越前 龍門寺城 🏯府中三人衆の一人、不破光治が入った城

越前 龍門寺城 (福井県越前市本町・龍門寺) <市指定史跡>

木ノ芽峠城砦群から平野部に向かって降りてきました。
ここからはほぼ平城を回るコースになります。
それはマラソン大会前日に無理をしない、という前回での学びあっての故です。

しかし、この暑さの中、見知らぬ市街地を歩き回ることにもなりかねません。
結局、反省しているのか、していないのか、自分でもわからず・・。
わかりませんが、行かずに後悔するのはかえって苦になるというもの。

ということで平城めぐりにシフトした、ということだけでも計画的行動という訳でして。
脚をいたわりつつ、城も愉しむ、それなりに考え抜かれたプランなのであります。

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龍門寺の山門脇には城址石碑、説明版などが集中してお出迎えです。

名前からして城郭寺院であることは察しがつきますが
天正元年(1573年)もともと龍門寺があった所に、富田長繁によって築かれました。

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朝倉氏の家臣であった富田長繁は天正元年(1573年)織田信長によって朝倉氏が滅ぼされると、
信長に降って、府中を領し龍門寺城を居城とします。

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天正2年(1574年)一向一揆では、信長の守護代・桂田長俊(前波吉継)を討ち、魚住景固父子を謀殺して越前一国を支配します。
しかし長繁には混乱した越前一国を取りまとめるほどの器量及ばず
天正3年(1575年)一向一揆の襲撃を受け、家臣に裏切られ討死にします。

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城址は本堂一帯が一段高くなっています。西側の墓地には堀とみられる窪地があります。

天正3年(1575年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を軍団長とし、
越前府中に前田利家・佐々成政・不破光治を勝家の目付・与力として配置します。
この面々は府中三人衆とも呼ばれています。

府中城には前田利家、小丸城には佐々成政ここ龍門寺城に不破光治が入りました

賤ケ岳の戦で戦線を離脱した前田利家ですが、この城で北ノ庄へ落ち行く勝家一行を迎え入れます。
勝家に斬られることを覚悟して相対する利家に、勝家は利家を責めずこれまでの労をねぎらいます。
利家はその寛大な処置に涙を流し、そっと湯漬けを差し出すのでした。

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龍門寺の北面に残る卍が辻です。

卍が辻は屈折した4本の道が交差しており、それぞれが行き止まりに見えるようになっています。
見通しを悪くすることで侵入する敵をを欺く城の施設ではないか、という説もあります。

こういった見所もある龍門寺城でした。



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越前 鉢伏城 🏯木ノ芽峠城砦群の中で最も大きい詰城的存在

越前 鉢伏城 (福井県南条郡南越前町二ツ屋・鉢伏山) <町指定史跡>

ギラギラ照りつけるおてんとう様は益々容赦なく・・。
にも反して、まだ見ぬ城址への憧れは増すばかり・・。
蝉しぐれの中、夏のスキー場を一人歩いていきます。

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木ノ芽峠城・観音寺丸城から続く尾根道を進んでいくと
急に視界が開けて夏のスキー場へと解放されます。
一瞬、「道を間違えたかな?」と思いましたが、城址への方向案内を確認して安堵。

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3ヶ所のポイントに立てられた案内板で揺らぐ気持ちを落ち着かせます。
本当にこんなところに城址があるのかな?まだちょっと心配。
スキー場のリフト乗り場も横目にやり過ごします。

e-kinome (42)そして、目に飛び込んできたこの城址案内板、到着です!\(^o^)/

ひたすら山頂部に向かうことで到着です。
城址案内板を見つけ、一人歓喜の声。

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主郭部の周囲には土塁が巡っています。

・・なんとなく夏山の高原に来たような錯覚をうけます。
二重の堀切と土橋を渡ると、虎口に至り、広い曲輪がお出迎えしてくれます。

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中心部のみ下草が刈られた鉢伏城の主郭部。

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スキーシーズンの降雪位置に合わせた設置案内のため、位置が高すぎ!

ここでモスクワ、北京、ウラジオストク、等を指されても今一つピンとこない・・。
しかし冬はそれほどに雪が積もる、ということなのでしょう。
冬の籠城は無理そうです、ということがわかりました。

e-kinome (28)城の規模は木ノ芽峠城砦群の中で最も大きいようです。

城は大きく2つの曲輪に分けられますが、周囲に土塁を巡らした山頂部の曲輪が中心となっています。
木ノ芽峠城砦群の中でもやや独立性のある城郭といってもよいでしょう。
この城からは遠くに敦賀湾と敦賀金ヶ崎城・手筒山城を望めます。

e-kinome (27)ちょっと木が邪魔してて金ヶ崎城と手筒山城が見えてない・・(お許しを)

写真の左下に切れてしまってますね・・。
き、きっと雪が積もった時なら見下ろせるのではないかと・・(汗)
(でも自分・・スキーもスノボもしませんから!、残念!、フレーム外斬り!)

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城は、木ノ芽峠側の防備が固く、木ノ芽峠城塞群の詰の城的役割を担っていたと思われます。

鉢伏城は元亀元年(1570)織田信長が越前に侵入した際に、朝倉方によって築かれました。
朝倉家臣の印牧弥六左衛門能信が守ったそうです。

天正3年(1575)8月、信長は大軍勢で越前攻めを敢行します。
これに対し一揆衆は板取城に下間頼俊、木ノ芽峠には西光寺真教ら
そしてここ鉢伏城には専修寺賢会阿波賀兄弟らが入城します。

今庄の燧ケ城には大将の下間頼照が入ります。
結果は前回の記事で記した通りです。

朝倉氏、一向一揆門徒、そして織田勢と深く関わった城として
また古来から平氏一門、源義仲、南北朝諸氏らも重要視した木ノ芽峠城城砦群。
ここ鉢伏城をもって見学終了といたします。

鉢伏城ですが、冬はぜひスキーリフトでどうぞ・・。
でも、雪に埋もれまくりで、結局遺構わかりませんから!、残念!、埋雪斬り!
拙者、マラソンは好きでもウインタースポーツはてんでダメですから!、・・切腹!



越前 木ノ芽峠城 🏯歴史の深い北陸街道の要衝城砦群

越前 木ノ芽峠城砦群 (福井県南条郡南越前町板取・木ノ芽峠)

e-kinome (9)木ノ芽峠の直下に設けられた城砦群の鳥瞰図がリアルです。

南越前町にて早朝マラソンに参加すべく例によっての前日入り。
今回はずっと気になっていた木ノ芽峠の城砦群の見学でスタートです。
滋賀県の木之本から北上して栃の木峠へと到着。(一年ぶりです)

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国道365号線から栃の木峠を左折して、林道を進みます。峠のこの巨木トチノキが目印。

木ノ芽峠城は峠を中心に尾根沿いのピークに城郭が複数設けられました。
トップの写真で紹介したように主に4つの城郭遺構が確認できるようです。
今回は当然、全城郭を見学します!、はい。

e-kinome (49)今庄365スキー場から見た城砦群の位置をパノラマにて。

南から順番に見学してきました。
(この順番がくまなく一番早く見学できるコースだと思います)


西光寺丸城 
西光寺真教が立て籠もったと伝わる城砦群の中では最も新しい城。

e-kinome (3) 林道脇の標柱から登るコースがありました。

徒歩2,3分で主郭に到着できるのがうれしいです。
標高が高いためか、湿度もなくさわやかです。但し冬は大変そうです。

e-kinome (34) 主郭部に向かって切岸を登り切ると・・。

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土塁に囲まれた主郭部に到達します。(ササノハで土塁が覆われてしまっていますが)
中央の石碑は立て籠もった大将・西光寺真教の碑です。

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虎口は両脇を土塁で固めているようです。

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ササノハが茂る中には横堀も・・これ以上は見学できませんでした。

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木ノ芽峠城
古くは南北朝時代、それ以前より城砦があったと伝わる歴史ある城。

e-kinome (29)駐車場から歩いていくコースがあります。

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木ノ芽峠は古来より北陸道の要衝として重視されてきました。
戦国時代末期には柴田勝家によって越前~近江間を結ぶ栃ノ木峠が整備されましたが、
木ノ芽峠はそれ以降も重要な峠道として明治まで使用されました。

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峠には明治天皇陛下行幸のおり、口に含まれた御膳水もあります。

御酌もあります。これは一口いただきましょう・・。
・・うん、さっぱりしてて渇いた喉に最高です!
福井県の嶺南・嶺北の分嶺水、実に美味しかったです!

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写真左の山上が木ノ芽峠城があった高台です。

木ノ芽峠城は、峠の茶屋番・前川氏宅の背後の畑地が主郭部です。
訪問した際に、前川さんとはいろいろとおしゃべりをさせていただきました。
個人所有の敷地と県クラスの史跡指定との狭間に諸事情、諸問題、いろいろあるようです・・。

現在は城の案内板も撤去されており(理由不明)、無許可で立ち入ることはできません。
自分は許可をいただきましたが、やはり眺めて良し、としました。
ここは空気を読んだ形をとります。

東側の西光寺丸城との間を守備する出丸もあったようです。
木ノ芽峠城は観音寺丸城と一帯の城であり、木ノ芽峠を挟むように東西に築かれています。
永禄12年(1569年)朝倉義景織田信長の侵攻に備えて家臣の堀二郎三郎を守備に置きます。

天正2年(1574年)越前の一向一揆勢力は織田氏の守護代・桂田長俊(前波吉継)を討ち、木ノ芽峠へ侵攻します。
下間筑後守頼照は番手を置き、翌年信長が再び越前に侵攻したときには、西光寺真教が守備を固めました。


観音寺丸城
実質的に木ノ芽峠城の本丸に相当する規模をもつ城。

e-kinome (15)曲輪内に本尊の十一面観音像が安置されていたことから「観音丸」とも呼ばれます。

この城は木ノ芽峠の北西対面に築城されています。
城の規模は約150m四方と広く、二重の堀切に土塁を巡らした曲輪を持ちます。
周囲の斜面には幾つもの堅堀が備えられ、ここから約500m先の鉢伏城へは尾根道で繋がっています。

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鉢伏城につながる連絡道には土橋を備えた堀切が確認できます。

遺構は残念ながらササノハまるけで確認できませんでした。
木ノ芽峠城より高地のピークに位置することやその遺構規模、鉢伏城との連絡遺構などから
最終的にこの観音寺丸城が主城だった可能性は大です。

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観音寺丸城から見下ろす木ノ芽峠と越前国方面の山々。


桂田長俊を滅ぼした一揆衆は加賀国から一向宗の七里頼周を呼んで自らの指導者としました。
越前を平定した後は下間頼照が顕如によって新たな総大将として派遣されます。
これで越前国は実質的な本願寺領となりました。

しかし一揆の主力である地元勢力と大坂から派遣された頼照や七里頼周らとの間は険悪でした。
家臣のように扱われることに不満をもち、反乱がおきるのです。
頼照はじめ本願寺側の勢力はこれを弾圧してしまいました。

天正3年(1575年)夏、織田の勢力が越前に進攻。
地元の一揆勢の十分な協力を得られなかったこともあり、織田方の猛攻に遭い城は落城、
頼照は海路をのがれようとしましたが、真宗高田派の門徒に発見され、首を討たれてしまうのです。

以後木ノ芽峠城一帯は織田方の柴田勝家らの管轄となり、廃城となっていきます。

ちょっと長くなり、疲れましたので続きの鉢伏城は次回の予定とさせていただきます。
最後まで見て頂いた方(みえましたら)、お礼の言葉もございません。
ありがとうございました!



早朝マラソンで夏ラン!朝ラン!

第13回 花はす早朝マラソン大会に出場

会場:福井県越前町ウォーターランド南条周辺(スタート)、日野川レインボーパーク(ゴール)
平成29年7月23日(日):10kmマラソン AM7:15スタート
参加人数:2996人(全種目合計)
ゲストランナー:ザ・たっちのたくやさん、かずやさん

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パンフも手作り感があってかわいい! 今回は「ランスマ」にも注目されています。

7月の締めくくりとして去年も走った南越前町の早朝マラソンに参加してきました。
マラソン大会参加にあたりコンディションを整えていくのも楽しみですが、
当日の持ち物や服装、泊まり準備などをするのも楽しいものです。

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ジムニーも仮眠仕様に。(考えたら一番走るのコイツかも・・)

金曜日の夕方、ルンルン気分で、準備をしている様子を横目に、
「マラソン大会は日曜日でしょ?」・・と声を掛けてくれる家人は誰もいません・・。
哀れみに似た痛さを背中に感じつつも、準備に余念がありません。

hanahasu2nd (22)今年もやってきました。花はす公園にて温泉タイムです。

写真は夕方時間の蓮なので花はあまり咲いていません。
しかし早朝から午前中にかけて、一斉に開く花がとても美しいのです。
今回も写真を撮り損ねてしまいました・・。(スミマセン)

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マラソンコースにはハスの水田の他、一面の水田や山々、花に彩られています。
一歩スタートラインを越えると、そんな風景の中を走っていくことになります。

hanahasu2nd (25) 今日は明日に備えて仮眠所にて朝を迎えます。

本大会には選手のための仮眠所が公民館に用意されています。
寝具・食事等は自分で用意しなければいけませんが、もちろん無料です。
思い思いの場所で雑魚寝ですが、それほど混みあってもいません。
空調も完備され、むしろ快適に休めます。(電源コンセントの近くは混みます!)

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早朝、5時半過ぎ、まだうす曇の中を会場へと向かいます。河川敷駐車場もいっぱいです。

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先導車は、自転車というエコな演出もなかなかいいですね~。

はぴりゅう(HAPPY-ryu)クンも応援に駆けつけてくれました。口癖は「はぴっ!
「ふくいけんのしあわせ・げんきを応援するために日々がんばってりゅうよ!」
「ボクといっしょに、2018年ねんの福井国体を楽たのしもう!はぴっ!」・・ですって(笑)。

開会式ではちょっと落ち着きのない様子がかわいくて笑えました。

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白のウェアに白のランパン、コーデ間違えました(笑)。でも他にはいないスタイル・・。

それではちょっとだけレースの様子をお伝えします。

<序盤>1~3km

前回は、スタートラインの後ろに並んだため、狭い道で思うようなスタートができませんでした。
ということで、今回は最前列のやや後ろからスタート!

先頭集団について最初だけ位置取りを兼ねて飛ばします

1km地点付近でいつものペースに戻していきます。
これは前回のスタートもたつきを解消する対策として作戦成功でした。

<中盤>4~7km

名物のゆるやかな上り坂にジワリジワリと走力が落ちていきます。
地元の方の熱い声援と給水所の多さに救われます。(本当にありがとうございました!)
水のシャワーの下を潜ると、気持ちよかったです。

杣山城の勇姿に勇気をもらい、一面ハスの花畑に一時癒されます

折り返しでターンしたころが一番キツかったかな?
水をたっぷり含んだスポンジで冷やしながら走ります。

<終盤>7~9km

緩やかな下り道になってきたこともあり、徐々にスピードを上げていきます。
やはり後半温存型はその点、気持ちがラクです。
周りの風景にも心が癒され、走っている、ことが楽しくなってきます。

「頑張って~!」という声援に笑顔で答える余裕もでてきました。

さっき抜かれたランナーさん達にも肉薄。
お先に行かせていただきます!

<ラスト・スパート>残り1km

中野川の河川敷に入りました。
はるか向こうには「ゴール」の文字がはいっているであろう幕が見えます。

ここで加速装置、点火いたします。 

サングラスをつけ、腕は直角の大振り、ストライドも大股でのその走り様は
さながら『逃走中』のハンター走り。
しかし、当の本人はくそ真面目なんですよ。

そしてハンタースタイルのままゴール!!(やっほ~!)

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ザ・たっちのお二人もペアランで手を握りあってのゴール!

同じ顔に見えるのは仕方ないのですが、よく見ると・・。
キャップの色と、シューズの色が違いますね。
ホントに仲が良さそうなお二人さんのゴールに会場も湧きに湧きます。

この後、お二人とそれぞれ握手をしていただきました、嬉しかったです!!

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hanahasu2nd (28)46分02秒でした。(前回は47分35秒)

去年より1分30秒ほどを上回るタイムでまずまずでしょうか。
気温29℃、湿度62%という条件としてはこれが限界かも?
46歳で46分、城(46)めぐりのマラソン遠征とくれば、満足な結果としたいです。

いつもながらこの大会では地元の方々のおもてなしぶりに感動いたします。
地元愛に溢れた手作り感たっぷりの大会に心が洗われ、和やかな気持ちに。
また来年も是非参加させていただきます!

ありがとうございました!

なお、この大会はNHK・BS1にて放送される予定です。
来る9月9日(土)と9月16日(土)の大会特集だそうです。
他の出演者さんたちもそれぞれの大会でどんな走りをしたのか注目です。

それでは、お決まりのネタで ザ・たっちさんから、一発!

「見ないと・・、チョット!、チョットチョット!」

・・ですって(笑)


早朝マラソン大会に向けて

花はす早朝マラソンに向けて

久々のマラソン記事になります。
いよいよ一週間後に迫ってきた南越前町花はす早朝マラソン大会
今年もこの暑い中10kmのレースに出場です。(来る7月23日(日)です!)

早朝マラソン、というだけあって一番早いスタートは2kmファミリーの親子走。
なんと6時30分! 早いです!
自分が走るラストプログラムの10km40歳以上でも7時15分です。

・・その割には参加通知書が届くのは遅いのにも慣れました。(笑)

hanahasutyo (2) 1週間前に届く参加通知葉書。

冒頭でも触れましたが、この暑い時期に敢えて走る意味は何・・?
「気が触れている」、と思われてみえる方々へ説明いたしたいと・・。

〇表側の立派な理由〇

暑い夏でも適度な練習をコツコツと続けること。(継続)
全国でもあまり例のないレースにすすんで挑む気持ちを持つこと。(挑戦)
夏の始まりを体で感じること。(体調管理)

我ながら素晴らしい・・。

●裏側の本当の理由● 

もう、気持ちよく言ってしまえば・・、

越前の城めぐり・ダムめぐりです!(きっぱり!)

まとめて正しく言い換えれば、それぞれの理由でもって相乗効果をもたらし、
よりマニアックに、よりマーベラスに仕上がっていく自分を感じる為でもあるのです!。
どうです?まったく伝わっていかないでしょう?

◎でも・・本当の本当の理由は・・◎

「自分に負けたくない!」
「好きなことに打ち込んでいきたい!」
そして、何より「楽しみたい!」、という気持ちなんです。

・・これなら、多少、伝わっていただけましたでしょうか?

hanahasutyo (1)今日も練習コースに迎えてくれるアゲハチョウ。


尾張 色金山陣所 🏯長久手に現われた家康の「金扇」の馬印

尾張 色金山陣所 (愛知県愛知郡長久手町岩作色金・色金山) <国指定史跡>

前回の記事、長久手大草城の続編、という内容になりそうです。
色金山は長久手合戦において、徳川家康が最初に陣所としたことで有名です。
現在は「色金山歴史公園」として整備されています。

iroganeyama (8)櫓台風の展望台が戦いの雰囲気をかもしだしています。

実際にはここまでの規模の施設があったわけではありません。
しかし、この場所で最も重要な事は、敵部隊の背後・あるいは側面に鬼没できたこと。
そして岩崎城方面までの眺望ができ、主導権を握れること・・。

それだけでも敵部隊を混乱・驚愕させることができる絶好の位置といえます。

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展望台からの長久手方面の眺望が優れています。

iroganeyama (10)展望台最上階より長久手合戦・主戦場を見渡せます。

写真の左側にあるポッコリした山が御旗山。(小さいですけど)
池田・森隊との激戦に先立って家康が本陣を移した山です。
立地条件的には同じ。詰将棋のように差配していきます。

iroganeyama (3)色金山の説明版。洒落た造りですね。

羽柴方による三河方面への別動隊の動きを察知した家康軍。
榊原康政・大須賀康高ら先遣隊とは別に本体を率いて追尾を開始します。
一旦、小幡城で状況を確認した家康は、あるタイミングを計っていたようです。

それは矢田川を渡り終えた羽柴方主力と総大将・三好秀次を捕捉することです。
徳川方先遣隊らが白山林で戦闘状態になった隙をついて矢田川沿いから南下。
羽柴方の背後ともいえる色金山・大草城方面に出現しました。

この陣取りこそがその後の合戦の趨勢を決定づけた、といってもよいでしょう。

iroganeyama (6)山頂には家康の腰掛石になったとされる床机石があります。

家康がこの山頂で刻一行と移り行く戦況をみていたんだ、と思うと
なんだかゾクゾクしてくる気分になりました。
まだ掴み得ぬ勝利への不安、期待、恐怖・・。入り混じっていたんだろうな・・。

そして方や・・。
この山の上に家康の馬印、「金扇」を確認した羽柴軍の反転隊諸氏の反応は・・?
次回はこれに先立って発生した「白山林の戦い」と小幡城の動きを予定してます。


東に1kmほどに長久手大草城があります。

尾張 長久手大草城 🏯長久手の辻を押さえる城

尾張 長久手大草城 (愛知県愛知郡長久手町熊張溝之杁・郷前)

尾張の大草城が3つ存在することは以前、小牧大草城の記事でふれました。
長久手大草城は瀬戸市と長久手町の境あたりに位置しています。
この間の街道を押さえるのに適した場所だと言えます。

n-ookusa (1)大草城の城山を東から眺めます。

15世紀後期から存在し、当地の土豪・福岡新助の居城とされます。
1579年以降、領主である森武蔵守長可によって改修され
天正12年(1584)、小牧、長久手の戦いで長可没後、廃城になったと伝わります。

美濃・兼山城の森長可の勢力がこの地まで及んでいたのか?、という疑問があります。
これがもし事実なら、三河への中入り作戦の主張、大いに筋が通るというもの。
しかし、実際にはあり得ない話だと思えます。

恐らくは、作戦に先立って、池田・森氏らの根回しに協力姿勢を示していた・・
・・そう、考えた方が自然だと思います。
またそこで反抗的態度を示したのが岩崎城の丹羽氏らだったのではないでしょうか。

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主郭につながる鍵手状の道。

山は近年の造成や開墾などで形が変わっているようです。
どこからどこまでが遺構と見るかはなかなか判別しずらい所があります。
また、個人所有地の区画もありますので見学には注意が必要です。

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頂上の熊野神社手前入口に置かれた城址石碑。

晴天の日中にも関わらず、結構暗い所にあります。
また夏はヤブ蚊がすぐ寄ってきますので、虫よけ対策は必要。
おかげで石碑の裏面をチェックし忘れましたわ・・。(今でも気になる・・)

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神社周辺には明らかに堀の址や切岸の址も確認できます。
しかし明瞭な遺構はないようです。
城址碑のある西側の丘陵にかなり城址らしい遺構が見られる、との事ですが・・。

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大草児童公園から登ったあたりの切岸と堀切の一部の様子。

やはり宅地造成などの影響を受け、遺構だと言い切れない感じはありますね。
面影を追う分には発想の自由でお任せしたい部分です。
くれぐれも許可なき宅地侵入だけはお控えください。

大草城は小牧・長久手合戦の際にどのような意思表明をしたのか・・。
羽柴方の池田・森らに従い、城と道を素通りさせたのか・・、
或いは彼らをあえて呼び込んだ後に家康に通報したものか・・、

徳川家康公が陣取った色金山は目と鼻の先にあります・・。
しかも大草城の正面に堂々と・・。
なんか匂いますね。(匂うんだよな~)

次回はその色金山をちょっと見学した様子を・・と、思っております。


見つけずらい場所ですので城址碑のある場所をポイントしておきます。

尾張 阿弥陀ヶ峯城 🏯小高き山の上で城址を偲ぶ

尾張 阿弥陀ヶ峰城 (愛知県瀬戸市志品野町2丁目)

今回は瀬戸市の阿弥陀ヶ峰城にやってまいりました。
梅雨も明けたのでしょうか・・。セミの声と共に夏の日差しがやってまいりました。
急激な気温の変化に体というものは即、対応できないものですね。

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城址とされる金宝寺です。

双頭の鳳凰の壁画がお出迎え。
映画『火の鳥』を思い起こさせるのは私だけでしょうか?
♪You Carry Us On Your Silver WingsTo The Far Reaches Of The Universe(^^♪)
(歌ってたな~)

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お堂のあるあたりが一段高く、本丸に相当したのでしょうか?

遺構は残っていませんが面影だけはとどめている感じです。
駐車場が二ノ丸みたいな感じです。
城址を示す説明版が設置されていました。

s-amidagane (3)城址の由来は説明版にお任せいたします。

永禄元年(1558)の織田信長による品野城攻めの付城、というのに注目です。
当時、今川方にあった品野城攻めに信長は竹村長方を大将として包囲攻撃させます。
信長は永禄3年(1561)に品野城を落としますので、その間付城として機能したと言えましょう。

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本丸からは意外と眺望がききます。
尾張地方のランドマークが認識できることがわかります。
涼しい風が吹き抜け、汗が引いていく、手軽な城址体感でした。


金宝寺一帯が城址と伝わっています。案内看板があります。

美濃 和泉城 🏯どこにでもありそうな竹藪に城址石碑が

美濃 和泉城 (岐阜県安八郡神戸町和泉中大門) <町指定史跡>

梅雨時期の台風上陸+ゲリラ豪雨に竜巻・・。
こうなるともうレイン・コートだといえど役に立たず・・。
内側からは汗が吹き出し、これではサウナ・スーツと変わりありません。

こんな日はブログ記事を書いたりするのがお利口かもしれません。

前回同様、安八郡神戸町のお城めぐりを振り返ってみます。
神戸町には2つの平城が町史跡として登録してあります。
西保城から南東に約1km歩くと、和泉城があるのですが・・。

大体の位置しかわからず、話し込んでいた近所のマダムさんたちに伺ったところ・・。
「あ?・・なに?・・あの竹藪城を見に来たの?」と笑われる。
すぐそこだと指さされたその場所、まぎれもない竹藪でした。↓

izumik (3)なるほど・・、どこからどう見てもその辺の竹藪です。

しかし、城、という以上、なんらかの遺構が見られるのでは・・。
ドキドキしながら畦道から城址へと近づいていきます。
土塁かなっ?、それとも、横堀かなぁー!

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どっからみても竹藪。(北から見たバージョン)

izumik (2)おおっ!結構な石碑がいらっしゃいますね。

少し竹藪の中をのぞいてみましたが・・。
ホント、ただの竹藪のようです。それも間伐されていないので体を入れることもできません。
期待した土塁や堀なんかもあるのかないのか・・。(なさそうでした・・)

ある意味、「竹」、という鉄壁の防御力を誇る不輸・不入の権を主張する城址です。
それに待ち構える不気味な蜘蛛の巣集団・・。そして闇への入口・・。
敢えて足を踏み入れることはしないほうが・・。

このような和泉城ですが、(果たして城なのか?)
『新撰美濃志』には木村常陸介重茲(きむら しげこれ)の居城と伝えています。
木村重茲公をご存知、という方は、拍手を送りたいです。

木村重茲は千利休の弟子で、台子七人衆の1人でもあります。

天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いでは羽柴秀吉方として参戦、近江堂木山砦の守将を務めます。
天正13年(1585年)、秀吉より越前国府中(現福井県越前市)に12万石を与えられます。
このあたりの重茲公、新生大物ルーキーの匂いがいたします。

天正18年(1590年)の小田原征伐では豊臣軍の先鋒を務め、武蔵岩槻城攻略で武功を挙げます。
奥州仕置では出羽国の検地を担当、葛西大崎一揆征伐においても活躍するのです。
まさに文武に優れた秀吉子飼いの武将、といってもいいでしょう。

しかし文禄4年(1595年)、秀次事件で秀次を弁護したことから、連座の罪で自害を命じられます。
秀次に連座して彼のような才能人や忠誠人を排除してしまったつけは大きかった・・。
やがてその豊臣政権の屋台骨を根底からグラグラにしていくのでした。


この地図では竹藪じゃない、城址碑のあるあたりをポイントしております。

美濃 西保城 🏯西美濃四人衆、といったらこの城の御方が加わる

美濃 西保城 (西保北方城) (岐阜県安八郡神戸町西保・城跡) <町指定史跡>

梅雨も本格的になってきました。
このジメジメ感をぶっ飛ばすには城址めぐりはうってつけ・・でもないです。
集中力がなくなり蜘蛛の巣が顔にかかった瞬間、発狂したくなる時期です。

しかし、相変わらず子息はバスケマンとして、チームメイトと頑張っています。
本日も大垣にて開催された大会2日目に出場しました。
中体連大会を前に弾みをつけたいところです。

nissinohok (1)
大垣女子短期大学が本日の会場です。

いつ雨が降ってきてもおかしくない空模様のなか、城址めぐりに出かけます。
神戸町には2つの平城が存在しています。
いずれも遺構は残っていないようですので、石碑めぐり、という気分です。

nissinohok (5)西保北方城一帯とされる林を眺めます。

城址は町指定史跡となっているものの、個人宅様の敷地となっています。
ですので、外周を取り巻く水路や水田などから城域を把握できるのが関の山です。
畑仕事をしてみえたおばあちゃんに石碑の位置を教えて頂きました。

nissinohok (3)電信柱に隠れていてなかなかみつけられない石碑です。(^-^)/

ぐるぐる歩き回ってようやく発見できた石碑です。↑
、というか最初は視界に入らず、見落としてしましました。
おかげで城域は一周できましたが・・。

nissinohok (4)
このクランク部が城っぽい部分といえばそうでしょうか?

西保城は不破道広によって築かれたといわれます。
3代目城主が不破光治で、土岐氏・斉藤氏・織田信長と仕え、信長の馬廻りとして活躍します。

美濃三人衆、といえば稲葉、氏家、安藤氏、の三氏を指しますが
ままに「西美濃四人衆(四家老)」といった場合には不破氏がこれに加わります。

光治は佐々成政・前田利家と共に府中三人衆と呼ばれ、柴田勝家の与力・目付として抜擢されます。
天正5年(1577年)8月の勝家を総大将とした加賀国平定戦には、三人衆そろって参陣。
天正9年(1581年)2月の京都御馬揃えにも、「越前衆」の一武将として利家らと共に参加しました。

子の直光も父に従い、その名跡を受け継ぎながら各地で転戦したようです。
親子共に信長お気に入りの部将だったと思われます。
賤ケ岳の戦いでは律義に勝家方に味方するも降伏、表舞台から消えていきます。

城はその後、稲葉方通木村勝正が城主となりまた。

不破親子の出生地、そして飛躍の城、と解釈すればなかなか思い入れのある城址ですね。


城址石碑がなかなか発見しずらいので記憶のあるうちに図示しておきます。
(次、「行け」と言われても自信がないので・・)

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
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