尾張 小折城 🏯信長と類、小六・将右衛門と藤吉郎の出会い

尾張 小折城(生駒氏屋敷) (愛知県江南市小折町八反畑)

いよいよ春らしくなってまいりました。
花粉にも負けずに城めぐりです。
江南市の南端、生駒氏屋敷へと行ってまいりました。

まずは碑があるという布袋東保育園を目指します。
・・実は学校・保育園などに城址碑がある場所は正直、苦手なんです。

自分でいうのもなんですけれど、平日に一眼レフをかけ、周囲をうろつくサマは
明らかに不審人物でしょう。チラ見されてる視線がイタいじゃありませんか。
こころなしか子供の手を引っ張る保護者の歩みが早いように感じますが・・(汗)。

koori (3)

koori (1)邸址(城址)を示す石碑と説明版が保育園の門脇にあります。

馬借を生業として財を成した生駒氏は、織田氏と関わり勢力を拡大するようになりました。
生駒家宗の娘、※吉乃は織田信長の側室となり長男・信忠、次男・信雄、五徳を産みます。

※、生駒家に吉乃の名は伝わっておらず、「武功夜話」の作者が「吉乃(吉野)」としています。
生駒家には「類(るい)」という名が伝承され、そちらが正式名であると推察されています。
個人的にも「」のほうが自然で親しみを感じます。

koori (7)
左上に図示されている「桜雲砦(さくもとりで」)も気になります。

城としての遺構は残っていませんが、実に広い城館だったことが推測できます。
蜂須賀小六正勝前野将右衛門長康らも頻繁に出入りしていたようです。
小者の秀吉が織田氏に仕えたのもはこちらで縁のあった類(吉乃)の推薦によるものとされます。

koori (19)久昌寺には生駒氏一族と吉乃のお墓もあります。

koori (10)右端(一番奥)の墓が吉乃の墓になります。

周辺には関連史跡も多いので歩いての散策ができます。

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竜神社(写真:左) と 埴原塚(写真:右)

koori (14)吉乃が住んでいた御殿の址といわれる地です。

yogoyakata (10)

それぞれが運命的な出会いをした場所、ということになりますね。
戦場ではなく普段の生活の場として、それぞれのスタート地点だったといえましょう。
あの信長が足しげく通った地だと思うと・・なんだかロマンチックな感じがしました。



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尾張 宮後城 🏯川並衆の指導者・蜂須賀正勝の移住した城

尾張 宮後城 (愛知県江南市宮後八幡)

蜂須賀小六の邸、宮後城を訪問しました。
小六の子息、家政の出生の地、でもあるようです。
現在は城址中心部を県道が通り、県道両脇にそれぞれの碑がたっております。

miyausiro (11)県道脇南側には「宮後城」の城址碑がたっております。

miyausiro (9)県道脇北側には「蜂須賀家政公誕生之地」の碑がたっております。

蜂須賀正利・正勝(小六)親子は織田信秀により居城の蜂須賀城と土地を奪われたため
妻の実家である安井氏の居城、ここ宮後城へ移り住んだとのことです。
正勝の長男・蜂須賀家政(後の阿波徳島藩祖)も、この地で生まれたようです。

miyausiro (6)城址碑から南には説明版もあり、蜂須賀桜が植えてあります。

miyausiro (5)当時の様子をイメージしたイラストではなかなかの構えです。

その後、小牧・長久手の戦いでは秀吉方の砦として修築されました。
『武功夜話』では宮後城は織田・徳川方の砦に利用された、とありますが・・。
この件は五丁堀砦の記事でも触れましたが、状況的にどうも秀吉方テリトリーとみてよさそうです。

miyausiro (14)宮後八幡神社は出城的役割を果たしていた砦址があった場所だそうです。

コの字型に石塁と土塁らしい址が残りますが、当時のままの遺構ではないでしょう。
しかし河原石による低い野面積は近くでは上奈良城(一宮市)にも見られます。
一部積み直しによるもの、という可能性はあるのでしょう。

miyausiro (15)miyausiro (2)

miyausiro (13)この長塁、とっても素敵なので思わず見とれてしまいました。

蜂須賀小六、というと野武士の首領、というイメージのためか
大半の人が描く風貌イメージはほぼ定着しているように思えます。
中にはプロレスラーのような容姿を想像してみえる方も多いと思います。
(実際、ドラマなどでは、まんま決定番を出してまった作品もありましたが・・。)

彼の魅力はその腕っぷしの良さに付け加え、面倒見がよく人から慕われ
人脈を大切にした誠実な性格であったからではないでしょうか。
「人たらし」、と呼ばれる秀吉も惚れ込むような筋が一本通った漢だったのでしょう。



尾張 前野氏屋敷 🏯『武功夜話』の発見で一躍脚光を浴びる

尾張 前野氏屋敷 (愛知県江南市前野町西・八屋敷)

宮後城と五丁堀砦のすぐ近くに前野氏の屋敷址があります。
県道沿い脇に案内看板とひょうたんをレリーフにした石碑があり目に止まります。
黒板張りの土蔵も目を引きますね。

maeno (1)
前野長康は「将右衛門」長康として名が親しまれています。

秀吉が信長に仕えていた頃からの最古参の家臣の一人で蜂須賀小六とは義兄弟の関係にありました。
当然、秀吉の墨俣一夜城築城にも協力したといわれ、以後も秀吉の重要な合戦に参加します。
秀吉の弟・羽柴秀長蜂須賀小六と並ぶといっても過言ではない働きぶりで秀吉政権を支えます。

しかし、豊臣秀次の後見役となっており、秀次の謀反の嫌疑をかけられた際に罪を問われ
連座して切腹を命じられました。・・正直、ひどい話だと思います。
秀吉の天下取りを支えた大人物ですぞ!(*`皿´*)ノ

maeno (4)ひょうたんをあしらった石碑が面白いですね。

長康の存在が見直されるようになったのは※『武功夜話』が発見されてからのようです。
しかし、どうしたことかその功績を大きく取り上げられることはありません・・。
さる大河ドラマ『利家とまつ』や『秀吉』でも登場はするもののその存在は薄かった・・。

※『武功夜話』は「前野家文書」と呼ばれ、前野氏の歴史をまとめた書物として伝わっています。
昭和34年の伊勢湾台風で蔵中に入水、破損した蔵内を整理中に発見されたそうです。

maeno (5)

聞ク所ニヨルト・・、『武功夜話』は、長康と蜂須賀小六の活躍が軸として記録で
『信長公記』等にはないリアルで貴重な場面も書かれているようです。
信長の室、吉乃との仲睦まじい様子も見られますね。

ただどうしても細かい部分での記述内容で誇張されていたり
史料的価値としての是非は現在でも論争があったりします。
しかし信長や秀吉らの若い時代の生々しい行動が綴られた貴重な史料に変わりはありません。

前野長康が見直されつつも今一つメジャーになれないのもそういった諸事情があるようです・・。
その反面、歴史小説などには使い勝手がいいのでしょうか?
かなりの出番がみられるようです。目立ってます、セリフも多いです(笑)。

1ファンとして前野長康さんをこれからも応援していく所存であります。




尾張 五丁堀砦 🏯小牧合戦における織田・徳川軍、最北端の砦???

尾張 五丁堀砦 (愛知県江南市前野町新田北)

以前、訪れた小牧合戦での城砦めぐりが自分の中で熱いです。
今回も記憶をたどっての城址碑めぐりです。

五丁堀砦に行ってきました。
砦址であることを唯一示す「城址碑を探す」、というのが最大のポイント。
およそ城址とは思えない場所にあり、全く姿をとどめていません。

gotyouhori (2)
城址碑を発見できたことに喜びを味わえる城址です。

それでも見つけた時は感動して思わず笑ってしまいます。
「なんだ、こんなところにいたのかい。」

しかもブルーの網ネットが横たわっています。
よもや、ゴミの集積場?ですかね・・。おいたわしや・・。

gotyouhori (8)城址碑だけなので思いっきり寄ってみました。

五丁、という長さは尺貫法の単位によれば500メートル以上にもなります。
(1丁=109メートル)
これほどの長さのバリケート的直線堀が掘られたのか?
或いは一辺が100メートル超の城郭だったのか?
どちらも可能性はありますが、だとしたら大規模な砦、ということになります。

果たして、どんな姿だったのでしょう・・。

gotyouhori (5)石碑の裏面には説明書きがありました。

小牧・長久手の戦いでは織田・徳川連合軍の砦として築かれ、
前野喜左衛門義康の手勢300余騎が砦の守備におかれたそうです。
義康はおそらく前野将右衛門長康の一族かと思われます。
(誤字でなければ・・)

しかし、このエリアは当時羽柴方勢力圏の真っただ中。
織田・徳川方の砦があった、というのはちょっと考えづらいです。

第一、前野家は秀吉の最古参の家臣の一族で一貫して秀吉に協力してきました。
しかも、この前野には前野氏館もあるお膝元。
現に前野長康は羽柴方で参戦しています。

さらにさらに・・
西にある宮後城は蜂須賀氏の居城、東にある小口城は羽柴方の砦として利用されています。
いかな家康とて両城に挟まれた突出した地に砦を築ける訳がありません。
小競り合いを含めた局地戦が発生した記録もありません。

よって、推測なりますがこの五丁堀砦、羽柴方の砦として機能していたのではないでしょうか?
・・というのが自分の推測です。
みなさんはどう思われますか?

箸休め程度の内容にしようかと思いましたが、
熱くなるあまり、ついつい語ってしましました。



テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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