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紀伊 赤木城 🏯棚田の「聖地」と南紀の「天空の城」

紀伊 赤木城 (三重県熊野市紀和町赤木・城山) 《国指定史跡》

東紀州の城めぐりの中でも、とりわけ感動したのが赤木城です。
以前、家族旅行にて(城めぐりではありません)訪城したことがございます。
記憶をたどって思い返してみました。

G.Wの家族旅行で行ってきた2泊3日のキャンプ旅行にて立ち寄りました。
2日目に憧れの丸山千枚田と赤木城の見学。
どちらにも度肝を抜かれるほど感動したものです。

akagi (2)朝一番の丸山千枚田に家族全員がどよめきます(;゜0゜) おぉぉー!!。

akagi (26)間近で見るためにゆっくり散策してみました。

自分にも農耕民族の血が流れているのでしょう。
どこか懐かしく、落ち着いた気持ちになりました。

tanada.jpg 子供たち、はしゃぐ。 

それでなくてもこの芸術的な棚田は魅力でいっぱい。
・・こんなに気持ちよく贅沢な風景に出会えたことに感謝でした。

さて、赤木城へと参ります。

akagi (3)

赤木城は天正17年(1589年)に藤堂高虎によって築かれたといわれています。
秀吉の弟・羽柴秀長が大和・紀伊の領主となり検地を実施しようとしたところ一揆が起こります。
この北山地方の一揆は藤堂高虎らによって鎮圧されました。
その後北山地方を監視する為に築かれたのが赤木城です。

akagi (5) akagi (4)
石垣は野面積の乱層積ですが、算木積にされており、ワイルドですが安定しています。

所々に巨石も使用され、赤木城が中世城館から近世城郭への過程上に
築城されたことを物語っているようです。
個人的にはこういうの、大好きなんです。(皆さんもそうですよね?)

akagi (6)非常に整備されて見学しやすい遺構です。

akagi (7) 二重桝形虎口です。
akagi (9)両脇を櫓台で固めた本丸への桝形虎口は見事です。

akagi2 (1)本丸内部からみた厳重な二重桝形虎口です。

akagi (11)張り出し部の様子と大手道を見下ろします。

akagi2 (3) 外郭ラインには横矢掛りを設けていますね。

akagi (14)「どうやって攻めたものか・・???」、考えている頭脳派の3男くん。

牛蒡積された直線的な法面はいかにも高虎公の手法といえるかもしれません。
法高は平均4m程ですが均等で、それが美しく見えます。
間込石や合羽石の込められ方も無駄がないようです。

akagi2 (2) 西尾根の曲輪です。右側は空堀となっています。

akagi (20)非常に品格のあるデラックスな城址石碑です。さすが国指定。

akagi2 (4) 「城より団子」、城下を眺めながらのおやつタイムに。

のどかでのんびりした里山を見ながらの城郭見学。
どうやらお子様衆、奥方も満足している様子です。(良かったぁ~(〃▽〃))

素晴らしい棚田遺産と迫力ある城郭遺構。
二つを一つとして夢のような思い出になりました。
いつかまた自分、行くと思います(笑)。



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紀伊 長島城 🏯紀伊長島湾を見下ろす高台の城

紀伊 長島城 (三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区長島・城腰山) <町指定史跡>

三重県南部から和歌山県にかけての城めぐりもいよいよシメです。
沿岸沿いの山城が多かったせいか、すっかり海と山のコラボに魅せられました。
山国育ちの自分にとっては、どの景色も新鮮に映ります。

湾内の港の生活感ある風景には、特に惹かれるものがありました。
どの城も集落と港、そして人や船の往来を監視・守備する絶好の位置にあります。
今回の〆城、紀伊長島城もそんな城の一つです。

kiinagasima (38)長島湾・江ノ浦漁港より紀伊長島城を見上げます。

複数の登山道がありますが、主に二つ。
1つは、長楽寺の脇から長島公園を経由していく道。
2つは、長島神社から愛宕神社を経由していく道。

1つめルートは城址案内石碑や湾内を見下ろす風景が楽しめます。
2つめルートは神社の雰囲気が楽しめます。
自分は行きと帰りで両方を通ってみました。・・ちょっと紹介します。

kiinagasima (31) 長楽寺は城主の居館があった場所です。

長楽寺ルートには解説石板がありますので要チェックです。

kiinagasima (33)山門脇にあるしっかり彫られた解説石板がいいです。

kiinagasima (2) 長島神社ルートも霊験さが漂い神秘的。

kiinagasima (3)
御神木からパワーを頂けますよ。

kiinagasima (30)長島漁港一帯の素晴らしい景色が望めます。


さて、いきなりですが、頂上です(笑)。

kiinagasima (11) 城腰山頂上プレート。

kiinagasima (25) kiinagasima (7)
山頂部の主郭の段と切岸の様子。

kiinagasima (14)海に向かって立つ城址石碑。いいです。

kiinagasima (16)書かれてある内容は長楽寺門前の碑文と同じでした。

kiinagasima (8)主郭から見た東尾根に続く土橋と堀切ですが・・。

ちょっと、ちょっと!整備のための枝掃いはありがたいとして・・。
堀底に間伐材を捨てるとは、どういうことでしょう?
これはタブーではありませんか?アンチです、残念です・・。

kiinagasima (21)西尾根を大きく遮断している堀切です。

kiinagasima (24)主郭周囲には畝状竪堀が見られます。

複数の竪堀が連続して並んでいる様は、とても見応えがあります。
傾斜の緩い山頂周囲を効果的に防御できています。

紀伊長島城は最初、北畠氏築城し、家臣・加藤甚左衛門を城主として派遣したといいいます。

天正3年(1575年)織田信雄に仕えていた加藤甚五郎が城主となります。
信雄は新宮の堀内氏善を征伐するよう、加藤甚五郎・奥村氏に命じます。
しかし、奥村氏が堀内氏に寝返った為に敗れ甚五郎は長島城に退却。
奥村氏は長島城に火を放ち、それが城に及んで甚五郎は城腰山麓で自刃しました。

kiinagasima (27)堀内氏に敗れ自刃に至った甚五郎一族の墓と伝わります。

甚五郎の墓は城の東尾根を下った中腹部の平地にあります。
五輪さん」と呼ばれているそうで、立派な五輪塔です。
町指定史跡にもなっていおり、大切にされています。


さて、こうして東紀伊の海沿いの山城に登りますと、気付くことがあります。

それは現代においても城が緊急時の高台避難所となる、という事実。

kiinagasima (36) 仏光寺山門より。

紀伊長島城の城下の仏光寺というお寺があります。
このお寺には江戸時代、2度にわたって押し寄せた津波による流死者を弔った供養塔があります。
宝永地震の津波は長島浦の人口の約20%の人が犠牲になったという凄まじいものでした。

kiinagasima (35)津波流死塔と説明書きがあります。

自然災害は避けられないものですが、それさえも乗り越えてきたこの町の人々の物語です。
この教訓を後の時代にも伝えていって欲しいものです。・・いや、伝えなければいけません。
そして、万が一の時はこの城腰山が身を守るための高台になるという、大切な場所にもなるのです。



紀伊 後山城 🏯密林の中の古代遺跡を思わせる城館

紀伊 後山城 (三重県北牟婁郡紀北町海山区小山浦) <町指定史跡>

後山城は銚子川の河口、後山山腹に築かれている館城です。
長泉寺を目指して集落の海岸を目指します。

長泉寺と東側の小山浦集会所の間の道を登ると案内板があります。
写真は長泉寺本堂です。(車は集会場の駐車場をお借りしました)

usiroyama (19) usiroyama (1)
小山浦の河口に近い長泉寺脇から登り道があります。

usiroyama (21)手前のこんもりとした山が城址です。

usiroyama (3)後山城の説明版です。「・・・どこが?」って?( ^ω^)

usiroyama (2)ここで~す。(^∀^*)

案内板の地図を頼りに森に入っていきます。
谷川には木橋が架けられています。
二つ目の木橋を越えたところから巨石が積まれた遺構が目に入ります。

usiroyama (15) usiroyama (13)

usiroyama (4) 足元も石がごろごろしています。

usiroyama (14)雑ですが巧く積まれた石積み。

倒れる寸前のジェンガを見ているようですが・・。
この巨石石積みが周囲を取り巻いているようです。
よくぞ積み上げたものだ、と感心せずにはいられません。

城は山腹に築かれていますが、東西両側に谷川が流れています。
この谷川を堀として利用しているようです。
まるでジャングルの中に眠る古代遺跡のようなイメージです。

usiroyama (10)水門ではないか、と伝わる石垣遺構です。

昔は小山浦の海水がこの下まで入り込んでいたのではないか?
、ということらしいですが・・。
それにしては標高が高いな、と思うのですが・・。どうなんでしょう?

usiroyama (9)水門の自然石を算木積したような迫力ある石垣は圧巻!

後山城は、はじめ新宮荘園の荘司・木本氏の居城でした。
木本氏が木本へ移った後に豊浦左衛門の屋敷となったといいいます。
が、詳しいことはあまりよくわかっていないようです。

そしてふと、何気に目に止まった岩・・。
よくみると「うしろやま城跡」と彫られた石があるではありませんか!。
静かに驚きました。

usiroyama (16)完全に周辺の景色に溶け込んでいる城址石碑を発見です。(^∀^*)

実は、最初は気づきませんで、もう帰ろうとした下り道での発見でした。
石碑というものはなんとなく「城オーラ」を出しているものなのですね。
まるで擬態した生物に遭遇した気分です。

usiroyama (6)自然石にそのまま彫り込まれた石碑。

発見できたのはラッキーでした。
後山城にふさわしい実にワイルドな石碑だと思いますよ。
後山城では巨石の石積と水門の跡が見学できたのが良かったです。



紀伊 曽根城 🏯賀田湾を一望できる躑躅が似合う城

紀伊 曽根城 (三重県尾鷲市曽根町杉城・城山) <市指定史跡>

kiisone (36)曽根城は美しい賀田湾を見下ろす城山頂上に築かれています。

kiisone (34) 賀田湾は絵を描きたくなるような美しさ。

kiisone (3) 城山公園に駐車して歩きます。

曽根集落より飛鳥神社を目指し、案内に沿って寺尾林道を登っていきます。
中腹にわりと広い駐車場がありますので下車して散策。
まずはいきなり現れる城郭顔負けの猪垣にびっくり!

kiisone (41)kiisone (40)実に長さ約2kmにも及ぶ猪垣は圧巻です。

説明版にもあるようにまるで曽根城の外郭のように見えたりします。
それにしてもすごい石垣です。
先人たちの村の作物を守る知恵と労力に改めて脱帽します。

kiisone (5)曽根城案内板がある広場に到着。城址まで500mかぁ・・。

kiisone (7) 背後の登山道からいざっ!

kiisone (9)kiisone (8)
登山道の脇は林業用に伐採された山肌があらわになっていました。

kiisone (11)登山道は長い道のりですが整備されていてとても登りやすいです。

kiisone (10)途中、城山夫婦岩で休憩するといいです。仲のいい岩(´∀`*)。

kiisone (13) 背後の尾根に到着、結構やれやれです(汗)。

kiisone (15)大きな堀切にさしかかります。橋が設けてありました。

kiisone (39)深く幅の広い堀切に感動しながら渡るのでした。

kiisone (16)橋架部には石垣の普請址も見られます。

kiisone (20) kiisone (38)
物見岩へと登ってみましょう。なんだか期待に胸が膨らみます。

kiisone (37)うおー!思わず、絶叫!賀田湾と漁港が一望です。(*´∀`人 ♪)

あまりに静かで美しい眺望に時間を忘れ、しばし見とれてしまいます。
折角ですんで、リュックをおろし、コンビニおにぎりを食べながら満喫タイムを取ります。
漁船の出入りを山頂から目で追うのもなかなかオツなものです。

kiisone (25)主郭中心部に木製の碑がたちます。

kiisone (26) 広くはありませんが本丸の様子です。

曽根城は別名を「つつじが城」というように、城内には躑躅がたくさん植えられています。
おそらく4月5月には満開となり、さぞかし美しい光景となるのでしょう。
今回はまだだいぶ早いのでほんのちょっとしか咲いていませんでした。

kiisone (12)ほんの少しだけの開花でしたが、それでも綺麗でした。


曽根城は弘治年間(1555年~1558年)曽根弾正によって築かれたといわれます。
築城の由来が実にユニークというか世相を映する話なのです。

曽根氏は近江国六角氏の一族。
曽根周辺4か村民はたびたび出没する盗賊や海賊から村を守って欲しい、と六角氏に嘆願します。
六角一族である佐々木宇右衛門正吉が一族郎党を率いて城を構築。

周辺八か村を警護・守備します。
なんだか「七人の侍」みたいなエピソードですね。
そして曽根弾正正吉を名乗ります。

曽根氏は当初、伊勢国司北畠氏に属していましたが、北畠氏が信長に滅ぼされると
曽根弾正・孫太郎親子は新宮城の堀内氏善に従うようになりました。

kiisone (33) 曽根氏屋敷址前の飛鳥神社。

現在、飛鳥神社の前には曽根弾正の館の址も伝わっています。
今回は時間の都合で訪問できませんでしたが、屋敷城を呈していたようです。

kiisone (28) 楯石なる岩。

kiisone (29) kiisone (30) 鯨岩。

kiisone (31)全体が岩山の中にも、石垣が見られなかなか堅固な城郭です。

曽根城は見所がたくさんあって見学しがいのある山城です。
ことに物見岩からの賀田湾の素晴らしさは頭から離れません。
できれば躑躅が咲き誇る時期にまた来てみたいものです。




紀伊 鬼ヶ城 🏯世界遺産・鬼ヶ城の城山山上の城

紀伊 鬼ヶ城 (三重県熊野市木本町本城・城山)

鬼ヶ城は2004年(平成16年)「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として
ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が約1.2km続く大岸壁の景勝地です。

古くは「鬼岩屋(おにのいわや)」と呼ばれていましたが、
有馬氏が山頂に城を築いたのちに現在の名称である「鬼ヶ城」として親しまれています。

onigajyou (24) onigajyou (25)

そんな名勝地としての「鬼ヶ城」と城址としての「鬼ヶ城本城址」は同じ場所ではあるものの
やはり訪れるお目当ては観光としての鬼ヶ城散策でしょう。
以前は自分も家族連れで遊びに来たものです。

GWoni (2)荒々しい海と切り立つ岩の間を渡り歩くのは迫力満点。

実際、城山頂上まで登られる観光客はほんの一握りの健脚者だけのようです。
古道めぐりや史跡ファン、トレッキングの方が足を運ぶ穴場スポット、とでもいいましょうか。
今回は自分も城めぐりを目的として登ってみました。

onigajyou (27) 獅子岩越しに見る鬼ヶ城の城山。

onigajyou (26)七里御浜からの鬼ヶ城遠望。

onigajyou (2) 鬼ヶ城駐車場に登山道の入口があります。

onigajyou (3) onigajyou (23)
少し登ったところから早くも石垣がみられますが、城の遺構なのでしょうか?判断が分かれます。

onigajyou (4) onigajyou (5)

この駐車場からの登山道は「桜の道」と呼ばれています。
様々な種類の桜や桃の木が植えてあります。
まだ早い時期でしたが、それでも早春の芽吹きが楽しませてくれました。

onigajyou (6)頂上手前より主郭の切岸を見上げます。

20分程の登山で頂上に到着します。さすがに山城なので大変ですが
急坂もなく、遊歩道も砂利が敷かれて整備されています。
熊野灘の風景や草木を観察しながら登ればそれほど苦には感じません。

onigajyou (20)振り返れば素晴らしい絶景が待っています。

onigajyou (16)岩山にしてはよく削平された主郭部です。(南の郭の土塁より撮影)

onigajyou (7) 最頂部本丸への段。

onigajyou (9)道標を兼ねた鬼ヶ城城跡の木碑。

展望台からの太平洋はキラキラ輝いて美しかったです。
松本峠へはちょっと時間を要しますが、道中に堀切を3ヶ所に確認できました。
時間があったら寄ってみて損はないと思います。

onigajyou (12)堀切からの竪堀もよく観察できます。

onigajyou (14) onigajyou (11)

有馬氏は上代より熊野大神に奉仕した熊野別当家の出と言われています。
鬼ヶ城・城主、有馬忠親には子がおらず甥の忠吉を継嗣として迎え、鬼ヶ城本城に隠居しました。
しかしその後、忠親の実子に孫三郎が誕生。
忠吉が邪魔になった忠親は、忠吉を自刃させたため、忠吉親族の怒 りを買いお家騒動に発展します。
結局、忠親も自刃してしまします。

同じ頃、紀伊国新宮の堀内氏虎に攻め込まれ防戦。
有馬氏と堀内氏両家の和解が成立し、氏虎の次男である8歳の楠若(のち堀内氏善)が有馬の養子に入ることになりました。
その後、天正2年(1574年)氏虎が死去すると、早世した実兄・氏高に変わり氏善が堀内に戻り新宮城主となったため、氏善が両家の主となります。

onigajyou (21)主郭部より東方向を見ると七里御浜の松原が続いています。

まことに美しい景観です。
鬼ヶ城は頂上からの眺めが素晴らしい風光明媚な城址です。
桜のシーズンには山肌一面に広がる桜見と岩礁めぐりができそうです。

onigajyou (1)



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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