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美濃 鷲見城 🏯鷲見氏代々の居城

美濃 鷲見城 (岐阜県郡上市高鷲町大鷲・向鷲見山) <市指定史跡>

郡上郡、旧・高鷲村の秀一点の城郭といえばここ鷲見城です。
ここより先は蛭ヶ野高原を越えて飛騨へとつながる、まさに奥美濃最北端部になります。
さすがに中秋ともなると、肌寒い、といった標高の高い地域です。

sumi (42)鷲見城は三方は谷、東方へは飛騨の山々に連なる天険の城です。

鷲見氏は藤原北家房前の家系より出た頼保を祖とするそうです。
伝承によると、藤原頼保は人々に危害を及ぼす大鷲2羽を郡上郡雲ヶ嶽(現鷲ヶ嶽)で退治して、朝廷から鷲見姓を許され(鷲狩り伝説)、同地に向鷲見城を築いたそうです。
以来、鷲見氏14代426年間の居城として戦国期を迎えます。

近くまで行くと鷲見氏の館跡があります。
こちらでは鷲見城の見取り図と鷲見氏の系図や歴史が記されています。
こちらに駐車させていただき、徒歩で山城へ向かうこととします。

sumi (1) sumi (40)
この案内図で見る限りでは実に広大な城郭であることがわかります。

sumi (2)礎石や庭が復元してあります。防御的な遺構は見当たりません。

sumi (3) sumi (4)
登り口には案内板もあり、三の木戸址が現れます。ここで登山コースを選ぶことができます。

今回は城の木戸址や出丸址をめぐるコースをとるため左の道から登っていきます。
ちなみに、右の最短コースは直接大手門まで行ける直結コースとなります。
生きと帰りを別々に楽しむこともできますよ。

sumi (37) sumi (36)
二の木戸、一の木戸、と突破していきます。城門破りのようで気分は城攻め♪

ふと思ったのですが、この「木戸」がここにあったというのは事実なんでしょうか・・。
絵図とかに残っているものなのか?、口伝で伝わっているものなのか?
まぁ、難しいことは考えず、『聖闘士星矢』なみにどんどん先へ駆け上がってゆくのです。

sumi02 (1) sumi02 (2)
卯の井(ブッシュで見学できず)、柳出丸を確認、突破!

sumi02 (3) sumi02 (4)
中山出丸、中乃丸(名前の違いがよくわからない)、突破!!

途中に見られる出丸址も軽く見学していきますが・・実際は山の平場、といった感じで遺構という程のものではありません。
どんどん駆け上がり、突破していきます!

「燃えろ、俺の小宇宙(コスモ)!」 
・・時々感じます、これが本来の自分なのではないか・・と。
そう、解き放たれたように燃える瞬間があるのです。今がまさにその・・。

・・続けます。

sumi (6) 東丸には若干の削平地が見られます。

本格的な城郭遺構はこのあたりから確認できるようになります。

sumi (5)尾根の狭地に本丸大手門が出現。

風化による基部の腐敗が気になる冠木門です。イメージとしてはピッタリ。
ですが・・、これはそろそろ建て直しの時期ですね・・。
・・倒れてくるんじゃないか・・と思いながら恐る恐る門をくぐります。

sumi02 (5)東の大堀切。堀底を通って主郭内部に入ります。

sumi (11) sumi (10)
本丸に到着しました。広い削平空間です。

sumi (12)鷲見城の城址石碑。毛筆感あふれる文字の石碑です( ̄。 ̄ノ)。

sumi (31) sumi (27)
城址碑の前には礫石が散乱しています。もしかしたら投石用でしょうか?(写真:左)
主郭北側には土塁が備えられています。(写真:右)

sumi (24)桝形門址。石組みで固められていました。

本来の虎口はこの内桝形を通過するようになっていたようです。
戦国期に改修をした可能性があるのかも。

sumi (14) sumi (20)
主郭西の土塁を越えると西の大堀切があり西の丸へと続きます。

sumi (19) sumi (16)
西の丸には鷲見神社があり、初代・鷲見頼保が祀られています(現在修復中)。

sumi (17) sumi (18)
西の丸の先にはV字型の深い堀切が存在。西尾根筋からの侵入に対する遮断線です。

文明10年(1478年)、鷲見保重は鷲見城を弟の大学助保兼にゆずり、新たに北野城(岐阜市北野)を築き自ら城主となります。
保重の系統は北野城主となって存続する一方、鷲見城主としての鷲見氏の勢力は次第に衰えていきます。
東氏と争いに破れ、その旗下となって、阿千葉城を居城とします。
天文10年(1541年)、東常慶が阿千葉城の鷲見貞保を攻め、貞保は自刃、鷲見郷領主としての鷲見氏はここに滅亡しました。

しかし貞保の遺児千代丸は老臣・餌取広綱と武儀郡西牧谷に逃げ落ち、永禄2年(1559年)ごろ織田信長に再興を願い出たのが聞き入れられ、信長の要請を受けた八幡城主遠藤盛数に大嶋村を与えられて鷲見正保と名乗り、大嶋鷲見氏の祖となったといいいます。

弘治2年(1556年)の長良川の戦いで鷲見保光は義龍側で参加し、義龍の死後龍興に仕えます。

永禄10年(1567年)に信長が稲葉山城を攻めて龍興が敗走すると、保光は子の定重と共に郡上に帰り、元鷲見城主の叔父・保兼の養子となり、遠藤慶隆(盛数の子)に仕えます。鷲見氏は遠藤氏の家臣として八幡城下に屋敷を構え、鷲見城は松下五左衛門が在城しています。

天正13年(1585年)に金森長近による飛騨征伐で、遠藤慶隆も従軍。この際に保光は、三木氏(姉小路氏)の軍勢と飛騨国白川郷で交戦し討死を遂げます。

城跡には歴代城主・鷲見氏の積み重ねてきた最後の姿がよく残っていると思います。
もう一度冠木門の下をくぐり、修復を祈りながら下山しました。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

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