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美濃 小里城・城山城(後編・山頂部) 🏯山頂の天守台と山麓の居館部が楽しめる城

美濃 小里城・城山城 (岐阜県瑞浪市稲津町小里・城山) <県指定史跡>

小里城山城の築城期は定かでないにせよ、天文3年(1534年)頃に小里光忠による築城とされます。
小里新城から城山城へ移ったということですが、なんらかの軍事緊張があってのことでしょうか。
以前からあった簡単な砦施設を本格的に城郭として増強したのかもしれませんね。

orisiroyama01 (9)意外な所に立派な石碑があります。ヒントは・・矢印&道路!(○`□´○)

天正2年(1574年)にはすでに落とした岩村城を足場に武田勝頼勢が東美濃南部に侵入。
武田軍は岩村城の南西に位置する明知城を包囲します。
織田信長自身が岐阜から救援に駆けつけ、神箆城(瑞浪市・別名鶴ヶ城)に着陣しますが、明知城は空しく落城してしまいます。

kouno01.jpg 信長が救援本陣とした神箆城遠景。

信長は対策として明知・岩村両城の押さえに小里城を普請し、城番には守将として、信頼できる池田恒興を入れ置きました。
恐らく小里氏には信長・恒興からの協力依頼があったものとされ、与力として城を預ける形をとったものと思われます。

なお翌年岩村城が落城するとこの工事は中止されました。

天正11年(1583年)、小里光明織田信孝に仕えますが、賤ヶ岳の戦い後、羽柴秀吉に敗れて信孝が自害した後は、森長可に逆らい小里城を離れ徳川家康に仕えたそうです。

その後、関ヶ原の戦いの功によって光明の孫・小里光親は慶長5年(1600年)に土岐、恵那郡の旧領を再び与えられ、小里城に帰還します。しかし光親の子・小里光重は嗣子がないまま元和9年(1623年)に亡くなったため、小里氏は断絶してしまいます。居城・小里城も廃城になったということです。

以上、ざっと小里城と小里一族波乱の歴史を追ってみました。



麓から頂上を目指して登ること30分、途中休憩や城同志さんとの談話しながらの気ままな登城です。
山頂部に近くなると周囲に大岩や足元に石が多くなってくるのがわかります。
故に足元に注意して下を見ながら登っていきます。

山頂から光が差し、周囲が明るくなってきます。そろそろです。
・・ふと、顔をあげてみます。
逆光の中にお出迎えしてくれるのがこの天守台です。

orisiroyama (17)伝・小里城天守台。「桝形」とも呼ばれています。このごつい石組みがなんとも・・( ^o^)

ゴツゴツとした法則性のない荒石垣といったイメージです。
もともと山頂にあった岩や石を利用して普請したようで、台場周辺には加工途中の石もみられます。
ちょっと一周してみたいと思います。

orisiroyama (24) orisiroyama (18)

元々あった巨石を隅石に利用しているようです(写真:左・案内看板の真後ろ)。
天守台へは弧状になったスロープ石段がついています(写真:右)。

orisiroyama (19)南東から見た天守台。・・さらにごついです。(*´~`*)

厚みの薄い石を算木積することで見た目と構造のバランスをとっているようです。
ほとんど自然石のままで積み上げられている感じですが、一応収まっているのがスゴイんです。

orisiroyama (20) 天守台を南西から見てみます。

天守台裏側にあたりますが、なんだかちょっと手抜き感のある、隙間だらけの石組みです。
石材の大きさも、もうバラバラ、「積まれている」だけです。
目の届きにくい部分を強引につじつま合わせをした、ともいいましょうか。

現代でもこの手のあからさまな手抜き?工事は存在しますね。
このように見る角度によって石垣の積まれ方が異なっている、ということがよくわかります。
そしてこの天守台が不等辺ながら六角形になっていることも同時に観察でわかります。

orisiroyama (36) ちょっと上から見た感じ。

orisiroyama (30) orisiroyama01 (1)
天守台への入口(写真:左) と 説明版(写真:右)

orisiroyama (34)城山神社が祀られ、内部が五角形になっている穴蔵式の内部。

説明版にも書かれていますが、この天守台、かつてはその多角形という類似点がゆえに
織田信長の安土城石垣の縮小試作普請であったとも言われていたそうです。
しかし全くの別物でないにせよ、構造プランは安土城のほうが断然規模も上です。

まぁ、後世に石垣の積み直しがあったという記録もあるので(いかにもらしい・・)
どこからどこまでなのか不明な点もあるようです。
真相はわかりませんが、安土城への試み、そんなロマンがあってもいいかな、と思います。

・・でも手抜きは信長さん大嫌いでしょうから、これだと怒られちゃうと思うんですが・・。

orisiroyama (25) orisiroyama (26)
天守台付近と主郭内部にはいたるところに普請途中のものとみられる石が点在していました。

未完成ながら曲輪や帯曲輪が東方面に展開しているのは、岩村城方面の武田軍に対する構えの名残りと考えられます。

orisiroyama (27) 芋虫のような岩も溶け込んでいます。

orisiroyama (22)本丸に用意されている休憩小屋で一休み。

orisiroyama (21)稲津集落をはじめ瑞浪市を見渡せます。

遠くに鶴ヶ城(瑞浪市・神箆城)や戸狩城(瑞浪市)も確認できます。
対武田防衛最前線におかれた小里城と鶴ヶ城の位置関係が把握でき、緊張感が伝わってきます。
ここを抜かれたらもう兼山城どころか、一気に尾張までなだれ込まれてしまうでしょう。

小里城は信長が自ら再普請の縄張りを差配した、という伝えもあるそうです。
信長としてはなんとしてでも「ここより先は絶対に通せない」という思いもあったのでしょう。
そんな「意気込み」というよりは「緊迫感・危機感」が先にある様子が曲輪や石垣の乱雑さに表れているような気がしてなりません。

すぐ足下まで武田軍が迫っていたという事実を思うと、この城に込められた重要性が伝わってきます。
ともあれ、自分にとっては思い入れのある城址です。
整備もよくされており、手軽に登れるので、くどいようですが折(小里)にふれ、また登ってみたいと思います。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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