美濃 高冠城 🏯ため息がもれるような美しい堀切

美濃 高冠城 (岐阜県郡上市大和町栗巣・古道・高冠山)

5月も終わるころ、郡上郡では遅めの田植えが始まります。
山間部の谷間集落でも地形を上手に開墾して農耕が営われています。
棚田の水面に映し出される山々の姿はとても美しく感じますね。

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今回訪れたのは郡上の大和町の奥山にそびえる高冠城(たかかぶりじょう)です。
その名の通り、標高811m、比高で310mもある高所に位置する山城。
集落からの登山道は途絶え、かなり奥まった山上にあります。

takakanmuriyama.jpg奥まった山上にある高冠城を上古道集落より眺めてます。

麓からはその全姿が見えないのでかなり離れたところから撮影しています。
このような場所ですので領主支配の城ではないことがわかります。
さて、どんな遺構がまっているのやら・・。

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下栗巣林道を利用してみます。入口に林道の石碑がありますね。

麓から歩くのはちょおっと・・。(根性なし)
少しでも楽な方法を、ということで林道を利用します。
今回もジムニーで恰好つける時がやってまいりましたね。(よろしく)

takakanmuri (4) おあつらえ向きのワクワクダート林道です。

takakanmuri (5) 沢を越え・・。
takakanmuri (15) 岩崩れを越え、
takakanmuri (6) ドン突き駐車。

ここからは尾根筋に歩いていきます。
果たして無事生還できるのでしょうか、ここまでありがとう、ジムニーちゃん。
あとは国土地理院の地形図とコンパスの読みが頼りです。

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途中で出会ったメタリックゴールドのボディを持つイトトンボに癒されます。

さすがに比高300m級です、途中で適度に休憩を入れながらの登山に。
カモシカたちの「何しに来たん?」的な視線に苦笑いもいいとこです。
それども林道で登ってこれたお蔭で20分ぐらいでピークに到達したようでした。

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山頂付近にも関わらず源水地があることに驚嘆!(なるほど、これなら籠城できる!)

ピークより南に向かっていくと源水地があります。結構大きくてびっくりしました。
獣たちも飲みにくるのでしょう、なんか、見たことない足跡が・・。こわ・・。
そしてほぼフラットな稜線を南に歩いていくと・・。

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現われました、堀切です。 o(≧▽≦)o

、というか、ドでかい堀切です。(しかも、いきなり)
こんな山中にこれだけの規模の堀切・・、しばし信じられませんでした。

takakanmuri (19)素晴しい堀切を横から見てみます。

・・美しい・・。ため息が出るほどに・・。
こんな堀切を探していました。勾配、幅、深さ、堀底具合、そして見易さ、これぞ「堀切」です。
ここまで魅せられる堀切はなかなかお目にかかれません。しばし目を奪われます。
(↑こうなるとかなり重症な例かもしれません・・)

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堀切を上部に登って俯瞰します。両端は竪堀となって落ちています。

これだけの規模の堀切です。
曲輪も大きいのでしょうか・・。期待をして主郭に向かいますが・・。
意外と細長いあまい削平地が続いています。(へぇ~以外だな・・)

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80m程に及ぶほぼ尾根道に近い曲輪が続いています。

曲輪両側の下には腰曲輪も確認できますので、間違いなく曲輪なんでしょうが・・。
内部が緩やかな傾斜を伴っていることも気になります。
未整形空間、っていう感じです。

takakanmuri (24)堀切がもう一条あります。

先程のものより規模は小さいのですが堀切が現れます。
どうやらこの先が頂上の本丸に値する曲輪のようです。

takakanmuri (28)本丸に相当すると思われる空間です。

郭の平地が丸く見えるのは広角レンズを使った錯覚ではありません。
実際に削平があいまいで、自然地形の姿を若干、残しているようなのです。
これは一体、どういうことでしょう?

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主郭の西側の切岸と腰曲輪の状態です。

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同じく、主郭の南から東にかけての切岸の様子です。

主郭の削平はあいまいですが、切岸だけはしっかり付けられています。
これは、防御施設だけは優先的に普請した名残り、ともうけとれます。
或いは、築城途中で放棄されたのかもしれませんね。

高冠城に関する史料は城主などほぼ不明です。
口伝では、平家の落ち武者によって築城されたのが最初らしいです。

後、戦国期になると越前朝倉軍によって攻められた、といいます。
朝倉軍は城兵が白米で馬を洗っているのを遠くから見て、(白米伝説)
「あれだけの水があっては攻めるのは難しい」みたいな感じで篠脇城に向かったそうです。

なかなか信憑性のないどこにでもあるよくある話しです。
しかし、朝倉来襲時に手を加えられたこと、は検討に値する傍証かもしれませんね。
しかも、軍事目的だけのごく短期間の間、ということも考えられます。

未整形の郭がその一部を物語っているとも思われます。

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岩にあけられたピット穴もみられます。

なんのためにあけられたのでしょうか、細い柱ならはまりそうです。
岩の向かう方向には篠脇城があります・・。
空想が膨らみますね。

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岩陰から、ヌリカベがのぞいていました(笑)。

高冠城はちょっとミステリアスに包まれた山城でした。
こんな高い山にいつ、誰が、何の目的で築城したのか?
篠脇城の外郭城郭、では済まされない何かがありそうです。

※ 登城を計画されてみえる方は以下の事項、充分に安全に配慮してください。
 1、地形図とコンパス(方位磁石)は必須。
 2、林道利用は状況によっては通行に支障があります。(4WD必須)
 3、熊よけ道具を持参されたし。(います・・)
 4、できれば2人以上が望ましいです。(さびしいし、危険)
   以上。




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信州安曇野ハーフマラソンに向けて

安曇野ハーフマラソンまで2週間

G.Wも終わり、迫ってきたのは長野県の安曇野を舞台に開催される
第3回信州安曇野ハーフマラソン大会です。
6月4日(日) <a.m.9:00スタート>の多分、梅雨入り前になるでしょう。

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参加案内パンフより転載。

安曇野は自分にとってもなにかと思い出のある場所でもあります。
家族キャンプや旅行の拠点、道祖神めぐりに城めぐりにと、何回と訪れました。
アルプスの山並みも素晴らしいのですが、その麓ののどかな田園風景が脳裏から離れません。

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そして何といっても川底が透き通った清らかな水。万水川の水車。
わさび農園でのわさびソフトクリーム・・、たまんない・・。
そして、今回の新しい安曇野の楽しみ方、それが、

安曇野ハーフマラソンなんです

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いつもの10km練習コースにも藤の花が迎えてくれます。

今回もラン友・Y吉さんとの出走になります。(誘っていただき感謝)
いわゆる本命レースではありませんので、記録にはこだわりません。
Y吉さんと笑顔で楽しく走り切りたい、そんな感じです。

流れる景色を楽しみ、水と風を感じながら共に走るランナーさんたちと
同じ時間を楽しく過ごす、というのが目的です。
前々からここを走りたいな~と思っていましたので、とても楽しみなんです。

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なかなか素敵な色とデザインのTシャツです。(これ着て走ろかな・・)

、といっても時期は6月、長野県といえど蒸し暑くなっているでしょう。
かっこよく、笑顔で走りきるためには日頃のジョッグは欠かせません。
コースは適度なアップダウンもあります。なので油断は禁物、しっかり鍛えます。

開催日前日の土曜日から理由あって松本城、じゃなくて「松本入り」を敢行する予定です。
ま、天気次第といったところですし、未だに家族諸侯には報告してませんので・・
・・言いそびれちゃいました・・。(反応が恐ろしい)

とにかく練習も本番も手を抜かずに楽しみたい、と思うのであります。

越前 波多野城 🏯眺めと畝状竪堀が素晴らしい朝倉氏系城郭

越前 波多野城 (福井県吉田郡永平寺町荒谷・花谷・光明寺・城山)《県指定史跡》

GW,兄弟での越前城めぐり、次なる目的地は波多野城です。
日帰り城めぐりなので、今日のところはここが最終ポイントとなりそうです。
それにしても道中でのロケーションは旅情があり、いろいろと寄り道もしながらです。

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波多野城の麓、花谷地区のレンゲ畑に寄り道。

どこまでも続いている蓮華の花に弟クンと感激。
里山ならではの春ののどかなひとときです。
大輪の花も良さがありますが、可愛らしい花の集まりも心惹かれますね。

e-hatano (11)振り返ればそこに波多野城のある城山が聳えます。

e-hatano (20)登山道の駐車場に掲げられた縄張り図と案内版です。

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波多野城ののぼりも立ち、いざ、参らん!、と行きたい所ですが・・。

ざっと比高だけで350mだそうで・・。片道で1時間以上かかるとの事・・。
朝から幾つも山城を登ってきた我々にはすでに体力の限界!
気力はあっても、カラータイマーは点滅状態。

こんなこともあろうかと下調べで山中の林道をチェックしてきました。
山頂の下、ある程度のところまで林道がついているようなのです。
行けるかどうかわかりませんが、ここからは冒険の始まりです。

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林道、城山線に迂回して登って行きます。

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なかなかいい感じのダート林道のはじまり。

果たして進入していいものかどうかは行ってみなければわかりませんでした。
しかし、通行を規制するような案内もなければ、ゲートやチェーンもかかっていません。
これは行くしかありません。ジムニー、4WDへシフト・オンです。

e-hatano jm時々、見晴らしのいい所もある、これぞ、林道です。

こんな時、本当に「ジムニーでよかった」と心から思います。
助手席に弟クンがいてくれるのも心強いです。
なんせ、ここからは何が起こっても自己責任ですから・・。

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まずは第一鞍部、観音峠を通過します。

e-hatano 46なんとか8合目ぐらいまでの所に到着したようです。

それでも林道に入って運転すること20分くらいはあったでしょうか。
結構な標高まで来れたのであとは力を振り絞って、弟よ、いざ、登らん!
「吉報、木製の階段もありますぞ。」

e-hatano (4)少し登ると、すぐに表れた堀切に感動。

アドレナリンならぬシロレナリン、全開モードに入りました。

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わかりづらいですが、畝状竪堀がみられます。

e-hatano (5)手入れされていて見学コースになっていました。畝状竪堀です。

見事な竪堀群が形成されています。あちこちの傾斜に竪堀がみられる城です。
これは先程の戌山城や一乗谷城などにも共通するもので明らかに朝倉氏の山城にみられる遺構です。
案内板には鎌倉期の波多野氏の城郭とありましたが、今日の遺構は戦国期のものですね。

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大きな土塁と堀切が行く手を阻みます。

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主郭部の切岸と腰曲輪の様子。(高原みたいです)

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ベンチが設けられた本丸に到着です。

本丸を含める主郭部は周囲の防御遺構に比してやや狭い感じを受けました。
南方にも同規模の出丸的な曲輪が確認でき、同じように畝状竪堀もみられます。
とにかく、全周囲を堀切と畝堀で固めた、防御主体の城、といった感をうけました。

e-hatano (16)城址碑があるんですね、うれしいです。

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やはりかなりの標高を感じます。
北の麓、九頭竜川の流れがキラキラして綺麗だこと。
転じた南には(きっと)一乗谷山城がみられることでしょう。

波多野城は遺構からは戦国末期に完成された山城と推定できますが、誰が守っていたのか不明です。
しかし、これほどの防備を必要としたのは、朝倉氏によるものと推定できます。
一乗谷の北方面を守る重要拠点として機能したのではないでしょうか。

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帰り道、見晴らしの良い場所で休憩です。

本来は麓から登山するのが山城探求の理想ですが、今回は是非もなし。
でも、どんな形であれ、城址の主郭には辿り着き、なんとか時間内見学ができました。
旅の恥はかき捨て、ということでお許し願いたいです。

「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候」(※)

・・そうでしたよね、宗滴殿。

※『朝倉宗滴話記』より抜粋、朝倉宗滴が語ったものを家臣・萩原八郎右衛門尉宗俊がまとめたとされる書。全般的な内容としては、宗滴が話した戦陣訓・家訓の記述と、宗滴の経歴を述べたものになっています。




越前 丸岡城 🏯古式ゆかしい石瓦の天守

越前 丸岡城(福井県坂井市丸岡町霞町1)<国指定重要文化財>《日本100名城》

順調に回れている弟との越前・城めぐりも午後の部に入りました。
せっかく福井県に来たのだから、美味しいそばでも、というところですが・・。
貧乏兄弟(泣)、やはりコンビニでの「G.Wおにぎり100円セール」にロック・オン!

移動時間と軍資金の大幅削減に成功したようです。

休む間もなくマニュアル車を運転しながらの食べながらの地図みながらの景色みながらの、と
そして、しゃべりながら、とまさに五感フル活動。
ニュータイプに覚醒する一歩手前のドライビングです。

城が好き者同士だったら、これでいいんです。(これはこれで楽しい)

そして、久しぶりに丸岡城まで足を延ばしてみました。
さすがにG.Wというだけあって、目を疑いたくなるほどの駐車場です。
空き駐車場を探すだけでも大変な混雑ぶりに困惑・・。

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・・まぁ、何度か来てることですし、半分は観光気分ですので、ゆるい見学となります。
目的でもある『日本100名城スタンプ帳』を忘れずに持参してきました。
ですので、この記事は軽~く流します。

maruoka (3)意外とわかりずらい場所にあるこの石碑。

西の麓にある別名「霞ヶ城」の石碑です。ツツジの花に囲まれて綺麗でした。
「国宝」とあるのは、昭和9年に国宝に指定されたのですが、
昭和23年の福井大地震により倒壊した名残りのようです。

現在でも市民の方々による国宝化運動は続けられています。
今日の丸岡城天守は、当時の建材等を使って昭和30年に再建されたものです。
現存12天守閣のなかでも北陸では、丸岡城のみ。是非とも、帰り咲きを期待したいものです。

maruoka (1)石瓦の丸岡城天守閣。ド逆光の時間に来てしまったようです。

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天守の鯱も石造りです。(写真は創建当時のものではなく、近代の取り替え材です)

maruoka (18) しかし、まさかのこの行列・・。

予想はしておりましたが、スゴイ人です。
入城制限がかかっておりました。(一体何番目なんだ?)
でも、せっかく来城したのだから、天守に行ってみます。

maruoka ent 待ち時間20分で入城!。

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下見板張の様子(左) と ベランダ状の石落とし(右)

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最上階の廻縁は、外には出られない見せ掛け式で、格式を高めるものです。

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柱や梁は当時のものだけあって古めかしいです。

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周囲を広く見渡せます。最上階では景色の他、梁や柱も見所ですね。

しかし、覚悟はしていましたが、天守内部、大渋滞です。
特に、最上階では、牛歩戦術に耐えねばなりません。
ロープはあっても一方通行の階段が急すぎて、回転率が悪い悪い。
(スカートでいらしたお姉さま方、お互い気を遣いますね・・)

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意外と、野面積石垣と勾配が美しいハーモニーを見せております。

ちょっと他の石垣拝見へ。

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本丸南西部の石垣角部をみあげます。

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高石垣が築けない頃の築城技術がうかがえます。

maruoka (22) この木、根っこがスゴイ!ので。

こういった張り根の頑張りによって丸岡城の切岸が崩れず保たれているのですね。

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丸岡城、かつてはこのように堀や二ノ丸に囲まれた大城郭でした。

周辺をゆっくり散策すれば面影は把握できるのでしょうが
かなり埋められてしまっていて、市街地となっています。
資料館などの古写真や模型で、当時の様子が垣間見れるのが救いでしょうか。

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一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ
上の写真では、なんだか本多作佐重次仙千代を泣かしているような・・。

越前 勝山城 🏯こっちが本当の勝山城址ですから

越前 勝山城 (福井県勝山市元町1丁目・勝山市役所)

GW、兄弟での越前の城めぐり、次なる目的地は大野城から北上した勝山城です。
まだ子供たちが小さい頃、福井県立恐竜博物館に来たことがありました。
とにかくものすごい迫力の恐竜ずくしで、強烈に印象に残っている博物館です。
(子供たちも大喜びでした(∩^Д^∩))

そして、もう一つ強烈に残っているのが↓この天守風の建物でした。

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これは勝山城博物館です。(石垣に龍がついてんぞ)

こちらは個人所有の博物館です。
姿・形は天守閣ですが本当の勝山城とは一切関わりのない建築物です。
内部の展示物で度肝を抜かれたのは集められた具足や鎧兜などの甲冑コーナー。
(個人所有でよくもここまでのことができるものです)

改めて断っておきますが、こちらは勝山城ではありません!
しかし、一言、こちらの売店で売っていた巨峰ソフトクリーム!
これに関しては激ウマでした。

「福井県の勝山城に行ってきたよ、とにかくすごい天守だった!」という方が周りにみえたら
ほぼこちらの施設へ足を運んだと思って間違いないでしょう。
そして、あえて否定なさらずに、頃合いを見計らって、さりげなく・・ね。

あまり、書くと本当の勝山城の影が薄くなるのでこのくらいに・・。
(・・そのくらい影は薄いのですが)

勝山城は、天正8年(1580年)に柴田勝家の一族である柴田勝安によって築城されました。
勝安は佐久間盛政の弟になります。 武勇に優れ、勝家に気に入られてその養子となります。
一族が少なかった勝家も秀吉同様に、母方の血縁者を積極的に登用したようです。

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勝山城址を示す、城址碑広場。

現在の勝山市役所付近が城跡の中心部だったようです。
市役所と公民館があるあたりが本丸跡なんですが・・、ほぼ遺構なしです。

e-katuyama (6)江戸期に小笠原氏によって再築城された様子です。

当時はかなりしっかりとした城郭が構えられていたようです。
天守台や石垣も昭和40年ぐらいまでは残っていたらしいです。
それも市民会館建設に伴い撤去され、現在は城址碑が建つのみの変貌ぶり。

e-katuyama (1)なかなか立派な石碑です。合格です。(`∀´)

果たしてどれくらいの方がここが本当の勝山城だと認知しているのでしょう。
いや、「いないでしょう」、というのが弟とだした結論(・・さみしい現実)。
城址も博物館もお互いをしっかりアピールすればいい話ですが・・

やはりビジュアルの差は埋めようがありませんね・・。

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ということで、恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークのアピールの方が目立っているここ勝山市です。
恐竜好きの良い子たち!、みんな、集まれ~!
・・あと・・勝山城址にも行ってみましょう・・。(声、小っちゃ)





越前 大野城 🏯大野市内を一望、越前の「天空の城」

越前 大野城 (福井県大野市城町・亀山) <県指定史跡> 《続日本100名城》

GW、兄弟での越前の城めぐり、次なる目的地は大野城(おおのじょう)です。
戌山城の記事でも書きましたが、大野市はとても居心地いい街です。

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三の丸通り方面から時計台と大野城を見上げます。

ここのところ、よく「天空の城」とか「○○のマチュピチュ」などと山城が表現されます。
いつからか大野城も「日本三大・天空の城」と呼ばれるようになっています。
表題にも「天空の城」と題しましたが、個人的にはこういった表現はどうも・・。
(聞こえはいいのですが、どうも営業フレーズっぽくて・・。)

但馬竹田城・備中松山城・そして越前・大野城が選ばれています。
・・”雲海の似合う城”でいいと思うのですが、自分には夢がないのでしょうか?
それとも雲海に出会える気象条件下に来れなかった単なる「ひがみ」でしょうか。

e-oonojyou (1)、と言いつつ、早速、「天空の城」っぽく加工してみました。

「朝もやの中に浮かび上がる大野城天守群」、というと、それっぽく見えてしまします。
面白半分でやってみると意外にいい仕上がりになることも・・。
(やっぱりひがんでますかね・・)

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本丸へのは東西南北、四方からの歩道があります。
柳廼社のある南登城口には城門がありますので、気分を味わうためこちらから登城します。
各方面には観光者用の無料駐車場があります。

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大野城南登り口に復元された搦手門(からめてもん)です。

ここから百間坂を折れながら登っていきます。
途中、ショートカット(近道)できる階段もあります。
天守が早く見たくて仕方のない方はこちらがおススメです。

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本丸に移築された武家屋敷の城門です。

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ふと、頭上を見ると、歴史を感じます。紅葉も美しいのでしょうな~。

 コンクリート造りですが、天守に通じます。 e-oonojyou (33)

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天守の脇にある「お福池」(防火用水)から見る天狗書院。

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屏風のような横矢払いの石垣が見事です。

e-oonojyou (32)密かな楽しみはこの「武者登り」から天守へ上がることでして。o(^▽^)o

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天守台へ続く「武者登り」という狭くて途中折れ曲がった急な石段です。(ここ面白いス)

さぁ、いよいよ天守へ登ります。
・・とその前に大野城といえばこの御仁たち。
金森長近公と土井利忠公にご挨拶してからでしょう。

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長近公は大野城と大野の城下町の基礎を整備した偉大な武将。
利忠公は大野藩の財政を立て直し、藩政改革に努めた立派な藩主。
いずれも越前・大野の礎を築いた偉人です。
(利忠公はわずか8歳で大野藩主となったそうです・・。)

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穏やかな好々爺といった感じの長近公。

飛騨の高山城にある凛々しい騎馬銅像とはまるで別人で優しそうな面立ちです。
自分と故郷が同郷、というのもとても好感が持てます。
・・それにしてもこのG.Wは長近公の史跡と縁があります。
(この前日、近江・金ヶ森城へ行ったばかりです)

e-oonojyou (28)まずは石碑を忘れずに頂いときましょう。

e-oonojyou (15)天守です・・。(見とれて言葉にできません・・)

石垣に使われている石は荒削りで無骨そのもの。
その天守台に小さくとも凛とした天守閣と天狗櫓とのバランスが絶妙です。
コンクリート復興天守とは思えない溶け込みよう。(ミニ岐阜城天守みたいな)

e-oonojyou (24)石垣の積み方は自然石をそのまま積むダイナミックな野面積み。

↑ここは自分がとても気に入っている石垣部分です。
ここから天守閣内部に入館していきます。
(G.Wなのに、人がいなくなるのを我慢強く待ったすえのワン・ショット)

e-oonojyou (16)西の方角、天守最上階からの先程登った戌山城を眺めます。

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天狗櫓と山々をワイドに見渡します。

e-oonojyou (18)東の方角、大野市内の諸城、亥山城、小山城を確認できます。

e-koyama.jpg ←小山城址。
田植え前の水田に映しだされる小山城にも寄ってまいりました。(実に綺麗でした)

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北の方角、北曲輪とやはり町並み、山並みを眺めます。

天守閣では吹き抜ける風が気持ちよく景色も最高です。
長近公でなくとも、この亀山に目をつけた理由、わかりますね。
離れがたいのですが、下山の前にもう一度天守を振り返ります。

e-oonojyou (45) さようなら、また来ます。

少し予定より早く見学できたので、城下の見所も見学してきました。

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名水百選に選ばれた「御清水」(おしょうず、と読みます)です。

かつては城主様の御用水だったことから「殿様清水」とも呼ばれます。
とってもきれいな清涼感あふれる湧き水に感動しました。
大野の町にはいたるところで名水が湧き出ています。

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ペットボトルを持参しましたので汲みたてをいただいていきます。

味はさっぱりしているのが特徴。おいしいです。
毎年5月下旬には「大野・名水マラソン」も開催されます。(Y吉さん、頑張って!)
名水めぐりをしてみるのも、素敵な大野での過ごし方になりそうです。

朝倉義景墓 (福井県大野市泉町) <市指定史跡>

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こちらは朝倉義景公のお墓です。

以前、お墓参りに伺ったときよりもきれいに整備されているよう。
横に公園や東屋ができてたり、憩いの場になって開放感がありますね。
大野には3回来てますが、義景公のお墓には必ず手を合わせにあがります。

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木々に囲まれてひっそりとたたずんでいます。

自分にとって義景公は世間で言われるような愚将ではありません。
最期まで一族と百年の伝統を守ろうとした立派な武将だと思います。
むしろ、背負った百年の伝統、そのものが、彼の足枷になったのではないでしょうか。

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義景の傍らには最後まで付き従った鳥居景近(左)と高橋景業(右)の墓があります。

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墓の前には義景清水も湧きでていますよ。(イトヨも泳いでました!)

どの町も同じような景色になってしまった昨今、大野では人と自然と時間が調和で結ばれています。
吹き抜ける風も、通り過ぎていく景色も、子供たちの笑い声にも落ち着きを感じます。
次は、雲海に浮かぶ大野城をなんとしてでもこの目で見たいと思うのであります。




越前 戌山城 🏯大野城を眺めながらの本格的山城見学

越前 戌山城 (福井県大野市犬山) <市指定史跡>

GW,兄弟での越前の城めぐり、次なる目的地は戌山城(いぬやまじょう)です。
ここ大野市は名水の町、といわれるだけあって、街並みや道路、田園風景、山川の景色・・。
どこを走っても、すばらしいロケーションが広がっています。

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戌山城へは北西の尾根先にある「みくら清水」から登るルートが一般的です。
入口近くの路肩に5台ほど駐車でき、遺構を見学しながら登れます。
城址を示す立て案内板が見印です。

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案内版には縄張り図もあります。

この清水は戌山城の水源として1日に3度、城内から水を汲みに降りてきたのに由来します。
あとで体感しますが、汲みにくる人、・・さぞかし大変だったと思います。
城内で井戸水が確保できなかったのでしょうが、籠城時はアウトですね・・。

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登山道はよく整備されています。急なポイントにはロープもかけられていました。

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しばらく歩くと大堀切がお出迎え。ロープと階段がなければとても登れません・・。

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e-inuyama (6)堀切の端部は巨大な竪堀になっており、めまいするほどの規模です。

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これですね、落ちたら最期、麓まで転げ落ちるでしょう。(/ω\*)

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しかもこの竪堀、写真では判りずらいですが、連続畝状となり、かなり堅固な様子です。

戌山城は本丸につながる尾根すべてにこのような大堀切と竪堀のセットがみられます。
とくに斜面の勾配は急で横移動はほぼ不可能な状況です。
我々もじわりじわりと太ももにダメージを食らってきているのがその証拠です。

e-inuyama (9)またもや眼前に現れた大堀切にたじろいでしまいます・・。

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目の前の巨大堀切にさすがに前身を躊躇する弟クン。

この大堀切を越えた先には本丸が待っています・・。
越えねばならない最難関に直面した時も「味わう」ことは大切にしたいものです。
とても見応えのある大堀切ですが、その防御力を身をもって体感することになります。

信頼して掴んだロープがたるみで転倒。
これが堀切の威力なのか、体力不足が招いた失態か・・。
誰もいない山城で野郎ども2色の悲鳴が響き渡っていました。

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そしてなんとか広々とした本丸に到着です。奥には説明版がたっていました。

e-inuyama (35)あがった息を落ち着かせるためにも、熟読してます・・。

朝倉氏の大野郡、重要拠点だったことが窺えます。
朝倉氏が織田信長に滅ぼされると金森長近が大野郡を領してまずこの戌山城に入城。
亀山の地に大野城を築城して移るまで機能しました。

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本丸の切岸も取り付き不可能なほどの急勾配です。

ここでしばし、小休止。息が整ったら再出発します。
この先にはお待ちかね、「天空の城、大野城」の撮影ポイントで有名な展望地へ。
心弾ませながら進むのでした。

e-inuyama (28)
さわやかな尾根道をたどって展望ポイントへ。

e-inuyama (32) 2人して「いやぁ~、素晴らしい!(^ω^ ≡ ^ω^)(ハモってます)」

ここで二人で記念写真を撮り、しばし景色を眺めていました。
大野城もきれいですが、それをとりまく里と町、さらにそれをとりまく大自然に心が洗われます。
素晴しい景色と目を見張る遺構、体力勝負のアスレチック要素を備えた最高の山城、戌山城でした!

inuyamayori.jpg次は、あの大野城へと向かいます。




越前 亥山城 🏯朝倉氏・大野郡代の重要拠点

越前 亥山城 (福井県大野市日吉町・日吉神社) <市指定史跡>

G.Wは弟クンと越前の城めぐりに行ってきました。
乗り心地がお世辞にもいいといえないジムニーでの兄弟旅。
嫌な顔をするどころかノリノリで付き合ってくれる可愛い弟です。

しかし、お互いにいいオッサンになったものです。
昔からお城めぐりと虫採集は共に気合を入れて出かけます。
今回は兄である自分が組んだツアー計画ですので、張り切りっての行軍です。

九頭竜川に沿って福井県・越前入り。
最初は軽くウォーミングアップを兼ね、平城・亥山城(いやまじょう)から見学です。

e-iyama (4)亥山城址を道路から見ます。

亥山城は現在の日吉神社境内一帯に築かれていました。
比高はそれほどないのですが、平野部の中ではそれなりに微高地といえます。

e-iyama (10)亥山城の城址碑は参道入口にくくりつけられていました。

よく混同されるのですが・・、
大野城から東へ1000メートルにあるこの平城が亥山城(いやまじょう)で、
大野城から西へ1000メートルにある山城が戌山城(いぬやまじょう)です。
かなり紛らわしいので、こちらを別名の「土橋城」と呼ぶ場合もあるようです。

e-iyama (5)
参道入口脇の隣の池が堀の名残りだということです。

e-iyama (9)
日吉神社の参道から。

e-iyama (13) e-iyama (11)e-iyama (12)神のお使い方々、なかなかにぎやかしい雰囲気です。

e-iyama (14)
本丸跡には神殿が祀られています。

戦国時代末には朝倉一族衆筆頭・朝倉景鏡が大野郡司として亥山城に入ります。
天正元年(1573年)朝倉景鏡は、織田信長との戦いに敗れ命からがら逃げ帰った主君・朝倉義景に大野郡へ退き、再起を図るよう進言しておきながら亥山城近くの賢松寺に住まわせて襲撃、朝倉義景は自刃して果てます。

景鏡は後に亥山城の別名「土橋城」からとり、土橋信鏡と改名しました。
信長の一字を拝領(果たして信長公認なんでしょうか?)、朝倉の姓を捨てます。
さすがに「朝倉」姓を自称するには後ろめたかったのでしょうか・・。

しかし、「名は体を表す」とはこのことでしょう。
主君を欺いた裏切り行為は後に起きた越前一向一揆にて討ち死、という因果を招きます。
鏡の法則、即ち、他者におこなったことが、そっくりそのまま自分自身に返ってきたようです。

「鏡」の字だけは捨てずも、そうなる運命を覚悟していたのでしょうか。




近江 金ヶ森城 🏯金森長近ゆかりの地に寄りました

近江 金ヶ森城 (滋賀県守山市金森町・城ノ下)

いよいよゴールデン・ウィーク(以下G.W)に突入しました。
(この記事を書いてる頃にはもうとっくに終わっていましょうが、雰囲気だけでも)
G.Wの幕開けは三男の滋賀県遠征試合から始まりました。

kanamori (1)
滋賀県守山市の市民体育館、立派なアリーナでした。

すぐ近くの城址を検索したら「金ヶ森城」がヒット!
さぁ、試合観戦と応援の合間を縫って、奥方と長男を連れての城めぐりタイムです。
・・といっても現地に到着したら車から降りるのは自分だけ。

なんて盛り上がらない連中なんでしょう。・・(#`_´)

kanamori (5)土地勘がなくグルグル車を転がしてようやく発見できました。

金ヶ森城は、金森町地区の中心部にある善立寺一帯に築かれていました。
城の遺構は何も残っていないようですが、用水路に堀の面影は残っているようです。
善立寺南側の小公園内に石碑が建てられていました。

kanamori (4)金森長近が青年期を過ごした寺内町です。

後に飛騨高山城主となる金森長近は美濃の多治見から父と共に移住しました。
18歳ぐらいまでこの地で育ち、父の姓大畑から改名し、金森を名乗るようになります。
(多治見市では知名度が全くなく、出生を示す逸話も残っていません、情けない・・)

kanamori (3)

kanamori (2)どちらの石碑にも金ヶ森城の由来が書かれていました。

kanamori (6)

本願寺法主・蓮如はここ金森にて3カ年の間、教化を続けました。
この地は後,町全体を土塁・堀を巡らし金森城として石山本願寺を攻める織田信長の軍を牽制します。
元亀二年(1571年)に金森の戦いが起こっています。 <現地碑より>

金森御坊の跡には善立寺がありますが、非公開のため入れませんでした。
善立寺に事前にお願いすれば見せて頂くことも出来るそうです。

kanamori (7)すぐ東にある蓮如上人杖堀池跡。

kanamori (8)

kanamori (10)
地下水位低下でもう枯れてしまっているのを復活してあります。

kanamori (9)

蓮如上人が棒で地面を突いたら泉が湧いたという伝説のある池。
蓮如上人の魔法使いのような逸話は人心を掴んだ故に生まれのでしょう。
北国街道沿いにはこのような蓮如上人の話がいたるところにありますね。

それにしても、車内でスマホ三昧の我が家族・・。
・・家族の心さえ掴めない自分ではありますが、精進したいと思うのであります。
まぁ、付き合ってくれるだけでも良しとせねば・・。



美濃 兼山城 🏯森一族に手向けられたような散りゆく千本桜

美濃 兼山城(金山城) (岐阜県可児市兼山町古城・古城山) ≪国指定史跡≫ ≪続日本100名城≫

東西南北、春のお花見城めぐり・ラスト第4弾の北は美濃・兼山城を訪ねます。
(もう、世間はG.Wというのに・・、遅くなってしまったようです)

もう語るに尽くせない東美濃の要衝・兼山城。
この際は小牧山城同様、あれやこれやというお口にチャックです。
(本当は喋りたくて仕方ないのですが・・)

kaneyama (11)桜に囲まれた兼山城を南方面から見ます。

兼山城の南面中腹にはもう、それは見事な千本桜が咲き誇ります。
毎年、「森蘭丸の里・美濃金山城 桜まつり」が開催され、家族で花見に出かけます。
自分的には手軽に行ける、ちょっと自慢の秘密花見スポット。

kaneyama (21)山肌を埋める千本桜も「卍解(ばんかい)状態」(※)でした。

この桜をほぼ毎年散り始めに見に来ることが多いです。
時々吹く強風にあおられて散り舞い上がる桜吹雪の美しさといったらありません。
散りゆく桜に古城址見学、実に風情があります。

※「卍解(ばんかい)」とは漫画『 BLEACH 』に登場する戦闘技術用語です。
千本桜景厳「せんぼんざくらかげよし」は朽木白哉(くちきびゃくや)の斬魄刀(ざんばくとう)、「千本桜」の卍解形態。
わかりやすく言えば、究極奥義みたいなもので・・。・・こういう話はどうでもよろしいか・・。

kaneyama (1) kaneyamamonn.jpg 
麓近くには、城攻めさながらの遊具もあり、お子様たちも(大の大人も・・)喜ぶこと請け合い!

kaneyama (19)南方面・兼山小学校の向こうに広がる可児市の平野部。

kaneyama (13)駐車場となっている出丸の石垣を見上げます。

kaneyama (18)
kaneyama (15)主郭から遠く西に張り出した独立郭の出丸です。

ここの石垣は一部組み直されていますが、破壊された主郭部よりもよく残っています。
兼山城内でもとても迫力のある石垣遺構の一つ、といえます。

ここまで車で登ってこれますので案外、楽ちんな山城かもしれません。
ここから歩いて主郭部に登って行きます。

三の丸、二ノ丸を経て、大手桝形門へと進みます。

kaneyama (22)三の丸から二ノ丸に入ると切岸が高くなります。

kaneyama (23)方形の大手桝形門跡に到達します。

この桝形門跡、広角レンズを装着しても全体が収まらないほどの立派な規模です。

kaneyama (26)南に大きく張り出した南腰曲輪。随分整備されています。

この南腰曲輪の東側法面には30メートルにも及ぶ腰巻石垣が残り素晴しいです。
そしていよいよ本丸に登って行きます。
・・とその前に東の腰曲輪進むのが本来の攻城ルートでしょうか。

kaneyama (50)

kaneyama (48)廃城感あふれる東腰曲輪から見る石垣群。

崩れた石垣がそのままの状態で残っているようです。
なんかこう、古城感を誘う、石垣フェチご用達のような空間です。
しかし、奥の手が、まだまだありますから・・。(やはり喋りたくて仕方ありません)

kaneyama (28)小天守に設けられていたとみられる穴蔵出口の遺構。

この構造が犬山城の天守に似ている、という一因にもなり
かつての金山城天守が犬山城に移築されたとの説もありました。
しかし、そのような痕跡はないことが近年の調査でわかってしまいました・・。

この説は結構皆さんも知ってみえるのではないでしょうか?
解体された兼山城天守相当建築が木曽川で流し送られ、犬山城天守の骨組みとなった・・。
なんて夢がある話か!と思っていたんですが・・。真実は真実ですから受け止めないとね・・。
がっくり・・(´・_・`)。

kaneyama (27)本丸に到着しましたが・・、うん?なんか以前と違う・・。

kaneyama (46) kaneyama (10)
以前は写真のように天守台に鳥竜神社の本殿があったはずなんですが・・。

ここでは本殿で手を合わせ、子供たちとお菓子をもって遊びに来たものです。
多分、・・恐らくは建て替えられるんじゃないのかな、と思いますが。

kaneyama (29)本丸より、北の八百津方面を直下に、飛騨街道方面を遠望します。

kaneyama (31)こちら、美濃加茂方面、可児方面を遠望します。

兼山城が東濃地区方面の要として飛騨・木曽からのルート上に位置していることが解ります。
また木曽川を直下に抑えていることで河川交通の要所も兼ねています。

kaneyama (30)木洩れ日にたたずむ金山城石碑。

この城址碑の台座といい、このあたり周辺の地面に生える苔が石碑にとマッチしてます。

kaneyama (34)本丸北西部の角部下にある石垣。

一気に積み上げず、犬走を都合3段に挟んで積まれています。
破壊されているとはいえ、見応えのある主郭石垣遺構だといえますね。
近世への総石垣の発達段階過程を垣間見れる遺構だと思いました。

kaneyama (38)隠れた見所、左近屋敷郭の石垣です。

現在、主郭部から左近屋敷への散策ルートはできていません。
よって、ここまで足を延ばす見学者はよほどの城好きの方かと思われます。
城の東口を守る重要な郭であることは東端部の大堀切が物語っています。

kaneyama (39)幅15メートル高さ8メートルにも及ぶ大堀切。

堀底には城山林道が通され、旧状はわかりません。
ただ、地形的には大きな鞍部となり、城域を区切るような大堀切がありました。
恐らく、南北に竪堀となり、落とされていたと思われます。


突然、ここで全く私事なのですが、自分は地元びいきもありますが
兼山城といえば、城主の森可成以下、森可隆、森長可、乱丸らが大好きであります。
皆、短い命を戦場で散らしてしまいますが、その散ざまに惹かれてしまうのかもしれません。

特に森武蔵守長可、時に苛烈な仕打ちをもって鬼武蔵、と呼ばれていました。
戦場で名馬「百段」に騎乗し、自ら十文字槍「人間無骨」を振り回して敵陣に突入する姿に加え、
反抗する勢力には、人質さえも処断し、自領の与力部将たちにさえ容赦をしませんでした。

誇り高い父を失い、憧れた勇気ある兄を失い、頼りとした弟たちを3人も失います。
「鬼」にならなければ、一族・郎党を守ることはおろか、自身が戦場にて生き延びることすら叶わないことを彼は身に染みて感じていたはずです。

本能寺の変後、信濃の北部から兼山城まで帰還するだけでも奇跡だったのに
その勢いで東美濃全域を瞬く間に再平定をします、これは見逃せない手腕です。
民政にも心を配り、川湊の兼山城城下町を発展させたのも彼の功績の一つです。

kaneyama (42)古城山を木曽川方面より見上げます。雄大な山容です。

小牧にて三河奇襲の別働隊として出陣する前の逸話です。
「自分の娘は医者に嫁がせよ。決して武家には嫁がせるな」という遺言を残しています。
本来は心根の優しい人物だったのかもしれませんね。

過酷な戦国の世を渡った森一族に手向けられたような千本桜。
その光輝くような咲き振りと吹雪のように舞う花びらに彼らを投影してしまいます。
春のお花見城めぐり、今年はこれまでにしとうございます。



プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、間もなく開設以来、2年を迎えようとしております。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

紀伊への城歩き
お正月のお休みをいただきましたので2日間和歌山県のほうへ城めぐりに行ってまいりました。
ある程度の予習をしての紀伊国入りでして、いろいろな城址を見学してまいりました。
今回で3回目の紀州訪問ですが、西紀州は初めての事です。
紀伊の山城って残念ながらあまり知名度ないんですよね・・。
理由は(想像ですが)恐らく他の国のように強力な有力大名が現れなかったのが一因しているでしょう。
しかし、訪れた城跡の中には「これほどの山城がなぜ名も知れず隠れているのか」という感動もありました。
・・ごくごく簡単ではございますが、記憶が新しいうちに随時更新していきたい、と思っております。
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