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伊勢 木造城 🏯田畑の中にわずかに残った土盛りの址が・・

伊勢 木造城 (三重県津市木造町・城) <市指定史跡>

kozukuri (5)木造城址の土盛りは遺構の一部なのか?不明です(´・_・`)。

伊勢国司・北畠晴具の三男、具政が木造氏の養子となり、木造具政を名乗り城主となります。
具政は永禄12年(1569)、信長の伊勢侵攻の際、織田氏に従い南伊勢侵攻の案内役を務めることに。
これに対して実兄である国司・北畠具教は出兵して木造城を包囲するのですが・・。

具政が城を固く守り続ける間に、織田信長率いる十万の援兵が伊勢に到着、北畠具教は兵を退いて大河内城に撤退を余儀なくされます。
そして信長を木造城に迎えた具政は織田勢の先鋒となって大河内城攻めにとりかかるのです。

信長方の調略があったとはいえ、どうやら兄弟仲はよろしくなかったようですね・・。

kozukuri (7) kozukuri (4)
木造城説明版で当時を偲ぶ。(写真:左) そして 見渡すと周りは一面の畑・畑・畑・・。(写真:右)

kozukuri (03) まさに陸の孤島状態。ぽっつ~ん、です・・。

kozukuri (2)それでも城址碑は威厳に満ちています。(;゚Д゚)おぉ・・!

結果、北畠具教織田信雄を養子とすることで信長に降伏。具政、具康父子は信雄の臣下となり、具政は木造城の北西6kmの戸木に城を築いて戸木御所と呼ばれます。

天正十二年(1584)蒲生氏郷が松ヶ島城に入城すると木造具康は氏郷への臣従を拒み、木造城で抵抗します。
氏郷は軍勢を発して木造城を囲みますが、城側は果敢に蒲生勢に打ち掛かり激しい抗戦が展開されました。
しかし孤軍の具康は城を明け渡して尾張へ落ち延び、ここに木造城の歴史は幕を閉じます。

このようないくつかの歴史背景を知るとこの木造城、平城にしては、なかなかの要害だったことがわかります。
今の姿からは想像もできないような堅城であったのでしょう。
城址碑を見つめ、周囲を見渡し、当時の木造城に想いを馳せてみました。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

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