上手向城 🏯一城別郭?詰め城・館城関係?それとも?

上手向城(岐阜県恵那市山岡町上手向城ヶ峯)

下手向城とセットでこちら上手向城も登ってみます。
下手向城同様、こちらも城山自体は「どれが?」「どこが?」と言いたいほど目立たない山です。
およそ要害とは言えない地形ですが・・。

kamitouge (17)こうして見ても周囲とほぼ同じ高さの平凡な丘陵地です。

上手向城は二つの同規模の城郭が確認でき、お互いの距離はわずか40メートル程。
一方を城ヶ峯、もう一方が隠居ヶ峯(隠居峯)と呼ばれ、いってみれば2つで一つの・・
「バロム・クロス式城郭」です。
・・すみません・・そんな城郭用語はありませんので・・。
ただ言ってみたかっただけですので・・ご容赦を願います(でも、結構気に入ってます)。

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国道沿いにそびえ立つ一本杉が城址入口の目印です。馬頭観音の碑がある小山の奥の坂道を上がります。

kamitouge (20)
この小山からの岩村方面は街道を見おろす恰好の山ですので、城とも関係ありそうです。

坂道を上り詰めたところに民家があって個人宅の敷地に入ってしまいます。
ここは当然、一声かけて見学したい旨をお伝えします。
こちらのお宅はやはり城主の後裔の方であるとのことですね。

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個人宅の裏山にお邪魔する形になります。絶対に無断では入山しないようにしてください。

kamitouge (15)畑の奥の山が城ヶ峯にあたります。まずはこちらから見学を。

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郭内は下草もなく、木々も手入れされとても見学しやすいです。

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切岸がしっかり施され、全体的にメリハリのある段差が見られます。

kamitouge (7)頂部の櫓台風の段。周囲には武者走りがとりまいています。

kamitouge (6)
内部も主郭にふさわしく真平らに成型されています。

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西に連なる鞍部には土橋を設けて堀切状のようになっています。東に連なる尾根は無防備ですね。

続けて隠居峯にも行ってみます。

kamitouge (10)城ヶ峯からみた隠居峯、ホント目と鼻の先とはこのことです。

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こちらの遺構はややブッシュ藪ですが、それでも土塁と堀切のセット遺構がよく残っています。(写真右:土塁)

kamitouge (13)尾根を深く遮断する堀切にたまげます(;゜0゜)。

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氏神様が祭ってあり大切に守られてきた地であることがわかります。

『丹羽氏覚書』や「大井武並神社再建棟札」の写しによれば、永禄年間の城主は勝氏で
勝内蔵助義重、子の亦右衛門義氏親子の名が見られ、遠山氏の家臣として在城していたようです。
遠山氏とのつながりが強かった在地領主であったようです。

何故それほど要害性のないこの場所に2つの城郭遺構が存在すのか?
いろいろ考察しみるのも面白いものです。例えば・・。

・単純に詰め城と居館の関係で済まされるのか?
 (それにしてはお互いが近すぎます・・。)
・時代違いの遺構でしょうか?
 (遺構自体に新旧を見分けるほどの違いは見当たりません・・。)
・勝氏と外部勢力の別々の持城でしょうか?
 (これはアリですが・・一城別郭ともとれます・・。)

いずれにしてもお互いが補い合いながら併存していたように見られます。
逆に言えば築城の狙いも天険に頼るというより何か違う目的があったようです。

自分としては・・この2つの城の間を通らないといけない道があったとしたら(実際あるんですが)
・・通り抜けるのに怖いですね。

等々‥あれこれ想像できる玄人向け、城通(しろつう)好みの城郭訪問でした。

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下手向城 🏯技巧的な縄張りが完存

下手向城(岐阜県恵那市山岡町下手向繁広)

小里川沿いの下手向集落を見おろす山頂にある城址です。
・・といっても特別目立つ山容でもないため、城山を見つけるのは結構大変かもしれません。
下手向簡易郵便局の後ろの山(北西方面)にあたります。

simotouge (1)比較的なだらかな山で登りやすそう。

simotouge (11)
蔵のあるお宅を沢沿いに入ると砂防ダムを経て城の西側にとりつけます。

simotouge (5) simotouge (3)
山頂にはよく整地された広い郭があり、主郭をなしてます。奥には土塁があります。

昔からある程度の山の管理がされているのでしょう。手入れされている山は遺構も見やすいです。
そして尾根側の巨大な土塁が目にはいってきます。まさしくこれぞ「土塁」という代物です!

simotouge (2)高さもさることながら長さも厚みもある土塁にしばし見とれてしまいます。

simotouge (4)背後の堀切も大きく遮断性が非常に強い感じがします。

simotouge (6) simotouge (8)
主郭の周囲、南から西へかけて横堀をめぐらしてあります。竪堀、竪土塁も併用してるんですね。

simotouge (7)主郭周囲の切岸の様子です。これでは登れそうもありません・・。

『丹羽氏覚書』にみられる石垣というのはこの斜面に残る自然石の固まりかもしれません。
同書によると下手向城は遠山馬之助の御内衆、渡辺氏の屋敷城との記述があります。
しかし、遺構の普請量や発達した縄張り技術を観察してみると、外部勢力による改築があったのでしょう。

simotouge (9)
城山中腹からの眺めですが、視界はそれほど効くようには感じません。

最近では武田氏による改築が指摘され、可能性としてその見方が高いようです。
岩村周辺の拠点として小里城方面(織田氏勢力圏)への備えとしていじられたのでしょうか?

下手向城のある地名は”繁広”とよばれ別名「繁広城(重弘城)」ともよばれています。
西を流れる沢も繁広川と呼ばれています。
これは「しげひろ」という人の名前が地名に残ったとされる考えもあるようで(山岡町史より)
城主の名前であった可能性もあるようです。

岩村城を摂取した秋山虎繁の”繁”の一字を拝領した部将、ナニナニ繁広なる人物がこの城の
城代として改変に携わった、なんていう推理もしたりして。

釜井館 🏯珍しい構造の屋敷城

釜井館(山田城)(岐阜県恵那市山岡町馬場山田釜井)<市指定史跡>

小里川をはさんで和田城のすぐお向かいに釜井館はあります。
どれくらい近いかというと‥。

kamaiyakata (3)これくらい近いんです!(^∇^)

kamaiyakata (5)
居館部に相当するスペースは非常にひろく、館城の様相が色濃く見られます。

kamaiyakata (1)
本丸の東西には高い土塁と横堀で仕切られています。

kamaiyakata9.jpg
”武家屋敷跡”として標柱が建っていますが・・”釜井館跡”ではダメですかね?

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屋敷にしては異常なまでの高土塁で櫓台と思われる箇所もみられます(写真:左)。
東側の堀は特に深く土塁と平行に伸びています(写真:右)。

東濃地方では珍しいタイプの遺構配置ですので、どのような領主によって築かれたのか興味深々です。
在地勢力の遠山氏なのか、岩村に乗り込んだ武田勢力によるものなのか・・。
いずれにしてもかなりの勢力をもった者による作事量ですね。

kamaiyakata (2)岩村、明知、小里方面の主要道が交差する要衝に位置しています。

牧砦 🏯釜井館の出城

牧砦(岐阜県恵那市山岡町馬場山田牧)

山岡町史に挙げられている釜井館の支城、牧の砦を訪れてみました。

makitoride (1)牧砦を田園から眺めます。田面に映る小山はいかにも砦です。

makitoride (5) makitoride (8)
すぐ脇を明知鉄道が通っています。のどかな雰囲気で花々も咲くに美しい。

makitoride (7)
牧砦の山を南から。写真中央の南十三組集会所に駐車して登ります。

makitoride (2)
三社宮一帯が砦跡かと思われ、右手の山頂に平地があります。

makitoride (4) makitoride (3)
北に下がった所に曲輪と思われる2段の平坦地があり、腰曲輪か屋敷址と思われます。

釜井館と牧砦は丘陵にはばまれてお互いの姿は直視はできませんが
それゆえに釜井館を補う目的と監視の役目を担ったものだと解釈できます。

鯰江城 🏯六角氏関連城郭に立ち寄り

鯰江城(滋賀県東近江市鯰江町)

近江八幡からの帰り道、ちょっと寄り道をしてみました。
鯰江城は六角氏の臣、鯰江氏の居城です。ナマズがたくさんいたんでしょうか?

namazue1 (1) namazue1 (2)
観音寺城を追われた六角義賢親子を迎えたことから織田信長の攻撃を受けて落城しました。

namazue1 (4)
現在遺構はありませんが、高台になったところに本丸があったようです。

namazue1 (3)名神高速道、八日市I.Cから近いので利用されるのであれば是非お立ち寄りを。


近江八幡山城と水郷めぐり

近江八幡山城(滋賀県近江八幡市宮内町:八幡山)

本日は梅雨の中休みといった快晴で気持ちのいい日です。
そして結婚20年を祝してのドライブでもあります(#^.^#)。

以前、まだ当時”彼女”だった奥様と一緒に訪れているのですが・・。
当の本人は覚えていないそうで・・
まぁ、当時からそれだけあちこち(城に・・)連れまわしていた、ということなんでしょう。
仕方ありませんし、もう時効という年月も経過しました。
むしろ、こんな自分によく付いてきてくれたものです。感謝したいですね。マジで。

・・なので今日は思い出に残るような小旅行になればいいなぁという気持ちです。
そしてやってきました、八幡山。
ロープウェイ出発30秒前に到着したので、係りの方に急かされて思わず往復券×2枚を買ってしまいました。
帰りはゆっくりと秀次居館まで下山しようと思っていたんですが・・。まぁいいか・・。

IMG_8888.jpg八幡山へはロープウェイで頂上まで。

IMG_8854.jpg IMG_8855.jpg
割と急峻な山ですがロープウェイで登ること4分(楽ちんです)。

途中、眼下に羽柴秀次の作った城下町が見えてきます。碁盤の目のような街並みが特徴的です。
城下には安土から多くの商人たちが移住し、一大商業都市の賑わいを見せていました。

IMG_8875.jpg総石垣の城郭だったので山頂部には見事な高石垣が見られます。

IMG_8857.jpgかわいい地蔵さんがお出迎え。頭がツルツルで思わず撫でてしまう。

IMG_8858.jpg角部の石垣は算木積が見られ加工石材が使われています。

IMG_8866.jpg北西二の丸からの琵琶湖の眺めは抜群!しばしベンチでゆっくり見とれます。

IMG_8861.jpg IMG_8867.jpg 
散策コースはよく整備されて歩きやすく、今が見ごろのアジサイがとても色鮮やかに咲いていました。

IMG_8868.jpg
カップル向けの趣向がちらほら・・。そんな時期もあったんですね。

IMG_8869.jpg IMG_8870.jpg
本丸は瑞龍寺となり、京都から移築された山門が八幡山城の本丸虎口となっています。

IMG_8871.jpg安土城と観音寺城方面。水郷も見えて良い眺めです。

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城下の日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)。当日は厳かに結婚式が挙げられていました。

なんか20年目の自分達を見ているようで懐かしいような恥ずかしいような思い出が甦ってきます。
神前でかまないように誓いの言葉をゆっくり読み上げる新郎さんは真剣そのもの。
そのかたわらに寄りそう新婦さんも緊張しつつ幸せそうです。

僕たちもきっとあんな感じだったのでしょう。
僕たちからも心の中で拍手を送りました。ご多幸をお祈り申し上げます。

そして次は秀次さんに会いに行きます。

IMG_8882.jpg IMG_8879.jpg八幡山城主、豊臣秀次公銅像。

秀次はここ近江八幡の商業発展の礎を築いた名君です。
小牧・長久手合戦では総大将として出陣するも経験不足のために手痛い敗戦を経験します。
しかしその後、実に多くの合戦に参加、大将格の立場で秀吉に貢献しています。

彼もまた負けたことで経験を積み成長していった武将なのであります。
秀吉の弟の秀長といい秀次といい、本来武士になるべき身分ではありませんでしたが
一族として秀吉の支えになろうと切磋琢磨していたのでしょう。

秀吉も秀次を後継者として認め、ハクを付けさせ期待を寄せていたようです。
秀次もそれに応えようと努力してきたのでしょう。
しかし・・、その後の彼の悪夢のような暗転劇は周知のとおりです。

とにかく・・、自分の尊敬する武将の一人です。訪れたことができて良かった。
そして次は水郷めぐりですが、まずは八幡堀に向かいました。

IMG_8890.jpg八幡堀には風情がありますね。ワクワクしてきました((∩^Д^∩))。

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屋形船は10人ほどが乗船できます。エンジン船ですが静かで快適。気持ちよくて寝てしまいそう。

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白壁の土蔵が立ち並ぶ風景や石垣で囲われた水路をのんびり、ゆったり楽しめます。

IMG_8914.jpg情緒ある風景に心も安らぎます。

IMG_8916.jpg船頭さん手漕ぎの水郷めぐりもいいですね(また次回ですね)。

姉川ダム見学

姉川ダム(滋賀県米原市曲谷)

「姉川」というと「姉川の合戦」(野村合戦とも三田村合戦とも呼びますが・・)を真っ先に思い浮かべます。
織田・徳川連合軍が浅井・朝倉連合軍と激戦を繰り広げたことで有名ですね。

ちなみに「妹川」も近くの支流にあります。
美しい姉妹が龍になって洪水から村を救ったという「姉川・妹川の民話」など
姉川周辺には、龍にまつわる話がたくさん伝えられています。

anegawadam (10) anegawadam (9)
白いダムと谷をぬう湖の姿が、水害から人を守った龍のようにも見えることから「白龍湖」と命名されたという。

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全体的にすっきりしたデザインの堤体です。

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直線でシンプルな天端(写真:左)と姉川ダムカード(写真:右)

anegawadam (3) anegawadam (4)ダムはツバメの遊び場です。

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カーブを描く減勢工。地形の制約を受けての姿なのでしょう。

anegawadam (11)姉川ダムを見上げます。それにしてもスッキリとしたフォルムです。

久保原城 🏯単郭にして巨大な堀切を持つ

久保原城(中西城)(岐阜県恵那市山岡町久保原中西)

山岡町は比較的標高の低い丘山の連続の風景です。
なかでも久保原地区は「九十九谷」といわれるほど丘山と谷が多い里山であります。
「つくもだに」と読みます。読めましたか?

IMG_6344.jpg
久保原城よりの眺め。丘城のため眺望はそれほどでもありませんが、九十九谷の様子がわかります。

久保原城はそんな丘山の山上に築かれた城であります。
小字の中西という地名から中西城とも呼ばれています。

IMG_8557.jpg国道から見た久保原城の丘山。

IMG_6351.jpg IMG_6350.jpg
ほぼ単郭の曲輪内はよく整地されており、輪郭もはっきりとしています。

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北端部には小高い土塁がありますが、割と低く短いのが特徴。

IMG_6347.jpg背後に潜む深く切り込まれた大堀切は見事です。

この久保原城の城主や来歴もあまりよくわかっていませんが、飯羽間遠山氏との地縁から遠山一族の
城郭だったといわれています。この地の地元有力者の城として注目されます。

それにしても登りやすい高さの城です。頂上の平地にも居住性が感じられ、周囲の民家の屋根も
まじかに見えます。麓のお宅もきっと城主と関係がある家系でいらっしゃるのではないでしょうか。

和田城 🏯山岡町ならではの城郭

和田城(岐阜県恵那市山岡町馬場山田和田)

山岡町には各集落に城の存在がみられます。
集落の数だけ城があった、というわけではありません。
その立地条件ゆえに城館がこの地域に集中した、と解釈したほうが良いでしょう。

その中の一つの和田城を訪ねてみました。
ライスセンターの西の山尾根にありますが、地元の方に聞くと
小学校跡地の裏山が城のあった山、といったふうに指さしで教えていただきました。
ありがとうございます。

IMG_8176.jpgピークが二つありますが奥の頂部のほうが主郭になります。

IMG_8159.jpg腰郭から本郭を見上げる。斜面が急です。

IMG_8169.jpg低い土塁(奥の微高地)をこしらえた本郭の様子。

主郭部は円形の広い郭になっていますが、倒木や下草のため歩きにくい状態です。
東側には虎口と思われる出入り口の遺構もみられます。
西の尾根直下は差のある堀切がみられました。

IMG_8164.jpgブッシュで判りずらいですが尾根筋の堀切の様子。

以前・・そうですね、15年前程前に来たときはなかった林道ができているじゃありませんか。
悪い予感がします・・。そして予感は的中しました。

IMG_8165.jpgやはり・・尾根筋周辺の遺構が破壊されていました・・。

林道は必要なものですが・・、もう少し遺構に配慮してつけて欲しいところです。
しかも見た限り手入れもされず草ぼうぼうの林道でした。
林道ついでに城址碑の一つでも立ててくればいいものを・・(勝手な願望)。

和田城に関しては城主や来歴は、はっきりわかっていません。
すぐ近くの釜井山田城との関連性は考えられますが、岩村に通じる街道を監視できる
位置にあるので押さえの城として機能したのでしょうね。

上之保の城山 🏯果たして城はあったのか?

上之保の城山(岐阜県関市上之保・城山(護王山))

上之保村、とてものどかな里です。上之保温泉「ほほえみの湯」があります。
こじんまりした日帰り入浴温泉施設ですが、雰囲気がお気に入りです。
以前はよく親と子供、弟ファミリー、まさに一族総出で湯浴みドライブに来たものです。

露天風呂から見える「城山」。以前から「あの山頂には城があったのかなぁ・・いつか登ってみよう」と
思いながらお湯に浸かっていたものですが、今日は長年の念願を叶えたいと思いました。

ちなみに”○○城”と城名がついているわけではありません。
でも「城山」ってかなりの確率でなんらかの城郭遺構が残っているものです。かすかな期待が心躍らせます。
果たして城はあったのか?この目で確かめたいのです。

IMG_8029.jpgほほえみの湯から城山を眺めます。

本来なら登り口からの紹介をしたいところですが、「このルート」といったものがありません。
城山の東麓集落、松本集落から尾根沿いを登るのがベストだと思います。
山頂に向かって尾根を進むと小ピークが数ヶ所あり進行方向が変わります。
国土地理院の地形図とコンパスは必須アイテムです。

IMG_8011.jpg山頂部は2段の削平地があるように見えます。
IMG_8020.jpg頂上に続く道には僅かながら石段らしき遺構が。

どうやら堀切や土塁といった城の防御施設は見当たらないようです。
虎口も明確なものはありませんね。

IMG_8007.jpg頂上には山名を標した三角点立て札があります。これだけでも嬉しいもんです( ^ω^ )。
「JOHYAMA](じょうやま)と表記されてありますが(しろやま)とは読まないのかなぁ。

IMG_8017.jpg頂上には整地された削平地がありますが・・。

NHKをはじめとする通信施設が並び立ちしており、加工された削平地なのか判断しがたいですね。
しかし、周囲の法面をよく観察してみますと・・。これは・・。

IMG_8012.jpg山頂部の周囲は切岸の加工が施されています。

写真ではわかりずらいですが周囲の法面は斜面をつけられ、自然地形の法面ではありません。
ちゃんと整形されていることがわかりました。

IMG_8026.jpg山頂部の少し下から上之保集落と大洞城を俯瞰。よい眺めです。

中央部にほほえみの湯がとてもよく見えます。そして南の奥に大洞城(一柳城)も実によく見えます。
ここからの眺めと削平された頂上部・・。
ちょっと推理してみましょうか。

大洞城は郡上遠藤氏の動向に備えて織田信長が一柳直末に銘じて改修を命じました。
しかし大洞城から見た郡上方面は背面。よって伝えの施設や狼煙施設が必要です。
その役を担ったのがここ「上之保の城山」だったのではないでしょうか?

あくまで希望的な部分もありますが、そう考えれば山頂部の削平地や防御施設の不備も納得。
というか、つじつまが合います。
個人的には上之保の城山には”城”に準じる”狼煙台”程度のものがあった。と思っています。

ともあれ、いつも下から眺めていた城山を逆に山頂から眺めることができるなんて・・。
それだけでも登ってきたかいがありました。

帰りに近くをちょっと寄り道。

IMG_8043.jpg IMG_8041.jpg

名水”お宮の清水”に寄ってみました。白鬚神社境内の裏に澄み切った地下水が
こんこんと湧き出ています。

IMG_8039.jpg IMG_8038.jpg

いぼに効くといわれ、箇所につけ、振り返らずに帰るといぼが治るといわれます。
水は生水なので自宅で煮沸して試飲してみました。うん、まろやか。・・ていうか正直、純水!でした。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
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