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遠江 刑部砦 🏯三方原合戦後の武田氏の陣跡

遠江 刑部砦 (静岡県浜松市北区細江町中川宿名・陣の平)

まず、最初に申しますと、刑部城刑部砦は互いの位置は近いのですが、
築城者や歴代城主も築城目的も異なる、別物同士の遺構、ということになります。
似ているのは名称だけ、といったところでしょうか。

元亀3年(1572)徳川・織田軍と武田軍との大激戦が展開された三方原合戦。
武田軍の大勝利に終わったこの戦い、勝利の勢いで浜松城に押し寄せることも可能でした。
しかし、合戦直後、武田信玄の持病が悪化、信玄はここ刑部砦で自身の身体と兵馬を休ませます。

okasabe-t (1)
刑部砦と武田軍が滞在したであろう一帯です。

okasabe-t (8)県道261号線(姫街道)沿いに『史跡』と刻まれた石碑が建ちます。

あらかじめ下調べしての訪問でしたので砦の山はわかりましたが、
まさかこれが刑部砦の存在を示す石標であるなんて・・。
石碑の前に旧タイプの防火水槽があるのが目印となります。

okasabe-t (6) 奥には集めて並べられた墓石が。

武田軍が滞在した期間は12日前後であったという記録があります。
「砦」というよりも急造の「陣所」に近いものだったのでしょう。
そのためか頂部一帯は「陣の平」(じんのたいら)と呼ばれているようです。

その陣ノ平は、この石碑の位置から300mほど北の台地上あたりだと考えられています。
現在は行き止まりのみかん畑などになっており、遺構はほぼなさそうでした。
・・というか時間的制約もあって、地形を確認するのが関の山でした。

okasabe-t (4) 裏側の碑文です。

「元亀3年、武田信玄が家康と三方原で戦い、大戦して東三河方面への転進のため、この地に兵馬を休養させた」、と意する文面が記されています。

武田軍は信玄の体調とも相談しながら浜松方面よりも東三河方面の攻略へと駒を進めます。
この時点で信玄の病状はかなり悪化していたのでしょう。
残された時間は本人が一番よくわかっていたのかもしれませんね・・。

石碑のある位置がわかりづらいので地図に示しておきます。



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テーマ : 城郭
ジャンル : 学問・文化・芸術

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 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

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