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紀伊 中野城 🏯対信長最前線が逆に信長軍本陣に

紀伊 中野城 (和歌山県和歌山市中野)

nakanokii (1)

天正5年(1577年)織田信長の雑賀攻めにて中野城は雑賀党の最前線となりました。
しかし、信長軍の大軍の前には長く持ちこたえることができませんでした。
落城し、逆に雑賀党に対する織田方の陣として中野城は利用されました。

どうやら、中野城は嫡男の織田信忠に任されたようです。

貴志南小学校の南側一帯に築かれていた中野城ですが・・。
現在では民家の前に標柱と案内板が設置されているのみです。
この民家の土台となっている石垣は城の遺構と伝えられ、その前の部分がかつての堀でした。

nakanokii (2)中野城の石垣と伝わる遺構と空堀の僅かな現況です。

やや想像力を要しますが住宅街の平城の避けられない姿でしょう。

さて、長かったようで短かった今回の西紀伊の城めぐり。
記事もひとまずこの中野城にて幕引きです。
まだまだ訪問したい城址もありましたがまたの機会とします。

和歌山県の代表的な城郭は東紀州の城と合わせ、ほぼほぼ訪問できましたかね?
いやいや、22城ではまだまだですね~。

そして紀州を舞台として活躍した武将たち。
彼らそれぞれの生き様と少しですが繋がった感ができました。



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紀伊 太田城 🏯秀吉による太田城水攻めの舞台となった城

紀伊 太田城 (和歌山県和歌山市太田・来迎寺)
移築・太田城大門 (和歌山県和歌山市橋向丁・大立寺) <市指定史跡>

「日本三大水攻め」のひとつに数えられている太田城を訪ねました。
この城は羽柴秀吉による太田城水攻めの舞台として知られています。
備中高松城、武蔵忍城と比べると知名度が低いのも致し方ありませんが・・。

個人的には「四大水攻め」としてもらって「竹鼻城の水攻め」を加えていただきたいものです。
(ひたすら美濃出身者のわがまま)

IMG_6510.jpg
本丸跡にある来迎寺境内に城址碑、説明版があります。

IMG_6513.jpg来迎寺の太田城石碑。

延徳年間に国造俊連が築き、戦国時代に太田源太夫により修築されました。
織田信長が雑賀を攻めると太田衆はその先導を勤めます。
雑賀衆は太田城を攻めますが、守りの堅い太田城を攻略できずに和議となりました。

羽柴秀吉の紀州攻めでは根来寺などを落とした秀吉軍が太田城に来襲します。
太田党は紀ノ川を渡岸しようとした所を弓・鉄砲で迎撃するなど頑強に抵抗しました。
秀吉は容易に落ちない堅城とみて、水攻めによる攻略を実行し、約一ヶ月の籠城戦で落とします。

IMG_3620.jpg来迎寺の山門脇には説明案内板もあります。

IMG_3619.jpg

IMG_3618.jpg
水責めの戦いで亡くなった方々を弔い、埋葬したといわれる小山塚です。

現在来迎寺の北部に移転された塚です。
花が供えらえてひっそりとしていました。
籠城1ヶ月余り、疲れ果てた太田一族は自刃し、城を開城しました。

IMG_3615.jpg
建物の遺構として大立寺には太田城の大門が移築されて現存しています。

見る影もなくなった太田城址ですがエピソードがいろいろ伝わる奥深い城址です。
紀伊国内の行く末はここ太田衆、雑賀衆、根来衆、といった勢力らの動向如何でありました。
・・あ、あと湯川党さんたちでしたね。(失礼いたしました)



紀伊 和歌山城 🏯紀州徳川氏により「南海の鎮(しずめ)」へ発展

紀伊 和歌山城 (和歌山県和歌山市一番丁・和歌山城公園) 
《国指定史跡》 【日本100名城】

wakayama (3)登城前夜、ライトアップされた天守閣を見上げて。(美しかった・・)

「和歌山県の城ってどこ知ってる?」

自分の身の周りの人々に聞いてみたことがあります。
某SLGの野望シリーズで遊んでいる長男、町内会の旅行好きなおっちゃん、
中にはある程度の城の知識のある方もみえましたが・・。・・さて、いかがでしょうか。

和歌山城でしょ・・、それから・・、・・う~ん・・、うん?」(既に手詰まり・・)

意地悪質問でもないですし、返答に期待したわけでもありません。
和歌山県在住の皆様には本当に申し訳なきことですが、他県ではこれが実情です。
後にも先にも和歌山城こそが無二の代表城、といってしまっていいのでしょう。
(新宮城とかが出てこれば大したもの)

今回はそんな(どんな?)和歌山城を手短ではございますが歩いてきました。

wakayama (2)まず押さえておきたいのは石碑です。(意外と地味な場所にあり)

wakayama (14)
横目地(石の横方向への継ぎ目)がきれいに通った石垣もあれば・・。

waka22 (3)
緑泥片岩を使用した割石による野面積もあり・・。

wakayama (13)
いろいろミックスされた石垣群などの折り重なりが面白いです。

waka22 (1)
本丸の下段の石垣は巨大な根石が算木積されて堂々とした迫力があります。

wakayama (8)見上げた二の門櫓。野面積の脚線美に足が止まりました。

wakayama (7)
天守曲輪に到着。100名城スタンプは右下の受付場でいただきです。

wakayama (6)
天守二の門から入城で~す。

wakayama (9)
北西角部の乾櫓。直下には西の丸と砂の丸が見おろせます。

wakayama (10)
小天守と乾櫓を多聞櫓で結びます。

wakayama (11)
小天守からの頭上攻撃も想定されますが、ちょっとお洒落なデザインです。

wakayama (12)妻壁には銅板張が※青海波模様となってやっぱりお洒落ッス。

※青海波(せいがいは)模様とは・・
青海波は、広い海がもたらす恩恵を感じさせる柄です。
無限に広がる波の文様に未来永劫の人々の平安な暮らしへの願いが込められた縁起の良い柄です。

wakayama (5)本丸から見た和歌山城天守。

天守は三重三層。
一重目屋根に比翼入母屋破風、二重目屋根に唐破風、
最上階に廻縁と高欄を設けて、とてもバランスのよい雅な外観ですね。

ちなみに現在の天守は復興天守です。
昭和10年(1935)国宝に指定されましたが、後、空襲により灰塵に。
それ以前にも落雷による焼失もありました。

wakayama (1)西の丸から見上げた天守はまさに闇に浮かび上がった城、といった感じでした。
(夜の写真はムズカシイ・・)

紀伊 弥勒寺山城 🏯秋葉山合戦の舞台となった雑賀党の城

紀伊 弥勒寺山城 (和歌山県和歌山市秋葉町・弥勒寺山)

雑賀城の北へ1kmほどの秋葉山山頂一体に弥勒寺山城がありました。
織田信長が石山本願寺を攻めた際に、雑賀孫一は応援を求めてきた顕如上人に応じます。
孫一らは顕如上人を弥勒寺山城に籠らせ、当地を本陣としました。

mirokuji (13)和歌山城から見据える秋葉山・弥勒寺山城址

mirokuji (2)
国道42号線から秋葉山中腹にある県営プール脇から登れます。

車でしたらここの駐車場をお借りできるのですが・・。
早朝ですと開園していませんので麓のどこかで探さないといけません。
結構な急坂になりますので、体力を試すには丁度いいようです。

mirokuji (1)登り口には弥勒寺山と顕如上人旧蹟の石碑があります。

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こんな滑り台もあったりします。景色が良かったので一枚。

mirokuji (9)頂上の弥勒寺山案内板とその背後は高台となっています。

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ピークにある顕如上人桌錫所(たくしゃくしょ)の碑。

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雑賀川の川底におけツボを沈め、川原には柵や逆茂木を並べて備えていた雑賀衆でした。
そこへ信長方による総攻撃があるも、川底に足を取られて前身できない状況に。
進退窮まり、標的となったところに雑賀スナイパーたちの鉄砲が一斉に火を噴きます。

大混乱に陥った信長軍は退却せざるを得ませんでした。

mirokuji (11)
頂上一帯はほぼ公園となっていて、めぼしい遺構は見当たりません。

現在は公園として遊具や展望台が設置され城址の面影はほぼ感じられません。
周囲の景色を一望できるような展望台があります。
眺望から当時を様相を想像して見る他ありませんね・・。

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展望台に登ってみました。

mirokuji (8)おっと・・、和歌山城が見えますね。

mirokuji (10)反対方向には妙見山・雑賀城もすぐそこです。

その他、ここからは峰続きの諸砦や周囲の多くの城砦も見渡せます。
雑賀衆の城は遺構こそあまり残っていませんが、点在する拠点がまとまって
一つの大城郭をなしていたのではないでしょうか?

雑賀城と弥勒寺山城を中心として各砦が連携して織田軍を翻弄する。
そんな神出鬼没な作戦を実行するための城砦群であったのでは・・。
当時に想いを寄せてみて、そう解釈して下山しました。



紀伊 雑賀城 🏯鈴木佐太夫・雑賀孫一(鈴木重秀)ゆかりの山塞

紀伊 雑賀城 (和歌山県和歌山市和歌浦中2丁目・城跡山公園)

熊野八咫烏の陣羽織、肩に立てかけた愛用銃「愛山護法」、
ゲリラ戦で信長を狙いすまし、窮地に追い込んだ、雑賀鉄砲集団の首領・・。
そんなイメージが自分の中の雑賀孫一こと鈴木重秀の姿です。

雑賀城はそんな孫一と父・佐太夫の拠った史跡の一つに挙げられた拠点です。
ところが、孫一が拠点とした城、というのは実は特定ができません。
ゲリラ戦法を得意としていた彼らに防御施設の城など無用だったのかもしれません。

saigajyo (10)「妙見山城」とも呼ばれ、雑賀城といわれる丘。

雑賀城(妙見山城)は養珠寺の背後にある丘に築かれています。
寺は徳川頼宣の母養珠院の位牌を安置するために建立されました。
城の丘はさほど高くなく、周囲の山々より低いくらいです。

saigajyo (9)南の麓、セブンイレブンさんから見ると城址らしい姿です。

saigajyo (6)麓の津屋公園内にある雑賀城に関する案内板。

丘の南端部にある妙見堂から北の千畳敷と呼ばれる城跡山公園一帯が城域です。
5分もあれば頂上に到着できます。
駐車場は養珠寺さんにお借りしました。

saigajyo (7)・・こ、これだけ?(´・_・`)

末尾にちらっと記される雑賀城の説明。
これだけでは説明になっていませんが、雑賀城を「ここだ」と特定している自信が良い。
先ずは登ってみます。

saigajyo (5)
頂上手前の様子。鳥居が朝日を浴びています。

この鳥居の向いている方向を地図上から線を引くと・・、
なんと熊野本宮社に行きつくとか・・。(確かにそのようです)
雑賀衆の掲げる八咫烏の旗指物も、ここに関係しているんですね。

saigajyo (3)
頂上には妙見大菩薩のお堂があります。

saigajyo (2)

saigajyo (4)
それほど広いとは言えない頂上部です。

城の遺構らしきものは、正直あまり見当たりません。
妙見山の頂上周囲の斜面が切り削られているぐらいです。
あとは千畳敷の角に物見岩があったかどうか、ぐらいのものです。

saigajyo (1)千畳敷からみる今一つの拠点、秋葉山の弥勒寺山城。

雑賀城は明確な遺構が残っておらず、古城跡の面影はほとんど見られません。
ここでは雑賀孫一らが織田軍の足跡を感じ取り、その虚を突く奇襲作戦を練った場所、
・・そう考える方が自然で、なんだかそれだけで楽しくなってきます。

saigajyo (8)
雑賀城下を流れる和歌浦川も外郭防衛として利用されたようです。

・・さて、帰りに養珠寺の方から大変興味深いお話を伺うことができました。

雑賀鉄砲衆の狙撃型連射方式「雑賀撃ち」についてです。
考案したのは雑賀孫一らしいのですが、一体どんな射法なのでしょう?
織田信長による長篠・設楽原の合戦における「三段撃ち」は有名ですよね。

「雑賀撃ち」なるものはこうです・・。

一人の鉄砲の達人に後ろから発射用意できた銃を次々と渡して撃っていく手法です。
複数の一流スナイパーたちが狙った敵を確実に討ち抜いていく・・、脅威的です。
紀州において織田軍の有能な将士が次々と命を落とした一因はここにあるのかもしませんね。
原田(塙)直政は落命、信長自身も深手を負います)

saigajyo1.jpg 熊野本宮社の八咫烏石紋。

※「雑賀撃ち」とは私的に使用した表現であって一般的な呼び名ではありません。



 
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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