伊勢 三瀬館 🏯北畠具教公の隠棲地にして最期の館

伊勢 三瀬館 (三重県多気郡大台町上三瀬大戸地) <県指定史跡>

下三瀬城(三瀬砦)から北西へ800mほどの近くに三瀬館があります。
熊野街道沿いの山麓谷地形に階段状に構えられました。
顕著な防御施設などは見当たらない、まさに隠居地、といった感の館であったのでしょう。

miseyakata (1)
知名度は低いかもしれませんが、伊勢茶も有名なんです。

収穫した地域から大台茶、としても呼ばれています。
そんな茶畑の中に北畠神社の駐車場をお借りして、散策できます。

miseyakata (3)
三瀬館には歩いて数分で到着できます。

少し早いのか遅いのか?、紅葉がちょっときれいでした。
雨男がいうのもなんですが、晴れてたらもっときれいなんでしょう・・。
あ、・・いや、ここでは禁句でした(笑)。

miseyakata (4)角部は石垣で固められていて館城の雰囲気あります。

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館上段への石段が庭石のようで風情が感じられました。

miseyakata (5)三瀬館の石碑は雨と落ち葉でちょっと物悲しい・・。

三瀬館は元亀2年(1571年)北畠具教によって築かれました。
永禄12年(1569年)北畠具教は大河内城で織田信長と戦いますが、勝機なし、と感じたのでしょうか、
信長の次男、織田信雄を養子に迎えて家督を譲ることで和睦となりました。

出家した具教は天覚、と名乗り、後、不知斎、と号しました。

和睦して一旦は三瀬館に隠居した具教であったようです。
しかし、信長により一手一手と圧力を受け、勢力をそがれていきます。・・そして、
天正4年(1576年)11月織田信長は北畠氏の家臣らに具教を三瀬館にて殺害します。

miseyakata (6)
階段状に平坦地が続いています。

「ここに具教公がいたのかぁ・・」
想いにふけながらどんどん登って行くと・・

miseyakata (7)
砂防ダムに阻まれて、ちょっと現実の世界に引き戻されます。

「あ~、なんか興ざめしちゃうよな・・」と思いました・・。
・・が、よくよく考えてみれば砂防ダムを造るほどの急斜面が背後にあった、ということでしょう。
それはそれで立派な自然な防御施設に利用された、とも捉えられます。

miseyakata (8)
どこに館の中心部があり、具教公がおわしたのかは明らかではありません。

具教さん、どこにいたんだろうね?
城友・日向さんと「ここの段かな?」「いや、もちょっと下じゃない?」
・・などといろいろ妄想発言しながらの散策になりました(*^ ∇^*)。

剣豪でもあった具教公、どんな最期なのだったのでしょう。
塚原卜伝に剣術を学び、奥義である一の太刀を伝授されたほどです。
最期は織田の刺客相手に19人を斬り殺し、100人に手傷を負わせたとか・・。

なんとなく、足利義輝公の最期と場面が被るイメージです・・。
足利義輝二条城もよろしければご参考に・・)

miseyakata (2)
三瀬館址に咲いていた寒椿がとても愛らしかったです。


miseyakata (10)
続きまして、茶臼山見張台へと向かいました。



茶臼山砦

三瀬館には東西に砦となる茶臼山砦と八幡山砦があり、南には北畠具教の胴塚があります。
館址からすぐ近く、ということでコースが整備されている茶臼山砦に登ってみました。
・・なんだか雨も小降りになってまいりましたよ!

miseyakata (18)中央の小高い山が茶臼山砦です。

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雨の日はこういった整備されたコース道が有り難いです。
(雨の山城はやはりブーツが似合いますし、機能的です)

miseyakata (12)なかなかどうして、すごい堀切があります。(;゜0゜)

miseyakata (16)歴とした城郭遺構の茶臼山の案内板。

茶臼山は公園となっているが堀切を挟んで南北二郭の削平地が残っています。
八幡山は今回はパス、登っていませんが、平地があるのみ、だそうです。
それにしても、見張り台、とタカをくくっていたのでいい意味で期待を裏切られました。

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秋葉神社を祀る本丸の削平地。

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山頂からは先程の下三瀬城(三瀬砦)も見下ろせます。

miseyakata1.jpg本丸からは三瀬の集落が一望できます。

ベンチに座ってコーヒーでもいかがなものでしょう。
・・晴れてたらね・・。(だから、その言葉は禁句だってばさ!)
この後は、伊勢国司・北畠氏の本拠、霧山城へと向かいました。

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伊勢 下三瀬城 🏯見事な土塁に囲まれた方形主郭

伊勢 下三瀬城(三瀬砦)(三重県多気郡大台町下三瀬川之上)<県指定史跡>

五ヶ所城をあとにして次に向かったのは大台町の三瀬砦三瀬館です。
先月末の台風の影響でしょうか、所々での通行止めに悩まされました。
ルート変更をすると、とてつもなく大回りになってしまうのであります・・。

simomise (2)よく整備された土塁が残る三瀬砦に到着。

土塁の手前に数台停められる空き地がありますので、こちらに駐車できます。
三瀬砦は下三瀬城、三瀬左京館とも呼ばれています。
この地の豪族で北畠氏に仕えていた三瀬左京の居城とされています。

simomise (1)

この城の城主と伝えられる三瀬左京は永禄十二年(1569)伊勢に侵攻した織田信長と北畠氏が戦った大河内城合戦でも奮戦し、北畠具教が織田軍と和睦した際、当地西方の上三瀬・三瀬館に隠棲した時も三瀬館守護の支柱となったと伝えられています。

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高さ4メートル程の良好な土塁が見学できます。

simomise (3)三重県指定史跡にふさわしい石碑。

simomise (10)
理由があって鳥居を通れない身なので、土塁からカットインしていきます。

simomise (4)
平地の単郭方形館のように感じてしまうのですが・・、
先に進むにつれ三方を川に囲まれた要害の地の台上に位置していることがわかります。

simomise (8)
内部をくまなく歩く日向さん。

simomise (5)
井戸の址も見られました。・・ちょっとおぞましい感じで近寄れない・・。

simomise (7)
S字状の曲線を描く土塁も面白い画ですね。

土塁の厚みも2メートル程の歩ける厚みです。
良く手入れがされているので城館全体を把握しながら見学ができました。

simomise (6)歩みが止まるほどの美しい土塁でした。

城主の、一般的に築城者と伝わる三瀬左京ですが・・
一方で三瀬館に旧主・北畠具教を襲った刺客一人、長野左京進の城館との説もあります。
長野左京と三瀬左京は同一人物、との説もあり、この辺り、歴史の表と裏を感じます。

大台町には下三瀬羯鼓踊りという伝統行事があります。
元和元年(1615年)大阪夏の陣に出陣し討死した三瀬左京の供養に由来すると言われています。
彼は出陣にあたって、万一討死の際は屋敷を地区のものとして、供養して欲しい旨を残します。
現存の慶雲寺は三瀬左京の屋敷跡と伝えられています。

三瀬左京、果たして忠臣だったのか、逆臣だったのかはさておき。
常に故郷と民の将来を思い考えて、彼なりの正しい行動を選択した人物だったのでしょう。
忠逆、背中合わせの戦国時代を生きた、ということでしょう。

そして次は、北畠具教公、隠棲と最期の地、三瀬館を訪ねます。

伊勢 五ヶ所城 🏯目を見張る二重横堀に感動

伊勢 五ヶ所城 (三重県度会郡南伊勢町五ヶ所裏・城山) <県指定史跡>

あいにくの雨の中、伊勢に城見学に行ってまいりました。
どうやら、晴れを祈り過ぎて、「雨乞い」ととられたようです・・。
前日の天気予報ですでにテンションが⤵⤵下がる中、お構いなしの人物これあり。

延期を打診するも、断固たる決意の城友・日向さんからの出陣要請です。
「雨」には「雨」の良さがある、妙に説得力のある意見に軍議はまとまりました。
自分は良き相方に恵まれているようです。

そんな意欲的格言に応えるべく久太郎(今回当番)が計画した城は3つの城館。
まず最初は奥伊勢を代表する名城、五ヶ所城です。
雨ということで手短でしたがとても素晴らしい遺構に出会えました。

iseaisu (16)城山橋から望む五ヶ所城の城山。

車での橋の通行、ちょっと要注意です。
ゆっくりと進入していただければ普通車以下なら大丈夫でしょう。
愛洲の館・展示資料館の無料駐車場をお借りしました。(後ほど寄ります)

iseaisu (8)
「鍛錬の段」といわれる急階段を登って登城します。

いきなり、きっつい階段ですが、鍛える、と思って登りました。
相当な急勾配に無理くりつけた階段ですので、自分のペースで登ります。
珍しく日向さんがハイペースで登っていっちゃいました。
aisukun.jpg aisukun2.jpg
城址へは「あいすクン」が案内してくれます。

・・試合にでも勝ったのでしょうか?すごい飛び跳ね方です。
喜び方がハンパない少年剣士、「あいすクン」。
どことなく、我々の気持ちをぐっと掴む、何かを持っていますね。

iseaisu (15)
ふたたび、「あいすクン」です。仕事してます。

遺構が現れました。
おや、主郭を取り巻く腰郭かな?
日向さんと近づいてみると・・。

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主郭周囲を取り巻き巡る土塁と横堀でした。

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手入れが行き届き、土塁も横堀も見学しやすいです。

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本丸に到着しました。

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剣祖・愛洲移香斎生誕の地の碑が立っています。

剣豪の祖というべき愛洲移香斎久忠は、この地で出生したとのこと。
移香斎は、九州鵜戸の岩屋に立て籠もって剣の奥義を悟り、愛洲影流を創設します。
愛洲影流は、上泉伊勢守信綱により新陰流となり、さまざまな剣道の流派へと受け継がれます。
(後ほどもう少し詳しく・・)

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五ヶ所城は康永年間(1342年~1345年)に愛洲氏によって築かれたと云われます。
別名を愛洲城、と呼ばれ、南北朝時代は南朝方として北畠氏に属し北朝方と戦いました。
天正4年(1576年)田丸城主で北畠氏の養子となった織田信雄によって攻められ愛洲氏は滅亡します。

iseaisu (2)素晴らしい・・、隷書体で彫り込まれた文字に生命感を感じます。
(自分だけか・・)

iseaisu (11)主郭からみた二重横堀とそれぞれを画す大土塁です。

iseaisu (14)
土塁は厚みがあり、天端を歩行移動できたことがわかります。

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とても良く作り込まれた横堀が巡っています。

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土塁から本丸を見ます。場所によっては本丸と高さが同じかそれ以上あるように思えます。

一通り見学を終えたら、雨を避けるように愛洲の館に駆け込みました。
こちらの資料館、是非セットで見学したいものです。
剣祖・愛洲移香斎に関する剣道の歴史に関する展示や五ヶ所城の模型が見所です。

iseaisu (7)
愛洲移香斎ゆかりの刀をはじめ、開眼伝説、等々、ゆっくり見学できます。

資料館の館内の方がとても親切に説明してくださいました。(客が他にいなくて?)
剣術流派の系統紹介もとても勉強になりました。
新陰流となり上泉伊勢守信綱から、さまざまな剣道の流派へと受け継がれていきます。

柳生石舟斎 によって剣術の新陰流へと発達、
丸目長恵によって新陰流から創始されたタイ捨流(タイしゃりゅう)、
東郷重位によって薩摩藩を中心に伝わった古流剣術示現流(じげんりゅう)、
宝蔵院胤栄による十文字槍を使用した宝蔵院流槍術への影響、等々・・。
皆さんご存知の人物・流派ばかりではないでしょうか?

まさに剣術・兵法・武道の祖、といえるでしょう。
先程までイジッていたあの、「あいすクン」もきっと立派は剣士なのでしょう。
雨の日はゆっくりと資料館を見学するのもいいものです。

iseaisu (6)当時の城館の様子がとても精巧に作られ、いいですね~。(^ω^)

この模型は相方・日向さんもかなりお気に入りなご様子でした。
やはり、現地に行った後で確認の意味で見ると一層楽しめますね。
晴れた日は五ヶ所湾も近くに見えるようでしたが、今回はあいにくのお天気で×でした。

しかしまさに愛す(愛洲)べき歴史に触れる城館散策ができました。
・・こんなダジャレも雨に流していただいて、次の城へと向かうのでありました。

「雨には雨の良さがある」、・・本当ですね。

中野方ダム 一周1.1kmのダムジョギングはいかが?

中野方ダム (岐阜県恵那市中野方町笹葉) <木曽川水系中野方川>
形式:重力式コンクリートダム

抜けるような青空の中、家族とプチドライブにでかけました。
気持ちが塞ぎがちな自分を「気晴らしに」、と誘ってくれたのは奥方と三男でした。
母を喪って後事に追われている自分を息抜きに、と気遣ってくれたようです。

ありがたいことです。
いつもなら迷わず「○○城へ!」といきまくところですが・・
今回は少し控えてのんびりと落ち着ける景色でも見に行こうと思いまして。

・・ということでこんなときはダムですね。(笑)(控えてねぇじゃん・・)
・・そしてダムカードですね。(結局全開じゃん・・)

岐阜県内でも取りこぼしがちな位置にある中野方ダムを目指します。
途中にある恵那市の坂折地区によって棚田を見学していきました。

nakanodum (1)日本の棚田百選と岐阜の棚田21選に選ばれていいます。

「日本の棚田100選スタンプ帳」、とか「棚田カード」(笑)とかあったらな・・。
後世に残していくべき貴重な遺産なのであってもよさそうです。
自分だったら全国の名棚田を回ってみたいものです。

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なんだか心が癒されます。

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この先のはるか遠くに・・。

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今回のお目当ての中野方ダムが見えています。

・・なんとなく中国の城関を思わせるようにも見えます。
見えると余計と行きたくなりなりますね。
行ってみましょう!

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到着して駐車場、石碑がまずはお出迎えです。

nakanodum (26) nakanodum (27)
ダムは周囲が1周1.1kmの(中途半端!)のジョギングコースになっています。

nakanodum (12)
早速各々自分のペースで走ってみることに・・って・・。

ほとんど歩いているペースの奥方と三男。
ま、たまにはのんびりと歩いてみるのもダムの楽しみ方ですから・・。
奥に見える山は笠置山です。山々の姿を見ながら歩くのも気持ちいいい。

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ダム湖は小さいですが、波もなく、美しく、静かでした。

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2005年度に完成したまだ新しいダムで、コンクリートの白さが残っています。

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はるか遠くに先程までいた坂折の棚田が見えるはず・・(わかりませんが)

nakanodum (14)
前回の福井県大津呂ダム同様ダム軸に折れがみられます。

ダムの左岸の地質が脆い(もろい)ため、途中で”く”の字に曲げてあります。
地盤が強い場所に左岸側をつけることで強度を保っているわけです。
大津呂ダムとは別の理由のようです。

nakanodum (8)
1周のウォーキングをしたら事務所でダムカードをいただきました。
(別に歩かなくても貰えますからね)

nakanodum (17)帰りにダムの真下まで行けたので接近撮影してきました。

三男曰く、「・・なんかこのダム、ヒトがゲロしてるみたいだ・・。」(#゚Д゚#)
・・中学生らしい発言です、が、その感性は確かに真髄をついています。
ま、吐水口、というくらいですから。

nakanodum (18)それからはどう見てもヒトの顔に見えてしまうのでした(/ω\)。

引き笑いをしながらダムをあとにする親子でした。

nakanodum (15) 秋の日差しに淡くくすんだススキかな。

棚田に癒され、ダムを愉しみ、家族に感謝のプチドライブでした。

大津呂ダム 天端中央での折れがカッコいいっす

大津呂ダム (福井県大飯郡おおい町本郷) <佐分利川水系大津呂川>
形式:重力式コンクリートダム

若狭にて城三昧と思いきや、ダムもしっかり見学です。
若狭国にてダムカードを配布している唯一のダム、大津呂ダムへ行ってきました。
若狭は海岸線と山脈との間が狭いため、ダムが少ない地域です。

ooturodum (1)
よくありがちなゲートの開閉はセルフにて。

一瞬、「しまった!今日は休みか?」といった感じです。
・・たぶん訪れる人、少ないいんだろうな・・。

ooturodum (6)
平成24年竣工、とあるように、まだ新しいダムです。

ooturodum (3)ダム軸が中央で折れている独特の堤体が特徴です。

当初の設計ではダム軸が直線でしたが、左岸側で上流側に折り曲げることに。
これにより、堤体積と掘削量の大幅な低減を図ることに成功しました。
造成アバットメント工法、というそうです。

ooturodum (2)確かに中央で折れが入り、横矢掛けが・・、ちょっとカッコいいです。

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減勢工を見下ろします。

ooturodum (4)

ゲートレスですが、吐水口が大きくないのも安定した貯水量が見込まれるからでしょう。
まだ真新しい中に最新の中型ダム技術が活かされていました。

ooturodumk.jpg
カードを頂いてにんまり顔になるのでした(∩^Д^∩)。

若狭 熊川城 🏯尾根に連なる連続棚郭が面白い

若狭 熊川城 (福井県三方上中郡若狭町熊川)

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その7】
-沼田氏居城・熊川城を訪ねて-

kumakawa (11)熊川宿の中心部を押さえる位置にある熊川城。

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熊川宿の美しい街並み。(たまたま誰もいなくなったところを撮影!)

熊川宿は江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄しました。
旧街道に沿って水量豊かな水路が流れ、歴史的景観を残しています。
古い建築物を活用した観光地としてとても賑わっています。

kumakawa (2)
白石神社の本殿から左手の山道を登っていきます。

kumakawa (1)
案内標識を横目に登っていきます。

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神社の湧き水による池がきれいでした。

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kumakawa (8)
可愛らしいイモリちゃんたちが気持ちよさそう( ^o^)

最近はあまり見かけなくなりました。
城の見学に来たのですが、元来生き物が大好きなのです。
ここで見入ってしまい時間がなくなってしまいました・・。

kumakawa (6)尾根先端部より棚郭が直線的に主郭まで続きます。

比高がそれほどないのですぐに登れます。
ただ、途中の登り道がかなり急ですので前傾姿勢の維持が辛いかも・・。
途中で現れる巨木たちが迎えてくれます。

kumakawa (3)主郭に到着。奥には一段高い櫓台があります。

沼田氏は上野国沼田の沼田氏の一族で、鎌倉期より勢力があったとされます。
築城は沼田弥七郎統兼あるいは沼田勘解由左衛門清延とされます。
永禄十二年(1562年)に瓜生城の松宮玄蕃に攻められ城は落城。
この後、城は松宮氏の支城とされたようです。

kumakawa (5)本丸に立つ熊川城の案内図です。

縄張り図がありますので拡大しておきます。

kumakawa (4)

段々畑のように連なる郭がほぼ同じ規格の広さで段差も同じです。
背後の尾根には堀切が図示されていますが藪が酷くて未確認です。
これが地元美濃の城なら、ヤブ漕ぎしてでも入るのですが・・。(根性なし)

元亀元年の越前攻めで織田信長はここ熊川にて宿をとりました。
麓の得法寺には信長に従軍した徳川家康が宿泊したようです。
「家康腰掛の松」が存在してます。写真は撮り忘れました・・。

熊川城は若狭の中世土豪の城の姿をよく遺していますね。

前回の若狭・石山城は記事がほぼバス停の案内内容になってしまいました・・。
そんな不甲斐ない前記事の挽回に値する記事にしよう、と思っていたのですが・・。
結局、後で「やっぱり堀切を確認しに行けばよかった・・」と後悔しきりです。(素材がない・・)

次の予定のダムカードの配布時間が気になってしまい、もっとじっくり見学したかった・・(ノ_<)。
あと、イモリに吸い込まれすぎましたか(笑)。
(結局言い訳で~す)

若狭 石山城 🏯若狭武田氏四老・武藤氏の居城

若狭 石山城 (福井県大飯郡おおい町石山)

【若狭武田氏と被官国人衆の城址を訪ねて・その6】
-武藤氏居城・石山城を訪ねて-

若狭武田氏四老、と呼ばれる四人の家老衆の居城をめぐっています。
これまで見学できた城は3つ。

粟屋越中守勝久国吉城
内藤筑前守重政天ヶ城
逸見駿河守昌経高浜城

そして四老の内、残る1人、武藤上野介友益の居城(と伝わる)石山城を目指します。

w-isiyama (1)石山城は街道を見下ろす丘陵上に築かれています。

友益は周辺の佐分利郷十七カ村を領し「佐分利殿」と称された有力在地国人でした。
信長による元亀元年(1570)の越前攻めは当初、この武藤氏を攻める、という名目での出馬でした。
途中で馬首を越前に転じての越前攻めとなった話しは有名ですね。

・・一体、武藤のともちゃんは信長に付け入れられる何をしでかしたのでしょうか?
大変興味があるところではございます・・。

w-isiyama (2)
おや?バス停に説明版?見つけれた自分は超ラッキーかも!(*´∇`)

w-isiyama (4)
なかなか詳しい説明版なので、どアップして掲載します。

四老といっても決して一枚岩ではなかった若狭武田氏家臣団。
それぞれの独立色が強く、主従関係はおろか、家臣団同士でのいさかいも多かったようで。
その辺が信長に突っ込まれる隙となったのでしょうね・・。

w-isiyama (3)
石山城は目の前!、さ、行きましょう・・と思っていたら・・。

地元の方に登り口を聞いたところ、
「この時期は入れませんわ」との一言。
詳しくは聞きませんでしたが、おそらく茸山なのでしょう。

・・ということでまさかの未踏記事になってしまいました。
本当にすみません・・。笑って許していただきたいものです。
時期をみてまたの機会とさせていただきます。(必ず行きますから!)

引っ張った末のこの結末、某深夜TV番組の無意味なダマシ編集の如きです。
やじられても甘んじてお受けいたしますが、その代わりと言ってはなんですが・・、
別の山城を訪ねる時間ができたので、行って来ました。

次回はそちらの記事を紹介して、今回分を「チャラにしてしまおう作戦」をとります。
いえ、・・取らさせていただきます。はい。

今を受け止め、今を楽しむ。

11月28日の土曜日。それは突然すぎる出来事でした。

自宅にて「明日はフルマラソン」、と準備を万全に整えていたその時でした。

母が亡くなりました。享年70歳でした。

母の死を受容することはできても、受け止め方がすぐにはわからないのです。

自分がお城に夢中になっている姿を、ランニングを日課としている姿を
半ば呆れ顔で、半ば羨望の眼差しでずっと見守ってくれていた母でした。

いつの事でしたか、家族で苗木城へ行った時のことです。
苗木城の古城感に触れて、「あなたが城に夢中になる理由がわかるわー!(笑)」
と心から嬉しそうでしたね。私も嬉しかったです。

今は、お安らかに・・。

しばらくは記事の更新も控えよう、とも考えました。
しかし、自分はまだまだ生きていきたいし、生きなければいけません。
生きていく以上、その時その時を大切に、そして、楽しむ。

「今」を楽しむことで生きていることを実感していきたい、と思うのです。

自分のために開設した本ブログではございましたが、
ほんの少しの方々にでも目にとめていただいていることに大変感謝しております。
そして、更なる意欲と情熱、元気をいただいております。

喪失感も大切なココロの一部と受け入れ、味わい、付き合いながらの人生です。

ご心配をいただいた方々はじめ、読んでいただいた皆様に厚く御礼申し上げあげたいと存じます。
母に産んでいただいたことに感謝し、今後とも妙に熱い記事を更新していきたい、と思います。
よろしくお願い申し上げます。

久太郎より
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで、開設以来、3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

24時間戦えますよ
今年のゴールデンウィークはなんとか2日のお休みが取れました!
一日は久しぶりに家族全員にて本格アスレチックとテニスで汗を流しました。
もう一日は弟クンと丹波地方へ城めぐりに行けました。
渋滞を避けるため前日の夜から出発し、現地では早朝から山城を立て続けで攻め登ります。
4つの山城と2つの平城の見学をして帰宅したのは深夜12時。
次の日はいたる所が2日分の筋肉痛・・。
24時間戦えますか?と聞かれたら・・。
城のためなら(なんとか)戦える久太郎でありました。
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