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美濃 天王山城 🏯霊山・天王山山上の絶景城郭

美濃 天王山城 (岐阜県美濃市大矢田・天王山)

年末から遠征が重なり、薄い内容ながらも律義に記事にしてしまいました。
どの城も印象深く、また一緒に同行していただいた城友さんとの楽しい思い出・・。
成人を迎えた長男の晴れ姿・・、流し目して先には進めなかったからです。

その間、地元周辺の山城にも足を運んでみました。
広大な城でなくとも、感じる心さえあればどんな小さな城でも感動があります。
今回は久しぶりに地元・美濃からの愛すべき山城レポートを発信したいと思っております。

その名も名称がカッコいい「天王山城」です。

tennou (1)大矢田神社背後の天王山頂上一帯が城址です。

秋になると大矢田神社の紅葉はその美しさでとても賑わいます。
自分も家族を連れて、もみじ鑑賞と名物の田楽を食べに来たこともありました。
また室町時代から伝わるという大矢田神社のひんここ祭りも有名です。

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大矢田神社の楼門を見学していきます。

tennou (3)
神社の中にも仏教式の素晴しい門が残っています。

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山を登る前に長~い階段にて本殿まで歩みます。

創建は養老2年(716)、天王山禅定寺として泰澄大師がこの地に開基しました。
祠はその一部となり、牛頭天王として習合されます。
天王山の名も、大矢田神社の祭神、牛頭天王に由来しています。

tennou (5)
大矢田だけに、弓矢です。・・か?(無知です)

tennou (6)
拝殿の前を抜け、本殿の東側脇から山頂に向かいます。

tennou (8)
楓の滝に到着。

「楓の滝」あり、「どんびき岩」なる奇岩あり、大モミジあり、と飽きることないトレッキング。
欲を言えば、本当は紅葉全盛の時に来れたら絵的に良かったのですが・・。
縄張り図作成をするには人の気が少ない真冬の時期の方が落ち着きますので・・。

tennou (12)
山頂手前の尾根に到着。

ここで天王山方面と誕生山方面へと分岐します。
先ずは天王山頂上に向かいます。
・・ここでネタばらししちゃいますが、実は主郭部は山頂にはありません。

tennou (20)
山頂部手前の土橋っぽい横には・・。

tennou (17)片堀切ですがざっくりとえぐれています。

tennou (18)天王山頂上です。

山頂部は平地は残るものの、岩盤があちこちで露出しています。
明瞭な切岸も認められず、堀切を除けばあまり手を加えられた様子がありません。
しかしながら、ここ頂上からの眺望は本当に見事でした。

tennou (9)どこまでも重なり合う美濃の山並みです。

冬の澄んだ空気に折り重なる山々は何ともいいものです。
この地が『美濃』の表記されるようになった理由がおのずととわかる気がします。
城址に来ているのに、散策そっちのけで景色を楽しんでしまいます(笑)。

tennou (16)美しい野です、美濃・・ですねぇ∠( ^ o ^ ┐)┐。

tennou (19)
遠くに木曽の御嶽山もよく見えました。

・・そろそろ主郭部の遺構へ行ってみましょうか。
先程の尾根分岐点から誕生山方面へと向かいます。
頂上からみて東側の尾根に展開しています。

tennou (14)
櫓台のような土壇があります。

tennou (15)主郭部の曲輪の様子。一部石垣も見られます。

石垣は或いは石積み、と表現したほうが適切かもしれません。
いわゆる土留め用程度のもので、個々の石の大きさも小さいチャート状のものです。
東西に細長い曲輪ですが東側端部には土塁も見られ、その先には大堀切へと連なります。

tennou (13)深さ5m程の大堀切が遮断します。見た目薬研堀ですね。

天王山城は頂上部を含み、3つの山頂部を利用して構築されています。
主郭部が、一番眺望が優れ要害性のあるはずの頂上(鞍部に堀があるのみ)ではなく、
東尾根先端部に主郭部が置かれたワケとはなんでしょう??・・。

いろいろな理由が考えられます。

①、頂上一帯が岩盤地面で作事普請しずらかった・・。
②、山頂部は神宿る霊山の聖域として最小限の普請に留めた・・。
③、大桑城から見た東の出城として東方面の連絡重視をした・・。
④、飛騨方面・或いは郡上郡方面からの攻撃に備えた・・。

・・などでしょうか?
今回は作製した図面を掲載したいと思います。

tennousai.jpg3つのピークからなる天王山城です。

天王山城の城主としては後藤正元・正長(正元の次男)の名があがっています。
正長は天文11年(1542)大桑城にて土岐頼芸斎藤道三が戦った際、土岐方に属したようです。
大桑城とは位置関係的にも本城・支城関係にあったのかもしれません。

山頂からの景色が素晴らしいので眺望写真ばかりになってしまいました。
登山途中にも何人かのハイキングの方ともすれ違いましたし、やはり人気スポットのようです。
頂上でお話しさせていただいた方の中には、なんと毎日!登られているという方も。・・尊敬。

城址見学だけでなく縦走ハイキングも楽しめそうな天王山城でした。


Ⓢは大矢田神社の登山者用駐車場をお借りしました。
Ⓖは山頂東尾根にある天王山城の主郭部。登山時間は登り50分ぐらいみます。
結構ハードですが、モミジや滝を鑑賞しながらゆっくり登れば亦楽しからずや。
頂上からの絶景が疲れを吹き飛ばします。

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美濃 片知城 🏯渓谷間を立ち塞ぐ身元不明の山城

美濃 片知城 (岐阜県美濃市片知谷戸・城山)

暖冬といわれるこの冬もさすがに冷え込んでまいりました。
受験生を持つ親としても健康には充分気をつけたい今日この頃です。
さて、自分の体調管理の秘訣は「よく走り、よく食べ、よく眠ること」、です。

そして、「よく城に行くこと」、これです!

結局これが言いたいんじゃないの?と突っ込まれそうですが・・。
自分の好きなことに没頭できる時間というのは大切にしたいものです。
でも何事も程々に、という言葉もございまして、腹八分目がよろしいかと。

「腹八分目」、これも体調管理の秘訣かもしれませんね。

そんな折、出かけたのは美濃国のど真ん中、美濃市にある片知城です。
地図でみると丁度美濃地方の中心地にあるようですよ。(岐阜城は意外と西濃寄りなのです)
かなり高い山の上にある遺構なので先ずは登ることから始まります。

Mkataji (2)聳え立つ城山を板取川対岸から仰ぎ見ます。

標高約400m、比高340mの山城としては比較的高所の城山。
片知川と板取川の合流する地点に城は築かれました。
小野城、鉈尾山城、天王山城、等‥、美濃市の山城はどれも標高が高いのです。

Mkataji0.jpg
城山は国道沿いの「自由の女神」が目印!

写真では丁度、女神の掲げた松明(トーチ)の先っちょになるように撮影しました。
そう、右手に掲げているのは松明なんです。
ちなみに左手に持っているのは「アメリカ合衆国独立宣言」です。‥豆知識!

個人的にはこの地、かつて子供たちが所属していたミニバスケチームの合宿でよく来ました。
この先を右に入った片知渓谷で毎年のように川遊びを楽しみました。
懐かしさが込み上げ、しばし思い出にふけりながらの城めぐりです。

・・と、その前に、愛車と林道遊び・・。
Mkataji (1)
板取川沿いの岩盤切通し道。

この辺りは高い山々と深い谷が織りなす岩盤地形となっています。
岩から染み出た川の水は透明度が高く、非常にきれいなんです。
付近には見事な鹿垣もみられ、昔からの、石との関わり合いが感じられます。

Mkataji (3) 付近には落石防止処置があちこちに。

Mkataji (4)
林業仕事に使われるレール沿いに登って行きます。

途中までですがこのレールに沿って登って行けます。(あくまで途中まで・・)
先程の美濃市の山城たちの中ではここ片知城だけが登山道整備されていません。
したがって尾根道直登が一番の安全かつ最短コースになります。

ヤブ漕ぎですが・・。

Mkataji (5)
麓からゆっくり登って40分ほどで尾根の堀切が現れます。(汗ダックダク!)

中央に土橋がつき、両端は竪堀となっています。
主郭部とはやや離れた所に備えてあります。
主郭部へはさらに標高40mほど登ります。

Mkataji (8)本丸は楕円形の形で20m×30m程。

南側は端部が崩れてはいるものの、頂部はよく削平されています。

Mkataji (9)
城址碑かと思いきや、基本測量柱と掘り返されたような謎の石碑。

Mkataji (10)
本丸東から北、西の面にかけては鋭い切岸がかかっています。

本丸の下は周囲を腰曲輪と犬走りで囲ってあり、1周できるようになっています。
北へ延びる尾根には70m程もある直線の平場が見られ、その先を堀切で画しています。
また、西側尾根には3段の明瞭な曲輪が確認できます。

Mkataji (16)山頂からの眺望。

木々の枝に阻まれて隙間からチラチラとみえる麓の様子です。
写真の左側に見える高い山が鉈尾山城で、右側の木と被っている低山が小倉山城です。
眺望は阻まれますがやや西へ同じくらいの距離の所に天王山城も見えるハズ・・。
(しかし、思えば高い所に来たもんだ・・)

Mkataji (15)
主郭部周囲には一部石垣か??

自然石の重なりか、石積か、微妙なジャッジです・・。
上の写真は自然石の重なりに若干、人力による手を加えた形跡を感じました。
必要最低限の労力で、「石垣」に見立てたような・・。

Mkataji (14)何となく崩れた石垣のようにも見えてしまいますが・・。

矢穴とかが確認できませんし、乱雑なので、おそらく自然石なのでしょう。
しかし、普請中に出土した石を積み重ねたようにも見えなくもありませんでした。
それは石が折り重なった場所が集中しているからです。

こういった例はお隣の鉈尾山城にも見られました。(出来栄えは鉈尾山城に軍配)

片知城は築城年代や城主の伝承など不明な点が多い山城です。
しかし、鉈尾山城とよく似た縄張り遺構がみられることから、
何かしらの関係性はあったことは推測できそうです。

鉈尾山城のみならず、天王山城、小野城、加治田城・・。
遺構パーツごとに少しづつ似た遺構が見られるのも見学すると感じます。
大桑城(山県郡美山町・高富町)から東に展開する山城ネットワークにも注目したいところです。



Ⓢには渓流釣りシーズン用の駐車スペースがありお借りしました。
Ⓖが主郭部。Ⓢから尾根沿いにゆっくり休憩付きで50分ぐらいでしょうか。


鉈尾山城へ登ってみました

鉈尾山城(岐阜県美濃市曽代・古城山)<美濃市指定史跡>▲437m

「鉈一丁にて何千騎にても防ぎ申す」

・・とは『上有知旧事紀』に書かれた鉈尾山城の要害ぶりを表現した一文です。

なんとたいした自信でしょうか。えらく挑発的な態度ともとれます。
・・これは実際確かめに行ってみるしかありませんね(そうでなくとも登りますが・・)。

美濃市内から東北の古城山山頂部が城址です。
なんとなく城のある山というのは独特のオーラをまとっているものですがこの古城山も
そんな雰囲気のある無骨な山です。それにしても高い山です。

あの山登るのか・・えらそうだな・・(´・_・`)
というのが最初の印象でしたが、後述しますが実に歩きやすい山だったのです。

IMG_7466.jpg美濃市運動公園から見た鉈尾山城

美濃市運動公園の駐車場をお借りして登城します。
案内板には山頂へのルートとして、毛鹿洞からの南ルートと、弓道場横からの北ルートが
示されています。行きと帰りをそれぞれ通っていくのもいいかもしれません。
今回自分は行きを南尾根から登ってみました。

IMG_7468.jpg運動公園内の古城山遊歩道案内板

遊歩道は非常に整備されていて、とてもなだらか。営林署管理のため森林の手入れも
行き届いています。登山が苦にならない道のりです。これは以外でした。
40分ほどで最初の休憩所がありますが、もうほとんど山頂近くなのでそのまま行きます。
そして・・

おおーっ!(;゜0゜)来ましたー!
最初に現れる石塁(石垣)に超感動します。

IMG_7452.jpg
鉈尾山城大手石垣

IMG_7446.jpg
石垣角部は算木積っぽく見えます。

長年の経過で崩れてはいるものの、かえって古城感をかもしだす石垣です。
逆によくぞ残ってくれてたねーと称賛ものです。

IMG_7447.jpg IMG_7444.jpg
荒々しい野面積み?

そこから2段の曲輪を登り切ると頂上の本丸へ到着します。
東屋がありとても手入れがされています。いままで通ってきた細尾根道を思えば
意外なほど広々とした空間があります。

IMG_7459.jpg鉈尾山城本丸

頂上からの眺めも抜群です。眼下には駐車場に停めた車まで見えますし、かなたには岐阜城もみえます。

IMG_7455.jpg
本丸から美濃市街地方面を俯瞰、絶景です。

さて景色を見ながら汗がひいたところで作図をしながら城内調査といきます。
改めて思いますが南北に細長い尾根山頂を実に上手く活用した縄張りです。
西は急峻さを利用してそぎ落とし、東は腰曲輪を囲わせ備えています。

要は・・守り手は城への侵入口にあたる南北に集中していれば良さそうです。
なるほど・・東西には釣壁を用意しといて登りくる侵入者に倒木や岩石を浴びせれば
一網打尽!ということですかな?

IMG_7465.jpgよく見ると本丸東側下にも石垣が・・

真相はいざ知らず、鉈一丁あれば敵を撃退できる城、という表現は
この鉈尾山城の防御性を実にわかりやすく説明していると思いましたね。

戦国期の城主は佐藤氏で佐藤六左衛門秀方は織田信長の馬廻りとして様々な戦いに参加します。
佐藤氏は武儀郡一帯に5千貫の知行地があったといい、かなりの有力国人であったようです。
本能寺の変前には家督を継いだ織田信忠の与力としてつけられます。

IMG_7462.jpg佐藤氏城址の石碑

秀方は信忠所属の中では森長可(金山城)・斎藤新五郎(加治田城)らと共に東濃・中濃地方の
代表格としての地位にあったようで、着実に信頼と加増を得ていった様子が窺えます。

本能寺の変後は秀吉方につき、信孝側に味方した郡上郡の遠藤氏と対峙し、これを降します。
こうして事績をたどっていくとこの佐藤秀方、とても武勇誉れ高く、時世をみるにも機敏な印象です。

今回の訪城では鉈尾山城の切れ味の鋭さに感動しつつ、城主佐藤秀方の武将としての活躍を
垣間見た気がします。とても勉強になりました。


プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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