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丹波 岩尾城 🏯黒井城に負けず劣らじの山上石垣②

丹波 岩尾城 (兵庫県丹波市山南町和田・蛇山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・後半その②】

壮大な石垣遺構を目の当たりにしてに立ち尽くし、やがて歩き出します。
一歩づつ歩くごとに違う景色になってしまうのが実に惜しまれます。
この西の丸から二の丸に向かっていく間の石垣は本当に見事です。

iwaoj2 (7)なかなかダイナミックな野面積。

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草の茂みがいい感じで古城感をかもしだしているのです。

iwaoj2 (22)二の丸にある岩尾色の説明文と縄張り図。

図面を見たら解るように、この岩尾城、主郭部中央の大土塁を境に構造が全く違います。
土塁の北側は中世以来の「土造りの城」の姿をとどめています。
対して土塁の南側は、明らかなる織豊期の「総石垣の城」の姿を見せています。

iwaoj2 (4)二の丸から見る天守台方面。

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高石垣ではないですが、二段に積み上げられた石垣は古風で健気な印象があります。

iwaoj2 (9)伝・天守台には小さいながらもシンボル的な建物があったのでしょう。

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西方面の眺望がよく見えました。

iwaoj2 (24)青いベンチとセットの岩尾城標柱。

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「古城」とを分かつ大土塁は櫓台にも相当する大きさです。

ここから北は石垣の城から一転、中世の頃の姿が見えてきます。
切岸、土塁、堀切(二重堀切)といった遺構が楽しめます。
そのメリハリを観察するのが、ここ岩尾城でのもうひとつの楽しみ方かもしれません。

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北に延びる曲輪には周囲に土塁が廻っています。

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北尾根に備えた土橋と堀切。

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西尾根に備えた大堀切は二重堀切となっています。


岩尾城は永正13年(1516)、和田斉頼によって築かれたと伝わります。
斉頼は天文13年(1548)病没し、跡目を師李が継ぎ城主となりました。
しかし、天正7年(1579)丹波へ侵攻した織田軍の明智光秀に攻められ落城しました。

天正14年(1586)近江国より佐野栄有が入封すると、岩尾城は総石垣の近世城郭へと改修されました。
しかし、明智勢に摂取された時点で石垣改修されたとする説も有力です。
黒井城や金山城、周山城等、同時期明智方の遺構プランがその説を後押ししているようです。

佐野栄有は近江・木戸出身の豊臣方の武将です。
その人物像は不明な点が多いのですが、秀吉らに発掘された近江派ルーキーだったようです。
しかし、栄有の在城は僅か10年、再び近江国木戸へと移り、後は前田玄以の属城となりました。

栄有さん・・、何があった??気合で新生岩尾城を築城したのに・・。

迫力ある古風な織豊系石垣と中世からの土の城、両方をじっくり楽しめる岩尾城。
しかし、これだけの城郭が毅然として残っていることに驚きました。
岩尾城が注目を浴びるのはまだまだこれからでありましょう。
(個人的にはあまり有名になって欲しくないが・・)

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前日に入浴した「丹波の湯」、薬草の風呂は癒しのひとときでした。

岩尾城の麓から近い所にあるので合わせて寄ると登城の疲れもとれますかと。


Ⓖは蛇山・岩尾城山頂部。麓の和田小学校から登城しました。
駐車場は和田小学校向かいの交流センター?さんにお借りしました。

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丹波 岩尾城 🏯黒井城に負けず劣らじの山上石垣①

丹波 岩尾城 (兵庫県丹波市山南町和田・蛇山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・後半その①】

黒井城トレランを終えた後、三尾城と国領城を訪れてこの日は閉店ガラガラ。
丹波の宿と温泉で体を休めました。疲れ果てた体に用意されたお湯とベッドは格別ですね。
それでも翌朝5時に起きてしまう自分が悲しい・・。

それもこれも丹波の山城が未だに自分を呼ぶからでしょうか。
もうこの合併症を治すことはしばらく無理そうです・・。
ということで、次の日は早朝から丹波・岩尾城に登ってみました。

iwaoj2 (28)牧山川に架かる和田大橋から望む岩尾城の蛇山。
(この時期だから蛇はもういないだろうね・・)

この山の稜線が蛇のようにくねくねしているのが山名の由来なんでしょうか??
それにしても黒井城といい三尾城といい、ここ岩尾城もかなりの比高ある山城なんですが・・。
昨日のレースを体験した後のせいでしょうか、「ああ、こんなもんか」という程度の認識。

標高ある山城を目の前にして、完全に免疫ができてしまいました。(麻痺ともいいます)

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今回は山麓の和田小学校から登城します。

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この日は平日。よって早出の学校職員さんに一言声をかけます。
(先生、月曜日のこんな朝っぱらからすみませんでした・・)

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岩尾城の案内版があるところからセルフゲートで入城していきます。
(上から行っても下から行っても同じ所にでます)

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本来の大手道は現在の親縁寺からの登城道だったようです。

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南先端部の南曲輪を通過します。ここは平地のみの出丸ですね。

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登山道は珍しく美しいシダ道でした。

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下知丸曲輪に到着。ここから下知(命令)の指示が飛ばされたのでしょうか?

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さて、いよいよ主郭部に近づいてきたようです。

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南尾根筋の最初の堀切、底を通って井戸方面へ。

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こんな高所に井戸の址が、しかも水が張られてあります。

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その井戸を守るかのように手前には巨大な竪堀も。

iwaoj2 (3)現れだした石垣に心臓がバクバク(;゜0゜)してくるのでした。

iwaoj2 (20)息を飲む西の丸の虎口からの様子です。

自分はここであまりの古城美学に立ち尽くすこと暫くでした。
驚きました・・。失礼ながらここまで素晴らしい遺構があったなんて・・。
これに呼ばれてここまで来たのだ、と納得した瞬間でした。

後半その②に続く・・ (紛らわしくてすみません)

丹波 国領城 🏯三尾城下の居館址

丹波 国領城 (兵庫県丹波市春日町国領)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・前半その②】

この日、なんとか無事に「黒井城トレラン大会<エクストリーム>」を制覇。
その足で三尾城に登りつめ、続いて訪れたのが国領城です。
城は三尾城の北西麓にあり、竹田川の南岸に築かれています。

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現在城址には流泉寺が移築され、寺内一体がその範囲となっています。

mituo02 (2)国領城の土塁と言われる遺構です。

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西側の土塁の外には僅かに堀も残っているように見えます。

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境内の南側から西側にかけてL字状に角部の土塁が残っていました。

国領城は赤井幸家によって築かれたといわれています。
赤井幸家は三尾城主で黒井城主・赤井直正の弟です。
三尾城を詰めの城として、平時はこちらの居館で政務をとっていたのでしょう。

kokuryou (2)
土塁の内部には赤井幸家の「孤舶釣月」の法名と「赤井刑部」の名が刻まれている墓石があります。

城は天正7年(1579の)明智光秀による丹波攻略によって落城したようです。
寺には国領城を示す石碑や案内板などは見当たりませんでした。(ちと残念)
丹波の赤鬼を支えた、弟・幸家を偲ぶことのできる貴重な城なんですけどね・・。

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国領城から眺める三尾城・・、結構遠いですな・・(;^_^A)

丹波 三尾城 🏯赤井直正の弟・赤井幸家の牙城

丹波 三尾城 (兵庫県丹波市春日町中山・三尾山)

【黒井城トレランレース後に登城した険峻山城覚書・前半その①】

この日、なんとか無事に黒井城トレラン大会エクストリームを制覇。
心地よい達成感と疲労困憊の中、少しだけ余韻に浸っていました。
・・でもそれはほんの束の間。

・・どこからか聞こえてくる・・、自分を呼ぶ丹波の山城からのお誘いです。
満身創痍になりながらも、やめときゃいいのに、登ってしまう悲しい性です。
これが本当の・・、赤井の呼び込み戦法なのでした!

ということで向かったのは赤井直正の弟・赤井幸家の築城と伝わる三尾城
幸家は兄である、丹波の赤鬼・赤井直正を支えた「影の赤鬼」。
黒井城とは盆地を挟んで相対する三尾城を拠点として明智勢と戦います。

mitio01 (2)三尾城は険峻な三尾山(標高586m)の山上に築かれています。

三尾城はその名の通り、3つの尾根の合体城郭です。
前三尾、中三尾、三尾山と3つのピークはどれも城郭として利用されたようです。
山肌には一部ですが垂直に近い崖肌も見える険峻極まる山城です。

過酷なレースを終えたばかりなのに、この体で挑むのは愚の骨頂。
歯止めがきかない自制心、わかっていてもやめられない。
丹波の山城の魅力、憑りつかれたら、こうなります。(お前だけだよ)

なるべく最短距離を登るべまずはく林道を探します。

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あった、あった、ありました~。ゲートを開け閉めするパターンの林道です。

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♪マッハロッドでブロロロロ~、ブロロロロ、ブロロロロォー!!byバロムワン。

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行ってきます♪ここで待っててね。(帰ってこれたらね・・)

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山頂まで1150m!?、・・ナンノ陽子じゃい(汗)!

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山頂までは沢道あり、整備登山道ありでゆっくり歩けば大丈夫です。

mitio01 (5)
今回は時間と体力の問題で前三尾はパス!、眺望は本丸から見ようと思います。

因みにネットで検索予習した際には前三尾展望台からの眺望は絶景だとか・・。
堀切に近いような峠道があるとか・・。
今回は堪えて少しでも体へのダメージを考慮、諦めます。

mituo02 (15)
本丸の手前には8段になる曲輪が連続で連なります。

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現われだした曲輪群。ブッシュでよくは観察できませんでした。

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主郭部に到着しました。麓の駐車場から40分くらいでの到着でした。

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何故か本丸部だけは見通しがよく整備されていました。

三尾城は三尾山山頂に本丸を置き本丸を取り巻くように腰曲輪が廻っています。
本丸より北方向に8段の段状郭が連なり、鞍部には広い郭が築かれています。
天険を頼ったのと、急造の城郭だったのか、大規模な堀切遺構は見られませんでした。

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本丸を取り巻く腰郭。

mituo02 (21)「三尾城址」石碑・・いいですね~ヾ(o´∀`o)ノ。

赤井幸家は兄の黒井城主・赤井直正が病死した為、黒井城の城代として但馬竹田城へ出陣。
そこへ明智方の妻木範賢が攻め寄せ、三尾城はついに落城します。
妻木範賢は美濃・妻木城出身の縁者と思われます。

mituo02 (28)霞んでましたが、頂上からは黒井城城砦群もはっきりと視界に入ります。

mitio01 (10)尾根続きの断崖からは美しい紅葉が。思わずパチリ!

自分にも共に育った弟クンがいます。
大切な家族で、いざというときはホントに頼りになる弟です。
さて、直正と幸家はどんな兄弟だったのでしょう?

骨肉相食む戦国時代、兄弟同士で争う例は日常でした。
そんな時世、幸家は兄・直正の考えに同調して、兄の死後も甥・直義を助け戦い抜きます。
そこにはお互いに信頼し合える、固い兄弟愛を感じます。

「名高キ武士」を支えた「影の赤鬼」、赤井幸家の信念を感じた三尾城でした。

mitio01 (8)山上にて傍らのアカタテハとコーヒータイム。

赤鬼ならぬアカタテハ・・、来れてよかったです(* ´ ▽ ` *)。

こんな過酷なレースだったとは・・。

第3回黒井城トレイルランニングレースに出場

平成30年11月11日(日) AM8:30スタート(エクストリーム20スタート)

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朝霧に包まれた丹波・黒井城城砦群。

晩秋の入口、丹波が誇る黒井城を舞台としたトレイルラン大会に参加しました。
黒井城が大好きな自分としましては、一度走ってみたかった魅力的なイベントです。
「ショート10kmの部」もあったのですが、どうせ走るなら「エクストリーム20km」!
そう心に決めてのエントリーです。

「エクストリーム」とは「極限」、「極度」、「極端」などといった意味をもつ英語。
そんな過激な要素を持った、離れ業を売りとするレースって一体どんなんだろう??
それなりの覚悟でエントリーしたのですが・・。

いやはや想像を絶するトレイルレースでした・・。
普段から山城を4つも5つと登り渡っても割かし平気。
日頃のトレーニングでもトレランを取り入れて練習しています。

決して舐めていた訳ではありませんでしたが自信はあったのです。
・・しかし、ここまで過酷だったとは全く想像だにしていませんでした。
一体どんなレースだったのか、少しだけ振り返ってみたい、と思います。

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前日に準備の装備を確認。

トレイルランニングはケガや遭難等の万が一に備えて、行動食はもちろんの事、
非常事態にある程度備えた装備も必要とします。
この点はマラソン競技とは全く別物といっていいかもしれません。

・水分500ml(今回はハイドレーションバックパックを装備)
・行動食(今回はエナジードリンクとソイ・ジョイを各2個づつ持参)
・携帯用レイン・ウェア
・携帯用サバイバル保温ブランケット
・アルミコップ
・熊鈴
・コンパス
・緊急エイドキット
・グローブ2組
・ウエストポーチにカメラと予備ドリンク

・・等々。決して大袈裟ではありません。

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スタート・ゴールの黒井小学校グラウンド。背後右の城山が黒井城です。

kurotore (4)レースの高低表ですが、実際はこれに+αのコースになっていました・・。・・え~??・・。

ゴールを一度潜ったら、再度山を登り2km増えての再ゴールでフィニッシュ!
・・だそうです・・。(聞いてないぜ・・(♯`∧´))
累積標高1800mの21kmってどんなん・・(汗)

そうなんです、黒井城の本丸までなんてのは、ほんの序の口で小手調べにもなりません。
こうなると話が全然違ってきます。(ダマされた気分・・)
体中から血の気が引いていきそうになるのを奮い立たせてのスタートになりました。

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皆さんで勝鬨を揚げてのスタート!(もう後戻りはできましぇ~ん(泣))

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序盤はゆっくりと一列に並んで登城です。

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あぁ、見覚えある光景ですな。

今年五月に弟クンと来たばかり。
いつ見ても感動する石垣だな~と思っていたのは束の間。
今回はレースです、ゆっくり山城気分を味わうのはできません。

kurotore (8)
それでも少しだけ、黒井城を味わいたいとペースを落とします。

kurotore (9)kurotore (11)
今回、売りである雲海は期待できませんでしたが、相変わらずいい眺め。

kurotore (12)
さ、レースモードに切り替えて、いざ、トレイル!

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いつもは見とれてしまう堀切・土橋も今回は危険箇所。慎重に抜きます。

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段々と小さい集団ごとにばらけていきます、単独走を避け、後を付いてくのも手です。

kurotore (16)
登りは無理せずに歩くときは歩きます。

kurotore (17)
クオーター地点の五大山に到着。しかし、爽やかな笑顔はここまででした・・。

ここからは2kmもある急激な下り坂が始まりました。
スピードを殺しながらいくか、引力を味方に猿のように駆け下るのか・・。
脚と相談しながらの急降下でしたが、まずここでやられてしまいました。

kurotore (19)
今度はその駆け下りた急斜面を2km登ります・・。意識を集中させないと。

中にはここの手前エイド地点で棄権する方もみえたそうです。
脚をくじかれた方、心をくじかれた方、・・残念だけど懸命な判断かと思いました。
それはここからが「エクストリーム」といわれる真の所以のコースだからです。

kurotore (21)
鷹取山頂上に登り切った感激も束の間。まだまだ半分です・・。

きれいな景色ですが堪能している時間は・・。
 「・・ない!!」 
でもちょとした達成感は・・。
 「・・ある!!」 
まだまだ頑張っちゃいます。

kurotore (30)ロープを掴まないと登れない箇所もいくつかありました。
これはもう城攻めです!

・・越えても越えても押し寄せる難関アップダウン。
途中で迎えてくれるスタッフさんたちもここまでどうやって来たの?、と聞きたかったス。
少し足を踏み外したら谷底へ・・、なんていうヤバい箇所もあちこちに。

怪我や死にも直結、恐怖とスリルも付いてきます。
時折感じる赤井直正公が自分の前を横切っていきます。(完全に幻覚です)
でも、それが結構面白かったりするんですね。(その時はそんな余裕はありませんでしたが・・)

もうこれはトレランを越えた、トレランクライミングです。新鮮ですわ(笑)。
なんとしてでも完走するぞ!と燃えてきました。
逆境になると人間はこうも強くなるものなのか、思い知りました。

・・すみません、もう写真を撮っている余裕はなくなりました。
競技に集中、競技を愉しみ、競技に真剣に向き合います。
・・そして、とうとうその時が来ました・・。

・・あ?あれ?、あ、脚が動かない?!

二度目の五大山を通過し、黒井城の千丈寺砦にまで戻ってきた時の事でした。
太腿の筋肉が痙攣し始めたのです。・・こんな事は初めてでした。
ここで行動食を摂ってちょいと休憩します。

「いじめてごめんな・・、でも、もうちょっとだけ付き合ってよ」
自分の脚を摩りながらいたわり語りかけたのも初めてかな(笑)。
水分も補給して、再出発!「脚、復活!、行ける!」・・かな??

東砦を駆け下り、整えながらゴールを目指します。
制限時間の5時間にはなんとか間に合いそう、焦らずに、焦らずに・・。
因みに制限時間内での完走率は全体の10%だとか・・。

kurotore (36)そして、涙、涙のゴールです!。゚(゚´Д`゚)゚。

いや~、辛かった、苦しかった、でも面白かった!
「脚、頑張ったな、ありがとう!」
ダマしダマしでなんとか制限時間内にゴールできました。嬉しかったです!

kuroitorek.jpg4時間46分もかかりましたが、5時間制限内での完走で大満足です。

ここまで自分をイジメたのはいつ以来でしょう?
フルマラソンと黒井城トレイルどちらがエラかった?と聞かれたら・・。
個人的感想ですが、やはり黒井城トレランでしょうか(;^_^A)。

翌日、足全体はもちろん体中あちこちが筋肉痛です。
ロープワークしたり、木々を掴んだりした腕、肩もバキバキになっていました(笑)。
数日間はゆっくりと体を休めるつもりです。

一緒に駆け抜けた、トレイルランナーさんの健闘を讃え、スタッフさんたちに感謝。
そして途中何度もくじけそうになった自分の背中を押してくれた赤井直正公に謝意を。
・・そして、相棒の両足と健康な体、父母様、家族のみんなに感謝のレースでした。

鍛え直して再チャレンジ!?、・・今は考えてませんが(´∀`*)。

美濃 下村城 🏯畑となろうとも面影が残る城

美濃 下村城 (岐阜県恵那市上矢作町下増沢・城)

驚いた事がありまして、10月も終わりに近づき、11月になろうとしているこの陽気。
自分の耳を疑いました。確かにツクツクボウシが間近で鳴いているのです。
かつての美声はどこへやら、それでも命消えるその瞬間まで懸命に生きる姿です。

そんな「生きる運命(さだめ)」を感じながらの城めぐり(疲れてんのかな・・)。
今回は前回の小田子城から北上、旧上矢作町、下集落の下村城を訪ねました。
下村城は別名が沢山あります。山室城(やまむろじょう)、小御所城(おごそじょう)、等々です。

simomura (3)新澄ヶ瀬橋近くから眺める下村城。

simomura (2)
「澄ヶ瀬」の名の通り澄み切った美しい清流・上村川。ウグイが泳いでら。

恵那市上矢作町に昔から伝わるお祭り「熊野神社 春の大祭」が面白いです。
大祭では、夜になると熊野神社に地区ごとの神輿が集まり、「けんか神輿」が始まります。
小田子地区と下地区の神輿どうしが境内でぶつかり合う様子は勇壮で迫力あります。

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増沢集会所の空き地に駐車させていただきました。ここのすぐ上が城址です。

主郭部はおおむね畑となっています。
simomura (8)

畑では仕事を一休みされていたおばあちゃんにいろいろ教えて頂きました。
なんでも、お嫁さんにいらしたときから、ここはもう畑になっていたそうです。

城の西を通っている現在の県道はかつて堀になっていたそうで今より細かったんだとか。
そして東の腰曲輪には井戸があったそうです。(現在は確認できませんでした)
また周辺の地名の由来と場所を教えていただきました。

地名には市場、牧場、小御所(おごせ)、堀、射去(やだれ)等、城に関する地名が多く残ります。
また下村城の南は増沢川、東は上村川が流れ、周囲は河川と湿地帯で守られていたようです。
・・おばあちゃんとの談話はとても楽しいひとときでした(^▽^)♪。ありがと!

simomura (7)
曲輪の輪郭もどこまでが往時の姿か見当がつきません。

simomura (5)
かつては大堀切があったという「堀」という屋号も現在は県道となっています。

simomura (6)この傾斜角はおそらく当時の城の面影が残っている部分かと思われます。

simomura (9)下村城から見渡す下地区の城下。

城主の言い伝えも口伝、文献共に一致をみません。
こうした城名が複数伝わるのも、それだけ城主が変わったことも示しているようです。
基本的に恵那郡遠山氏勢力⇒武田方勢力⇒再び遠山氏の遍歴で差し支えないでしょう。

比較的信頼性のある『丹羽氏聞書』によれば戦国末期の城主に遠山市左衛門が伝わります。
また天正期には串原遠山氏の城代として大嶋(大島)兵衛五郎の名も伝わっています。
『美濃諸旧記』に見られる下村丹後守幸近は諱の組み合わせから武田方の関係者とも思われます。

下村城は三河・信濃から岩村へとつながる重要中継地点であったようです。
そして串原、明知方面にも最短距離で連絡できる分岐位置にありました。
豊富な地名や街道のつながりが今でもそれを伝えているようです。



Ⓖは下村城の主郭部。増沢集会場から見学できます。
 当然ですが、畑ですので無断での立ち入りは厳禁。
 城址碑・案内版などはありません。

美濃 小田子城 🏯信濃国境に向けられた城

美濃 小田子城 (岐阜県恵那市上矢作町小田子乙原)

秋の深まりと共に城めぐりも趣あるシーズンを迎えております。
訪れる城址へ向かう途中でも、また現地の城址でも見事な色付きに癒されます。
紅葉も楽しみながらの城めぐりはなんだか気分もゆったりしています。

さて・・少し前に旧串原村の福原城を記事で紹介させていただきました。
福原城の北には福原山が控えており、福原城の後備えの役割があったそうです。
(福原山はまだ未踏なので、今度また調査に登ってみようかと思っております)

その福原山からの支峰尾根上にはもう一つの城が存在します。
福原城が主に三河国境に向けられているとしたらこちらは信濃国境に向けられている城でしょうか。
それが今回のご紹介の小田子城(こだこじょう)です。見ていきたいと思います。

kodako (10)対岸の三河押山集落(豊田市稲武町)から見た小田子城。

小田子城は上村川と矢作川の合流地点右岸に構えられた城。
ここから矢作川沿いに東へ10kmほどで信濃の根羽村へと繋がります。
福原城同様、三河と信濃の国境に位置しますが、主に信濃方面を意識しているようです。

kodako (4)
小田子橋の脇には根羽方面を示す古い道標があります。

小田子橋は渡河地点として古い時代からこの位置に架かっていたようです。
小田子の郷土史にお詳しい方からいろいろ教えていただきました。
城址への登り口(大手道)もこの橋上にあったようです。

現在の登城口は消滅してしまいましたので乙原集落の東口から登ります。
※個人宅の敷地をまたぐので注意が必要です。
先ずは中部電力さんの送電鉄塔を目指して登ります。

tettousinnro.jpg
こちらは近年置き換えられた新しい送電鉄塔です。

鉄塔に出たら尾根沿いを西方面に伝います。
しばらくすると急斜面になって山腹に土橋が現れます。
ブッシュでこの土橋を見落とすかもしれませんんが・・。

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かわいい土橋で見落としそう・・。両脇はしっかり堀切になっています。

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南に回り込むと大手腰曲輪を分断する大きな竪堀があります。

大手の腰曲輪は南尾根からの備えを担っています。
kodako (2)

ブッシュで写真では示せませんが虎口は主郭部の東側。
受け曲輪を設けて喰違い虎口の様相をしています。
わかりづらいので今回は下に縄張り図を図示してあります。

kodako (1)
主郭部にはかつての送電塔の基礎が4支点残っています。

以前、自分がこの城を2回訪問した時はここに送電塔が立っていました。
・・なにかえらく時間が経過したような気になって、
「オレ山城歴何年なんだ??」と誰もいない山の中でニヤニヤしてしまいました。

kodako (6)
主郭部本丸部の様子。奥には低い土塁があります。

土塁の上をよく見てみると・・
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投石用でしょうか?礫石が沢山固めて置いてあります。

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主郭部周囲の切岸は高く腰曲輪からはうんと見上げるかたちになります。

kodako (8)尾根続きを堀切で遮断し、堀底に土橋を設けています。

kodakosuke.jpg小田子城のスケッチ縄張り図。

小田子城は元々は福原城同様、恵那郡の遠山氏によって築かれたのでしょう。
しかし岩村城が落とされて後、この地域一帯の城は武田方勢力による改修を受けたのでしょう。
小田子城も城の東側にその改修痕跡が見られます。

元々は曲輪として繋がっていたであろう大手腰曲輪や喰い違い虎口はその可能性があります。
特に堀切と竪堀との連動手法には、武田氏方の特徴がみられます。
・・しかし主郭部西側にはかつての遠山氏時代の面影が残っているようです。

kodako (3)両河川の合流点を見下ろす位置にある小田子城。

小田子城が聳える山のその先の向こう、信濃へはもう間近。
遠山氏時代にあっては国境監視城として、武田氏時代にあっては重要中継城として。
その歴史が詰まった遺構、山容、美しい自然をいつまでも大切に残していきたいですね。



Ⓢの小田子橋の安全帯に駐車しました。
Ⓖが小田子城の主郭部、中電鉄塔を目指して登りました。
プロフィール

 久太郎 (Q-tarou)

Author: 久太郎 (Q-tarou)
ようこそいらっしゃいました。
久太郎と申します。
「城跡が好き」
ただそれでけでブログを立ち上げている城好き若輩者です。
おかげさまで開設以来3年目を迎えることができました。

地元の岐阜県内美濃地方の城址を中心に自分なりの想いを込めてじっくりと巡ってまいります。たまに遠征なんかにも出かけます。

時に「ゆるく」時に「鋭く」五体と五感をフル回転。城址での様々な出会いと独自の感覚を大切にしてつづっていきたいと思います。

また城址付近のダムや棚田、名水といった気持ちを揺さぶられる箇所にも寄り道していきます・・。
趣味のマラソンも自分のペースで好きなように走ってます。

どうかご笑覧くださいませ。

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