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美濃 福原城 🏯三河に向けられた監視城

美濃 福原城 (岐阜県恵那市串原福原・城之根)

平日は早朝5時に起床するのですが、外はまだひんやりして暗いです。
日が短くなっていくほどに秋の夜長を愉しむ今日この頃。
こうして訪問した城址を想い出しながら、記事として浸れるのも贅沢な時間です。

恵那市旧串原村の城郭めぐりの続編はまだまだ続きます。
今回は愛知・岐阜の県境、すなわち三河・美濃の国境にあった福原城を紹介します。
小さな城ですが、カワイイ、とさえ思える姿がそこにはありました。

fukuharaj (1)足下は矢作川と名倉川の合流点となっている三河からの玄関口。

矢作川に面した東側は崖っぷち。
かつては麓に林道もありましたが、現在は落石のため通行止めになったままです。
西側の谷間から登れば比較的登りやすいです。・・道はありませんが・・。

fukuharaj (3)南北に延びる城域の南側には小さな曲輪が4段連なります。

段差自体に鋭さは感じられません。
後世、地主さんによって畑地に利用された、との伝承もあります。
しかし、城柵のみの施設として元来からあった遺構と考えられます。

fukuharaj (4)
下の曲輪に行くほど尻つぼみとなり・・、

一番下の曲輪?は人が二人立てるかどうか、くらいの狭さ・・。
fukuharaj (2)

fukuharaj (5)削平された頂部の様子。(手前のくびれから細くなってます)

北に続く尾根にはかつて深い堀切があったようです。
現在は耕作地として均されてしまいましたが、面影を見ることができます。
本丸は骨付きローストチキンレッグのような美味しそうな形をしています。(下に図面あり)

fukuharazu.jpg全面南向きの日当たり良好な城です。

やはり背後の堀切があったとなるとカッコ良いのですが・・
きれいに均された後世の耕作地の址も、それはそれで歴史の一部なのです。
南側の細尾根にも土橋付の堀切があったそうですが、これも面影を見るのみです。

sannsyuu.jpg福原城から三河方面を眺めます。
矢作川の対岸には三河の城砦、押川城(左)、川手城(右)が手に取るように見えます。

三河との渡河点や南信濃からの河川沿い道を監視したのでしょう。
このあたりは信濃・美濃・三河、各々の小城砦が集中しています。
現在では長閑な田舎ですが、当時は常時緊迫した地帯だったのかもしれませんね。

fukuharaj (7)
すぐ近くには押山大滝が轟音をたてていました。

滝のすぐ下流に「滝見橋」があり、橋の上から手軽に見学できます。
春は新緑、夏は清涼を、秋は紅葉、冬は墨絵の世界が楽しめそうです。
矢作ダム、矢作第二ダム、黒田ダムといったダムも見応えありますよ。(ダムカード貰えます)

・・別に観光大使ではありませんが(笑)、串原村、いい所です!
福原城は案内板も無く、これといった登山道や遺構もありません。
下から眺めるだけでも城の役割を感じられるプチ城郭でした。

fukuharaj (6)
矢作川・名倉川、共に美しい清流です。



Ⓢは福原公園があり駐車可能です。
Ⓖは主郭部ですが、登山道はありません。
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美濃 串原殿 🏯姫井戸伝説のある砦

美濃 串原殿 (松本砦) (岐阜県恵那市串原松本)

すっかり秋らしくなってきましが・・。
週末になると台風と雨がやってくる今日この頃、
太田裕美さんの『九月の雨』を口ずさむ自分がいます・・。

「September rain rain~♪ 九月の雨は冷たくて~♪」、・・。
・・うん?、あ、そういやもう10月でしたね(;^ω^)。

最近は恵那郡の串原村にハマっている自分です。(串原大平城串原柿畑城
串原村にはコンビニがありません。ガソリンスタンドも数軒。(しかも日曜休み!?)
・・バスは一日一度くる、は吉幾三さんの歌ですが、はっきり言って田舎です。

しかし、我々が便利さに慣れ過ぎただけで、「足りたるを知る」本来の姿かもしれません。
そんな中、今回訪れた城址は串原殿(くしはらでん)、字から松本砦とも呼ばれます。
昔から「クシハラデン」と呼ぶそうなので地元の方々の意に従いたいと思います。

kusiharadenn (1)串原殿の小丘は大平川の源流地域、松本の中央部にあります。

串原殿には山の中腹に現在も末裔のO氏がお住まいです。
よって無断での見学はご法度です。
自分はこの度、草刈り作業中の当主にお会いでき、見学の承諾をいただきました。

写真では判りませんが、さる昔、丘の尾根先端部が土砂崩れし、山の形が変形しています。
この土砂崩れで主郭部の東に展開していた城の一部も共にくずれたそうです。
(記事の後に図面で示したいと思います)

kusiharadenn (4)杉木立から垣間見る串原殿の主郭部側面。(手入れがされていますね)

写真中央部の斜面に伝説の「姫井戸」と呼ばれる井戸址があります。
串原殿が落城の際(恐らく武田軍による)、姫が投身して果てた、という悲しい伝説です。

女性がこの井戸を覗き込むと祟りがあるそうです。
さらに、女性がここで蛇を見てしまったら、その蛇は姫の怨念が化身したものだそうです。
同じく祟りをうけるとされ、今も怖れて立ち入る者はいないそうです・・。

今回、調査使命上・・敢えて立ち入りました。(写真は掲載しません!)
幸いなことにヘビには会いませんでしたし、井戸自体も埋まっておりやや拍子抜けしました。
当主さん曰く、「オトコならば、大丈夫やって(笑)」、・・ですって・・。(ホントかな?)

kusiharadenn (5)
かつては堀切になっていたといわれる箇所は現在は林道が通っています。

kusiharadenn (2)
主郭部の様子。

kusiharadenn (3)
主郭の南を取り巻く腰郭は大半が墓地による造成とみられます。

kusiharadenn (6)
串原殿の旧堀切部の上には見守るような石仏様が。

城は串原殿、といわれる通り、串原遠山氏の持ち砦であった可能性が高いです。
付近には串原大平城へと続く「馬道」が大平川沿いにあったそうです。
小御所の下村城(上矢作町)から大平城へのルート中間地点に位置します。

kusiharadend.jpg

残存状況からはっきりとした遺構がつかめないのが残念ですが、
砦としてのその役割は位置的に理解できましょう。
串原遠山氏は三河・美濃との境目の守備を担っていた一族だったのかもしれません。

※重ねて申し上げますが、串原殿は個人宅のすぐ裏山です。
 見学の際は無断立ち入りをすることのないように一声おかけしましょう。
※念のため女性の方はやはり姫井戸には近づかない方がいいかもしれません・・。
 


Ⓖは串原殿の主郭部を指します。
付近に駐車場はありませんので迷惑にならない路肩に駐車して歩きました。

美濃 柿畑城 🏯山上に広がる360度の千畳敷平

美濃 柿畑城 (岐阜県恵那市串原柿畑・城ヶ峯)

あんなにも暑かった夏がウソのように涼しくなりました。
朝夕も肌寒く感じられるこの頃、最後の力を振り絞って鳴くツクツクボウシ。
はるか遠くからでも聞き取れるその声にちょっぴり情緒を感じます。

さて、少し前に旧恵那郡串原村の串原大平城を取り上げました。
今回は同じ旧恵那郡串原村から串原柿畑城を紹介したい、と思います。
どちらも「串原城」と呼ばれ、その遺構の完存具合が素晴らしい城址です。

kakihataj (12)柿畑集落から見上げる城ヶ峯山上が城址です。

現在、城址までの道は消滅しており、正面からは獣除けの電気柵で入山できません。
自分は山腹を南に回り込み、急斜面を直登しました。(すっかり必殺技です・・)
野生動物の宝庫=作物への被害への対処、仕方ありませんね・・。

kakihataj (9)
ここからが本来のルートと思われます。

kakihataj (10)
お堂を横目に尾根伝いに登っていきます。

お堂には恵那市指定文化財の木彫三十三体仏をはじめ
木彫十一面観音立像などが安置されています。
おばあちゃんがいらしたので、ちらっと中を拝見させて頂きました。

kakihataj (8)
さて、獣除け柵を避けて直登すること15分、山頂手前の切岸が最後の難関。

kakihataj (7)登り切ったそこには信じられない程の広さの削平地(;゜0゜)

腐葉土の堆積こそあるにせよ、しっかり削平された広々とした「空間」です。
広角レンズをもってしてもその端から端までが視界には納まりません。
今回は先に縄張り図でご案内したいと思います

kakibatazu.jpg「これぞ、単郭の城!」といった気持いいほどの単郭です。

約40m×約40mの、円形とも正方形、ともとれる形。
面積は公式バスケットボールコートが余裕で2面とれる広さ、
つまり、体育館並みの広さがある、ということになります。

kakihataj (1)
周囲を出入り口を除き土塁で囲っています。

kakihataj (3)
東側の土塁は高さも厚みもあり、櫓台や見張り台の存在を匂わせます。

kakihataj (2)
東側の大堀切へとつながる平入り虎口。

kakihataj (4)堀切は堀底がクランク状になって「折れ」が見られます。

黄色い線で補足させていただくと・・。
kakihataj (5)
こうなっているわけでございます。

この地方では例のない手法なので目を奪われます。
堀切の幅も最大幅15mもあり、その深さも12mにもなる大堀切。
両端部は竪堀となって谷筋に落ちています。

kakihataj (6)堀底から見上げる高い切岸。

『串原村誌』では、縄張りが簡素なため、「古体の城郭」、と位置づけられています・・。
串原遠山氏は、ここ柿畑城から大平城へと次第に勢力を伸ばした、という説明です。
(何の根拠か室町前期以降と・・)

しかし、それは少々早合点ではないかと思われます。
確かに単郭・単堀切ではあってもその土木普請量・兵員収容力は見逃せません。
堀底をクランク状にしているのはその上部に突き出た横矢掛け施設を設けたからでしょう。

むしろ時代的には新しいタイプの陣城のようにも見えます。

柿畑城に関しては城主や築城年代などの記述が不明です。
城山への登山道=大手道なども消滅していて長期にわたって機能したとも思われません。
こういった不明瞭な城歴は、それはそれで何かを物語っていると思われます。

木立で風景は期待できませんが頂上からは矢作川沿い対面の三河国境の城砦群から
美濃大平城、明知城方面をも見渡せる絶好の位置にあったことでしょう。
いわゆる境目の城、として城番兵が置かれていた頃の姿を想像しちゃいますね。

余談ですが、城への山登り中イノシシに、山上の千畳敷郭でシカの親子にお会いしました。
帰りの車ではタヌキに遭い、空は天気なのに雨が降る、「キツネの嫁入り」にも遭いました・・。
御後がよろしいようで・・。



Ⓢには車が駐車できる公民スペースあり。
Ⓖは山頂の主郭部を指します。

美濃 串原大平城 🏯遠山七家、串原遠山氏の拠点

美濃 大平城 (岐阜県恵那市串原大平・城山)

いよいよ山城シーズンの到来がやってきました。
ややフライング気味感は否めませんが・・。
8月といえど平野部と違って山間部ははや秋模様。

夏の山城の大敵と言えば、ヘビ、ハチ、クモの巣、等ですが
今年の夏は最大の敵である、蚊が少ない、のが特徴です。
なんでも気温35℃の酷暑日が続くと繁殖力が鈍るみたいですね。

ならば頃合いよし!、ということで、いざ出発です。
久しぶりに美濃の山城に戻ってきました。
今回、スタートダッシュを飾るは旧串原村の大平城です。

kusiootaira (20)夏休み中の串原小学校の丘から望む串原大平城の城山。

今回は城山の東側から登るルートで登城です。(今回で3度目の登城に)
kusiootaira (1)

城は指定史跡もなく、これといった登山道もありません。
広い路肩に車を停めての登城です。
自分はご近所の方に一言お断りをいただき、置かせていただきました。

kusiootaira (18)

消えかかった峠道の目印がこの祠。
ま、ここから直登しても良いのですが・・。
写真のルートで東側の堀切(峠堀?)からの見学です。

kusiootaira (17)
東端を仕切る堀切は、或いは峠道による掘割かもしれません。

しかしながら堀切の内側(城内側)には土塁がみられるので
かつての堀切が峠道に利用された、と解釈するほうが自然です。
ここから西に向かって登っていきます。

kusiootaira (16)
主郭部最高所の南には迫力の巨石が斜面を覆います。

kusiootaira (3)自然石が織りなす天然の石垣も壮観。

こういった巨石を城郭に利用する、という一面は遠山氏はお好きだったのでしょうか?
苗木城岩村城もそうですし、遠山氏萌芽期の広恵寺城なんかも同様ですね。
麓側から仰ぎ見れば難攻不落の城にも見えてしまいそうです。

kusiootaira (7)
主郭部の一段下には通称:「千畳敷」と呼ばれる曲輪が延びています。

kusiootaira (11)
千畳敷から北に堀切を隔てて「雪隠屋敷(せっちんやしき)」を見下ろします。

kusiootaira (9)
千畳敷の南直下には堀切が用意されています。

kusiootaira (2)
主郭部中央の南に落とされた竪堀。

kusiootaira (5)
最頂部に立てられている石碑。

この石碑は直接、城郭に関わるものではないらしいです。
地元の方との聞き取りでは大正時代の山の持ち主と宗教絡みのものだそうで。
「串原大平城跡」の石碑、なんてのがあればなぁ・・。

kusiootaira (6)
傍らには月待供養塔もりました。

kusiootaira (4)
千畳敷から見上げる最頂部。

遠山氏は、本家の岩村遠山氏から各荘地に分散し、居城ごとに分かれて土着します。
「遠山三家(三頭とも)」が岩村、苗木、明知と呼ばれているのが知られています。
そして「遠山七家」というと、岩村、苗木、明知、飯羽間、串原、阿寺、阿木を指すようです。

諸書によってまちまちですが、凡そはこのように呼ばれるようになりました。
このうち、串原城に拠ったのが串原遠山氏です。
(※串原城とは大平城を指すのか、同地内の柿畑城を指すのかは不明)

戦国期の串原城主と思われる人物として遠山右馬助景男と与五郎経景が伝わります。
(※右馬助の諱の「景男」については諸説あり、今回は串原村誌を参照しました)

元亀3年(1572)12月には、遠山右馬助景男らは武田氏の侵攻に対抗し、上村で合戦。
明知遠山氏の景行らと共に上村口で武田家重臣の秋山虎繁らと戦って討ち死にしました。
(あの名将と渡り合ったのですね~)

遠山与五郎経景は明知城主・遠山利景の客分となり各地で戦功を重ねます。
関ケ原の戦いの折には明知城奪還に活躍、旗本・明知遠山氏の再興に貢献しました。

kusiootaira (15)
主郭部北側の切岸はほぼ垂直!這い上がれません!

kusiootaira (10)城域の西を仕切る幅約9メートルの大堀切。

kusiootaira (14)
雪隠屋敷とを隔てる急峻な大堀切。

このあたりの遺構はいかに自然地形に頼った城郭といえども
しっかりと作り込まれているように感じます。
大平城の見所、そして串原遠山氏の城郭理念?を感じます。

以上、ざっと串原大平城を見てみました。
大平城は遠山氏時代の生粋の城郭の姿を残しているようです。
遠山氏城郭の特長やルーツが伝わってきました。

下に図面を掲載いたします。

kusiharaoodainbz.jpg

あと、こんなところにも寄ってきました。

城山の滝 (大平城の下の谷)

大平城の尾根より西、直下の谷の名瀑です。ちょっと寄ってみましょう。
kusiootaira (12)

kusiootaira (13)落差こそないものの、周囲の景観も相成って素晴しい!

ちょとした路肩スペースに駐車して、道路脇から手軽に行けます。(3分くらい・・)
ちょっと、隠れ家的な滝ですが、大平城を見学した後に行けばその魅力も倍増です!
それにしても、・・す、・・涼しい゚。*(*´∀`*)*。゚

マイナスイオンっていうんですか?夏は滝と城もいいですな~。



Ⓢは車両路肩駐車地点。
Ⓖは大平城主郭部。
☑には城山の滝の位置を示しておきます。

美濃 中尾砦 🏯笠置峡を見澄ます孤壇の砦

美濃 中尾砦(中尾丸) (岐阜県恵那市長島町久須見中尾・丸)

木曽川が深い峡谷となって続くこの地域一帯は未だ秘境地帯といってよいでしょう。
発電用ダムの適地として大井ダム、笠置ダム、丸山ダム、兼山ダム等が建設されました。
嵩上げされた峡谷内部に取り残され、人知れず眠っている城砦も多いのです。

nakaomaru (1)
恵那峡~笠置峡~深沢峡~蘇水峡と続いていきます。

今回はそんな中でも比較的寄り付き易い中尾砦、通称「中尾の丸」を紹介したいと思います。
久須見集落の本郷から木曽川左岸のせま~い林道をひたすら進みます。(落石、木の枝、散乱)
行った先は行き止まりですが民家が数軒あります。

nakaomaru (2)対岸から見るとわかりやすい岩山尾根が中尾の丸。

nakaomaru (3)
途中、沢にかかるコンクリート橋の袂に車を駐車(軽自動車ならOK)、登って行きます。
※地元集落の方々が使われる唯一の連絡手段道、邪魔にならないように・・。

予想どおり登山道はなく、足元の悪いゴツゴツ斜面をほぼ直登することに。
木を掴み、岩をたぐり、全身ストレッチしながらのクライミング(これはお好みで)。
谷川にそった奥から登った方が登りやすいようです。

nakaomaru (14)
こんな切り立った崖もありスリリング。

nakaomaru (4)
尾根状先端部に到着すると物見岩に恰好の岩があります。(木曽川筋がよく見えます)

nakaomaru (5)
尾根先端部の堀切状の遺構。

ここから主郭部に向かって何段かの小さな曲輪が配置されています。
スロープ状になった連絡道も見られ、曲輪間との繋がりがみられる配置になっています。
全体的に細い岩尾根をよく幅を確保して普請した感を受けます。

nakaomaru (12)
法面の切岸もよくかけられています。

nakaomaru (13)
主郭部周囲の帯曲輪を武者走りで連絡できています。

nakaomaru (7)主郭部(本丸)周囲の切岸。

nakaomaru (6)
一部では石垣の址も見受けられますが、現地での調達石を積み上げたものでしょう。

nakaomaru (11)背後を断ち切る驚愕の大堀切。

幅は10メートル、深さも8~9メートルはあろう、大堀切です。
しかも両端部は竪堀となって深い谷底まで続いています。
この強烈な遮断意識はなんなのでしょう!

nakaomaru (10)
大堀切から続く竪堀南側。

nakaomaru (8)
同じく大堀切から続く竪堀北側。

いずれも丸型彫刻刀で「ザックリ」と削り落としたような大竪堀です。
目視できる限り下まで続いているようですので、それぞれの終了先端部まで降りてみます。
長~い竪堀であることも判明しました。(往復キッツイ・・)

nakaomaru (9)中央には土橋が架けられ背後の山へとの連絡道が確保されています。

木曽川方面からの明瞭な登山道がないのに対して、尾根筋には明瞭な筋道が・・。
背後の峰頂上まで登ってみましたが、頂上にはこれといった城郭遺構はありませんでした。
・・しかし地形図上では、ある城へとつながっていることがわかりました。

この事に関してははまた後日・・。
作図した縄張り図を図示します

nakamaruzu.jpg細尾根上にはその地形故からか、この砦の特徴が詰まっています。

まず、非常に等高線が密になっているように断崖上の細尾根に築かれていることがわかります。

1.主郭部にも居住スペースは確保されていないようです。
2.物見岩(尾根先端部)からは木曽川の上流・下流の眺望が非常によく利きます。
3.等高線に沿うように帯曲輪を取り巻いています。
4.各導線にスロープを利用したパターンを採用しています。

中尾砦の城主や城歴はよくわかっていません。
しかし、この地に築城した理由があるはずです。
地表面の観察からはある程度のメッセージを受け取ることができそうです。

複数のダム建設によって河川沿いの集落間の交通は寸断されました。
地図上で木曽川右岸に唯一確認される国道(418号)も今や酷道。
笠置ダム~深沢峡間は復旧の見込みもない通行止めになっております。
(新丸山ダム建設による嵩上げでこれも水没予定)

古くからの河川交通の形跡は消滅し、周辺一帯は時が止まったかのよう。
そんな中、確かな形跡と僅かな伝承で伝えられる城砦。
丹念に調べていくことで新たな発見があるやもしれません。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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