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尾張 楽田城 🏯最も古い「殿守(天守)」の記述がある城

尾張 楽田城・楽田小城 (愛知県犬山市楽田本郷・城山)

羽黒城の見学後、その足で寄ったのが楽田城です。
犬山市の城址は南北の街道に沿って配置されているのでとても回りやすいのが特徴。
最寄り駅からも近くにあって訪問しやすいです。

gakuden522.jpg楽田小学校北西部にある城址石碑。

楽田城は現在楽田小学校一帯に築かれていたようです。
かつては土塁や堀が残っていたといいますが、小学校建設によりほぼ消滅しました。
天守台もあったそうですが、これも消滅、現在は北西側の校門付近に石碑と案内板が建っているのみ。

gakuden (10) gakuden (3)

gakuden (9)史蹟城山の石碑と楽田城石碑の小山(天守台ではありません)。

楽田城は永正元年(1504年)頃に 大赤見城主の織田久長によって築かれたと云われ、居城を移したようです。

永禄5年(1562年)犬山城主織田信清によって攻め落とされますが信清は織田信長に追われ、甲斐に逃亡。
楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城します。

どうやらすでに信長の頭の中では東美濃攻略への布石が始まっていたようです。

元亀元年(1570年)坂井政尚が近江国堅田で討死、長男の久蔵尚恒も元亀元年(1570年)7月の姉川の戦いで討死しており、奥城主梶川高盛が城主となります。

その後、小牧長久手合戦では秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに羽柴秀吉自身も犬山城から楽田城へ本陣を移します。

gakuden (7) 小学校の敷地は周囲よりも一段高くなっています。

小瀬甫庵が記した「遺老物語」によると楽田城中には高さ5m程の壇を築いて、その上に二重の櫓を建てていたと記され、それを「殿守(でんしゅ、天守に音が通じる)」と呼んだといいいます。

これが今日の天守に通じる最も古い記録とされています。

起伏の少ない濃尾平野では、山城を築くことが困難であったためでしょう。
遠方を監視するための物見櫓が発達し、高層建築施設が天守への発生へとつながったと思われます。

gakuden (11) 須賀神社も楽田城の一部だそうで・・

これだけかな・・。と、学校外周を歩いていたところでした・・。
ご近所のおばちゃまに「楽田小城」なる場所を教示していただきました。
見た目一発で城見学に来たと見抜くその洞察力、おばちゃま、ただ者に非ず・・。

gakuden (12) 城址の雰囲気のある神社です。

楽田小城は出丸か、本城の北に連なる郭の一部だと思われますが、一段高くなっています。
むしろ、こちらのほうが城址の面影が残っているように思われ、ちょっと興奮してしまいました。
「おばちゃま、ありがとうごぜいやす!」、です!

gakuden (13) 楽田小城の立派な石碑。( ̄。 ̄ノ)ノ

なんだか得した気分です。
今回もちょいといい旅気分での城めぐりができました。

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プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

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