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美濃 篠脇城 🏯全周囲に張り巡らされた圧巻の畝状竪堀

美濃 篠脇城 (岐阜県郡上市大和町牧・篠脇山) <県指定史跡>

ここのところ・・。
越前大野への兄弟遠征に加え、中信濃安曇野マラソン遠征、とイベントが目白押しでした。
バスケ試合の滋賀県守山市、岐阜県大垣市内の館城めぐりもありましたっけ・・。

訪問した城址も全部で30城館を超えてしまいました・・。
ある意味、これはとても幸せな城郭ライフ、ではあります。
どれもゆる~い城めぐりではありましたが、楽しく勉強になり素敵な思い出となりました。

さて・・。そのあとのブログ更新が大変でした・・。
3日に1城の記事更新でも追いつきません。そんな中、置き去りにされた美濃の名城たち。
やっと、ここまで辿り着きました。それが今回の篠脇城です。

sinowaki (12)明建神社前に立つ石碑とその背後の篠脇山。

sinowaki (40)駐車場から東氏館址庭園を見学して登城していきます。

sinowaki (17)
美しい清流、栗巣川を渡っていきます。

付近は「古今伝授の里フィールドミュージアム」となり、和歌文化をテーマとした野外博物館です。
賑やかさはありませんが、雅で静寂な自然あふれる散策コースです。
東氏記念館で和歌や城の資料などにも触れることができます。

sinowaki (20)東氏居館があった庭園風景を眺めます。

とても落ち着いた雰囲気の庭園と広場です。
発掘調査によって整備され、こうして鑑賞できることはとても素敵ですね。
のんびり茶を服し、和歌でも詠みながら、昼寝でも?したい所です。

sinowaki (21)国の指定名勝になっています。

風流な歌人でもあり、知恵武将でもある東常縁(とうのつねより)公がこちらにいらしたのか・・。
なんだか、こちらまで風流な気分になってしまいます。(がらでもないのですが・・)
さすがは、フィールドミュージアム、というだけのことはありますね。

sinowaki (22)
庭園を眺めながら城山に登って行きます。

何度か折れながら登って行くこと約20分。
行く手に巨大な竪堀が大手道にかけられていることに気づきます。↓

sinowaki (23)

sinowaki (36)
頭上を見上げると主郭部の切岸に見下ろされています。

sinowaki (24)
水の手であった「水船」と呼ばれる施設が復元されていました。綺麗な谷水でした。

sinowaki (38)広々とした主郭部に到着しました。

主郭部内部は広く、浅い段で3段に区切られています。
削平状態も良好で、兵員収容スペースとしては大きい郭だと言えます。
背後には土塁と二重堀切が大きく備えられています。

sinowaki (37) 本丸の様子。

sinowaki (26) 東氏の石碑。

sinowaki (28)
本丸背後の土塁。

sinowaki (27)主郭を取り囲むように放射線状に30本余りの竪堀が設けられました。

地元では通称「臼の目堀」と呼ばれる畝状竪堀群です。
遺構をじっくり観察すると「竪堀」と「竪土塁」の連続併用になっている様がわかります。
美濃の城郭でここまで巨大で整然とした竪堀群遺構がみられるのは篠脇城がNO.1だと思います。

sinowaki (34)ややわかりずらいのですが大手付近の竪堀群の様子です。

当時は堀底が切り立ち、土塁も高く、深さもあったことでしょう。
逆茂木でもあろうものなら普通に歩くことさえ、ままならなかったことだと思われます。
一度踏み込んだら、逃げ場のない壁と正面からの攻撃にさらされたことでしょう。

恐ろしいほどの周到な仕掛け、といえるでしょう。

sinowaki (32)
主郭部背後の大堀切。
sinowaki (31)
こちらも竪堀群。

篠脇城は南北朝期に下総から下向した東氏によって築かれたようです。
応仁2年(1468)東氏村が守る篠脇城=応仁の乱・東軍は
美濃守護代の土岐妙椿(ときみょうちん)=応仁の乱・西軍によって落城しました。

氏村の弟・常縁(つねより)は落城を悲しみ、詠んだ和歌が妙椿の心を打ち、
城と領地の返還に至った、といういきさつは有名です。
妙椿と常縁はどちらも室町幕府の奉公衆で旧知の間柄でした。

後に常縁は「古今伝授」を受け継いだ人物でした。

歌人としての常縁の一首一首の説得力もすごいのですが
それに応えた相手の心情を察することができる妙椿もまた素晴らしい武人だったと思われます。
「歌も戦いと共にある」、風流の中にも緊張したやりとりを感じます。

sinowaki-zu.png実に素晴しい遺構です。自分も実測調査を兼ねて作図してみました。

天文9年(1540)、篠脇城は越前より朝倉軍による侵入をうけるも、猛攻に耐えます。
家臣の遠藤氏や猪俣氏らの活躍もあり、なんとか撃退するものの甚大な被害を受けました。
東氏は被害の大きさと守備の不安を考慮して、南の赤谷山城へと移っていくのです。

このようにまるで隙のない鉄壁な縄張りが見られる篠脇城ですが・・。
戦いの後、東氏が不安を感じて南に移動した、とはどういうことでしょう?
今日の城の姿は後に他勢力によって改修をうけた姿を残しているという説もあります。

・・だとしたらこれほどの時間と労力と土木普請量をいつ、だれが、施したのでしょう?
朝倉氏は撤退したはずです。
東氏の新城、赤谷山城及び東殿山城には類似遺構は見られません。

sinowaki (39)
三日坂付近。

篠脇城の激戦では双方供、多くの死傷者が出ました。
特に朝倉勢の討たれた兵の数はおびただしかったようです。
その討ち取られた死体で3日間道がふさがれた、ということです。

sinowaki (8)
激戦のすさまじさを物語っています。

一体、この城を巡った戦いには何が隠されていたのでしょう。
朝倉勢の侵入目的は?東氏の撤退真意は?その後の遠藤氏の台頭・・。
城址にて作図をしながらあれこれと考えども、答えは見えてきません・・。

いろいろな推察を残しつつ、一つ一つの断片から読み解いていく。
それは自分なりの考えでも構わない、と思います。
城郭研究の楽しさはまさにそこにある、と思うのです。


古今伝授の里フィールドミュージアムに駐車します。
東氏居館跡の庭園南より登山道あります。徒歩20~30分で主郭部に到着。
水船井戸にも是非寄って見られたらいいと思いますが傾斜が急なので要注意です。

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美濃 三塚城 🏯氏家氏ゆかりの城砦

美濃 三塚城 (岐阜県大垣市三塚町)

加賀野城をあとにして次に向かったのが三塚城です。
そろそろ体育館に戻らないといけません。
ついつい欲が出て、あそこもあそこもと寄ってしまいます。

o-mituzuka (1)
城址の一部ではないか‥といわれている真徳寺に到着。

o-mituzuka (2)
高低差のある用水路にお堀の面影を感じます。

感じる・・ということで、堀址ではないかもしれません。(いい加減なもんです)
でも、現地で強く感じるこのイメージは大切にしたいものです。

o-mituzuka (3)
蓮如上人の銅像。布教行脚中のご様子でしょうか。

o-mituzuka (6)
真徳寺の西、まこと幼稚園に城址石碑が立っていました。

o-mituzuka (4)遺構はありませんが、石碑だけでもあると嬉しいですね。o(^▽^)o

大垣城主・氏家卜全の家臣、種田信濃守兼久の居城として伝わります。
種田信濃守は元亀2年(1571)伊勢長島の一向一揆攻めに氏家ト全とともに出陣します。
しかし撤退の際、殿戦しつつ石津郡太田にてト全とともに討死にしてしまいます。

その後ト全の嫡子、氏家直重が大垣城主となり、その弟、氏家行広が三塚城主となりました。

今回大垣市総合体育館を起点にした「隙間時間に歩いて行ける城址にGO!」
体育館→小野城→加賀野城→今宿城(未投稿)→三塚城、と回ってまいりました。
時間はほぼ1時間半、ウォーキング距離5km、というちょうどいい運動散策となりました。


まこと幼稚園の城址碑の位置です。

美濃 加賀野城 🏯「水の都」大垣に相応しい自噴水を抱える城

美濃 加賀野城 (岐阜県大垣市加賀野1丁目)

古野城(小野城)をあとにして次は加賀野城へと歩いていきます。
大垣市内を流れる幾筋の用水路の水はとても美しいです。
元々、地下水が豊富な地域なんですね。

o-kagano (1)加賀八幡神社一体が整備されています。

o-kagano (2)
加賀野八幡神社の社殿。

o-kagano (3)加賀野城の石碑と後藤祐乗誕生碑、名水加賀野井戸の碑。

滅多にお目にかかれない石碑のトリプラー攻撃です。
それだけここ八幡神社の加賀野城には歴史が詰まった場所、ということです。
簡単にご説明をば・・。

1.加賀野城跡

後藤基直が築城したといわれ、代々美濃国守護土岐氏に仕えていた後藤氏が城主でした。
1561年(永禄4年)大垣城主・氏家直元(卜全)の家臣、三塚城主・種田氏に攻められ落城。

また、戦国期の人物として、後藤氏の家臣でしょうか、日比大三郎の名も伝わっています。
大三郎は森部の合戦に織田信長方として参加しているようです。

よく羽島市にある「加賀野井城」と間違われるのも無理はありません。(←リンクできます)
名前もそっくりですから・・。
こちら大垣市は「加賀野城」、羽島市のほうは「加賀野井城」です。(区別ムズイ・・)

2.後藤祐乗誕生の地

後藤祐乗は、室町幕府8代将軍足利義政に仕えた後、刀装金具の彫刻の名人として活躍しました。
子孫は刀装金具や大判小判の鋳造にも関わりました。

3.加賀野八幡神社井戸

明治になってこの加賀野八幡神社で使用する井戸(自噴井)が掘られたといいます。
加賀野八幡神社自噴井の水は無色透明のおいしい水として評判です。
自分が訪問した際もたくさんのポリ容器持参の方々がお見えでした。

o-kagano (5)
現在の自噴井は昭和63年に掘られた井戸。

深さ136mの地下から毎分400ℓ、水温14℃の水が湧き出ています。
1986年に「岐阜県の名水50選」に、2008年には環境省の「平成の名水百選」にも選定されました。

それにしても物凄い水量です。
自分も空のペットボトルを何本か持参してきましたので汲んでみます。
こうなると城の存在よりも水のほうがメインになってしまいますね・・。

o-kagano (6)この水量、豊かな湧き水をいただきます!

うん!、美味しいす!(ぷはー)
安心して飲めるのがいいですね。
温度も冷たすぎず、味もまろやかで実にうまいです。

日中はたくさんの汲み人がおいでになり混雑もします。
お互いマナーと節度は守りたいものです。(中にはいささか度を越える取水者も・・)
名水ファンの自分もここは、太鼓判です。


路上駐車3台分くらいはあります。

美濃 古野城(小野城) 🏯専勝寺一帯にあった城砦

美濃 古野城(小野城) (岐阜県大垣市小野1丁目)

いよいよ、というか、やっと梅雨らしくなってまいりました。
といっても決して歓迎しているわけではありません。
このうだるようなジメジメ感、重みのある空気、やはり不快です。

しかしそんな弱音も吐かずに頑張っている我が家のバスケマン。
今回は試合が大垣市で開催されました。
カメラと地図を持参して応援に向かうのです(地図?・・)

o-kono (3) 試合会場の大垣市総合体育館。

会場でチームメイトの親でもあり、ラン友でもあるY吉さんに尋ねられます。
「この辺りに城址はあるの?」、「試合の空き時間あるよね?」 (すでに、にやけ顔)
自分の行動パターンを完全に読み込まれ、大爆笑を食らうのでありました。

といことで、恒例の「隙間時間に歩いて行ける城址にGO!」の始まりです。

o-kono (4)
小野城があった、といわれる専勝寺にやってまいりました。

現在この地は「小野(この)」と書きますが戦国期及び慶長期までは「古野」と記されました。
よって今回の見出しは関市の小野城と区別するためにも「古野城(このじょう)」で書いています。

o-kono (5)山門脇の石碑には由緒書きの中に”小野城”の3文字を発見!

o-kono (6)
これをもって城址碑としましょう。(自己満)

古野城は、小野町の専勝寺辺りにあって、本丸の位置がこの寺に相当するようです。
しかし城の位置についての記録もなく詳細はよくわかっていないのが事実です。
城主は横幕帯刀信兼で、大垣城主・氏家直元(ト全)の旗下でした。

o-kono (7)
境内にはこんこんを湧き出でる自噴水がありました。

このあたりには「桶井の清水」と呼ばれ、朝鮮使節通行の際にも使用された、との事です。
とても清々しい空間が楽しめました。

o-kono (9) ちょっとした用水路も堀に見えてしまう・・。

城に関するような遺構はないのですが、寺院にある湧き水が風情ありました。
沿革誌石碑の中に「旧小野城跡」が記されていたのも良かったです。
歩いてきた甲斐がありました!

 専勝寺さんをマークしてます。

愛知県に浅井長政公の銅像があったなんて・・

尾張 浅井氏宅 (愛知県春日井市牛山町・元屋敷)

いつのことでしょうか。以前、弟くんからこう聞かれました。
「兄さんって、春日井市に浅井長政の銅像があるって知っとった?」
??、・・なんのこと?

戦国武将の銅像ファンでもある自分は、弟が何を言っているのか全く飲み込めません。
浅井長政、北近江の武将でしょ?、なんで尾張に銅像があるのよ?。(しかも織田領ど真ん中)
ともあれ、半信半疑でネット検索したら・・、あるんですね・・。びっくりです。

ということで今回はちょっと箸休めのコラム気分です。
実際、現地を訪ねて参りました。

asaitei (11)名鉄小牧線・間内駅裏に立つ浅井長政公の銅像と浅井氏宅址の石碑。

あら、ホントにありました!
確かに「浅井長政公」の銅像です。・・でもまたなんでこちらに??
脇にあった石板にはその説明書きが彫られていました。

長政の子息、浅井七郎がこちらに移住されたそうです。
以後、七郎を祖とする一族がこちらで代々住まわれたそうです。
ご先祖の霊を慰め、末永く後世にこの土地の事をつたえるべく建立された、との事。

asaitei (1)

asaitei (9)
お優しそうな顔立ちに温和な眼差しの長政公です。

全くノーマークでしたのでとても驚きました。
おそらくオフィシャル・ポイントではないのでしょうが、ここ尾張で会える長政公。
いささかでも偲ぶことができましょう。

場所は名鉄小牧線、間内駅の東側すぐです。(駅舎からも見えます)
ご興味のある方は訪ねてみられてはいかがでしょうか。
道がちょっと狭くて大変ですが、探検気分で楽しめますよ!

武将銅像ファンの方々、是非!




朝やけの眩しい光にに包まれた城、光城に登城

信濃 光城 (長野県安曇野市豊科上川手光・光城山) <市指定史跡>

朝焼けの光の中に立つ影はミラーマン、ですがここ安曇野の地に朝一番に立つ影。
それがここ光の城、光城なのです。(・・なんかかっこええ)
本日の安曇野ハーフマラソン大会の景気づけに是が非でも見学したい城、でもあります。

azuminopp (1)中央の存在感ある光城山。その山頂一帯が城址です。

以前、奥方と子息らを伴って光城からみた安曇野の光景が素晴らしかったからです。
車でほぼ頂上付近まで行けちゃうのが本当に有難いですね。(でなきゃ、来ないです)
午前、4時50分、朝もやの中を主郭部に向かって歩いていきます。

なんともさわやかな朝ですが、寒いくらいでした。

azuminopp (25)
これ実は木橋になっています。

azuminopp (22)横から見た堀切に架かる木橋。
堀切は竪堀となって100メートル近くも延びています。

azuminopp (26)

azuminopp (36)

尾根筋には周到に堀切が遮断線として構築されていました。

azuminopp (27)
主郭部に至る登り道。ワクワクしてきます。

azuminopp (28)
古式ゆかしい古峰神社が祭られています。

azuminopp (29)拝殿の中に掲げられた光城に関する案内版。

説明中に築城主として海野六郎幸元の名が見られます。
自らを光之六郎幸元、と名乗ったようです。

地名になぞらえて名乗った、とはいえ結構勇気要ります・・。
それとも「源氏物語」でもお読みになられてた雅な武将だったのでしょうか・。
天文22年(1553)、城は武田信玄によって落とされたようです。

azuminopp (30)昇る朝陽の中、城址碑と説明版を残し、光に包まれていきます。

azuminopp (31)
本丸の土塁上から郭内を見渡せます。その向こうには安曇野の郷とアルプスの山々が。

azuminopp (34)打ち震えるような素晴らしい眺望を眺めながらの朝食をとります。

「あと数時間後にあそこら辺りを走っているんだろうな・・」(ムシャムシャ・・)
「頑張って練習してきたもんな・・」(パクパク・・)
「Y吉さん、早起きして無事の到着、合流できるかなぁ~」(モグモグ・・)

でもこの瞬間、贅沢だな~、いいのかな・・。
よっしゃ!、今日のマラソン大会、頑張ろう!
なんだかイケそうな気がする~!

素晴しい思い出となった信州の2日間、安曇野の城とマラソン紀行、まずはここまでに。
そして、妙にヘビーローテするのは、この歌。

朝焼けが 窓を染めたなら 君に告げよう・・
Good-bye morning!!
(宇徳敬子さん&近藤房之助さんのバージョンのほうで)

光城の前衛的支城・田沢城と上ノ山城に登城

それでは安曇野マラソン第3幕、マラソンコース駐車場周辺の城館めぐりに移ります。

駐車場周辺、というのはマラソン出場者が大会中、自家用車を駐車しておく場所です。
自分とY吉さんはセイコーエプソン(株)豊科事業所さんの指定券を受け取っておりました。

その駐車場から犀川を挟んだ東の山領に鎮座する3城郭に登ってみました。
ちょうど長野自動車道に沿った安曇野I.Cの東になります。

azuminopp (2)

例えるなら・・

光城がラスボスだとしたなら。
そのラスボスの右腕が中ボス「田沢城」だとして、
おなじく左腕の中ボスが「上ノ山城」、ということになります。

いずれもラスボスを守る手ごわいセミボスということになります。

azumihalfg4.jpg

↑エプソン駐車場もわかるように大会パンフレットを転用・修正加工させていただきます。
青い塗りつぶしが城館の位置と範囲(おおよそ)を示しています。
たびたびなんですが、2城分、一気にいきますので、できればついてきてください(笑)。

それでは挑んでまいりたい、と思います。

信濃 田沢城 (長野県安曇野市豊科田沢・田沢山)

田沢城は別名を「光小城」と呼ばれるように、光城の尾根伝い下に築かれた砦城です。
光城と同時期に併設されていたのかは不明ながら、その関係性は注目されます。
事実、ここに砦があるだけで光城はより強固な城砦と成り得るのですから。

azuminopp (40)
田沢北交差点から見上げる田沢山。

azuminopp (14) 入口の広い路側帯に車を停められます。

azuminopp (5)
登山道はまるで堀底を登っているかのよな錯覚をうけました。

azuminopp (7)主郭に出迎えてくれる石段?石積?が少々と後ろの土塁。

15分ほどの登山で主郭に辿り着きます。
登山道が整備されているためそれほどきつくはないのですが、
期待していた安曇野の眺望は望めませんでした。

azuminopp (3)消えかかっている田沢城を示すプレート。苦心の縁取り文字が泣けます。

azuminopp (11)背後の三重堀切が見事なのですが、ブッシュでなんとも・・。

azuminopp (8)
同じく主郭の背後に備えられた土橋と土塁・堀切。・・ここもブッシュですな。

土塁も高く、堀切との連動もうまくできた縄張りを持ちます。
しかし、いかんせん、広い尾根となっていく光城方面に対しての防備が不安。
はっきりとした城域が画されていないようです。

これは尾根続き山頂部の光城をあてにしたが故の普請かもしれませんね。

城は小県郡の海野氏出身者によるのが始まり、との記録がみられます。
その後、確証ではないのですが、田沢氏、花村氏、と受け継がれていったようです。

田沢城、一支城としては実に造り込まれた砦城だと思われます。
夕暮れ時で撮影も限界に近づいてきましたのでカモシカ並みのダッシュで下山!
次なる上ノ山城に向かいます。(あー忙しい!)



信濃 上ノ山城 (長野県安曇野市豊科田沢・殿山) <市指定史跡>

6月初旬、いくら日が長い、といってもさすがに6時は焦ります。
黄昏の城、上ノ山城まで登城、・・は時間的にとてもできません。そこで・・。
ここへは車道ですぐ近くまで行ける、という情報を細作によって掴んでいました。

azuminopp (38)田沢橋の正面から見上げる上ノ山城。

豊科カントリークラブさんにつながる車道を登って行きます。
この時間です。反対方向から降りてくる車はプレイを終えた高級車ばかり・・。
「フハハハハー!すれ違いは登坂車両優先ぜよ!」(・・悲しい)

・・なんとか着きました。

azuminopp (15)安曇野市の城址碑、ありがとうございます。

城址碑の後ろの遊歩道を登って行きます。
もう、すぐ頭上に城址がありそうな雰囲気です。
まさに、上の山、城、といったとはよくいったものです。

azuminopp (21)
そして、遊歩道を登ること僅か2分足らずで主郭部に着きま・・。

・・!!(゚△゚;ノ)ノ

azuminopp (17)・・・・・・・・・・・・(´・(ェ)・)

これは一体・・?
非常に悲しい光景に遭遇してしまったようです。
何故だか、松任谷由実さんの「リフレインが叫んでる」が替え歌で流れてきます。

どうして どうしてできるだけ
やさしくしなかったのだろう・・。
壊れるほど倒れてきた~。

azuminopp (19)
重みになんとか耐えている、城址案内板の痛々しい姿。

まるで落城寸前に居合わせた気分になり、必死で木をどけようとしました。
しかし、ダメでした・・。重たすぎる・・。
電気ノコギリでもないと無理そうです。

azuminopp (20)
ここまでが限界!、なんとかこれで判読できるかな?

azuminopp (18)
削平地のみが確認できました。

城は3、4段の削平地のみで構成され、城、というよりは見張台、監視台に近い遺構です。
尾根筋の山道を監視する施設だと考えられます。
非常にシンプルな簡単な縄張りで防御機能、ほぼなし・・。

光城側の施設か、あるいは平瀬城側の施設か、もっとも両者の繋ぎ城か。
その意味では重要な位置にある砦だともとらえることができそうです。
これで光城の両翼を制しました。

そして・・いよいよ光城への登城、明日の明朝を待っての攻撃に備え、休みます!

安曇野マラソンコース周辺の城館めぐり・その(中間区周辺)

前回、安曇野ハーフマラソンコース、スタート地点周辺をざっくりと訪問しました。

この回ではマラソンコース中間区周辺の城館めぐりに入ります。
(まだ、あんのかよ・・)
まずは下図に示した↓、中間点周辺4城館を訪ねていきます。

azumihalfr4.jpg

マラソンコースもわかるように大会パンフレットを転用・修正加工させていただきます。
青い四角形が城館の位置と範囲(おおよそ)を示しています。
申し訳ありません、例によって一気にいきますので、なにとぞついてきてください(笑)。



信濃 堀金氏館 (長野県安曇野市堀金上堀元屋敷)

マラソンコース9km地点近くにある館城、堀金氏館です。
千国街道に接していて比較的大きな館城だったようです。
堀金平太夫広盛の名がみられます。

実は、自分以前にこの地を訪ねたことがあります。
その時は木柱碑が道路沿いに立っていた覚えがあるのですが・・
どうやら撤去されたのでしょうか・・、いくら探しても見つかりません・・。

個人宅ですので、塀越しに中の様子をちらっと見学させていただきました。
南西角部に堀が巡っていました。
遺構を確認、帰ろうか、と思っていたその時でした。

「・・っ!!、あ、あれは(°_°)!?」

azumihalfp (7)
じょ、城址碑です、まぎれもなくあの時見た城址碑です!

なんという変わり果てた姿なのでしょう。
こんな形での再会を果たすとは・・。(嬉しいような、やっぱ、悲しいような・・)
しかも肝心なところが不明・・。どう解読しても「〇〇氏?居館跡」としか読めません。

20年の歳月で碑一つ、これだけ変わってしまうものなのですね・・。
なぜだか、竹内まりやさんの「駅」が頭の中に流れてくるのです。

懐かしさの一歩手前で 
こみあげる苦い思い出に 
言葉がとても見つからないわ。

きっと、なんらかの事情があるのでしょう。



信濃 細萱氏館 (長野県安曇野市南穂高細萱殿村前田)

マラソンコース折り返し11km折り返し地点に最も近い城館が細萱氏館です。
館の周囲を堀が囲んでおり、典型的な館城の姿をよくとどめているようです。
主郭部一体はお住まいとなっているため、写真など住人さまにご配慮させていただきます。

azumihalfp (5)
立派な石碑がありますので、撮らせていただきました。



信濃 法蔵寺館 (長野県安曇野市豊科新田) <市指定史跡>

マラソンコースも終盤地点に入っていきます。
豊科商店街折り返し地点近くの館城を続けて2つ紹介いたします。

azumist4 (19)
豊科公園と法蔵寺一帯にあったその名も法蔵寺館です。

azumist4 (20)
県の指定文化財にもなっている法蔵寺の山門。立派ですね。

城主などはっきりとした伝承はありません。(成相氏の一族と推定されています)
武田氏が軍事道路、棒道を設けた際、真々部城と同様に構築されたとする伝承があります。
「もやい堤」と呼ばれる水路が堀の役目を果たし、土塁で囲まれた館城でした。

azumihalfp (1)
法蔵寺北の墓地外周から東側にかけて一部土塁が残っています。



信濃 構ノ館 (長野県安曇野市豊科新田・構) <市指定史跡>

法蔵寺館の支城的役割を担っていた、とされるのが、こちら構ノ館です。
お互いの距離は200メートル程です。
現在、墓地となっているため、標柱には「構えの墓屋敷」という名前に。

azumihalfp (2)
そのまんま、墓地になっている構の墓屋敷の標柱です。

azumihalfp (4)
見るべき遺構はありませんでした。お墓ということで退散いたします。



以上、マラソンコーススタート中間区周辺の城館めぐりの第2幕でした。
(すでにへとへと・・明日のマラソンやばいぞ・・)
振り返れば結構回ってきたものです。
順番通りにどうやって巡ったのかさえ、すでに記憶があいまいです・・。

そろそろ明日に備えて体を休めたいところですが・。
これからサブボス、そしてラスボスへと挑んでいくのです。
(そう、このヘロヘロ状態で、です!)
第3幕、マラソンコース駐車場周辺の城館めぐりに続いていきます。
(まだまだ、続きますよ~)

ここまでお付き合いしていただき、本当にありがとうございました!

安曇野マラソンコース周辺の城館めぐり・その1(スタート地点周辺)

松本城をあとにして豊科方面へと向かいます。
ここからは明日のマラソンコースの下見を兼ねた安曇野城館めぐりの始まりです。

コースの下見と城館めぐり、どちらがメインなのかと聞かれたならば・・。

どちらも大事!」(きっぱり)

戦国大名がその土地の民情視察・軍事訓練・身体鍛錬を兼ねて鷹狩りを行ったと同様、
マラソンを兼ねた城館見学、とでもしといてくだされ。
(結局、城じゃん・・)

明日のハーフマラソンコースの地図を片手に探り走る「安曇野・十二城編」
はじまり、はじまり~。
(決して聖闘士星矢・十二宮編のパクリではありません)

まずは下図に示した↓、スタート地点周辺5城館を訪ねていきます。

azumihalfs4-2.jpg

マラソンコースもわかるように大会パンフレットを転用・修正加工させていただきます。
青い四角形が城館の位置と範囲(おおよそ)を示しています。
時間的都合上、ささっと一気にいきますので、是非ついてきてください(笑)。



信濃 真々部氏館 (長野県安曇野市豊科高家真々部) <市指定史跡>

azumist4 (1)
金竜寺の北一帯が館址でした。城址碑が土塁痕の上に立っていました。

azumist4 (2)
武田軍団が駆け抜けた千国街道、「武田の棒道」に接する要衝でした。

azumist4 (4)
真々部城、とあるのが主郭部で広い城下町も宿城として整備されました。

azumist4 (3)
西側の土塁がわずかに残っていました。

真々部氏は武田氏に属し、武田氏の信州経略に協力したようです。
この頃の城主として真々部尾張守真光らが伝わっています。
説明版が本当にわかりやすく、往時をしのぶことのできる城館でした。



信濃 鳥羽館 (長野県安曇野市豊科上鳥羽) <市指定史跡>

azumist4 (5)土塁端に立てられていた城址碑。

こちら鳥羽館はマラソンコースのスタート地点、目と鼻の先にあった城館です。
水堀が見られる感動的な遺構に出会えました。

azumist4 (6)
水堀と土塁が当時の姿をとどめているようです。

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この部分のみ残った館の北西角部の堀と土塁の様子です。

ジムニーのルーフキャリアに登って撮影しました。
視覚一杯に広がる館城の様子が伝わってきて感動しました。

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堀の水もさすがに綺麗ですね。湧き水でしょうか・・。美しかった・・。

城址碑の案内板によると、小笠原氏の一族、丸山将監の居館と伝わります。
真々部氏とは地縁的に協力しあう関係だったようです。
この部分だけでも充分に平城居館の雰囲気が味わえました。



信濃 飯田砦 (長野県安曇野市豊科高家中飯田・本城) <市指定史跡>

鳥羽館から東へほぼ1km、飯田砦を訪ねます。
名前の通り、飯田氏の館址、と伝わっています。

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azumist4 (7) azumist4 (12)
道路脇に立つ城址石碑と奥には大手道の石碑もありました。

こちらは個人宅の敷地内ですので今回は外周からのみの見学になります。

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勘左衛門堤のある主郭北側にも立派な城址碑がありました。

城址碑の説明によると、武田軍進出に備えて築城された砦、とのことです。
写真は控えさせていただきますので、外周より観察した感想になります。
周囲を土塁と堀に全周が囲まれており、比較的、原型をとどめているようです。

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城址碑の裏面も要チェックや!

大手口には平入虎口が残っており、土塁も高い所で2m弱ありそうです。
ほぼ完存しているようなので非常に貴重な遺構だと思います。



信濃 吉野町館 (長野県安曇野市豊科吉野) <市指定史跡>

吉野の区域には2つの城館が伝わっています。
南に位置するのがこちらの吉野町館です。

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城址碑が個人宅の入口に立っていました。

ここにきて気付くのですが、ほぼほぼ全城館に碑が設けられていることに脱帽です。
いかに歴史と文化を大切にしているのかがうかがえます。
個人宅の所有者さまのご尽力もあってのことであると思います。

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水田との境に堀らしき址が見られました。

こちらも個人宅、ということで踏み入れ探索は控えさせていただきました。
館は日岐氏の居館跡との伝承があります。
日岐丹波守盛武らが城主として伝わっています。



吉野堀屋敷 (長野県安曇市豊科吉野) <市指定史跡>

今一つの吉野の城館が、こちらの吉野堀屋敷です。
道路に沿っていくと、突然現れる堀屋敷に一見して城館だと気付かされます。

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堀と土塁が平列して延びています。

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お屋敷の入口脇にたつ城址碑。

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裏手奥に延びる見事な堀に感動してます~。

こちらも現在は個人宅の敷地ですので、あくまでも道から見える範囲での見学です。
館は丸山丹波守によって吉野郷の開発を意として築城されたと伝わります。

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南西角部の土塁と堀の様子。土塁は1mくらいの高さがあります。




以上、マラソンコーススタート地点周辺の城館めぐりの第1幕でした・・。
(すでに疲れました・・)
こうして城めぐりしていると、結構たくさんあるものですね。
スタート地点でこんなにも・・、果たしてすべて回れるんでしょうか?

少々不安を感じながらも、何かにかきたてられるように次々とめぐりめぐっていくのであります。
(そう、自分でも理解できない何かに・・)
第2幕、マラソンコース中間区周辺の城館めぐりに続いていきます。

ここまでお付き合いしていただき、ありがとうございました!

信濃 松本城 🏯美しい山々と水に囲まれた「黒板の烏城」

信濃 松本城 (長野県松本市丸の内)〖  国 宝  〗 【日本100名城】

井川城でちょっとした箸休みをとった後は国宝・松本城へと向かいました。
こちらも何度となく訪問しているのですが、やはり素通りできないサガをもたされています。
でもよくよく思い出してみると、おひとり様訪問は今回が初めてか・・。

思い起こせば、姫路城で大城郭と大天守群の魅力に夢中になったワタクシ。
父にねだって松本城まで連れてきてもらったのを鮮明に覚えています。
父も威厳のある天守閣、いわゆる「お城」は好きだったようです。

s-matumoto (1)埋門に架かる赤い橋、「埋の橋」から見る天守

「懐かしい・・」が第一声。
「変わってないな・・(あたりまえ)」が第二声。
「ん?この橋、今渡れないのか(以前は渡れてましたよね??)」が第三声。・・でした。

s-matumoto (12)そら~にそびえる~くろいたのしろ~(^^♪

やっぱり、松本城天守、超かっこいです!(まじーんゴー!)
雪国のため廻り縁を室内に取り込んだ天守最上階がパイルダーオン!してますよね~。

お断りしておきますが、名城になればなるほどありきたりな説明は省きます。
私ごときがあれこれと何をいっても真似記事になるばかりですから・・。
ここではただ単に一人の城バカが現地ではじけている様子を想像していただければ結構です。

s-matumoto (4) 城址碑まで黒い♪

s-matumoto (14)復元・黒門桝形の大手口

続櫓を突き出した桝形門は珍しい仕組みです。
ここから入場料を払って本丸に入れます。すでに敵に狙われているところです。
この桝形の中はこの時、観光客でいっぱいでした。(狙われているとも知らずに・・)

s-matumoto (19)
本丸内の加藤清正、駒つなぎの桜。

松本城の天守が完成した頃、加藤清正が江戸からの帰りに立ち寄りました。
城主・石川康長は土産として名馬を二頭連れてきて、そのうちの一頭を差し上げると伝えました。
すると清正は二頭とも連れて帰ってしまいました。

一頭を良い馬として選べば一方は駄馬ということになります。
また悪い馬を選べば清正は見る目が無かったと人々に笑われるかもしれません。
二頭とも連れ帰ることでそれを避けることができます。

これを聞いた人々、「さすが清正公」 と大いに感心したということですが・・。

えぇ・・?、・・そうか?、清正は空気が読めないのでしょうか・・。
石川康長はこの時どんな気持ちだったのでしょう?
きっと笑顔が引きつっていたのではないでしょうか。

s-matumoto (34)
康長公に同情しつつ、天守内部に進むのであります。

s-matumoto (21) 重厚な天守内部。スゴイとしか言いようが。

s-matumoto (22)
大天守の頂に祀られる二十六夜様、天守の守護神様です。

s-matumoto (27) 光取り込みの破風内側。

s-matumoto (26)
大天守より明日走る安曇野マラソンのコース方面を睨みます。

s-matumoto (28) s-matumoto (30)
城主が座った場所が再現(写真:左) と 格調高い華頭窓(かとうまど)(写真:右)

s-matumoto (32)
大天守から続く月見櫓の廻縁の様子。

s-matumoto (17)大天守と月見櫓との相性良し。

s-matumoto (38)復元された太鼓門桝形。

平成11年にその姿が甦った城内最新復元施設です。(自分も今回が初見学です(^∇^)ノ)
柱にいたるまで当時の製法そのままで復元されています。
ここは大半の観光客も足を延ばさない、素晴らしい見応えあるスポットです。

s-matumoto (36) s-matumoto (40)

s-matumoto (41) 続いて冠木門をくぐって、二ノ丸見学へ。

s-matumoto (45)丑寅櫓台から見る二ノ丸御殿跡。

ここでは本丸にあれだけいた観光客もまばら。(おにぎりランチタイムとしましょうか)
平地ですが、往時の殿舎の間取りを表示する整備が示されていました。

s-matumoto (42)
ランチのおこぼれを待ち、座り込みを決める根性がいい。

s-matumoto (43)
美しい内堀を眺めながらのランチをとります。

s-matumoto (47)
総石垣の城、でもなく、堤防状に土塁も残り、戦国期らしさ、も感じます。

s-matumoto (10)

やっぱり、松本城、いいですね!  

・・さぁ、安曇野に向かいましょう!

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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