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越前 三留城 🏯三留朝倉氏の居城

越前 三留城 (福井県福井市三留町) <市指定史跡>

三留城は、室町時代に朝倉景冬によって築かれたと伝えられています。
景冬は、朝倉氏初代孝景の六男景儀の子で三富氏を称し、その後景冬・景総・景久と続きます。
東の五井山山頂部に詰城があり、平時は正寿寺にとなっている地に居館が築かれていました。

mitome (8)三留城の本丸部と居館部を南から眺めます。

写真の左にある丘には気比神社があり、やはり城郭の一部だったようです。
雨も降りだし、時間的にも制約があったので山城への登城は断念いたしました。
今回は居館部のみの見学といたします。

mitome (1)
正寿寺の前に説明版が用意されていました。

mitome (3)
三留城主、朝倉景久は一乗谷の朝倉氏滅亡の直前に織田氏に従ったのですが、
翌年の一向一揆の攻撃では前波吉継に攻められて景久は戦死します。
景久の遺児・千代雅丸が住職として先祖の菩提を弔ったというのが居館址に位置する正寿寺です。

mitome (5)
正寿寺の山門です。

お寺は全体的に小高い丘となり居館部として最適な条件に思えました。
正寿寺の裏奥には朝倉景冬公の五輪塔があります。
ただ・・、どれだかわからず(塔が複数あり)写真は割愛いたします。

天候が良く、もう少し時間があったらじっくりと詰めの本丸まで見学したかったです。(残念)



越前 川島城 🏯朝倉宗滴の養子、景紀の居城

越前 川島城 (福井県鯖江市川島町)

川島城は南北朝時代、南朝方であった河島蔵人惟頼の居城とされます。
その後、永禄七年(1534年)から元亀二年(1571年)までは朝倉景紀が居城しました。
景紀は(かげとし)とか(かげのり)と読みます。

景紀は越前国主・朝倉孝景の弟で、朝倉宗滴の養子となりました。
養父に劣らず武勇に長け、京都出陣、加賀出陣と従軍し活躍しました。
通称「孫九郎」です。

享禄4年(1531年)頃に敦賀郡司職に就き、積極的に軍事行動を行います。
永禄4年(1561年)5月、若狭武田氏の要請で朝倉軍総大将として出陣し逸見氏の叛乱を鎮圧。
また、若狭国三方郡の粟屋勝久ともたびたび交戦しています。

また景紀は、一乗谷で行われた連歌会の興行担当を務めたり、曲水宴の歌会参加など、
義父・宗滴と同じく和歌・連歌などにも深く通じた文武両道の人物であったようです。
朝倉一族は元々教養あるお家柄ですからね。(さすがです)

そんな朝倉氏一門の居城とあって「訪ねてみよう」、というのが軽いきっかけです。

e-kawasima (1)
川島町の専立寺の東の脇道を山中に登っていきます。

駐車場は専立寺さんの駐車場をお借りいたしました。
城址への道はお寺の向かって左の脇道がわかりやすいです。
ゆるやかな細道を林に向かって歩いていきます。

e-kawasima (2) 歩いてゆくと獣除けのゲートが現れました。

かんぬきを通行の度に元通りに施閂する、というマナー条件で先に進みます。
進むとすぐにまた動物除けの電気柵が巡っていますので、これも大股で越えて行きます。
・・このあたり、なんとなく城の防御ラインに入ったような錯覚を受けるのです。

e-kawasima (6)
・・?、左側に何か立ってる。・・墓石かな?

e-kawasima (3)墓石に非ず、川島城城址石碑でありました!w(゚o゚)w

辺りは普通の地山そのもので、城を構えるような地形には見えません。
若干の段が見られますが、この付近が本当に城址なのでしょうか?
辺りは草が生い茂り、これといった遺構も確認できませんでした。(残念)

e-kawasima (5) 石碑裏面。

e-kawasima (4)
なんとなく確認できた唯一の遺構の土塁と堀?(それも自信ナシ・・)

地形的には山城というより、山麓居館の体裁です。
城の範囲も特定できず、これといって認識できる遺構が見つけられません。
おそらく背後の尾根山頂部に詰めの施設があったものかもしれませんが・・。

時間的な制約もあり、背後の山には踏み込みませんでした。
・・でもこれで充分、撤退します。

実は景紀は同族の朝倉景鏡とは険悪の仲だったようです。
嫡男・景垙が大将の座を巡り景鏡と争った際、敗れて陣中で自害する、という異常事件が発生。
以後、両者は激しく対立し、席次を巡って争いを起こす始末でした。

朝倉宗滴、そして景紀、景垙の煮えたぎる武士の血は、次男の景恒へと受け継がれます。
朝倉景恒に関しては 越前・金ヶ崎城、天筒山城で触れています。

朝倉氏一門、敦賀郡司系に頑固一徹家風を感じました。

(それにしても景鏡クン、だからあなたは不人気なんだよな・・・)



越前 小丸城 🏯府中三人衆、佐々成政の居城

越前 小丸城 (福井県越前市五分市町) <県指定史跡>

府中三人衆の一人、佐々成政公の越前での赴任地を訪ねます。
自分は成政が男気に溢れた人物だと勝手にイメージしています。・・今でも。

信長軍団の黒母衣衆(筆頭格)として、戦い続けてきた姿。
信長の死後、秀吉に降った前田利家に対して戦いを挑む姿。
それでも諦めず家康との連携を図って真冬のアルプス越えを果たした姿。

敬愛して止まない佐々成政公はここ越前でどのような統治をしたのでしょうか?
越前での評判はどうだったんでしょうか?・・、小丸城の今は?・・。
・・そんな想いに応えてくれたのがこちら↓・・。

komarujyou (1)
いきなり、奥の手を出してきたようです。

小丸城が交通安全に一役買ってくれている姿に感動して笑い涙が・・。
このダジャレセンスに福井県人の高いレベルを感じます。(マジで)

komarujyou (9)
小丸城は平野部の小高い丘として本丸一帯が残っています。

komarujyou (4)最も大きく存在感のある石碑がこちら!そしてその他にもたくさんの碑が・・。

komarujyou (7) komarujyou (6)
komarujyou (5) komarujyou (3)

こんなに碑がいっぱいあって困るじょう!(小丸城)
・・↑こんなセンスでいかがでしょうか?(アウト!)
しかし、確かにありすぎじゃないでしょうか?しかも固めて設置してある・・。(勿体ない)

komarujyou (13)
本丸周囲は堀で囲まれていました。

天正3年(1575年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を置き、
越前府中に前田利家・佐々成政・不破光治を配置しました。(この説明3回目)
佐々成政は小丸城を築城、越中・富山へ移るまでの居城となりました。

komarujyou (11) 本丸の様子。

komarujyou (2)本丸主郭の虎口です。天板の巨石が印象的。穴門にもみえます。

komarujyou (8)
堀底は箱堀となり、幅が広いことが感じられます。

成政の在城年数は短かったため、どれだけの完成度に達したのかは不明です。
しかし、付近には「小丸」、「北小丸」をはじめ、「古城」、「御館」、「的場」、「鉄砲町」など
城郭関連の小字が残 っており、城郭が広範囲にわたって存在していたと推定されます。

成政公のことですから、占領国の城下町編成にも腐心したことでしょう。

交通ルールを守って次の城へと向かうのでありました。



越前 真柄館 🏯姉川合戦に散った北国無双の豪傑・真柄直隆の旧蹟

越前 真柄館 (福井県越前市上真柄町)

剛力、一振りごとに敵兵を撫で斬りにすること十人・・。
五尺三寸(約160センチ)の大太刀を水車のように振り回して戦う姿・・。
三国志でいう豪傑ばりの勇将らがかつて越前にもいたようです。

彼の名は北国越前の無双の豪傑、真柄十郎左衛門直隆です。
そして弟の直澄、嫡男の直基です。

自分にとってまだ小学生のころからずっと憧れている勇将です。
姉川合戦の講談風劇画で彼の戦う様子が描かれており、引き込まれてしまいましたね・・。
以来、某SLGの野望シリーズではついつい大抜擢してしまうキャラでもあります。

彼の故郷の近くまで来たので訪ねてみました。

makara (13)
真柄町交差点北口には直隆の碑がありました。

makara (1)北国の豪勇・真柄十郎左衛門直隆誕生の碑です。\(^o^)/
(真柄氏の館跡を示すものではありません)

直隆は越前の刀匠・千代鶴国安が鍛えたとされる五尺三寸(約160cm)もある大太刀・「太郎太刀」を愛用。
姉川の戦いでは「太郎太刀」を振り回し、戦ったとされています。
体格も立派であったようで、身長も2メートルを越え、体重も250kgという巨漢だったようです。

石碑も彼の体格に合わせたような巨大で立派な碑です。

makara (2)
石碑の裏には直隆の活躍振りが刻まれていました。

弟には真柄直澄、子には真柄直基がおり、いずれも豪傑揃いでした。
朝倉義景を頼って足利義昭が一乗谷を訪れた際も、その御前で大太刀を振り回したとされます。

makara (7)直隆らを弔うため建立された通称・「おこり地蔵尊」が通沿いにあり。

makara01.jpg

真柄氏は真柄荘の国人であり、独立性の高い国人衆であったとされています。
そのため朝倉氏に対しては、完全な家臣というわけではなく、被官臣従の立場にありました。
どうやら館の位置の特定は不明なようです。

makara (14)
トミヨが生息する美しい川、治佐川がすぐ近くを流れます。

makara (5) makara (6)
ここでも名水といわれる井戸水をご賞味。バイガモの花が可愛らしく咲いていましたね。

近くには真柄直隆らの菩提寺もあるとの事で参拝してまいりました。

makara (15)
真柄十郎左衛門の墓がある興禅寺にやってきました。

makara (8) makara (12)

makara (10)墓前に大下駄が置かれている真柄直隆らのお墓に手を合わせます。

まさかこのサイズの下駄を履いていた、なんてことは・・。ないですよね・・。
でも意外とそうかもしれません、なんせ2メートルの250kgの巨躯ですからねぇ!

makara (9) makara (11)

姉川の戦いでは朝倉・浅井両軍は次第に打ち崩され、敗走を始めます。
直隆らは味方の撤退を助けるために、徳川軍の前に立ち塞がり、突撃!
12段構えの陣を8段まで突き破る大奮闘を見せました。

だがついに力尽き、徳川方の匂坂三兄弟との戦いで死を覚悟。
「この首を取って武功とせよ」と告げ、敵に自身の首を献上して果てたそうです。

makara (3)
近所にある「越前そばの里」で食事休憩をとりました。

超・真面目に真柄館周辺を散策したせいか、お腹がかなり減りました。
すぐそばに越前そばの里があり、ここで美味しいお蕎麦を大盛でいただきました。
蕎麦の手打ち体験や工場見学もできるようです。(また今度ですがね)


姉川合戦、朝倉方のヒーローともいえる直隆公の旧蹟を訪ねることができ
そして、美味しいお蕎麦もたらふく堪能できて、大満足になるのでした。
憧れの武将の旧蹟を訪ねる、実にいいものですね(*^_^*)!

直隆が使用した太郎太刀は、愛知県名古屋市の熱田神宮宝物館に奉納されています。
(直隆の太郎太刀は白山比咩神社にあるものがそうである、ともいわれています。)
刀身221.5cm、重さ4.5kgもあり、「5尺3寸(約160㎝)」よりもはるかに長いです!

また弟・直澄の次郎太刀も熱田神宮に奉納されているそうです。
そして嫡男・直基も4尺3寸(約130cm)の太刀を振るって父が討たれた後、敵中に引き返し、
青木一重らの郎党を討ち果たし、血まみれになりながら絶命するのでした。

真柄兄弟親子の身を呈した壮絶な討ち死は撤退する朝倉軍における中での
強烈なハイライトシーンとして今なお語り継がれています。


真柄直隆公出生地の碑の場所を示します。

越前 府中城 🏯府中三人衆の一人、前田利家の赴任城

越前 府中城 (福井県越前市府中1丁目)

府中三人衆のそれぞれの赴任した城を訪ねるのも一興ですね。
今回は前田利家が居城とした府中城を訪ねます。
・・やはり夏は平城めぐりがダメージも少なく能率よく回れますね・・。(汗)

e-futyuu (2)かつての府中城の存在を示した石碑。

石碑には「越府城」と刻まれていますね。
かつて越前の国府がここ府中にあったことからの由縁です。
文明年間(1469年~1487年)にはすでに朝倉氏の府中奉行所があったとのこと。

e-futyuu (1)
NHKの大河ドラマ「利家とまつ」で観光地のスポットとして注目をされた跡です。

ところで、あくまで自分の記憶の中での話ですが・・
三大「夫婦二人三脚・戦国大河」シリーズをあげるとしたなら、この3部作。

「おんな太閤記」 (1981)昭和56年の・・ねねと秀吉
「功名が辻」 (2006)平成18年の・・・千代と一豊
そして「利家と待つ~加賀百万石物語」 (2002)平成14年の・・まつと利家

「利家とまつ」はトレンディ・ドラマの配役をそのまま大河に引っ張り込んだキャストが大うけ?
自分も毎週欠かさず見ていた記憶がございます。(もちろん奥方と・・)
3部作とも若い頃からの苦楽を共にする姿が印象的です。(みんな尾張出身者ですが・・)

e-futyuu (3)
結城秀康の付家老、本多富正公の碑。

天正3年(1575年)越前を再び平定した織田信長は北庄城に柴田勝家を置き
越前府中に前田利家・佐々成政・不破光治柴田勝家の与力と目付として配属させます。
府中城には前田利家小丸城には佐々成政、龍門寺城に不破光治が入り合わせて十万石を領します。

前田利家は天正9年(1581年)能登国七尾へ移るまでここに居城しました。
天正13年(1585年)には木村重茲が十二万石を与えられ入城。
慶長4年(1599年)には隠居料として越前府中五万石が堀尾吉晴に与えられます。

慶長6年(1601年)結城秀康が越前・北庄城に入ると、
付家老の本多富正が府中城に入り、以後、本多氏が続いて明治に至りました。

e-futyuu (4) 越前市市役所の両脇に石碑。

遺構は全く残っていませんが、「かつての国府が市役所になっている」、という現況に納得。
なお、府中城の表門は、現在近くの正覚寺・新善光寺城跡地に移築されています。
城址をおまけに行けると思って訪ねてみることをお勧めいたします。



越前 新善光寺城 🏯府中城の移築門が残る城址

越前 新善光寺城 (福井県越前市京町2丁目・正覚寺) <市指定史跡>

府中城の門が移されて残っている、と聞いて楽しみにやってまいりました。
それがここ新善光寺城があった正覚寺です。
お寺の北西部の参拝者用駐車場をお借りしました。

sinnzennkouji (8)駐車場の目の前には城の説明版と土塁を示す標柱があります。

土塁、というよりわずかな土盛りといった残存状況です。
しかし、南北朝時代からの貴重な遺構です。
平城の遺構が部分的でも残っていること自体、奇跡に近い・・。

sinnzennkouji (7) sinnzennkouji (9)
僅かながら、寺の北と西側の墓地内に土塁が残存していました。

sinnzennkouji (1)

延元年間(1336年~1339年)越前国守護・足利高経は北朝方に属し、新善光寺城を拠点としました。
詳細は案内板のほうをどうぞ。(完全手抜きです)
正覚寺正面から境内に入ってみましょう。

sinnzennkouji (3)正覚寺の山門にはお寺と城址を示す石碑がどっしりしてます。

sinnzennkouji (12)府中城の表門を移築したものとされる、正覚寺の山門。

本多氏時代の府中城の表門、ということです。
石瓦の様子が丸岡城の瓦と似ていて戦国越前の城郭遺物としても希少ですね。
「笏谷石」と呼ばれる別名「越前青石」と呼ばれる加工しやすい石だそうです。

参考までに・・
柴田勝家によって築かれた北庄城の天守をはじめ櫓にもこの瓦が葺かれていたそうです。
雨に濡れると美しい青色に発色するのが笏谷石の特徴です。

sinnzennkouji (15)
当時の城門の下をくぐってみます。

年代を経ているため、傷みもみられますが補強手入れも施され、頑丈そうです。
府中の戦国文化財として、これからも大切にされることを願います。

sinnzennkouji (6)
弧を描くような川筋はかつての堀の名残でしょうか。

その美しい形を維持したままの護岸にも、景観への思いを感じました。




越前 金剛院城 🏯秀吉の従兄弟、青木一矩親子の居城

越前 金剛院城 (福井県越前市深草二丁目・金剛院)

金剛院城は豊臣家の武将・青木一矩(あおきかずのり)の居城として有名・・でもありません。
そもそも戦国武将・青木一矩があまり知られていないようです。
自分もここ、金剛院城を訪ねるまでは一矩の名は耳にはすれど、よくは知りませんでした。

まず、青木一矩は秀吉の従弟といわれているが有力です。
一矩の母・大恩院は秀吉の生母・大政所とは姉妹で、秀吉の叔母にあたります。
この点は福島正則の出生と共通しており、秀吉子飼いの武将の一人だったのです。

皆さんはご存知でしたでしょうか?
一夜漬けともいえる予備知識を得て現地へ赴きます。(汗)
「もっと知りたい」という方もお見えでしょうが、先へ進みます。(大汗!)

e-kongouin (2)
曹洞宗・金剛院さんの境内とその周辺が城址一帯となっています。

南側のお寺参拝用の駐車場をお借りいたしました。
「金剛院・城址」と書かれていますね~。
テンションあがりますね~。ヽ(≧∀≦)ノ

e-kongouin (8)正面の山門前には寺院と城址を兼ねた石碑がありますよ!

e-kongouin (4)
とても落ち着いた雰囲気の金剛院境内です。

e-kongouin (9)
案内板には青木氏居館のいわれも少し示されていました。

e-kongouin (5) e-kongouin (6)

境内の西側には土塁が一辺残っていましたので見学してきました。
土塁の高さは2メートルほど残り、よくわかります。
墓地になっている都合、写真のアングルはこのぐらいで・・。

e-kongouin (7)

柴田勝家時代には、佐々成政・不破光治・前田利家ら「府中三人衆」の領有した後
天正十三年には、木村常陸介を経て、青木一矩が八万石で大野から府中に入部します。

慶長3年(1598年)8月、秀吉の葬儀では従兄弟である福島正則と共に豊臣秀頼の名代を務めました。
秀吉の従兄弟、というのは事実なのでしょう。正則と二人、羽柴性を認められています。
そしてなかなかの忠義心と人格を持った人物であったとみられますね。

e-kongouin (1)
これ、かわいいですよね~!(*´~`*)

なんか我が家の3人の倅みたいに見えてきます。
ちょっと前までこんなんだったな~・・(懐)
体格はみんな今の奥方そっくりですが(大笑)‥失礼!

金剛院さん参拝の際はこちら、仲良し三地蔵もお訪ねしてくださいね。
 


 
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
   久太郎と申します。
   「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
皆様のおかげで開設以来5年目を迎えることができました。
(2016年4月6日開設)

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースを大切にして走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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