丹後 弓木城 🏯丹後守護・一色氏の滅亡を見届けた城

丹後 弓木城 (京都府与謝郡与謝野町弓木城山・城山公園)

弓木(ゆみのき)城は天橋立を東に望む小高い城山山頂部に築かれています。
城山公園の無料駐車場を利用してゆっくり散策できます。
天橋立にて「股のぞき」をしてからの訪城です。

mata (1) matanozoki.jpg
お約束のポーズでの「股のぞき」、こんな感じで天橋立を逆さに見ますと・・(↑)

股を開き頭を深く下げていると、だんだん頭に血が充血して目が回ります。
すると、天橋立が空に向かって龍が如く伸びていく様に見える、というものです。
この態勢は慣れないと結構きついようです・・。

天橋立が龍に見えた瞬間、頭に血が昇り過ぎ、台から転げ落ちる危険性アリ。
それ以前に体が硬い方、見るに耐えない無様な姿をさらすことになりそうです。
ここへは柔軟体操をしっかりとしてから来た方がいいみたいです。

さて、弓木城へと話を戻します。

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城山公園駐車場脇に立つ新しめの案内板。 

yumiki (3)主郭の東に張り出した尾根の曲輪の様子。

弓木城は稲富氏によって築かれたと伝わります。
稲富氏は二代・直時のときに丹後・一色家の家臣となりました。
稲富流鉄砲術で著名な稲富直家(祐直・理斎)は稲富氏四代目といいます。

yumiki (21)主郭と東郭部を隔てる中間連絡曲輪は大きな堀底にも見えます。

yumiki (7)主郭部を見上げます。んん?中央を走るあの溝はなんでしょうかね。

yumiki (10) 回り込んで主郭へと向かってみます。

yumiki (13) yumiki (8)
先程の溝の正体、本丸からまっすぐ麓まで続いています。

水無月神社の参道のような道にも見え、後世につけられた遺構だとも考えられます。
まぁ、この道を直登すること自体、無理そうですから、竪堀として見ても構いませんが。
(↑他国者にありがちな適当イメージで城を語るアウトな見方)

yumiki (16)細広い本丸に到着です。

yumiki (11)なかなかの弓木城の石碑です(いいですな~)。

天正6年(1578年)織田軍の明智光秀細川藤孝による丹後侵攻を受け、一色義道の居城・建部山城は落城。
義道は逃亡中に中山城で自刃します。

子の一色義定(義俊・義有・満信とも)は弓木城に籠もって稲富祐直と共に織田軍に対抗します。
城主・稲富祐直は少数の兵力をもって織田軍の攻撃を撃退し続け、一色義定を擁し抵抗を続けます。
織田軍は攻めきれず和睦を結び、義定は細川藤孝の娘を娶り、弓木城を居城とします。

しかし、本能寺の変の後、一色義定に怪しい動きを察した細川忠興は宮津城に義定を招いて謀殺、そのまま弓木城も攻め落とします。

yumiki (18) yumiki (24)
主郭は曲輪の北端部が一段小高くなって水無月神社が鎮座しています。
全体的に周囲を高い切岸で固められた城のようです。

yumiki (19)北下には堀切があり、小高い曲輪に城山稲荷が祀られています。

yumiki (28) 北口登山道から見た主郭の様子。

yumiki (26) 稲荷曲輪のへりに張り付いた根。

なんとも織田軍相手に徹底抗戦した根強さを彷彿とさせます。

yumiki (17)本丸からは木々の間から少し、城下の様子が見えていました。

yumiki (31)弓木城は背後の岩滝小学校の所も城域であったようです。(小学校建設によって遺構は消滅)

また東に出丸をもつなど、城域が広い城だったようです。
織田軍を相手に耐え抜いた名城だったんですね。
弓木城はまさに戦国丹後の最大規模の山城といえましょう。

yumiki (32)付き合ってくれた子息たちは駐車場でフリスビーです。
毎度ありがとう。(´ゝ`)




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丹後 伊根城 🏯伊根湾の舟屋群を見下ろす岬城

丹後 伊根城 (京都府与謝郡伊根町亀島・亀山)

舟屋で有名な丹後の伊根浦に行ってきました。
伊根湾は潮の干満差が極めて小さく(年間最大50cm程度)波も静か。
岸がそのまま深い淵となっており、天然の良港といえます。

ine3 (1)

そして伊根湾の海岸沿いには総延長5kmにわたって貴重な船屋群が建ち並んでいます。
歴史的重要景観とされ保存地区に指定されています。
同じ京都でもこちらは「海の京都」、と呼ばれる所以です。

funaya.jpg水上の家屋は「日本のヴェネチア」と呼ばれたりもしてますね。

ine (2)舟屋群の後ろの山、亀山一帯が伊根城址です。

ine3 (3)イラストマップがたてられています。
(※「伊根城址」、とは記されていません、黄色字は自分が書き足したものです。)

ine (6) ine (7)
登城口となる入口が解りずらいですが津波避難誘導案内の電柱が目印です。
そこから階段を稲荷神社を経由して登っていきます。

ine2 (1)堀切の底が主郭への登り道となります。

堀底を登りますので当然のことながら急な登攀道となります。
腰を低くして一歩一歩確実に登らないとまたスタート地点まで戻るはめに。
ズザザザァー、って(笑)。

ine2 (2)すごい深さの堀切です。そして斜面が急ですね。

ine (21) 本丸へ向かいます。

ine (15)本丸はよく削平され愛宕神社が鎮座しています。

耳を澄ますと、足下に広がるであろう、伊根湾の小さな波音が聞こえてきます。
日差しも柔らかくなんとも静寂な空間です。
(麓で家族を待たせていることを忘れてしまいます・・(´∀`*;)ゞ)

ine (16)東側一段下の二の郭には弁財天様が。

ine (17) 本丸と二の郭との段差です。

伊根城について城歴など詳しい事はわかっていません。
城主は島津藤兵衛、島津伊織らが伝えられています。
おそらく、戦国期は丹後一色氏に属した領主だったと思われます。

ine (24)登山道からはわずかですが港と湾内がのぞけました。

ine (26)目の前の豊かな海とそこに暮らす漁業中心の営み。

この町にコンビニ、スーパーなどというものは存在しません。
ここ伊根には、「足りたるを知る」という変わらない日本の原風景が感じられます。
それはどこか懐かしさもある、忘れかけていた面影です。

ちなみに夜は舟屋に家族で宿泊しました。
一棟一組での宿泊ですので、家族風呂に浸かりながらゆったり過ごせました。
「夜は暗くて静かなものである」、そんな当たり前のことを肌で感じながら・・。

家族でのいい思い出になった伊根散策。(城めぐりも・・)
いつまでもここにいたいな~と思いました。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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