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美濃 野原城 🏯飛騨・美濃間に屏風の如く立ちはだかる城

美濃 野原城 (岐阜県加茂郡白川町河東野原)

よく「秋の日は釣瓶落とし」と言います。
日が急に沈む様を井戸に落とす釣瓶に例えていう言葉です。
ゆっくり仕事をしているとたちまち暗くなってしまい、ちょっと慌ててしまう・・。

絶好の山城見学シーズン到来ですが、この日照時間の短さとの闘いでもあります。
一日で回れる城が限られてしまう、なんとも憎らしい季節、でもあります。
そんな中、今回は白川町の野原城を見学しました。

因みに同じ岐阜県白川でも合掌村で有名なのは飛騨の「白川村」のほう。
こちらは東濃ヒノキや白川茶の生産が有名な美濃の「白川町」、です。
また「野原」は「のはら」ではなく「のわら」と読みます。

nowarakt (1)
お天道様の登る方角には段々のお茶畑が心和む風景です。

nowarakt (8)野原城を対岸国道から眺めます。

直下に飛騨川が流れ、周囲は高い山々に囲まれています。
野原城はその飛騨川に食い込むような500mもの細尾根上に築かれています。
そしてその三方は断崖絶壁となった要害です、・・では、見ていきましょう!

nowarakt (9)
舗装林道から簡単にアクセスできるのが嬉しい~( ^ω^ )。(車は路駐でOK!)

nowarakt (12)
こういう石碑はなぜかワクワクしてしまいます。

観音様に一礼して・・。(城址とのなんの関係かは解りません・・)
nowarakt (10)

nowarakt (16)
幅が3m程の長い土橋のような連絡郭?です。

nowarakt (13)
野原城の主郭部を見上げます。(入口からわずか1分!)

nowarakt (14)主郭本丸(おそらく)に建つ石碑に到着です。

狭い曲輪なのにこんな大きな石碑・・。
バランスが必要だな、というのが率直の感想ですが、ま、立派なのでいいでしょう!
ここからの景色はなかなか絶景です。

nowarakt (3)
飛騨川と高山本線、集落と山々、風光明媚。

nowarakt (2)
2、30分おきに列車が麓を通って行きます。

静まり返った中を電車の音が「ゴトン、ゴトン、ダ、ダ、ダダン」と通り過ぎていきます。
山々にこだまするその音がなんとも耳にやさしくて、眼下を見渡しながらのコーヒータイム。
ここに城を築く理由がわかってきます・・。さて、遺構は残っているのかな??

nowarakt (5)
岩山の細尾根という限られたスペース。(せま・・)

これでは掻き揚げすることもできそうにありません・・。
天険の岩山をそのまま利用するしかなさそうですね。
当時は柵や木戸を厳重にすることで一城郭として成立していたのかも。

nowarakt (11)
(;゚Д゚)なんせ、周囲の岩壁ときたら、これもんですから・・。

しかし天然の絶壁ばかりに頼り切った訳でもなさそうです。
本丸の周囲を注意深く観察してみると・・
なんと石垣があります!

nowarakt (4)本丸下に積み上げられた石積。

おそらく土留め用程度のものでしょうが、結構迫力あってドキドキします。
果たして当時のものなのでしょうか?そうだといいロマンなのですが・・。
この石垣の見学はちょっと危険を冒して下に降りないと拝見できません。
(見学をされる方は充分注意してください)

nowarakt (6)野原城の西を仕切る岩を利用した堀切、いや、彫切と書くべき?

nowarakt (7)
連絡道は堀切脇の細い道のみ!(右下には竪堀があります)。

この堀切は本当に「堀切」なのかどうか、見方によって意見が分かれるでしょう。
単なる岩の切れ目、自然のものである、とも見れます。
しかし、防御施設の一環として利用された、という点で遺構と捉えても差し支えないでしょう。
(現に南には若干ですが竪堀へと続きます)

図面スケッチを・・。
nowarazu.jpg


nowarakt (15)野原城は承久の乱(1221)に京都軍に味方した野原三郎義政が築城。

応仁元年(1467)に安江光庵基政がこの地に砦を築き、兼山の森氏、苗木の遠山氏と対抗。
・・若干、時代が合いませんが。(諸説ありってことですね)

天正元年(1573)、基政の孫・正常(政常)の時、苗木遠山氏の軍勢により野原城は落城。
その後成山に逃れた一族により、野原城は奪回されます。
しかし天正10年(1582)には、森武蔵長可の軍勢に瞬く間に落とされました。
(例によって恫喝でもされたのでしょうか?)

遠山氏、森氏と対抗した、というくらいなら、当時としたら相当の勢力です。
飛騨の三木氏らとは良好な関係を保っていたようです。
でないと周囲は敵だらけですよね・・。

野原城は飛騨・美濃間に敷かれた、立ちはだかる屏風のような要害でした。
それぞれの方向から屏風の向こう景色は見えないのです。
城は人工的な手を加えられずとも、天険に頼りながら在地支配に適した城でした。


Ⓖは路肩駐車スペースがあります。交通量はありません。
  野原城入口の石碑が建っています。

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美濃 福原城 🏯三河に向けられた監視城

美濃 福原城 (岐阜県恵那市串原福原・城之根)

平日は早朝5時に起床するのですが、外はまだひんやりして暗いです。
日が短くなっていくほどに秋の夜長を愉しむ今日この頃。
こうして訪問した城址を想い出しながら、記事として浸れるのも贅沢な時間です。

恵那市旧串原村の城郭めぐりの続編はまだまだ続きます。
今回は愛知・岐阜の県境、すなわち三河・美濃の国境にあった福原城を紹介します。
小さな城ですが、カワイイ、とさえ思える姿がそこにはありました。

fukuharaj (1)足下は矢作川と名倉川の合流点となっている三河からの玄関口。

矢作川に面した東側は崖っぷち。
かつては麓に林道もありましたが、現在は落石のため通行止めになったままです。
西側の谷間から登れば比較的登りやすいです。・・道はありませんが・・。

fukuharaj (3)南北に延びる城域の南側には小さな曲輪が4段連なります。

段差自体に鋭さは感じられません。
後世、地主さんによって畑地に利用された、との伝承もあります。
しかし、城柵のみの施設として元来からあった遺構と考えられます。

fukuharaj (4)
下の曲輪に行くほど尻つぼみとなり・・、

一番下の曲輪?は人が二人立てるかどうか、くらいの狭さ・・。
fukuharaj (2)

fukuharaj (5)削平された頂部の様子。(手前のくびれから細くなってます)

北に続く尾根にはかつて深い堀切があったようです。
現在は耕作地として均されてしまいましたが、面影を見ることができます。
本丸は骨付きローストチキンレッグのような美味しそうな形をしています。(下に図面あり)

fukuharazu.jpg全面南向きの日当たり良好な城です。

やはり背後の堀切があったとなるとカッコ良いのですが・・
きれいに均された後世の耕作地の址も、それはそれで歴史の一部なのです。
南側の細尾根にも土橋付の堀切があったそうですが、これも面影を見るのみです。

sannsyuu.jpg福原城から三河方面を眺めます。
矢作川の対岸には三河の城砦、押川城(左)、川手城(右)が手に取るように見えます。

三河との渡河点や南信濃からの河川沿い道を監視したのでしょう。
このあたりは信濃・美濃・三河、各々の小城砦が集中しています。
現在では長閑な田舎ですが、当時は常時緊迫した地帯だったのかもしれませんね。

fukuharaj (7)
すぐ近くには押山大滝が轟音をたてていました。

滝のすぐ下流に「滝見橋」があり、橋の上から手軽に見学できます。
春は新緑、夏は清涼を、秋は紅葉、冬は墨絵の世界が楽しめそうです。
矢作ダム、矢作第二ダム、黒田ダムといったダムも見応えありますよ。(ダムカード貰えます)

・・別に観光大使ではありませんが(笑)、串原村、いい所です!
福原城は案内板も無く、これといった登山道や遺構もありません。
下から眺めるだけでも城の役割を感じられるプチ城郭でした。

fukuharaj (6)
矢作川・名倉川、共に美しい清流です。



Ⓢは福原公園があり駐車可能です。
Ⓖは主郭部ですが、登山道はありません。

美濃 串原殿 🏯姫井戸伝説のある砦

美濃 串原殿 (松本砦) (岐阜県恵那市串原松本)

すっかり秋らしくなってきましが・・。
週末になると台風と雨がやってくる今日この頃、
太田裕美さんの『九月の雨』を口ずさむ自分がいます・・。

「September rain rain~♪ 九月の雨は冷たくて~♪」、・・。
・・うん?、あ、そういやもう10月でしたね(;^ω^)。

最近は恵那郡の串原村にハマっている自分です。(串原大平城串原柿畑城
串原村にはコンビニがありません。ガソリンスタンドも数軒。(しかも日曜休み!?)
・・バスは一日一度くる、は吉幾三さんの歌ですが、はっきり言って田舎です。

しかし、我々が便利さに慣れ過ぎただけで、「足りたるを知る」本来の姿かもしれません。
そんな中、今回訪れた城址は串原殿(くしはらでん)、字から松本砦とも呼ばれます。
昔から「クシハラデン」と呼ぶそうなので地元の方々の意に従いたいと思います。

kusiharadenn (1)串原殿の小丘は大平川の源流地域、松本の中央部にあります。

串原殿には山の中腹に現在も末裔のO氏がお住まいです。
よって無断での見学はご法度です。
自分はこの度、草刈り作業中の当主にお会いでき、見学の承諾をいただきました。

写真では判りませんが、さる昔、丘の尾根先端部が土砂崩れし、山の形が変形しています。
この土砂崩れで主郭部の東に展開していた城の一部も共にくずれたそうです。
(記事の後に図面で示したいと思います)

kusiharadenn (4)杉木立から垣間見る串原殿の主郭部側面。(手入れがされていますね)

写真中央部の斜面に伝説の「姫井戸」と呼ばれる井戸址があります。
串原殿が落城の際(恐らく武田軍による)、姫が投身して果てた、という悲しい伝説です。

女性がこの井戸を覗き込むと祟りがあるそうです。
さらに、女性がここで蛇を見てしまったら、その蛇は姫の怨念が化身したものだそうです。
同じく祟りをうけるとされ、今も怖れて立ち入る者はいないそうです・・。

今回、調査使命上・・敢えて立ち入りました。(写真は掲載しません!)
幸いなことにヘビには会いませんでしたし、井戸自体も埋まっておりやや拍子抜けしました。
当主さん曰く、「オトコならば、大丈夫やって(笑)」、・・ですって・・。(ホントかな?)

kusiharadenn (5)
かつては堀切になっていたといわれる箇所は現在は林道が通っています。

kusiharadenn (2)
主郭部の様子。

kusiharadenn (3)
主郭の南を取り巻く腰郭は大半が墓地による造成とみられます。

kusiharadenn (6)
串原殿の旧堀切部の上には見守るような石仏様が。

城は串原殿、といわれる通り、串原遠山氏の持ち砦であった可能性が高いです。
付近には串原大平城へと続く「馬道」が大平川沿いにあったそうです。
小御所の下村城(上矢作町)から大平城へのルート中間地点に位置します。

kusiharadend.jpg

残存状況からはっきりとした遺構がつかめないのが残念ですが、
砦としてのその役割は位置的に理解できましょう。
串原遠山氏は三河・美濃との境目の守備を担っていた一族だったのかもしれません。

※重ねて申し上げますが、串原殿は個人宅のすぐ裏山です。
 見学の際は無断立ち入りをすることのないように一声おかけしましょう。
※念のため女性の方はやはり姫井戸には近づかない方がいいかもしれません・・。
 


Ⓖは串原殿の主郭部を指します。
付近に駐車場はありませんので迷惑にならない路肩に駐車して歩きました。

あざいお市マラソンに出場しました

2018長浜市あざいお市マラソンに出場

メイン会場:浅井スポーツ公園~草野川周辺コース~
平成30年10月7日(日) AM10:15スタート(ハーフスタート)
参加人数:約6093名(全種目合計):4263名(男女ハーフ走者)

あざい2018 (1)

初秋の候、滋賀県長浜市で開催された「あざいお市マラソン」に参加しました。
今回はラン友のY吉さんにピック・アップ!されの、ライド・オン!
から~の~、トゥゲザー・ラン!、というありがたい行程での参加です。
(久太郎イングリッシュはなんとなく意味になっている)

Y吉さんは今レースの1週間前に信州駒ヶ根でハーフを走っているばかりでなく、
その前後でもトレッキングやトレランで20、30kmを走破するアスリートです。
・・いや、正確にはアスリートに変貌してしまいました。(恐るべし・・)

あざい2018 (2)
大会名の由来でもある「お市の方」と三人の娘たちの里です。

戦国の世を駆け抜けたのは武将だけではありませんね。
今大会でもハーフランナーの4人に1人が女性という参加率で、これ結構スゴイことです。

あざい2018 (4)
あざい2018 (3)
大会会場に真後ろには大依山城があります。

「信長公記」によると、元亀元年(1570)6月の姉川の戦いの前のこと。
信長・家康軍に対し、小谷城を出た朝倉景健浅井長政が大依山に陣取ったそうです。
本来ならゆっくりと姉川合戦の史跡めぐりもしたいところですが、また後日です。

あざい2018 (6)

<序盤>1km~7km

ロケットスタート気味で飛び出したいところ、スタートはぞろぞろ混雑。
なかなかのドングリ状態が続きます。走るコースが確保できずにややイライラ・・。
ちょっとした隙間を縫っては前へ前へとでますが、これ、本当は体力消耗するだけ・・。

8km地点辺りまでが緩やかな上り坂(感じられないくらい)。
里山に囲まれた田畑や古民家を見ながら、踏ん張って走ります。
km4分40秒台くらいで、上りとしてはまぁ、まずまずのペースかな?

<中盤>8km~15km

高山橋を折り返して今度は下り、ここでは徐々にペースが上がっていきます。
周囲のランナーさんたちもここまで来ると、顔ぶれが揃ってくる。
自分は同ペースの小気味よいピッチ走の女性ランナーさんについていきます。

草野川の清流は美しく、河原には秋のススキ、シラサギが餌を求めて来ていました。
どこをどう走っているのかはわからないのですが・・(笑)。
km4分30秒台くらいまで上がってまだまだいいペースです。

<後半>16km~20km

この辺りから少し疲れてきました。
気を抜くと後のランナーさん数名に追い越されていきます。(いかん、いかん!)
自分でも少しペースが落ちたのだ、と気付きます。

まだまだ!、と奮起して食らいついていきます。この区間はハーフにとって真の勝負所。
練習の成果や調整が最も反映され、精神力、いわゆる根性も試されます。
km4分50秒まで落ちる場面もありましたが、巻き返します!

<ラストスパート>

残り800m地点辺りで勝負を賭けました!行けそうです!
最後の1、1kmはkm4分00秒まで上がりました。
後半の遅れをチャラにした形ですが、最後は得意技?でゴールできてよかった!

あざい2018 (5)

記録は1時間38分28秒 
(ネット:1時間37分34秒)
 


自己ベスト更新には及びませんでしたが、サード・ベストといった所で満足です!
それより驚いたのはY吉さん、自分のすぐ後ろまで迫っていてほぼほぼ同じタイム!
相変わらずの汗びっしょりながらの爽やかスマイルです。清々しいですな~。

今回は目標のハーフ100分切りは達成!
冬のフルマラソンへ向けての第一歩としては自分的にクリアです。
といっても課題もありました。反省点を明日からの練習で克服していきたいです。

あざい2018 33
この秋収穫の新米、参加賞のお市米。ありがとうございます!

azailont.jpg
そして、戦利品は超カッコイイ、ロングTシャツ!(目立つ色だな・・)

それでは最後に、勝鬨をあげようと思います!
「鋭(エイ)!、鋭(エイ)!!、応(オオ)~ッ!!!」
(・・一人でやると、結構どころか、相当恥ずかしい・・)

美濃 柿畑城 🏯山上に広がる360度の千畳敷平

美濃 柿畑城 (岐阜県恵那市串原柿畑・城ヶ峯)

あんなにも暑かった夏がウソのように涼しくなりました。
朝夕も肌寒く感じられるこの頃、最後の力を振り絞って鳴くツクツクボウシ。
はるか遠くからでも聞き取れるその声にちょっぴり情緒を感じます。

さて、少し前に旧恵那郡串原村の串原大平城を取り上げました。
今回は同じ旧恵那郡串原村から串原柿畑城を紹介したい、と思います。
どちらも「串原城」と呼ばれ、その遺構の完存具合が素晴らしい城址です。

kakihataj (12)柿畑集落から見上げる城ヶ峯山上が城址です。

現在、城址までの道は消滅しており、正面からは獣除けの電気柵で入山できません。
自分は山腹を南に回り込み、急斜面を直登しました。(すっかり必殺技です・・)
野生動物の宝庫=作物への被害への対処、仕方ありませんね・・。

kakihataj (9)
ここからが本来のルートと思われます。

kakihataj (10)
お堂を横目に尾根伝いに登っていきます。

お堂には恵那市指定文化財の木彫三十三体仏をはじめ
木彫十一面観音立像などが安置されています。
おばあちゃんがいらしたので、ちらっと中を拝見させて頂きました。

kakihataj (8)
さて、獣除け柵を避けて直登すること15分、山頂手前の切岸が最後の難関。

kakihataj (7)登り切ったそこには信じられない程の広さの削平地(;゜0゜)

腐葉土の堆積こそあるにせよ、しっかり削平された広々とした「空間」です。
広角レンズをもってしてもその端から端までが視界には納まりません。
今回は先に縄張り図でご案内したいと思います

kakibatazu.jpg「これぞ、単郭の城!」といった気持いいほどの単郭です。

約40m×約40mの、円形とも正方形、ともとれる形。
面積は公式バスケットボールコートが余裕で2面とれる広さ、
つまり、体育館並みの広さがある、ということになります。

kakihataj (1)
周囲を出入り口を除き土塁で囲っています。

kakihataj (3)
東側の土塁は高さも厚みもあり、櫓台や見張り台の存在を匂わせます。

kakihataj (2)
東側の大堀切へとつながる平入り虎口。

kakihataj (4)堀切は堀底がクランク状になって「折れ」が見られます。

黄色い線で補足させていただくと・・。
kakihataj (5)
こうなっているわけでございます。

この地方では例のない手法なので目を奪われます。
堀切の幅も最大幅15mもあり、その深さも12mにもなる大堀切。
両端部は竪堀となって谷筋に落ちています。

kakihataj (6)堀底から見上げる高い切岸。

『串原村誌』では、縄張りが簡素なため、「古体の城郭」、と位置づけられています・・。
串原遠山氏は、ここ柿畑城から大平城へと次第に勢力を伸ばした、という説明です。
(何の根拠か室町前期以降と・・)

しかし、それは少々早合点ではないかと思われます。
確かに単郭・単堀切ではあってもその土木普請量・兵員収容力は見逃せません。
堀底をクランク状にしているのはその上部に突き出た横矢掛け施設を設けたからでしょう。

むしろ時代的には新しいタイプの陣城のようにも見えます。

柿畑城に関しては城主や築城年代などの記述が不明です。
城山への登山道=大手道なども消滅していて長期にわたって機能したとも思われません。
こういった不明瞭な城歴は、それはそれで何かを物語っていると思われます。

木立で風景は期待できませんが頂上からは矢作川沿い対面の三河国境の城砦群から
美濃大平城、明知城方面をも見渡せる絶好の位置にあったことでしょう。
いわゆる境目の城、として城番兵が置かれていた頃の姿を想像しちゃいますね。

余談ですが、城への山登り中イノシシに、山上の千畳敷郭でシカの親子にお会いしました。
帰りの車ではタヌキに遭い、空は天気なのに雨が降る、「キツネの嫁入り」にも遭いました・・。
御後がよろしいようで・・。



Ⓢには車が駐車できる公民スペースあり。
Ⓖは山頂の主郭部を指します。
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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