尾張 小牧山城 🏯戦国三英傑、天下への衝たる所、この城あり

尾張 小牧山城 (愛知県小牧市堀の内1丁目・小牧山) ≪国指定史跡≫

東西南北、春のお花見城めぐり・第3弾の東は小牧山城を訪ねます。
もう言わずと知れた要衝・小牧山城。
ここでダラダラとうんちく述べるつもりはございません。

komaki44 (12) 鮮やかな桜と青空、小牧山城歴史館。
(我ながらよく撮れたかも(#^.^#)) 

何度も登っている小牧山ですが桜の時期に来たのは初めてかも。
最近は、周辺で小牧・長久手合戦の城砦めぐりもしてきました。
ですので、今回はそんな視点からも見てみよう、というのんびり散策です。

komaki44 (41)史蹟・小牧山、北側の石碑。(南側の石碑よりこちらがお気に入り)

信長、秀吉、家康の3人がこの場所を見据え、天下へと駆け上がっていった城です。
今回は発掘調査が一段落して、整備された小牧山を桜花見を兼ねての登城。
訪問するたびに新しい発見があり、毎回とても楽しみなのです。

komaki33 (5)平野部の浮島であるかのような小牧山。

komaki33 (1) かなり遠くからでも確認できるシンボルです。

まずは東の麓の帯郭地区からの見学です。

小牧合戦の際、大軍勢を収容したであろう曲輪で小牧山全体をとりまくように展開しています。
信長時代には居館として、家康によってより戦闘用に構築されたとされる遺構です。

komaki44 (4) komakidorui.jpg
厚みのある高い土塁で、断面の様子が展示されています。

komaki44 (7)内部も堀や土塁で仕切られています。

komaki44 (8) 公園も兼ねた広いスペースです。

komaki44 (1)

次は南から山上へ向かう大手道から登っていきました。

komaki44 (39)以前あった市役所の場所がかつての姿に修復されていました。

大手道の登り手口、右側には大土塁と堀が造り直されていました。
視界いっぱいに広がるその規模に当時の雰囲気を感じます。

komaki44 (37)頂上へ向かって真っすぐに伸びる大手道。

この大手道を下からよーい、ドン!で子息らと競争したものです。
今回もマラソン大会前の調整に足取り軽くダッシュで登ってみました。
・・結構、しんどかったですね・・(´∀`*;)ゞ。(天下に駆け上がるのは無理みたいです・・)

komaki44 (35)山腹の横堀は西から南方面を守る長大な遺構です。

komaki44 (34)土橋を経由して主郭部へ。

komaki44 (15)発掘によって出土した石垣の裏込め石が集められてます。

komaki44 (28)

komaki44 (30)こちらは石垣の残存状況です。

この石垣、崩れているというものの若干、貧弱です。
さて、石垣構築は誰の手によるものなのか?
信長の築城、在城時期のものか?、それとも家康の小牧合戦の改修期なのか?

石垣石材の一部は小牧山北東の岩崎山から運んだと思われる同一の花崗岩があります。
岩崎山は小牧合戦では羽柴方の砦として利用されており、敵陣からの石材調達は不可能。
よってそれ以前の、信長時代からのものではないかという見方が有力です。

komaki44 (26)

komaki44 (31) komaki44 (16)

時代を経て、転落石も所々に見られます。
整備をしながら戦国時代への姿に少しずつ近づいていくようです。(楽しみ!)
たくさんの裏込め石もその時を待っているかのようでした。

komaki44 (18)「事実上天守」といった感じの小牧市歴史館。

平松氏によって私財を投じて建設され、小牧市に寄贈されました。
鉄筋コンクリート造、3層4階です。
このデザイン、どっかで・・。

そう、京都西本願寺の飛雲閣を模したものですね。
(パンフレットからカンニング!)

komaki44 (23) 最上階からは周囲の景色が一望できます。
(写真は東の春日井(かすがい)・長久手方面)

今回はどうしても徳川方目線になってしまいます。

komaki44 (27)どれどれ・・。羽柴方の主な布陣を見てみましょうか。

今は、小牧・長久手合戦の経緯を勉強中の久太郎。
ここで最も気になるのは秀吉方の配置城砦や陣がどのようにみえていたのか?
左から岩崎山砦久保山砦小松寺山砦・・。なるほど横一線になってますね~。
(以前、訪ねた砦を逆から見るって面白ろ~)

komaki44 (33)次来たときはどんな姿をみせてくれるかな?

信長がこの城で構想した姿はやがて岐阜城、安土城へと具現化していきます。
秀吉はこの城をとりまく合戦を制することで次の天下人への名乗りを欲します。
家康はためらいの中、もはや避けられない運命をこの城で感じ取っていました。

小牧山には三英傑それぞれの待望が感じられ、そしてかの英雄たちの思惑も感じられますね。

桜もなかなかの咲きっぷりで和ませてもらいました。



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美濃 高山城 🏯市街を一望に見渡しできるの花見スポット

美濃 高山城 (岐阜県土岐市土岐津町高山・城山) <市指定史跡>

東西南北、春のお花見城めぐり・第2弾の東は土岐市の高山城を訪ねます。
岐阜県には有名な飛騨の高山城がございますが、こちらは美濃の高山城。
昨今は、「高山城戦国合戦祭り」が盛況に開催されるなど、徐々に知名度も上がってまいりました。

minotakayama (29)高山城は城山の尾根先端部を利用しています。

以前、得意先のお客様と電話にて会話した際、こんなやりとりがございました。

客:「今、どこにいて、何時頃にこれそう?」
私:「そうですね、今、肥田(ひだ)にいるんで、あと1時間ほどかかりそうです。」
   (肥田は土岐市の高山地区のお隣の地区です)

客:「ええっ!?、飛騨(ひだ)にいるのにそんなに早く来れるの!?」
   (肥田を飛騨と勘違いいてみえます)
私:「もう、高山に入ってますんで、次の次くらいでしょうか」

客:「そんな急いで来なくていいよ!、なんなら明日でもいいからさ!」
   (完全に飛騨の高山市にいるという設定に・・)
私:「いや、大丈夫です、なんとか今日中に入れますから」
   
そして、約束通り1時間後、何事もない顔でフツーに現れた私・・。

お客さんは事態を飲み込めず口をあんぐり、こちらもそのリアクションに困惑するばかり・・。
心配していただいた上に大変驚かせてしまいました。
・・とまぁ、後で答え合わせをして、お互いの勘違いに納得。

ちょっとした笑い話でございました。

minotakayama (2)今回はこちらの高山城を訪問します。

頂上まで車道が通っていますので気軽に登城できます。

minotakayama (3)三の曲輪の駐車場の桜は満開でした。

minotakayama (7)模擬?雰囲気?城門です。

なぜだか、この門を潜らずに脇から出入りする方も多く、門の意味をなしていません。
なぜなら、左は土岐市街地の絶景が、右には立派な城址石碑があるからです。
どうやら、どちらかに釣られて引き寄せられてしまうようです。

minotakayama (6)その岩盤に彫り刻まれた「高山城址」。東濃地方最大の城址碑です(笑)。

高山城の築城時期は判然としませんが、戦国期には高山伊賀守平井宮内小輔光行らが城主であったと伝えられています。

天正2年(1574)、武田勝頼が東美濃に侵入した際、平井頼母光村は織田方として武田軍と交戦、城は落城した模様です。

本能寺の変後の森長可の東濃平定戦に際しては光村は自刃したとも、降伏したとも、謀殺された、ともいわれており、また長可の与力として、小牧・長久手の戦いにて奮戦した、とも謎の多い人物です。

いずれにせよ、平井氏は高山城を森長可に明け渡したようです。

minotakayama (28)桜道の中を本丸に向かって登っていきます。

minotakayama (27)広々とした本丸です。(貸し切りo(^▽^)o)

現在は地面下に水道貯水池があり、当時の構造はかなり改変されています。
主に3つの曲輪によって構成されていた、といわれ、それぞれに堀切で仕切られていたようです。
かつての縄張りの様子が案内板に図示されています。

minotakayama (9)模擬物見櫓です。雰囲気が出ています。

minotakayama (19) 2階へ登ってみましょう。

minotakayama (14)多治見方面は丸山山麓から土岐川沿いが素晴らしい眺望です。

minotakayama (11)当時の面影が見られる本丸北端部の様子です。

minotakayama (12)こちら北から東方面も視界良好です。

後の慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでは、西軍として岩村城の田丸直昌の家臣、田丸主水が入城。
しかし東軍の妻木城主・妻木頼忠によって攻められ落城したといわれています。

minotakayama (15)「高、山、城、跡、」!。アピール度ハンパないです。

minotakayama (23)三の曲輪の切岸の様子ですが・・。

整備に伴い、改変されているので当時の構造を知ることは困難です。
私がまだ若いころに訪れた時とは、随分と様子が違います。
明かな造成箇所もありますので注意も必要です。

minotakayama (24)
堀切の位置と痕跡もわずかながら把握できる箇所もあります。

ともあれ、高山城は史跡保存会の方々を中心に町をあげての整備が進められ
何もなかった荒れ城址から今日の姿までに推し進めてこられました。
このことは城郭ファンとして、また地元の人間として、敬服するばかりです。

史跡の保存整備の手本となるだけでなく、地元の歴史的文化の復興にもなり
それはまた、史跡を次世代へ伝承し、活気ある町作りに貢献していくことでしょう。

穴弘法 

高山城からは穴弘法との往来が容易です。
15分程の時間があれば一緒に見学したいおススメスポットです。

minotakayama (21) 高山城の冠木門から遊歩道で往来できます。

minotakayama (25)砂岩層をくりぬいてたくさんの石仏が安置されています。

戦国時代にこの地で命を落とした人々の霊を弔うため、元禄元年に開創された「慈善院梵燈寺」の跡です。
織田・武田の勢力圏争い、森長可による併吞圧力、関ケ原の地方戦、等々・・。
この地方も相当な戦火に巻き込まれたものと思われます。

minotakayama (26)

特に、秋の紅葉ライトアップは幻想的で素晴らしいものがあります。
高山城戦国合戦まつりも地域ぐるみで年々盛り上がってきています。
秋の高山城はまた違った姿をみせてくれそうです。



三河 刈谷城 🏯再整備計画が待ち遠しい美しい水堀の城

三河 刈谷城 (愛知県刈谷市城町・亀城公園)

東西南北、春のお花見城めぐり・第1弾の南は刈谷城を訪ねます。
奥方が懸賞で当てた安城デンパークのペア入場券があったのでついでに寄ります。
(どちらがついでなのかはそれぞれです)

hana.png denpa (3)
denpa (7) denpa (6)

フラワーフェスティバル開催中の安城デンパークへ。

今回のお花見は「桜」ではなく春の「ガーデニング・フラワー」です。
色とりどりの花が咲き誇る園内で春を満喫・・。
・・その前に城を満喫しようとする魂胆は今回も織り込み済みらしいです。

denpa (1) denpa (2)

ということで、まずは刈谷城(形式上サブ目的地)に到着です。
駐車場から城址に向かって歩くと初代藩主・水野勝成公の甲冑柄の自販機が。
俄然テンションがあがります。

kariya (1)注目の飲料の種類はというと普通の内容でした(笑)。

武将として戦場ではその勇猛さから「鬼日向」と渾名されることもあった水野勝成
実は文化人としても、和歌、舞、茶道、絵画など様々な面でも一流でした。
経歴も波瀾万丈。語るにも逸話が多すぎて凄すぎます。

刈谷城は天文2年(1533年)水野忠政により築城されました。
刈谷城が気に入った忠政は本拠地を緒川城から刈谷城に移しました。
娘・於大(徳川家康生母)はこの刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁しています。

忠政死後は嫡男・水野信元が城主となりました。
永禄3年(1560年)桶狭間合戦で信元は尾張・緒川城へ入り、刈谷城は弟の信近が守っていました。
今川義元が討死すると尾張・鳴海城にいた岡部元信が手薄な刈谷城へ攻め寄せ信近を討ち取ります。
しかし、信元はすぐさま刈谷城へ押し寄せ、城を取り戻したそうです。

信元は天正3年(1575年)佐久間信盛の讒言にあい、武田方への内通を疑われ、家康に殺害されるという非業の最期をとげます。
しかし、後、その疑いは晴れ、信元の末弟忠重が城主となって水野氏の領有に復しました。
以後、忠重、勝成、忠清と5代百年、水野氏の居城となっていくのです。

kariya (20)赤い橋を渡っていきます。

この橋から見る水堀と城址公園の林の景色はとても美しいです。
亀城公園というだけあって水堀にはたくさんの亀がいました。

kariya (19)帯曲輪東側の堀はかつての城郭の名残りをとどめています。

kariya (3)本丸跡に建つ十朋亭。

kariya (5)内部には刈谷城の模型が展示してありました。

kariya (2) 遺構ではありませんが、遊具気分でどうぞ。

kariya (6)本丸跡は周囲を土塁で囲まれています。

kariya (9) 公園となっている本丸の様子。

kariya (14)現在、再整備計画のため少しづつ工事が進んでいます。

2020年ごろを目途に発掘調査をしながらの完成のようです。
北西隅櫓、南東隅櫓、多門櫓、表門、裏門、土塀を復元する計画が進んでいます。
残っている城絵図や調査を元に復元される、ということで楽しみですね。

kariya (13) kariya (11)
刈谷城本丸の土塁と整備中の土塁断面。

一時期、城(天守)ブームのとき、史実と異なる建造物が全国のあちらこちらに
築城?された経緯がありましたが、ここのところは正しい検証や図面に基づいた
復元計画が発掘調査と併用して行われていることは非常に喜ばしい事ですね。

kariya (16)木立に囲まれた刈谷城城址石碑。

kariya (18) 傍らには豊田佐吉さんの胸像がございます。

denpa (5) 春ですね、沈丁花(じんちょうげ)が咲き乱れてました。いい匂いだ。

denpa (4) ひよこたちも賑やかでした。ピヨピヨ(^ω^)。

ジムニーでオフロードコースへ

さなげアドベンチャーフィールド (愛知県豊田市伊保町向山)

4月も桜が満開を迎える頃、さなげアドベンチャーフィールドに行ってきました。
同じ城めぐらーにして、ジムラーの日向守さん、そして日向守さんのご嫡男さんとの行軍です。
2台で連なって走るランデブー姿はさながら遊撃軍のよう。

sanageato (5)日向守さんから加藤神社のお守りを賜りました!、光栄です。

すでに何回か足を運び、会員登録も済ませてみえる澄まし顔の日向守親子。
対してこちらやや不安と緊張の面持ちで、ぎこちない受付を済まします。
・・やはりこの親子、ただ者に非ず・・。

sanageato (2)最初なかなかギア入れのコツが掴めませんでした・・。

最初は日向守さんに初心者向けコースを助手席に座っていただきました。
まともに4WD→4Lへのシフトチェンジもできまチェンジ(汗)。
冷笑されながらもコースに入っていくのでありました。(大丈夫かな・・)

sanagesaf (9) 日向守さんのレクチャーでGO!

しかし、普段4Lギアなんて、山城めぐりでも滅多に使うことはございません。
もともと山城攻略の最終兵器として購入したはずなのに、これでは宝の持ち腐れですね。
もちろんものすごい効果を実感した例もあります。(そして何度も助けられた)

sanagesaf (11)高低差も少ない外周のワンダフルコースで、まずは肩慣らし。

ここで雰囲気はつかめました。でもまぁ、やはり、物足りませんね。
なんせ、ジムニーなんですから。
はやる気持ちを抑えながら助手席の日向守さんに教えを乞います。

sanagesaf (12) そして次は林間コースへと向かいます。

sanagesaf (6)路面状況によって走り方も変わってきます。今回は雨上がり。

こちらの林間コースはかなり手応えがあります。
波状路に、ヘアピン沢登り。(雨上がりのため、本当に沢になってます)
傾度のある昇り坂を突撃気分でガンガン攻め登ります。

sanagesaf (5) 傾斜20度の長い下り坂に突入です。

ここでは4Lならではのギアセレクトとエンジンブレーキングが重要です。
ここ林間コースでも最も名所で鍵となるセクションです。
まるでジェットコースターが落ち始める前の感じでゾクゾクしました。

sanagesaf (2)「・・くっ!、この坂を降りるのか!?・・」
(写真ではうまくお伝えできませんが)

ギアの使い方とコツに慣れてくるといろんなコースに挑戦したくなります。
場内での停車・降車にての撮影は危険を伴うので厳禁です。
しかし、日向守さんのご嫡男さんから記録映像を頂きました。

sanagesaf (8)水深50cmの水場にダイブしてます・・。

あれ?・・、ボンネットから煙が・・。(焦)
でも、良かった、原因は水蒸気でした。(マジ、セーフです)
でも、ちょっとビビりました。調子に乗り過ぎです。

sanagesaf (7)コブセクションも楽しかった!

気付いた時はトライアルコースにはまり、ドンドン深みに挑戦していました。
横滑りするほどの谷バンク、丸太渡り、モーグル地形、ロック岩場も少々・・。
押し戻される急坂に闘志むきだし。(かなりやばいテンションに・・)

sanageato (6)場内は様々なコース設定があり、4駆の性能と技術が試せます。

sanagesaf (4) 泥落としで上がります。

sanagesaf (3)いやぁ~、遊んだ、遊んだ。

sanagesaf (10)タンクガードはやっぱりあると安心です。

sanagesaf (14)日向守親子の鉄馬とツー・ショット。

さすがに転倒やスタックの危険性は避けなければいけません。
あくまでも技術と性能内でのトライですが、それでも緊張感で胸がバクバクしました。
待ち構えるコースをクリアしたときの快感は病みつきになりそうです。

魔物が潜む異次元のコースにトライしてみたい気持ちもありますが・・。(やめとけ)

初心者の自分でも充分に楽しめる本格クロカン・コースでした。
ジムニー本領発揮、2台での突撃、ホントに楽しかったです。
また連れて行ってくださいまし。(割引券、ありがとうございました!)

sanageato (1)
オーナー歴、間もなく20年目。山城めぐりのベスト・パートナー、ベスト・チョイスです。

晴天の中、恵那峡ハーフマラソンに出場しました。

第16回 恵那峡ハーフマラソン大会
会場:岐阜県クリスタルパーク恵那スケート場
平成29年4月16日(日):ハーフマラソン(21.0975km公認コース) AM10:00スタート

今年もやってきました、恵那峡ハーフマラソンです。o(^▽^)o

去年の嵐の中のレースとは打って変わり、風もなく穏やかな晴天です。
気温が高めで暑くなるようですが、自分としては雨よりは全然ましなのですね~。
(去年はホントにテンション➘下がりました・・)

enahalf2017 (4)

それに今回はラン友・Y吉さんとも一緒にスタート地点に立てます。
Y吉さんは、ここのところ多くの大会経験を経てメキメキと走力が上がってきています。
この日が来るのを心待ちにしておりました。

enahalf2017 (1)

今回の目標は1時間40分、100分内で走る!が目標。
前回の自己ベストが1時間45分ですから5分以上縮めなければいけません!
・・って、できるのでしょうか?

対策としてはやはり序盤の登りもゆっくりせずにある程度のペースを作ってしまうこと。
そしてその勢いを保ったまま中盤まで流れることです。
さぁ、できるかな?

いよいよスタートです。

<序盤>(~6km地点)

前回までは「スタミナを温存しよう」とゆっくりめに(km/5分15秒くらいで)登っていた坂。
しかし、今回は思い切ってここをkm/5分ペースで駆けあがっていきます。
しかも全5km区間で、1kmごとに5秒づつ、上げていきます。

taisaku.jpgこの区間をkm/4分45秒で走り切るのが最初のミッションです。

序盤からハードでしたが、この戦略?は結果的に成功しました。
なぜなら、ビルドアップしながらの気合いとペースを保持したまま中盤まで繋ぐことができたのです。
これはトレーニングの成果かもしれません。

<中盤>(~13km地点)

2ヶ所の折り返し地点をつなぐコースです。
アップダウンがありますが、安定したペースを保持するよう呼吸方とフォームを意識しました。
給水も積極的に取り、暑さのため急速に渇いていく体に水分を補給です。

手元の時計ではペースがkm/4分40秒、いいペースです。
しかし、油断せずに終盤に持ち込みたい、あくまでペース維持に専念しました。
ここにきてのペースダウンだけは避けなければならないのです。

ある意味それが中盤のミッションです。

<終盤>(~20km地点)

15km地点からは下り中心となります。
ここで勇んでスピードを乗せることもできましょうが、自分的にはまだ抑えます。
昇り中心モードだった足を徐々に下りモードに切り替えていきます。

18km地点を過ぎたところから徐々にストライドを広げ加速していきます。
このあたりになると前後のランナーたちも同レベル。
足も歩調を合わせつつ、抜きに入ります、km/4分38秒、闘志丸出しです。

「なんだかイケそうな気がするぅ~!ヽ(`ω´*)ノ彡☆」

<ラストスパート>

ゴール手前、名物「心臓破りの坂」では「たいしたことない」と、自分に言い聞かせます。
実際は「地獄で閻魔様」級の斜度のキツイ坂ですが・・。
ここを越えたらゴールしたようなものですが、さすがにタイムを奪われます・・。

enahalf2017 (3) ラストスパートをかけた城内入口。

場内に入った時点でスパート点火!
まだいける、と思っていた相棒の足も限界のようですが、そのままゴールできました。
燃え尽きた感でいっぱいです。

enahalf2017 (2)

結果は記録:1時間39分02秒。NET:1時間38秒49秒
100分切り、成功です!♪───O(≧∇≦)O────♪
やった!目標達成、自己ベスト更新です。これは涙が出るほどうれしかった。゚(゚´Д`゚)゚。。

Y吉さんも程なくして場内に帰ってきました。
ここで声援を送ります。苦しそうな中に笑顔を浮かべながらのラストスパートを見送ります。
Y吉さん、初めての恵那峡で、すごいタイムです。素晴らしいです。

enahalf2017 (13)
Y吉さんに撮って頂きました。いい顔してました。(笑)

enahalf2017 (11)

満足いく内容のレースでしたが、やはり練習で踏んできた距離が結果となったようです。
週1,2回のビルドアップ走10km、5kmも底力を養うのにいい練習だったと思います。
20km以上のロングは疲労が残るため一度も走ってませんでした。

enahalf2017 (9)
今回は電車を利用。JR武並駅は見たこともない混雑ぶりでした。

帰りの電車ではくたくたになりながらもY吉さんとマラソン談義に話が弾みます。
あれ?肌が若干ヒリヒリしてますよ。陽に焼けたみたいです。
さぁ、次は安曇野ハーフマラソンです。

心地よい 疲れとともに 達成感 電車の揺れと 友の焼け顔

enahalf2017 (7) Y吉さん、お疲れ様でした!

京都山城 伏見桃山城 🏯雅で迫力ある模擬天守群

京都山城 伏見桃山城 (京都府京都市伏見区桃山町大蔵)

春、うらら、入学式にかこつけての城めぐりです。
4月に入っても、桜がまだ咲いてません。
ここ伏見桃山は桜の名所だと聞いてやってきたのですが・・。ちと残念。

現在、本来の伏見城の主要部は明治天皇陵などになっており、立ち入ることはできません。
以前、伏見桃山城キャッスルランドという遊園地があり、ここに模擬天守が建てられています。
あまり人気がないようでしたが、奥方とぐるっとのんびり散策してみました。

fusimi22.jpg耐震基準を満たしていないことから内部は非公開です。(残念)

洛中洛外図に描かれた伏見城を参考にして模擬天守が鉄筋コンクリート構造で造られました。
まだ遊園地が営業しているときに来たかったのですが遊園地自体は閉園となってしまいました。
(2003年1月31日に閉園しました)

fusimimomoyama (3)なかなかの迫力で雅な高級感が感じられます。

よく写真で見かけるカットですが、間近でみると想像以上に迫力があります。
単なるモニュメントにしておくには実に惜しい建築物だと思いました。
奥方も突然目に入った天守群を見て、びっくり!してました。

fusimimomoyama (2)模擬大手門です。さすがに作り物っぽさは否めませんね。

fusimimomoyama (1)石碑です。この場所は伏見城の西側あたりとなります。

文禄元年(1592年)豊臣秀吉によって隠居屋敷として築かれたのが始まりです。
当初は南方の指月山に築かれていましたが、慶長の大地震で倒壊したため、
北方の木幡山に本丸を移して再建されました。

関ヶ原合戦の前哨戦では徳川方の城将・鳥居元忠が奮闘し壮絶な死を遂げました。
関ヶ原合戦後、天守は二条城へ移築、櫓は備後国福山城や江戸城などに移築されました。

fusimimomoyama (5)模擬小天守もそれなりに立派なんです。

fusimimomoyama (13) 4月の訪問ですが今年の桜は遅い・・。

fusimimomoyama (11)模擬天守を下から見上げてみます。

重厚感があって破風のバランスがかっこいいと思いました。
模擬天守の中は資料館となっていて、秀吉築城の聚楽第の復元(推定)模型が展示されていました。
それも開園している時のお話しなのですが、見てみたかったです。

fusimimomoyama (10)今一つの石碑を、植え込みの中に発見。

fusimimomoyama (9) この門から入城してみたいものです。

fusimi2446.jpg空にそびえる大天守。当時の威風を思い起こさせます。

いつかまた最上階に登れる日が来るのか、楽しみです。

 

京都山城 槇島城 🏯京での室町幕府終焉を迎えた城

京都山城 槇島城 (京都府宇治市槇島町薗場・城址碑公園と槇島公園)

将軍家を再興するため足利義昭が雄々しく誕生した、記念すべき城館が矢島御所だとしたら
こちら槇島城は義昭の野望潰え、事実上、室町幕府の終焉の地となった城です。

個人的には義昭ほど信長に対し、腐らず、めげず、諦めず抵抗した人物はいないんじゃないかな。
・・そう思う時があります。
実際、信長包囲網を立案、発布、それを受けた諸大名は次々と起動をしたわけです。
それに室町幕府将軍に供奉した御供衆(おともしゅう)も健在です。

並大抵の外交手腕ではできないことです。
金もカリスマも必要とされます。
そして、なにより不屈の情熱が備わっていたのでしょう。

そんな「貧乏公方」、足利義昭に愛着さえ感じるのです。

槇島城は現在、遺構はすべて消失して、何も残っていません。
しかし、城址碑が語るゾーンが2ヶ所あるので紹介したいと思います。
(記事の末尾に地図を添付いたしました。)

makisima (5) 一つは住宅街の中の公園に立つ城址碑です。

makisima (2)この石碑は公園なのになかなか発見しづらい場所にあります。

makisima (4)説明版を読むとすっかり変貌した様子がわかります。

槇島城は、足利将軍家の家臣・真木島氏が本拠としていた城でした。
回りを川で囲まれた天然の要害にもなっていました。

元亀4年(1573)、信長に追われた義昭は、真木島昭光がいる槇島城に居を移します。
しかし、追ってきた信長軍勢の攻撃をうけ、義昭は昭光等と河内国へ逃亡しました。
これにより、城は開城、室町幕府はこの地で滅びます。この戦を槇島合戦と呼んでいます。


いま一つの城址碑は北の方角の槇島公園の隅にあります。

makisima (13) 槙島公園。

makisima (6)美しい花壇の奥にあります。

makisima (9)槙島城記念碑、という城址碑です。

本当に面影も何もあったものではありませんでした。
室町幕府の滅亡、というのに相応しい姿なのかもしれません。
城址碑を探し当てる、そんな楽しみ方が好きな城郭ファン向けの城、といった所でしょう。

槇島城は何も遺構がありませんが歴史的には重要な城です。
この場所に立つと、義昭公に労いの言葉をかけたくなるのです。
しかし、義昭公のほうからはこんな言葉も聞こえてきそうです。

「めげんなよ。」




丹波 福知山城 🏯光秀・秀満による集大成の城

丹波 福知山城 (京都府福知山市内記1) <市指定史跡> 【続・日本100名城】

伊根の舟屋群と伊根城めぐり
天橋立と弓木城めぐり
・・ときて、帰りに福知山城に寄って行きます。

行きは家族5人の旅行でしたが、帰りは京都市から4人での帰路になります。
この春から晴れて大学生となる長男を学生寮に預けていかねばなりません。
少し寂しいですが、お城めぐりをしているうちはみんなボルテージ・アップです。

今回の福知山城は散策感覚でゆる~く歩いてみました。

fukutiyama (45)駐車場から見上げると天守が。

fukutiyama (35)とりあえず石碑をおさえときましょう。

fukutiyama (36)福知山城公園から本丸へと至る昇龍橋を渡ります。

右側には隅櫓風城郭建築様式の福知山市佐藤太清記念美術館があります。
堀と石垣、昇龍橋の流曲線が美しいと思いました。

fukutiyama (4) 登城路を登っていきます。

fukutiyama (33)近年(2009年)に復元された釣鐘門です。かっこいいですね~。

fukutiyama (32)豊磐の井(とよいわのい)と呼ばれる井戸です。

なんと50メートル近くの深さを持った井戸なんです。
城郭内の井戸としては日本一の深さを持って いるそうです
まさに底なし井戸です。

fukutiyama (34)fukutiyama (9)福知山城の石垣といえばこの野面積の石垣でしょう。

この石垣には、そこいらに五輪塔・宝篋印塔などの法塔が使われています。
これは石垣に利用する大量の石材がなかったことや築城の時間を短縮するためといわれています。
安土城なんかにも見られます。

また他の理由として古い地元の勢力や権威を否定する意も含んでいるようです。
また仏教の力で城を守護するという意味ともいわれています。(とってつけたような理由ですね)
個人的には罰当りな行為かと思いますが・・。

fukutiyama (11)転用石が並べられています。いや~、使い過ぎも程々に・・。

そして振り返れば・・天守です。

fukutiyama (13)本丸に鎮座する大天守。

昭和60年(1985)に復元がされました。
当時の姿を再現してあるので戦国時代を感じさせる雰囲気を持っていますね。

fukutiyama (19)本丸からの福知山市内南側。

fukutiyama (27)小天守と見事な反りを描く石垣。

fukutiyama (31)小天守と大天守は続櫓によってつながっています。

fukutiyama (49)

見る角度によって様々な表情を見せてくれる天守閣。
物事もいろんな角度から見ることで感じ方・受取り方も変わります。
長男には大学生活を通じていろんな人と出会い、いろんな角度から広い目で物事を見て欲しい。

また城めぐりに行きましょう。




恵那峡ハーフマラソンまであと一週間

恵那峡ハーフマラソンまであと6日

いよいよ一週間後と迫ったハーフマラソン大会。
特別な練習はほとんどしてきませんでしたが、走行距離だけは踏んできました。

12月、204km
1月、217km
2月、28日間で206km
3月、251km

今までの練習量としてはかなり頑張ったほうだと思います。

といっても特に変化が感じられないのでなにも成長していないのかも・・。
少し不安になってきたりもします。
でも、「いつも以上に走ったんだ」という練習日誌だけが自信をつけてくれます。

runko-su (2)いつもの練習コースに遅れぎみの桜が満開になりました。

毎年この桜の花の下を潜って包まれるように走るのが楽しみです。

よし、頑張るぞい!

そんな気持ちにさせてくれる、自分の味方ですrunko-su (1)

丹後 弓木城 🏯丹後守護・一色氏の滅亡を見届けた城

丹後 弓木城 (京都府与謝郡与謝野町弓木城山・城山公園)

弓木(ゆみのき)城は天橋立を東に望む小高い城山山頂部に築かれています。
城山公園の無料駐車場を利用してゆっくり散策できます。
天橋立にて「股のぞき」をしてからの訪城です。

mata (1) matanozoki.jpg
お約束のポーズでの「股のぞき」、こんな感じで天橋立を逆さに見ますと・・(↑)

股を開き頭を深く下げていると、だんだん頭に血が充血して目が回ります。
すると、天橋立が空に向かって龍が如く伸びていく様に見える、というものです。
この態勢は慣れないと結構きついようです・・。

天橋立が龍に見えた瞬間、頭に血が昇り過ぎ、台から転げ落ちる危険性アリ。
それ以前に体が硬い方、見るに耐えない無様な姿をさらすことになりそうです。
ここへは柔軟体操をしっかりとしてから来た方がいいみたいです。

さて、弓木城へと話を戻します。

yumiki (30)
城山公園駐車場脇に立つ新しめの案内板。 

yumiki (3)主郭の東に張り出した尾根の曲輪の様子。

弓木城は稲富氏によって築かれたと伝わります。
稲富氏は二代・直時のときに丹後・一色家の家臣となりました。
稲富流鉄砲術で著名な稲富直家(祐直・理斎)は稲富氏四代目といいます。

yumiki (21)主郭と東郭部を隔てる中間連絡曲輪は大きな堀底にも見えます。

yumiki (7)主郭部を見上げます。んん?中央を走るあの溝はなんでしょうかね。

yumiki (10) 回り込んで主郭へと向かってみます。

yumiki (13) yumiki (8)
先程の溝の正体、本丸からまっすぐ麓まで続いています。

水無月神社の参道のような道にも見え、後世につけられた遺構だとも考えられます。
まぁ、この道を直登すること自体、無理そうですから、竪堀として見ても構いませんが。
(↑他国者にありがちな適当イメージで城を語るアウトな見方)

yumiki (16)細広い本丸に到着です。

yumiki (11)なかなかの弓木城の石碑です(いいですな~)。

天正6年(1578年)織田軍の明智光秀細川藤孝による丹後侵攻を受け、一色義道の居城・建部山城は落城。
義道は逃亡中に中山城で自刃します。

子の一色義定(義俊・義有・満信とも)は弓木城に籠もって稲富祐直と共に織田軍に対抗します。
城主・稲富祐直は少数の兵力をもって織田軍の攻撃を撃退し続け、一色義定を擁し抵抗を続けます。
織田軍は攻めきれず和睦を結び、義定は細川藤孝の娘を娶り、弓木城を居城とします。

しかし、本能寺の変の後、一色義定に怪しい動きを察した細川忠興は宮津城に義定を招いて謀殺、そのまま弓木城も攻め落とします。

yumiki (18) yumiki (24)
主郭は曲輪の北端部が一段小高くなって水無月神社が鎮座しています。
全体的に周囲を高い切岸で固められた城のようです。

yumiki (19)北下には堀切があり、小高い曲輪に城山稲荷が祀られています。

yumiki (28) 北口登山道から見た主郭の様子。

yumiki (26) 稲荷曲輪のへりに張り付いた根。

なんとも織田軍相手に徹底抗戦した根強さを彷彿とさせます。

yumiki (17)本丸からは木々の間から少し、城下の様子が見えていました。

yumiki (31)弓木城は背後の岩滝小学校の所も城域であったようです。(小学校建設によって遺構は消滅)

また東に出丸をもつなど、城域が広い城だったようです。
織田軍を相手に耐え抜いた名城だったんですね。
弓木城はまさに戦国丹後の最大規模の山城といえましょう。

yumiki (32)付き合ってくれた子息たちは駐車場でフリスビーです。
毎度ありがとう。(´ゝ`)




プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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