FC2ブログ

近江 佐久良城 🏯厚い土塁で囲まれた主郭に感動

近江 佐久良城 (滋賀県蒲生郡日野町佐久良・下の城山)

日野中野城から比較的近いのがここ佐久良城です。
欲張りをしてもう一城見学していく事になりました。

oumisakura02 (2)八幡神社下の駐車場にある大きな説明版が目印です。

佐久良城の概要、歴史の大方はこの案内板に書かれています。一読してから登るといいです。
佐久良の雄、小倉氏代々の居城の一つです。
鳥瞰図のイラストが適当のわりにわかりやすいです。

oumisakura (14) oumisakura (15)
「ようこそ、佐久良城へ」 近江の山城は登城者への気遣いがあって恐れ入ります。(写真:上)
よくみると石垣があちこちに僅かながら残っています。(写真:下)

oumisakura (4) oumisakura (5)
堀切と大土橋を渡って大手門へと入っていきます。望楼の址の土壇は櫓があったものと想像できます。

oumisakura (6)厚みのある土塁の上を歩いてみます。

尾根道だと思い込んで歩いていた広い道は、なんと土塁の上だったのです!
しかも主郭をぐるっと一周囲んでいるようです。
高さも4メートルほどのかなり大規模な土塁に驚きました。

oumisakura (8) oumisakura (7)
主郭の周囲には高い切岸、竪堀群、土塁などがよく残っていました。

ちょっと濁っていましたが、お馬洗いの池には満々と湧き水が溜まっていました。
城の貯水池として利用されたことでしょう。

oumisakura (9) oumisakura (10)

oumisakura (11) oumisakura (13)
城山古墳と呼ばれる場所には火薬庫に使われたとの伝説もある穴倉がありました。(写真:上)

城山のある場所はさほど比高のない「丘城」といった感じです。
平素は城主が居館として住んでいたのかもしれませんね。

oumisakura02 (1)立派な石碑でした。「石碑はその城を語る」といいますからね・・(/∀\*)。

スポンサーサイト

近江 日野中野城 🏯蒲生氏三代の城、氏郷の出生地

近江 日野中野城 (滋賀県蒲生郡日野町西大路)

水口町を離れ、帰路になる途中、ちょっと寄っていくことになった日野中野城。
蒲生氏郷公の出生地・居城として有名です。
日野川ダムを目指していくとわかりやすいです。

nakanohino (1)ダム湖手前にある中野城址石碑。・・いいですねぇ(o´∀`o)

nakanohino (4) 蒲生氏郷公産湯の井戸址。

中野城址石碑の斜め対面あたりにあるのが氏郷公産湯の井戸です。
・・というか本丸址の井戸が比定されたものと思われます(夢を壊してすみません)。
氏郷の祖父・蒲生定秀が日野の地に本格的に築城したのが始まりです。

永禄11年(1568年)、六角義賢織田信長による観音寺城の戦いで氏郷の父・蒲生賢秀はこの日野城を堅守、賢秀は主君、六角氏の敗北を聞いてもなお1千の兵で城に籠もり、抵抗する様子を見せます。
しかし、賢秀の妹を妻としていた織田家の部将・神戸具盛が単身日野城に乗り込んで説得した結果、賢秀は降伏し、嫡男・鶴千代(後の蒲生氏郷)を人質として差し出して信長の家臣となります。

信長は賢秀・鶴千代父子を気に入り、鶴千代に娘を嫁がせて娘婿に迎えているほどです。

nakanohino (29) nakanohino (5)
日野川ダム湖によって大半の遺構は失われたようですが、残った遺構を見に行きます。

nakanohino (6) 入口にある案内板で確認。

nakanohino02 (2) いい雰囲気の石垣と橋が現れます。

同行の城友さん、この場所を一見するなり、なにかピーンときたようです。
なんでもこの場所、あの有名な映画、『-明治剣客浪漫譚- るろうに剣心 』のロケ地に使われたそうで。
自分にはむしろその記憶力のほうに驚嘆です。

nakanohino (27) よく見ると、ん?蚊に注意?

こんな時期に蚊なんているはすが・・、・・いました。もう11月も終わろうという時期なのに。
そして城友さん、見事に蚊に刺されまさかの負傷。信じられませんが自分の周りにもいるではありませんか!
「血吸い抜刀斎」、なかなかしぶとい連中です。「不殺」(ころさず)を誓い城内をうろついていました。

nakanohino (9) なかなかの雰囲気がでてます。コンクリートの橋はちょっと残念ですが(´・_・`)。

nakanohino (8) nakanohino (11)
土橋の紅葉がきれいでした(写真:左) と 日野城の城史の説明版(写真:右)

nakanohino02 (1)
江戸時代には市橋長政が中野城跡の一部に陣屋を構え仁正寺藩の陣屋として明治維新まで続きました。

nakanohino (14)
城とは直接関わり無いのでしょうが、趣ある土塀倉庫に見入ってしまいました。

nakanohino (22) nakanohino (15)
土橋から見て、片や空堀、片や水堀の面白い掘割です。

nakanohino (17) nakanohino (19)
nakanohino (20)
涼橋神社(写真:上)と稲荷神社(写真:下)の間のコンクリート橋を渡って見学できます。

nakanohino (10)手頃なサイズの石で組み上げられた石垣でも迫力があります。

これらの石垣は神社建設の際に組まれたもの、との見方もあります。
・・が、主郭部には当時からある程度の石垣があったものと思われます。
ここは個人的に夢をこわさないで見ていきたいな、と思いました。

hinoennkei.jpg 中野日野城をダムから眺めます。

本能寺の変の際、安土城二の丸を守備していた蒲生賢秀は、織田信長横死の報がもたらされると嫡男・氏郷を日野城から呼んで安土城から信長の妻子達をいちはやく日野城に避難させます。
明智光秀からは味方に付けば近江半国を遣わすとの破格の条件を提示されますが、賢秀は「信長殿の恩を忘れることはできない」と敢然と拒絶したらしいです。

安土城の留守居役を預かるあたりからも信長の信頼度がうかがわれますね。
さすが信長三十六功臣に挙げられることにも納得です。
賢秀の気骨が氏郷に受け継がれていったのですね。

近江 水口岡山城 🏯甲賀郡随一の巨大城郭を見学

近江 水口岡山城 (滋賀県甲賀市水口町京町・古城山) <国指定史跡>

水口城をあとにして次に向かったのが「水口古城」とも呼ばれる水口岡山城です。
お城ファンでしたらこの二城、おそらくセットで訪問するのが定石なのでしょう。
我々も古城山に誘われるように向かうのであります。

Mokayama (1) Mokayama (2)
登城小径の脇に城址碑と案内板がありました。

どうやら独立山のため、いろいろな登城ルートがあるようです。
どこから登るのかによって見学できる遺構が変わってきます。
今回は古城山西麓、水口小学校向かいの駐車場を利用させていただきました。

Mokayama (5) Mokayama (4)
三の丸からは東方面の眺望が得られます。

天気が良ければはるか鈴鹿山脈までが見渡せるようです。
東海道がこの古城山の南足下を通っている様子がわかります。

Mokayama (6) さらに進んで二ノ丸へ。

各曲輪の大きい事に驚かされます。
曲輪間を仕切る空堀や堀切も大きいです。

Mokayama (8)土塁を交互に設けた食い違い虎口の遺構です。石垣も見られます。

テクニカルな遺構に感激です。
散りばめられた落ち葉と相成ってなんともきれいでした。

Mokayama (10) 石垣もいいです。

Mokayama (11) Mokayama (13)
頂上にはねぎらいの看板が(お気遣いありがとうございます)。天守推定地は2つあるようです。

水口岡山城は、天正13年(1585)羽柴秀吉の家臣中村一氏(なかむらかずうじ)によって大岡山に築かれました。
一氏の後は、共に近江出身で豊臣政権下で五奉行として活躍した増田長盛、長束正家らが城主となります。

豊臣五奉行、三中老(存在は疑問視もあり)がここまで関わった城、やはり重要な城だったからこそでしょう。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにて長束正家は西軍に属し、南宮山麓に布陣するも戦闘には参加できず敗走。
水口岡山城まで逃れ籠城しましたが追ってきた池田長吉(池田恒興の三男)、亀井茲矩らに攻められて開城。
長束正家は切腹、城は廃城となりました。

Mokayama (15) Mokayama (16)
高田徹氏作図の全山調査の縄張り図(写真:左)があります。 それと・・学習モードの城友・日向守氏。

余談ですが・・日向守氏の城めぐり振りには本当に頭が下がる思いです。
お昼ご飯もそこそこ、ロシアパンたった一個でしのぎ、マニュアル車運転での遠征もなんのその。
・・ハンパない城野郎がいたものです。

Mokayama (17) 阿加宮神社が祀られ、天守気取りで微笑ましいです。

Mokayama (22) Mokayama (21)
水口城を探せ!(遊びで)では意外とわかりずらくて、見つけがいがありますよ。

Mokayama (23) Mokayama (27)
城の北側には所々に石垣の址が見られて興奮しました。

Mokayama (24)城中最大の石垣遺構です。荒々しさの中にも安定感が感じられます(゚o゚)。

始まりました、石垣の撮影会です。
この壮大な石垣を目の前に、ゲージアップを抑えきれません。
おそらく家族に見せられない姿、言動をしています(汗)。

Mokayama (28) Mokayama (29)
西の丸には板塀と櫓を模した施設があります。まぁ、イメージは想像できます。その名も「天翔の櫓」!

まだ基礎部分も板や丸太が新しく、新設されたばかりのものと思われます。
そういえば、石垣部分も見学しやすいようにちゃんと草が刈られていたようです。
どうやら、手入れされた直後の城址に招かれたようで、ラッキーでしたね。

さすが、国の指定史跡になっただけのことはあります。
手入れをされてみえる会員様たちの思いが伝わってきます。
是非、水口岡山城の知名度を上げていただきたい、と願います。

水口岡山城は思っていたよりも規模が巨大で、戦略的にも一大要害を置くのにふさわしい城でした。
南近江の山城でも最大級であることと思われます。
今度来れるときはお弁当でも持って行けたらいいですね。・・まぁロシアパンでもいいのですが・・。

近江 水口城 🏯徳川将軍家の宿館

近江 水口城 (滋賀県甲賀市水口町本丸) <県指定史跡>

今回は故あって滋賀県の草津市まで出張です。
城友・日向守さんと書類を携えてのちょっとした用事でした。
スムーズに(さっさと)ミッションをこなし、城めぐりモードへ切り替えです。

minakuti (9)水口城の資料館へ架かる木橋と城門。

最初に向かったのが水口城です。
水堀に囲まれた落ち着く感じの城です。紅葉がとてもきれいでした。
のんびり外周を散策してみます。

minakuti (1) minakuti (2)

minakuti02.jpg 乾櫓の石垣はやや不自然な積まれ方に苦笑い。

minakuti (4) お堀の水は湧き水だそうです。

別名「碧水城(へきすいじょう)」と呼ばれるだけのことはあります。
江戸幕府三代将軍・徳川家光は寛永11年(1634)上洛に先立ち、ここ水口に新たに宿館を築きます。
作事奉行には小堀遠州守政一があてられました。

minakuti (5)模擬櫓ですが、シンボルとして親しまれています。

minakuti (6) minakuti (10)
自然が溶け込んだ風景がみられます。

天和2年(1682年)加藤明友が石見国より二万石で水口城主となり水口藩を立藩しました。
明友は賤ケ岳七本槍・加藤嘉明の孫になります。

minakuti (7) 二条城をまんま縮小したような縄張りです。

minakuti (12) minakuti (11)
資料館の復元模型は秀作です。当時の御殿の様子がよくわかります。

資料館内では、受付のおかあさんが熱心に解説してくださって、とてもわかりやすかったです。
なんでも将軍家、この城を宿所として使用したのはたった一回だけだった、とか。

minakuti (13)そういえば、しゃちほこがありませんよねぇ~。

美濃 一柳城 🏯美濃の熊、一柳直末に改修された山城

美濃 一柳城(大洞城) (岐阜県関市富之保一柳・愛宕山)

一柳城(ひとつやなぎじょう)は大洞城とも呼ばれ、旧・武儀町の愛宕山山頂に築かれた山城です。
西を武儀倉川、東を津保川が流れ、二つの川が下流で合流し、三方を川に囲まれた地形にあります。
自分にとって10数年ぶりの登城になります。

oobora1 (1)南側から愛宕山を眺めると実に雄大な城山です。

oobora1 (2) ん?山頂付近まで林道がつけてあるようです。

以前には確認できなかったダート林道らしきものが・・。
・・嫌な予感がしますね・・。敢えて麓から登城してみますが・・。
遺構が完存していただけに、破壊されてないことを祈ります。

oobora1 (4) 城山の東の稲荷神社から登城していきます。

こちらの神社には2台分くらいの駐車スペースが登城口に用意されています。
神社への入口はわかりにくいのですが、八百屋スーパーさんの横道から入れます。
ここはやはり軽自動車が有利ですね。

oobora1 (27)新設された城址案内碑。正確にはこの山上が城址ですが(*´~`*)・・。

oobora1 (6)
一柳城の前身、大洞城についての説明版もありますね。

oobora1 (26)
山麓には居館跡と推定されている広大な削平地もあります。

伝・居館脇の谷山道を西へ登っていくと尾根に取り付くことができたのですが・・。
以前より道が荒れて、わかりにくくなっています。
まぁ、登っていけばいつかは、辿り着くのですが・・(いつものことですが)。

oobora1 (8) oobora1 (7)
林道工事終点地の南曲輪の様子(写真:左) と 麓周囲の景観(写真:右)

・・やっぱり・・。嫌な予感的中です。頂上南尾根一帯は林道工事に伴う造成がされていました。
かろうじて南の堀切と土橋は残されていましたが・・。
それにしてもこの中途半端な造成。・・どうするつもりなんでしょう?

oobora1 (22)櫓台周囲の荒めに組まれた石垣が見所です。

oobora1 (12)
隅に置かれた約1.5メートルの縦石にも注目です。

oobora1 (20) oobora1 (21)
本丸へ至る腰曲輪周辺も石垣で固められています。

oobora1 (19)隠れた箇所にも意外と大規模な石垣遺構が残っています。

一柳城は石垣遺構ばかりではなく、堀切や竪堀も多く用いられています。
ブッシュのため写真案内しづらいのが残念ですが、入念に配備されています。
実に造り込まれた山城だと感じました。

一柳城は郡上八幡城と加治田城(加茂郡)の中間地点にあり、とても重視されたようです。
美濃を攻略した織田信長は、郡上の遠藤慶隆に備えて、大洞城を一柳直末に命じて改修させます。
後、豊臣秀吉は郡上の遠藤慶隆を転封し、一柳城に稲葉貞通を入れます。

oobora1 (15) 祠がある本丸は一段高くなっています。

一柳直末は武勇に秀でていたことから「」の異名で呼ばれたそうです。
肥前の大名・龍造寺隆信の他にも「」と呼ばれた武将がいたんですね。
直末は伊豆守に叙任していたことから、「熊伊豆」とか呼ばれていたのかも?
(鬼の武蔵守・森長可=鬼武蔵のように・・)

信長死後は秀吉のもとで各地を転戦して武功を挙げ、秀吉の黄母衣衆となりました。
天正18年(1590年)、小田原征伐に参加した直末は、伊豆山中城攻めで間宮康俊の軍の銃弾に当たり戦死。
享年45歳でした。勇敢な戦い振りだったようです。

直末は豊臣秀吉にとても信頼されていた武将でもありました。
養子・豊臣秀次の宿老に抜擢されたほどからもよくわかります。
小田原の陣中で直末討死の報告を聞いた秀吉は「直末を失った悲しみで、関東を得る喜びも失われてしまった」と嘆き、3日間ほど口をきかなかったというエピソードもあります。

他にもあの黒田官兵衛孝高とは義兄弟だったようです。
直末の死後、妻と子女は黒田孝高(官兵衛・如水)に引き取られ、その年に生まれた男子は孝高の子・長政の幼名と同じである松寿丸(しょうじゅまる)と名付けられたそうで。

改めて一柳直末という武将の存在を見直しました。

oobora1 (16) oobora1 (17)
北の尾根鞍部には伊瀬集落と名倉集落を結ぶ昔の峠道が確認できます。

一瞬、大堀切かと思いましたが、集落間の峠道だとわかりました。
それぞれの集落に向かって古道が延びていました。
お地蔵さんが往来の安全を見守っているかのようです。

oobora1 (24) 食料倉庫の址?それとも抜け穴?(笑)

どうやら城内外には城の遺構の他にも、いろんな時代の生活の息吹が感じられるようです。
城ができる以前からの地域間の交流や生活風習、そんな永い時代を通したなかで、領主や領民の立場に思いを寄せることができれば、城にまつわる新しい発見やメッセージを感じ取れるかもしれませんね。

美濃 阿千葉城 🏯郡上東氏、発祥の城

美濃 阿千葉城 (岐阜県郡上市大和町剣) <市指定文化財>

朝晩が冷え込んできました。
まだまだですが郡上郡は一足早めの紅葉が始まっていました。
空気もなんだかピーンと張り詰めています。

atiba (1) atiba (3)

今回は白鳥町と大和町境にある、阿千葉城を訪れてみました。
国道156号線沿い、城山の麓にに宝暦義民傘連判状の石碑があり、案内板や城址碑が立っています。
そこが城山への入口ですが、スピードを出していると、見落とします(笑)。

atiba (19)長良川対岸から見た城山。長い尾根の先端部が主郭です。

atiba (17)
登ってみた後でわかりますが、縄張り図に見られるようなここまで広範囲の城でもなさそうです。

atiba (5) atiba (8) 
登城して最初にたどり着く二ノ丸曲輪には義民石碑が。

atiba (6)内側を石で組まれた巨大な池があります。

尾根尻には排水用と思われる溝状遺構が尾根尻に向かって伸びています。
この尾根尻には浅くなってしまいましたが堀切も確認されます。
水源確保のための施設址でしょうか。

atiba (9) 広く整備された本丸は見学しやすいです。

atiba (14) atiba (20)
小屋風の休憩場?がありますが、この状態だと物置きです。天井には傘連判状が・・。

東氏は下総国千葉氏の支族で、承久の乱の後、戦功で郡上郡山田荘の地頭職を得て東胤行が下向.。
阿千葉城はその後を継いだ東行氏によって築かれました。
「阿千葉」の名前の由来は「上総千葉のあぜち(分地)」という意味からだそうで、あぜち千葉→阿千葉と親しみを込められて呼ばれたようです。

atiba (22)本丸へのスロープには土留め用と思われる石垣があります。

atiba (25) 本丸と二ノ丸との明瞭な切岸。

atiba (21)一段高い土塁上に鎮座する石碑が紅葉とマッチ!

atiba (13)
城址に残る2本の古木。何かを語り合っているように見えました。

城山へは麓からの登山道も広く整備され、なだらかで登りやすいです。
15分程度の時間で到着です。
主郭周辺は気を付けて観察すると、竪堀も確認できますよ。

佐久間ダム見学

佐久間ダム (静岡県浜松市天竜区佐久間町佐久間)

豊根マラソンを走り終え、ほぼ完全燃焼。
「燃えた・・、燃え尽きたぜ・・。」と思いきや再び湧き上がる炎の野望。
それが今回のサブイベント・ダムめぐりなのです!。新豊根ダムが僕らを待っている!・・はずでした。

しかしあろうことか、土砂崩れのためダムへの道は通行止め・・。
ハーフマラソンもそれに伴ってコース変更されたほどです。
これは,試練です。

簡単には諦められず、すぐ隣の佐久間ダムへと進路変更します(豊根ダムはさっさと諦めました・・)。
・・しかし、この道のりが想像以上に遠い・・(汗)。
地図上ではすぐそばに見えても山々を迂回すると、結構な距離になりました。

所々で道に迷いながらもY吉さんのナビでなんとか到着。
Y吉さんにはわがままと迷惑かけてばかりです・・。
それでもこんな自分に付き合ってくれて感謝の言葉もございません。

skmd2 (1)電力不足解消のため、工期3年で完成。戦後土木技術の原点の佐久間ダム。

佐久間ダムは発電に目的をしぼった発電用ダムです。
コンクリートの1日での打設量の世界記録を樹立し、映画にもなりました。
既設の重力式コンクリートダムとしては現在でも高さが第4位であります。

skmd2 (3) skmd2 (5)

skmd2 (7) skmd2 (8)
当時、ダムの高さは155.5メートルで日本一を誇りました。最大発電力は35万キロワットで、これも日本一。

sakumadam (6) 佐久間湖と離山山系の稜線が美しいです。

skmd2 (11) ちょっとレトロチックな取水口がユニーク。

sakumadam (8) skmd2 (12)
佐久間ダムの横に電力館があり入館無料。模型があり、ダム関連の説明がわかりやすいです。

ダムのできあがるまでの解説や当時の新聞記事が展示されています。
ダムの必要性がクイズやゲーム形式で遊びながらして理解でき楽しそうです(←やってないな・・)。
工事に際しての大変さや労力など、ダム建設に関わる困難さも伝わってきます。

skmd3.jpg ダムカードは秋葉ダムの2セットで貰えます(やった!)。


sakumadam (14)屋上では「やまびこポイント」なる箇所があります。

ちょっと恥ずかしかったのですが、山に向かってY吉さんとシャウトしてみました!
「やぁっほぉ~~~~~d(○`□´○)b。」(やぁ・・ほぉ~ぉぉぉ・・・・)
う~ん、山々にこだましてましたね。なんとも面白い不思議な気分でした。

大の大人が人目も気にせず叫ぶのは気持ちがいいものです(* ´ ▽ ` *)。
大自然に抱かれて実にすがすがしかったです。
豊根マラソン、まさに勝利の雄たけび、といったところでしょうか。・・そして、。

自分の美声も捨てたもんじゃないな・・と(#^.^#)。

紅葉の始まりを感じながら豊根マラソン大会に出場

第10回 2016とよね・みどり湖ハーフマラソン大会
(会場:愛知県豊根村:新豊根ダム周回林道)
平成28年11月6日(日) 10km:AM10:20スタート

紅葉にはちょっとまだ早いようですが、山間部だけあってちらほら色づいています。
豊田稲武町から面ノ木峠を越えてのルートで向かいました。
3時間ほどの時間を見ていた割には早朝のためか、2時間ちょっとで到着してしまいました。

toyone (1) まだ準備が始まったばかりに到着。

少しコースの雰囲気と、路面の状況、高低差の確認のためゆっくり試走してみることに。
眩しい朝日が山々の間から差し込みます。
思っていたほどの寒さはなく、むしろ快適な気温になりそうです。

toyone (3) 透き通った水の大入川沿いのコース。

ダム湖マラソンのコース特徴として、直線道がないので、カーブの連続になります。
カーブ先の地形は見える所まで走ってみないとわかりません。
そこにとてもスリルを感じますし、戦略性があるのです。・・なんてね。

toyone (2) ダム湖北の舗装林道を走ります。

今回のマラソンのお楽しみはゲスト・ランナーにお笑いタレントの、にしおかすみこさんが参加されることです。
さすがにSM衣装・ムチ持参での登場はありませんでしたが(笑)。

toyone (4) toyone (5)
TVで見るよりキュートで、とってもチャーミングな彼女。しっかりネタもやって頂きました。

「にしおかぁ~、すみこだよぉ・・」
「豊根村までマラソンしに来たのはどこのどいつだぁ~い?」 「・・あたしだよっ!」
(全員大爆笑!)

ネタばれしたフレーズでも本人の口から聴けると、大爆笑ですね(^∇^)。
軽快なトークに一気に緊張が和らぎます。
彼女もきっと走ることが大好きなんだろうな・・。

さて、ハーフのランナーが先に出発しまして、いよいよ10kmランナーの出番です。
今回も一緒に走るY吉さんと談笑とストレッチしながらスタートラインに。
Y吉さんのやる気ヅラ、周りのランナーの高揚した顔を見ます。そして最期に青空を見上げたら・・。

さぁ、スタートです!

?・・出走500メートル程でなんか気付きます・・あれ?以外です、こんなの初めてです。
なんと最後尾ながら初めての先頭集団参加ですっ!
うれしい反面、明らかなオーバーペース!さて、どうなることやら・・?

序盤(~3km)

最初の1kmがkm/3分50秒台のオーバーペース。
しかし、レースでのみ発揮される独特の底力。あえて殺さない程度に抑えていきます。
km/4分程度まで意識的に落としてみます。

中盤(~6km)

アップダウンもあり、さすがにスピードは落ちますが、それでもkm/4分15秒をキープ
前半の貯金はできました。今日の調子はいい、と思って快走します。
・・ひとつ気になったのは、5km折り返し地点で手元のGPS距離計がすでに5.3kmを指していたことです・・。

終盤(~9km)

やはりペースダウンしてきましたが、ピッチを上げることでカバー。
km/4分30秒をキープして行きます。
苦しいのはどのランナーも同じ地点です。

ラストスパート(ラスト1km)

10kmレースではいつも残り800メートルで仕掛ける、ラスト・スパート。
しかし、ウオッチからどうやら10.5kmくらいの実走距離がありそうです。早まる気持ちを押さえながら周囲の地形を確認。
はるか遠くにゴール手前地点が・・。さぁ、加速装置、点火です!!

今までに抜かれた前ランナー数人を追撃、捕捉、そして追い抜きます。
ゴールまでもつか?死力を尽くします。きっと鬼の形相しています。
そしてゴールでは、にしおかすみこさんと、ハイタッチ!

toyone (7) 「速い、速い、」と声をかけて頂きました。嬉しいな!

実走距離が10.5kmなのでタイムはいつもぐらい。
しかし、平均ラップタイムはkm/4分15秒。
このタイム、自分にとっては最高記録となりました。11位という中途半端な順位にも満足です。

少し遅れてY吉さんもゴール、確実に実力アップしてるではありませんか・・。

toyone (6) いいレースができました。

toyone (25) toyone (26)
帰りには、ひと風呂浴びて、名物「新豊根ダムカレー」をいただきました。

「湯~らんどパルとよね」の温泉は肌がツルツルになります。(写真:左が入口)
露天風呂はリンゴ風呂で(リンゴがプカプカ浮いていました!)、とても気持ち良かったです。

ダムカレーはスパイスが程よくきいた甘めのカレーで美味しかったですよ。(写真:右)
Y吉さんにムリムリねだって、黒川城と佐久間ダムにも付き合っていただきました。ありがとうございます!

toyone (24) toyone (22)
湯~らんどパルとよねの温泉入口にある黒川城城址碑公園。案内版がありました。(写真:右)

toyone (27)平均ラップタイム自己ベストは大きな自信につながりました。

美濃 松尾城 🏯谷筋を押さえるかつての要衝

美濃 松尾城 (岐阜県郡上市大和町大間見・城山)

奥美濃の城郭、というと山登りは避けられない・・。
、と思いきや、松尾城は山城ながら車道脇から簡単に登れる手軽な城です。
・・まぁ、遺構はあまり残っていないのですが・・。

matuo (1)藤古橋手前より松尾城のある城山を見上げます。城址碑が目印。

matuo (4) matuo (5)
大間見川が堀の役目を果たしていました。(写真:左) 林道脇から登っていきます。(写真:右)

突き当りを右に林道を登ります。
しばらく進むと「松尾城・入口」と書かれた標柱がありますが、風化で折れてしまっています。無残です・・。
民家の下の路肩に駐車させていただきました。主郭までは登ること1分(笑)。

matuo (7)保存会によって建てられた立派な城址石碑があります。

松尾城は東氏の一族の、野田氏が篠脇城の支城として街道守備のために築城したそうです。
その後、美濃守護土岐一族の池田将監によって攻め落とされた、と伝わります。
また、東氏本家からの攻撃を受けた、との記述もあり、不明な点もあります。

matuo (8) 主郭のみは、草が刈ってあるようです。

matuo (9) matuo (10)
何か説明書きがしてあったと思われますが・・、近づいても判読不可能。またしても無残です!

後で地主さんとお会いでき、お話しをさせていただきました。
どうやら松尾城保存会は現在解散してしまった、ということです。
地主さんがお一人で主郭部周辺だけは管理されているとの事。

matuo (12)主郭北西の下隅部には石垣遺構があるではないですか(゚□゚*)!

崩れた感じの石垣ですが、当時の城があったときの遺構の址と思われます。
しかし、草をかき分けて行かないと見学できません。
おまけにその中には、トゲだらけのトラップが待ち構えていたのです・・(痛てて・・)。

matuo (14)
地主さんから、城主・野田氏のもの、と伝わる墓を案内していただきました。

地主さんからは、この松尾城についていろいろなお話しを伺うことができました。
昭和45年前後に整地され、舗装林道が付けられた際に、城の遺構はほとんどなくなりました。
それ以前にも桑畑などで大半の遺構は改変されていたようです。

matuo (15) かつての街道筋がよく見えたそうです。

現在のように国道が主要道になる前はこの眼下を通る白鳥街道が重要な街道だったようです。
後ろの山を隔てたところには篠脇城があり、行き来は背後の山の峠道を利用していたようです。
松尾城はその背後から攻撃を受け、落城した模様です。

・・ということは、なんらかの理由で、背後の東氏本家からの攻撃を受けた、という話も頷けるところがあります。
現地に立つことでいろいろなことが想像できたりします。
説明をしてくださった地主さんに感謝いたします。

美濃 馬串山砦 🏯「軍艦山」の異名をもつ岩山の砦

美濃 馬串山砦 (岐阜県美濃加茂市下米田今)

雲一つない気持ちのいい天気を指して、つい「城日和」と呼んでしまうものです。
前回、マラソン大会前日に山城へ登ってへとへとになった反省から、今回は丘城に近い山城をチョイスです。
はい?・・それでも反省?。・・してますよ(汗)!

・・ということで今回訪れたのはここ、馬串山砦(まぐしやまとりで)です。
馬串山は白山から可児加茂平野に突き出した半岩山の独立丘です。
飛騨川と木曽川が合流する地点で、戦略上、重要な位置にあるといえます。

magusiyama (2)馬串山はまるで座礁した軍艦のような山容。いかにも砦がありそうです。

magusiyama (5) magusiyama (6)
背後は切り立った岩となり、登攀はほぼ不可能。ボルダリングステージ級の崖です。

magusiyama (13) 西の麓からの登山道から登ります。

それほど標高もないので、5分ぐらいで山頂部に到達できます。
山の中腹部まで採石場となって破壊された様子ですが、徐々に郭らしき場所に入っていきます。
恐らく、城としての主郭部は残っていると思われます。

magusiyama (14) 頂上少し下の曲輪にある切岸。

山全体が岩山のせいか、土塁や堀切といった普請はできなかったのでしょう。
特に山頂部は平地を造成することさえ困難な様子です。
ほぼ天険に頼った縄張りになっています。

magusiyama01.jpg magusiyama (17) 
主郭と思われる見晴らしのきく平場には稲荷大明神が祀ってあります。

magusiyama (18) magusiyama (20)
主郭部からの可児・加茂平野方面の眺望(写真:左) と 中濃方面の山々(写真:右) も見渡せます。

magusiyama 02 「米田富士」こと、米田城もしっかり視野に入ります。

米田城と兼山城との中間地に位置した当城。
その立地場所のため争いの火種になってしまうことに・・。

馬串山は元々、米田城主・肥田玄蕃允忠政(直勝とも)の領内の砦であったのですが、兼山城の森長可が、その重要性に目をつけたのか替地を条件に引き渡しを要求したそうです。
その余りにも無茶な言いぶりに、要求を突っぱねた忠政でしたが、両者の間には険悪な溝ができてしまいました。

忠政は本能寺の変時、信濃・川中島から撤退する森長可に対して福島城主・木曽義昌・苗木城主・遠山友忠らと共謀し、討ち果たす段取りを企みますがあっけなく失敗。逆に兼山城に戻った長可に真っ先に攻められる運命になります。
ここに鬼武蔵と呼ばれる森武蔵守長可による怒涛の東濃平定戦が始まります。

無事に兼山城にたどり着いた長可は、本能寺で織田信長と共に横死した弟たち(蘭丸・坊丸・力丸)の葬儀を済ますと、その日の内に忠政の米田城を急襲してこれを攻め落とします。

当時馬串山砦を預かっていた忠政の一子・長寿丸は、父の大事を聞きつけ、馬串山全軍で、森勢の背後を切り崩し米田城への合流を果たしますが、城はすでに退去した後だったようです。
長寿丸は致命傷を負いながらも後を追いますが、無事に飛騨川を渡る父母を乗せた船を見届けた後、絶命したそうです。

・・なんとも涙を誘う場面です。
この伝説については、後日アップ予定の「美濃 米田城」にて詳しく取り上げたいと思っております。

magusiyama (11)馬串山の頂上にぶらさげてある標板。ご褒美は景色の良さですかね。

山頂からの眺めは特に素晴らしく低山ながら、周辺の様子が手に取るようにわかります。
改めてこの城(砦)の存在価値を実感できます。
森長可でなくてもここは押さえておきたい要地にあたりますね。

magusiyama (15)兼山城方面も抜群の眺望・・(画像左にきれてしまいました・・(T_T))。

magusiyama (19) 飛騨川対岸の牛ヶ鼻砦は眼下に見えます。

忠政らは加治田城に逃亡しますが、長可は空になった馬串山をいち早く占拠。
対岸の牛ヶ鼻砦(写真:上)の拠る加治田勢と対峙しますが、その牛ヶ鼻砦も森勢の猛攻により落城します。
勢いで、堂洞城に陣取った森勢は一気に加治田城にも攻め込みます。

もう、誰も彼を止めることはできません。
さすがは百戦錬磨の鬼武蔵森長可です。圧倒的な強さと統率力を発揮してますね。
肥田忠政はこの加治田城での合戦にて自害した、とも、戦後まもなく病死した、とも伝わりますが、定かではないようです。

magusiyama (24) 下山途中、冬支度中のコクワガタを見つけてしまいました!

こんな寒くなってきているのに・・いるんですね・・。
変わり者って・・。
・・他人とは思えません(´・(ェ)・)。

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

対馬にプチ出国してきました。
7月7・8日と対馬国境マラソンに出場しました。
かつてないほどの災害になろうことを予測しなかったわけではありません。
災害に遭われた方々や関係者様方の気持ちを想えば不愉快な内容になってしまうことばかりかもしれません。
未だ復旧の道筋が見えない中でも、どうか希望を捨てず一日を積み重ねて行っていただきたい、と思い久太郎も復旧ボランティアに参加する意を決心いたしました。
何ができるかわかりませんが、少しでもお力になりたい、と思います。
最新登城記事
カレンダー
10 | 2016/11 | 12
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 - - -
最新コメント
検索フォーム
カテゴリ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
リンク
来城者数