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丹波 周山城 🏯光秀公築城の周山城をトレラン

丹波 周山城 (京都府京都市右京区京北周山町・城山)

丹波八木城、園部城、丹波亀山城を見学した後、京都中心部に戻ります。
それぞれの城跡でそれぞれの感動に出遭い、妙に楽しい帰路ですが。
・・でももう一つぐらい山城を回る時間があることに気付いてしまいました。

そこでまず一番に頭をよぎったのが今回の周山城。
しかし京都市、といっても山深い京北の地です。・・遠いですし、迷いました。
・・でもそういえば今日は走ってないし、走れそうもないから、いっそここで・・。

そう、腹は決まりました。周山城、トレラン訪問に決定です!

賢臣の恐察:「・・殿、進む方角が違うようですが・・」
愚殿の声:「・・目的は丹波・周山城にあり!」
賢臣の諫言:「・・し、しかし、京にて若殿との約束刻限に間に合いませぬぞ!」
愚殿の声:「・・そ、そこは俊敏な足で時短見学ということで・・」
賢臣の悲痛:「は?・・、果たして能うのですか??」
愚殿の開き直り:「能う、能わす!」
賢臣の落胆:「・・でた、いつもの見境いなき突発性症候群よ・・」
(少なくとも「賛同いたしかねる」という反抗的キャラはいない・・)

「煩悩寺の変」勃発。

ということで、頭の中は大河先取り気分に・・。

syuuzann (1)弓削川左岸奥部に築かれた周山城遠景。

天正7年(1579)明智光秀は宇津氏の宇津城を攻略します。
宇津氏によって横領されていた禁裏御料所を復した功績は朝廷への覚えもよかったようです。
その後、周辺の土豪衆を押さえる為、また京と若狭を結ぶ街道の押さえとして周山城を築きます。

周山城主には、光秀の従父弟・明智光忠が八上城より来城したようです。
光忠は、信頼のおける貴重な一門衆だったことがうかがわれます。

光秀は、丹波支配のための居城として丹波・亀山城を築き着々と基盤を固めました。
福知山城に明智秀満を、黒井城に斎藤利三を、八上城に並河飛騨守明智掃部?)。
そしてこの周山城に明智光忠を配したのです。

syuuzann (2)国道162号線沿いのJA京北前のバス停に案内板があります。

syuuzann (21)
京都トレイルコースとしても整備されています。

今回の訪問は半分はトレラン練習ということで(ホントか・・)
車は少し距離がありましたが京北町役場隣のウッディ京北さまの駐車場をお借りしました。
辺りには目ぼしい駐車場も見当たらないのでここがベターかと思われます。

syuuzann (3)
登山道入口にも案内板があってわかりやすい。

syuuzann (20)
行く手を遮る倒木がたくさんあるのですが・・。

丸太や倒木がごろごろ横たわっていました。
走りながらとっさの判断でジャンプパスしたり、潜ってみたり、またいだり・・。
なんだかスーパーマリオになった気分で楽しめます。

syuuzann (4)
間伐もされているので、コースとしては進みやすいです。

syuuzann (17)
東尾根の曲輪に到着、NHKテレビ受信設備があります。

syuuzann (5)足元には小さいながら『周山城』の石碑があって嬉しい(^o^)。

麓からここまで走りづめで心臓バクバク!
少し脈拍が落ちつくまで小休憩・・、ハァ、ハァ、ハー・・。
ふと後ろを振り返ると、こんな景色に癒されました。

syuuzann (18)丹波らしい山々が重なる物音少ない静かな景色でした。

息は整い、みるみる汗が引いていき、疲れもとんでいく瞬間です。
ここにはまた帰り道でも立ち止まるポイントになりました。
さ、頂上まであと少し(多分・・)。

syuuzann (6)
頂上手前、最期の急峻な山肌も果敢に走破!。

再び心臓バクバク、汗はダラダラ・・。
しかしこの心臓の鼓動は未だ目にしていない遺構への高まる期待感からかもしれません。
徐々に目に入ってくる石垣片にかえって力がみなぎってくるのであります。

syuuzann (16)
虎口を経て、主郭部の東郭には長~い土塁が延びていました。

syuuzann (8)整えられた頂部・広い郭内に到着です。

syuuzann (14)
本丸に備えられた簡単な縄張り図面も参考になりました。

syuuzann (15)方形に崩れた様子からして天守台かと思われる。

どうやら穴蔵を有する天守台だったようです。
また天守台北側には井戸跡も残っていました。
それにしても本丸一帯はかなり徹底的に破却された感じを受けました。

syuuzann (7)
周囲・角部の土塁は残存状況がいいです。

syuuzann (9)
西曲輪方面の虎口。

syuuzann (10)「生き残った」ともいえるキセキの高石垣。

・・おそらくこの程度の石垣が本丸周辺から累々と延びていたのでしょう。
よくぞ崩されず、また今日まで崩れずにきたものです。
魅せてくれますね・・。

syuuzann (11)
西曲輪の北側は延々と続く石垣が見所。妙な横移動になっちゃいます。

syuuzann (12)
たまりません・・、アップで撮らせてください。

syuuzann (13)
確認できる石階段一段一段からでも想像できることが沢山です。

北山杉に囲まれる中、静寂に包まれた空間に荒石垣は続きます。
そして崩れされた石垣、風化で荒れた部分等にも思いを馳せることができましょう。
ここに光秀築城と伝わる周山城の醍醐味を感じました。

また、周山城は非常に規模が壮大で、一度の探索ではとても全容はつかめません。
今回、自分はトレラン、トレイルランニングということでの登走です。
「上り下りと見学時間で1時間」、という無謀な都合もあり、見学できないところが沢山・・。

事実、南の尾根曲輪には行けませんでした。
また西の離れ出丸には周山城の土の城もあるとの事。
「見たかった」という後悔も正直ありました。

syuuzann (19)
下りは疾風のように駆け下る。

そろそろ帰らないと京都での長男との約束時間に間に合いません。
また来れたらいいな、という募る念をのこしながら周山城をあとにしました。
次の日、地元で成人式を迎える長男、その迎えついでに山城三昧の呆れ父。

どちらもホクホク顔で地元・岐阜へと向かうのでありました。


㋹は駐車場をお借りした道の駅ウッディ京北さん。
Ⓢは周山城登山口。
Ⓖは天守台などの主郭部。徒歩なら50分前後でしょうか。
・・そんな方はいないと思いますが走れば15分で到着します(笑)。

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丹波 亀山城 🏯明智光秀公の丹波攻略拠点を散策

丹波 亀山城 (京都府亀岡市荒塚町)

丹波・八木城と園部城を見学して京都方面に取舵一杯!
その足で丹波・亀山城に寄ってみました。
郷土の英雄・明智光秀公の夢の址に是非立ち寄りたくて・・。
(大河ドラマの予習も兼ねて・・)

さて・・、といっても現在の丹波亀山城は新興宗教団体「大本」の宗教施設内となっています。
城の一部は許可をいただいたうえで見学が可能、ということで行ってみました。
ちょっとドキドキしましたがそこは亥年の男、プチ勇気で突入してみます。

見学にはちょっとした段取りがあるのでご説明しながら・・。

(※宗教施設ということで関連施設の画像は極力控えさせていただきます。)

①駐車場
見学ということであるのなら大本本部の大駐車場に駐車可能(無料)です。
京都での観光に慣れていると有料かと思いきや意外に無料でした。(ありがたいことです)
行きかう方たちは皆さん礼儀正しく挨拶をされるので、かしこまってしまいます。

tannba03 (70)大本本部の案内図。

あくまで「大本本部」としての案内図。誰が見ても頂部一帯は城址だとわかるのですが・・。
そこには「本丸」とか「門址」とかいう図示は見当たりません。
宗教関連施設名での説明が既に別世界となっているようです。

②見学受付
正面のみろく会館内の左手受付にて見学の旨を伝えます。(拝観料も無料です)
記帳に氏名と住所を記入。目的欄には「城跡見学」の項があり、〇で囲みます。
すると事務員さんがご丁寧に亀山城の簡単な説明・案内をして頂きました。
館内2階では城に関する絵図や写真なんかも見学できます。

tannbakame (1)
内堀の一部であった万祥池。

③万祥殿にてお清めのお祓い
再度、万祥殿右手の受付で城跡見学の旨を伝えます。
すると巫女さんが(神社でいう)オオヌサでお祓いしてくれます。
低頭してけがれを払い落としていただく簡単な儀式です。

・・「お直りください。」(・・お、終わりましたか??)

さ、これで晴れて城跡にパスできます。
左側の小さな門から堂々と城跡へ向かうのであります。
ちょっとめんどくさいかもしれませんが「郷に入りては郷に従う」ことで。

IMG_8438.jpgいきなり現れる天守台に心の準備が伴わない・・(^_^;)。

よく画像で見かけるお決まりの写真ですが結構迫力あります。
積み直しされているようですが、見た目全くわかりませんでした。
この石垣の前に立つと、そういったことも些細なことに思えてしまいます。

IMG_8436.jpg
扇の勾配、反りからの上部・直積への勾配が美しい。

IMG_8434.jpg
明らかなる積み直しですが、角部が鋲状になっているのが面白い。

IMG_8430.jpg画角を変えるとまた違った迫力が増します。

IMG_8441.jpg
ここから先、上部へは「聖域」のため立ち入りはできません。

「聖域」・・と言えば・・。
車田正美さんの『聖闘士星矢』か池上遼一さんの『サンクチュアリ』以来だろうか・・。
(・・所詮、自分の頭の中はその程度なのか)

ダメだと言われると見たくなるものですが、・・やはりやめときましょう。
足元にはセンサーらしきものも・・、イノシシにも罠を嗅ぎ分ける能力くらいはある。
第一、拝見する側としてのマナーは守らなければいけません。これ常識。
(ここでは試されている感がある)

IMG_8446.jpg
石蓋された井戸らしきものもありました。

tannba03 (79)明智光秀公築城亀山城跡の石碑は公園の片隅にあります。

tannba03 (77)
公園にはブロンズ製の鯱瓦もモニュメントとして飾ってありました。

tannbakame (2)
南郷公園一帯には外堀が廻っています。

tannba03 (76)
現地では明智光秀公の城下町史跡めぐりも。

こちらも大河に向けて準備が整いつつあります。
美濃可児、近江坂本、丹波福知山、等、どこでも光秀公は人気です。
彼が平定した土地はどこも城下町や交通・産業が発展したとこばかり。

敵同士で戦い合った武将ともどことなくお互いフェアな面を感じます。
個人的な想像ですが、きっと泰平の世につながる治世を施した証なのではないでしょうか。
戦いに戦いを重ねていくのではなく、その先には彼が目指した理想の『聖域』があったものかと。

そしてここ丹波亀山城は大いなる決断に踏み切った、彼の運命を分けた地になりました。

tannba03 (72)『聖域』へとつながる階段と折り重なる石垣。

亀山城の見学できる地域は限られますが、ゆっくり一周することで雰囲気は充分堪能できます。
どのような形であれ、このように見学できるのですからとてもありがたいことだと思います。
大本の関係者の皆様のご厚意に深く感謝いたします。

光秀公の人柄がまた一層偲ばれた丹波亀山城でした。


Ⓢは大本本部の大駐車場をお借りいたしました。
Ⓖは丹波亀山城の石垣遺構。見学の手順・マナーを遵守しましょう。

丹波 園部城 🏯日本城郭史で最後の築城城郭

丹波 園部城(園部陣屋) (京都府南丹市園部町小桜町・現園部高校)

丹波・八木城を下山した後に立ち寄ったのが園部城です。
この園部城、実は日本の城郭史上最後に築城されたと言われるお城で有名?です。
・・恥ずかしながら自分は知りませんでしたので(^_^;)。

sonobe (9)園部城の現存巽櫓と櫓門。

園部藩は元和5年(1619)国替えによって但馬・出石より移封となった小出吉親が起こしました。
当初、小出吉親はこの地に築城することを江戸幕府に願い出たのですが・・。
諸事情あってか許可が下りなかったため、天守や櫓を持たない陣屋として築いたものです。
徳川幕府の制度上では陣屋という扱いになるが、規模としては城と呼べるものでした。

城が完成したのはなんと維新後の明治2年(1869)になっての事。

幕末の動乱期でもあり、園部は京から近く万が一の時には要街地ともなります。
そういった度々の進達にも関わらず、なかなか改修は認められませんでした。
しかし、慶応4年(1868)明治政府に願い出、「帝都御守衛」の為として遂に認められました。

sonobe (8)園部城では最大の櫓で象徴的な巽櫓。

sonobe (7)とても整った美しい外観である櫓門は現在は校門に。

小出氏の念願が実って良かった良かったとなったところでしたが・・。
悲しい事に、完成からわずか三年後に廃城になるという運命をたどります。
大半の建造物が取り壊されるなか、「櫓門」と隣接する「番所」と「巽櫓」がのこりました。

あと、いまひとつ「太鼓櫓」は南丹市八木町にある安楽寺に移築され残されています。
また、園部高校の裏手には小麦山と呼ばれる山があり、この山頂にも三層の櫓が建てられました。
今回は訪問できませんでしたので、また足を延ばして見てみたいな、と思います。

sonobe (4)園部城石碑。

sonobe (1)
堀の一部がプールになっています。こんな活用法があろうとは。

sonobe (6)
こちらは模擬天守風?で南丹市国際交流会館の建物。

園部城跡である園部公園内にはいると真っ先にこちらの天守閣が目につきます。
ガラス張りの壁に、石垣が「コンクリ垣」となっているので間違える事はないかと思いますが。
特に史料館といった施設でもありませんので見て楽しめればいいでしょう・・。

sonobe (2)
遺構と現代建築との境目がわからない・・。

sonobe (5) お向かいの石垣は当時のもの??。

sonobe (3)
こちら天守ではありませんが、遠目に見るとそれっぽく見えてしまう・・。

見所は限られますが、物足りなければ小麦山まで散策すれば結構満喫できるかと。
城址一帯は園部高校の敷地内となっていますので見学や撮影には気を遣いたいものです。
平日なら門を入った右手にある事務室に一声かけていくことをおススメいたします。

街中に溶け込んだ中にも堂々さを感じさせる園部城でした。



Ⓢは巽櫓・櫓門の位置。
Ⓖは小麦山頂上・櫓郭跡地

丹波 八木城 🏯丹波最大級の山城へ登りました

丹波 八木城 (京都府南丹市八木町八木・城山)

ここ数年、京都・丹波に行く機会が増えました。
長男が京都で学生生活を送っているからです。
帰省の折、迎えに行ったり、荷物を届けに行ったり、そして・・。

それにかこつけて京都・丹波の山城をめぐるというのもルーティンの一環となっています。
お小遣いの少ない自分にとって、我が家の公費で行ける、こんな嬉しい事はありません。
長男にも会うことができ、おまけに城まで行けるなんて・・。

かわいい子には旅をさせよ、といいますが、いや~、納得です。(なんか違うか・・)

長男:「俺、5時間目まで講義あるから夕方まで暇つぶしてていいよ」
自分:「了解!」(`・ω・´)ゞ
・・こんな気持ちいいハキハキとした返事をしたのも実に久しぶりです。

・・っということで今回は以前から憧れていた丹波・八木城に行くことができました。
丹波・八木城は丹波国三大城郭のひとつで、黒井城八上城とともに数えられています。
また、キリシタン武将・内藤如安ゆかりの城としても知られていますね。

yagienkei.jpg城山一帯に展開する複合梯格式の山城、八木城。

天文22年(1553)内藤国貞三好長慶と結んで八上城主波多野氏と対立。
八木城は波多野方に攻められ落城、国貞は討死します。
その後、松永久秀の弟・松永長頼が八木城を奪還します。

長頼は国貞の娘を娶って内藤宗勝と名を改め、八木城主となります。

しかし内藤宗勝は永禄8年(1565)黒井城攻めで討死。
宗勝の子がキリシタンとして著名な内藤如安(ジョアン)です。
内藤如安については、後、小西行長の重臣となり、関ヶ原合戦後は前田利家の庇護を受けます。

江戸時代にキリシタン追放令が出されるとマニラに追放されました。

tannbayagi (17)麓の春日神社西口に立つ内藤ジョアンと八木城の石碑。

キリシタン武将に相応しいお洒落~な石碑です!
十字架と装飾されたデザインが清廉な印象を受けます。
この石碑を見るだけでもここに来た甲斐があるというもの。

tannbayagi (18)
模擬城郭風?の高速道路下のトンネル手前に路駐できます。(説明版あり)

tannbayagi (20)
登山道は山城にしては登りやすいと思いました。(個々の感想)

tannbayagi (19) tannbayagi (21)
10合目から1合目までカワイらしいイラストが案内してくれました。

tannbayagi (22)
25分ほどの登山で頂上に到着です。わ、なんか景色良さそう・・。

tannbayagi (26)
本丸にはいい所にベンチがおいてあります。

tannbayagi (24)やはり山城からの眺望というものはいいものですね∠( ^ o ^ ┐)。

本丸からの眺望は本当に素晴らしかったです。
冬のピーンとした張り詰めた空気が余計に相まっていました。
散策前のしばし、ブラックコーヒーとカロリーメイトでおやつタイム・・と。

さて、今回は主郭部だけののんびり散策です。

●本丸●

本丸にある縄張り図を参考にして見学する範囲を決めます。
丹波・八木城は別郭の集合体で構成されています。
個々の郭自体が一城郭規模に匹敵するといっても過言ではありません。

tannbayagi (25)

tannbayagi (1)
一段下からみる本丸は天守台にも見えるような迫力もありました。

tannbayagi (23)
両脇を土塁で囲った曲輪の様子もよく観察できます。

tannbayagi (2)
本丸虎口の土塁。

tannbayagi (5)本丸周辺には石垣も残っていました。

tannbayagi (6)

tannbayagi (14)
崩された石垣の中にあってもよく残っていると思います。

場所によってはもっと高石垣が残っている箇所もあるようです。
また次回訪問した時はしらみつぶしに探してみたいものです。
(いつもながらいい加減な予習しかいないので、後で後悔すること度々・・)

tannbayagi (4)
金の間より見上げた本丸と虎口。

●二ノ丸(内藤和泉守将郭)●

tannbayagi (10)
本丸と二ノ丸を連絡する馬場の址。

真冬の山城はとても見通しがよく、直線が映える郭の一つです。
尾根全体が城郭となっているため空間的にも広く感じるのが特徴です。
曲輪ごとに守将の名が付いているのも歴史的緊張感がありますね。

tannbayagi (13)
どちらかというと本丸よりも切岸がはっきりして、高いのがわかります。

tannbayagi (8)
こちらも本丸規模に匹敵するほどの土塁です。

tannbayagi (9)本丸・二の丸の堀切。

●北の丸(内藤五郎郭方面)●

tannbayagi (15)内藤五郎郭直下の堀切。

北に面した曲輪ですが、本丸とは距離があるため南面のような明るさがありました。
所々に小さな謎の横穴がありますが、何かを採掘したようです。(マンガン等?)
どこまで行っても遺構の規模が小さくなる気配がないほど大きな城郭に驚くばかり・・。

まだま見所はたくさんあるのですが、今回の散策はここまでです。
この城は非常に規模が大きく、じっくり味わえば色んな発見があることと思います。
ヤブ漕ぎになる箇所もあるかと思いますが、探索する価値の高い山城だと思います。

山城歩きでなくとも、ハイキングとしても気持ちいいコースだと思います。
さてさて、今回は長男の用事にかこつけてのどさくさ城めぐり。
また来れるチャンスは何度もありそうですから・・。

こちらにはまたじっくり再来したいな、と強く思いました。(我が家の公費で・・)



Ⓢは内藤ジョアンの石碑が立つ登城口。車は説明版脇に路駐か、春日神社に。
Ⓖの城山山頂部まで遊歩道があります。(山頂まで徒歩約25分)

丹波 岩尾城 🏯黒井城に負けず劣らじの山上石垣②

丹波 岩尾城 (兵庫県丹波市山南町和田・蛇山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・後半その②】

壮大な石垣遺構を目の当たりにしてに立ち尽くし、やがて歩き出します。
一歩づつ歩くごとに違う景色になってしまうのが実に惜しまれます。
この西の丸から二の丸に向かっていく間の石垣は本当に見事です。

iwaoj2 (7)なかなかダイナミックな野面積。

iwaoj2 (8)
草の茂みがいい感じで古城感をかもしだしているのです。

iwaoj2 (22)二の丸にある岩尾色の説明文と縄張り図。

図面を見たら解るように、この岩尾城、主郭部中央の大土塁を境に構造が全く違います。
土塁の北側は中世以来の「土造りの城」の姿をとどめています。
対して土塁の南側は、明らかなる織豊期の「総石垣の城」の姿を見せています。

iwaoj2 (4)二の丸から見る天守台方面。

iwaoj2 (23)
高石垣ではないですが、二段に積み上げられた石垣は古風で健気な印象があります。

iwaoj2 (9)伝・天守台には小さいながらもシンボル的な建物があったのでしょう。

iwaoj2 (25)
西方面の眺望がよく見えました。

iwaoj2 (24)青いベンチとセットの岩尾城標柱。

iwaoj2 (11)
「古城」とを分かつ大土塁は櫓台にも相当する大きさです。

ここから北は石垣の城から一転、中世の頃の姿が見えてきます。
切岸、土塁、堀切(二重堀切)といった遺構が楽しめます。
そのメリハリを観察するのが、ここ岩尾城でのもうひとつの楽しみ方かもしれません。

iwaoj2 (5)
北に延びる曲輪には周囲に土塁が廻っています。

iwaoj2 (6)
北尾根に備えた土橋と堀切。

iwaoj2 (10)
西尾根に備えた大堀切は二重堀切となっています。


岩尾城は永正13年(1516)、和田斉頼によって築かれたと伝わります。
斉頼は天文13年(1548)病没し、跡目を師李が継ぎ城主となりました。
しかし、天正7年(1579)丹波へ侵攻した織田軍の明智光秀に攻められ落城しました。

天正14年(1586)近江国より佐野栄有が入封すると、岩尾城は総石垣の近世城郭へと改修されました。
しかし、明智勢に摂取された時点で石垣改修されたとする説も有力です。
黒井城や金山城、周山城等、同時期明智方の遺構プランがその説を後押ししているようです。

佐野栄有は近江・木戸出身の豊臣方の武将です。
その人物像は不明な点が多いのですが、秀吉らに発掘された近江派ルーキーだったようです。
しかし、栄有の在城は僅か10年、再び近江国木戸へと移り、後は前田玄以の属城となりました。

栄有さん・・、何があった??気合で新生岩尾城を築城したのに・・。

迫力ある古風な織豊系石垣と中世からの土の城、両方をじっくり楽しめる岩尾城。
しかし、これだけの城郭が毅然として残っていることに驚きました。
岩尾城が注目を浴びるのはまだまだこれからでありましょう。
(個人的にはあまり有名になって欲しくないが・・)

iwaoj2 (27)
前日に入浴した「丹波の湯」、薬草の風呂は癒しのひとときでした。

岩尾城の麓から近い所にあるので合わせて寄ると登城の疲れもとれますかと。


Ⓖは蛇山・岩尾城山頂部。麓の和田小学校から登城しました。
駐車場は和田小学校向かいの交流センター?さんにお借りしました。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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