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里山の城 久須見城

久須見城(岐阜県恵那市長島町久須見中本郷)▲265m
4月下旬田んぼに水をいれる季節がやってまいりました。
恵那郡にはたくさんの自然があり、人との共生部としての里山も多くみられます。
久須見城はそんな里山にある丘城です(ほとんど登らずに済みそう( ^ω^ ))。

IMG_7497.jpg田園から見た久須見城址・峯の山

周辺は北に笠置山のすそ野が広がり、木曽川が足下を流れます。集落周辺は田畑に囲まれ
とてものどかです。時折、学校のチャイムや子供たちの声が聞こえ、どこか懐かしい雰囲気。

IMG_7511.jpg IMG_7501.jpg
棚田から見おろす久須見城。城山は東西に連なり「峰の山」と呼ばれています。

以外にも大体の冊子地図には”・久須見城”が位置も正しくプロットされていますが、なんと現地には
案内版も城址碑もありません。できれば・・立て札でもいいから置いていただけるとありがたいですね。
すぐ下の県道脇退避スペースに車を停めていざ登城していきます。

IMG_7512.jpg IMG_7514.jpg
写真左の階段を登って・・薬師如来堂と石仏群のある広場に出たらそこから尾根に沿って登り進みます。

IMG_7517.jpg IMG_7518.jpg
本丸へ続く石階段を登ると・・荒れ果てた社?・・がなんともおどろおどろしい・・晴れててよかった(汗)。

本丸は以前は寺社でもあったのでしょうか?石塔や石碑や・・墓石まであります・・。ちょっとこわ。
さすがに写真のアップは割愛しとこう・・(*´v`)。

でもその分よく整地されており、かといって大きな改変もなさそうです。遺構も驚くほど良好に残っています。
本丸から東に歩いていくと尾根を断ち切る大堀切が現れました。「これぞ堀切!」といった感じです。

IMG_7541.jpg土橋を備えた大堀切とその対岸の曲輪

さらにこの大堀切は南北に長大な竪堀として麓までのびています。しかも相当な深さを維持しながらです。
その保存状況の良さもあって非常に見学しやすい遺構です。

IMG_7522.jpg幅8メートル。深さは4~3メートルあります。

IMG_7544.jpg       IMG_7542.jpg
竪堀の長さは実に長さ40メートルにもなります。見上げた写真(左)と見おろした写真(右)です。

大堀切の向こう側(東尾根)には小さな曲輪があり祠が祭られています。
どうやらこの曲輪の周囲は土塁で囲まれていた形跡がみられますね。
そしてもう一本尾根筋に土橋と堀切が現れました。

IMG_7523.jpg IMG_7526.jpg
祠のある曲輪(左)とコンパクトにまとめられた土橋と堀切(右)。

さらに尾根伝いに東へ緩傾斜を降っていくと一見鋭い堀切のような遺構がありますが
こちらは後世に集落同士との連絡や墓地への参り道として作られた切通し道だそうです。
この切通しは元々ここまで深くなくとも堀切があった可能性はありそうです。

IMG_7532.jpg尾根を分断する切通し道

この城の城主についてはあまりはっきりとわかっていません。
松尾左京の城と伝わりますが・・いかなる人物なのか・・。
恵那郡一帯に勢力があった遠山氏の土着領主なのか、それとも外部勢力から派遣された者なのか・・。

また現在残っている縄張りの特徴から美濃に侵入した武田氏による築城・改築も有力です。
この木曽川沿い区域には武田氏による築城のもとみられる城が多く存在すると
指摘されています。この久須見城もその一つなのでしょうか?

IMG_7553.jpg棚田の風景が印象的

こちら久須見集落の風景には心癒されます。
周辺にはまだまだ山城が集中して存在しています。
近いうちにまたきっと来れますね。城もロケーションも楽しめる久須見城でした。

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美濃最南端の城・高須城の散策

高須城(岐阜県海津郡海津町高須)
海津郡に入るとまず目に入ってくるのは河原石で積み上げられた石段と高壇。
そしてその上には水屋や倉も上げられています。水難を避けるための施設です。
昔から洪水とのあくなき闘いのなかで築きあげられた輪中地帯独特の風景が残っています。

高須城とその城下町はそんな輪中の中につくられました。
東を長良川と木曽川、西を揖斐川、いわゆる木曽三川の合流地点となり増水時の水量は
計り知れないものとなったに違いありません。

高須城一帯は現在手掛かりとなる遺構はほぼ消滅しており、全体像は掴みずらいです。
ただ、街並みの中ところどころに城の面影が残っていました。

IMG_7418.jpg IMG_7420.jpg
高須城南の水濠と、西南部の屈曲がみられる掘割

高須小学校の北東部の公園には高須城の古地図を示した説明版があります。

IMG_7411.jpg高須城説明版

高須城はその築城時から城主がめまぐるしく交代しますが、大いに城郭を改修して城下町を整備
したのは関ケ原の合戦後に加増され城主となった徳永寿昌です。

IMG_7417.jpg高須城大手にあたる主水橋

周辺部には遊水池が所々にあったり、濠に架けられた橋があったりして
古地図と照らし合わせ縄張りを想像するのも楽しかったです。
きっと本丸周辺は水面に浮かび上がる水城だったことでしょう。

IMG_7419.jpg IMG_7414.jpg

IMG_7421.jpg絶好の住み家です

現在では河川改修工事や耕地改善事業に伴い河川との密接な関係で生活向上している感じ
が見受けられますが、先人たちの努力を思うとさぞかし大変だったのだろうと思いました。
現に江戸時代に入部した小笠原氏は水害の被害に耐え切れず辛抱した結果、幕府に転封を
願い出ているそうです。そしてなんと受理されて越前勝山領へ移ったそうですw(゚o゚)w。

今も昔も自然相手にはまるで思い通りにはいかないものです。人はそれでも知恵をしぼり
結託して苦難を乗り越えてきたんですね。・・ああ、自分ももっとたくましくありたい・・。

鉈尾山城へ登ってみました

鉈尾山城(岐阜県美濃市曽代・古城山)<美濃市指定史跡>▲437m

「鉈一丁にて何千騎にても防ぎ申す」

・・とは『上有知旧事紀』に書かれた鉈尾山城の要害ぶりを表現した一文です。

なんとたいした自信でしょうか。えらく挑発的な態度ともとれます。
・・これは実際確かめに行ってみるしかありませんね(そうでなくとも登りますが・・)。

美濃市内から東北の古城山山頂部が城址です。
なんとなく城のある山というのは独特のオーラをまとっているものですがこの古城山も
そんな雰囲気のある無骨な山です。それにしても高い山です。

あの山登るのか・・えらそうだな・・(´・_・`)
というのが最初の印象でしたが、後述しますが実に歩きやすい山だったのです。

IMG_7466.jpg美濃市運動公園から見た鉈尾山城

美濃市運動公園の駐車場をお借りして登城します。
案内板には山頂へのルートとして、毛鹿洞からの南ルートと、弓道場横からの北ルートが
示されています。行きと帰りをそれぞれ通っていくのもいいかもしれません。
今回自分は行きを南尾根から登ってみました。

IMG_7468.jpg運動公園内の古城山遊歩道案内板

遊歩道は非常に整備されていて、とてもなだらか。営林署管理のため森林の手入れも
行き届いています。登山が苦にならない道のりです。これは以外でした。
40分ほどで最初の休憩所がありますが、もうほとんど山頂近くなのでそのまま行きます。
そして・・

おおーっ!(;゜0゜)来ましたー!
最初に現れる石塁(石垣)に超感動します。

IMG_7452.jpg
鉈尾山城大手石垣

IMG_7446.jpg
石垣角部は算木積っぽく見えます。

長年の経過で崩れてはいるものの、かえって古城感をかもしだす石垣です。
逆によくぞ残ってくれてたねーと称賛ものです。

IMG_7447.jpg IMG_7444.jpg
荒々しい野面積み?

そこから2段の曲輪を登り切ると頂上の本丸へ到着します。
東屋がありとても手入れがされています。いままで通ってきた細尾根道を思えば
意外なほど広々とした空間があります。

IMG_7459.jpg鉈尾山城本丸

頂上からの眺めも抜群です。眼下には駐車場に停めた車まで見えますし、かなたには岐阜城もみえます。

IMG_7455.jpg
本丸から美濃市街地方面を俯瞰、絶景です。

さて景色を見ながら汗がひいたところで作図をしながら城内調査といきます。
改めて思いますが南北に細長い尾根山頂を実に上手く活用した縄張りです。
西は急峻さを利用してそぎ落とし、東は腰曲輪を囲わせ備えています。

要は・・守り手は城への侵入口にあたる南北に集中していれば良さそうです。
なるほど・・東西には釣壁を用意しといて登りくる侵入者に倒木や岩石を浴びせれば
一網打尽!ということですかな?

IMG_7465.jpgよく見ると本丸東側下にも石垣が・・

真相はいざ知らず、鉈一丁あれば敵を撃退できる城、という表現は
この鉈尾山城の防御性を実にわかりやすく説明していると思いましたね。

戦国期の城主は佐藤氏で佐藤六左衛門秀方は織田信長の馬廻りとして様々な戦いに参加します。
佐藤氏は武儀郡一帯に5千貫の知行地があったといい、かなりの有力国人であったようです。
本能寺の変前には家督を継いだ織田信忠の与力としてつけられます。

IMG_7462.jpg佐藤氏城址の石碑

秀方は信忠所属の中では森長可(金山城)・斎藤新五郎(加治田城)らと共に東濃・中濃地方の
代表格としての地位にあったようで、着実に信頼と加増を得ていった様子が窺えます。

本能寺の変後は秀吉方につき、信孝側に味方した郡上郡の遠藤氏と対峙し、これを降します。
こうして事績をたどっていくとこの佐藤秀方、とても武勇誉れ高く、時世をみるにも機敏な印象です。

今回の訪城では鉈尾山城の切れ味の鋭さに感動しつつ、城主佐藤秀方の武将としての活躍を
垣間見た気がします。とても勉強になりました。


高桑城と満開桜

高桑城(岐阜県羽島郡柳津町高桑)
柳津城へ寄った後、ちょっと足をのばして高桑城にも行ってみました。
城址は境川の堤防北側近辺にあったとのことです。

IMG_7372.jpg高桑城説明版

ちょっとわかりづらいのですが・・
善覚寺の南あたりの堤防沿いに城址を示す説明版が立てられていました。
堤下に土塁の一部があるそうでうが・・どれがそうなのかわかりませんでした。

鎌倉時代からあった歴史ある館城だったようですね。
織田信長によって落城したそうです。

こちら以前にも来た事があるのですがこの時期は高桑桜がとても見事なんです。
・・ということでちょっと寄ってみます。

sakura.jpg IMG_7373.jpg
わぁ、やっぱりきれいですぅ。天気もよく桜も満開、菜の花との相性がいいですね。

柳津城をウロウロ歩く

柳津城(岐阜県羽島郡柳津町本郷2丁目)
かつての城址であった光沢寺の境内を伺います。
とても雰囲気の良いきれいなお寺ですね。庭木の手入れは素晴らしいです。
・・枯葉ひとつとして落ちてません。

さて・・柳津城の城主竹腰摂津守は斎藤氏に仕えていましたが弘治2年(1556年)長良川の戦い
で戦死してしまい、叔父の成吉摂津守尚光が城主となりました。(のちに竹腰尚光に改名)
斎藤義龍、龍興に仕えていたようです。

IMG_7367.jpg光沢寺

山門前には柳津城の由来を示した説明版が立っていました。どうやら工事中だったようですが
この説明版だけシートに包まずにいただいたので写真に収めることができました。

IMG_7362.jpg IMG_7361.jpg柳津城説明版

カメラ片手に境内をウロウロしていると本堂裏に石碑がありました。
これはうれしいですね。これ、いただきます。合掌(カシャ!)

IMG_7364.jpg柳津城石碑

遺構はない城ですが、お寺の雰囲気と城址を歩く楽しさが味わえました。平野部の城は
こういった楽しみ方がいいのかも知れません。

嵐の恵那峡ハーフマラソンに出場しました

毎年恒例の恵那峡ハーフマラソンに参加してきました。
ある程度の雨は予想していましたが、こうまで降るとは・・。
まるで嵐。テンション下がります・・。
吹きすさぶ風と打ち付ける雨、時々刺すような雨になります。ヤバ・・。

IMG_0705.jpg誰もアップしていない程の雨です。

前日の天気予報から雨になることはわかっていました。
雨のレースは精神的にもきついので、正直言ってイヤだなぁと思っていました(ノ_<)。

まぁ、しかしながら天気ばかりはどうすることもできませんし、春雨に打たれながら
走るのもオツなもの、と覚悟を決めてかかります。

IMG_0708.jpgスタート20分前。

しかし、参加者ランナーは年々増えていくこの大会。すごいですね。人が・・。
今回で4年連続の出場となりますが今大会のような気象条件は初めてでちょっと不安。
相変わらずの聞きしに勝る山岳コースです(;゜0゜)。
そして・・降りしきる雨が、いっ・・痛い!。追い風の時は背中を押される程ですが・・。
逆に向かい風の時は大変です。帽子を飛ばされるランナーさんもみえました。

皮肉なことにレース終盤になって天気が回復してきました。
なんと新緑のまぶしい事でしょう!田園風景ののどかさがいささかでも癒しになります。
最後の急坂を登り切り、ゴールのスケート場に戻ってこれた喜びはひとしおでした\(^o^)/。

IMG_0734.jpg最後の急坂で打ちのめされる・・。

タイムは1時間45分11秒という自分的にはまずまずのタイムでした。
悪条件の中で km4分58秒ペースで走れたのも満足でした。
がんばって練習してきてよかった(* ´ ▽ ` *)。

IMG_0736.jpg

こんな悪天気のなかでも沿道で励ましの声援を送っていただいた地元の方々、運営に携わった
スタッフの方々には本当に感謝したいと思います( ^ω^ )。
おにぎり美味しかったです。おしるこ腹にしみました。豚汁心底あったまりました。ご馳走様でした!
楽しかったです。また来年も出たいな、と思います。

IMG_0738.jpg最後の最後で晴れてきました。また来年!

中濃地方最大・小野城攻略戦(後半)

小野城お手製説明板に感動し休憩を終えて、さぁ、城内散策といきます。
今回は縄張り図の作図も兼ねて丁寧に見ていきました。

非常に広大な城なので今回は見所をコンパクトに絞って紹介していきたいと思います。

①本丸より南尾根を遮断する堀切

IMG_6966.jpg IMG_6967.jpg
岩場の細尾根を上手く加工した堀切があります。箱堀っぽい感じがします。

②井戸と石垣が見られる上部腰曲輪

IMG_7291.jpg城内の井戸址

すごい、今でも満々と水が湧き出ていますね。なになに・・金の鶏伝説?・・説明文によると・・

「小野城が落城の時、城主は家宝の金の鶏を井戸に隠し、大きな岩で蓋をして必ず戻ってくる、と誓い
山を降りました。城主の帰りを待つ金の鶏は、元日になると、井戸を抜け出して頂上の岩の上で
大きな声で城主を呼び続けています。今でも」

・・文章最後の「今でも・・」というP・S的余韻がなんともせつない感じがします。
城内の井戸からもう少し北へ行ったところの下には石垣遺構が残っていました。

IMG_7293.jpgスロープ状になった石垣があります。
IMG_6975.jpg荒々しさが結構な迫力ですね。苔むし感がなんとも・・。

③二股に分かれる北出丸には・・なんと!滝が!

先程の石垣部分から北に向かっていくと(相当ヤブこぎですが(ノ_<))
北に向かって二本の尾根に遺構が延びています・・どこまでも・・

途中にこんな看板があります。見えたらラッキー?・・確かに水の音が聞こえてくる!
行くしかないでしょう!いざ、運試しです。なんかこの城・・楽しいなぁ(´∀`*)

IMG_7328.jpg隠れ滝の案内

ちょっと降りるのが大変ですが・・またまたすごい、こんな頂上近くに滝が・・
確かに滝があります。しかも結構な水量じゃありませんか。
今日の自分、きっとラッキーなんでしょうね。やったぁ!

IMG_7322.jpg意外と水量のある隠れ滝

④腰曲輪南東部の石垣

この石垣はとても見応えがありますね。石垣の躑躅がとってもきれいです。

IMG_7288.jpg
ちょっとわかりづらい所にありますが・・腰郭の南東の端部にあります。
なかなかの迫力の石垣です(;゜0゜)。

⑤東に続く尾根の大堀切

IMG_7279.jpg IMG_7282.jpg
東方面に向かって大堀切で遮断しています。実質的な東端部になり、上部から見ると深さがよくわかります。

IMG_6983.jpg IMG_6984.jpg
さらに土橋をのこした堀切が続きます。

⑥東出丸の土塁と堀切

まだまだ東には遺構があります。尾根続きにある東出丸です。
この曲輪は若干未成型ゾーンですが東部に土塁を伴った堀切が見られます。

IMG_7271.jpg IMG_7277.jpg
堀底には土橋が設けられています。虎口には土塁がめぐっています。

堀切内部には3本の土橋状遺構が確認されますが堀内障壁の可能性もありますね。

⑦まだまだ見所がありますが・・

かつて信仰の山であったようなので周辺の古刹や山中のいたるところでまだまだ見所が
ありそうですので、また機会があったら時を変えて登ってみたいと思いました。

IMG_7334.jpg  IMG_7333.jpg白瀧と不動明王

山全体が要塞、といった感じの小野城でした。七つの派生尾根すべてに対いて備えがあり
どこまで遺構があるのやら・・どこまで曲輪が続いいているのやら・・というほどの壮大な構えです。
よくぞここまで築き上げたものだと感心してしまします。

・・となるとこれだけの規模の城です、この城の常備兵はいったい何人いたのでしょう?
いざ戦時中(籠城中)はいったい何千人という兵数が収容できたのでしょう?
中途半端な配備兵ではこの城は守り切れません。

こう考えると先程の水の手の豊富さもまたシンボルチックな山を選んで築城されたのも
すべて考えられてのことだと思います。

小野城は間違いなく中濃部最大の本城として機能していたことでしょう。




水攻め本陣 太閤山砦

美濃 太閤山砦 (岐阜県羽島市福寿町間島)

竹鼻城を水攻めにかけた際に秀吉が本陣を構えた高台がここと伝えられています。
ちょうど一夜堤の後方に構えた場所にあたります。一夜堤については竹鼻城と一夜堤を参照してください。

IMG_7250.jpg太閤山砦一帯の八幡神社

IMG_7244.jpg太閤山を示す石碑

現在八幡神社一帯の小丘がその名残りを留めているようです。
石碑には太閤山と五輪塔の由来文が書かれていました。

高台に登って竹鼻城方面を覗いてみました。・・が・・見えません(;д;)。
当時は遮るものなく見えたんでしょうね・・。秀吉になったつもりで目を凝らしてみますが・・。
この竹鼻城関連史跡めぐりで想像力がたくましくなった気がしてなりません。

竹鼻城と一夜堤を巡る

美濃 竹鼻城 (岐阜県羽島市竹鼻町) <羽島市指定史跡>

そもそもの築城は応仁年間、竹腰尚隆によるものとされていますが、その後
土岐氏、斎藤氏、織田氏と時代の権力者に従っていきました。
戦国期は織田信雄の家臣であった不破源六広綱が居城としていました。

IMG_7240.jpg竹鼻城石碑と説明版

この城は小牧・長久手の戦いにおいて尾張へ出陣した羽柴軍によって水攻めに
されたことで有名です。不破源六広綱は20日間余りに及ぶ水攻めに降伏しました。

ちなみに「水攻め」された城の実例はそんなに確認さていません。
一番有名なのはなんといっても織田軍の羽柴秀吉による備中高松城の水攻めでしょうか。
次はどうでしょう、羽柴軍の小田原合戦の際、石田三成が武蔵忍城に寄せた際の水攻めでしょうか。

では、その次は・・地元びいきでここ竹鼻城!としたいところですが・・
なんでも「日本3大水攻め」なるものがございまして(誰が何を基準につけたものか・・)
羽柴軍による紀州太田城の水攻めだそうです(T_T)・・。なんか悔しさが込み上げてきました。

今回の竹鼻城は残念ながら見所がないので、その代わりに秀吉による水攻めがいかなる規模
のものだったのか、その址を追ってみました。
竹鼻城周辺には秀吉によって築かれた「一夜堤」の碑が何ヶ所か見られますね。
(ホント羽島市には敬服いたします)。

IMG_7383.jpg羽島市営斎場西側の一夜堤碑(北端)

IMG_7379.jpg今町交差点西の一夜堤碑

IMG_7238.jpg蒲池交差点南東の一夜堤碑

IMG_7381.jpg羽島郵便局西向かい地の一夜堤碑(南端)

確認できたものは4ケ所ですがこの4ケ所を点と線で結べばぐるっと竹鼻城を包み込むように
半周にかけて取り囲んでいたであろう様子がわかります。その土木量たるや相当なものだった事でしょう。

そして個人的にこの一夜堤を探しめぐるラリーはなかなか楽しいものがありました。

そしてこの城は関ケ原の戦いにも前哨戦の地として再び巻き込まれます。
西軍に呼応した織田秀信(信長嫡孫)の家臣、杉浦重勝が立て籠もりますが
東軍の先鋒、福島正則らに城は落とされます。重勝は自害したようです。

現在城址碑と説明版が羽島市歴史民俗資料館の前に建てられていました。

印食城に寄ってみる

印食城(羽島郡笠松町八剣3丁目)
専光寺一帯が城址だということですが遺構はもちろん、説明版などもありません。
ただ・・昔来たときは確か案内板があったような・・気が・・するなぁ・・。

IMG_7355.jpg印食城址の専光寺

現在山門脇にある案内版は南北朝時代、南朝の護良親王の忠臣村上彦四郎義光
の説明版でした。印食城のことにはまったくふれられていませんでした。‥残念( ノД`)。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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