FC2ブログ

美濃 松山城 🏯美濃地方最南端に位置する境目の山城

美濃 松山城 (岐阜県海津市南濃町松山・城山)

豊かに実った稲刈りを待つ候、南濃町へとやってきました。
南濃町は付近で栽培されるミカンが南濃みかんとしても有名な地域です。
西と南は三重県境、東も数kmで長良川と木曽川を挟み、愛知県境と接します。

m-matuyama (8)背後には養老山脈の南端山系が控えています。

美濃最南端の山城・松山城は三国国境という稀な位置にあると言えます。
(三国とは、美濃・伊勢・尾張の三国です)
ところで、・・「松山城」というと皆さんはどの松山城を頭に浮かべますか?

恐らくは国宝になった伊予(愛媛県)の松山城ではないでしょうか。(城ファンですね~。)
次は、恐らく備中(岡山県)の松山城でしょうね。(城フリークですね~。)
いやいや、武蔵(埼玉県)の松山城も代表的な土の城郭ですぞ!(城マニアです!)

・・そんなところでしょうか・・。
しかし岐阜県人なら、美濃国人なら、10万人に一人はこう答えるでしょう、
美濃の松山城である!(*`皿´*)ノ・・と

そしてその一人はこう呼ばれるでしょう、城オタクである、・・と。

m-matuyama (7)

・・そんな変態自慢はこのへんにしときまして美濃松山城に向かいます。
まずは山麓最寄りの松山諏訪神社を訪ね、駐車場をお借りします。
本殿の裏には大きなクスノキが覆い被さるように自生しています。

m-matuyama (9)

地形図で確認すると、ここから尾根を直登すれば城山に登れる・・ハズでした・・。
しかし、ここで予想だにしない驚愕すべき事実を目のあたりにします・・。それは・・。
高さ2mの獣除けスチール製ネットに山麓一帯全てが囲まれて入山できないのです。
(写真の掲載は個人所有の物件というとで控えます)

折角の訪問ですが、諦めざるを得ませんか・・。
それでも諦めきれず途方に暮れていると果樹園の関係者の方が見えました。
ここで思い切って無理は承知、ダメで元々で入山許可を嘆願してみます。

入山の目的と事情を伝え、粘り強く交渉してみました。
「そいや、以前にもそんなご仁が見に来たっけな~」 (出ました、10万人の内の一御方)
猿や猪がおるから危ないき、気いつけてな、と有り難い許可をいただきました。感謝です!

その方の作業時間内に下山する、という条件で松山城まで登れることになりました。
本日は一転、なんとラッキーなのでしょう。
噛み締めるように登城していくのでありました。

m-matuyama (10)
全体的に崩落が激しい山です。

山自体が手入れがされていないのもありますが、地盤の地層が弱いのでしょう。
あちこちで、地滑りや崩落の箇所がみられ、城の遺構なのか、判断が難しい箇所もあります。
足元ものように瓦礫のような岩の破片まるけで登山もままなりません。

m-matuyama (4)
石垣等の崩れでなく、軟弱な地盤崩落片と思われます。(ブーツは自分のです)

m-matuyama (1)スロープを伴った郭への進入口。

上の写真は城郭遺構と断定できる最初の遺構だと思われます。
尾根に対して周囲に切岸も付けられ上部の遺構へと連動していきます。

m-matuyama (3)
そして進路を塞ぐ土塁が待ち受け・・

m-matuyama (5)
竪堀へと続く堀切が確認できます。

惜しむらくはかなりの崩落をうけているようで本来の姿が失われているであろう点です。
もちろん、築城の際にはこういった地盤の特徴を踏まえて構築されたものなのでしょう。

m-matuyama (2)
こちらは主郭部へ至るルートに設けられた土橋と空堀の様子です。

大小の岩が荒い土に食い込み掘削の困難さが伝わってくる遺構です。

m-matuyama (11)
そして城山頂部の主郭部に到達したようです。

主郭の奥には高さ1m~2mにもなる大土塁が尾根続き側にあります。
ここの軟かい土質を考慮すれば往時はその倍、4mくらいの高さがあったと推察。
築城者は困難を伴うこの土質を承知の上で手掛けたのでしょうね・・。

m-matuyama (6)
大土塁からは背後の養老山脈を間近に感じられます。

さて、時間内に縄張り図の作成を開始します。
途中、お猿さん達の集団に遭遇、身の危険を感じながら書き上げていきます。
帰宅後、清書し、冴えない彩色をした図がです。(いつも失敗する・・)

m-matuyama3 (3)

m-matuyama (12)
山腹からみる濃尾平野がとても見晴らしよかったです(*^_^*)。

こうして俯瞰すると、西美濃・尾張に対して遮るものなく見渡せる位置にあり
三国境目の山城として絶好の選地であるとしかいいようがありません。
あるいは伊勢方面への出撃も即座に対応可能な前線基地でもあるのです。

m-matuyama1.jpg正面から見ると、高い山脈に周囲を守られているような感です。

実はこの松山城に関する城主や来歴は不明な点が多いのです。
一説には、慶長年間に原長頼が秀吉から知行を受け、在城したのが太田山城といわれ、
後年、彼が関ケ原の戦いに西軍として修復したのが、ここ松山城なのでは?とも伝わります。

原長頼は別名が多く、或いは原政茂の名乗りが有名かもしれません。
太田山城の位置が不明な点からしてこの説とは密接な関係にあるようです。
今後の研究成果も待たれますね。

柴田勝家の与力として、府中三人衆にも劣らない活躍をした原長頼
織田軍にあっては遊撃軍として、金森長近らと各地で転戦した活躍の士です。
彼の業績に対して関連史跡が少ないので、なんとかしてあげたいのですが・・。
(北陸在任中は越前・勝山城に赴任していました)

今は静かに野生動物と共にある美濃の松山城でございました。

※松山城訪問並びに山城の入山に関して。

 今回、自分はたまたま果樹園の関係者様にお会いでき、ご好意で入山の許可をいただきました。
 したがいまして、松山城に関しては現在入山禁止の山となっております。ご注意してください。
 また特に秋の個人所有の入山は山菜やキノコ類等の無断採取者と判断されかねません。
 事情を説明してもトラブルに巻き込まれることも多いようです。
 中には万単位の違反金を現場で要求されることもあるようです。(知人の実話です)
 そうならないためにも充分に注意していただきたいものです。
 基本的には登城前に付近のお住まいの方にお声をかけるのも方法かと思われます。
 熱意と誠実さが伝われば皆さん、聞き届けてくださると思います。
 城に関する思わぬ情報を拝聴できる可能性もありますのでお勧めします。
 とにかく無断と無理は禁物、時期をずらすのも方法と考えましょう。

 以上です。

スポンサーサイト

今尾城 🏯小学校校門が城門に感じる・・

今尾城(岐阜県海津市平田町今尾)
もし自分の通っていた母校が城址だったら・・なんて、それだけで誇らしいじゃないですか?
校歌に盛り込まれてたりして。毎日が登校ならぬ登城?だったりして(妄想中)。

IMG_7391.jpg
引き城門のような格式ある校門です。

IMG_7394.jpg IMG_7400.jpg
この今尾城は室町時代末期に美濃の守護代斉藤氏の配下・中島三郎太夫重長によって建てられたものです。
江戸時代には尾張藩の管轄となり尾張藩附家老・竹腰氏の居城となりました。(写真:左)

関ケ原の戦いでは今尾城主市橋長勝が東軍に加わり、松ノ木城の徳永寿昌らとともに福束城の丸毛兼利や
高須城の高木盛兼を攻め東軍の勝利に貢献しました。(写真:右)

平日の授業のある日でしたので先生に見学の許可をいただきました。ちょっと緊張しますね。
マナーですが決して不審者ではありません的なアピールも大切ですね。

IMG_7402.jpg
シンボルの大エノキ。とても枝振りのいい立派なエノキです。
時代を見てきた、子供たちを見守ってきた、そんな存在感です。

IMG_7403.jpg
うん。城址碑もきれいに大切にされていますね。由来石碑が重みあります。

IMG_7406.jpg IMG_7405.jpg
城の土塁の一部とされていて唯一の遺構と見られますが・・。・・よくわかりませんね。

IMG_7408.jpg IMG_7407.jpg
今尾小学校の南東、西願寺の山門には今尾城の城門が移築されています。

大きなショッピングセンターもなく商店街ものどかな今尾集落。のんびり歩けて気持ち良かったです。

美濃最南端の城・高須城の散策

高須城(岐阜県海津郡海津町高須)
海津郡に入るとまず目に入ってくるのは河原石で積み上げられた石段と高壇。
そしてその上には水屋や倉も上げられています。水難を避けるための施設です。
昔から洪水とのあくなき闘いのなかで築きあげられた輪中地帯独特の風景が残っています。

高須城とその城下町はそんな輪中の中につくられました。
東を長良川と木曽川、西を揖斐川、いわゆる木曽三川の合流地点となり増水時の水量は
計り知れないものとなったに違いありません。

高須城一帯は現在手掛かりとなる遺構はほぼ消滅しており、全体像は掴みずらいです。
ただ、街並みの中ところどころに城の面影が残っていました。

IMG_7418.jpg IMG_7420.jpg
高須城南の水濠と、西南部の屈曲がみられる掘割

高須小学校の北東部の公園には高須城の古地図を示した説明版があります。

IMG_7411.jpg高須城説明版

高須城はその築城時から城主がめまぐるしく交代しますが、大いに城郭を改修して城下町を整備
したのは関ケ原の合戦後に加増され城主となった徳永寿昌です。

IMG_7417.jpg高須城大手にあたる主水橋

周辺部には遊水池が所々にあったり、濠に架けられた橋があったりして
古地図と照らし合わせ縄張りを想像するのも楽しかったです。
きっと本丸周辺は水面に浮かび上がる水城だったことでしょう。

IMG_7419.jpg IMG_7414.jpg

IMG_7421.jpg絶好の住み家です

現在では河川改修工事や耕地改善事業に伴い河川との密接な関係で生活向上している感じ
が見受けられますが、先人たちの努力を思うとさぞかし大変だったのだろうと思いました。
現に江戸時代に入部した小笠原氏は水害の被害に耐え切れず辛抱した結果、幕府に転封を
願い出ているそうです。そしてなんと受理されて越前勝山領へ移ったそうですw(゚o゚)w。

今も昔も自然相手にはまるで思い通りにはいかないものです。人はそれでも知恵をしぼり
結託して苦難を乗り越えてきたんですね。・・ああ、自分ももっとたくましくありたい・・。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

最新登城記事
カレンダー
11 | 2018/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数