尾張 色金山陣所 🏯長久手に現われた家康の「金扇」の馬印

尾張 色金山陣所 (愛知県愛知郡長久手町岩作色金・色金山) <国指定史跡>

前回の記事、長久手大草城の続編、という内容になりそうです。
色金山は長久手合戦において、徳川家康が最初に陣所としたことで有名です。
現在は「色金山歴史公園」として整備されています。

iroganeyama (8)櫓台風の展望台が戦いの雰囲気をかもしだしています。

実際にはここまでの規模の施設があったわけではありません。
しかし、この場所で最も重要な事は、敵部隊の背後・あるいは側面に鬼没できたこと。
そして岩崎城方面までの眺望ができ、主導権を握れること・・。

それだけでも敵部隊を混乱・驚愕させることができる絶好の位置といえます。

iroganeyama (7)
展望台からの長久手方面の眺望が優れています。

iroganeyama (10)展望台最上階より長久手合戦・主戦場を見渡せます。

写真の左側にあるポッコリした山が御旗山。(小さいですけど)
池田・森隊との激戦に先立って家康が本陣を移した山です。
立地条件的には同じ。詰将棋のように差配していきます。

iroganeyama (3)色金山の説明版。洒落た造りですね。

羽柴方による三河方面への別動隊の動きを察知した家康軍。
榊原康政・大須賀康高ら先遣隊とは別に本体を率いて追尾を開始します。
一旦、小幡城で状況を確認した家康は、あるタイミングを計っていたようです。

それは矢田川を渡り終えた羽柴方主力と総大将・三好秀次を捕捉することです。
徳川方先遣隊らが白山林で戦闘状態になった隙をついて矢田川沿いから南下。
羽柴方の背後ともいえる色金山・大草城方面に出現しました。

この陣取りこそがその後の合戦の趨勢を決定づけた、といってもよいでしょう。

iroganeyama (6)山頂には家康の腰掛石になったとされる床机石があります。

家康がこの山頂で刻一行と移り行く戦況をみていたんだ、と思うと
なんだかゾクゾクしてくる気分になりました。
まだ掴み得ぬ勝利への不安、期待、恐怖・・。入り混じっていたんだろうな・・。

そして方や・・。
この山の上に家康の馬印、「金扇」を確認した羽柴軍の反転隊諸氏の反応は・・?
次回はこれに先立って発生した「白山林の戦い」と小幡城の動きを予定してます。


東に1kmほどに長久手大草城があります。

スポンサーサイト

尾張 長久手大草城 🏯長久手の辻を押さえる城

尾張 長久手大草城 (愛知県愛知郡長久手町熊張溝之杁・郷前)

尾張の大草城が3つ存在することは以前、小牧大草城の記事でふれました。
長久手大草城は瀬戸市と長久手町の境あたりに位置しています。
この間の街道を押さえるのに適した場所だと言えます。

n-ookusa (1)大草城の城山を東から眺めます。

15世紀後期から存在し、当地の土豪・福岡新助の居城とされます。
1579年以降、領主である森武蔵守長可によって改修され
天正12年(1584)、小牧、長久手の戦いで長可没後、廃城になったと伝わります。

美濃・兼山城の森長可の勢力がこの地まで及んでいたのか?、という疑問があります。
これがもし事実なら、三河への中入り作戦の主張、大いに筋が通るというもの。
しかし、実際にはあり得ない話だと思えます。

恐らくは、作戦に先立って、池田・森氏らの根回しに協力姿勢を示していた・・
・・そう、考えた方が自然だと思います。
またそこで反抗的態度を示したのが岩崎城の丹羽氏らだったのではないでしょうか。

n-ookusa (6)
主郭につながる鍵手状の道。

山は近年の造成や開墾などで形が変わっているようです。
どこからどこまでが遺構と見るかはなかなか判別しずらい所があります。
また、個人所有地の区画もありますので見学には注意が必要です。

n-ookusa (5)
頂上の熊野神社手前入口に置かれた城址石碑。

晴天の日中にも関わらず、結構暗い所にあります。
また夏はヤブ蚊がすぐ寄ってきますので、虫よけ対策は必要。
おかげで石碑の裏面をチェックし忘れましたわ・・。(今でも気になる・・)

n-ookusa (4)

n-ookusa (3)

神社周辺には明らかに堀の址や切岸の址も確認できます。
しかし明瞭な遺構はないようです。
城址碑のある西側の丘陵にかなり城址らしい遺構が見られる、との事ですが・・。

n-ookusa (2)
大草児童公園から登ったあたりの切岸と堀切の一部の様子。

やはり宅地造成などの影響を受け、遺構だと言い切れない感じはありますね。
面影を追う分には発想の自由でお任せしたい部分です。
くれぐれも許可なき宅地侵入だけはお控えください。

大草城は小牧・長久手合戦の際にどのような意思表明をしたのか・・。
羽柴方の池田・森らに従い、城と道を素通りさせたのか・・、
或いは彼らをあえて呼び込んだ後に家康に通報したものか・・、

徳川家康公が陣取った色金山は目と鼻の先にあります・・。
しかも大草城の正面に堂々と・・。
なんか匂いますね。(匂うんだよな~)

次回はその色金山をちょっと見学した様子を・・と、思っております。


見つけずらい場所ですので城址碑のある場所をポイントしておきます。

尾張 阿弥陀ヶ峯城 🏯小高き山の上で城址を偲ぶ

尾張 阿弥陀ヶ峰城 (愛知県瀬戸市志品野町2丁目)

今回は瀬戸市の阿弥陀ヶ峰城にやってまいりました。
梅雨も明けたのでしょうか・・。セミの声と共に夏の日差しがやってまいりました。
急激な気温の変化に体というものは即、対応できないものですね。

s-amidagane (1)
城址とされる金宝寺です。

双頭の鳳凰の壁画がお出迎え。
映画『火の鳥』を思い起こさせるのは私だけでしょうか?
♪You Carry Us On Your Silver WingsTo The Far Reaches Of The Universe(^^♪)
(歌ってたな~)

s-amidagane (5)
お堂のあるあたりが一段高く、本丸に相当したのでしょうか?

遺構は残っていませんが面影だけはとどめている感じです。
駐車場が二ノ丸みたいな感じです。
城址を示す説明版が設置されていました。

s-amidagane (3)城址の由来は説明版にお任せいたします。

永禄元年(1558)の織田信長による品野城攻めの付城、というのに注目です。
当時、今川方にあった品野城攻めに信長は竹村長方を大将として包囲攻撃させます。
信長は永禄3年(1561)に品野城を落としますので、その間付城として機能したと言えましょう。

s-amidagane (4)

本丸からは意外と眺望がききます。
尾張地方のランドマークが認識できることがわかります。
涼しい風が吹き抜け、汗が引いていく、手軽な城址体感でした。


金宝寺一帯が城址と伝わっています。案内看板があります。

愛知県に浅井長政公の銅像があったなんて・・

尾張 浅井氏宅 (愛知県春日井市牛山町・元屋敷)

いつのことでしょうか。以前、弟くんからこう聞かれました。
「兄さんって、春日井市に浅井長政の銅像があるって知っとった?」
??、・・なんのこと?

戦国武将の銅像ファンでもある自分は、弟が何を言っているのか全く飲み込めません。
浅井長政、北近江の武将でしょ?、なんで尾張に銅像があるのよ?。(しかも織田領ど真ん中)
ともあれ、半信半疑でネット検索したら・・、あるんですね・・。びっくりです。

ということで今回はちょっと箸休めのコラム気分です。
実際、現地を訪ねて参りました。

asaitei (11)名鉄小牧線・間内駅裏に立つ浅井長政公の銅像と浅井氏宅址の石碑。

あら、ホントにありました!
確かに「浅井長政公」の銅像です。・・でもまたなんでこちらに??
脇にあった石板にはその説明書きが彫られていました。

長政の子息、浅井七郎がこちらに移住されたそうです。
以後、七郎を祖とする一族がこちらで代々住まわれたそうです。
ご先祖の霊を慰め、末永く後世にこの土地の事をつたえるべく建立された、との事。

asaitei (1)

asaitei (9)
お優しそうな顔立ちに温和な眼差しの長政公です。

全くノーマークでしたのでとても驚きました。
おそらくオフィシャル・ポイントではないのでしょうが、ここ尾張で会える長政公。
いささかでも偲ぶことができましょう。

場所は名鉄小牧線、間内駅の東側すぐです。(駅舎からも見えます)
ご興味のある方は訪ねてみられてはいかがでしょうか。
道がちょっと狭くて大変ですが、探検気分で楽しめますよ!

武将銅像ファンの方々、是非!




尾張 小牧山城 🏯戦国三英傑、天下への衝たる所、この城あり

尾張 小牧山城 (愛知県小牧市堀の内1丁目・小牧山) ≪国指定史跡≫

東西南北、春のお花見城めぐり・第3弾の東は小牧山城を訪ねます。
もう言わずと知れた要衝・小牧山城。
ここでダラダラとうんちく述べるつもりはございません。

komaki44 (12) 鮮やかな桜と青空、小牧山城歴史館。
(我ながらよく撮れたかも(#^.^#)) 

何度も登っている小牧山ですが桜の時期に来たのは初めてかも。
最近は、周辺で小牧・長久手合戦の城砦めぐりもしてきました。
ですので、今回はそんな視点からも見てみよう、というのんびり散策です。

komaki44 (41)史蹟・小牧山、北側の石碑。(南側の石碑よりこちらがお気に入り)

信長、秀吉、家康の3人がこの場所を見据え、天下へと駆け上がっていった城です。
今回は発掘調査が一段落して、整備された小牧山を桜花見を兼ねての登城。
訪問するたびに新しい発見があり、毎回とても楽しみなのです。

komaki33 (5)平野部の浮島であるかのような小牧山。

komaki33 (1) かなり遠くからでも確認できるシンボルです。

まずは東の麓の帯郭地区からの見学です。

小牧合戦の際、大軍勢を収容したであろう曲輪で小牧山全体をとりまくように展開しています。
信長時代には居館として、家康によってより戦闘用に構築されたとされる遺構です。

komaki44 (4) komakidorui.jpg
厚みのある高い土塁で、断面の様子が展示されています。

komaki44 (7)内部も堀や土塁で仕切られています。

komaki44 (8) 公園も兼ねた広いスペースです。

komaki44 (1)

次は南から山上へ向かう大手道から登っていきました。

komaki44 (39)以前あった市役所の場所がかつての姿に修復されていました。

大手道の登り手口、右側には大土塁と堀が造り直されていました。
視界いっぱいに広がるその規模に当時の雰囲気を感じます。

komaki44 (37)頂上へ向かって真っすぐに伸びる大手道。

この大手道を下からよーい、ドン!で子息らと競争したものです。
今回もマラソン大会前の調整に足取り軽くダッシュで登ってみました。
・・結構、しんどかったですね・・(´∀`*;)ゞ。(天下に駆け上がるのは無理みたいです・・)

komaki44 (35)山腹の横堀は西から南方面を守る長大な遺構です。

komaki44 (34)土橋を経由して主郭部へ。

komaki44 (15)発掘によって出土した石垣の裏込め石が集められてます。

komaki44 (28)

komaki44 (30)こちらは石垣の残存状況です。

この石垣、崩れているというものの若干、貧弱です。
さて、石垣構築は誰の手によるものなのか?
信長の築城、在城時期のものか?、それとも家康の小牧合戦の改修期なのか?

石垣石材の一部は小牧山北東の岩崎山から運んだと思われる同一の花崗岩があります。
岩崎山は小牧合戦では羽柴方の砦として利用されており、敵陣からの石材調達は不可能。
よってそれ以前の、信長時代からのものではないかという見方が有力です。

komaki44 (26)

komaki44 (31) komaki44 (16)

時代を経て、転落石も所々に見られます。
整備をしながら戦国時代への姿に少しずつ近づいていくようです。(楽しみ!)
たくさんの裏込め石もその時を待っているかのようでした。

komaki44 (18)「事実上天守」といった感じの小牧市歴史館。

平松氏によって私財を投じて建設され、小牧市に寄贈されました。
鉄筋コンクリート造、3層4階です。
このデザイン、どっかで・・。

そう、京都西本願寺の飛雲閣を模したものですね。
(パンフレットからカンニング!)

komaki44 (23) 最上階からは周囲の景色が一望できます。
(写真は東の春日井(かすがい)・長久手方面)

今回はどうしても徳川方目線になってしまいます。

komaki44 (27)どれどれ・・。羽柴方の主な布陣を見てみましょうか。

今は、小牧・長久手合戦の経緯を勉強中の久太郎。
ここで最も気になるのは秀吉方の配置城砦や陣がどのようにみえていたのか?
左から岩崎山砦久保山砦小松寺山砦・・。なるほど横一線になってますね~。
(以前、訪ねた砦を逆から見るって面白ろ~)

komaki44 (33)次来たときはどんな姿をみせてくれるかな?

信長がこの城で構想した姿はやがて岐阜城、安土城へと具現化していきます。
秀吉はこの城をとりまく合戦を制することで次の天下人への名乗りを欲します。
家康はためらいの中、もはや避けられない運命をこの城で感じ取っていました。

小牧山には三英傑それぞれの待望が感じられ、そしてかの英雄たちの思惑も感じられますね。

桜もなかなかの咲きっぷりで和ませてもらいました。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
最新登城記事
カレンダー
04 | 2018/05 | 06
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数