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北信濃 松代城(海津城) 🏯戦国北信濃の触発拠点と真田氏の気風

北信濃 松代城(海津城) (長野県長野市松代町松代) 《国指定史跡》

今回の北信濃の城めぐりでの〆の城となります、松代城を訪問しました。
中世は海津城として川中島の戦いの舞台ともなった北信の最重要拠点です。
また近世では松代城として幕末まで真田氏の居城として存続しました。

kaizu (2)前橋と橋詰門を渡って城内へ入っていきます。

屋根が瓦ではなく、栩葺(とちぶき)屋根で復元してあるのが良いです。
奥の太鼓門と手前の橋詰門とで内枡型を形成しています。
真田氏系の縄張りっぽいですね。

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二ノ丸土塁には二重の土塁が復元されています。

kaizu (18)太鼓門前橋、そして橋詰門です。

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おだやかな水面の内堀の様子。

kaizu (7)在りし日の松代城はこんな様子でした。

永禄3年(1560)、武田信玄の命で山本勘助により築かれ完成しました。・・らしいです。
武田氏が滅亡すると、織田信長の部将・森長可が入城。
本能寺の変により森長可が美濃・兼山城へ退くと、上杉景勝の支配する所となります。
景勝が会津に移封となると、豊臣秀吉の蔵入地となり、後に田丸直昌が入城します。
慶長5年(1600)、直昌は美濃岩村城へ移封となり、代わって美濃・兼山城より森忠政が入城。

慶長8年(1603)、森忠政が美作国津山に移封となり、松平忠輝の所領となり城代が置かれ後、
松平氏、酒井氏、そして元和8年(1622)真田信之が上田より十万石で入部し明治に至るのです。
・・めまぐるしく武田、織田、上杉、豊臣、徳川、と戦国列強たちの奪い合いの地となりました。

kaizu (16)太鼓門を見上げます。切妻造の存在感ある建築物です。

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日向さん、埋門も通ってみましょうか。

トンネル状に造られているのは、緊急時に埋めることができる門、ということです。
身長が178センチ以上あれば頭をぶつけます!要注意!
(久太郎、惜しくも175センチ、背伸びしてわざとぶつかる・・)

kaizu (4)戌亥隅櫓台にやってきました。・・いいですね・・。

kaizu1.jpg天守台相当の規模をもつ櫓台です。(天守台だと思っていました・・)

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野面積で積まれ、隅角部が算木積で組まれています。安定感を感じます。

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北不明(きたあかず)門の外桝形部へと入っていきます。

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北不明門も復元されています。

櫓門の上の部分が両側の石垣から解放された自立式の形式です。
この形式は意外と珍しいものです。

kaizu (13)本丸に建つ海津城の石碑が硯のような表面でいいです~(*´~`*)。

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隅櫓からの二ノ丸を眺めます。

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隅櫓から延びる土塁。

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東不明門址を通り、二ノ丸へと木橋を渡ります。

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高い土塁で囲まれた二ノ丸は芝生広場として憩いの場所になっています。

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石場門址付近では土塁から転がり落ちる、お笑い担当の三男クンにマジ笑う。

斜面を勢いよく転がり落ちる様に土塁の威力を見せつけられた気がしました(笑)。
このように松代城は基本的には幕末まで築城時の伝統遺構を残していくのです。
本丸が近世的な姿に変貌した一方で、二の丸、三の丸には土塁や丸馬出が残ります。

ここに武田氏時代からの海津城の面影が想像できましょうし、
また真田氏における天守を上げない等の保身の姿も垣間見えたりもします。
そして新旧融合の姿が発掘調査を経てここに甦っているようでした。

松代城は真田の命脈を守り続けた城、であったのかもしれませんね。

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北信濃 荒砥城 🏯中世戦国城郭のイメージを体感

北信濃 荒砥城 (長野県千曲市上山田・城山史跡公園)   <市指定史跡>

葛尾城から下山してから向かったのがこちらの荒砥城です。
葛尾城からは結構近くにありますし、温泉観光地の一環として整備されています。
戦国期の山城を模した建物や櫓が並ぶなど、本格的に復元されているのがウリです。

aratoj (3)大河ドラマなどではロケ地にもなり、度々見た覚えのある景色です。

若干、やりすぎ感は否めませんが戦国期の山城というのをイメージしやすいです。
こうした模擬建物などのおかげで、ある程度の中世山城の雰囲気は充分に味わえます。
・・メンテナンス、大変なんじゃないでしょうか?(余計な心配をしてみたりする)

aratoj (5)荒砥城の立派な石碑は入口にあります。

入城料は大人は300円で、中学生以下は無料でした。
こちらの訪問も今回で3回目です。
・・わりとお決まりコースなのかもしれません・・。

荒砥城は村上氏の一族の山田氏の持城であったと考えられています。
武田信玄によって葛尾城の村上義清が追われた後、武田氏に降った屋代正国の城となります。

天正10年(1582)本能寺の変により織田信長が倒れると、越後の上杉景勝が川中島を接収。
景勝は海津城代として山浦景清(村上義清の子)、副将として屋代秀正を置きます。
しかし天正11年(1583)屋代秀正は上杉氏を離反して徳川家康に寝返り、荒砥城に籠城します。
景勝はすぐさま荒砥城を攻め、屋代秀正を追い出します。

aratoj (1)賛否両論のこの石垣、あまり近くで見ない方がいいかも・・。

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あくまでイメージで、という意味での虎口ですが、個人的にはカッコいいと思います。

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建物の大きさや構造は時代考証に沿っているといえましょう。

aratoj (9)冠木門や長屋の再現もさることながら、柵の打ち込みパターンも本格的。

これほどの復元事業でも感想は様々で、やや二極化してしまう厳しさもあります。
「中世城郭の雰囲気があって面白い!」という素直な意見もあれば、
「貴重な史跡に暴走気味な施設がちょっと・・」という一理な意見もあるでしょう。

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雰囲気が伝われば楽しい場所です。

ここではあまり詮索しずに目で楽しんでみることが大切だと思います。
実戦的な山城はこんな風なんだ、という迫力を感じることに意味があると思うのです。
公園化は城跡整備と観光活用との両立が難しい中、ある一定レベルに達した好例といえましょう。

aratoj (10)葛尾城とその支城網が綺麗に見えました。

aratoj (4)当時のものか、と思われる石垣もちゃんと残存していますよ。

北信濃 葛尾城 🏯北信の雄、村上義清の本拠城

北信濃 葛尾城 (長野県埴科郡坂城町坂城・戸倉町磯部) <県指定史跡>

今年の「城納め」と称し城友である日向さんと北信濃へとやってきました。
お互い年末の忙しくなるであろう前のこの時期、恒例行事となってまいりました。
気になる天気も予報以上の好天気に恵まれました。

・・さて唐突ですが、信濃の戦国大名、というと皆さんは誰を思い浮かべるのでしょう?
真田という方も見えれば、いや小笠原でしょ、とか諏訪氏だ木曽氏だと代表格不在の地域では?。
武田信玄に併呑されるまでは地方ごとに一円支配をした小大名が割拠している状況でしたね。

今回訪れた葛尾城は北信濃最大級の領国としていた村上義清の居城です。
(何を隠そう、自分は北が村上義清派、南が木曽義康派でございます・・)

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katuraoj (4)麓から見ても肉眼で深い堀切や曲輪が確認できます。
(電線がかぶってしまいました・・(ノ_<))

今回の訪城は実は3回目なので過去の思い出も織り交ぜながら書いてみました。
最初は弟クンと、2回目は家族で、そして今回は日向さんと、との訪問です。
ん?・・最初の弟クンとの写真、残ってないな~。(見つけられないので先へ進みます!)


葛尾城への道のり・林道コース編(今回のコース)

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日向さんのジムニーにてダート林道から尾根筋まで登れます。

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割と整備されていますが、道路際が結構狭いので、やはり軽4駆がいいですね。

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案内板のある駐車場まで行けます。

katuraoj (29)縄張り図付きの説明版で遺構部を確認していきます。

「信州稀代の名将、村上義清!」
オラが地元の英雄だべさ!感がいいですね。かつてはこんな幟もたなびいてましたヨ。

自分も高校生の時、新聞で連載されていた「信濃戦雲録」という小説を楽しみに読んでいました。
そこに登場した村上義清は匹夫の勇でなく、実に戦の駆け引きに優れた統率者でした。
以来、ずっと憧れの名将でもあります。

村上義清の魅力とは何でしょう。
やはり正面から武田軍に戦いを挑み、二度にわたり武田晴信の軍を撃退したことでしょう。
武田信玄が生涯で最も手こずった敵は、上杉謙信より義清、ともいえましょうか。

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木の葉が落ちてとても見学しやすい状況になってました。

・・こころなしか、いや、確実に少しスリムになった日向さんです。
山城歩きの影響でしょうか?、それとも通常激務のお仕事のためでしょうか?
山城歩きは体調管理にもとてもいい趣味だと(個人的に)思うのです。

katuraoj (8)しばらく歩くと櫓台でしょうか、石垣に囲まれた小曲輪に到着します。

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積み方はいかにも適当そうですが、なんとも味があります。

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大堀切が待ち構えています。それもコブが2つ見える連続大堀切でしょう。

狭い馬の背状の尾根筋に幾つもの堀切が切られています。
しかも左右に竪堀となって落ちていきます。
ここまで周到にされると進入不可能!、回り込みも不可能!です。

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主郭に近づくほど、堀幅も大きく高低差も大きくなっていきます。

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本丸の背後の2条は特に深く、巨大彫刻刀で削り取ったようです。

katuraoj (22)このような階段が付けられており、とても助かります。

まず普通に登ることは困難な斜度ですので非常に有り難いです。
いたずらに登れば遺構を崩してしまうことになります。良心的ですね。
これなら足腰の弱い方でも気軽に見学ができる、というものです。

katuraoj (10)今回、心を奪われた溜息がでるような堀切がこちら(*´~`*)でした。

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そして、本丸に到着しました。

katuraoj (11)石板タイプの石碑に思わず腰を屈め、目線を合わせます。

山頂の本丸はそれほどの広さはありませんが、尾根状には幾重にも重なった堀切と小曲輪を配置。
それが葛尾城を巨大城郭に築き上げています。
しかも、ここからの眺望は周辺の支城網の点在も確認でき、まさに本城にふさわしい立地です。

千曲川沿いと城下の北国街道を直下に見下ろすことができます。

katuraoj (12)こちら戸倉町・更埴市方面は北アルプスの山々も望めます。

katuraoj (13)千曲川の川面が眩しい上田方面です。

日向さんと頂上のベンチで景色をみながらのクルミパンと缶コーヒー・・。
応えられない至福の時空。


葛尾城への道のり・遊歩道コース編(前回のコース)

葛尾城はもちろん、麓からの遊歩道も整備されています。
坂城神社から登るコースはかなり厳しいですが、城の要害性を体感したいのなら・・。
断然、おススメですよ。(所要時間は見学時間を合わせて2時間ほどです)

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家族でパレード登山に挑戦しました。

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落ち葉と砂地の山肌は「3歩進んで2歩下がる」、・・要害です。

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途中、何度も息を整えての登頂ですが、子供たち、歩くのはえぇ~。

katuraoj (15)1 katuraoj (27)1
これが最後の坂。前回は子供達が先に行って待ってましたね~。

katuraoj (17)良きアングルにて本丸を下の曲輪から見上げる。(手前の真剣野郎は日向さん)

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南の尾根延長先は姫城へと続くルートになります。

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斜面がきつく、途中まで行って引き返した根性薄の我々でした・・。

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そうそう、林道からのルートには電話ボックスを利用した縄張り図のチラシが置いてあります。

こうして何度も足を運べるのも日向さんの飽くなき情熱のおかげです。
そして奥方、子供達、よくぞここまで付いてきてくれたものです。(改めて登るの大変でした)
ちなみに、葛尾城の縄張り図は今でも彼の学習机のマットに挟まれ大事にされてます。

katuraoj (30)麓には村上氏の居館跡もあり、訪ねてみました。

そりゃ、そうですよね、あんな高い山上で生活しませんもんね。
普段の生活・政務はこちらで行われていたことでしょう。
冒頭でも少し触れましたが村上義清武田信玄との戦いについてごくごく簡単に・・。

一度目の戦いは上田原の戦いで、義清が攻め時をよく心得、武田軍に圧勝します。
村上義清の戦場での駆け引きもさることながら戦闘能力の高さも見逃せないものがありました。
「諏訪とは違うのだよ!、諏訪とは!!」なんてどこかの大尉のセリフが似合います。

二度目は砥石城の戦いで、武田軍は義清が守る砥石城を攻めるものの、惨敗。
撤退する武田軍に対する義清の激しい追撃戦に武田軍は相当な被害が出ました。
後、真田幸隆が策略を用いて城を乗っ取り、義清は上杉謙信を頼って越後へと逃れます。

katuraoj (32)麓には義清公の墓所もあります。

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その後、上杉謙信武田信玄の川中島の戦いが繰り返されることになるわけです・・。
信玄としてみたら謙信をを引っ張り出してきたのは村上義清なのですから、厄介ですね。
義清にとっても最も憎い相手は武田信玄ですが小細工は使わず、常に真正面から対峙する。

そんな義清の潔さが我々の心を掴んで離さないのではないでしょうか。

支城網を整備・駆使して対抗する姿もなかなかの差配力があります。
あいつぐ部将の離反によってもろくも崩れたりはしましたが、
義清は事態の不利を早期に察知して、越後へ逃亡して、建て直しに心血を注ぎます。

義清への思い入れの分、そして何回かの楽しい訪城の分記事が長くなってしまいました。
機会があったら次回は各支城にも足を運びたいものです。
マウスロールしていただいた方々、ありがとうございました!

大井ダム ダム湖の遊覧船めぐりも楽しめる偉大なダム

大井ダム (岐阜県恵那市大井町奥戸) <木曽川水系木曽川>
形式:重力式コンクリートダム

前回、坂折の棚田と中野方ダムを見学した続きの記事になります。
午後からは恵那峡遊覧船で周遊して大井ダムへ寄ってきました。

実は奥方、懸賞応募当選で恵那峡遊覧船無料券を密かにゲットしていたのです!
当てた本人も「忘れてた」らしく、危うく紙切れになるところを有効利用という訳です。
・・ですので、「ランチはパパご馳走してね」って・・

なんでしょう、このヤラレタ感は・・。(ま、いっか・・)

ooidum (8)日本では帝釈川ダムに次ぐ、堤高50メートル超級のダムです。

ダム下流にかかる橋からみると、堤体真正面と相対できます。
横一列整然と居並ぶラジアルゲートの様相が超カッコいいです。
航空母艦の側面を見ているようなアーミーな印象も受けます。

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真横から見るとこんな感じで迫力あります。

ooidum (11) ooidum (12)
天端は狭いのですが、歩くのには非常に風情があります。

ooidum (9)大井ダムは大正13年に完成したわが国最初の発電用ダムです.。

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・・悔しいです!「あと3年生まれるのが早ければ」、なんて戦国武将いましたっけ。

大正時代に造られた歴史的建造物でもある堤体です。
ダムの至る所に古きよき時代のレトロチックな雰囲気が発見できて楽しい。
ここ木曽川に目をつけたのは、後に「日本の電力王」と渾名された福澤桃介です。

ooidum (2)21のラジアルゲートを数えながら歩いてみました。

慶應義塾大学創設者・福澤諭吉の養子であった桃介は、木曽川のダムによる水力発電を計画します。
建設は度重なる洪水による資材流出など困難を極めましたが苦難の末、完成。
この偉業は、当時世界のビッグ・プロジェクトの一つに数えられたそうです。

ooidum (13)ダムから大井発電所を見下ろします。

ダムに付設する大井発電所はダム式発電所としては日本で初めての例であるそうです。

ooidum (14)曲線と立体幾何学とのコラボが色んな色を織り交ぜ美しいのです。

ダム堤体下の岩場を固めた結果の芸術作品となっています。
鉄分を含んだ水や腐食を含んだ水の流れのあともうまくマッチしています。
最近は目新しいダムばかりを見てきているので、逆に新鮮な気分で見学できました。

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笠置ダム、丸山ダムへと続く木曽川下流方面。

さて、大井ダムによって誕生した人造湖による名勝・・。
それが遊覧船でのクルーズが愉しめる恵那峡めぐりです。
下流の丸山ダムによって出来た丸山蘇水湖と共に、飛騨木曽川国定公園に指定されています。

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遊覧船で1時間程度のクルーズが楽しめます。

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かつては深い峡谷だった恵那峡の静かな湖面です。

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運転席のすぐ後ろに座りましたが・・。

ちょっとしくじりました。お薦めは後部座席です(笑)。
前の座席は湖面を切って走る爽快感を味わえますが、船のフレームがやや邪魔です。
カメラで景色を狙うのならゆっくりフレーミングできる後部座席が断然有利です。
(カメラショットが少ない理由・・)

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奇岩・絶壁が湖の両岸にそびえ、春の桜や秋の紅葉の時期は特に絶景です。

両岸には屏風岩、蛙岩など数々の奇岩がそびえ立ち、自然の造形美が楽しめました。
三男はいたく感動したしようで、自分からカメラを奪って、パシャパシャ撮ってました。
ご興味のある方がいらしたら実際乗ってみて頂きたい、と思います。

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湖岸の散策も楽しめましたよ。

また何度でも来てみたい近くの名所、大井ダムと恵那峡めぐりでした。
ダムカード終了は心残りでしたが・・。

京都山城 将軍山城 🏯市街地近くで気軽なトレイル

京都山城 将軍山城 (京都府京都市左京区北白川清沢口町・瓜生山)

将軍山城は京都市中心部の東にある瓜生山(標高301m)に築かれた山城)です。
別名はいろいろあって、

北白川城(きたしらかわじょう)、とか
瓜生山城(うりょうさんじょう)、とか
勝軍地蔵山城(しょうぐんじぞうやまじょう)とか、いろいろあります。

個人的には、足利将軍ゆかりの城、ということでやはり「将軍山城」がピタッ、ときます。
今回は長男が通う大学祭にお呼ばれしましたので、学校見学を兼ねての上洛です。
奥方も楽しみにしてのお出掛けなので、機嫌を損ねないようにしないといけません。

大学祭がAM9:30から、ということでしょうか?、奥方が呟きます・・。
「・・その前に一つだけなら、城に行ってもいいよ。」
おおっ!、まさに、・・神の一言です。

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城への登城口は狸谷山(たぬきだにやま)不動院さんの階段手前からが便利です。

・・大きい声ではいえませんが、京都の寺院では珍しい無料駐車場です!
ま、ここを拠点での観光、というには不向きですのであくまでも城見学に関して。
・・大きい声ではいいませんが・・。(くでー)

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何の由来かは調べてませんが、七福神さんや、

syougun (19)
インスタ映えするような「いいね!」箇所もあります。

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240~250段ある石段をえっちらおっちら、と登って行きますと、

syougun (4)狸谷山不動院に到着します。

交通安全・厄よけ・ガン封じ祈願で有名な修験道の寺です。
宮本武蔵が心の剣を磨いたといわれる武蔵之滝があり、修行場としても信仰されました。
(今回は途中の道が崩落のため見学できませんでした)

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奥の院からの登山道から山頂へと向かいます。

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京都一周トレイルのコースとしても利用されており、整備されています。
(意外と人に出会うので安心します)

syougun (15)東側の箱空堀から見学。

堀幅がありますが、あまり高低差がないため気付きにくい遺構です。
全体的に高い切岸が見当たらず、はっきりとした遺構が掴みにくい城址ですね。
いつの間にどこから城域に入っていたのやら?という感じです。

syougun (16)中央にスロープ状になった土橋(っぽい)遺構もあります。

各曲輪の間も連絡意識が緩く、戦国期の城、としてはメリハリがみられません。
時代や戦乱ごとにパーツ改変されたせいでしょうか。
城域が広いため、滞在型陣城、としての規模として検討してみる価値もあります。

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頂上の本丸に到着しました。結構広く、東側の山並みを眺望できます。

syougun (7)以前、一度弟クンときたこともあり、懐かしい説明版でした。

syougun (6)説明は黄色枠内にお任せして・・。(ノ´▽`*)b

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本丸跡に建つ幸龍大権現の社、裏に回ると・・、

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元勝軍地蔵の石室があります。

将軍山城は当初、近江より上洛する際の前線基地としての役割をもっていました。
細川高国がこの城に陣を構え、その際戦勝を祈願して将軍地蔵を勧請したのが由来です。
その後、室町将軍足利義晴自身がこの城を大幅に改修します。

六角義賢軍や三好長慶軍との対陣にも利用され、元亀元年(1570年)には、明智光秀がこの城に入って数カ月延暦寺を牽制する等、京支配における存在意義が大きかった城郭であったことが理解できます。

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山中には谷をグラグラする橋で渡ったり・・、

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鎖を手繰ってよじ登っていくコースがあったりで楽しめます。

奥方も軽い一言のおかげでこんな目に遭うとは思いもしてなかったようです。
でも、「いい運動になって、面白かった!」、なんて、
一緒に山城を楽しんでくれましたんで、良かった!と思うのです。

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木々の隙間から見える京都の街並みがとても絶景でした。

この後、長男と大学祭にて合流。
彼は、サークル仲間たちと、たい焼き屋を出店して、頑張ってました。
久しぶりに学生気分に戻って楽しめた一日になりました。

伊勢 北畠氏館跡庭園 🏯三大武将庭園の一つ

伊勢 北畠氏館 (三重県一志郡美杉村下多気)
<北畠氏城館址・第2部  北畠氏居館跡庭園編> 《国指定名勝》 

霧山城を「霧山」と称した理由を、なんとなくわかったような気になり下山します。
自分はこの城が今年の城めぐりで一番印象に残りました。(まだ早い?)
山深いため「ちょっと行ってみようか」という場所ではございません。

・・それ故、山頂からの景色と遺構は忘れないように瞼の裏に焼き付けました。
日向さんのお誘い合っての心躍る、山城めぐりにただただ感謝です。
「雨には雨の良さがある」、何度も響いてくる、魔法の言葉です。

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パノラマフォトに夢中の日向さん、そこで落ちないようにね・・。

さて、下山はしたもののもう一つのお楽しみは居館跡の庭園鑑賞です。
日の入が短い上に雨上がりなので、暗くなる前に見学せねば・・。
しかし焦りは禁物です。お互いの感想を交わし合いながら、ゆっくりと・・。

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3時半過ぎでも、もう暗いのですね・・

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社務所にて300円を協力金として納めて見学します。

kiriyamataki (32)武家らしい素朴さに誇張のない自然派な魅力があります。

小高い築山を中心に巨石を用いた枯山水。
入りくんだ池の水も、霧山城ある西方面から谷水を引いていました。
当時からの変わらぬ姿を力強く伝えていますね。

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紅葉にはちと早かったようですが充分に愉しめました。

kiriyamataki (34)南朝奉護に尽力した北畠顕家公の銅像。

・・すみません、太平記を読んでいないので、薄っぺらな事しか存じません。
調べてみたらなんでも若くして父・親房に劣らない才覚の武将で戦いの人生だったようです。
これを機に南北朝の動乱を読み、また勉強したい、と思う次第デス・・。(逃げたな・・)

帰り道も山深く、あちらこちらで野生の鹿に遭遇。
普段は体験できない、冒険をしてきたような城めぐりでした。
なんでもまた年納めの城めぐりbyプロジェクト・オブ・日向ツアーが企画されているとか。

・・どうなるのか楽しみと不安が渦巻いております。
ということで、1部と2部、目を通して頂いて、ありがとうございました!
(2部の内容、薄っ!)

伊勢 霧山城 🏯立ち昇る雨霧に包まれた霧の山城

伊勢 霧山城 (三重県一志郡美杉村下多気) 《国指定史跡》
 北畠氏城館址・第1部  霧山城編 >

伊勢方面から国道368号線を通って美杉村を目指していきました。
しかし、「ここ本当に国道かね?」と心細くなるほど、狭~く、暗~い峠道もあります。
後続車はもとより、前方からのすれ違い車さえもありません・・。

同じ伊勢でもここ多気の地はかなり奥まった地域であることを実感します。
北畠氏による実に240年にも及んだ城歴、山々に囲まれた奥深い地形・・。
これがその答えの一つであったことを後ほど理解します。

kiriyamataki (1)北畠神社に車を停められます。

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こちらの神社を拠点に霧山城と北畠氏館址庭園を見学していきます。

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赤い橋を渡って左が霧山城コース、右が北畠神社と館址庭園コースです。

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先ずは井戸の脇から霧山城へと向かいました。

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どっからどう見てもハンタースタイル、城友・日向さんです・・。
(ハンターのみなさん!=そこのあなた方!)

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霧山城と北畠氏館との中間に位置する詰城からの眺め。

かつて城下には3500戸ほどの軒が建ち並んでいたそうです。
これは越前朝倉氏の一乗谷に匹敵する規模と言えましょう。
現代の景色からでは想像もつきません。

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霧山城へと続く尾根道は険しいですがとても見通しが良いです。

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「美杉村」、とはその名の通り。「タカスギ」のCMを思い出します。(古!)

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麓から20分ほどの登山でいよいよ主郭部に到着です。

・・山全体が霧に包まれた妖(あやかし)の雰囲気がなんとも臨場感あります。

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まずは鐘突堂の出丸を見学。

本来なら麓を眼下に見渡せるようですが・・アハハ、無理ですね(汗)
でもこの霧の雰囲気、まるでさっきから誰かに見られているような・・。
そう、風魔の霧風※に・・、なんてマニアネタなんでしょう。

※風魔の霧風とは・・車田正美さん原作の漫画「風魔の小次郎」に登場するキャラ。
          霧を自由に扱う風魔一族のひとり。
          必殺技は霧に身を隠し相手を翻弄する「風魔霧幻陣」。
          夜叉八将軍の雷電と闇鬼の二人を倒すという活躍を見せる。
          ・・どうでもいい・・。

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霧の中に映える紅葉、これが朽ちていく色だなんて・・信じられないほど美しい。

こここら深い霧のため主郭と逆方向の尾根道を辿ってしまいました。
2人して危うく霧の中で路頭に迷う所でした。・・冷や汗モンです。
・・「これが風魔霧幻陣の威力か」・・、(違います、って。)

kiriyamataki (14)
本来の主郭部へのルートを発見!、これこれ!

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主郭部の本丸が見えてきました。(なんだか妙に安心しました)

そこで自分たちを歓迎してくれたのが、このロケーションでした。

kiriyamataki (15)まるで大河ドラマのオープニング、もう狂気乱舞になってしまいました。
♪─O(≧∇≦)O─♪


自然が織りなす姿に胸をうたれます。これはきっとご褒美でしょうか。
日向さんと大興奮、「険しい道を迷いながらも登ってきてよかった!」
まさに一期一会の屏風図のよう。・・あれ?・・なんか涙が・・。

kiriyamataki (21)
そして高ぶる気持ちで遺構を見ていきました。これは堀切です。(まだ興奮してます)

先ずは本丸の一段下にある矢倉郭を見ていきます。
南北朝期からの特にテクニカルな技巧が見られる山城ではありません。
しかし、堀切、土塁、切岸、基本的な遺構が実によく残存しています。

kiriyamataki (19)大きな堀切から竪堀へと続くダイナミックな遺構。

kiriyamataki (22)矢倉郭全体を見渡します。L字型の土塁がはっきり確認できますね。

kiriyamataki (23)こちらは本丸の土塁上に立つ城址碑。石の形がいいですね~。(∩^Д^∩)

kiriyamataki (24)
続いて本丸へと上がります。

周囲を高い土塁で囲まれていたようです。
現代ではかなり土が流れ落ちていますが、当時は相当の高さがあったのでしょう。

kiriyamataki (26)厚みのある土塁から下は急斜面。真っ逆さまです。

kiriyamataki (29)
この切岸では到底登ることは不可能です。

今更ながら、城普請の最も基本的な防御施設、「切岸」の重要性を思い知らされます。

kiriyamataki (25)なんと贅沢。本丸にも趣ある城址碑があるではないですか。\(^o^)/

ここ霧山城は伊勢の城でも奈良の大和国との地縁が深い城郭です。
南朝の拠点、吉野と伊勢神宮への中間地点にあたります。
非常事態にはどちらにでも駆けつけることができた好位置にありました。

そして外部からの侵入に対しては経路のどこからでも相当の峠越えとなります。
これは現代に至っても変わりない天然の要害だったことを示しています。
麓の城下町を含めて、ここ多気の地は今も眠りについているようでした。

続けて第2部の北畠氏城館址・館址編へと続きます。
(ついてこれます?)

自己ベスト更新、恒例のたじみ健康マラソン

たじみ健康マラソン2017に出場

メイン会場:多治見市星ヶ台競技場及び周辺道路
平成29年12月3日(日) 10kmコース AM10:30スタート
参加人数:1425人(全種目合計)

絶好の天気の中、毎年恒例の多治見市開催のマラソン大会に出場しました。
自分は今回で9回(9年)連続出場になる、楽しみなマラソン大会です。
何故か、ここでは雨に降られたことがない、という相性の良さもあります・・。

tajimimara2017 (1)雪をかぶった御嶽山がはっきり、クッキリ見えました。

・・3年前はここから噴煙があがっていました。
あれから3年が経過しました。
今はただその美しい山容をいろいろな思いで感じ見るのです。

tajimimara2017 (3) tajimimara2017 (4)

今回はラン友・Y吉さんも、もちろん参加。
先週、大坂マラソンにてフルマラソンをサブ・フォーで完走しての凱旋です。
・・すごいです、着実にアスリートの道を歩んでいます。

tajimimara2017 (2)

自分は前回、自己ベストを更新できて42分32秒でした。
今回の目標はズバリ、41分台に乗る、です。
しかし、特別な練習はしてきておりませんでして・・。

tajimimara2017 (6)
ここを41分台で通過したい・・のです。

ただ去年と違うのは参加してきた大会の多さ。
あと毎月の平均走行距離が延びたこと、ぐらいです。
そしていつも自分を引っ張ってくれているY吉さんの熱い思い。かな?

Y吉さんと握手を交わし、お互いの健闘を祈ります。
めずらしくスタートライン先頭に並びます。
トラックの白線が手招きしているよう・・。

それでは、スタートです。

<序盤>スタート~3km

まずはロケットスタートです(笑)。
飛騨神岡では失敗したスタートでしたが最初の800mのみ、と割り切り、行きます。
そして急坂に入る手前で徐々にいつものペースに戻します。

結果この調節は成功、3:51/kmのラップは後々大きな貯金となりました。
登り坂もできるだけ4:20/kmをキープしながらの燃費走法で流していきます。
少し早いランナーさんに「引っ張られる」意識と相談しながら・・。

<中盤>3km~6km

アップダウンが一番激しい区間です。(みんなここが大・嫌・い)
登りは耐えて力を使い過ぎず、登り切ったところからのリカバリーに集中します。
下りも歩幅で稼ぐより、ピッチ走で巡行速度を安定していくことで取り戻します。

このあたり、力任せに走り切るよりはハイブリット走法が効を奏しました。
いつもよりダメージからの回復が早く感じられます。
我ながら戦略的だな、と、ほくそ笑んでしまいましたが、本当の勝負はこれからです。

<終盤>6km~9km

さて、林道コースへと入っていきます。
この区間はちょっとしたクロカンコース、同じペースで走るより
起伏を味方につけて下りでは引力を、上りは頂上を目指す喜びを、愉しみます。
(その時は決して愉しくなんかなく、余裕も無いのですが・・)

ここでもストライドは抑え、あくまで早いピッチで「前へ出る」意識を常に持ちます。
・・先程の美しい御嶽山が見えてきました!
あと、1km半!自分なりの走りの軌跡が見えてきました!

<ラスト・スパート>ラスト1km

競技場に戻ってきました、「なんだかイケそうな気がする」
そう思った瞬間、自分でも早めのラスト・スパートをもう駆けていました。
加速装置、点火!

今が狂宴の刻、
今が恰好つける刻、
今が己を越える刻、
うねりとなってゴールへ駆け込むべし!


tajimimara2017 (10)
念願の41分台!46秒(しろ)とはまたご愛嬌でした!

Y吉さんもたじみマラソンでは最高記録をたたき出しました。
Y吉さんの練習成果が反映されていく様は、素晴らしい、の一言です。
もちろん、当のご本人が一番嬉しそうで、こちらもその笑顔をみると嬉しいです。

tajimimara2017 (9)
・・という訳で、すみません、ドヤ顔してます。(未熟者め)

年内最後のレースを目標達成で終えられたことはとても満足でした。
ご一緒してきたY吉さんと今年のレースを振り返ってみます。
・・たくさん走ってきましたね。

来年も健康に留意してたくさん走り、駆けましょう!

プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

対馬にプチ出国してきました。
7月7・8日と対馬国境マラソンに出場しました。
かつてないほどの災害になろうことを予測しなかったわけではありません。
災害に遭われた方々や関係者様方の気持ちを想えば不愉快な内容になってしまうことばかりかもしれません。
未だ復旧の道筋が見えない中でも、どうか希望を捨てず一日を積み重ねて行っていただきたい、と思い久太郎も復旧ボランティアに参加する意を決心いたしました。
何ができるかわかりませんが、少しでもお力になりたい、と思います。
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