FC2ブログ

尾張 傍示本城 🏯岩崎城での勲将・丹羽氏重の居城

尾張 傍示本城 (愛知県愛知郡東郷町春木市場屋敷)

日進市の岩崎城まで来たので、勢いで丹羽氏重の居城・傍示本城にも寄ってみます。
どんどんエスカレートしていく親父の趣味に付き合わされる哀れな家族・・。
今や、「お父さん持ちでご馳走するランチ」だけが、唯一の接点です(冷汗)。

最初は「ラーメン」とか「ファミレス」とか言っていたのに・・
訪城を重ねるたびに「お寿司」とか「ステーキ」とか言いだしましたよ・・
こちらも要求がどんどんエスカレートしていくではありませんか・・。

城めぐりもここら辺にしておかないと、とんでもないことになりそうです。
ということで、最終目的地、東郷町の傍示本城にやってきました。
・・読めませんね、傍示本城「ほうじもとじょう」と呼びます。

houjimoto (1)素晴しい、立派な石碑です。

現在は傍示本公民館の玄関脇に石碑が建てられていました。
傍爾本城、という「爾」の字が旧書体で余計読みづらいです。
隣でたなびく「防犯パトロール実施中」の幟がナイスアピールかと。

houjimoto (2)

城の遺構などは何も残っていませんでした。
公民館の東側とは落差があり、ここが台地上になっていたことがわかります。
その先には尾張と三河の国境であった境川がありますので、境目の城だったのでしょう。

遺構は無くとも石碑もあり、地形も把握できるので、多少当時を偲ばれました。
さ、次はここまで付き合ってくれた家族の顔を満悦にしないといけません。
この後は、言われるがままにご馳走ランチへと向かいましたとさ・・。


スポンサーサイト

尾張 岩崎城 🏯小牧長久手合戦における命運の舞台

尾張 岩崎城 (愛知県日進市岩崎町市場)

次男の学校の用事で久々の名古屋入りをしました。
帰路はちょっと遠回りをして日進市の岩崎城を散策してきました。
・・家族の条件は、おいしいランチをお父さん持ちでご馳走することです。

家族サービスと城址散策、お互いウィンウィン(win-win)で行きましょう!。

iwasakij (5)模擬天守ですが、やはり迫力ある日進市のシンボルです。

昭和62年(1987)、展望塔として天守閣(模擬天守)が建造されました。
「岩崎城址公園」として整備され、岩崎城歴史記念館が併設されています。
記念館では、岩崎城の歴史や城跡からの出土品などが展示されていいます。

一時は、遺構の一部を破壊し、史実を無視した天守建築への非難もありました。
賛否はありますが、小牧・長久手の戦いを末永く後世に伝えることも必要です。
沢山の人がこの施設を通じて興味をもっていただければ、大きな意味があるでしょう。
(模擬天守は史跡地を配慮した場所に建てられています)

iwasakij001(3).jpg
結構デカい「岩崎城」の石碑と模擬天守。

iwasakij (7)

岩崎城は織田信秀によって築かれ、後に天文7年(1538)丹羽氏清が入城します。
天正12年(1543)小牧長久手合戦では城主・丹羽氏次は家康の本陣である小牧山へ出陣します。
兄・氏次の代わりに岩崎城は弟の傍示本城主・丹羽氏重が守備しました。

小牧・長久手の戦いでは両軍によってたくさんの城砦が築かれました。
広範囲にわたって周辺在地の城も巻き込まれていきます。
睨み合いになり膠着状態になった両軍に大きな動きが訪れます。

秀吉軍の先発・池田恒興が三河・岡崎城を目指す途中の岩崎城を攻めたのです。
これが当初からの作戦だったのか、偶発的な流れだったのか?
丹羽氏重も城兵三百余人で猛守、これを迎え撃ち玉砕するのです。

羽柴別働隊が城の前を通過すると、
「見過ごすは末代までの恥、ご恩を奉ずるのは今日の一戦にあり」
と城兵239人に討死覚悟で一戦を命じます。

氏重らは池田軍の攻城隊を三度に渡り撃退するなど奮戦の後討ち死しました。
お互いに死力を尽くした激しい戦いは3時間程で決着しました。
氏重は享年まだ16歳だったそうです。

城を落とした池田勢の勝利か?羽柴別動隊を足止めをさせた氏重の勝利か?
先発隊の池田勢がここ岩崎城を攻城し、後続対と合流するという意図は定石です。
そして、この後起こる命運を分けた大合戦が長久手で展開されます。

iwasakij (1)岩崎城の現況と旧状がわかると思い、現地での案内板をお借りします。

公園として模擬天守が建てられる前には遺構が良く残っていたようです。
現在は模擬天守と歴史記念館が建てられ公園となっていますが、遺構も確認できます。
どんな遺構が残っているのかな?・・見ていきたいと思います。

iwasakij (6)
二の丸庭園には水琴窟があります。

「勘助の井」と名がつけられています。「勘助」は、氏次の通称です。
手水鉢(ちょうずばち)近くにつりがね状の甕かめを伏せて地中に埋めたものです。
上部の小さな穴から水を落とす水滴の音が甕かめの内部で反響し、妙音を出す仕掛け。

こちらの水琴窟は2つの常滑焼甕を伏せてあり、2種類の音色を楽しむことができます。

iwasakij (8)
土橋からみた空堀。本丸をぐるっと囲む幅の広い箱堀です。

iwasakij (12)
この堀底には降りることもでき散策もできます。

iwasakij (10)

iwasakij (2)

iwasakij (11)
「古城之碑」と彫られてた岩崎城の石碑。

この石碑付近の様子を「御座の間」(殿様のいた所)とする記述が見られます。
岩崎城で討ち死にした氏重ら戦死達の供養も込めて文字が刻まれました。
落城の日である4月9日には毎年慰霊祭が行わています。

iwasakij (9)
岩崎城ゆるキャラの「にわさきくん」に迎えてもらいました。

歴史記念館内では小牧・長久手の戦いが解りやすく解説されています。
館内には丹羽氏重の騎馬銅像もあります。(写真は掲載しません)
岩崎城は家族で散策するのにも手頃な史跡公園だと思いました。

氏重らの奮戦によって池田・森らの進軍はここで足止めされました。
この報を兄・氏次はどんな思いで伝え聞いたのでしょうか。
氏次は長久手合戦にて活躍、氏重は徳川軍の勝利に貢献した影の功労者でしょう。


Ⓢは岩崎城跡公園の駐車場です。

尾張 島田城 🏯開発市街地の中に残る土塁に感涙

尾張 島田城 (愛知県名古屋市天白区島田5丁目)

我が家にはこの春から名古屋市内の大学へ通学している次男クンがおります。
この日は学校主催の父母向けガイダンスに参加してきました。
・・といっても、もう大体の事は本人に任せで、歩んでいくのでしょう。

保護者などはアドバイザー&スポンサー・・じゃない、カウンセラーみたいなものです。

しかしまぁ、折角名古屋まで来たのですから、昔来た城址の現況も気になるもの。
家族に言わせれば城址付近を通る度に自分はキョロキョロして落ち着きがなくなるようです。
奥方:「脇見運転で事故られちゃたまりませんから、(城まで)行ってきたら?」

「そう?、・・いやぁ~、じゃ、そうしちゃおっかな!。(よっしゃ!)」

次男:「どうせ神社かお寺になっててこんもりしてるだけでしょ・・。」
奥方:「石碑とか、カメラで撮ったらすぐ帰ってきてね・・。」
次男と奥方:「うちら、車ん中で待ってるから(唱和)。」

・・どうして気持ちよく送り出してくれないのでしょう??
(それでもぜんぜん構わないですけどね)

Nsimada (6)
・・ということで、天白区の島田城に寄ってみました。

島田城は名古屋市内の中では土塁が一部残っている貴重な城址なんです。
都市部では大方の城館が見る影もなく消滅してしまった中で珍しいことですね。
しかし、到着するなり、いい意味で裏切られました。

以前来城したときは、土塁といっても鬱蒼と木々が自生していた記憶があります。
それがウソのようにキレイに間伐され、見学しやすくなっているではありませんか!
しかも内部見学ウェルカムな見学ルートまで整備してあります。

Nsimada (1)入口には島田城の案内板が立ちます。

島田城は鎌倉街道を押さえる要所として斯波高経が築城を命じたといわれています。
高経は室町幕府において、尾張・遠江・越前の三国の守護であり、また菅領家でもありました。
戦国期になると地元では『城主は牧虎蔵である』と伝わっています。

この牧虎蔵は、川村北城(名古屋市守山区)の牧長義の一族です。
長義は織田信秀の妹を娶り小林城(名古屋市中区)に居城していました。
その出城として島田城を修築、母方の一族である牧虎蔵に守らせたそうです。

小躍りしたい気分で、ちょっと、お邪魔したいと思います。
以前は足も踏み入れられなかったから興奮してしまいます。
どうやら周囲をぐるっと散策できるようになっているよう。

Nsimada (2)土塁の一断片に過ぎませんがとても迫力あります。

Nsimada (5)
土塁の上にも上がれるます。

どうもかなり最近に整備されたばかりなのでしょうか?
石段もピカピカ、土塁上には雑草さえ生えていません。
これは相当ラッキーな時にお呼ばれしたようです。

Nsimada (4)
土塁の上には城主にまつわる牧神社が祀られています。

Nsimada (3)
島田城は東西約75m、南北約180mくらいの規模だったそうです。

それにしてもここから周囲を見渡すと、高層マンションや住宅地に囲まれています。
よくもまぁ、部分的にでも残していただけたものです。
城主・牧氏の末裔である方々の私有管理のお蔭様なんでしょうね。

しかもこのように見学開放・整備していただけるなんて本当に感謝です。


Ⓖは島田城の土塁が残っている場所です。
 付近にはこれといった駐車場はありません。

尾張 色金山陣所 🏯長久手に現われた家康の「金扇」の馬印

尾張 色金山陣所 (愛知県愛知郡長久手町岩作色金・色金山) <国指定史跡>

前回の記事、長久手大草城の続編、という内容になりそうです。
色金山は長久手合戦において、徳川家康が最初に陣所としたことで有名です。
現在は「色金山歴史公園」として整備されています。

iroganeyama (8)櫓台風の展望台が戦いの雰囲気をかもしだしています。

実際にはここまでの規模の施設があったわけではありません。
しかし、この場所で最も重要な事は、敵部隊の背後・あるいは側面に鬼没できたこと。
そして岩崎城方面までの眺望ができ、主導権を握れること・・。

それだけでも敵部隊を混乱・驚愕させることができる絶好の位置といえます。

iroganeyama (7)
展望台からの長久手方面の眺望が優れています。

iroganeyama (10)展望台最上階より長久手合戦・主戦場を見渡せます。

写真の左側にあるポッコリした山が御旗山。(小さいですけど)
池田・森隊との激戦に先立って家康が本陣を移した山です。
立地条件的には同じ。詰将棋のように差配していきます。

iroganeyama (3)色金山の説明版。洒落た造りですね。

羽柴方による三河方面への別動隊の動きを察知した家康軍。
榊原康政・大須賀康高ら先遣隊とは別に本体を率いて追尾を開始します。
一旦、小幡城で状況を確認した家康は、あるタイミングを計っていたようです。

それは矢田川を渡り終えた羽柴方主力と総大将・三好秀次を捕捉することです。
徳川方先遣隊らが白山林で戦闘状態になった隙をついて矢田川沿いから南下。
羽柴方の背後ともいえる色金山・大草城方面に出現しました。

この陣取りこそがその後の合戦の趨勢を決定づけた、といってもよいでしょう。

iroganeyama (6)山頂には家康の腰掛石になったとされる床机石があります。

家康がこの山頂で刻一行と移り行く戦況をみていたんだ、と思うと
なんだかゾクゾクしてくる気分になりました。
まだ掴み得ぬ勝利への不安、期待、恐怖・・。入り混じっていたんだろうな・・。

そして方や・・。
この山の上に家康の馬印、「金扇」を確認した羽柴軍の反転隊諸氏の反応は・・?
次回はこれに先立って発生した「白山林の戦い」と小幡城の動きを予定してます。


東に1kmほどに長久手大草城があります。

尾張 長久手大草城 🏯長久手の辻を押さえる城

尾張 長久手大草城 (愛知県愛知郡長久手町熊張溝之杁・郷前)

尾張の大草城が3つ存在することは以前、小牧大草城の記事でふれました。
長久手大草城は瀬戸市と長久手町の境あたりに位置しています。
この間の街道を押さえるのに適した場所だと言えます。

n-ookusa (1)大草城の城山を東から眺めます。

15世紀後期から存在し、当地の土豪・福岡新助の居城とされます。
1579年以降、領主である森武蔵守長可によって改修され
天正12年(1584)、小牧、長久手の戦いで長可没後、廃城になったと伝わります。

美濃・兼山城の森長可の勢力がこの地まで及んでいたのか?、という疑問があります。
これがもし事実なら、三河への中入り作戦の主張、大いに筋が通るというもの。
しかし、実際にはあり得ない話だと思えます。

恐らくは、作戦に先立って、池田・森氏らの根回しに協力姿勢を示していた・・
・・そう、考えた方が自然だと思います。
またそこで反抗的態度を示したのが岩崎城の丹羽氏らだったのではないでしょうか。

n-ookusa (6)
主郭につながる鍵手状の道。

山は近年の造成や開墾などで形が変わっているようです。
どこからどこまでが遺構と見るかはなかなか判別しずらい所があります。
また、個人所有地の区画もありますので見学には注意が必要です。

n-ookusa (5)
頂上の熊野神社手前入口に置かれた城址石碑。

晴天の日中にも関わらず、結構暗い所にあります。
また夏はヤブ蚊がすぐ寄ってきますので、虫よけ対策は必要。
おかげで石碑の裏面をチェックし忘れましたわ・・。(今でも気になる・・)

n-ookusa (4)

n-ookusa (3)

神社周辺には明らかに堀の址や切岸の址も確認できます。
しかし明瞭な遺構はないようです。
城址碑のある西側の丘陵にかなり城址らしい遺構が見られる、との事ですが・・。

n-ookusa (2)
大草児童公園から登ったあたりの切岸と堀切の一部の様子。

やはり宅地造成などの影響を受け、遺構だと言い切れない感じはありますね。
面影を追う分には発想の自由でお任せしたい部分です。
くれぐれも許可なき宅地侵入だけはお控えください。

大草城は小牧・長久手合戦の際にどのような意思表明をしたのか・・。
羽柴方の池田・森らに従い、城と道を素通りさせたのか・・、
或いは彼らをあえて呼び込んだ後に家康に通報したものか・・、

徳川家康公が陣取った色金山は目と鼻の先にあります・・。
しかも大草城の正面に堂々と・・。
なんか匂いますね。(匂うんだよな~)

次回はその色金山をちょっと見学した様子を・・と、思っております。


見つけずらい場所ですので城址碑のある場所をポイントしておきます。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
06 | 2019/07 | 08
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数