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対馬 池ノ屋形 🏯宗将盛居城と伝わる幻の城

対馬 池ノ城 (長崎県対馬市厳原町今屋敷・池神社)
国境の島・対馬の城郭めぐり その⑥  

今回の対馬の城めぐりも本稿でラストになります。
・・もし、1回目の金石城や対馬国境マラソンから目を通していただいている方が見えましたら・・
感無量この上ございません、少しは対馬の城や自然の魅力をお伝えできたのでしょうか??

「対馬へ行ってみたいな」、と少しでも思っていただけたなら嬉しいです。
自分も「いつか一度は行ってみたい」、と思った歴史ある島でした。
でも今では「いつかもう一度行ってみたい」、という気持ちでいっぱいです。

ikeyakata (8)
旅館から厳原の街中をぶらり散策してみました。

・・さて池之城は通称「池の屋形」と呼ばれています。
大永6年(1526)、宗将盛によって築かれたと伝わっている館城です。
街中散策をしながら見学して参りました。

ikeyakata (2)池神社一帯が池ノ屋形の跡地だと推定されています。

ikeyakata (4)たたずまいがある小さな神社です。

細い路地にあるのでなかなか辿り着けないかもしれません。
でも、ぶらぶらと歩いているうちに見つけられました。
歩きながら城下町の雰囲気も楽しめます。

ikeyakata (5)ちゃんとした説明版も中にあります。

池の屋形は宗将盛が中村屋形から移した館城です。
因みに中村屋形は前記事で紹介した宗義智公銅像のある公園一帯にありました。
享禄元年(1528)豆酘郡主の一族が謀叛を起こし池の屋形は焼失し、その後、金石城が築かれました。

わずか2年でしたが一時的にせよ府中の政庁として機能した池之城。
案内板の図面を見ると厳原湾に突き出した本丸、納戸曲輪が見られ、
三の丸には喰い違い虎口が見られ堀や土塁が巡っているようです。

宗氏の新城として相応しい本格的な館城であったのでしょう。

さて、厳原の街中にはあちらこちらで高さ3mほどの石垣壁を目にします。
これは『火切石』といって火災の類焼を防ぐために設けられた防火壁です。
狭い街中での火事は大規模火災につながってしまいますからね。

ikeyakata (7)
対馬先人の防火意識を感じる独特の遺構でもあります。


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対馬 桟原城 🏯城郭から自衛隊駐屯地へ

対馬 桟原城 (長崎県対馬市厳原町桟原) <市指定史跡>
(付・宗義智公銅像)
国境の島・対馬の城郭めぐり その⑤  

対馬にて是非とも見学したい城を3つ揚げるとするなら・・、
しかも効率よく一日で回れる・・、という条件なると、
金石城清水山城金田城、の3城になると思います。

あと、もし道中で少しお時間があれば桟原城の跡地に寄れるといいと思います。
国道382号から少し入ったところにあるので訪問しやすいです。
ただ、案内看板が非常に小さいので見落とさないよう・・。

sagikihara (8)
陸上自衛隊対馬駐屯地に向かう案内とセットになっています。

sagikihara (7)
100mほど登ってカーブの左側に石碑があります。

気付かずに進んでしまうと自衛隊駐屯地に向かってしまいます。
駐車場はないので石碑の向かいのちょっと広い路肩に停めました。
道路から観察することになるので見学には充分に注意が必要です。

sagikihara (9)朝鮮通信使幕府接遇の地 宗家桟原館の石碑。

桟原城の跡地は現在、陸上自衛隊対馬駐屯基地敷地内となっております。
したがって、内部の見学はできませんが、外観から石垣などが見学できます。
隊員様方の「なんか怪しいヤツ」的視線をビンビン感じながらの一撃離脱型見学でした・・。

桟原城は延宝6年(1678年)、第3代藩主、宗義真によって築かれました。
宗義真は金石城からこの桟原城へと居城を移しました。
対馬府中藩は以後代々桟原城を居城として続き明治に至ります。

sagikihara (4)
桟原城の復元高麗門が厳原幼稚園に移築されています。

sagikihara (6)
市内各所に見られる武家屋敷の石垣等、歴史を感じますね(* ´ ▽ ` *)。

sagikihara (5)
対馬藩家老の格式を伝える長屋門。

桟原城が築城された際に西の浜の船着き場から城の大手門までが整備されました。
この「馬場筋通り」の両側には宗家一門と上士屋敷が門を並べていたそうです。
長屋門のある一画は家老・氏江家の屋敷でした。

桟原城では写真が撮れませんでしたが、国道に面した東側にも立派な城壁が見られます。
金田城が古代よりの、清水山城が中世、金石城と桟原城が近世、近代の城とするならば、
桟原城址は現代、陸上自衛隊の駐屯地として対馬の平和維持活動の場となっています。


桟原城城址碑の位置です。



あと・・ちょいと寄り道してきました。

宗義智公銅像 (長崎県対馬市厳原町中村)

清水山城の西麓の公園に宗義智公の像がありますので寄ってきました。
自分は旅館から歩いていったので駐車スペースがあるかどうかは確認しておりません。
国道沿いの西、中村地区の公園内にお見えですよ。

sagikihara (3)
火切石(防火壁)に囲まれた公園が目印です。

sagikihara (1)対馬の英主、衣冠姿の宗義智公。

国境の島・対馬の領主として必然、秀吉と朝鮮との間に入りました。
外交面では難しい判断を迫られること度々、対馬の安寧の為、苦渋の決断の連続でした。
彼には終生、絶妙な外交バランスが求められました。

sagikihara (2)あらゆる手段で朝鮮国との通交に尽力した名将にして名使かと。

朝鮮出兵における文禄の役では義父・小西行長と共に先鋒となり凄まじい軍功をあげます。
そのうえで、朝鮮国との早期和平講和への締結に奔走、苦心する姿がみられます。
戦後、義智公の生涯を捧げた日朝友好への努力は朝鮮通信使再開、という形で身を結びます。

soukehon.jpg 予習した漫画本(^-^)/。

清水山城を見据える義智公像はとても威厳ある姿でした。
対馬繁栄のため、幾多の試練にも立ち向かっていった表情に満ちていました。
真正面から相対すると彼の眼光(メジカラ)にヤラレてしまいました。

次の日の対馬国境マラソンを走りました。
「こうしてここまで来ることができるのも彼の業績あってのお蔭かもしれないな・・。」
義智公の業績を噛み締めながら走り切りました。


対馬 金田城 🏯防人の城・金田城後編

対馬 金田城 (長崎県対馬市美津島町黒瀬・城山) <国指定特別史跡>
国境の島・対馬の城郭めぐり その④ 金田城復路編(後編)  

金田城は標高272.8mの城山一帯に築かれた実に広大な朝鮮式山城です。
周囲を北に浅茅湾、東に黒瀬湾、西に箕形湾に囲まれ、半島全体が山城になっています。
前回の記事、前半では主に東と南を経て、山頂までの遺構を見学してきました。

kanedanoki 0008城山頂上からの景色ともサヨナラです。やはり地球は丸いのですね・・。

金田城は城山山頂から北東側一帯に石塁を築き、城域としています。
後半は頂上から北尾根に沿って下りながら、遺構を見ていこうと思います。

kanatafuku (1)
頂上から北に下る出来立てのような遊歩道がありました。・・が・・。

ステップは途中までで終わってしまい、山道に戻ります。・・いや、それ以下です。
おそらく整備事業の今年度の打ち切りによるものでしょう。
ま、それでも迷わなければよし。構わんよ!(・・シャア?)

ここからはニュータイプとしての覚醒が始まります。
ララァ…私を導いてくれ!
そしてなんとか導かれました・・

kanedanoki (38)高さ6mあまりの一ノ木戸の石垣。

城山頂上から暗い森の中を彷徨い、急斜面を下りて出会えただけに超感動。
石垣に絡みつくツタやシダ類の植物が古代感をより引き立てています。
石垣の角部にある平べったい石材、よく加工できたものです。

いや、もう、「スゴイな~」、としか言えませんでした。

kanedanoki (37)
張り出し部のようになっていますね。

kanakakita (2)
一ノ木戸から下に下ると大吉戸神社があり、海に出られます。

kanedanoki (41)ダイナミックパノラマの二ノ城戸です。(*゚Q゚*)

谷筋を大きな両翼の如き石垣で塞いでいます。
当時の城門を付け備えた様子を想像すると、その威容、圧巻だったんでしょうね。
左右の端から端、とても視界に収まりませんでした。

kanatafuku (5)
kanatafuku (3)

kanedanoki (18)
水抜き遺構でしょうか?

いや、もう、「ほんとにスゴイわ~」、としか言えませんでした。

kanedanoki (20)続いてビングシ土塁と門址に。

写真では判りずらいですが門の址があり、門を挟みこむように土塁が延びています。
城内では最も広いスペースがあり、居住区だったとも見られています。
土塁はビングシ山まで続いています。

kanakakita (1)更に進んで谷川を塞ぐが如くの三ノ木戸。

まるで谷川を塞ぐようなダムに似た木戸址です。
そしてここで奇跡的に一瞬だけ太陽が雲から顔を出しました!
後にも先にもここ対馬で日差しを見たのはこの時だけでした。

しかし、間近でみるとこの石垣、「やっぱ、スゴイね~」としか言えません。
先程から言葉にならない感想ばかりで申し訳ないのですが・・。
空前絶後の古代国家プロジェクト遺跡を目の当たりにして圧倒されっぱなしでした。

hitomawari.jpg
東南角石垣に戻ってきました。どうやら無事一周できたようです。

一ノ木戸からの遺構群は非常に見学しやすく整備されていました。
積み巡らされた石垣群からは、外敵からの攻撃をなんとしてでも食い止める・・。
そんな国境に赴任した防人たちの強い覚悟が感じられました。

「一所懸命」に守り抜く戦いがそこにあったのでしょう。

現地では『アンゴルモア』第33話に見られる場面が甦りました。
蒙古軍の総攻撃を受ける運命の朝を迎えた金田城と城兵たち。
劇中における長嶺判官のセリフをお借りしたいと思います。

「我ら防人 この金田城に来たりて この金田城に還る」
「我が屍より内に奴らを入れるな!!」

その壮絶な最期は全てを表現しているように感じました。
『万葉集』における防人の詠み歌も妻・恋人・家族、そして望郷を思う歌が多いのです。
自分も一時的ですが、ふと、そんな気持ちにもなり、家族に、故郷に感謝したくなりました。

金田城(カナタノキ)の彼方の記、ここまでといたします。
(最後はダジャレで〆ましょう(-_-;))





あと・・ちょいと寄り道してきました。

和多都美神社 (長崎県対馬市豊玉町仁位字和宮)

kanedanoki (22)海中に立つ鳥居が神秘的な和多都美神社に寄ってきました。

海幸山幸伝承と竜宮伝説に彩られた、海の女神・豊玉姫を祭る古社です。
本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえていて、神秘的な雰囲気に包まれていました。
潮の干満により、その姿もまた違って見えるそうです。

kanedanoki (23)
今年は鳥居潜りを控える年なので傍らから見学しました。

ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とは日本神話の海の神のことを指します。
とても静かな海原を前にしていると神々のささやきが聞こえてきそうでした。
・・はい?、そんな特殊能力はありませんよ(笑)(*ノ∪`*)。



烏帽子岳展望台(長崎県対馬市豊玉町仁位)

烏帽子岳(標高176m)は、対馬の中央に広がる浅茅湾(あそうわん)の北岸に位置しています。
和多都美神社からも車で10分程で到着しますのでセットで行けます。(少しばかり登りますが)
山頂は360度の大パノラマを見渡せる素晴しい展望台です。

ebosi33.jpg複雑な入り江と島々がおりなすリアス式海岸が目に気持ちいいです。

天つ彼方まで続いてるような・・。



対馬 金田城 🏯古代山城と近代要塞が併存・金田城前編

対馬 金田城 (長崎県対馬市美津島町黒瀬・城山) <国指定特別史跡>
国境の島・対馬の城郭めぐり その③ 金田城往路編(前編)  

金石城と清水山城の次に訪れたのがここ金田城です。
読み方は「かねだじょう」でもいいのですが、「カナタノキ」と読むと、より古代チックです。
自分にとっては中学生の時の歴史資料集で興味を持ち、以来、憧れの城でした。

また最近では城友さんの日向さんに「面白いですよ!」と勧められた漫画・・。
そうです、『アンゴルモア 元寇合戦記』の影響を受けて、金田城への想いは募るばかり・・。
ですので長年の夢が叶った訪城になりました。

少しばかり長い記事になってしまいますので、写真だけの流し読みでも結構です。
前編と後編の二部構成にせざるを得ません・・。

anngaru (2)
著者・たかぎ七彦さん描く朽井迅三郎を主人公とする読み応えある、熱い攻防録。

折しも、アニメ化が決定して、なんともタイムリーな時期でした。
現地の対馬でもPR活動で盛り上がっておりました。
宿では対馬ケーブルテレビで予告編がバンバン流れ、お土産にはコラボ商品があったり・・。

anngaru (1)
現地ではシークレットポスターも配布されていたようです。(見たかった・・)

さて、金田城は天智6年(667年)に大和朝廷によって築かれた朝鮮式古代山城です。
斉明6年(660)、唐・新羅連合軍によって百済が滅亡しました。
大和朝廷は百済復興を支援するために大軍を派遣するも天智2年(663年)の白村江の戦いで大敗。

大和朝廷は朝鮮半島からの侵攻に備える必要に迫られました。
対馬・壱岐・筑紫地方には防人を常駐させ、各地に古代山城を築いたのです。
その中の最前線の山城が今回の金田城です。

kanedanoki (1)
県道24号線から車両通行道で登山口までいけます。

、といっても途中からオフロードとなります。(聞いてないんですけど・・)
普通車やレンタカーでは下部を擦る恐れがあるので注意が必要です。
レンタカーを利用した自分は途中の脇道スペースに停めて歩きました。

kanedanoki (3)本来ならこの石碑の所まで車で来られるようです。

kanedanoki (4)
説明版のルート案内は登り口にパンフレットが用意されています。

パンフレットは必ず手に取って欲しいものです。
広大な城域ですし、他に訪れる登山者も少ないです(大変失礼ですが・・)。
途中で迷わないためにも、また遺構の所在地を見落とさないためにもです。

kanedanoki (6)
雨上がりだからでしょうか、このような滝も随所でみられました。

kanedanoki (24)
右手には波穏やかな黒瀬湾が眼下に広がります。

kanedanoki (7)東南角石塁に到着。(これ!、これ!、写真でみたヤツや~ん)

長~く連なるこの石塁は城域の中でも要にあたる部分。
敵の攻撃に備え、張り出し部分も構築されていたようです。
足場が良くないですが、ちょっと降りて見学してみます。

kanedanoki (25)高さ4m程の石塁は壁のように山全体を囲っています。

kanedanoki (9)
kanedanoki (10)
古代からの石垣ですから崩落した箇所もありますが、それも城感ですね。

kanedanoki (27)積み上げ断面図がわかりやすいショットを1枚!(口(^▽^)o)。

ここから北に向かえば城戸群遺構を見学できるコースになります。
山頂に向かうが先か迷うことろです。
自分は体力・気力があるうちに山頂へ向かうことにしました。

kanedanoki (28)少し山頂側に向かうと南門の跡があります。

門柱を支えたとみられる4対の礎石が良好にのこっており、
中には水抜き溝が掘られている礎石もあります。
今後の更なる調査が楽しみなポイントです。

kanedanoki (12)山頂部に近い南西部の石塁です。(これもよく写真で見かけますね)

先程の南門へと続いており、目視の限りでは延々と続いているようですね。
それにしても、古代の人々がこれほどの規模の石塁をどうやって積上げたのか・・。
・・自分が眺めている光景の向こうに当時の方々に課せられた苦労が偲ばれてなりません。

kanedanoki (13)
山頂部手前の旧陸軍砲台跡地に到着です。

kanedanoki (31)大きな円が砲台の跡。結構・・生々しいです。

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kanedanoki (36)
弾薬庫や地下壕への施設もほぼ当時のまま残っていますね。

リアル・ラピュタの世界に脚を踏み入れたような感じです。

kanedanoki (34)古来より近代まで国防最前線として重要視されてきたのですね。

実は城山はここが頂上ではありません。
ここからまた5分ほど登った先に山頂があります。
以外と急な山道になるので今ひとたび気合が要ります。

kanedanoki (16)気合で城山山頂部に到着です。(v`∧´)

細い山道を尾根伝いに登って行きます。
ここまで誰かと一人ぐらいすれ違ってもよさそうなものですが、獣一匹にも遭わず・・。
明日のマラソン大会ではたくさんのランナーさんと走ることになるのにこのギャップ!

kanedanoki (15)
山頂部には「東武天皇」即位説のある北白川能久親王ゆかりの石碑もありました。

東武天皇・・明治天皇即位に際、奥羽列藩同盟が押し立てたもう一人の天皇・・。
以外と知られていない皆様、口を閉ざす歴史です。
本稿とは関係が薄いので敢えて触れません。危うきには近寄りません・・。
(だったらわざわざ取り上げんでも・・)

kanedanoki (32)山頂部からは素晴らしい絶景が広がります。

そこには神話にある国産みの頃まで遡れそうな世界が広がっていました。
この浅茅湾に点在する大小の島々と広大な海原、足下の密林とそれを包み込む空・・。
山頂までの道のりはちょっと大変ですが、これが待っているのですから・・。

・・すみません、ここらで休憩をいただき、次回の後半へ続きます。



対馬 清水山城 🏯対馬の石垣に感極まりました!

対馬 清水山城 (長崎県対馬市厳原町西里) <国指定史跡>
国境の島・対馬の城郭めぐり その②  

金石城と旧庭園、万松院を見学した足で次は清水山城に登りました。
雨もすっかりあがってくれて、これはもうキセキです。
登るはいまぞ!、「すわ、参る!」・・的な感じですみません・・。

ttusimasimizu (25)ちゃっかり厳原港から撮影していた清水山城のお姿。

麓の金石城からでは清水山は近すぎて全様がつかめません。
港あたりまで離れると一の丸(本丸)、二ノ丸、三の丸、と配されている様子がわかります。
しかも、石垣があらわに確認できて、「もぉ~早く登りたい」衝動になりますよ。

ttusimasimizu (13)

ttusimasimizu (1)
途中の案内は随所にあって良きハイキングコースとなっています。

金石城とセットで登城する形になると思います。
山城と言ってもそれほど険峻ではなく、むしろなだらかな尾根です。
疲れも吹き飛ぶ遺構ばかりですので超おススメです。

ttusimasimizu (2)登城口の清水山城の説明版。

韓国語訳と英語訳の説明版がお土地柄ですね。
実際帰り道ではこれから登られる韓国人グループの方々とお遇いました。
「コンニチワ」って・・、こんな時一言二言会話なんかできたらいいんですが・・。

ttusimasimizu (3)説明はお任せします。ヾ(o´∀`o)ノ

おそらく最近立て直された新しい案内看板なのでしょう。
近年の最新研究結果が記されてます。
熟読していけば、どんな遺構があるのか初心者の自分でも意識できます。

ttusimasimizu (14)
少し登るとすぐに三の丸にすぐに到着します。左の張り出し部が虎口です。

ttusimasimizu (4)三の丸の石垣塁。感無量・・言葉にできません。( ´_`)

ttusimasimizu (22)
曲輪は全体が石垣で囲われていて、どこを見ても楽しめます。

ttusimasimizu (24)
そして待ち構えるが如くの二ノ丸虎口です。

ttusimasimizu (15)
内部は石段も見られる内桝形虎口。

ttusimasimizu (23)様々な石垣技法がミックスされながらどこか芸術的でもあります。

隅角部には算木積の要素が見られます。
扁平な割石を多用して、横に目地が通る布積あり・・、
かと思えば大小の石を多方向に積んだ乱積あり、‥等々。面白いです!

ttusimasimizu (6)本丸南東虎口の外石垣、・・感無量・・言葉は要りません(*´~`*)。

立ち塞がる高石垣の虎口を見上げると圧倒されそうです。
割と傾斜のある所を選んで普請してあるのは落差を作るためなのでしょう。
まるで上から見下ろされているようです。

ttusimasimizu (7)
内側から見ると如何に傾斜があるかがわかります。

ttusimasimizu (21)
麓側から見て左側。

ttusimasimizu (20)
同じく右側。艦首のような鋭角を出しています。

ttusimasimizu (8)本丸南東虎口の内石垣。・・これ・・胸がいっぱい・・(^ω^ ≡ ^ω^)。

外と内とで2つの石垣が味わえます。
それぞれに門がありますが喰い違いになっており、直通できません。
狭隘かつ足場の悪い斜面で横矢を受け続ける破目に遭います。

ttusimasimizu (16)
鏡石を使用した独特な技法で積まれていますね。

ttusimasimizu (17)かと思えば、内部は細かい砕片石で頑丈に固められていたりします。

ttusimasimizu (10)
折れのある石塁。

ttusimasimizu (18)
裏込め石の様子もよくわかります。

ttusimasimizu (11)本丸からの見事な眺望には、もはや感涙するしかなく。゚(゚´Д`゚)゚。。

岐阜県から風雨をつき渡航してきただけに、いろいろな意味で胸がつまりました。
改めて「故郷は遠くにありて想うもの」・・ですね。
それにしても素晴らしい眺め。忘れないように目に焼き付けよう・・。
(と言いつつ、この景色は帰宅後ソッコーでデスクトップ画面になりました)

ttusimasimizu (26)
そして、本丸南西側の虎口。またちょっと違った積み方で面白いのです。

清水山城では対馬を代表する戦国城郭を堪能できました。
織豊期の色を濃く残しつつ、古来からの朝鮮式山城の色もブレンドされています。
これは倭城にもつながる姿でもあり、対馬に見られる独特な姿でもあるようです。

大陸同士の繋がりの中に生まれた集大成の姿が残る清水山城でした。



対馬 金石城 🏯宗家繁栄のシンボル

対馬 金石城 (長崎県対馬市厳原町今屋敷) <国指定史跡>
国境の島・対馬の城郭めぐり その①  

対馬厳原港から最も近く、徒歩10分もあれば到着するのが金石城です。
ここ厳原は7世紀から対馬国の国府が置かれ行政・文化の中心地でした。
当時は「府中」、と呼ばれ、「厳原」、と改称されるのは明治維新後のことです。

tusimakanaisi (2)当日は公園整備工事の真っ最中で絵的にちょっと残念ですが。

まず正面、目に飛び込んでくるのがこの櫓門です。
地元では「大手門」、とも呼ばれていますが、同じモノを指すようです。
現在の櫓門は、厳原町が復元したもので、1990(平成2)年11月に完成しました。

tusimakanaisi (3)
城内側から見るとこんな感じです。

天守閣が建てられなかった分、豪壮な構えの立派な門です。
外交・文化使節団 『朝鮮通信使』 を迎え入れ、
また大陸との貿易、文化交流の受け入れ窓口として相応しいシンボルです。

金石城は享禄元年(1528年) 宗将盛 によって「金石館」として築かれました。
対馬島主・宗将盛は池の屋形を築いて居所としていましたが、一族の謀叛により池の屋形は焼失。
この乱の後に将盛が新たに築いたのが金石城の前身である金石屋形でした。

その後代々宗氏の居城であったが、宗義智 のとき、豊臣秀吉による朝鮮の役が勃発。
金石城の北に聳える清水山に清水山城が築かれ、金石城もまた近世城館として改修されます。

tusimakanaisi (4)
・・あまり真横から見ない方がいいと思います(-_-;)。

tusimakanaisi (1)

tusimakanaisi (9)
櫓門両脇の石垣の様子。

積み直しが見受けられるにせよ、大小様々な大きさの石を横目地に積み上げています。
本土ではあまりお目にかかれない対馬独特の石積法のように見受けられます。
朝鮮式山城にみられる垂直に近い積み上げ方に影響を受けているよう。

櫓門からさらに北へ進み庭園に向かいます。

旧金石城庭園 <国指定名勝>

tusimakanaisi (5)整備された美しい旧金石城庭園。

金石城の庭園は長年土砂に埋もれた状態でしたが、近年の発掘調査で生まれ変わりました。
発掘調査により明確となった意匠・構造上の特質を踏まえ、修復及び整備工事が行われました。
誰もいない庭園を心静かに見据えるのは味わい難い贅沢でした。
(入場料として300円が必要です)

kanetei.jpg
池は「心」の字を示しているようです。

庭園を回遊した後、金石城の搦手門跡へとつながります。

tusimakanaisi (10)
古い複数の絵図には「銅門(あかがねもん)」と記されているようです。

tusimakanaisi (11)ここにも櫓門があったのでしょうか?

搦手門跡からは歴代対馬藩主が眠る宗家菩提寺、万松院へと続きます。
時間の関係上、今回見学はパスしてしまいましたが、少し雰囲気だけ・・。
(城見学に特化するとこういうスケジュールになります・・)

万松院 <国指定史跡>

tusimakanaisi (12)
本堂には朝鮮国王から贈られた三具足や徳川歴代将軍の位牌がおかれています。

tusimakanaisi (7)万松院、本堂脇の「百雁木」と呼ばれる石段。

この石段上を上ると、歴代藩主の墓所へと向かいます。
並び立つ石灯籠と石段に風情を感じますが、両脇に延びる竪石垣もなかなかです。
神聖な空間へとつながっている様子が伝わってきました。

宗氏の対馬における格式の高さを偲ぶことができた金石城でした。





あと・・ちょいと寄り道してきました。

対馬藩お舟江跡 <県指定史跡>

funee (1)静かな川面に突き出した突堤は情緒溢れる景観です。

厳原港の南側に今も当時の姿そのままを残す貴重な遺構です。
ここは対馬藩の船着き場跡で久田川河口にあたる場所。
1663年の造成から残る、ほぼ原型のままの石積みの姿は壮観でした。

funee (2)
こういった遺構を実際に目にしたのは初めてでしたので、とても感動・興奮しました。

自分は石垣が城以外に、こういった入江のドックとして使用されてきたことに驚きました。
新発見はとても旅情豊かで、当時の景色が甦るような素晴らしい名所だと感じました。
いつまでも大切にして後世に残していって欲しい、と強く感じます。

funee (3)対馬ならではの独特な景観に引き込まれます。(*´~`*)

tusimakanaisi (8)
次回は金石城の北に聳える清水山城散策をお伝えしたいと思います。


対馬藩お舟江跡が見学できる位置です。

国境の島・対馬を走りました

第22回国境マラソンIN対馬に出場

メイン会場:三宇田海水浴場
平成30年7月8日(日) AM9:30スタート
参加人数:約1400名(全種目合計)

kokkyoumara (12)

西日本豪雨により被災されたみなさまに心からお見舞い申し上げます。
そして 被災地域の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。
 


7月8日、長崎県対馬にてハーフマラソンに出場しました。・・と言う前に・・。
7月6日、それは西日本を襲った、かつてない記録的な大豪雨の中の決断でした。
移動手段として予定していた山陽新幹線、及び山陽地方~九州の在来線は一部運行中止・・。

仮に行けたとしても戻ってこられる保証はどこにもありません・・。
次々と報道される悲惨な事態、・・悩みに悩みました・・。本当に悩みました。
行くべきか?止めるべきか?、八割方、「今回は諦めよう」と思いかけた時でした。

背中を押してくれたのは奥方の一言でした。
「飛行機なら行けるんじゃない?」(軽っ!)
普通、妻ならば、家族ならば、外出自体思いとどまるように言うものですが・・。
(奥方には本意も他意もないことを願う・・)

とにかく決心!行きの電車で熱田方面に手を合わせます。
信長公の気持ちが少しはわかるような・・。
自分にとってはこれが「気持ち桶狭間」です。

kokkyoumara (1)
・・という訳で本日旅券を予約、セントレアから福岡まで行ってみます。

kokkyoukeitai (1) 無事に福岡に着陸(´ω`人)、 

飛行機はなんとか就航。でも視界不良で帰還する可能性もあり、・・って・・(´・_・`)。
とかいって、無事に着陸、そして風雨の中、地下鉄と徒歩で博多埠頭まで着きました。
・・さて次のハードルは九州郵船さんが壱岐対馬便を運航してくれるかどうかです。

kokkyoukeitai (3) 果たして出港できるのか?

そして0:04発の博多~対馬厳原港行は通常運航と決定!(´ω`人)
これでなんとか対馬へ行けることはできそうです。
自分にとってはこれが「気持ち遣唐使」です。

kokkyoumara (3)
博多港よ、さようなら、再びその土、踏めるや否や・・。

kokkyoumara (2)
誰もいない二等室・・(冷汗)&(冷笑)。おいらの傘とバックがポツン・・(苦笑)。

デッキに出るのは無謀だと判断し(当たり前)、おとなしく船室で仮眠を取りました。
途中、船は予想通りに揺れましたが、なんとか船酔いは免れました・・。
そして午前7:00、無事に対馬の厳原港にて下船。

kokkyoumara (4)
対馬はあいにくの霧雨が降っていました。

しかしこの後天気は回復!、曇りとなったのは幸いとしかいいようがありません。
予約していたレンタカーを借り、計画通りに観光を開始。
マラソン大会は次の日なので思いっ切りの城と史蹟めぐりを満喫です。

金石城→金石城庭園→清水山城→万松院→宗義智公銅像→桟原城→
金田城(城山)→和多都美神社→烏帽子山展望台→対馬藩お舟江跡→池の屋形・・等々。
また後日に順次アップしていきたいと思います!



・・さて、本題はここからになります。
前置きが長くなって危うく話が横道にそれるところでした。

対馬という島は南北約82km、東西18kmもある、意外と大きい島です。
これは北方領土と沖縄本島を除けば、日本の離島で3番目に大きい島、という事になります。
離島だから、といってコンパクトに観光スポットを回れるわけでもありません。

自分が宿泊した厳原の街からマラソンが開催される比田勝の街に移動するにも
シャトルバスで2時間!以上もかかりました。(無料は大変有難かったですぅ・・)
「国境に行く・・」、という気分が味わえましたよ。

kokkyoumara (13)
AM5:45分に厳原港ターミナルを出発。

miuda.jpg AM8:00会場の三宇田海岸に到着。

到着直後は霧雨と風が強かったのですが、スタート前にこれが収まりました。
これにもなにか神々しいパワーを感じたりしてテンションもあがってきます。
しかし、今回のマラソンはゆっくり走るファン・ランと決めてたので気持ちも幾分リラックス。

それより、会場について驚きました。
約3分の1にあたるランナーさんが韓国からいらした方だったのです。
案内板もアナウンスも日本語と韓国語で、勢いだけなら韓国ムード。元気一杯!という感じ。

自分もちょっとした異国に身を置いているような感じで意気高揚。
元気いただきです!(某カレーのCMではありません)
この特長こそ、、国際交流マラソン、国境マラソンである由縁なんですね。

kokkyoumara (8)
「青い海、蒼い空」、・・ではなかったですが、涼しくて、まずまずの天気です。

『半分、青い。』・・って感じでしょうかね。
(スペシャル時事ネタですみません・・)

さ、それではスタートです!(-_-;)

<スタート>

ファン・ランという事と、韓国からのランナーさん、地元の方優先で後方からのスタートです。
皆さんの背中とその先に続くコースを見据えて号砲を待ちます。
ハングル文字が読めたなら、Tシャツの背に書かれた意味もわかって面白いだろうにな・・。

そして拍手喝采の中、スタートです!
いきなりの上り坂と狭い道でのトコトコスタート、ま、これもいいもんです。
日本なんだけどどこか異国情緒があるコースを走っていきます。

tusimapa (1)
「このコース、かなりきついです」、逆にやる気が湧いてきます。

<序盤から1km~7km>

基本的に集落、港、峠、の繰り返しといったロケーションです。
したがって、集落間の峠での長~い上りと下りが順次めぐってきます。
トップスピードで走ると、すぐにバテる、キツイコースとなっています。

最初に通ったのが泉湾、湾内は穏やかで海がとっても綺麗でした。
沿道では島民あげての大応援を受け、嬉しく、元気を貰えます。
美しい景観に癒されながら、対馬を感じながらの爽快ランです。

tusimapa (2)ここでは峠も愛すべき特徴コースとなっています。

<中盤8~15km>

・・多分、この日は涼しかったからいいようなものの・・
梅雨明けの猛暑日だったら・・、文字通りかなりキツイことでしょう。
この区間では歴史的背景を感じながらのランが楽しめます。

雄大な豐湾、豊砲台跡や韓国展望所の近くを通ります。
秀吉の朝鮮出兵の折、名護屋城の中継地点として築城された結石山城(ゆいしやまじょう)、撃方山城(うちかたやまじょう)の麓も通り、国境最前線の地域性が感じられました。

<終盤~ゴール>

大浦湾から山中を通り、比田勝湾に出てくると、再び港ビューとなります。
漁船の灯火(名前がわかりませんが・・)が様々で面白いです。
韓国から見えたランナーさんたちはここの港から釜山へと連絡します。

isaribi.jpg

ゴールに向かって右手には素晴らしい海上風景を見ながらのラン。
この島だけに流れる時間を感じながら、惜しむかのように走ります。
平均ラップはkm/5分16秒、普段のジョグペースと変りありませんでした。

kokkyoumara (7)ラストの下りは猛ダッシュ!でゴールに吸い込まれます!

kokkyoukeitai (7)
結果は1時間51分27秒、ゆっくり走った割にはいいタイムに・・。

kokkyoukeitai (6)国境マラソンに相応しい朝鮮通信使の絵柄のTシャツがカッコいい!

大会の会場はコンパクトで導線がしっかりしていました。
毎年熱中症によるランナーさんが多いらしく、救護体制もバッチリな様子でした。
ゴールしてからのお食事券や温泉入浴券も嬉しい特典です。(お風呂は激混みでしたが・・。)

kokkyoumara (9)
浜にて焼きたて弁当が味わえるのもサイコーでした!

対馬マラソンでは走りながらいろいろな感動をしました。
給水場でのいたわりの言葉とおもてなし、沿道でのあたたかい応援、スタッフさんがたのお気遣い。
海と山に包まれ、そして古代よりの大陸文化とのクロスロードを走ることで、自分なりの対馬を感じること能いました。

できることならまた来たいな・・。
・・でも、その前に家まで帰れるのかなぁ~・・。
目の前に広がる海原を見つめながら。
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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