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尾張 小幡城 🏯遠見の角に巧手・家康あり

尾張 小幡城 (愛知県名古屋市守山区西城2丁目一帯・城趾山)

お盆も過ぎ、空高い入道雲の下、そよ風が心地いいい季節になりました。
この時期はセミのオールスター大合唱が聴ける短い時期でもあります。
盛夏からのクマゼミ、アブラゼミに、晩夏からのミンミンゼミ、ヒグラシ・・。

そこに初秋のツクツクボウシが参加していよいよ夏は過ぎようとしています。
どんなに異常気象といわれようとも季節は移り行くことを忘れません。
城めぐりを通して感じとることができる季節はより一層の楽しみとなりましょう。

さて、前回では龍泉寺城を訪問いたしました。
今回はその龍泉寺城南東に僅か3kmと離れていない小幡城を目指します。
この距離感で数刻とはいえ、睨み合った秀吉と家康の肝っ玉に感心します。

obataj (15)
麓の西城小学校グランドから見上げる、城趾山・小幡城です。

上の写真の頂上の家屋やマンションが建つ辺りが本丸だったようです。
標高は20メートルくらいでしょうか?それほど高くはありません。
それでも尾張中央部の平野の中では高台、といってもいいでしょう。

tyuoba.jpg
本丸一帯は月極駐車場となっており、広さは感じられます。

・・まぁ、この様な状況なので遺構もなにもあったものでは無いのですが。
それでも「城跡」だった、というアナウンス・認識があるとないとでは全く違います。
移ろいゆく時代の中にその名を留めている、ということに意味があると思うのです。

obataj (9)名古屋市の説明版が設置されています。(ありがとうございます(*・`ω´・)ゞ)

小幡城は大永2年(1522)岡田重篤によって築かれたそうです。
その後、信長の叔父・織田信光が守山城と共に城主となるも、死後は廃城となりました。
後、小幡城が再び脚光を浴びることになるのは小牧長久手合戦の舞台です。

obataj (7)微高地ながら平野部がとてもよく見渡せます。

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唯、東側には堀切の痕跡が道となって残っています。これはポイント高いです。

obataj (12)
さらに東側には城趾山・阿弥陀寺付近に少しの雰囲気が残っています。

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一瞬、城址石碑かと思ってしまいました。まぼろし~♪。

天正12年(1558)小牧長久手合戦において徳川家康はこの城を修築し本多広孝に守備させます。
小牧山城と三河方との連絡路を保つための重要な拠点でした。
同時に守山城もおそらく若干の手が加えられたものと思われます。

小幡城は庄内川と矢田川の合流地帯の高台に立地しているのが特徴です。
庄内川では勝川の渡しを経由すれば小牧山城砦群とも連絡が容易。
矢田川と現在の瀬戸街道筋を利用すれば三河・東濃方面にも迅速に移動できます。

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家康が小幡城急行の際に渡った勝川の渡し

家康にしてみればここ小幡城こそが最右翼の防衛線ともいっていいでしょう。
秀吉軍による小牧山への回り込みを防ぐにも格好の位置にあり、と理解できます。
秀吉の三河中入り隊、三好本隊らはこの小幡城攻略こそが主目的だったともいわれます。

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小幡城、堀切名残りの場所にカワイイ花。

事実、小幡城は小牧長久手合戦にて攻撃・防御の両面で力を発揮します。
龍泉寺城👈の記事でも触れましたので参考にしていただければ、と思います。
家康にしてみれば、小幡城、将棋でいうなら「角行」の如しです。

少し離れた場所から相手が筋を見落としやすい意表を突きます。
小牧山~長久手間にて利きが広がり、動きが封じ込まれにくく、戦局を優位に進められます。
家康は小幡城の立地特徴を見事に見極め、対局をすすめたといえましょう。

秀吉もまた小幡城の存在を大いに警戒し、三河中入り部隊本隊の攻略主目標としました。
三河(岡崎城)方面を突く、とみせかけ、その実は岩崎城と小幡城の同時攻略と分断。
そして「小牧山での家康孤立化作戦」というのが絵だったのではないでしょうか??

一早くその動きを掴んだ家康、秀吉軍の戦局主導の中でまさに小幡城を「竜馬」と成します。

まさに遠見の角に好手あり、ですね。
(「遠見」とは離して打つことで、角の打ち方や動かし方に好手が多いという格言)

次回は今回の記事を受けての「小牧長久手合戦古戦場めぐり」を再開。
「両軍の長久手方面へ進軍編」を取り上げていきます。


Ⓖは小幡城の説明版の位置を示します。短い時間であれば路駐車でもいいと思います。
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尾張 龍泉寺城 🏯織田信勝と羽柴秀吉、それぞれ宿命との対峙の場

尾張 龍泉寺城 (愛知県名古屋市守山区龍泉寺1丁目・龍泉寺)

お城好きな皆様、残暑お見舞い申し上げます。
お盆休みを挟んで長らく放置されたブログに戻ってまいりました。
猛暑と台風の到来で予定していた諸計画は吹き飛んだ夏休みでしたが・・。

さて、前回では上条城(ジョウジョウジョウ)を気分ジョウジョウで紹介いたしました。
今回は上条城から続いて庄内川を渡った龍泉寺城を訪問しました。
車内では「mihimaru GT」さんらの『気分上場↑↑』を聴きながら一人アゲアゲ。

一人の時は夏でも車内エアコンを入れないのがどうでもいいポリシーです。
窓全開でのノリノリ運転は傍迷惑もいいとこかもしれません。
・・本音をいいます、エアコンジムニーJA22=走らない説は本当なんです・・(哀)。

ryusenji (1)
名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつが龍泉寺です。

徳川家康は名古屋城築城の際に、鬼門の方角にあたる古刹に注目。
名古屋城の鎮護として尾張四観音を定めました。
尾張四観音()はどこも尾張の代表的な開基千数百年以上を経た古刹です。

愛知県名古屋市中川区荒子町の荒子観音
愛知県あま市甚目寺の甚目寺観音
愛知県名古屋市守山区竜泉寺の龍泉寺観音
愛知県名古屋市南区笠寺町の笠寺観音

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仁王門は重要文化財に指定され、多宝塔も美しいですね。

ryusenji (9)そして境内裏側には模擬天守が隠れています(*^_^*)。

この模擬天守、なにせ歴史考証を欠くが故にあまり知名度がありません。
知る人ぞ知る、といった隠れ天守スポットかもしれません。
それでも「天守(建物)至上主義」の城郭ファンにとっては一度は訪れるに値します・・。

・・かな??(;^_^A)

ryusenji (7)

模擬天守内部は宝物館となり、重要文化財の木造地蔵菩薩像や円空仏などを見学できます。
気を付けたいのは日曜・祝祭日のみの開館で、開館時間は午前9時から午後3時です。
拝観料が200円です。平日は見学できません。

ryusenji (11)
「扇の勾配」なのですが、控えめな現代建築の美しさを楽しめます。

ryusenji (10)
模擬天守に隣接する日本庭園もなかなか手入れされていていいですね~。

ryusenji (8)
おお、展望台もありますよ!行ってみましょ。

ryusenji (3)ここからは春日井小牧方面から名古屋を見事に一望できます。

ほぼ真西方面に清州城、南西に名古屋城、北西に小牧山城がしっかり見えます。
眼下には庄内川が流れ、松河戸の渡しも監視できる要所です。
小牧長久手合戦の際、秀吉軍の三河中入り部隊三好本隊はこの地点を渡河しました。

ryusenji (12)
展望台も下から見ると櫓風でしっかりとした構造に見えます。

・・ところで。

自分は学生時代に龍泉寺の夜祭りで警備員のアルバイトをしたことがあります。
その時、お寺の方のご厚意でここから名古屋の街の夜景を見せていただきました。
お寺の方曰く「百万ドルの夜景」だとおっしゃっていましたが、本当に綺麗でしたよ。

さて、龍泉寺城には城郭としての遺構も残っているので見ていきたいと思います。

龍泉寺城は弘治3年(1557)織田信長の実弟:織田信勝によって築かれました。
「織田信行」という表記は最近は改められ、徐々にこちらの名が浸透してきていますね。
信勝は岩倉城主・織田信安と組み、兄・信長と争った際に築城したと伝えられます。

信長の家臣として、協力的一門衆の座に落ち着くことができなかった信勝。
本人の気性か、取り巻く家臣や実母の影響か、兄弟で争いは避けられませんでした。
本拠・末森城から支城を築くこと自体、信長にとって脅威な存在だったことでしょう。

ryusenji (5)北側に残る空堀は「豊公一夜堀」と呼ばれる堀があります。

後年、天正12年(1584)小牧長久手の合戦において羽柴秀吉がこの城に来陣します。
家康は長久手にて羽柴別働隊を壊滅させた後、小幡城に入ります。
救援に駆けつけた秀吉は小幡城の目と鼻の先であるここ龍泉寺に着陣。

長久手での敗報を聞きつけ短期間で堀を掘ったのがこの一夜堀だそうです。
毎回ですが、秀吉の手にかかると、なんでもかんでも「一夜」なんですね・・。
しかし突貫で掘りまくったにも関わらず、眼前の家康は既に小幡城から撤収していました。

常に秀吉の一枚上手をいく家康采配は冴えまくっていますね。

ryusenji (4)
堀の外側には幅2メートル程の土塁がめぐっています。

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土塁がめぐる堀底の様子です。

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主郭側の法面は急な勾配となっています。

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堀底に降りる途中には「豊公旧跡」と彫られた石碑もあります。

ryusenji (15)庄内川南岸の崖上に位置する龍泉寺城。

手前の庄内川には松河戸の渡しがありました。
小牧長久手の戦の折には、三河中入り隊がここから渡河します。
総大将・三好信吉(秀次)らも白山林に向かって渡河移動します。
 
この地点は庄内川が大きく南行から西行にカーブしています。
河川敷は以前は砂石取場になっていた程の浅瀬。
現在でもゴム草履か長靴で横断できてしまうほど浅いです。

龍泉寺城からの眺望は信勝の兄・信長に対する剥き出しの牙を感じました。
また秀吉得意の人海戦術による「一夜堀」も家康との強い決着意欲を伝えます。
両者とも因縁ある相手との駆け引きに城を利用したんだ・・と思い感慨深かったですね。

次回は家康にとって「角」の城、小幡城の記事を予定しております。


駐車場は龍泉寺の広い参拝駐車場をお借りしました。

尾張 島田城 🏯開発市街地の中に残る土塁に感涙

尾張 島田城 (愛知県名古屋市天白区島田5丁目)

我が家にはこの春から名古屋市内の大学へ通学している次男クンがおります。
この日は学校主催の父母向けガイダンスに参加してきました。
・・といっても、もう大体の事は本人に任せで、歩んでいくのでしょう。

保護者などはアドバイザー&スポンサー・・じゃない、カウンセラーみたいなものです。

しかしまぁ、折角名古屋まで来たのですから、昔来た城址の現況も気になるもの。
家族に言わせれば城址付近を通る度に自分はキョロキョロして落ち着きがなくなるようです。
奥方:「脇見運転で事故られちゃたまりませんから、(城まで)行ってきたら?」

「そう?、・・いやぁ~、じゃ、そうしちゃおっかな!。(よっしゃ!)」

次男:「どうせ神社かお寺になっててこんもりしてるだけでしょ・・。」
奥方:「石碑とか、カメラで撮ったらすぐ帰ってきてね・・。」
次男と奥方:「うちら、車ん中で待ってるから(唱和)。」

・・どうして気持ちよく送り出してくれないのでしょう??
(それでもぜんぜん構わないですけどね)

Nsimada (6)
・・ということで、天白区の島田城に寄ってみました。

島田城は名古屋市内の中では土塁が一部残っている貴重な城址なんです。
都市部では大方の城館が見る影もなく消滅してしまった中で珍しいことですね。
しかし、到着するなり、いい意味で裏切られました。

以前来城したときは、土塁といっても鬱蒼と木々が自生していた記憶があります。
それがウソのようにキレイに間伐され、見学しやすくなっているではありませんか!
しかも内部見学ウェルカムな見学ルートまで整備してあります。

Nsimada (1)入口には島田城の案内板が立ちます。

島田城は鎌倉街道を押さえる要所として斯波高経が築城を命じたといわれています。
高経は室町幕府において、尾張・遠江・越前の三国の守護であり、また菅領家でもありました。
戦国期になると地元では『城主は牧虎蔵である』と伝わっています。

この牧虎蔵は、川村北城(名古屋市守山区)の牧長義の一族です。
長義は織田信秀の妹を娶り小林城(名古屋市中区)に居城していました。
その出城として島田城を修築、母方の一族である牧虎蔵に守らせたそうです。

小躍りしたい気分で、ちょっと、お邪魔したいと思います。
以前は足も踏み入れられなかったから興奮してしまいます。
どうやら周囲をぐるっと散策できるようになっているよう。

Nsimada (2)土塁の一断片に過ぎませんがとても迫力あります。

Nsimada (5)
土塁の上にも上がれるます。

どうもかなり最近に整備されたばかりなのでしょうか?
石段もピカピカ、土塁上には雑草さえ生えていません。
これは相当ラッキーな時にお呼ばれしたようです。

Nsimada (4)
土塁の上には城主にまつわる牧神社が祀られています。

Nsimada (3)
島田城は東西約75m、南北約180mくらいの規模だったそうです。

それにしてもここから周囲を見渡すと、高層マンションや住宅地に囲まれています。
よくもまぁ、部分的にでも残していただけたものです。
城主・牧氏の末裔である方々の私有管理のお蔭様なんでしょうね。

しかもこのように見学開放・整備していただけるなんて本当に感謝です。


Ⓖは島田城の土塁が残っている場所です。
 付近にはこれといった駐車場はありません。

尾張 守山城 🏯暗雲にまみれた闇の歴史を背負った城

尾張 守山城 (愛知県名古屋市守山区市場・城山)

息子の練習試合もお昼休憩で一休み。
他県のチームとの交流はお互いにいい刺激になっているようですね。
我々も刺激を求め城跡散策の再開です。
(今回も奥方が目付け役として時間制限付き同行です、はい。)

moriyama (4) 名古屋中学校、バスケコートのセンターサークル。

先程の千種区の上野城とは反対方向の守山城に行ってみました。

moriyama (5) 宝勝寺一帯が城址で、駐車場をお借りしました。

moriyama (7) 東側の坂道上に守山城の標板がありました。

moriyama (22) moriyama (15)
標板の奥に見える小高い丘があり、月極駐車場があります。アパート「城跡荘」の裏手になります。

この登り口はアパート「城跡荘」の敷地になっており、ちょっと見つけづらいようです。
実際、この丘の周りをグルグルと徘徊してしまいました。
階段があり、このアングルではまるで山城を登っているかのような画像ですが・・。

moriyama (16) 奥方の足で徒歩1分足らず。頂上に到着です。

moriyama (17)kai守山城城址石碑です。城歴の概要も彫り込まれています。

このわずかに残った平地は本丸の一部なのでしょうが、
宝勝寺の墓地との間には堀が竹林となって残っています。
竹が生えすぎて観察が困難ですがかなりの深さがわかります。

moriyama (13) 深い堀底も竹に阻まれて見学しづらい・・。
 
moriyama (19) moriyama (25) 
城址からの眺め。住宅街の中にも矢田川方面がよく見えます。

守山城の歴史はとても複雑で血生臭く、謎に満ちています。
不可解な事件が多発し、とても信じがたい出来事もおきています。
以下ににかいつまんで列挙していきたい、と思います。

久太郎的・守山城の七不可解(あくまで個人の勝手な検証・呼び名ですので)

●不可解・その1・・築城者・築城目的の不詳。  
大永元年(1521)、今川氏豊が那古野城を築いた際に、小幡城・川村城に対応して松平信定が築城した・・。
系図上、今川義元の弟にあたる氏豊が敵国・尾張の中心地に居城を構える理由が不明。
桜井松平氏(三河安城)に分家した松平信定が尾張の最前線に築城する理由も不明。

現時点では勉強不足でコメントしようがないほど不自然ではあります。謎・・。

●不可解・その2・・いつのまにか織田信光が城主に。
享禄5年(1532)、勝幡城主・織田信秀の奇計によって、那古野城を奪取。
今川氏豊を京に追い落とします。
織田信秀は、弟・信光を守山城主とします。

これは今川氏豊を追い落とした後の処置、と考えれば筋はたちますが・・。
守山城はいかようにして手に入れたのでしょう?氏豊はなぜ母国・駿河ではなく、京に落ちたのか?謎。

●不可解その3・・守山崩れ。
三河をほぼ統一した松平清康は、尾張に進軍。
天文4年(1535)12月、清康は尾張に侵入し織田信光の守る守山城を攻めます。
この守山の陣の最中、清康は大手門付近で突如、家臣の阿部正豊(弥七郎)に斬られ即死、
当然、弥七郎もその場で切り伏せられます・・。

清康は攻囲中の守山城内に何故いたのか?(一説に信光が招き入れたそうですが・・。)
松平氏苦難の道はここから始まります。しかし・・総大将が陣中で斬られるとは・・。大きな謎。

●不可解その4・・織田秀孝誤殺事件、織田信次の出奔騒動
弘治元年(1555)、信長・信光連合軍は清洲織田氏の織田信友を滅ぼします。
信光には那古野城が与えられ、守山城には信光の弟の織田信次が入ります。
しかし信次の家臣・洲賀才蔵が信長の弟・織田秀孝を誤って殺害、あろうことか報復を恐れた信次は・・、
なんと、出奔してしまうのです!。

主君の弟を家臣が誤って殺すなんてあるんでしょうか?。
逐電する新城主・信次のほうにも疑問が残ります。怪しい・・謎。
さらに、さらに・・。

●不可解その5・・織田信行(信勝)の城下焼き討ち
この件で大騒動のなか守山城下は、信長の弟で秀孝の兄である織田信勝により焼き払われてしまいます。
城には信次の重臣・角田新五らが立てこもり続けますが佐久間信盛らの働きにより信長の弟・織田信時(秀俊?)を城主とすることで一応の決着をします。
しかも信長、信勝にお咎めなし、逆に秀孝の行動に非があり、とします。?・?・?

謎まるけでなにがどうなってきたのでしょう?
もう、めちゃくちゃな事態になってきましたが、これで終わりません。

●不可解その6・・信時切腹事件に信次の城主復帰
信時(秀俊?)は他の家臣を偏愛・重用したため角田新五により切腹させられ、城には再び角田らが立てこもります。その後、出奔していた織田信次が信長に赦免され再び城主に復帰・・。

城主に詰め腹を迫る家臣に疑問譜。そしてあの信長が逐電するような信次を簡単に許すなんて?
なんだか、わけがわからなくなってきました。謎の極み・・。そして・・。

●不可解その7・・織田信光の突然の死
信長より那古野城を譲られた織田信光でしたが、弘治元年11月に不慮の死を遂げます。
近臣・坂井孫八郎により殺害されたといいいます。

信長の尾張統一に大きな後ろ盾となって貢献した守山の叔父のあっけない最期です。
黒幕がいたのでしょうか・・。いたのでしょうね・・。まさか信・・?。いや、謎・謎・謎・・としときましょう。

このようにあり得ない事態が次々と関連しながらおきていくのです。
ちょっと信じられないような話ばかりです。
これも何がおきるかわからない戦国の世の宿命なんでしょうか?

まるで今川、松平、織田一族の闇の歴史を一手に引きうけてているかのようです。
家臣の仕業にして事の真実を闇に葬ったかのような数々の事件。
そう、どれも裏に何かが隠されている気がしてなりません。

以上、久太郎的・守山城の七不可解、でした。
最後まで目を通していただいた方、まさかいないと思いますが・・、
みえましたら、心よりお礼を申し上げます、ありがとうございました。

追記・・。

ちなみに・・織田信光さんの個人的な印象。
さるNHK大河ドラマ『信長』では頼れる叔父、ではあるものの自尊心が強く高圧的、
形式・慣習を重んじる御意見番、といった役どころで登場シーンが多かったです。
(信光がここまで取り上げられたのは過去にも先にもないのでは?)

腹に一物をもちつつもおくびにも出さず、さかしい知恵も持ち合わせている、ちょいワル漢。
信長を織田家棟梁と認めつつも、内心では隙をうかがっている危険人物でした。
あのイメージは案外、当たっているのかも知れませんね・・。

・・ということで、もう一回DVDでも観てみましょうかね。





テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

尾張 上野城 🏯かわいい六地蔵めぐりが楽しい城

尾張 上野城 (愛知県名古屋市千種区上野町1丁目4-18・永弘院) 

今回も例によって息子の練習試合見学です。
こたびの城跡めぐりは尾張のほうの上野城。
合間時間に寄る城址めぐり、なかな病みつきになってます。
(奥方の了解をいただいたうえで、城めぐりしてます、はい。)

o-ueno3 (2) o-ueno3 (1)
東区にある名古屋中学校が会場。施設がすばらしい学校。

o-ueno2 (2) o-ueno2 (5)
すぐ近くの千種区永弘院(ようこういん)を訪ねます。

街中にあるとは思えない程の静かな寺院です。
手入れも行き届いており、散策するにもとてもいいです。

o-ueno2 (4)境内の一角にたつ上野城城址碑。

石碑の横側には「下方左近将監源貞清居城」との銘が彫られていますね。
下方貞清織田信秀・信長親子に属し、槍術の腕前が抜群に優れていた武辺者だったようです。
貞清は小豆坂の合戦における「小豆坂七本槍」の勇者の一人として一躍名を上げます。

各戦いでは信長の馬廻りとして母衣衆にも劣らない働きを発揮します。

o-ueno1 (1)名古屋市製の石碑の裏には古城石碑もありました。w( ̄o ̄)w

この石碑は明治時代のものらしく、古風な感じがまたノスタルジックです。
・・危うく見落とすところでした。
まさか城址碑が背中を向き合って2つあろうとは夢にも思いませんので。

自分がうれしい発見をしているころ、わが奥方もなにやら発見したようです。
「いろんな、可愛いお地蔵さんがいるよ」、とのこと、どれどれ・・。
見に行くと、思わず微笑んでしまいました。

o-ueno1 (7)o-ueno1 (6)
叫んだり、ふてくされていたり?、かわいいです!

o-ueno1 (4)o-ueno1 (8)
あらら、泣いてら(笑)、と思ったら、おすまし顔、うふふ。

o-ueno1 (3)o-ueno1 (5)
この笑顔にはやられましたね~。可愛すぎます。

わらべ六地蔵、というそうです。
見る人によって表情の読み方が変わるのもアリです。
ここだったら家族づれでの寄り道もできそうです。

o-ueno1 (10) お庭「弁天池」もきれいでした。

城址の遺構はありませんが、お寺散策としても手軽に楽しめます。
城址碑探し、そしてわらべ六地蔵探し、面白かったです。
・・さぁ、息子の試合に戻るとします。



テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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