とも積極的に親交を深め、毛利への丹波救援も催促していました。
一旦は心ならずも織田方に降った丹波国衆とも密に連絡を取り合っていたようです。
直正を武勇の士と共に、外交・根回しの丹念さといった面を窺い知れことができます。

kuroij (15)かつて明智光秀が呼びこまれた地には美しい田園風景が広がります。

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北西尾根先には千丈寺砦へと続く一大城郭。

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本丸と二ノ丸の間には堀址も見られます。

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一通り見学し終えたところで本丸での昼寝タイム。(写真提供:弟クン)

通り過ぎていく鳥の声に身をゆだねて・・。
ゆっくりと流れる雲を追っているうちに・・。
となりで寝てる弟のほうから軽いイビキが・・。(笑)

贅沢な五月の淡い時間が過ぎていきました。

kuroij (25)おっと、忘れそうでした、別名「保月城」の石碑です。(寝てる場合じゃない)
「口」の部分が五角形になっている独特の書体に「いいじゃない(・∀・)↗?」

kuroij (18)心のずっと奥の方に残るであろう石垣でした。

守護・細川氏、守護代・内藤氏の影響力を追い落とし、
実質、第二勢力である波多野氏を上回り、丹波最大の勢力を築いた赤井直正
丹波国衆の代表として「自ら先陣を切るべし」とする戦人の姿を感じました。

・・そんな丹波気風に忠実たらんとした行動力はまさに「名高キ武士」。

kuroij (24)
弟クン、一緒に来てくれて本当にありがとう!
(ちょっとぉ、カッコよすぎじゃなね? 兄者より)



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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