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尾張 木下城 🏯犬山城ができる前の北尾張の要衝

尾張 木下城 (愛知県犬山市犬山愛宕) <市指定史跡>

前回、犬山市内の城址めぐりをした際の続きになります。
木下城は市内では犬山城から最も近場にある城址です。
城下町見学を兼ねて、歩いての見学をおススメします。
(駐車場がないこともありまして・・)

kinosita3 (19) 愛宕神社境内一帯が城址でした。

文明元年(1469)織田広近が小口城から犬山に移り、木ノ下城を築城しました。
美濃国の斎藤妙椿に対する牽制の役割があったといいいます。
織田広近は別に北方の乾山には戦い用の砦を築いていますが、これが後の犬山城です。

天文6年(1537)、信秀の弟・織田信康は乾山の砦を城郭にして、犬山城を整備、拠点を移します。
木ノ下城は廃城にされましたが、織田信長が犬山城の織田信清(信康の子)を攻める際、
かつての木ノ下城址に宿営し、犬山城攻めの拠点とした、ということです。

kinosita3 (9)なかなかいい感じの木下城石碑があります。

kinisita00.jpg
25年くらい前の訪城時には大きなクスノキの横にあった石碑も移動されたようです。・・懐かしい画像です。

kinosita3 (2)説明板には当時の城の規模や沿革が詳しく書かれています。

kinosita3 (3) kinosita3 (7) 
案内板とどんな日照りのときでも水が枯れない、と伝えられていた井戸「金明水」です。

kinosita3 (6)
本殿は一段上になった高台になっていて、城の主殿があったようです。

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鳥居の脇の手洗い石には「白厳水」と彫られているそうです。白厳とは織田信康の号名を指しています。

木下城の説明版にもあるように境内にある井戸は、「金明水」と呼ばれ、井戸と伝えられます。
また、愛宕神社の南西約100mにある井戸、「銀明水」も当時に掘られた井戸と伝えられています。
現在のくすのき公園あたりにあったともいわれますが場所が特定できませんでした。

現在も残っているのでしょうか?
どなたかご存知の方が見えれば是非とも教えて頂きたいと思います。

しかし、犬山市には別に「銀明水」が存在します。
場所は名鉄犬山駅の北西、余坂天神社の向かい、「なり多」さんというお店の中です。
お店の方のご厚意で中を拝見させていただきました。

kinosita3 (18) フランス料理「なり多」さんの外観です。

kinosita3 (11)織田信長森長可池田恒興らも飲んだ、とされる名水なんだそうで。

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由緒書きと挿絵も用意してありました。武将たちが渇いたのどに流し込んだ名水、どんな味でしょう。

早速、自分もお酌に一杯いただいてみました。
どれどれ・・、・・うん、旨い、ですね!
こんなところがあるなんて知らなかったです。

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お店の奥にあるお庭にて 「銀明水・竜の池」 や 「水琴窟」 も見学させていただきました。

思いもよらず、城めぐりから、井戸めぐりになってしまいました。
井戸は城の重要な施設。残っているのであれば貴重な遺構でもあります。
飲めるかどうかは一応、確認済みですが、自信のない方は避けてくださいね。もしくは煮沸にて。

城の井戸めぐり、なかなか楽しかったです。o(^▽^)o

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尾張 楽田城 🏯最も古い「殿守(天守)」の記述がある城

尾張 楽田城・楽田小城 (愛知県犬山市楽田本郷・城山)

羽黒城の見学後、その足で寄ったのが楽田城です。
犬山市の城址は南北の街道に沿って配置されているのでとても回りやすいのが特徴。
最寄り駅からも近くにあって訪問しやすいです。

gakuden522.jpg楽田小学校北西部にある城址石碑。

楽田城は現在楽田小学校一帯に築かれていたようです。
かつては土塁や堀が残っていたといいますが、小学校建設によりほぼ消滅しました。
天守台もあったそうですが、これも消滅、現在は北西側の校門付近に石碑と案内板が建っているのみ。

gakuden (10) gakuden (3)

gakuden (9)史蹟城山の石碑と楽田城石碑の小山(天守台ではありません)。

楽田城は永正元年(1504年)頃に 大赤見城主の織田久長によって築かれたと云われ、居城を移したようです。

永禄5年(1562年)犬山城主織田信清によって攻め落とされますが信清は織田信長に追われ、甲斐に逃亡。
楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城します。

どうやらすでに信長の頭の中では東美濃攻略への布石が始まっていたようです。

元亀元年(1570年)坂井政尚が近江国堅田で討死、長男の久蔵尚恒も元亀元年(1570年)7月の姉川の戦いで討死しており、奥城主梶川高盛が城主となります。

その後、小牧長久手合戦では秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに羽柴秀吉自身も犬山城から楽田城へ本陣を移します。

gakuden (7) 小学校の敷地は周囲よりも一段高くなっています。

小瀬甫庵が記した「遺老物語」によると楽田城中には高さ5m程の壇を築いて、その上に二重の櫓を建てていたと記され、それを「殿守(でんしゅ、天守に音が通じる)」と呼んだといいいます。

これが今日の天守に通じる最も古い記録とされています。

起伏の少ない濃尾平野では、山城を築くことが困難であったためでしょう。
遠方を監視するための物見櫓が発達し、高層建築施設が天守への発生へとつながったと思われます。

gakuden (11) 須賀神社も楽田城の一部だそうで・・

これだけかな・・。と、学校外周を歩いていたところでした・・。
ご近所のおばちゃまに「楽田小城」なる場所を教示していただきました。
見た目一発で城見学に来たと見抜くその洞察力、おばちゃま、ただ者に非ず・・。

gakuden (12) 城址の雰囲気のある神社です。

楽田小城は出丸か、本城の北に連なる郭の一部だと思われますが、一段高くなっています。
むしろ、こちらのほうが城址の面影が残っているように思われ、ちょっと興奮してしまいました。
「おばちゃま、ありがとうごぜいやす!」、です!

gakuden (13) 楽田小城の立派な石碑。( ̄。 ̄ノ)ノ

なんだか得した気分です。
今回もちょいといい旅気分での城めぐりができました。

続きを読む

尾張 羽黒城 🏯小牧・長久手の戦いで再構築された城

尾張 羽黒城 (愛知県犬山市羽黒・城屋敷)

犬山城を見学した後、市内の城館を訪ねて回ることにしました。
その中の一つ、羽黒城のご紹介です。

以前、まだ小さかった子供たちを連れて遊びにきたことがありまして。
懐かしい思い出の城址でもあります。
今回はその時の写真と出来事もおりまぜながらの回顧録でもあります。

城跡は羽黒の興禅寺一帯あたりから北東に築かれました。
羽黒の交差点を西に100メートルほどで興禅寺に到着です。
結構、狭い道なのでちょっと気を付けないといけません。

haguro (1) まずは興禅寺を目指します。

羽黒城は建仁年間(1201年~1204年)に梶原景親によって築かれたといわれます。
景親は源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣梶原景時の次男・景高の子であります。
梶原氏一族は正治2年(1200年)鎌倉を追われ駿河国清見関での戦いに敗れて一族の多くが討死しました。

そのうち景高の子豊丸が乳母・お隅の方に連れられて羽黒へ落ちのび、長じて梶原景親と名乗り現在の興禅寺に館を構えたようです。

haguro (3) haguro (2)

梶原景時夫妻の供養塔と梶原一族の五輪塔があります(写真:左) 
山内一豊の母・法秀院の出生地でもあるそうです。(写真:右)

haguro (18) 境内の裏には羽黒城の土塁が残ります。

haguro (17)羽黒城の主郭部の高台です。

haguro (4) haguro (19)

以来、梶原氏は羽黒一帯に勢力を持ち、信長に仕えた梶原景久(景義とも)は羽黒三千石を領した有力領主でした。
信長の長子・織田信忠の与力となり、共に各地を転戦します。
しかし、天正10年(1582年)、景久は本能寺の変で信長父子に殉じ討ち死したようです。
(↑『信長公記』などでは戦死者の名簿で確認が取れていません。口伝です。)

haguro (21)羽黒城址石碑。前方後円墳の墳丘を利用したようで、その最高所に城址碑が。

小牧・長久手合戦では羽柴秀吉方の砦として梶原館が再修築され、山内一豊、堀尾茂助が守将となりました。
当時は対織田・徳川連合軍に対する最前線の城砦群の一つとして重要視されたのです。

haguro (5) 竹林が手入れされて観察しやすいです。

haguro (6)切岸下を横堀がめぐっています。

当時、この斜面を見た子供たち、うずうずしたのか制止も聞かず、城攻めを始めました。

haguro (13) まず次男くんが一目散に攻め上がります。

haguro (14) 続けて三男くんが取り付きます。

haguro (15) どうやら、羽黒城を陥落させたようです。

頂上の城址碑あたりから勝ち鬨が聞こえてきます。・・親の顔が見てみたい・・。
まぁ、どんな形にせよ一緒に城めぐりを楽しんでくれて、うれしいものでして・・。
ただし、ここは貴重な歴史遺構であることも忘れてはいけません。
斜面の駆け上がりは最小限避けたいものです。・・ちと反省。

haguro (12) 竹の伐採材を利用した城柵もこしらえてありました。

haguro (16) haguro (24)
クランクのきいた堀が一部残存しています。おぉ!木橋がナイス・イメージです。

haguro (20) 所々に土塁の址も見られます。

竹林が整っている分、城内の見通しが効きます。
しかし、遺構が断片的に存在しているので全体像がつかみにくい城です。
ここは想像力でいろいろ思い描いてもよろしいのではないでしょうか?

haguro (22) 城内には五輪塔が大切に祀られています。

haguro (8) haguro (7)
羽黒城址北には磨墨塚(するすみづか)と公園があります。

磨墨は源頼朝から梶原景時に与えられた名馬。
この地で死没した名馬・磨墨の死を惜しみこの塚が祀られたようです。
・・磨墨塚、全国各所にもあるようですね・・。

haguro (23) 案内板がリニューアルしてました。

haguro (11) haguro (10)
名馬・磨墨をイメージしたなかなかエグイ遊具にお子様、大喜び、尻尾が滑り台になっております。

結果的にこの公園があったこともあり、子供たちも楽しい城めぐりになったようでした。
実は、自分も一緒になって大はしゃぎしていたことも事実でして・・。
まぁ、どちらが子供かよくわからない状況でしたね・・。

・・という楽しかった思い出の城址のお話しでした。

また付き合ってもらえるかな???(ノ´▽`*)b

尾張 犬山城 🏯木曽川河畔にそびえる崇高な天守閣

尾張 犬山城 (愛知県犬山市犬山北古券・城山) 〖  国 宝  〗 【日本100名城】

最初に申し上げると、自分、犬山城が大好きです。

自宅からも近く、以前は仕事のルートでも日常的にあった身近な城です。
何度見ても、その美しい姿に見とれてしまいます。
近くを通る時はわざわざ遠回りしてでも寄ってみたりして・・。

inuyama (3)木曽川にその姿を映す「白帝城」こと、犬山城天守閣。(*´~`*)

やはり木曽川方面から眺める景観が絵になりますね。
木曽川を背にもつ、いわゆる兵法にいう、「後堅固(うしろけんご)」の城です。

inuyama (1)見る方角によって異なる顔を持つ天守。お気に入りのマイ・アングル(´∀`*;)ゞ

inuyama (17) 石碑も国宝にふさわしい感じです。(この石碑マニアめ!(//>ω<))

inuyama (14) inuyama (15)
主郭を囲むように横堀が巡っています(本当は堀底に降りてみたいのですが・・)。

inuyama (5) 七曲門付近の石垣と少し見頃を過ぎた紅葉。

inuyama (7) 天守台には様々な色の石がカラフルです。

inuyama (4)お馴染みの切妻付櫓がある南面からの雄姿。♪O(≧∇≦)O♪

inuyama (13) inuyama (12)
外観は3層ですが、内部4階、地下が天守台内に2階もあり、6階構造になっています。

inuyama (8) 階段は頭上注意!油断するとゴツンといきます。

inuyama (11) 3階の破風の間が妙に落ち着きます。

inuyama (9) inuyama (10)
最上階の望楼から見渡す美濃の対岸と城砦群。

四方に設けられた廻り縁からは雄大な木曽川沿い、日本ラインが絶景です。
対して、南側も尾張平野が一望のもとに見渡せて見晴らし良すぎです。

inuyamaminami.jpg 南方面の眺望。

inuyamamokei.jpg在りし日の犬山城の全貌模型図です。素晴らしい出来栄えですね。

ここで犬山城の歴史について、ちょっと・・。 inuyama (2)

犬山城は天文6年(1537年)織田信康によって築かれました。
信康は織田信秀の弟で木之下城を居城としていましたが、犬山城を築いて移りました。
信秀の弟たち、信光、信康らは、いずれも武将として出来人だったようです。

織田信康は兄・織田信秀に従って美濃の斎藤道三と戦い、加納口の戦いで戦死します。
信康のあとは子の織田信清が跡を継ぎます(信長の従兄弟にあたります)。

織田信清は領地を巡る争いで信長と対立します。
しかし、信長の反撃によって永禄7年(1564年)には犬山城も陥落し、信清は甲斐国へと逃れるのです。
信長は信清を降した時点で尾張の統一をほぼ手中に収めました。

その後犬山城は小牧山城と共に対東美濃攻略の拠点として重要視されていきます。

inuyamakofuu.jpg

そして時代は下り、再び犬山城が注目されるのが、小牧長久手の戦いです。

天正12年(1584年)小牧長久手合戦の時は織田信雄の家臣中川定成が城主でした。
合戦の緒戦で、大垣城主池田恒興は秀吉方に味方すると、かつての居城であった犬山城を急襲して攻め落としたのです。(中川は伊勢方面に出陣中で、留守中でした)
これは、家康・信雄側にとって、全くの誤算だったようで、その後の戦局を大きく左右する出来事になりました。

1617年(元和3年)、尾張藩付家老の成瀬正成が城主になり、以後江戸時代を通じて成瀬家9代の居城となりました。
近年まで日本で唯一の個人所有の城であったことで有名でしたが・・。
個人所有では維持に非常に困難が伴うことから、財団法人犬山城白帝文庫に移管されることになり、現在に至っています。

inuyama (6) どことなく「戦国の城」を色濃く残す天守は小さくとも迫力に満ちています。

全国各地の中でも旧現存天守を有するのはわずかに12天守のみ。
そのなかにあって犬山城天守は、丸岡城天守と並んで最も古く、最も戦国を生き抜いてきた城、といえます。

そして、個人的にも最も美しい、と思える城です。
いつまでもそこにあって、みんなに愛される城であって欲しいと思います。


プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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