京都山城 将軍山城 🏯市街地近くで気軽なトレイル

京都山城 将軍山城 (京都府京都市左京区北白川清沢口町・瓜生山)

将軍山城は京都市中心部の東にある瓜生山(標高301m)に築かれた山城)です。
別名はいろいろあって、

北白川城(きたしらかわじょう)、とか
瓜生山城(うりょうさんじょう)、とか
勝軍地蔵山城(しょうぐんじぞうやまじょう)とか、いろいろあります。

個人的には、足利将軍ゆかりの城、ということでやはり「将軍山城」がピタッ、ときます。
今回は長男が通う大学祭にお呼ばれしましたので、学校見学を兼ねての上洛です。
奥方も楽しみにしてのお出掛けなので、機嫌を損ねないようにしないといけません。

大学祭がAM9:30から、ということでしょうか?、奥方が呟きます・・。
「・・その前に一つだけなら、城に行ってもいいよ。」
おおっ!、まさに、・・神の一言です。

syougun (1)
城への登城口は狸谷山(たぬきだにやま)不動院さんの階段手前からが便利です。

・・大きい声ではいえませんが、京都の寺院では珍しい無料駐車場です!
ま、ここを拠点での観光、というには不向きですのであくまでも城見学に関して。
・・大きい声ではいいませんが・・。(くでー)

syougun (2)
何の由来かは調べてませんが、七福神さんや、

syougun (19)
インスタ映えするような「いいね!」箇所もあります。

syougun (3)
240~250段ある石段をえっちらおっちら、と登って行きますと、

syougun (4)狸谷山不動院に到着します。

交通安全・厄よけ・ガン封じ祈願で有名な修験道の寺です。
宮本武蔵が心の剣を磨いたといわれる武蔵之滝があり、修行場としても信仰されました。
(今回は途中の道が崩落のため見学できませんでした)

syougun (5)
奥の院からの登山道から山頂へと向かいます。

syougun (11) syougun (10)1
京都一周トレイルのコースとしても利用されており、整備されています。
(意外と人に出会うので安心します)

syougun (15)東側の箱空堀から見学。

堀幅がありますが、あまり高低差がないため気付きにくい遺構です。
全体的に高い切岸が見当たらず、はっきりとした遺構が掴みにくい城址ですね。
いつの間にどこから城域に入っていたのやら?という感じです。

syougun (16)中央にスロープ状になった土橋(っぽい)遺構もあります。

各曲輪の間も連絡意識が緩く、戦国期の城、としてはメリハリがみられません。
時代や戦乱ごとにパーツ改変されたせいでしょうか。
城域が広いため、滞在型陣城、としての規模として検討してみる価値もあります。

syougun (18)
頂上の本丸に到着しました。結構広く、東側の山並みを眺望できます。

syougun (7)以前、一度弟クンときたこともあり、懐かしい説明版でした。

syougun (6)説明は黄色枠内にお任せして・・。(ノ´▽`*)b

syougun (8)
本丸跡に建つ幸龍大権現の社、裏に回ると・・、

syougun (17)
元勝軍地蔵の石室があります。

将軍山城は当初、近江より上洛する際の前線基地としての役割をもっていました。
細川高国がこの城に陣を構え、その際戦勝を祈願して将軍地蔵を勧請したのが由来です。
その後、室町将軍足利義晴自身がこの城を大幅に改修します。

六角義賢軍や三好長慶軍との対陣にも利用され、元亀元年(1570年)には、明智光秀がこの城に入って数カ月延暦寺を牽制する等、京支配における存在意義が大きかった城郭であったことが理解できます。

syougun (12)
山中には谷をグラグラする橋で渡ったり・・、

syougun (13)
鎖を手繰ってよじ登っていくコースがあったりで楽しめます。

奥方も軽い一言のおかげでこんな目に遭うとは思いもしてなかったようです。
でも、「いい運動になって、面白かった!」、なんて、
一緒に山城を楽しんでくれましたんで、良かった!と思うのです。

syougun (14)
木々の隙間から見える京都の街並みがとても絶景でした。

この後、長男と大学祭にて合流。
彼は、サークル仲間たちと、たい焼き屋を出店して、頑張ってました。
久しぶりに学生気分に戻って楽しめた一日になりました。

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京都山城 伏見桃山城 🏯雅で迫力ある模擬天守群

京都山城 伏見桃山城 (京都府京都市伏見区桃山町大蔵)

春、うらら、入学式にかこつけての城めぐりです。
4月に入っても、桜がまだ咲いてません。
ここ伏見桃山は桜の名所だと聞いてやってきたのですが・・。ちと残念。

現在、本来の伏見城の主要部は明治天皇陵などになっており、立ち入ることはできません。
以前、伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があり、ここに模擬天守が建てられています。
あまり人気がないようでしたが、奥方とぐるっとのんびり散策してみました。

fusimi22.jpg耐震基準を満たしていないことから内部は非公開です。(残念)

洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして模擬天守が鉄筋コンクリート構造で造られました。
まだ遊園地が営業しているときに来たかったのですが遊園地自体は閉園となってしまいました。
(2003年1月31日に閉園しました)

fusimimomoyama (3)なかなかの迫力で雅な高級感が感じられます。

よく写真で見かけるカットですが、間近でみると想像以上に迫力があります。
単なるモニュメントにしておくには実に惜しい建築物だと思いました。
奥方も突然目に入った天守群を見て、びっくり!してました。

fusimimomoyama (2)模擬大手門です。さすがに作り物っぽさは否めませんね。

fusimimomoyama (1)石碑です。この場所は伏見城の西側あたりとなります。

文禄元年(1592年)豊臣秀吉によって隠居屋敷として築かれたのが始まりです。
当初は南方の指月山に築かれていましたが、慶長の大地震で倒壊したため、
北方の木幡山に本丸を移して再建されました。

関ヶ原合戦の前哨戦では徳川方の城将・鳥居元忠が奮闘し壮絶な死を遂げました。
関ヶ原合戦後、天守は二条城へ移築、櫓は備後国福山城や江戸城などに移築されました。

fusimimomoyama (5)模擬小天守もそれなりに立派なんです。

fusimimomoyama (13) 4月の訪問ですが今年の桜は遅い・・。

fusimimomoyama (11)模擬天守を下から見上げてみます。

重厚感があって破風のバランスがかっこいいと思いました。
模擬天守の中は資料館となっていて、秀吉築城の聚楽第の復元(推定)模型が展示されていました。
それも開園している時のお話しなのですが、見てみたかったです。

fusimimomoyama (10)今一つの石碑を、植え込みの中に発見。

fusimimomoyama (9) この門から入城してみたいものです。

fusimi2446.jpg空にそびえる大天守。当時の威風を思い起こさせます。

いつかまた最上階に登れる日が来るのか、楽しみです。

 

京都山城 槇島城 🏯京での室町幕府終焉を迎えた城

京都山城 槇島城 (京都府宇治市槇島町薗場・城址碑公園と槇島公園)

将軍家を再興するため足利義昭が雄々しく誕生した、記念すべき城館が矢島御所だとしたら
こちら槇島城は義昭の野望潰え、事実上、室町幕府の終焉の地となった城です。

個人的には義昭ほど信長に対し、腐らず、めげず、諦めず抵抗した人物はいないんじゃないかな。
・・そう思う時があります。
実際、信長包囲網を立案、発布、それを受けた諸大名は次々と起動をしたわけです。
それに室町幕府将軍に供奉した御供衆(おともしゅう)も健在です。

並大抵の外交手腕ではできないことです。
金もカリスマも必要とされます。
そして、なにより不屈の情熱が備わっていたのでしょう。

そんな「貧乏公方」、足利義昭に愛着さえ感じるのです。

槇島城は現在、遺構はすべて消失して、何も残っていません。
しかし、城址碑が語るゾーンが2ヶ所あるので紹介したいと思います。
(記事の末尾に地図を添付いたしました。)

makisima (5) 一つは住宅街の中の公園に立つ城址碑です。

makisima (2)この石碑は公園なのになかなか発見しづらい場所にあります。

makisima (4)説明版を読むとすっかり変貌した様子がわかります。

槇島城は、足利将軍家の家臣・真木島氏が本拠としていた城でした。
回りを川で囲まれた天然の要害にもなっていました。

元亀4年(1573)、信長に追われた義昭は、真木島昭光がいる槇島城に居を移します。
しかし、追ってきた信長軍勢の攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃亡しました。
これにより、城は開城、室町幕府はこの地で滅びます。この戦を槇島合戦と呼んでいます。


いま一つの城址碑は北の方角の槇島公園の隅にあります。

makisima (13) 槙島公園。

makisima (6)美しい花壇の奥にあります。

makisima (9)槙島城記念碑、という城址碑です。

本当に面影も何もあったものではありませんでした。
室町幕府の滅亡、というのに相応しい姿なのかもしれません。
城址碑を探し当てる、そんな楽しみ方が好きな城郭ファン向けの城、といった所でしょう。

槇島城は何も遺構がありませんが歴史的には重要な城です。
この場所に立つと、義昭公に労いの言葉をかけたくなるのです。
しかし、義昭公のほうからはこんな言葉も聞こえてきそうです。

「めげんなよ。」




丹波 福知山城 🏯光秀・秀満による集大成の城

丹波 福知山城 (京都府福知山市内記1) <市指定史跡> 【続・日本100名城】

伊根の舟屋群と伊根城めぐり
天橋立と弓木城めぐり
・・ときて、帰りに福知山城に寄って行きます。

行きは家族5人の旅行でしたが、帰りは京都市から4人での帰路になります。
この春から晴れて大学生となる長男を学生寮に預けていかねばなりません。
少し寂しいですが、お城めぐりをしているうちはみんなボルテージ・アップです。

今回の福知山城は散策感覚でゆる~く歩いてみました。

fukutiyama (45)駐車場から見上げると天守が。

fukutiyama (35)とりあえず石碑をおさえときましょう。

fukutiyama (36)福知山城公園から本丸へと至る昇龍橋を渡ります。

右側には隅櫓風城郭建築様式の福知山市佐藤太清記念美術館があります。
堀と石垣、昇龍橋の流曲線が美しいと思いました。

fukutiyama (4) 登城路を登っていきます。

fukutiyama (33)近年(2009年)に復元された釣鐘門です。かっこいいですね~。

fukutiyama (32)豊磐の井(とよいわのい)と呼ばれる井戸です。

なんと50メートル近くの深さを持った井戸なんです。
城郭内の井戸としては日本一の深さを持って いるそうです
まさに底なし井戸です。

fukutiyama (34)fukutiyama (9)福知山城の石垣といえばこの野面積の石垣でしょう。

この石垣には、そこいらに五輪塔・宝篋印塔などの法塔が使われています。
これは石垣に利用する大量の石材がなかったことや築城の時間を短縮するためといわれています。
安土城なんかにも見られます。

また他の理由として古い地元の勢力や権威を否定する意も含んでいるようです。
また仏教の力で城を守護するという意味ともいわれています。(とってつけたような理由ですね)
個人的には罰当りな行為かと思いますが・・。

fukutiyama (11)転用石が並べられています。いや~、使い過ぎも程々に・・。

そして振り返れば・・天守です。

fukutiyama (13)本丸に鎮座する大天守。

昭和60年(1985)に復元がされました。
当時の姿を再現してあるので戦国時代を感じさせる雰囲気を持っていますね。

fukutiyama (19)本丸からの福知山市内南側。

fukutiyama (27)小天守と見事な反りを描く石垣。

fukutiyama (31)小天守と大天守は続櫓によってつながっています。

fukutiyama (49)

見る角度によって様々な表情を見せてくれる天守閣。
物事もいろんな角度から見ることで感じ方・受取り方も変わります。
長男には大学生活を通じていろんな人と出会い、いろんな角度から広い目で物事を見て欲しい。

また城めぐりに行きましょう。




丹後 弓木城 🏯丹後守護・一色氏の滅亡を見届けた城

丹後 弓木城 (京都府与謝郡与謝野町弓木城山・城山公園)

弓木(ゆみのき)城は天橋立を東に望む小高い城山山頂部に築かれています。
城山公園の無料駐車場を利用してゆっくり散策できます。
天橋立にて「股のぞき」をしてからの訪城です。

mata (1) matanozoki.jpg
お約束のポーズでの「股のぞき」、こんな感じで天橋立を逆さに見ますと・・(↑)

股を開き頭を深く下げていると、だんだん頭に血が充血して目が回ります。
すると、天橋立が空に向かって龍が如く伸びていく様に見える、というものです。
この態勢は慣れないと結構きついようです・・。

天橋立が龍に見えた瞬間、頭に血が昇り過ぎ、台から転げ落ちる危険性アリ。
それ以前に体が硬い方、見るに耐えない無様な姿をさらすことになりそうです。
ここへは柔軟体操をしっかりとしてから来た方がいいみたいです。

さて、弓木城へと話を戻します。

yumiki (30)
城山公園駐車場脇に立つ新しめの案内板。 

yumiki (3)主郭の東に張り出した尾根の曲輪の様子。

弓木城は稲富氏によって築かれたと伝わります。
稲富氏は二代・直時のときに丹後・一色家の家臣となりました。
稲富流鉄砲術で著名な稲富直家(祐直・理斎)は稲富氏四代目といいます。

yumiki (21)主郭と東郭部を隔てる中間連絡曲輪は大きな堀底にも見えます。

yumiki (7)主郭部を見上げます。んん?中央を走るあの溝はなんでしょうかね。

yumiki (10) 回り込んで主郭へと向かってみます。

yumiki (13) yumiki (8)
先程の溝の正体、本丸からまっすぐ麓まで続いています。

水無月神社の参道のような道にも見え、後世につけられた遺構だとも考えられます。
まぁ、この道を直登すること自体、無理そうですから、竪堀として見ても構いませんが。
(↑他国者にありがちな適当イメージで城を語るアウトな見方)

yumiki (16)細広い本丸に到着です。

yumiki (11)なかなかの弓木城の石碑です(いいですな~)。

天正6年(1578年)織田軍の明智光秀細川藤孝による丹後侵攻を受け、一色義道の居城・建部山城は落城。
義道は逃亡中に中山城で自刃します。

子の一色義定(義俊・義有・満信とも)は弓木城に籠もって稲富祐直と共に織田軍に対抗します。
城主・稲富祐直は少数の兵力をもって織田軍の攻撃を撃退し続け、一色義定を擁し抵抗を続けます。
織田軍は攻めきれず和睦を結び、義定は細川藤孝の娘を娶り、弓木城を居城とします。

しかし、本能寺の変の後、一色義定に怪しい動きを察した細川忠興は宮津城に義定を招いて謀殺、そのまま弓木城も攻め落とします。

yumiki (18) yumiki (24)
主郭は曲輪の北端部が一段小高くなって水無月神社が鎮座しています。
全体的に周囲を高い切岸で固められた城のようです。

yumiki (19)北下には堀切があり、小高い曲輪に城山稲荷が祀られています。

yumiki (28) 北口登山道から見た主郭の様子。

yumiki (26) 稲荷曲輪のへりに張り付いた根。

なんとも織田軍相手に徹底抗戦した根強さを彷彿とさせます。

yumiki (17)本丸からは木々の間から少し、城下の様子が見えていました。

yumiki (31)弓木城は背後の岩滝小学校の所も城域であったようです。(小学校建設によって遺構は消滅)

また東に出丸をもつなど、城域が広い城だったようです。
織田軍を相手に耐え抜いた名城だったんですね。
弓木城はまさに戦国丹後の最大規模の山城といえましょう。

yumiki (32)付き合ってくれた子息たちは駐車場でフリスビーです。
毎度ありがとう。(´ゝ`)




プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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