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尾張 小牧山城 🏯戦国三英傑、天下への衝たる所、この城あり

尾張 小牧山城 (愛知県小牧市堀の内1丁目・小牧山) ≪国指定史跡≫

東西南北、春のお花見城めぐり・第3弾の東は小牧山城を訪ねます。
もう言わずと知れた要衝・小牧山城。
ここでダラダラとうんちく述べるつもりはございません。

komaki44 (12) 鮮やかな桜と青空、小牧山城歴史館。
(我ながらよく撮れたかも(#^.^#)) 

何度も登っている小牧山ですが桜の時期に来たのは初めてかも。
最近は、周辺で小牧・長久手合戦の城砦めぐりもしてきました。
ですので、今回はそんな視点からも見てみよう、というのんびり散策です。

komaki44 (41)史蹟・小牧山、北側の石碑。(南側の石碑よりこちらがお気に入り)

信長、秀吉、家康の3人がこの場所を見据え、天下へと駆け上がっていった城です。
今回は発掘調査が一段落して、整備された小牧山を桜花見を兼ねての登城。
訪問するたびに新しい発見があり、毎回とても楽しみなのです。

komaki33 (5)平野部の浮島であるかのような小牧山。

komaki33 (1) かなり遠くからでも確認できるシンボルです。

まずは東の麓の帯郭地区からの見学です。

小牧合戦の際、大軍勢を収容したであろう曲輪で小牧山全体をとりまくように展開しています。
信長時代には居館として、家康によってより戦闘用に構築されたとされる遺構です。

komaki44 (4) komakidorui.jpg
厚みのある高い土塁で、断面の様子が展示されています。

komaki44 (7)内部も堀や土塁で仕切られています。

komaki44 (8) 公園も兼ねた広いスペースです。

komaki44 (1)

次は南から山上へ向かう大手道から登っていきました。

komaki44 (39)以前あった市役所の場所がかつての姿に修復されていました。

大手道の登り手口、右側には大土塁と堀が造り直されていました。
視界いっぱいに広がるその規模に当時の雰囲気を感じます。

komaki44 (37)頂上へ向かって真っすぐに伸びる大手道。

この大手道を下からよーい、ドン!で子息らと競争したものです。
今回もマラソン大会前の調整に足取り軽くダッシュで登ってみました。
・・結構、しんどかったですね・・(´∀`*;)ゞ。(天下に駆け上がるのは無理みたいです・・)

komaki44 (35)山腹の横堀は西から南方面を守る長大な遺構です。

komaki44 (34)土橋を経由して主郭部へ。

komaki44 (15)発掘によって出土した石垣の裏込め石が集められてます。

komaki44 (28)

komaki44 (30)こちらは石垣の残存状況です。

この石垣、崩れているというものの若干、貧弱です。
さて、石垣構築は誰の手によるものなのか?
信長の築城、在城時期のものか?、それとも家康の小牧合戦の改修期なのか?

石垣石材の一部は小牧山北東の岩崎山から運んだと思われる同一の花崗岩があります。
岩崎山は小牧合戦では羽柴方の砦として利用されており、敵陣からの石材調達は不可能。
よってそれ以前の、信長時代からのものではないかという見方が有力です。

komaki44 (26)

komaki44 (31) komaki44 (16)

時代を経て、転落石も所々に見られます。
整備をしながら戦国時代への姿に少しずつ近づいていくようです。(楽しみ!)
たくさんの裏込め石もその時を待っているかのようでした。

komaki44 (18)「事実上天守」といった感じの小牧市歴史館。

平松氏によって私財を投じて建設され、小牧市に寄贈されました。
鉄筋コンクリート造、3層4階です。
このデザイン、どっかで・・。

そう、京都西本願寺の飛雲閣を模したものですね。
(パンフレットからカンニング!)

komaki44 (23) 最上階からは周囲の景色が一望できます。
(写真は東の春日井(かすがい)・長久手方面)

今回はどうしても徳川方目線になってしまいます。

komaki44 (27)どれどれ・・。羽柴方の主な布陣を見てみましょうか。

今は、小牧・長久手合戦の経緯を勉強中の久太郎。
ここで最も気になるのは秀吉方の配置城砦や陣がどのようにみえていたのか?
左から岩崎山砦久保山砦小松寺山砦・・。なるほど横一線になってますね~。
(以前、訪ねた砦を逆から見るって面白ろ~)

komaki44 (33)次来たときはどんな姿をみせてくれるかな?

信長がこの城で構想した姿はやがて岐阜城、安土城へと具現化していきます。
秀吉はこの城をとりまく合戦を制することで次の天下人への名乗りを欲します。
家康はためらいの中、もはや避けられない運命をこの城で感じ取っていました。

小牧山には三英傑それぞれの待望が感じられ、そしてかの英雄たちの思惑も感じられますね。

桜もなかなかの咲きっぷりで和ませてもらいました。



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尾張 余語氏館 🏯高台は館址の一部でしょうか?

尾張 余語氏館 (愛知県小牧市林北)

尾張信貴山の麓に伝わる余語氏館址を訪問です。
小高い丘城、との情報のみを頼りに現地捜索にかかりました。
「行けばわかるだろう」、という勝手な決め込みに反し、以外とわかりませんでした。

yogoyakata (3)墓石かと思いきや、余語右近将監之碑、発見できました。

この林集落にはそれらしい神社や寺が多く点在し、どれも一見城址に見える小丘が多いです。
片っ端からそれらを回って、やっとたどり着きました。
まだまだ修行が足りないようです・・。

yogoyakata (5)まるで土塁か櫓台の一部分のようですね。

応仁、文明の乱の際、尾張国守護・斯波義敏を擁立し東軍側に付いた岩倉城主・織田敏定
敏定のもとに駆けつけた地侍に余語蔵人盛政がいました。

yogoyakata (8) この石垣は後世のものですね、きっと。

余語氏はその後、春日井郡に土着したようですね。
周辺の家の表札も余語さんが多いように感じました。

yogoyakata (7)現在周辺は民家、田畑に変わり遺構らしいのはこの高台だけのようです。

同じ小牧市でも中心街の喧騒を感じない、のどかな集落でした。
何年かしてまた行くことになったら忘れてしまいそう・・。
自信がないので地図を示しておきます。



尾張 宇田津砦 🏯うだつの森と石碑が残っているのだが・・

尾張 宇田津砦 (愛知県小牧市東3丁目)

小牧長久手合戦における織田徳川方砦として北外山砦蟹清水砦と訪問してきました。
今回も織田徳川方の砦、宇田津砦を紹介したいと思います。
宇田津砦北外山砦の東隣に位置していました。

nudatu.jpg
現在、住友理工小牧工場内に石碑が立っています。(撮影時は東海ゴム工場内)

実はこの写真、東海ゴムの工場敷地だった頃に撮らせていただいた一枚です。
現在は会社の方針により一般の方の立ち入り見学はできません(残念・・)。
よってやや古い写真なんですが、自分にとって大切な写真の一つなんです。

撮影タイムスタンプが1993年11月14日になっています。・・26年も前ですね(笑)。

非常に大きな平城だったと考えられており、徳川方の松平親乗が布陣しました。
その規模は東西三十四間(約60メートル)、南北三十八間(約70メートル)だったそうです。
総構は二町四方(約400メートル四方)あったとされるほどです。

秀吉方の二重堀砦に近く、最前線に位置していました。
家康はこの砦と東西に位置する田楽・北外山の2つの砦をつなぐ新道を敷設しました。
これが「大縄手軍道 」といわれる、小牧山との固い連絡道でした。

現在遺構などはまったく残されていませんでした。
住友理工敷地のすぐ横を流れる大山川には、不発橋(うたずばし)が架かっています。
小牧・長久手の戦いが名前の由来ではないかとされています。

尾張 蟹清水砦 🏯小牧長久手の合戦にて小牧山の脇を守る

尾張 蟹清水砦 (愛知県小牧町4丁目)

前回の記事からは小牧長久手合戦における織田徳川方城砦へとなりました。
なにせ、遺構が全く残っていない砦ばかりですので、見学も石碑ぐらいで・・。
しかし、石碑があるということも立派な歴史のしるべとなります。

kanisi (7)蟹清水砦の石碑と説明版が立ちます。

元々は尾張上四郡(葉栗・丹羽・中島・春日井)を支配した岩倉伊勢守系織田家の城でした。
その一族、織田与四郎の居城とされますが不明です。
織田信長が清洲城から小牧山城へ移った際、丹羽長秀が屋敷を置いた時期もありました。

kanisi (2)小牧長久手合戦において徳川織田方の砦として再築されました。

kanisi (4)
道を挟んだすぐ向かいには小牧御殿趾碑が立っています。

kanisi (5) kanisi (6)
北側に「御殿龍神」があり「源敬公(徳川義直)御手植槇」の碑が立ちます。

堀や土塁らしき址が残っていたそうですが、戦後徐々に遺構は失われました。
現在は宅地化によって全く消滅している蟹清水砦。
碑が立つあたりは地形的に若干台地上になっていることはわかります。

kanisi (1)遺構はなくとも石碑があれば、その場には立てるのでいいですね。


石碑と説明版の位置をチェックしてあります。

尾張 北外山城 🏯小牧合戦では本多忠勝も拠った城砦

尾張 北外山城 (愛知県小牧市北外山・城島)

現在、再びマイ・ブームになっている小牧・長久手合戦城砦めぐり。
今までは羽柴軍によって利用された城砦をじっくりと歩いてきました。
今回からは転じて、織田・徳川軍の城砦に目を向けていきたいと思います。

その前に・・懺悔させてください。・・自分がまだ若かりし頃の話です。
ここ北外山城の城址碑がまだ民家のお庭の敷地中にあった頃、写真を撮りたいがため、
自分、あろうことか不法侵入!してしまったのです。

若気の至り、とはいえ、人として、城ファンとして、あるまじき行動をしてしまったのです。
後で思い直し、家主さんへ事後報告へ赴いた苦い思い出がございます。
(家主さんがサバサバした感じで寛容していただいたのが救いでした・・。)

20170215.jpg
その時のショットがこちら。少し土塁状になった感じの面影がありました。

あれからどうやら城址碑が移されたようで再訪問してみました。
問屋スーパーサントさんの裏(北)の道沿いの城嶋稲荷の一角がそのようです。
なんだかいろんな意味で懐かしく、感涙が隠せません。

kitatoyama (1)

kitatoyama (2)

北外山城は尾張北部に勢力をもった織田伊勢守系、織田与四郎信安の居城だったようです。
小牧・長久手合戦時には徳川・織田連合軍によって修復され、砦として復活しました。
北外山城の守将は、本多忠勝、松平家忠、奥平信昌、本多広孝らが交番で務めたようです。

いずれも名うての名将揃いですね。(;゜0゜)

家康がここを最重要地点と見ていたことがわかりますね。
しかも交代制、気が緩まず、かつストレスを感じ続ける訳でもないシステムです。
それは同時に家康がこの戦、長期戦に成り得ることを見越したからではないでしょうか。

kitatoyama (5)おおっ!、モールドだけだった碑文字に墨入れがされてリニューアル!

kitatoyama (7)
とても気持ち良く整備された城嶋神社です。家内安全、です。

なんだか嬉しいですね。(^ω^ )
城址碑が大切にされている、というのは。
自分もあの頃の非礼を反省しつつ、苦笑いをしながらの城めぐり、となりました。



テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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