北信濃 松代城(海津城) 🏯戦国北信濃の触発拠点と真田氏の気風

北信濃 松代城(海津城) (長野県長野市松代町松代) 《国指定史跡》

今回の北信濃の城めぐりでの〆の城となります、松代城を訪問しました。
中世は海津城として川中島の戦いの舞台ともなった北信の最重要拠点です。
また近世では松代城として幕末まで真田氏の居城として存続しました。

kaizu (2)前橋と橋詰門を渡って城内へ入っていきます。

屋根が瓦ではなく、栩葺(とちぶき)屋根で復元してあるのが良いです。
奥の太鼓門と手前の橋詰門とで内枡型を形成しています。
真田氏系の縄張りっぽいですね。

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二ノ丸土塁には二重の土塁が復元されています。

kaizu (18)太鼓門前橋、そして橋詰門です。

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おだやかな水面の内堀の様子。

kaizu (7)在りし日の松代城はこんな様子でした。

永禄3年(1560)、武田信玄の命で山本勘助により築かれ完成しました。・・らしいです。
武田氏が滅亡すると、織田信長の部将・森長可が入城。
本能寺の変により森長可が美濃・兼山城へ退くと、上杉景勝の支配する所となります。
景勝が会津に移封となると、豊臣秀吉の蔵入地となり、後に田丸直昌が入城します。
慶長5年(1600)、直昌は美濃岩村城へ移封となり、代わって美濃・兼山城より森忠政が入城。

慶長8年(1603)、森忠政が美作国津山に移封となり、松平忠輝の所領となり城代が置かれ後、
松平氏、酒井氏、そして元和8年(1622)真田信之が上田より十万石で入部し明治に至るのです。
・・めまぐるしく武田、織田、上杉、豊臣、徳川、と戦国列強たちの奪い合いの地となりました。

kaizu (16)太鼓門を見上げます。切妻造の存在感ある建築物です。

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日向さん、埋門も通ってみましょうか。

トンネル状に造られているのは、緊急時に埋めることができる門、ということです。
身長が178センチ以上あれば頭をぶつけます!要注意!
(久太郎、惜しくも175センチ、背伸びしてわざとぶつかる・・)

kaizu (4)戌亥隅櫓台にやってきました。・・いいですね・・。

kaizu1.jpg天守台相当の規模をもつ櫓台です。(天守台だと思っていました・・)

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野面積で積まれ、隅角部が算木積で組まれています。安定感を感じます。

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北不明(きたあかず)門の外桝形部へと入っていきます。

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北不明門も復元されています。

櫓門の上の部分が両側の石垣から解放された自立式の形式です。
この形式は意外と珍しいものです。

kaizu (13)本丸に建つ海津城の石碑が硯のような表面でいいです~(*´~`*)。

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隅櫓からの二ノ丸を眺めます。

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隅櫓から延びる土塁。

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東不明門址を通り、二ノ丸へと木橋を渡ります。

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高い土塁で囲まれた二ノ丸は芝生広場として憩いの場所になっています。

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石場門址付近では土塁から転がり落ちる、お笑い担当の三男クンにマジ笑う。

斜面を勢いよく転がり落ちる様に土塁の威力を見せつけられた気がしました(笑)。
このように松代城は基本的には幕末まで築城時の伝統遺構を残していくのです。
本丸が近世的な姿に変貌した一方で、二の丸、三の丸には土塁や丸馬出が残ります。

ここに武田氏時代からの海津城の面影が想像できましょうし、
また真田氏における天守を上げない等の保身の姿も垣間見えたりもします。
そして新旧融合の姿が発掘調査を経てここに甦っているようでした。

松代城は真田の命脈を守り続けた城、であったのかもしれませんね。

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北信濃 荒砥城 🏯中世戦国城郭のイメージを体感

北信濃 荒砥城 (長野県千曲市上山田・城山史跡公園)   <市指定史跡>

葛尾城から下山してから向かったのがこちらの荒砥城です。
葛尾城からは結構近くにありますし、温泉観光地の一環として整備されています。
戦国期の山城を模した建物や櫓が並ぶなど、本格的に復元されているのがウリです。

aratoj (3)大河ドラマなどではロケ地にもなり、度々見た覚えのある景色です。

若干、やりすぎ感は否めませんが戦国期の山城というのをイメージしやすいです。
こうした模擬建物などのおかげで、ある程度の中世山城の雰囲気は充分に味わえます。
・・メンテナンス、大変なんじゃないでしょうか?(余計な心配をしてみたりする)

aratoj (5)荒砥城の立派な石碑は入口にあります。

入城料は大人は300円で、中学生以下は無料でした。
こちらの訪問も今回で3回目です。
・・わりとお決まりコースなのかもしれません・・。

荒砥城は村上氏の一族の山田氏の持城であったと考えられています。
武田信玄によって葛尾城の村上義清が追われた後、武田氏に降った屋代正国の城となります。

天正10年(1582)本能寺の変により織田信長が倒れると、越後の上杉景勝が川中島を接収。
景勝は海津城代として山浦景清(村上義清の子)、副将として屋代秀正を置きます。
しかし天正11年(1583)屋代秀正は上杉氏を離反して徳川家康に寝返り、荒砥城に籠城します。
景勝はすぐさま荒砥城を攻め、屋代秀正を追い出します。

aratoj (1)賛否両論のこの石垣、あまり近くで見ない方がいいかも・・。

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あくまでイメージで、という意味での虎口ですが、個人的にはカッコいいと思います。

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建物の大きさや構造は時代考証に沿っているといえましょう。

aratoj (9)冠木門や長屋の再現もさることながら、柵の打ち込みパターンも本格的。

これほどの復元事業でも感想は様々で、やや二極化してしまう厳しさもあります。
「中世城郭の雰囲気があって面白い!」という素直な意見もあれば、
「貴重な史跡に暴走気味な施設がちょっと・・」という一理な意見もあるでしょう。

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雰囲気が伝われば楽しい場所です。

ここではあまり詮索しずに目で楽しんでみることが大切だと思います。
実戦的な山城はこんな風なんだ、という迫力を感じることに意味があると思うのです。
公園化は城跡整備と観光活用との両立が難しい中、ある一定レベルに達した好例といえましょう。

aratoj (10)葛尾城とその支城網が綺麗に見えました。

aratoj (4)当時のものか、と思われる石垣もちゃんと残存していますよ。

北信濃 葛尾城 🏯北信の雄、村上義清の本拠城

北信濃 葛尾城 (長野県埴科郡坂城町坂城・戸倉町磯部) <県指定史跡>

今年の「城納め」と称し城友である日向さんと北信濃へとやってきました。
お互い年末の忙しくなるであろう前のこの時期、恒例行事となってまいりました。
気になる天気も予報以上の好天気に恵まれました。

・・さて唐突ですが、信濃の戦国大名、というと皆さんは誰を思い浮かべるのでしょう?
真田という方も見えれば、いや小笠原でしょ、とか諏訪氏だ木曽氏だと代表格不在の地域では?。
武田信玄に併呑されるまでは地方ごとに一円支配をした小大名が割拠している状況でしたね。

今回訪れた葛尾城は北信濃最大級の領国としていた村上義清の居城です。
(何を隠そう、自分は北が村上義清派、南が木曽義康派でございます・・)

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katuraoj (4)麓から見ても肉眼で深い堀切や曲輪が確認できます。
(電線がかぶってしまいました・・(ノ_<))

今回の訪城は実は3回目なので過去の思い出も織り交ぜながら書いてみました。
最初は弟クンと、2回目は家族で、そして今回は日向さんと、との訪問です。
ん?・・最初の弟クンとの写真、残ってないな~。(見つけられないので先へ進みます!)


葛尾城への道のり・林道コース編(今回のコース)

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日向さんのジムニーにてダート林道から尾根筋まで登れます。

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割と整備されていますが、道路際が結構狭いので、やはり軽4駆がいいですね。

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案内板のある駐車場まで行けます。

katuraoj (29)縄張り図付きの説明版で遺構部を確認していきます。

「信州稀代の名将、村上義清!」
オラが地元の英雄だべさ!感がいいですね。かつてはこんな幟もたなびいてましたヨ。

自分も高校生の時、新聞で連載されていた「信濃戦雲録」という小説を楽しみに読んでいました。
そこに登場した村上義清は匹夫の勇でなく、実に戦の駆け引きに優れた統率者でした。
以来、ずっと憧れの名将でもあります。

村上義清の魅力とは何でしょう。
やはり正面から武田軍に戦いを挑み、二度にわたり武田晴信の軍を撃退したことでしょう。
武田信玄が生涯で最も手こずった敵は、上杉謙信より義清、ともいえましょうか。

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木の葉が落ちてとても見学しやすい状況になってました。

・・こころなしか、いや、確実に少しスリムになった日向さんです。
山城歩きの影響でしょうか?、それとも通常激務のお仕事のためでしょうか?
山城歩きは体調管理にもとてもいい趣味だと(個人的に)思うのです。

katuraoj (8)しばらく歩くと櫓台でしょうか、石垣に囲まれた小曲輪に到着します。

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積み方はいかにも適当そうですが、なんとも味があります。

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大堀切が待ち構えています。それもコブが2つ見える連続大堀切でしょう。

狭い馬の背状の尾根筋に幾つもの堀切が切られています。
しかも左右に竪堀となって落ちていきます。
ここまで周到にされると進入不可能!、回り込みも不可能!です。

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主郭に近づくほど、堀幅も大きく高低差も大きくなっていきます。

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本丸の背後の2条は特に深く、巨大彫刻刀で削り取ったようです。

katuraoj (22)このような階段が付けられており、とても助かります。

まず普通に登ることは困難な斜度ですので非常に有り難いです。
いたずらに登れば遺構を崩してしまうことになります。良心的ですね。
これなら足腰の弱い方でも気軽に見学ができる、というものです。

katuraoj (10)今回、心を奪われた溜息がでるような堀切がこちら(*´~`*)でした。

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そして、本丸に到着しました。

katuraoj (11)石板タイプの石碑に思わず腰を屈め、目線を合わせます。

山頂の本丸はそれほどの広さはありませんが、尾根状には幾重にも重なった堀切と小曲輪を配置。
それが葛尾城を巨大城郭に築き上げています。
しかも、ここからの眺望は周辺の支城網の点在も確認でき、まさに本城にふさわしい立地です。

千曲川沿いと城下の北国街道を直下に見下ろすことができます。

katuraoj (12)こちら戸倉町・更埴市方面は北アルプスの山々も望めます。

katuraoj (13)千曲川の川面が眩しい上田方面です。

日向さんと頂上のベンチで景色をみながらのクルミパンと缶コーヒー・・。
応えられない至福の時空。


葛尾城への道のり・遊歩道コース編(前回のコース)

葛尾城はもちろん、麓からの遊歩道も整備されています。
坂城神社から登るコースはかなり厳しいですが、城の要害性を体感したいのなら・・。
断然、おススメですよ。(所要時間は見学時間を合わせて2時間ほどです)

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家族でパレード登山に挑戦しました。

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落ち葉と砂地の山肌は「3歩進んで2歩下がる」、・・要害です。

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途中、何度も息を整えての登頂ですが、子供たち、歩くのはえぇ~。

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これが最後の坂。前回は子供達が先に行って待ってましたね~。

katuraoj (17)良きアングルにて本丸を下の曲輪から見上げる。(手前の真剣野郎は日向さん)

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南の尾根延長先は姫城へと続くルートになります。

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斜面がきつく、途中まで行って引き返した根性薄の我々でした・・。

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そうそう、林道からのルートには電話ボックスを利用した縄張り図のチラシが置いてあります。

こうして何度も足を運べるのも日向さんの飽くなき情熱のおかげです。
そして奥方、子供達、よくぞここまで付いてきてくれたものです。(改めて登るの大変でした)
ちなみに、葛尾城の縄張り図は今でも彼の学習机のマットに挟まれ大事にされてます。

katuraoj (30)麓には村上氏の居館跡もあり、訪ねてみました。

そりゃ、そうですよね、あんな高い山上で生活しませんもんね。
普段の生活・政務はこちらで行われていたことでしょう。
冒頭でも少し触れましたが村上義清武田信玄との戦いについてごくごく簡単に・・。

一度目の戦いは上田原の戦いで、義清が攻め時をよく心得、武田軍に圧勝します。
村上義清の戦場での駆け引きもさることながら戦闘能力の高さも見逃せないものがありました。
「諏訪とは違うのだよ!、諏訪とは!!」なんてどこかの大尉のセリフが似合います。

二度目は砥石城の戦いで、武田軍は義清が守る砥石城を攻めるものの、惨敗。
撤退する武田軍に対する義清の激しい追撃戦に武田軍は相当な被害が出ました。
後、真田幸隆が策略を用いて城を乗っ取り、義清は上杉謙信を頼って越後へと逃れます。

katuraoj (32)麓には義清公の墓所もあります。

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その後、上杉謙信武田信玄の川中島の戦いが繰り返されることになるわけです・・。
信玄としてみたら謙信をを引っ張り出してきたのは村上義清なのですから、厄介ですね。
義清にとっても最も憎い相手は武田信玄ですが小細工は使わず、常に真正面から対峙する。

そんな義清の潔さが我々の心を掴んで離さないのではないでしょうか。

支城網を整備・駆使して対抗する姿もなかなかの差配力があります。
あいつぐ部将の離反によってもろくも崩れたりはしましたが、
義清は事態の不利を早期に察知して、越後へ逃亡して、建て直しに心血を注ぎます。

義清への思い入れの分、そして何回かの楽しい訪城の分記事が長くなってしまいました。
機会があったら次回は各支城にも足を運びたいものです。
マウスロールしていただいた方々、ありがとうございました!

朝やけの眩しい光にに包まれた城、光城に登城

信濃 光城 (長野県安曇野市豊科上川手光・光城山) <市指定史跡>

朝焼けの光の中に立つ影はミラーマン、ですがここ安曇野の地に朝一番に立つ影。
それがここ光の城、光城なのです。(・・なんかかっこええ)
本日の安曇野ハーフマラソン大会の景気づけに是が非でも見学したい城、でもあります。

azuminopp (1)中央の存在感ある光城山。その山頂一帯が城址です。

以前、奥方と子息らを伴って光城からみた安曇野の光景が素晴らしかったからです。
車でほぼ頂上付近まで行けちゃうのが本当に有難いですね。(でなきゃ、来ないです)
午前、4時50分、朝もやの中を主郭部に向かって歩いていきます。

なんともさわやかな朝ですが、寒いくらいでした。

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これ実は木橋になっています。

azuminopp (22)横から見た堀切に架かる木橋。
堀切は竪堀となって100メートル近くも延びています。

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尾根筋には周到に堀切が遮断線として構築されていました。

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主郭部に至る登り道。ワクワクしてきます。

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古式ゆかしい古峰神社が祭られています。

azuminopp (29)拝殿の中に掲げられた光城に関する案内版。

説明中に築城主として海野六郎幸元の名が見られます。
自らを光之六郎幸元、と名乗ったようです。

地名になぞらえて名乗った、とはいえ結構勇気要ります・・。
それとも「源氏物語」でもお読みになられてた雅な武将だったのでしょうか・。
天文22年(1553)、城は武田信玄によって落とされたようです。

azuminopp (30)昇る朝陽の中、城址碑と説明版を残し、光に包まれていきます。

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本丸の土塁上から郭内を見渡せます。その向こうには安曇野の郷とアルプスの山々が。

azuminopp (34)打ち震えるような素晴らしい眺望を眺めながらの朝食をとります。

「あと数時間後にあそこら辺りを走っているんだろうな・・」(ムシャムシャ・・)
「頑張って練習してきたもんな・・」(パクパク・・)
「Y吉さん、早起きして無事の到着、合流できるかなぁ~」(モグモグ・・)

でもこの瞬間、贅沢だな~、いいのかな・・。
よっしゃ!、今日のマラソン大会、頑張ろう!
なんだかイケそうな気がする~!

素晴しい思い出となった信州の2日間、安曇野の城とマラソン紀行、まずはここまでに。
そして、妙にヘビーローテするのは、この歌。

朝焼けが 窓を染めたなら 君に告げよう・・
Good-bye morning!!
(宇徳敬子さん&近藤房之助さんのバージョンのほうで)

光城の前衛的支城・田沢城と上ノ山城に登城

それでは安曇野マラソン第3幕、マラソンコース駐車場周辺の城館めぐりに移ります。

駐車場周辺、というのはマラソン出場者が大会中、自家用車を駐車しておく場所です。
自分とY吉さんはセイコーエプソン(株)豊科事業所さんの指定券を受け取っておりました。

その駐車場から犀川を挟んだ東の山領に鎮座する3城郭に登ってみました。
ちょうど長野自動車道に沿った安曇野I.Cの東になります。

azuminopp (2)

例えるなら・・

光城がラスボスだとしたなら。
そのラスボスの右腕が中ボス「田沢城」だとして、
おなじく左腕の中ボスが「上ノ山城」、ということになります。

いずれもラスボスを守る手ごわいセミボスということになります。

azumihalfg4.jpg

↑エプソン駐車場もわかるように大会パンフレットを転用・修正加工させていただきます。
青い塗りつぶしが城館の位置と範囲(おおよそ)を示しています。
たびたびなんですが、2城分、一気にいきますので、できればついてきてください(笑)。

それでは挑んでまいりたい、と思います。

信濃 田沢城 (長野県安曇野市豊科田沢・田沢山)

田沢城は別名を「光小城」と呼ばれるように、光城の尾根伝い下に築かれた砦城です。
光城と同時期に併設されていたのかは不明ながら、その関係性は注目されます。
事実、ここに砦があるだけで光城はより強固な城砦と成り得るのですから。

azuminopp (40)
田沢北交差点から見上げる田沢山。

azuminopp (14) 入口の広い路側帯に車を停められます。

azuminopp (5)
登山道はまるで堀底を登っているかのよな錯覚をうけました。

azuminopp (7)主郭に出迎えてくれる石段?石積?が少々と後ろの土塁。

15分ほどの登山で主郭に辿り着きます。
登山道が整備されているためそれほどきつくはないのですが、
期待していた安曇野の眺望は望めませんでした。

azuminopp (3)消えかかっている田沢城を示すプレート。苦心の縁取り文字が泣けます。

azuminopp (11)背後の三重堀切が見事なのですが、ブッシュでなんとも・・。

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同じく主郭の背後に備えられた土橋と土塁・堀切。・・ここもブッシュですな。

土塁も高く、堀切との連動もうまくできた縄張りを持ちます。
しかし、いかんせん、広い尾根となっていく光城方面に対しての防備が不安。
はっきりとした城域が画されていないようです。

これは尾根続き山頂部の光城をあてにしたが故の普請かもしれませんね。

城は小県郡の海野氏出身者によるのが始まり、との記録がみられます。
その後、確証ではないのですが、田沢氏、花村氏、と受け継がれていったようです。

田沢城、一支城としては実に造り込まれた砦城だと思われます。
夕暮れ時で撮影も限界に近づいてきましたのでカモシカ並みのダッシュで下山!
次なる上ノ山城に向かいます。(あー忙しい!)



信濃 上ノ山城 (長野県安曇野市豊科田沢・殿山) <市指定史跡>

6月初旬、いくら日が長い、といってもさすがに6時は焦ります。
黄昏の城、上ノ山城まで登城、・・は時間的にとてもできません。そこで・・。
ここへは車道ですぐ近くまで行ける、という情報を細作によって掴んでいました。

azuminopp (38)田沢橋の正面から見上げる上ノ山城。

豊科カントリークラブさんにつながる車道を登って行きます。
この時間です。反対方向から降りてくる車はプレイを終えた高級車ばかり・・。
「フハハハハー!すれ違いは登坂車両優先ぜよ!」(・・悲しい)

・・なんとか着きました。

azuminopp (15)安曇野市の城址碑、ありがとうございます。

城址碑の後ろの遊歩道を登って行きます。
もう、すぐ頭上に城址がありそうな雰囲気です。
まさに、上の山、城、といったとはよくいったものです。

azuminopp (21)
そして、遊歩道を登ること僅か2分足らずで主郭部に着きま・・。

・・!!(゚△゚;ノ)ノ

azuminopp (17)・・・・・・・・・・・・(´・(ェ)・)

これは一体・・?
非常に悲しい光景に遭遇してしまったようです。
何故だか、松任谷由実さんの「リフレインが叫んでる」が替え歌で流れてきます。

どうして どうしてできるだけ
やさしくしなかったのだろう・・。
壊れるほど倒れてきた~。

azuminopp (19)
重みになんとか耐えている、城址案内板の痛々しい姿。

まるで落城寸前に居合わせた気分になり、必死で木をどけようとしました。
しかし、ダメでした・・。重たすぎる・・。
電気ノコギリでもないと無理そうです。

azuminopp (20)
ここまでが限界!、なんとかこれで判読できるかな?

azuminopp (18)
削平地のみが確認できました。

城は3、4段の削平地のみで構成され、城、というよりは見張台、監視台に近い遺構です。
尾根筋の山道を監視する施設だと考えられます。
非常にシンプルな簡単な縄張りで防御機能、ほぼなし・・。

光城側の施設か、あるいは平瀬城側の施設か、もっとも両者の繋ぎ城か。
その意味では重要な位置にある砦だともとらえることができそうです。
これで光城の両翼を制しました。

そして・・いよいよ光城への登城、明日の明朝を待っての攻撃に備え、休みます!

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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