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美濃 迫間城 🏯山歩きと城歩きで愛されています

美濃 迫間城 (岐阜県関市迫間・迫間山) 

前回の記事で取り上げた、勝山城(猿啄城)への登山者が多いのには理由があります。
もちろん、展望台から雄大な日本ラインを眼下に俯瞰し、絶景が楽しめるのはその一つです。
しかし、登ってきた道をそのまま下山する人はあまり見かけません。

では、どこに行かれるのかというと・・。

山頂に立ったあと下山せずそのまま稜線を歩いて次の山へ向かう方がいらっしゃいます。
それはここが各務山塊の東の入口でが尾根が西方面へ、ずっと延びているからです。
「縦走」と呼ばれたりもする、登山の方法のひとつであり、楽しみ方のひとつです。

今回取り上げる「迫間城」は勝山城から稜線伝いに行ける城跡です。
高低差もあまりなく緩やかな稜線を辿って行くこのコースはとても人気でおススメ。
時に、トレランコースとして紹介され、レースが開催されたりもしていますよ。

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陽当たりのよい稜線トレイルが楽しめます。
(自分もトレイルランしたことのある優良コースです)

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分岐点には迫間城と猿啄城との方向が案内されています。

saruhazama (29)迫間城の東方面の堀切と土橋。
(こういった所に「↓土塁」とか「←堀切」とかの立て看板なんかがあると親切ですが)

東からの尾根から伝ってくると頂上手前に現われるのがこの堀切・土橋です。
・・と言っても、ほとんどの登山者は城の遺構だと気付かずに通り過ぎていくようです。
遺構を見る目が、あるかないか、なんですが、わからないのが普通です。

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本丸への上り詰め道と切岸。

もう一条の堀切と土塁を越えると本丸に至ります。
登山道として幾度となく踏み固められたが故に、部分的に崩れています。
よく観察すれば「あ~土塁だ、あ~堀切だ」と見えてきます。

saruhazama (34)新たに立てられた迫間山・迫間城木碑です。

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こちらは以前からの看板です。味がありますね。

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頂上の本丸は登山者の眺望休憩所としていつも賑わっています。

作図バインダーを片手にせっせと縄張作図をしているといろんな人に声をかけられます。
「さっきから行ったり来たりと、一体何をされているんですか??」・・とか、
「なんかの調査ですか??」・・とか・・。

・・絶対怪しいヒトですからね( ̄▽ ̄;)。
(一応、身の潔白を証明するぐらいの説明はさせていただいてます)

大体はの方は「へぇ~~(奇特な・・)」としか言いようがないのでしょう、
興味なさげに聞き流されます(笑)。
しかし、中には熱心にあれこれと聞いてくださり、しばし城談議に花咲くことも。

saruhazama (33)ここからは関市方面が一望のもと見渡せます。

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下段の曲輪を見下ろしますが、「曲輪」って言ってもわかんないだろうな・・。

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西方面の虎口遺構です。

登山者の踏み跡が図らずも食違い虎口をわかりやすくしています。
Sの字になった進入経路がはっきりわかりますね。
でも一般の方々はここまで気付かないんだろうな~と。

迫間城は美濃・尾張間を遮る各務山系中央部に位置しています。
お互いの様子をいちはやく伝達する目的のために設けられた伝えの城だったのでしょう。
また尾根稜線でつながる勝山城とは相互補強の関係もあったことも明白です。

でも、実はこの各務山系内にはあと2つの城址が確認されています。
距離は離れていますが山塊の西端には権現山城という城址も控えています。
また南の愛宕山には天野山砦という砦址も確認されています。

スキャン_20190220迫間城は簡素な縄張りでしたが戦国期の伝え城らしさがあります。

あと、迫間城近くには面白い旧蹟もあるので寄ってみました。

saruhazama (54)のぶべり岩と呼ばれる眺望がきく大岩もあります。

それがこの「のぶべり岩」です。
説明版には「尾張の小牧山からの旗信号を中継して美濃・飛騨方面へ伝達した所」とあります。
小牧山城⇒犬山城⇒のぶべり岩⇒迫間城とほぼ一直線に繋がれる眺望に妙に納得。

戦国期は果たして狼煙台として使われたのでしょうか?
江戸期以降は名古屋の米相場を美濃にいち早く伝える旗振り場として活用されたそうです。
迫間城は、確たる城主の伝えが残っていませんが、交替城番が置かれたのかもしれませんね。


Ⓢは広い登山者用駐車場があり利用しやしいです。
 迫間城・のぶべり岩、その他見所ガイドマップ説明版も掲示してあります。
㋹はのぶべり岩の尾根。
Ⓖは迫間山頂上の迫間城です。
 もちろん、勝山城(猿啄城)からの稜線歩きからでもアプローチできます。
 迫間城~勝山城(猿啄城)間の距離は約2.2kmで徒歩で30分くらいでしょうか。

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美濃 一柳城 🏯美濃の熊、一柳直末に改修された山城

美濃 一柳城(大洞城) (岐阜県関市富之保一柳・愛宕山)

一柳城(ひとつやなぎじょう)は大洞城とも呼ばれ、旧・武儀町の愛宕山山頂に築かれた山城です。
西を武儀倉川、東を津保川が流れ、二つの川が下流で合流し、三方を川に囲まれた地形にあります。
自分にとって10数年ぶりの登城になります。

oobora1 (1)南側から愛宕山を眺めると実に雄大な城山です。

oobora1 (2) ん?山頂付近まで林道がつけてあるようです。

以前には確認できなかったダート林道らしきものが・・。
・・嫌な予感がしますね・・。敢えて麓から登城してみますが・・。
遺構が完存していただけに、破壊されてないことを祈ります。

oobora1 (4) 城山の東の稲荷神社から登城していきます。

こちらの神社には2台分くらいの駐車スペースが登城口に用意されています。
神社への入口はわかりにくいのですが、八百屋スーパーさんの横道から入れます。
ここはやはり軽自動車が有利ですね。

oobora1 (27)新設された城址案内碑。正確にはこの山上が城址ですが(*´~`*)・・。

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一柳城の前身、大洞城についての説明版もありますね。

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山麓には居館跡と推定されている広大な削平地もあります。

伝・居館脇の谷山道を西へ登っていくと尾根に取り付くことができたのですが・・。
以前より道が荒れて、わかりにくくなっています。
まぁ、登っていけばいつかは、辿り着くのですが・・(いつものことですが)。

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林道工事終点地の南曲輪の様子(写真:左) と 麓周囲の景観(写真:右)

・・やっぱり・・。嫌な予感的中です。頂上南尾根一帯は林道工事に伴う造成がされていました。
かろうじて南の堀切と土橋は残されていましたが・・。
それにしてもこの中途半端な造成。・・どうするつもりなんでしょう?

oobora1 (22)櫓台周囲の荒めに組まれた石垣が見所です。

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隅に置かれた約1.5メートルの縦石にも注目です。

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本丸へ至る腰曲輪周辺も石垣で固められています。

oobora1 (19)隠れた箇所にも意外と大規模な石垣遺構が残っています。

一柳城は石垣遺構ばかりではなく、堀切や竪堀も多く用いられています。
ブッシュのため写真案内しづらいのが残念ですが、入念に配備されています。
実に造り込まれた山城だと感じました。

一柳城は郡上八幡城と加治田城(加茂郡)の中間地点にあり、とても重視されたようです。
美濃を攻略した織田信長は、郡上の遠藤慶隆に備えて、大洞城を一柳直末に命じて改修させます。
後、豊臣秀吉は郡上の遠藤慶隆を転封し、一柳城に稲葉貞通を入れます。

oobora1 (15) 祠がある本丸は一段高くなっています。

一柳直末は武勇に秀でていたことから「」の異名で呼ばれたそうです。
肥前の大名・龍造寺隆信の他にも「」と呼ばれた武将がいたんですね。
直末は伊豆守に叙任していたことから、「熊伊豆」とか呼ばれていたのかも?
(鬼の武蔵守・森長可=鬼武蔵のように・・)

信長死後は秀吉のもとで各地を転戦して武功を挙げ、秀吉の黄母衣衆となりました。
天正18年(1590年)、小田原征伐に参加した直末は、伊豆山中城攻めで間宮康俊の軍の銃弾に当たり戦死。
享年45歳でした。勇敢な戦い振りだったようです。

直末は豊臣秀吉にとても信頼されていた武将でもありました。
養子・豊臣秀次の宿老に抜擢されたほどからもよくわかります。
小田原の陣中で直末討死の報告を聞いた秀吉は「直末を失った悲しみで、関東を得る喜びも失われてしまった」と嘆き、3日間ほど口をきかなかったというエピソードもあります。

他にもあの黒田官兵衛孝高とは義兄弟だったようです。
直末の死後、妻と子女は黒田孝高(官兵衛・如水)に引き取られ、その年に生まれた男子は孝高の子・長政の幼名と同じである松寿丸(しょうじゅまる)と名付けられたそうで。

改めて一柳直末という武将の存在を見直しました。

oobora1 (16) oobora1 (17)
北の尾根鞍部には伊瀬集落と名倉集落を結ぶ昔の峠道が確認できます。

一瞬、大堀切かと思いましたが、集落間の峠道だとわかりました。
それぞれの集落に向かって古道が延びていました。
お地蔵さんが往来の安全を見守っているかのようです。

oobora1 (24) 食料倉庫の址?それとも抜け穴?(笑)

どうやら城内外には城の遺構の他にも、いろんな時代の生活の息吹が感じられるようです。
城ができる以前からの地域間の交流や生活風習、そんな永い時代を通したなかで、領主や領民の立場に思いを寄せることができれば、城にまつわる新しい発見やメッセージを感じ取れるかもしれませんね。

上之保の城山 🏯果たして城はあったのか?

上之保の城山(岐阜県関市上之保・城山(護王山))

上之保村、とてものどかな里です。上之保温泉「ほほえみの湯」があります。
こじんまりした日帰り入浴温泉施設ですが、雰囲気がお気に入りです。
以前はよく親と子供、弟ファミリー、まさに一族総出で湯浴みドライブに来たものです。

露天風呂から見える「城山」。以前から「あの山頂には城があったのかなぁ・・いつか登ってみよう」と
思いながらお湯に浸かっていたものですが、今日は長年の念願を叶えたいと思いました。

ちなみに”○○城”と城名がついているわけではありません。
でも「城山」ってかなりの確率でなんらかの城郭遺構が残っているものです。かすかな期待が心躍らせます。
果たして城はあったのか?この目で確かめたいのです。

IMG_8029.jpgほほえみの湯から城山を眺めます。

本来なら登り口からの紹介をしたいところですが、「このルート」といったものがありません。
城山の東麓集落、松本集落から尾根沿いを登るのがベストだと思います。
山頂に向かって尾根を進むと小ピークが数ヶ所あり進行方向が変わります。
国土地理院の地形図とコンパスは必須アイテムです。

IMG_8011.jpg山頂部は2段の削平地があるように見えます。
IMG_8020.jpg頂上に続く道には僅かながら石段らしき遺構が。

どうやら堀切や土塁といった城の防御施設は見当たらないようです。
虎口も明確なものはありませんね。

IMG_8007.jpg頂上には山名を標した三角点立て札があります。これだけでも嬉しいもんです( ^ω^ )。
「JOHYAMA](じょうやま)と表記されてありますが(しろやま)とは読まないのかなぁ。

IMG_8017.jpg頂上には整地された削平地がありますが・・。

NHKをはじめとする通信施設が並び立ちしており、加工された削平地なのか判断しがたいですね。
しかし、周囲の法面をよく観察してみますと・・。これは・・。

IMG_8012.jpg山頂部の周囲は切岸の加工が施されています。

写真ではわかりずらいですが周囲の法面は斜面をつけられ、自然地形の法面ではありません。
ちゃんと整形されていることがわかりました。

IMG_8026.jpg山頂部の少し下から上之保集落と大洞城を俯瞰。よい眺めです。

中央部にほほえみの湯がとてもよく見えます。そして南の奥に大洞城(一柳城)も実によく見えます。
ここからの眺めと削平された頂上部・・。
ちょっと推理してみましょうか。

大洞城は郡上遠藤氏の動向に備えて織田信長が一柳直末に銘じて改修を命じました。
しかし大洞城から見た郡上方面は背面。よって伝えの施設や狼煙施設が必要です。
その役を担ったのがここ「上之保の城山」だったのではないでしょうか?

あくまで希望的な部分もありますが、そう考えれば山頂部の削平地や防御施設の不備も納得。
というか、つじつまが合います。
個人的には上之保の城山には”城”に準じる”狼煙台”程度のものがあった。と思っています。

ともあれ、いつも下から眺めていた城山を逆に山頂から眺めることができるなんて・・。
それだけでも登ってきたかいがありました。

帰りに近くをちょっと寄り道。

IMG_8043.jpg IMG_8041.jpg

名水”お宮の清水”に寄ってみました。白鬚神社境内の裏に澄み切った地下水が
こんこんと湧き出ています。

IMG_8039.jpg IMG_8038.jpg

いぼに効くといわれ、箇所につけ、振り返らずに帰るといぼが治るといわれます。
水は生水なので自宅で煮沸して試飲してみました。うん、まろやか。・・ていうか正直、純水!でした。

大門城 🏯ピラミッドのような山容

大門城(岐阜県関市下之保大門)▲358m
現在は関市に編入されたかつての武儀町。
津保川沿いに北上すると道の駅「平成(へなり)」が左手に見えてきます。

IMG_6950.jpg道の駅・平成

元号と同表記ということで有名な道の駅ですが、地元の特産品が豊富で
特にシイタケの出荷が盛んです。
休日ともなるとドライブやツーリングの絶好の寄り道ポイントとして賑わっています。

さらに道の駅・平成から500mほど北に進むと左に稜線が美しい山が見えます。
この城山とよばれる山上に大門城はあったそうです。

IMG_8047.jpg大門城を対岸から見る
実際は尾根続きの先端が頂部になっているのですが、一見独立峰。
まるでピラミッドのような四角錐に見えるのが不思議です。
この城山の頂上まで登ります!これは相当覚悟が必要ですね・・w(゚o゚)w。

幸いにも南麓の白山神社から登山道がありました。
なんとか直登だけは避けれないものかと思っていましたがちょっと安心。

IMG_6938.jpg白山神社に駐車して登城開始

さすがに登山道はあっても傾斜はきついです。落ち葉ですべり戻ることもしばしば・・。
ここは「365歩のマーチ」を口ずさみながら確実に歩みます(^^♪。

IMG_6948.jpg登山道から麓を振り返る

六合目から七合目でしょうか?
石積みが何ヶ所に見られました。もちろん城に関する遺構ではなさそうです。
しかしこれはこれで貴重な文化的遺構ですね。

IMG_6940.jpg山肌に積まれた石積み址

ところで「大門」は「おおもん」なのか「だいもん」と読むのか・・ふと思いました。
地元では「おおもん」と表記するようですが、『美濃国古跡考』では「ダイモン」とルビされています。
まぁ、どっちでもいいようですがこの場合個人的には『西〇警察』のノリで「ダイモン!」に一票。

・・とかどうでもいいことを考えながら、ついに頂上へ到着。
祠と鳥居があり広い頂部です。
まぁ想像はしていましたが城を思わせる遺構は見当たりませんね。

IMG_6943.jpg大門城頂上部の平坦地

静まり返った森。まるで水木しげるさんワールドです。
木々の間から明るい妖怪さんに出会えそうな雰囲気です。
若干、腰曲輪に見えなくもないところもありますので、一応「城」かなぁ・・という評価。

IMG_6945.jpgきっと昔から変わらぬ景色でしょう

築城時期や城主は不詳ですが「濃州徇行記」には「稲葉伝右衛門と云える人の城ある由云伝え」とあるので
稲葉氏の大洞城在城時期の伝え城と勝手に解釈してしまいました。
全てには当てはまりませんが、比高が高い単郭の城は狼煙台目的と考えられます。
特に山間部の見通しが効く特徴的な山容頂上によく見られますね。

IMG_6947.jpg山頂より麓を覗くも視界は限定的

無事下山たら道の駅でお土産を忘れずに買い、足湯に入ると足もほぐれました。
近くには上之保温泉に日帰り入浴もできますし、一大城郭「一柳城」も見学できます。
また次回近いうちにこちらへは来ることになるでしょう。

IMG_6952.jpg気持ちいい足湯は無料です

中濃地方最大・小野城攻略戦(後半)

小野城お手製説明板に感動し休憩を終えて、さぁ、城内散策といきます。
今回は縄張り図の作図も兼ねて丁寧に見ていきました。

非常に広大な城なので今回は見所をコンパクトに絞って紹介していきたいと思います。

①本丸より南尾根を遮断する堀切

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岩場の細尾根を上手く加工した堀切があります。箱堀っぽい感じがします。

②井戸と石垣が見られる上部腰曲輪

IMG_7291.jpg城内の井戸址

すごい、今でも満々と水が湧き出ていますね。なになに・・金の鶏伝説?・・説明文によると・・

「小野城が落城の時、城主は家宝の金の鶏を井戸に隠し、大きな岩で蓋をして必ず戻ってくる、と誓い
山を降りました。城主の帰りを待つ金の鶏は、元日になると、井戸を抜け出して頂上の岩の上で
大きな声で城主を呼び続けています。今でも」

・・文章最後の「今でも・・」というP・S的余韻がなんともせつない感じがします。
城内の井戸からもう少し北へ行ったところの下には石垣遺構が残っていました。

IMG_7293.jpgスロープ状になった石垣があります。
IMG_6975.jpg荒々しさが結構な迫力ですね。苔むし感がなんとも・・。

③二股に分かれる北出丸には・・なんと!滝が!

先程の石垣部分から北に向かっていくと(相当ヤブこぎですが(ノ_<))
北に向かって二本の尾根に遺構が延びています・・どこまでも・・

途中にこんな看板があります。見えたらラッキー?・・確かに水の音が聞こえてくる!
行くしかないでしょう!いざ、運試しです。なんかこの城・・楽しいなぁ(´∀`*)

IMG_7328.jpg隠れ滝の案内

ちょっと降りるのが大変ですが・・またまたすごい、こんな頂上近くに滝が・・
確かに滝があります。しかも結構な水量じゃありませんか。
今日の自分、きっとラッキーなんでしょうね。やったぁ!

IMG_7322.jpg意外と水量のある隠れ滝

④腰曲輪南東部の石垣

この石垣はとても見応えがありますね。石垣の躑躅がとってもきれいです。

IMG_7288.jpg
ちょっとわかりづらい所にありますが・・腰郭の南東の端部にあります。
なかなかの迫力の石垣です(;゜0゜)。

⑤東に続く尾根の大堀切

IMG_7279.jpg IMG_7282.jpg
東方面に向かって大堀切で遮断しています。実質的な東端部になり、上部から見ると深さがよくわかります。

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さらに土橋をのこした堀切が続きます。

⑥東出丸の土塁と堀切

まだまだ東には遺構があります。尾根続きにある東出丸です。
この曲輪は若干未成型ゾーンですが東部に土塁を伴った堀切が見られます。

IMG_7271.jpg IMG_7277.jpg
堀底には土橋が設けられています。虎口には土塁がめぐっています。

堀切内部には3本の土橋状遺構が確認されますが堀内障壁の可能性もありますね。

⑦まだまだ見所がありますが・・

かつて信仰の山であったようなので周辺の古刹や山中のいたるところでまだまだ見所が
ありそうですので、また機会があったら時を変えて登ってみたいと思いました。

IMG_7334.jpg  IMG_7333.jpg白瀧と不動明王

山全体が要塞、といった感じの小野城でした。七つの派生尾根すべてに対いて備えがあり
どこまで遺構があるのやら・・どこまで曲輪が続いいているのやら・・というほどの壮大な構えです。
よくぞここまで築き上げたものだと感心してしまします。

・・となるとこれだけの規模の城です、この城の常備兵はいったい何人いたのでしょう?
いざ戦時中(籠城中)はいったい何千人という兵数が収容できたのでしょう?
中途半端な配備兵ではこの城は守り切れません。

こう考えると先程の水の手の豊富さもまたシンボルチックな山を選んで築城されたのも
すべて考えられてのことだと思います。

小野城は間違いなく中濃部最大の本城として機能していたことでしょう。




プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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