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尾張 田中砦 🏯小牧合戦で秀吉方の砦に利用された方形墳

尾張 田中砦 (愛知県小牧市東田中・三ツ山古墳)

二重堀砦に次に田中砦をめぐりました。
この砦も岩崎山二重堀を結ぶ最前線の砦の一つでした。
現在は東田中三ツ山会館ができ、古墳と公園一帯が砦址であったと伝わります。

tanaka-t (3) tanaka-t (1)
平野部の三ツ山古墳群が砦に利用されました。

田中砦の主な守将は、蒲生氏郷、堀秀政、細川忠興、長谷川秀一、加藤光泰
いずれも秀吉政権下で将来が期待されるインテリ派の面々らです。
ほぼ同世代が協力しあって守備にあたった、そんな感じですね。

tanaka-t (4)小牧合戦の砦の中では最も大きい城址碑ではないでしょうか。(^-^)

tanaka-t (5) tanaka-t (6)
3基あった古墳群も残るのは1基。国道155号線の拡幅に伴って調査後、消滅しました。

tanaka-t (10)公園側からは円墳のように見えますが、方墳の角部が崩れたようです。

tanaka-t (12) tanaka-t (13)
なんとなく土塁のように見える生垣、発掘調査で実際、この方面に堀豪のあとが検出されました。

古墳の頂部にも何ら城の遺構はありませんが、ここから小牧山を睨んでいたんですね。

・・そういえば一緒になる前の奥方、ここの公園でスナック菓子をバリボリ食べてた記憶が。
帰宅後・・、こたつに入りながら、せんべいをバリボリやってる変わらぬ姿。
相変わらず、平和だな・・。



テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

尾張 二重堀砦 🏯岩崎山砦と最前線を担った秀吉方の砦

尾張 二重堀砦 (愛知県小牧市二重堀)

前回の岩崎山砦に続き、やってきました二重堀砦(ふたえぼりとりで)。
名古屋在学以来、ひっさしぶりすぎて、「場所がわからな~い」、という事態に・・。
・・というか周りの変貌が激しく、イメージが違っているのです。

元・カノさん(現・奥方殿)としらみつぶしに訪ね歩いた周辺ですが、・・忘れるもんですね・・。
昔の勘を頼りにあてずっぽの城址碑探しに奔走します。
それはまるで故郷の川を遡上するサーモンのような気持ちです。

そして・・ありました!。意外と城勘だけはさえていたのです。

futaebori (2) ここだけは変わらぬ姿、二重堀砦を標す城址碑。

小牧・長久手合戦時には岩崎山砦との間に土塁が築かれ最前線の砦となりました。
平城だったことから、その名前の通り二重の堀が巡らされていたようです。
家康方の小牧山からは最も近く、しばしば夜襲や小競り合いがあった城のようです。

futaebori (3) 守将は日根野兄弟、美濃屈指の武辺者です。

日根野弘就日根野盛就( ひねのひろなり と もりなり )兄弟について・・。

斎藤義龍の代に重用され、西美濃三人衆に並ぶほどの実力者です。
義龍の命で義龍の異母弟である孫四郎、喜平次兄弟を稲葉山城内で斬殺したのは弘就のようです。
義龍の懐刀、といったところでしょうか。

日根野氏は斎藤家滅亡後は浪人として一時、近江・平松城に在城していたようです。
信長に属してからは馬廻りとなり遠藤慶隆佐藤秀方ら美濃衆と行動を供にして活躍します。
まぁ、それ以前と以後・・ここでは語れない程の波乱なプロフィールの兄弟です。

futaebori (1)日根野弘就が死守した二重堀砦。任務にかける必死さを感じ取ります。

岩崎山の一鉄にせよ、二重堀の弘就らにせよ、この戦で名を挙げる踏ん張り所だったのでしょう。
死地に生を置いていた状況だったのではないでしょうか・・。
状況次第では、長久手で討ち死にした池田・森らと同じ運命を辿ることにもなり得たのです。

遺構は残らずともその意気込みや思いは感じ取ることができそうです。

是非、探し当てて頂きたい二重堀砦址。
場所は二重堀北交差点を東に200メートルの交差点を北へ。
50メートル程北上したら右手のみずの薬局さんの細い路地を東に入った奥の左手にあります。
(その奥はほぼ行き止まり。現在車では通り抜けできません、注意してくだい。)




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尾張 岩崎山砦 🏯小牧・長久手城砦群、最前線の羽柴方砦

尾張 岩崎山砦 (愛知県小牧市岩崎・岩崎山)

前回から訪れている小牧・長久手合戦の城砦シリーズの続きです。
羽柴方・三山砦の3つめの砦・岩崎山砦の紹介です。
岩崎山は「砦」、というより「城」といっても差し支えない規模のものです。

しかしながら、日進市にも長久手合戦の舞台、「岩崎城」があるため、
混同を避ける意味でこちら小牧市のほうは「岩崎山」と呼ぶのがよいでしょう。

m-iwasaki (1) m-iwasaki (9)
小牧山と相対している岩崎山は熊野神社が祀られています。大きい鳥居が目印ですね。

m-iwasaki (3)「砦」といっても城郭規模の「平山城」岩崎山です。

岩崎山砦は他の久保山砦小松寺砦の山砦よりも小牧山の前線にあり、
規模が大きく指令塔的存在の砦でした。守将もそれなりの人物でないと務まりません。
この重要な砦を任されたのがあの、稲葉一鉄でした。・・頼もしいですよね。

m-iwasaki (30) m-iwasaki (8)

m-iwasaki (7)久保山砦の石碑同様、小牧山に向かって構える、城址石碑がいいです。(*`ェ´*)

m-iwasaki (12)岩崎山名物、五枚岩がちょっとすごいです。

花崗岩が突出して、さらに五枚に分かれたという神った岩です。
山のあちこちに岩が露出している様子は、小牧山からも見えたのではないでしょうか。

m-iwasaki (15) この舞台、上がらしていただきますと・・。

m-iwasaki (16)なるほど・・。小牧山への最前線というのがよくわかります。

m-iwasaki (18)結構近いですね・・。これは気が抜けない位置関係ですね。

m-iwasaki (25) m-iwasaki (24)
山頂部の背後には土塁や堀の確認もできます。もちろん岩の崖も巧く利用されています。

秀吉は家康・信雄連合軍との睨み合いにあたり、約2.2キロメートルに渡り
岩崎山麓から二重堀砦まで土塁を築き、敵襲に備えたそうです。

小牧山の様子が手に取るように見える反面、常に敵襲に備えなければならない緊張感があります。
いやぁ、一鉄さんじゃないと、任せられないわ・・というのも納得。
彼なら何があってもこの要所、死守してもらえそうです。

次回はその土塁つながりの二重堀砦に行ったお話しになると思います。


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尾張 上末城 🏯三河急襲隊の先導役を果たした落合氏の居城

尾張 上末城 (愛知県小牧市上末) <市埋蔵文化財>

上末城は落合将監勝正によって築城されたとされています。
勝正の子息・落合安親は織田氏に仕えていました。
しかし小牧・長久手の戦いでは、子の庄九郎とともに羽柴方にて参戦。

落合氏が羽柴方に加担したいきさつには事情があるようです。
羽柴方の調略をうけたとも、家康からその調略に敢えて受けるよう頼まれた、とも・・。
確かな文献史料からは窺うことが知れない選択もあったことでしょう。

ともあれ、池田・森ら三河中入り隊の道中案内役を務める、という大役を果たします。

kamizue (3) kamizue (2)
国道155号線、上末交差点南東から見える城址です。

運良く赤信号で止まれば車内からも城址碑と案内板が確認できます。
国道側から中の様子をうかがうのはよいのですが、内側は個人宅の敷地となっております。
当然ですが無断での散策はNG です。
(城の周囲の地域には、現在もご子孫「落合姓」の方々が住まわれています。)

kamizue (1)城址碑の裏山には部分的に遺構が残っています。

kamizue (5) kamizue (4)
堀と土塁の角部が竹藪となって良好に残っていました。

以前はもう少し手入れされていた気がしますが、竹はあっという間に伸びてしまいますね。
都市部の平山居館にしてはよくぞ残ってくださいました、と言いたいところです。
地元の方の話では、この部分一帯が山続きの先端部になっていた、そうです。

kamizue (6) tousyouji.jpg
上末交差点から見た城址遺構部分(写真:左) と 南に位置する陶昌院(写真:右)

陶昌院には城主・落合氏の墓もあり、この地一帯も周囲より高くなっています。
付近には切岸の址も残っており、おそらく城域の範囲であったと思われます。
この一帯の遺構だけでも後世に残るよう保護していただきたいものです。

尾張 小牧大草城 🏯三尾濃、三国を渡り治めた西尾氏の居城

尾張 小牧大草城 (愛知県小牧市大草中西洞・城山) <市埋蔵文化財>

あくまで自分が知っているだけでも・・、という範囲ですが・・。
愛知県の尾張地方だけでも「大草城」という城館が3つも存在してますね。
長久手大草城、知多大草城、そしてここ小牧大草城です。

komakiookusa (3)小牧の大草城、城山を望みます。

混同を避けるために別名「西尾城」とも呼ばれますが、これは三河の西尾城と混同されます。
「城山城」ともよばれますが、これもまたどこにでもある名称ですね・・。。
結局、「小牧の大草城」、と呼ぶのが定着しているようです。

komakiookusa (4) 城の南側、白山神社への参詣道からが手軽です。

komakiookusa (5) komakiookusa (7)
白山神社の境内一帯が城址で石碑と案内板が設置されています。(昼でも薄暗い感じです・・)

komakiookusa (6)大草城の城址石碑です。小牧市はこの規格での石碑率が多いです。

komakiookusa8.jpg
大草城は北側が団地の開発によって大きく改変しています。

背後には大堀切があったとされますが現在消滅しています。
主郭部周囲には何段かの腰曲輪も確認できます。
しかしこれらの曲輪には近年の畑などの造成址も見られるため判別が難。

komakiookusa (1)主郭南東下の空堀がまずまず残っているようですが、見学しづらいです。

komakiookusa (2) これは気を付けないと・・。

竹藪・雑木林となっておりますので夏・秋の見学はやめておいたほうがよさそうです。
最近の城址には蛇や蜂、獣に対する注意がよく払われているように感じます。
それにしてもイラストが見逃せないほど上手。

大草城は定かではないですが文安年間(1444~1449)に西尾道永によって築かれたといわれます。

道永は元々、三河の西尾が出身の名族だったともいわれております。
西尾氏は尾張岩倉城主・織田信安に属していましたが、
天文17年(1548)頃に岩倉織田家の家督相続争いを機に美濃へ移り住んだようです。

岐阜県瑞浪市に存在する苅安城は西尾道永が文明年間(1469~1486)が築城したと伝わる山城です。
道永が約35年の間に北尾張と美濃に城郭を構えた理由はよくわかっていません。
ただ、誰かの軍事的命令での赴任、ということは推理してもよさそうです。

三河から尾張、そして美濃と三国を越境しその名を残す西尾氏とは・・。
良質な史料での確認がとれないため、不明な点も多いです。
尾張大草城在城時代は「西尾式部道永」を名乗っていたようです。

いよいよ美濃・苅安城の調査へと向かう意欲が湧いきます。
(そろそろ地元の山城もアップしないとな~(´∀`*;)ゞ)

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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