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越前 燧ヶ城 🏯北陸道第一の城郭に登城、下間頼照が守将。

越前 燧ヶ城(福井県南条郡南越前町今庄・愛宕山)<町指定史跡>

南越前町マラソン大会に出場するにあたってのもう一つの楽しみが山城めぐり。
大会前日に脚にダメージを与えては本末転倒。
脚に負担にならないようアップ程度にゆっくり登ってみましょう。

まずは燧ヶ城(ひうちがじょう)です。
読み方がわからず現地での案内板を見て初めて学習しました(;´・ω・)。
案内看板、ありがとう!

hiuti (19)燧ヶ城の愛宕山を日野川対岸より遠望。うーむ、いかにも城がありそうじゃ。

hiuti (3) hiuti (2)

燧城は鹿蒜川が日野川に合流する地点にあり、北陸街道を押される要衝に位置しています。
南は東近江へ、西は若狭に至る重要な街道でした。
もちろん、北は北国街道として北ノ庄や吉崎御坊まで一直線です。

燧ヶ城の登城口は北の新羅神社や観音堂から登るのが一般的です。
ハイキングコースや説明版があるからです。しかし・・。

今回はハイキングに来たわけではありません。城攻めに来たのです(きっぱり)!。
したがって本来の「大手口」だと言われている稲荷神社から登るのが筋。
この選択は拭い去れない試練なのであります。

脚に負担をかけないと言ったばかりなのに・・。(撤回します)。

hiuti (18) 登城口は尾根先端下の稲荷神社コースを選択。

燧ヶ城の築城年代は寿永2年(1183年)木曽義仲が平惟盛を迎え撃つ為に仁科守弘に命じて築城したのが
始まりとされ、南北朝時代には今庄浄慶の居城で府中の足利高経に属して杣山城の新田義貞と戦ったようです。

hiuti (4) 稲荷神社からの登城コースもよく整備されてます。

戦国時代には越前国守護斯波氏の家臣で赤座但馬守、魚住景固らが城主。
天正2年(1574年)一向一揆勢の下間頼照(しもつま らいしょう)らが籠ったが織田勢に敗れ、後、柴田勝家勢に守られました。

ちなみに・・この地にいた下間頼照、某戦国SLGシリーズでは本願寺勢力の坊官としてお馴染み。
個人的には”下間ファミリー”の中でもそこそこ使える人材だっただけに印象深い。
昔、ここにいたんだね・・。ライショウさん。

hiuti (5) hiuti (6)
大手郭には石垣がみられ感動。荒々しい野面積がいいですね。

hiuti (17)ササノハと苔が古城感をかもしだしてます。
歩いているとわかりますが、石垣の石は山中の石を使用しているようです。
麓からの登城ルートには同じ質の石が山肌にみられます。

hiuti (7)立派な城址碑です。このササノハとのコラボはなんかいいです(^ω^ ≡ ^ω^)。

hiuti (10) ←意外と単純な縄張りなんですね。

hiuti (13) hiuti (15)
堀切と土橋の様子(写真:左) と 本丸内部の様子(写真:右)

燧城は東西に伸びた尾根を削平し、東西二郭で構成されています。
東西それぞれに石垣で固めた土橋と堀切をもうけて城域を構成しています。
城外の尾根沿い一帯も兵の駐屯地として利用されたのでしょう。

hiuti (11)頂上からは今庄の町と杣山城方面がよく見えます。なるほど・・確かに要衝だ。

「源平盛衰記」に燧ヶ城をして、北陸道第一の城郭、と記されるだけのことはありますね。
現地の本丸に立ってその意味を納得した山城めぐりでした。さすが下間頼照殿(*・`ω´・)ゞ。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来4年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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