若狭 熊川城 🏯尾根に連なる連続棚郭が面白い

若狭 熊川城 (福井県三方上中郡若狭町熊川)

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その7】
-沼田氏居城・熊川城を訪ねて-

kumakawa (11)熊川宿の中心部を押さえる位置にある熊川城。

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熊川宿の美しい街並み。(たまたま誰もいなくなったところを撮影!)

熊川宿は江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄しました。
旧街道に沿って水量豊かな水路が流れ、歴史的景観を残しています。
古い建築物を活用した観光地としてとても賑わっています。

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白石神社の本殿から左手の山道を登っていきます。

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案内標識を横目に登っていきます。

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神社の湧き水による池がきれいでした。

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可愛らしいイモリちゃんたちが気持ちよさそう( ^o^)

最近はあまり見かけなくなりました。
城の見学に来たのですが、元来生き物が大好きなのです。
ここで見入ってしまい時間がなくなってしまいました・・。

kumakawa (6)尾根先端部より棚郭が直線的に主郭まで続きます。

比高がそれほどないのですぐに登れます。
ただ、途中の登り道がかなり急ですので前傾姿勢の維持が辛いかも・・。
途中で現れる巨木たちが迎えてくれます。

kumakawa (3)主郭に到着。奥には一段高い櫓台があります。

沼田氏は上野国沼田の沼田氏の一族で、鎌倉期より勢力があったとされます。
築城は沼田弥七郎統兼あるいは沼田勘解由左衛門清延とされます。
永禄十二年(1562年)に瓜生城の松宮玄蕃に攻められ城は落城。
この後、城は松宮氏の支城とされたようです。

kumakawa (5)本丸に立つ熊川城の案内図です。

縄張り図がありますので拡大しておきます。

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段々畑のように連なる郭がほぼ同じ規格の広さで段差も同じです。
背後の尾根には堀切が図示されていますが藪が酷くて未確認です。
これが地元美濃の城なら、ヤブ漕ぎしてでも入るのですが・・。(根性なし)

元亀元年の越前攻めで織田信長はここ熊川にて宿をとりました。
麓の得法寺には信長に従軍した徳川家康が宿泊したようです。
「家康腰掛の松」が存在してます。写真は撮り忘れました・・。

熊川城は若狭の中世土豪の城の姿をよく遺していますね。

前回の若狭・石山城は記事がほぼバス停の案内内容になってしまいました・・。
そんな不甲斐ない前記事の挽回に値する記事にしよう、と思っていたのですが・・。
結局、後で「やっぱり堀切を確認しに行けばよかった・・」と後悔しきりです。(素材がない・・)

次の予定のダムカードの配布時間が気になってしまい、もっとじっくり見学したかった・・(ノ_<)。
あと、イモリに吸い込まれすぎましたか(笑)。
(結局言い訳で~す)

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若狭 石山城 🏯若狭武田氏四老・武藤氏の居城

若狭 石山城 (福井県大飯郡おおい町石山)

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その6】
-武藤氏居城・石山城を訪ねて-

若狭武田氏四老、と呼ばれる四人の家老衆の居城をめぐっています。
これまで見学できた城は3つ。

粟屋越中守勝久国吉城
内藤筑前守重政天ヶ城
逸見駿河守昌経高浜城

そして四老の内、残る1人、武藤上野介友益の居城(と伝わる)石山城を目指します。

w-isiyama (1)石山城は街道を見下ろす丘陵上に築かれています。

友益は周辺の佐分利郷十七カ村を領し「佐分利殿」と称された有力在地国人でした。
信長による元亀元年(1570)の越前攻めは当初、この武藤氏を攻める、という名目での出馬でした。
途中で馬首を越前に転じての越前攻めとなった話しは有名ですね。

・・一体、武藤のともちゃんは信長に付け入れられる何をしでかしたのでしょうか?
大変興味があるところではございます・・。

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おや?バス停に説明版?見つけれた自分は超ラッキーかも!(*´∇`)

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なかなか詳しい説明版なので、どアップして掲載します。

四老といっても決して一枚岩ではなかった若狭武田氏家臣団。
それぞれの独立色が強く、主従関係はおろか、家臣団同士でのいさかいも多かったようで。
その辺が信長に突っ込まれる隙となったのでしょうね・・。

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石山城は目の前!、さ、行きましょう・・と思っていたら・・。

地元の方に登り口を聞いたところ、
「この時期は入れませんわ」との一言。
詳しくは聞きませんでしたが、おそらく茸山なのでしょう。

・・ということでまさかの未踏記事になってしまいました。
本当にすみません・・。笑って許していただきたいものです。
時期をみてまたの機会とさせていただきます。(必ず行きますから!)

引っ張った末のこの結末、某深夜TV番組の無意味なダマシ編集の如きです。
やじられても甘んじてお受けいたしますが、その代わりと言ってはなんですが・・、
別の山城を訪ねる時間ができたので、行って来ました。

次回はそちらの記事を紹介して、今回分を「チャラにしてしまおう作戦」をとります。
いえ、・・取らさせていただきます。はい。

若狭 高浜城 🏯若狭湾に突き出した水軍仕様の平山城

若狭 高浜城 (福井県大飯郡高浜町事代・城山公園)

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その5】
-逸見氏居城・高浜城を訪ねて-

♪今は~ もう秋~ 誰も~ いないう~み~・・・(^^♪
・・と、のっけからトワ・エ・モワのヒット曲が見事にピッタリな海水浴場に到着。
この歌詞の光景通りなのに、歌を唄うのが似合わない私めでございます。

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その名も「城山海水浴場」です。

まず最初に言いたくて仕方がないのは、こちらは、そう!、
(夏なら)海水浴と城歩きがセットで楽しめる夢のような場所なんです。
「海パンで行ける城」、いかがでしょうか?

w-takahama (12)海に突き出した高浜城を海岸から眺めます。

さて、城に登る前にこちら、名勝で有名な高浜八穴(たかはまやな)をご紹介します。
海水の浸食によって形成された若狭湾独特の隠れスポットです。
特に下の写真の明鏡洞はなんとも言葉にしがたい風雅な奇岩です。

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w-takahama (11)将軍・足利義満も何度か立ち寄ったという明鏡洞。

自分は今回、高浜城に来たのですが、この美しさにとても感銘をうけました。
冒頭で眺めた高浜城の姿とこの写真の立ち位置は同じ場所から撮影しています。
高浜城は自然美豊かな風光明媚な場所に位置していることをお伝えしたくて・・。

w-takahama (1)城山公園の駐車所にある説明版です。

高浜城は永禄8年(1565年)、逸見昌経によって築かれました。
永禄4年(1561年)守護武田氏に反逆した昌経は砕導山城(さいちやまじょう)に籠もるも落城します。
後日、再起を図る昌経は高浜城を築き新たに本拠としました。

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高浜市南部の式内佐伎治神社背後の山にある砕導山城。
(今回未登です。機会があったら次回は登ります)

織田信長の勢力が若狭に伸びるとこれを迎え越前侵攻に従います。
高浜城には湾内に水軍も擁していました。
内藤氏同様、海上よりの越前攻めに協力したようです。

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空堀を利用したと思われる公園内の通路。

高浜城は現在、城山公園となっており、公園工事に伴い遺構は旧態をとどめていません。
切通された堀切道ですが、当時の規模がどの程度のものだったかは不明です。

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本丸の説明版とその背後の主郭櫓台址。

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主郭部からは湾内の様子も伺えました。

w-takahama (8)そして石碑で~す(^-^)/。

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主郭部からは下の碁石ヶ浜へ降りることができます。

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絶壁の岩場に打ち寄せる波、海からの風が気持ち良かったです。

w-takahama (10)もう一つの半島、出城、といわれる天王山にも登ってみます。

さきほどの明鏡洞はこの半島山の下にあります。
軍船を格納する湾として波も少なく、絶好の空間になります。
昌経の目の付け所はなかなかのものですね。

w-takahama (6)腰曲輪に囲まれた出城の主郭部を見上げます。

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のぞき込むとそこは絶壁!怖~い、でも、すご~い!w( ̄o ̄)w

海に突き出た2つの半島上を巧みに利用した縄張りです。
平山城でもあり水城でもあるユニークかつ実戦向きな城といえましょう。
城址からの海原の眺めはどこをとってもすばらしいものがあります。

どちらかというと城探索よりも観光気分での散策が楽しい城でした。
釣り人の竿先の動きに見入ったり、出入りする漁船をいつまでも眺めたり・・。
明鏡洞に見とれたり・・。

もう夏のビーチはここで決まりですね。

若狭武田氏、四老の一人、逸見昌経の居城、高浜城でした。

若狭 天ヶ城 🏯小浜湾に睨みをきかす重臣・内藤氏の居城

若狭 天ヶ城 (福井県小浜市福谷・天ヶ城山)

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その4】
-内藤氏居城・天ヶ城を訪ねて-

今回訪れた城は若狭武田氏の重臣・内藤氏の居城と伝わる天ヶ城です。
内藤氏は武田氏から若狭守護代や小浜代官などに任じられた重臣です。
代々「筑前守」の官途を名乗った内藤筑前守系が天ヶ城を居城としたと伝わります。

tennga (14)湾内を出港する船を送り出している天ヶ城。

若狭湾の中でも周囲を陸地で囲まれた小浜湾はとても穏やかです。
そしてとても美しいです。海原をいく船の引き波がまたいい味を出してくれます。
そんな美しい小浜湾を抱えるような目線に位置する山が天ヶ城山。

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標高266mは比高が約260mでもあります。

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福谷口からの天ヶ城の登り口を選択します。

天ヶ城への登り口は尾根ごとにいろいろあるようです。
羽賀の羽賀寺から登るコースか、今回の福谷からのコースが手頃でしょう・・。
・・と地元のおじちゃんから教わりました。

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ダート林道を行き止まりまで行ったら広場に駐車して登城です。

なんだかこのコースは四駆向きです、心なしか相棒も楽しそうです。

tennga (2) ロープを伝って急斜面を登ります。

足がずり落ちてしまいそうな急斜面でした。
整備された登城コースもいいですが、このようなワイルドコース、ワクワクします。
攻めてる感あっていいですね。

tennga (3)
途中で振り返ると、小浜湾が見えてきます。

tennga (4)尾根をざっくり遮断する大堀切。(゚△゚;ノ)ノ

二重堀切となっているのですが、当然、フレームに収まりません。
上の写真の堀切が連続で2条もある、と思っていただければ結構です。
曲輪側との高低差は15mくらいありそうな大きな堀切でした。

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本丸主郭部に到着しました。

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細長い尾根を削平した曲輪が続いています。

tennga (5)天ヶ城(てんがじょう)を「天下城」と表現ですね。

内藤家は佐渡守系、筑前守系、下総守系、と3家に分家していたようです。
通説では惣領家は恐らく佐渡守系であったといわれています。
天ヶ城は武田四老の一人、内藤重政(勝行とも) の居城と伝わります。

天正三年(1575)の越前一向一揆討伐戦には織田方として参戦。
海上より攻撃を加える若狭衆に名を連ねて活躍します。
当時の織田軍にあって日本海側の貴重な水軍勢力だったのではないでしょうか。

tennga (7)頂上からは小浜城と後瀬山城が確認できます。

見渡せば若狭水軍が出撃していく様が想像できそうです。
上りも下りも非常にキツイ山城でしたが、楽しく、見応えある山城でした。
そして、麓の小浜湾の景観は本当に美しかったです。

粟屋氏と内藤氏に触れ、残る武田氏四老衆の2城も見ていきましょう。

若狭 小浜城 🏯小浜湾の三角洲に築かれた近世海城

若狭 小浜城 (福井県小浜市城内・小浜神社) <県指定史跡>

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その3】
-若狭の近世城郭・小浜城を訪ねて-

若狭という国は日本海に面した東西に細長い形をしています。
面積も旧国名の中では和泉国に並ぶ最小クラスなのではないでしょうか?
(・・調べてませんがね)

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小浜の港でお弁当タイムです。

今回は若狭守護・武田氏とその被官国人衆の・・というテーマからちょっと外れます。
若狭といったら近世城郭はここ小浜城が有名です。
後瀬山城まで来たので寄って見学していきましょう。

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本丸跡に藩祖である酒井忠勝を祀る小浜神社が建立されています。

意外にも神社の駐車場がなく、軽自動車で神社路肩に駐車してしまいました。
ですので見学時間、限定15分というタイムツアーになりました・・。
一眼を抱えてあちこちダッシュしている姿は、まるで怪しい戦場カメラマンです。

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まずはいきなり天守址へ向かいます。(時間がない!ヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3)

小浜城は江戸時代初期、京極氏によって海と河川を取り込んで築かれた海城であります。
不便な山上の後瀬山城にかえて京極高次の代に着工されました。
2代にわたって普請工事が行われますが、完成を見ずして京極氏は出雲・松江に転封されました。

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替わって入封した酒井氏が大幅に城の縄張を変更し、本丸天守を造営。
幕府大工頭・中井正純が三重三階の天守を設計しました。
8年後の1642年に小浜城は竣工し、以降、若狭酒井氏の居城として明治を迎えます。

w-obama (1)内側から見た天守台。なかなかです。

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小浜城天守台に上がってみました。

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民家がすぐ足下まで迫っていますので見学しずらい所はありますね。

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なるべく民家の敷地に入らないようにしたいのですが、お許しを・・。

w-obama (9)見事な算木積の天守台石垣はどっしりとした安定感があります。
(広角レンズってこういう時はホントに面白いレンズですね~。)



ここにも寄ってきました。

小浜の雲城水 【平成の名水百選】 (福井県小浜市一番町 )

小浜漁港横の雲城公園内に自噴する湧き水です。
環境省が選定する平成の名水百選にも選ばれています。

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湧き出る水は1年を通して13℃前後に保たれ、水を汲みに来る地元の人々で賑わっていました。

w-obama (12)雲城水、というようにお城と関係があるようです。

小浜城は北川と南川に挟まれた中州に築城されました。
「雲の浜」と呼ばれて、雲浜城の別名を持ち、この別名から雲城水と名付けれたそうです。
とってもなめらかで、のど越しのよい、おいしい水でしたよ。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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