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二津野ダム見学と谷瀬の吊り橋

二津野ダム(奈良県吉野郡十津川村)<新宮川水系熊野川>

今回の旅行で「高野山」と「熊野本宮大社」参拝という2大目的を果せることができて
ひとまず満足。帰路につきますが帰りがてら寄れる観光地も寄っていこうと思いました。

まずは二津野ダムに寄ってみました。

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風屋ダムと二津野ダム双方のダムカードがいただけます。「二津野(ふたつの)」だけに二つのカードが貰えます(#^.^#)。

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アーチ式ダム特有の天端ですが、こちら左右対称、同心円で形成されています。

IMG_8783.jpgゲートからの放水中に行き会えると嬉しいですね\(^o^)/。結構迫力あります。

風屋ダム・二津野ダム建設によって国道168号が整備され、陸の孤島であった十津川村は
交通アクセスが大きく改善されています。

走っていて気が付いたことは確かにダム周辺の国道には新設されたトンネルも多く
付け替えされた新しい道や架橋も進んでいます。

現在も更なる改良工事があちらこちらで進められていますね。
ダムは人の流れも変えていくようです。

谷瀬の大橋(奈良県吉野郡十津川村谷瀬)

昨日、宿探しに追われて行けなかった谷瀬の大橋にも寄っていきました。
十津川村をはじめ周辺の村々には集落をつなげる移動手段として吊り橋が所々に普通にあります。
ここが特別有名な吊り橋です。

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あいにくの雨で風もありますので結構揺れて怖いです・・。どんどん進んでいく母、大丈夫か?

床板も所々でパカパカ浮きます(もちろん大丈夫なんでしょうが・・)。
結局真ん中付近まで行って引き返してきました。

P1000960.jpg高い所は苦手でなないけど・・平気でもいられません(;_;)・・。

熊野本宮大社へ参拝

熊野本宮大社(和歌山県東牟婁郡本宮町本宮)

さぁ、熊野本宮に向かってホテルを出発します。

今日はあいにくの雨模様ですので運転には注意が必要です。
それにしてもいいお湯でした。まだ肌がスベスベしてます。ランニング後の朝風呂も最高でした。

IMG_8779.jpg途中、国道沿いにある滝「十二滝」。

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相変わらずの川沿い道をひたすら進むことになりますが、段々と道幅や道路が整備されてきています。

途中、道の駅で迷いながらも到着しました。
以前来たことがある父の目からみると周辺が随分と整備され様子が変わっているとのことです。
昔の記憶に開発整備、迷うのも無理からぬことですね。

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自分は古道から(写真:左)、父と母は参道から参拝に(写真:右)。
後でわかったのですが、やはり正面から参拝しないといけないらしい・・。

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を合わせて熊野三山といいます。

明治22年の大洪水により、大斎原は大きな被害を受けました。
当時は能舞台などもあり、今の8倍の規模を誇っていたそうです。
明治24年に上四社が現在地へ移され大斎原には中四社、下四社、境内摂末社の神々がお祀りされています。

IMG_8773.jpg古代本宮の地に神が降臨したと伝えられています。参拝の順番がありますよ。

成23年9月、紀伊半島大水害により再び大斎原や瑞鳳殿などに大きな被害を受けましたが
平成26年には瑞鳳殿が再建されるなど以前にも増した復興を遂げ現在に至ります。良かったですね。

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三本脚の八咫烏(やたがらす)です。八咫烏は、日本書紀・古事記の「神武東征」という物語に登場します。

神武天皇が、宮崎県(日向)から奈良県(橿原)に都を移し、大和朝廷を開いて初代天皇に即位するまでを描いた物語です。
天皇が熊野に到着された時、神の使者である八咫烏が奈良まで道案内をしたというエピソードから、熊野三山に共通する
「導きの神鳥」として信仰されるようになりました。

IMG_8778.jpg川の中州にあたる聖地、大斎原。

社殿が建てられたのは、飛鳥時代(615年)のこと。奈良時代には仏教を取り入れ、神=仏としておまつりするようになります。
平安時代になると、皇族・貴族の間に熊野信仰が広まり、京都から熊野古道を通って上皇や女院の一行が何度も参拝に訪れました。室町時代には、武士や庶民の間にも熊野信仰が広まっていました。

しかしよくもまぁ、あの山々を越えて来れるもんです。昔の人はみなさん余程信仰心が厚かったんですね。

佐久間信盛公のお墓へ

早朝ジョギングにて佐久間信盛公の墓へ <奈良県吉野郡十津川村武蔵>

前日の泊まり場探し中にて偶然にも案内板を見つけてしまいました。
な、なんとあの佐久間信盛さんのお墓がこのような山奥にあるなんて・・。
知らなかった・・。これは収穫ネタです。

IMG_1349.jpg案内板の右手の急坂を走り登る!

早速、次の日の早朝にジョギングにてお墓参りに行ってみました。
結構な坂道を走り登っていきます。途中、あまりの傾斜のため歩きます。
ホテルからかなり高い山中へ入っていきました。
武蔵、という集落に到着。自分、息はあがり、汗ぐしょぐしょではありませんか。
というか、このような山中に集落があること自体が驚きでした。旧小学校の跡まであるんです。

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旧武蔵小学校の跡。決まった日に一般公開されているとのことです。懐かしい校舎ですね。

小道の奥に進んでいくと・・ホントです。佐久間信盛の墓です。
織田信長の宿老ほどの方がここで生涯を閉じられたのですね・・(しみじみ・・)。
あれ?楠正勝のお墓もあんの(・・って誰)?

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楠正勝はあの楠正成の孫!彼もこの地で・・!。驚きの連続です。

IMG_1325.jpg説明不足!しかも楠正勝のほうが扱い上なんですね・・(´・_・`)。

佐久間信盛は柴田勝家、丹羽長秀、林秀貞らと共に信長の重臣としてほとんどすべての主要な戦いに
参戦。家臣団の筆頭格と言われていました。

「かかれ柴田に退き佐久間 米五郎左に木綿藤吉」
突撃に強い柴田勝家
退却のうまい佐久間信盛
米のように必要な丹羽長秀
木綿のように丈夫な羽柴秀吉
とまでうたわれたように、武将としても官僚としもなくてはならない人材でした。

信盛は本願寺攻めの指揮官として就任中、戦果があがらないとして突然信長により
折檻状を突き付けられて高野山に追放されました。
・・とここまでは自分も知っていました。・・が・・。
その後、高野山での在住すら許されずにこの地に落ちたとのことでした。

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信長に30年も仕えたのに・・。傍らには最後まで付き従った小者であろう方のお墓もありました。

IMG_1343.jpg武蔵集落。信盛もこの景色を眺めていたのかな。

信盛の気持ちを思うと無念いくばくかと思いますが、自分はただ合掌することしかできませんでした。
信盛はなんでも湯泉地温泉で湯治中に没し、この地に葬られたとのととです。
自分も今日、湯泉地温泉で温泉に入りました。これも何かの縁ですね。

この場所に来れたのは果たして偶然でしょうか?
自分には何かに導かれたような感じがしてなりません。しばし景色を眺めたのち、ここをあとにしました。

今度はものすごい降り道を走り下ります。しかし、この道が封鎖されたら集落は完全に陸の孤島になりますね。
さぁ、早くホテルに帰って朝食たべなきゃ。


十津川温泉郷・湯泉地温泉にて宿泊

湯泉地温泉・ホテル一乃湯さんにて宿泊

本日はぶらり旅、よって前もって宿を予約、なんて周到な準備はしておりません。
当日、ぶっつけ本番押しかけスタイルです。
父も商売で旅生活が板についているせいか、なぜか我が家の旅行は昔からこの手法が独特のスタイルとなっています。

目についた旅館や民宿を手あたり次第、飛び込み、当たり問いをする、まったく先の見えない手法です。
宿が空いていれば素泊まりでもよし。どこもなければ車中泊・野宿も辞さず、という決意です。

・・ですが、平日だからどこか空いているだろう・・という楽観的な考えが先にたってのこともあります。
予想どおりやはり最初から何件か体よく断られていきます。
以外と工事関係者の連泊組であふれている地域もあります。

「今日は部屋がいっぱいで・・」(そうですよね・・)
「今日はうちのモンがおらんので・・」(ちぃ・・呼び戻せんのかい)
「準備ができんので・・」(仕事せいよ・・)
「廃業してまして・・」(・・えっ!?)

しかし幸いにしてアンビリーバブルなことに宿が見つかるものです。
いつもこんな感じで改めてよくやってこれたものです。
これも旅の醍醐味としゃれ込んで楽しんでいるのです(家族でなければたまったもんではありません)。

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本日の宿はこちら・・湯泉地温泉・ホテル一乃湯さんです。これぞほんとのリバーサイドホテル。

IMG_87901.jpg源泉かけ流しの露天風呂付で周囲は高い山々に囲まれています。

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風景も山と川の大自然でのんびり。急な泊りにも関わらずしっかりした夕食をいただきました。
露天風呂は肌が「ぬるすべ」になり温泉の効能がありそうです。「最低三回は入ってください」と女将さんから。

IMG_13551.jpg雄大な自然に囲まれてリラックス、いやぁ~気持ち良かったです((⊂(^ω^)⊃))。

猿谷ダムと風屋ダム見学

猿谷ダム(奈良県五條市大塔町辻堂・猿谷)<新宮川水系熊野川>

このダムは高野山から十津川へ向かう県道53号線(高野天川線)の狭い道を降り終え、国道158号線
に合流した十津川街道沿いにあります。
・・街道といっても周りは山・山・そのまた山・・。
ひたすらに川沿いの道とトンネルを進むのみ。

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猿谷ダムの概要説明版(写真:左) 猿谷だけに猿?のベンチが可愛らしい(写真:右)

慢性的な水不足で悩まされていた平野部への灌漑用水補給のため建設されたとのことです。
戦後間もない建設事業でしたので岐阜県の丸山ダム同様、老朽感があります。

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当日はコンジットゲートからの放水が少しありました。

国土交通省直轄のダムでは珍しい洪水調節機能を持たない利水専用ダム(猿谷ダム以外では北海道の芦別ダムがあるのみ)。
近年の土砂崩れや落石のため山上のダム公園には立ち入りができず残念でした。

IMG_8762.jpg重量式コンクリートダム。しまった、広角レンズ忘れた・・(ノ_<)。

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ダム湖は猿谷貯水池(写真:左) 周囲の山々(写真:右)

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天端にも時代を感じる(写真:左) ダムカードとパンフを頂きました。(写真:右)

風屋ダム(奈良県吉野郡十津川村)<新宮川水系熊野川>

猿谷ダムから南に走ること50分程で風屋ダムに到着しました。
こちらのダムは管理事務所が無人のためダムカードは下流の十津川第一発電所(小原地区)か
もしくはもう一つ南下流の二津野ダムでいただくことになります。
自分は現地に着くまでそのことを知りませんでした(冷や汗)。あとで二津野ダムで頂くことに・・。

IMG_8771.jpg重力式コンクリートダム。下流の橋からよく見えました。

ほとんど通過しただけなので写真はこれだけ。ダムカードは二津野ダムにていただきました!

高野山参詣

高野山~真言宗総本山金剛峯寺他~(和歌山県伊都郡高野町高野山)

今回も父と母とのぶらり三人旅になりそうです。
本州も梅雨に入ったということですが天気はよく晴天、さわやかな陽気です。
朝早く起床して父と運転を交代しながら来たかいがあります。

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麓を流れる吉野川。ここを越えて登っていきます(もちろん車で)。

「高野山」といっても”高野山”という山があるわけではありません。
どういうことかというと・・。
「高野山」は、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた
標高約800mほどの盆地状の平地の地域を指します。

IMG_1299.jpg周囲はとても山深く俗世とは切り離されています。

弘法大師 空海 が時の嵯峨天皇から高野山の地を賜ったのは約1200年前の弘仁7年(816年)。

八つの峰々に囲まれているその地形は『蓮の花が開いたような』と形容されており、空海は高野山を
八葉蓮華(八枚の花弁をもつ蓮の花=曼荼羅の象徴)と見なし山上に曼荼羅世界の展開を企画したそうです。
現在でも117の寺院が密集する日本では他に例を見ない一大宗教都市となっています。

ですので、天台宗総本山比叡山=延暦寺、のような図式ではありません。

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大門
山の総門であり、正門でもあります。 もとは現在地から西5町ほど下方にあったものが保廷6年(1140年)に移され、現在の建物は宝水2年(1705年)の再建で、山岳仏教を表わす堂々たる風格をたたえ、両脇では金剛力士像がにらみを利かせています。

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檀上伽藍
弘法大師がお住まいになったとされる御影堂、高野山のシンボルと言われる根本大塔をはじめ金堂や不動堂、西塔、東塔などの国宝や重要文化財に指定されている建物があります。

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色鮮やかな根本大塔。美しい容姿に目を奪われます。

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金堂。高野山での大切な行事のほとんどがこちらで行われます。

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大会堂(写真:左)と蛇腹道から東塔を見ます(写真:右)。

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続いて金剛峯寺へ向かいました。

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金剛峯寺
高野山真言宗の総本山にして全国の真言宗の総本山でもあります。
全国3,600に及ぶ末寺の宗務を執っているそうです。
明治初年(1868年)、興山寺と秀吉が建てた青厳寺と合併して金剛峯寺と改称しました。
襖絵で飾られた部屋や、豪壮な台所のほか、秀次切腹の間や蟠龍庭、日本最大の石庭などが拝観できます。

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参道入口から奥の院へ(写真:左)一の橋から御廟まで約2キロの参道には何百年も経た老杉がそびえます。(写真:右)

奥の院には名だたる武将から庶民まで20万基を超す墓碑や供養塔がならぶといわれています。
これは、弘法大師の足元に眠れば極楽住生できるという信仰によるものです。
代表して印象に残った前田利家、森忠政、上杉謙信、織田信長らの墓・供養塔を紹介しておきます。
他にも武田信玄に豊臣秀吉、石田三成や明智光秀・・とあげればきりがありません。

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前田利家(写真:左) 森忠政(写真:右)
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上杉謙信(写真:左) 織田信長(写真:右)

歴史上の人物のほとんどを見出すことができ、まさに夢のオールスター。老樹の間から木漏れ日がさし、線香の香りが漂う中を歩くとなにか荘厳な気持ちになりました。

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玉川の水行場(写真:左)。奥の院御供所(写真:右)。

IMG_8750.jpg奥の院 弘法大師御廟・燈籠堂へ向かいます。

弘法大使入定留身の地。
弘法大師ご入定のあと、弟子たちは大師が希望していた通り、足もとに玉川の清流が流れるこの地に廟を建てました。
大師は今も変わらない姿でおられると信じられ、高野山参詣の人々は、必ず訪れます。

(注意)当然のことながらここから先は撮影禁止エリアです。
信仰あるなしに関わらず観光気分から引き締まった気持ちに切り替わります。

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弘法大師御廟手前に小さいお堂がありますが、その中に「みろく石」と呼ばれる石が置かれています。

この「みろく石」、善人には軽く、悪人は重く感じられると言われていますが・・。
恐る恐る・・持ってみました・・。
!?・・めっちゃ重いやんか!自分、大悪人やで!(@゚Д゚)@)
まだまだ修行が足りないようです。もっと自分を律し、自分を磨き続けていこう!と思いました。

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高野山キャラクター 「こうやくん」 です。   なんて名前の鳥なんだろう?

本日は父母も本当によく歩きました。手元のGPSウォッチでは8km、父の万歩計にして12000歩。
たくさん歩いた分、自分を見つめ直し、思い出も深い高野山参詣となりました。
これより十津川温泉郷の宿へ向かいました。

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今尾城 🏯小学校校門が城門に感じる・・

今尾城(岐阜県海津市平田町今尾)
もし自分の通っていた母校が城址だったら・・なんて、それだけで誇らしいじゃないですか?
校歌に盛り込まれてたりして。毎日が登校ならぬ登城?だったりして(妄想中)。

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引き城門のような格式ある校門です。

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この今尾城は室町時代末期に美濃の守護代斉藤氏の配下・中島三郎太夫重長によって建てられたものです。
江戸時代には尾張藩の管轄となり尾張藩附家老・竹腰氏の居城となりました。(写真:左)

関ケ原の戦いでは今尾城主市橋長勝が東軍に加わり、松ノ木城の徳永寿昌らとともに福束城の丸毛兼利や
高須城の高木盛兼を攻め東軍の勝利に貢献しました。(写真:右)

平日の授業のある日でしたので先生に見学の許可をいただきました。ちょっと緊張しますね。
マナーですが決して不審者ではありません的なアピールも大切ですね。

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シンボルの大エノキ。とても枝振りのいい立派なエノキです。
時代を見てきた、子供たちを見守ってきた、そんな存在感です。

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うん。城址碑もきれいに大切にされていますね。由来石碑が重みあります。

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城の土塁の一部とされていて唯一の遺構と見られますが・・。・・よくわかりませんね。

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今尾小学校の南東、西願寺の山門には今尾城の城門が移築されています。

大きなショッピングセンターもなく商店街ものどかな今尾集落。のんびり歩けて気持ち良かったです。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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